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2001年6月8日、大阪教育大学付属池田小で起きた児童殺傷事件は犠牲になった児童の数もさることながら、学校に凶器を持った不審者が乱入する学校襲撃事件としても、社会に衝撃を与えた。
この事件以後、全国の学校で部外者の学校施設内への立ち入りを規制したり、警備員を置くなどの安全対策が取られるようになり、もはや、学校は無条件に安全な場所ではないという考えが国民の間で広まった。
しかし、不審者が学校に侵入して生徒を無差別に襲うという事件は、この池田小事件が日本初ではない。
それより13年前の1988年7月15日、神奈川県平塚市のY中学校で、同様の学校襲撃事件が起きていたのをご存じだろうか?
この事件では死者こそ出なかったものの、鎌や斧を持った男が中学校に乗り込み生徒たちを無差別に攻撃して、8人を負傷させた。
犯人の男は教職員らに取り押さえられて逮捕されたが、その犯行動機たるや、あまりにもあきれたものだった。
ボブ
犯人の橋本健一(仮名)は、事件のあった平塚市立Y中学校から、200メートルほど離れた団地で、両親や妹と同居していた29歳の無職。
子供のころから自閉症気味で家に閉じこもりがちだった橋本は、中学卒業後に就職したものの、一年とたたず辞めており、以降、働くこともなく実家に寄生して、ニート生活を送ってきた。
ニートとはいえ、ずっと家に閉じこもりっぱなしの引きこもりではない。
働いていない彼は毎日ヒマにまかせて、家のママチャリに乗って近所を徘徊しており、よく向かっていた先がY中学校であった。
中卒の橋本には中学校に特別な思い入れがあったと思われる。
付近をうろつくだけではなく、校内に入っていくこともあった。
そして、女子生徒がグラウンドで体育の授業を受けていようものなら、それを凝視してニヤニヤしていることもあったし、下校途中の女子生徒をつけまわしたりもした。
完全に不審者そのものである。
行動だけでなく外見も相当怪しい。
ひょろっとした150cmほどの小男で、うつろな目をしたおかっぱ頭の橋本は、見る者に異様な印象を与えた。
そんな妖怪のような成人の男を、生意気盛りの中学生たちが放っておくわけがない。
事件が起こる5年ほど前からY中学校の生徒たちは橋本をからかうようになってきた。
中学生たちが橋本に付けたあだ名は「ボブ」。
それは、彼のおかっぱ頭がボブカットのようであったことに由来する。
そして身なりも行動も怪しく、何より弱そうな見かけだった橋本へのちょっかいが「いじめ」へとエスカレートするのに、時間はかからなかった。
中学校に近づくと大声で罵声を浴びせられたり、唾を吐きかけられたり、石を投げられたり、傘で付かれたり、足蹴にされたり。
橋本は基本無抵抗だったが、時々怒って抵抗することもあった。
しかし「それはそれで面白い」と嫌がらせがグレードアップする始末で、中学生も一人ではない場合が多かったため、よってたかって殴るけるの返り討ちにされたこともあったらしい。
ならば近づかなければいいのだが、橋本はY中学校に出没することをやめなかった。
事件の前年には、中学校の運動会の最中に校内に入ってきた橋本を生徒たちが競技そっちのけで迫害、玉入れに使う玉を、数十人が一斉にぶつけた。
この時は、さすがに教師も止めに入ったようだが、悪ガキどもにとっては、きっと運動会の競技より楽しかったことだろう。
また男子だけでなく女子も面白がっていじめに参入することもあったし、小学生までもが、橋本の自転車を囲んで荷台を引っ張ったりしてからかうようになってきた。
家にいても安全ではない。
どうやって知ったか、中学生たちは橋本の住所や電話番号を知っており、自宅に石を投げ込まれたり、いたずら電話をかけられたりもした。
はたから見て自業自得の気が大いにするし、どう見ても、いじめられに行っているとしか思えない橋本だが、なぜこういう目に遭うのか理解できず、我慢ができなかったようだ。
一度Y中学校に、以下のような手紙を書いて抗議したことがあった。
「先生一同、日ごろ子供たちに嫌がらせをされ、つばを吐かれたり悪口を言われたりして困る。しっかり指導してほしい。弱い者は、いつもいじめられても黙ってがまんしていなければならないのか」
この抗議を受けて、学校側も生徒たちにある程度の指導はしたようだが、そんなことで思春期のガキどもが改心するなら、中学教師は苦労しない。
この時代のY中学校の生徒たちも同じで、いじめは相変わらず続く。
1988年(昭和63年)4月、Y中学校は新年度を迎えた。
橋本は学校に抗議した上に、旧三年生が去って新一年生が入ってきたことで、自分へのいじめはなくなると考えていたようだが、中学生を甘く見てはいけない。
在校生たちは、それまでと同じく橋本を見かけると嫌がらせをしてきたし、その悪しき伝統は、ほどなくして入学したばかりの新一年生にも、順調に受け継がれた。
そしてこの年、それまで橋本の心に蓄積されてきた怨念が飽和状態を超えて臨界点を迎えて爆発、事件に至ることになる。
臨界点
抗議したのに、自分へのいじめはなくならない。
橋本の中では、生徒たちばかりではなく、学校全体が敵に思えてきた。
溜め込める怨念には許容量というものがある。
もう我慢できない。
彼は平塚市内のスーパーなどで刃物類を買い集め始め、7月になったころには、鎌2丁、斧1丁、文化包丁や果物ナイフ6丁を揃えていた。
自分を虐げてきたY中学校の生徒たちを、片っ端から血祭りにあげる気になっていたのだ。
やるなら夏休みが始まる7月20日前にやろうと心に決めながらも、普段通りY中学校校内に入った7月13日。
「おい、ボブが来やがったぜ」
「ナニまた入ってきてんだよボブ!消えろ!!」
「またやられてえのか?コラ!」
「ボールぶつけっぞ!オイ!!」
この日グラウンドで練習をしていた野球部の部員たちだ。
卓越した運動能力を有する彼らは、同時に最も元気の良い一群でもある。
橋本の姿を認めるや、迫力満点の罵声を浴びせてきた。
野球部員たちにとっては、いつもどおりのことだし、皆もやっているから、特に大したことだとは考えていなかったであろう。
だがこの行為が、橋本に凶行の実行を決意させるトリガーとなったことを、彼らは知る由もなかった。
暴走
二日後の7月15日金曜日午前10時40分ごろ。
授業が行われているY中学校に、橋本が現れた。
いつもと違うのは、校舎にまで入り込んだことと、その手に紙袋を持っていたことである。
紙袋の中には二、三か月かけて買い集めた斧や鎌、刃物。
一昨日の決意を実行に移すためだ。
橋本が校舎に入って最初に向かったのは、校舎三階の音楽室。
歌声に交じって聞こえる声から、授業をしているのが女性教師であり、やりやすいと考えたからである。
その音楽室では、一年五組の生徒41人が合唱の練習中だったが、橋本が袋から出した鎌を片手に突然ドアを開けて入ってくると、歌うのを止めて静まり返った。
一瞬あっ気にとられていた一同だったが、橋本が無言のまま一番近くにいた男子生徒に鎌を振り下したとたん血が飛び散るや悲鳴が上がり、室内は大パニックとなった。
橋本は斧も取り出して、椅子や机を倒しながら、逃げ回る生徒に次々襲い掛かかる。
自分をいじめたことのある生徒だったかどうかは関係がない。
橋本にとって、このY中学校の生徒であるというだけで罪なのだ。
退屈だが平穏だった学校での日常は、最悪の非日常へと急変した。
この教室では、合計3人が頭や腕を切られて負傷する。
教室から逃げた生徒を追いかけて、廊下に出た橋本が次に向かったのは、一教室おいて隣接する一年四組の教室。
ここでは、最前列の入り口付近に座って国語の授業を受けていた生徒を真っ先に切りつけた。
蜂の巣をつついたような騒ぎとなった教室内部に、すかさず乱入し、無言で右手に鎌左手に斧を振り回して、生徒たちを追いかけ回す。
音楽室同様、教室は生徒たちの悲鳴に交じって、女性教師の「みんな逃げて!逃げて!!」という叫び声が、こだまする修羅場と化した。
橋本は四組で生徒3人を血祭りにあげると、より多くの生贄を求めて、上の四階に向かった。
四階でも二年生が授業を受けていたのだが、下の階から尋常ではない大声が聞こえてきたため、生徒たちが何ごとかと廊下に出てきていた。
そこへ下の階から上がってきた橋本が襲いかかり、生徒が2人やられた。
その勢いで、別の教室にも向かおうとした橋本だったが、その前に立ちはだかる者たちがようやく現れた。
Y中学校の教職員だ。
椅子を持って橋本を取り囲み、じりじりと近寄ってくる。
鎌や斧で武装しているとはいえ、複数の成人男性相手には分が悪かった。
壁の一角に追い詰められ、ナイフを出して抵抗しようとしたが、教職員の一人に組み付かれて取り押さえられた橋本は、観念して凶器を捨てた。
逮捕後
この凶行では死者こそ出なかったものの、生徒8人が負傷し、うち一人は、全治一か月の重傷であった。
教師たちに取り押さえられた橋本は、その後通報により駆け付けた平塚署の警察官に連行された。
平塚署では、刑事たちに動機などを厳しく追及されたが、橋本は犯行時と同じく無言だった。
黙秘していたのではない、しゃべれなかったのだ。
小さいころから、人と話すことが極端に少なかったために声帯が発達せず、大きな声で話すことができなかったのである。
そのため取り調べは、橋本に供述を紙に書かせるという異例の形になった。
「復しゅうした。今年と去年、一昨年にY中学の生徒に悪口を言われたり、石をぶつけられたりした…」
「冬には雪だまを投げられたり、家に石を投げられたりした。学校に『何とかしてくれ』と言ったが、何もしてくれず、無視された」
「この学校の生徒ならば誰でもよかった。殺すつもりはなく何人かやれば気が済むと思った」
橋本は筆談でそう供述した。
さらに凶器を入れていた紙袋から、Y中学校への恨み言や襲撃したことの動機などが丁寧な字で書きこまれた大学ノートも見つかる。
そこにはこう書かれていた。
「ボブ、バカなどと一日多いときで四、五十回も悪口を言われる。本当にムシャクシャする。皆殺しあるのみ」
事件後、新聞記者の取材に答えた生徒の一人は「いじめているという気持ちはなくて、遊んでいるつもりだった」と殺人犯による「殺すつもりじゃなかった」と同じような無責任な言い訳を吐いていた。
また「僕らも悪かったかもしれない」と殊勝な答えをした生徒もいた。
いずれにせよ、襲われたY中学校の生徒たちにとっては、身も凍る衝撃的な事件となったようである。
弱い者いじめによって自分に返ってくるかもしれない結果を、全校生徒が思い知らされたのだ。
筆者の私見
私事ではあるが、Y中学校での事件が起きた当時、1975年生まれの筆者は中学二年生。
つまり、被害に遭った生徒たちと同年代であったから、この時の報道をよく覚えている。
もうおっさんに近い年齢の大人の男が、自分たちと同世代の中学生にいじめられたこと自体カッコ悪いのに、その報復に凶器を持って学校に乱入したんだから「みっともないったらありゃしない」とあきれ返ったものだ。
そして、私が通っていた中学にも、橋本のような部外者がよく校内に入り込んでいた。
「キチ」と皆に呼ばれていた知的障害のある二十代後半の男だ。
だが、「キチ」は「ボブ」のようにいじめられることはなく、わが校の生徒たちは、キチと一緒に遊ぶなど、一見友好的な関係を保っていた。
これはY中学校の生徒たちと違って、わが母校の生徒たちが善良だったからではない。
キチは怒らせると本当に危険なことで有名で、生徒たちも怖くて嫌がらせできなかっただけだからだ。
ボブがキチのように危険な側面を持っていたら、Y中学校の生徒も手を出さなかったはずである。
当時のだろうが今のだろうが、この世代のガキは変わらない。
弱い者いじめは、娯楽だと考えている。
相手がこちらにとって危険でなかったら、いつまでもやり続けるし、たいして深刻に考えることもない。
一方のやられる側は、それに慣れることはなく、怨念が積もり積もっていく。
それが限界を超えたら、あるものは自殺という「消極的な」手段をとるし、ボブのように「積極的な」手段に訴える者もいる。
起こりうるどちらか一方が起きたのだから、Y中学校の事件は、必然的に発生したものではないだろうか?
また、消極的より積極的な手段を採用した方がましだと思うが、ボブの良くないところは、いじめられる原因を自分で作った以外に、無関係の生徒に積極的な手段を行使してしまったことである。
せめて自分に嫌がらせをした張本人に向けていれば、多少は肯定的にとらえることができたかもしれないと思うのは、私だけだろうか?
出典元―読売新聞、毎日新聞、毎日新聞社『昭和史全記録』
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