本記事に登場する氏名は、全て仮名です。
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1956年(昭和31年)のある日曜日、東京都武蔵野市の都立動物園である井の頭自然文化園に一人の中年の男が現れた。
彼はひととおり動物を見て回った後で向かったのは、ゾウが飼われているエリア。
当時、このゾウのエリアにいたのは、メスのアジアゾウである「はな子(9歳半)」一頭である。
「はな子」は1949年(昭和24年)、戦後初めて日本に来たゾウであり、当初、恩賜上野動物園で飼育されていたが、1954年(昭和29年)になってから同井の頭自然文化園に移され、同園の看板動物の一頭として人気を集めていた。
「はな子」は、閉園時間にはゾウ舎に入れられているが、開園時間になると外の運動場に足を鎖でつながれた状態で出されて、来園客に披露される。
運動場の前面は安全対策として空堀で囲まれ、客は空堀を隔てた柵の向こう側から、その姿を見学することになっていた。
くだんの男もその客たちの中に混じり、熱心なまなざしで「はな子」の体重約2トンの巨体を眺めている。
この男の名は五十嵐忠一(仮名、44歳)。
機械工具製造会社で外交員を務めており、妻と中学三年生の長男をはじめとする五人の子供がいる(当時としては特に子だくさんではない)。
五十嵐は動物が好きだった。
自宅が近いこともあって、今日のように日曜日はほとんど井の頭自然文化園に足を運んでいたという。
だが、「好き」と言っても、彼の場合は普通ではない「好き」だったようだ。
現に五十嵐は、一般の来園者のものとは明らかに異なった眼差しで「はな子」を見つめている。
そして、見ているだけでは満足できなかった。
空堀で死んでいた男
1956年6月14日午前7時半ごろ。
朝の見回りでゾウ舎にやってきた同井の頭自然文化園の飼育主任・蒲山武(仮名、40歳)が、ゾウ舎入り口のカギが外されているのを発見した。
「なんだこりゃ?」
怪しいと思った蒲山が中に入ると、「はな子」の足元に散らばるのはシャツや手提げカバン。
さらに、その向こうのゾウ舎と観覧場所を隔てる深さ約2メートルの空堀をのぞくと、何と男性が倒れているではないか。
男は洋服がビリビリに破れており、その体はピクリとも動かない。
やがて連絡により駆け付けた最寄りの武蔵野署の署員により、男の死亡が確認される。
死体は胸骨と肋骨がバキバキに折れてペシャンコと言ってもよく、胸にゾウの足跡がくっきりと残っていた。
状況から見て、ゾウの「はな子」に踏み殺されたのは間違いない。
そして、その変わり果てた姿となっていたのは、毎週のように井の頭自然文化園を訪れていた、あの五十嵐忠一だった。
招かれざる来園者
生前の五十嵐の写真を見たならば、その外交員という職業柄もあって真面目かつ知的そうな面相をしており、特に悪い印象を持たれることはないであろう。
そして動物好きでもあり、井の頭自然文化園の常連客だった。
だが、彼に対する同園の職員の評判は、決して芳しくはない。
なぜなら言っちゃ悪いが、この男は野獣、いや野獣以下と言わざるを得ない悪癖を持っており、職員もそれを知っていたからである。
それは、たびたび夜中に同園に侵入しては、飼育されている動物を犯していたことだ。
午前9時から午後5時までの開園時間内に、正規の来園者として訪れるならまだしも、閉園時間になると動物とおぞましい「ふれあい」を、強行しに忍び込んでいたのである。
後の調べで、事故当日の朝5時ごろ園内をぶらぶらしていた五十嵐を、敷地内の職員住宅に住む職員の家族が目撃していたことがわかった。
そんな招かれざる来園者だった五十嵐は、何度か職員に捕まって注意を受けたことがあり、警察に取り調べを受けたことすらあった。
にもかかわらず懲りることはなく、今度は「はな子」を「制覇」しようとした結果、返り討ちにあってしまったのだ。
彼がそのような性癖を持つにいたったのは、戦争が原因だったのではないかと、その人となりを知る人は後に証言している。
若いころ外地の戦場へ出征した経験のある彼は、戦地で性欲を処理するためにニワトリや豚を相手にしていたらしい。
そしてそれは帰還して妻を娶り、5人もの子宝に恵まれた後も矯正されることはなかったのだ。
彼も戦争の犠牲者だったのかもしれない。
それにしても、この昭和31年当時の新聞はコンプライアンスもプライバシー保護もあったもんじゃない。
哀れ五十嵐は顔写真に実名、勤め先や住所まで報道され、ある新聞においてはその見出しに「忍び込んだ変質外交員」という枕詞まで付される始末。
いくら自業自得とはいえ、これでは気の毒すぎるではないか。
その後
この事故で死んだ五十嵐の不法侵入は明らかであり、閉園中でもあったために、井の頭自然文化園側に落ち度はないとされた。
また、「はな子」がこれによって危険極まりない動物とされて殺処分されることもなく、そのまま飼育が続けられた。
だが4年後の1960年に、今度は飼育員を踏み殺す事故を起こしてしまう。
これには「殺人ゾウ」の烙印を押されてしまい、「はな子」の殺処分も検討される事態となった。
結局、処分は免れたが、来園客から石を投げられたこともあり、ストレスなどからやせ細ったこともあったらしい。
そんな「はな子」も昭和、平成と時代が進んで21世紀を迎えても井の頭自然文化園で飼われ続け、2016年(平成28年)5月26日、ゾウとしては高齢の69歳で天寿を全うした。
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