カテゴリー
2021年 Riverbed SD-WAN クラウド コンピューター 技術一般

SD-WAN を試す (2) Controller のインストール

PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

某お客様で SD-WAN を導入したいという話がありました。そこでリバーベッドテクノロジー社の SD-WAN 製品であるSteelConnect EX を提案しました。

その時にいろいろと動作確認しましたので、メモとして残しておこうと思いました。

今回は、Controller の初期設定についてです。

PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 IT技術ブログへ
にほんブログ村

Controller の初期設定

ヘッドノードの1つである Controller のインストールです。

リバーベッドテクノロジー社のサポートサイトから、OVA ファイルが手に入りますので、それをダウンロードし、ESXi にインストールします。

Controller には、最低3つのネットワークアダプターが必要となりますが、今回の構成では4つのネットワークアダプターで構成します。

OVA ファイルからインストールすると、ネットワークアダプタは1つしかありませんので、三つ追加しておきます。

  • ネットワークアダプタ1

Management Switch に接続させます。これが North-bound になります。

  • ネットワークアダプタ2

Control Switch に接続させます。これが South-bound になります。

  • ネットワークアダプター3

インターネットに接続させます。インターネット越しに接続しにきたSDWANルーターにポリシーを適用します。

  • ネットワークアダプター4

Logical WAN に接続させます。WANとして設定しますが、実際はLAN内のセグメントの1つです。

それでは、Controller インスタンスを起動させ、ログインします。デフォルトのログインアカウントは、admin/versa123 です。

ログインできました。

まず、インターフェースの設定を行います。これは、/etc/network/interfaces ファイルを編集していきます。

エディターソフトとしてvim がインストールされていますので、それを使います。

sudo vim /etc/network/interfaces

初期状態は、以下のように設定されています。

これを、以下のように編集していきます。

ここで設定するのは、eth0 の設定です。

eth0 は、Management Switch に接続されますので、私の環境では、10.100.3.0/24 のセグメントになります。

auto eth0
iface eth0 inet static
address 10.100.3.201
netmask 255.255.255.0
gateway 10.100.3.254

ファイルの編集が完了したら、:wq で保存します。

cat コマンドを使って、interfaces ファイルの内容を表示させて確認してみます。

cat /etc/network/interfaces

記入間違いがなければOKです。

次に、インターフェースの設定情報を表示させます。

ifconfig

eth0 には、まだIPアドレスが設定されてませんね。先ほどの設定内容を反映させる必要があります。

eth0 インターフェースをDownさせます。

sudo ifdown eth0

そして、eth0 インターフェースをUpさせます。

sudo ifup eth0

再度、インターフェースの設定情報を表示させてみます。

eth0インターフェースに、IPアドレスが設定されましたね。

ここでIPアドレスが見えない場合、interfacesファイルの記述が間違っている可能性がありますので、内容を見直してください。

Director のeth0が同じセグメントに接続されています。そのIPアドレスに対してPingを打ってみます。

ping 10.100.3.200

echo reply が返ってきましたね。通信可能ということです。

これで、Controller の初期設定は完了です。次は、Director とController を接続させて設定していきます。

Director からの設定

Director と Controller を連携させていきます。設定は全て、Director 上で行います。

Director のウェブ管理画面にログインします。

  • Name: Controllerのホスト名を入力します。今回は「CTL-02」としています。
  • Provider Organization: Director の初期設定の時に作成したOrganizationの名前をプルダウンメニューから選びます。
  • Global Controller ID: 始めの Controller であれば、「1」が表示されます。通番で、Controller が追加される度に数字が上がります。
  • Staging Controller: このコントローラーをステージング(SDWAN ルーターにコンフィグを渡す作業)で使用するため、チェックボックスにチェックを入れます。
  • IP Address: Controller の Eth0 の IPアドレスを入力します。入力後、接続性チェックが走ります。エラーになった場合は、Director と Controller 間の接続性を確認してください。
  • Analytics Cluster: Analytics サーバーをヘッドノードに追加する場合は、Analytic Cluster の名前をプルダウンメニューから選択します。

「Continue」で次に進みます。

次に、Controller の所在地を指定します。

住所を入力後、「Get Coordinates」をクリックすると、正確な位置情報が表示されます。

「Continue」で次に進みます。

Control ネットワーク向けのインターフェースの設定です。

  • Network Name: Control Switch に接続されるインターフェースの名前です。eth1が使われます。
  • Interface: vni-0/0 をそのまま使います。
  • VLAN ID: 今回の構成ではVLANは使ってませんので、0のままにします。
  • IP Address/Prefix: eth1のIPアドレスとサブネットマスクを指定します。
  • Gateway: eth1のデフォルトゲートウェイを指定します。今回の構成では、特に必要ないので空白にしています。
  • DHCP: eth1のIPアドレスをDHCPを使って動的アドレスで設定したい場合は、このオプションを有効にします。

「Continue」をクリックして次に進みます。

WAN インターフェースの設定です。

ここではNetwork Nameを指定していく必要があるのですが、初期状態は選択できるものがないため、最初に作成していきます。

画面右上の「+WAN Interface」をクリックします。

最初に作成するのは、「Internet」です。

  • Name: Internet と入力します。
  • Description: このWANインターフェースの説明を入力します。
  • Transport Domain: プルダウンメニューから「Internet」を選択します。

「OK」をクリックして、設定を保存します。

次に、「Logical WAN」を作成します。

再度、画面右上の「+WAN Interface」をクリックします。

  • Name: Logical_WAN と入力します。
  • Description: このWANインターフェースの説明を入力します。
  • Transport Domain: プルダウンメニューには「Logical WAN」がありませので、新規作成します。

「+ Transport Domain」をクリックします。

  • Name: Transport Domain の名前です。ここでは、Transport と入力します。
  • Description: このTransport Domain の説明を入力します。
  • Transport Domain ID: 22 と入力します。

「OK」をクリックして、設定を保存します。

Transpor Domain のプルダウンメニューから、「Transport」が選択できるようになりました。

「OK」をクリックして、設定を保存します。

それでは、WAN interfaces を設定していきます。

vni-0/0: 

Control ネットワークへの接続で使いますので、触らないようにします。

vn1-0/1:

インターネットに接続します。

  • Network Name: プルダウンメニューから、Internet を選択します。
  • IPv4 Address: インターネットへ接続するアドレスです。ここでは、11.0.0.2/24 としています。
  • IPv4 Gateway: 上記IPアドレスのデフォルトゲートウェイのアドレスです。ここでは、11.0.0.254としています。
  • Public IP Address: Inbound NATでこのインターフェースにアクセスさせたい場合は、ここにパブリックIPアドレスを指定します。今回は使用しません。
  • WAN Staging: ステージングの通信を行いたいインターフェースであれば、このオプションを有効にします。

vni-0/2:

Logical WAN に接続します。

  • Network Name: プルダウンメニューから、Logical WAN を選択します。
  • IPv4 Address: Logical WANセグメントと通信するためのアドレスです。ここでは、10.100.6.201/24 としています。
  • IPv4 Gateway: 上記IPアドレスのデフォルトゲートウェイのアドレスです。ここでは、10.100.6.254としています。
  • Public IP Address: Inbound NATでこのインターフェースにアクセスさせたい場合は、ここにパブリックIPアドレスを指定します。今回は使用しません。
  • WAN Staging: ステージングの通信を行いたいインターフェースであれば、このオプションを有効にします。

「Deploy」をクリックして、設定を適用します。

画面右下にプログレスバーが出力されますので、100%になるまで待ちます。

設定の適用が完了したら、画面右上のTasks(ベルマークの隣のメモ帳のようなアイコン)をクリックします。

ここに、ログが表示されます。

Controller のDeploy のログを確認します。エラーが出力されていなければOKです。

Administration > Appliances の順にクリックします。

アプライアンスのリストに、CTL-02の名前のController が表示されます。

Config SynchronizationとReachabilityが緑マーク、ServiceがUpになていることを確認します。

Controller にログイン

最後の仕上げです。

Controller に、コンソール、またはSSHでログインします。

Controller を再起動し、設定を反映させます。

sudo shutdown -r now

システムの起動が完了したら、Controller にログインします。

関連する記事:

最近の記事:

カテゴリー
2021年 おもしろ ナルシスト 悲劇 本当のこと 無念 言ってはならぬ

“本当のこと”こそ言ってはならぬ 2 ~合コンで私が絶交された理由~

にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

全編はこちら

大学時代のバイト仲間であった土屋恵一は、全くモテない田吾作顔のくせにイケメンぶるナルシスト。

カノジョがどうしても欲しいと焦る彼は、しょちゅうコンパに顔を出していたがうまくいかなかったらしく、自分で声をかけて合コンを開催するようになる。

そして、その合コンにはいつも私を誘ってくれていた。

だがその合コン、土屋が呼んだ私以外の男性参加者が明らかにキワモノぞろいであり、自分よりはるかに低いメンツを厳選していたのは見え見えである。

そして、ウケを狙うためか、そのキワモノを拙いトークと暑苦しいテンションでいじっては相手を怒らせ、その場をシラケさせたりしていた。

やがて、回を重ねるうちに、この私自身もキワモノの一人とみなされている可能性が高いことが分かってきた。

そんな第四回目の土屋恵一主催の合コンでの出来事、私は彼に関してふと気づいたことを口にした結果、彼を大激怒させてしまうことになる。

その一言は、その後二度とコンパに呼ばれなくなった結果から考えて、決して触れてはならない「本当のこと」だったようだ。

ズレまくりトーク全開

その最後となった合コンは、いつもどおりチェーン店の居酒屋で開かれた。

参加者は男三人に対して女も三人。

女性陣は左目の下に大きめの泣きボクロがある女、茶髪でボブカットの大福顔、ポニーテルのメガネっ娘であり、全員初顔。

土屋の大学のサークルのメンバーの紹介だったと記憶している。

まあ強いて言うなら可もなく不可もなく、ぶっちゃけあんまりパッとしない子たちである。

一方の男側は土屋と私以外に今回も強烈なのが連れてこられていた。

ぼさぼさ頭で小汚い格好の、明らかに何日も風呂に入っていなさそうな浮浪者級の悪臭を放つ無精男だ。

どうやって知り合ったかも知らんし、いつもながら、自分を映えさせるためとはいえやりすぎだろう。

私はこいつの隣には座りたくなかったのだが、土屋は「お前こっちね」と、さりげなく自分とそいつの間に私を座らせたために、私は至近距離で悪臭に鼻を刺激され続けることになった。

無精男は本物のホームレスなんじゃないか?と思わせるほどのレベルの男で、

あっという間に居酒屋のお通しを平らげると、私が手を付けようとしないお通しを「もらっていい?」と聞いてくる始末。

声を聴いたのはその時が最初で最後で、口臭もそれなりのものだった。

そして、次々運ばれてくるビールやら食べ物やらを、無言ですする様は昆虫のようであった。

いつもながら対面の女の子たちは楽しくなさそうで、時々漂ってくる無精男の悪臭に顔をしかめたりしている。

土屋も例のごとく、容赦ない男性陣の出席者いじりを始めたのだが、なぜかそのターゲットは無精男に比べて明らかに突っこみようがないはずの私だった。

その内容も「こいつ毎日三回オ〇ニーすんだぜ」とか「俺の知っている中で唯一、人糞の味を知る男」などと根も葉もないことで、

女性相手に、しかも飲食店ではふさわしくないことこの上ない。

土屋は口下手な上に空気が読めず、TPOを一切わきまえない奴なのだ。

「そんなわけねえだろ!」

「ホントのことじゃねえか」

「違えよ!」

確かに一日に三回もしたことがないわけではないが毎日ではないし、ウ〇コ食ったのは土屋の明らかな創作だ。

それなのに、女三人のうちの真ん中の泣きボクロなどは自分の顔を棚に上げて、性犯罪者を見るような目で私を見始めた。

反面、土屋の対面のボブカット大福は「ウ〇コってどんな味するんですか?」などと、なぜか興味しんしんだったが。

土屋は他人をいじる一方で、自分の美点を喧伝することも忘れない。

奴が自慢げに、これまでのコンパでよく語っていたのは、自分は体脂肪率が少なくて筋肉質な体つきをしていること。

これに関し、キモキャラ扱いされて不機嫌なまま酒を飲み続けていた私は、いつも思っていることがあった。

それは「筋肉質じゃなくて、単に貧弱なだけなんじゃないのか?」ということだ。

奴がいつも言っているような“ホントのこと”だったが、私はもともとずけずけ本当のことでも言わない方だし、貧弱な体格については私も似たようなものだったので、それについて指摘したことはない。

しかし、そんな自慢をしても、いつもはスルーされて盛り上がらない土屋主催の合コンだったが、この時の女の子たちは違った。

「へー、どんな感じなの?」「見たい見たい」と一転して食いついてきたのだ。

すると奴はすかさず「しょーがねえな」とか言つつ、待ってましたとばかりに、上半身を脱ぎ始めた。

勢いあまって、下半身も脱ぎかねない勢いでTシャツも脱いだ。

やがて彼が筋肉質だと思い込んでいる、薄い胸板に脂肪も薄いが筋肉も薄いうっすらと六つに分かれただけの腹筋と肋骨が目立つ、痛々しいまでの貧弱な肉体が現れ、奴は自分の体をうつむいて確認した後、「どう?」とばかりにさりげないポーズを決めた。

だが、土屋はこの時まで思わなかったようだ。

この日参加した女の子たちがいつもと違っていた点は食いつきがいい以外にもあったことを。

彼同様、言わなくてもいい「本当のこと」をズケズケと言う女たちだったのだ。

正直な女たち

「細っ!!」

「ショボ!!」

「弱そう!!」

自称「引き締まった筋肉質の体」を目の当たりにした女たちの感想は、容赦なかった。

自信満々で披露した土屋の表情がこわばる。

だが、彼女たちの口撃はまだまだ続く。

ポニーテールメガネは「なんかソマリア難民かアウシュビッツの囚人みたい」などと笑い、

ボブカット大福などは「私なら勝てる」と挑戦的である。

三人とも酒を飲んでおり、その勢いもあって言いたい放題だ。

土屋はプライドを木っ端みじんにされたらしく、ややムッとした表情を浮かべたが、

「アツ子、柔道初段だもんねー」という泣きボクロの一言で顔をひきつらせる。

どうりでアツ子ことボブカット大福は、体の横幅がやたら広いわけだ。

こいつだけは怒らせてはダメだ。私も気を付けよう。

「こいつは、もっと貧弱なんだぜー」

と、土屋は私を指さして嘲笑の矛先を自分からそらせようと苦しい試みをしたが、

「ハイハイ分かったから、早く服着て」と、軽くあしらわれていた。

ホント、どこまでもみっともない奴だ。

その後、強引に何ごともなかったかのように話題を変えた土屋と酔いが回り始めた女の子たちとの間で徐々に会話が盛り上がり始めたが、さっきのこともあって主導権を女側に握られたらしい。

土屋の狙いとは違う形で盛り上がり始めた。

それは

「土屋くんってピアス似合わないね」

とか、

「今日の土屋くんの服って何のコスプレ?演歌歌手みたい」

とか、

「ねえ、もしかして自分のことカッコいいと思ってる?」

とかの嫌らしい指摘であり、大笑いしているのは女たちばかりで、土屋は笑みを引きつらせて、だんだん口数が減り始めている。

そろいもそろって口が悪い上に、結構弁が立つ女の子たちだったから、余計なことを言うとこちらもコテンパンにされそうなので私は黙って聞いていたのだが、ええかっこしいの土屋が追い込まれつつある姿は面白い。

一方の無精男はさっきから一言も発っすることなく、時々漂ってくる悪臭だけで存在を主張、また何か注文するらしく、メニューを見ている。

やがて、話題は今付き合っている相手がいるのかいないか、という合コンの核心部分に入ってきた。

そこでわかったのは、泣きボクロとポニーテールメガネはいないようだが、意外なことにボブカット大福アツ子は、現在付き合っている彼氏がいるらしい。

私にも話が振られたので「いるように見えんだろう」と答えといた。

私はええかっこしいではないからな。

だが、「こいつ、いたことねーんだよ」という土屋による横からのツッコミにはカチンと来た。

言わなくていい「ホントのこと」ばっか言うんじゃない。お前だってだろ!

何度も言うが、私は物事をずけずけ言う方ではないから、そういう奴は許しがたいと思っている。

言い訳しても仕方ないが、この時自分のことを棚に上げて言いたい放題の土屋に頭に来ていた上に、酒が入っていた。

土屋を完全に怒らせ、以降連絡を絶たれることになる一言を吐くことになるのは、ほどなくしてこの後である。

ナルシスト殺しのヒトコト

「俺もカノジョ欲しーなー」

ボブカット大福アツ子に彼氏がいるという話を聞くと、土屋は誰にとはなしにそう言い始めた。

奴のこの「俺もカノジョ欲しーなー」という何気なさを装った一言なんだが、これまでの合コンやそれ以外の女子同席の飲み会ではいつも聞いている。

それも何度も言っているし、今回の合コンでもこれが一回目ではない。

「土屋くん、カノジョいないんだ」

「今はいない

「今はいない」が、「ずっといない」者の常套句なのは、世の定説だ。

事実、奴とつるむようになって一年近くになっていたが、その間にカノジョがいたように見えたことはない。

「へー、いつからいないの?」

「え、えーと二か月。あ、いや三か月くらいかな」

それを聞いた直後だった。

別に悪気はなかったと今から言ってもしょうがないが、それらの会話を聞いていて何気なく思ったことを口に出してしまったのだ。

「お前、三か月前も同じこと言ってたぞ」

「いやっ!違っ!!だからその…」と、土屋は事実なので狼狽し始めたのがわかったが、一度口に出したらこちらも止まらない。

「それと前から“俺もカノジョほしーなー”ってよく言ってるけどさ、そんなこと言ったら誰かがカノジョになってくれると期待してねえか?」

続けて言ってしまったこの言葉は、奴にとって決定的だったらしい。

「そんな意味で言ってたんじゃねえ!!!」

奴は他の客が談笑をやめてこちらを振り返り、店内が静かになるくらいの大声を出した。

女たちはびっくりしたような顔をして、無精男もポカンとこちらを見る。

「他のお客さんに迷惑です」と店員も割って入ってきた。

だが、「みっともないよ。土屋くん」と柔道初段のアツ子に低い声ですごまれると、貧弱な土屋は一転して小さい声を震わせながら「だから、そう意味で言ってたわけじゃなくてさー」などと言い訳をし始めた。

さっきの怒り方から判断して「本当のこと」だったらしい。

それも、絶対触れてはならない。

その後気を取り直してまた飲み始めた我々だったが、大声を出されて場がシラケたと女の子たちからは非難ごうごうだった。

「図星だからって、あんな大声出すことないじゃん」

「いや、図星って…、違うよ」

「私も同じこと思ってた。だいだい“カノジョ欲しーなー”って、何か下心ミエミエだし

土屋は「いやいや、それはこいつがさ」とかまた私をダシにして言い訳を試みたりしていたが、完全に悪者にされてばつが悪いことこの上なさそうだったのは言うまでもない。

奴にとってはさんざんになってしまった今回の合コンだが、お開きになって会計になった時にもまたモメた。

土屋はいつもどおり全員割り勘にしようとしたら、ポニーテールメガネと泣きボクロが「女から金とるの!?」と不当なクレームをつけてきたのだ。

押し問答の末に「そんなに大金持ってきてない」と土屋が泣きを入れた結果、

女が2000円づつ、男は4000円づつ払うことで妥協した。

支払い能力が最も問題視された無精男の方は意外と金を持っており、4000円を何も言わずポンと出したが。

「クソ女ども!二度とツラ見たくねえ!」

女たちと無精男が相次いで去ると、土屋は呪いの言葉を吐き続け、その矛先は私にも向いて再び怒鳴った。

「何なんだよ、さっきのは!!言っていいことと悪いことがあるだろうが!!」

そんなことをヌカしやがるから、私も奴のいつものセリフを言ってやった。

「ホントのこと言っただけじゃねーか」

その日以降、土屋から合コンに誘われなくなったのは前に述べたとおりである。

バイト先でも口を利かなくなって付き合いが断絶、私がそこを辞めてからは一度も会っていない。

全くどうしようもない奴だった。

付き合いをあれ以上続ける必要もなかったであろう。

ただ、私は奴との一件で思うようになったことがある。

どうもヒトは根も葉もない誹謗中傷より、認めたくない「本当のこと」を言われる方が嫌なのではないか?ということだ。

その「本当のこと」が直さなければならない、又は直すべき間違いであるならば、たとえ怒られたとしても、言うべきかもしれないが、

改善しようがなく、また指摘する必要のない「本当のこと」ならば言ってはならないはずだ

土屋は、間違いなく言う必要のない「本当のこと」を吐く者だったが、

だからと言って、私も言わなくてもいいことを言うべきではなかった、と反省すべきだったんだろうか?

別に構わんだろう、相手が相手だったし。

本当のことを言ってはいけない (角川新書)

関連する記事:

最近の記事

カテゴリー
2021年 おもしろ ナルシスト 悲劇 本当のこと 言ってはならぬ

“本当のこと”こそ言ってはならぬ ~合コンで他人をダシにして目立とうとするナルシスト男~

にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

「ホントのこと言っただけじゃねーか!」

ムカつくことや気にしていることを言われて腹が立ち、言った相手に怒ったら、そう言い返されたことはないだろうか?

逆もあるだろう。

こちらが思っていることを、親切心或いは何気なく言ったら、相手がそうやってキレてきたことが。

もう、お分かりだろう。

「本当のこと」こそ禁句であって、一番言ってはならないことなのだ。

人間は本当のことを言われるのが一番嫌なのである。

相手が完全に間違っていて修正すべき「本当のこと」なら指摘するのは必要かもしれないが、本当のことだから言ってもいいのだと、言わなくてもいい「本当のこと」をずけずけと胸を張って指摘してはいけない。

例えば久しぶりに会った友達の頭部を見て「お前の頭、薄くなってるぞ」とか、幼い子の可愛らしさの自慢をする親に「お宅のお嬢さん、何回も見たいほど可愛くないですよ」とか、本当のことだとしても、言うべきじゃあないだろう?

かく言う私も、そういう悪意ある「本当のこと」を言われてカチンときたことが何回もあるし、逆に言ってしまって、怒られたことも多々ある。

そんな中で、絶交に至ってしまった一件もあるのだが、この件に関して私が悪いのか相手が悪いのか、どちらにもとれると自分では思うので、本稿ではそれを取り上げようと思う。

土屋恵一のコンパ

大学時代にバイトで知り合った他の学校の知人に土屋恵一という男がいたが、「本当のこと」を本当ではない場合にもよく言っていた。

あんまりパッとしない容貌な上にそんな性格だからか、彼は女に非常にモテない男で彼女はおらず、しょっちゅう合コンに参加したりしていたが、いつもうまくいかなかったようだ。

だが、彼はめげずにファッションには常に気を配り、合コンに参加し続けるだけではなく、自ら開いたりもしていたから己を知らな…いや、努力家である。

そして彼はその自ら主宰する合コンには必ず私を誘ってくれていた。

女日照りの彼が、相手側の女の子たちをどういうネットワークで見つけてくるのか分からなかったが、モテない彼に呼ばれて来るくらいだから、そのレベルも推して知るべしである。

要するにブ…いや、地味な子が多かった。

だが問題なのは、こちらの男性陣である。

面と向かって「本当のこと」は言いたくないが、20年くらい昔のことだし、文章だからぶっちゃけ言わせてもらう。

土屋と私以外に呼ばれた男たちが、毎回想像を絶するメンツだったのだ。

  • 対人恐怖症クラスにモジモジしてうつむきっぱなしの超陰キャ青年
  • 我々と歳は変わらんくらいだが、頭髪が四十路男性レベルに後退した気の毒な大学生はまだましな方
  • 体重200キロくらいありそうな超肥満児
  • 近い先祖に、地球外生命体がいるのでは?と思える容貌の宇宙人男
  • 明らかに、一週間近く同じ格好でホームレス一歩手前の悪臭を放つ無精男
  • 小学生かと見まごうばかりの身長で、ポンキッキの赤い方のような顔した小男

などなど、どこで見つけてきたのか逆に感心するくらいの怪物ぞろいだったのだ。

女性陣はあまり容貌がパッとしない程度で、一応女としてカウントできたが、男性陣は、見世物小屋たるフリークショーの陣容を呈しており、

男三人とか四人とか整数の人数としてカウント不可の小数点第二位か、下手すりゃ負の数あるいは虚数ですらあった。

ヒトは見かけじゃないって言うが、限度ってもんがあるだろう。

相手の女の子たちが、ドン引きして口数が少なくなったのは言うまでもなく、コンパというよりも、たから見たら何かをしでかした後の気まずい反省会か通夜の席だった。

もちろん、土屋自身も含めてカップルが誕生する気配もなく、一回参加した女の子は、次から来なかった。

土屋のゲスイたくらみ

そんな女の子側にとって、ハメられたとしか思えないコンパを盛り上げようとしていたのは、主催者たる土屋である。

だが、それがいけない。

なぜなら、土屋はトークが下手くそだったからだ。

しかも、延々しゃべるしゃべる。

口ベタによる延々続くマシンガントークほど、聞かされる側にとってイラつくものはなく、しかも真っ先に話す内容が、男性陣の出席者いじりである。

確かに、ツッコミどころ満載の見かけをしている者ばかりだったが、自分が連れてきといて、そりゃないだろう。

おまけに、ウケを狙っているつもりのようだが、口ベタなぶん容赦なさすぎるように聞こえて笑えない。

出席者の一人である若ハゲ大学生は、頭部を気にして帽子をかぶったままだったのだが、その理由を女の子の前でバラされて「もう二度と行かないからな!」とご立腹だったし、

体重200キロ男は、「ボクサーみたくバキバキの体型になるより、こんだけブヨブヨになる方が難しいぞ」と同じくコケにされてブチ切れ、土屋の胸倉をつかんで一同を凍り付かせていた。

そんな時土屋は、「ホントのこと言っただけだろ?」と悪びれもせず言い訳するのだった。

それともう一つ。

どうも土屋に対して、鼻もちがならないことがあって、それは奴自身が露骨にイケメンぶるところである。

なんかしぐさとかしゃべり方とか、私としゃべっている時と明らかに違う。

ホスト気取りっていうか、ええかっこしいで、勘違いしていること甚だしい。

容貌が眉なしの田吾作ヅラなぶん、余計に目立つ。

奴が一度トイレに立った時、女の子同士が「カッコつけすぎなんだよアイツ」とボソボソ話し合っていたのが聞こえたこともあったから、女目線でもそうであることが裏付けられた。

私も女の子も、それはさすが「本当のこと」でも、奴と違って面と向かって言えなかったが。

男の出席者をキワモノぞろいにしてるのも、自分を際立たせるためなんじゃないのか?

あいつ自身、大したことないないのに…。

私がようやくそう思うようになったのは奴主催のコンパに呼ばれて四回目くらいの時だった。

また、もう一つ肝心なことにその時ようやく気付いた。

それは、

私自身も土屋を引き立たせるための怪物要員なのではないか

ということだ。

そして私はその席で、ある「本当のこと」を言ってナルシストの土屋を成敗してしまったことにより、彼主催の合コンに呼ばれることはなくなるのである。

つづく

関連する記事:

最近の記事:

カテゴリー
2021年 Cisco SFP コマンド コンピューター トラブルシューティング 技術一般

Cisco Cat2960 に SFP (GLC-T) を追加

にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

先日、ヤフーオークションを見ていたら、Cisco の SFP が安く売っているのを見つけました。お値段は何と、2つで 2200円。

CISCO SFPモジュール GLC-T(30-1410-03)2個セット

中古なので使用感がある程度あるのは仕方ないのですが、とにかく安い。

うちのリビングのテレビの横に Cisco Catalyst 2960 を置いて使っているのですが、8 ポートのモデルです。ここに使えたらポート数が増やせるなと思いました。

WS-C2960L-8TS-LL

ネットで調べてみるとサポートしてそうな感じです。

Q:

Is it compatible with cisco WS-C2960L-48TS-LL?

A:

Yes, it is compatible with cisco WS-C2960L-48TS-LL.

早速、購入して試してみました。

Gigabit Ethernet 0/9 にインストールしてみます。

!
interface GigabitEthernet0/8
 description to Wall LAN outlet @ TV settings
 switchport access vlan 100
 switchport trunk native vlan 111
 switchport mode trunk
 spanning-tree portfast edge trunk
!
interface GigabitEthernet0/9 <<<<
 shutdown
 !
interface GigabitEthernet0/10
shutdown
 !
 interface Vlan1
 no ip address
shutdown

インターフェースを有効化します。

Cat2960-TV2(config)#int gigabitEthernet 0/9
Cat2960-TV2(config-if)#no shut
Cat2960-TV2(config-if)#end

ここで SFP をインストールしてみます。

インターフェースの状態は特に変化ないです。念のために、システムのリブートもしてみます。

Cat2960-TV2#sh int gigabitEthernet 0/9
GigabitEthernet0/9 is down, line protocol is down (notconnect) 
  Hardware is Gigabit Ethernet, address is c4b3.6aa9.0e09 (bia c4b3.6aa9.0e09)
  MTU 1522 bytes, BW 10000 Kbit/sec, DLY 1000 usec, 
     reliability 255/255, txload 1/255, rxload 1/255
  Encapsulation ARPA, loopback not set
  Keepalive not set
  Auto-duplex, Auto-speed, link type is auto, media type is Not Present
  input flow-control is off, output flow-control is unsupported 
  ARP type: ARPA, ARP Timeout 04:00:00
  Last input never, output never, output hang never
  Last clearing of "show interface" counters never
  Input queue: 0/75/0/0 (size/max/drops/flushes); Total output drops: 0
  Queueing strategy: fifo
  Output queue: 0/40 (size/max)
  5 minute input rate 0 bits/sec, 0 packets/sec
  5 minute output rate 0 bits/sec, 0 packets/sec
     0 packets input, 0 bytes, 0 no buffer
     Received 0 broadcasts (0 multicasts)
     0 runts, 0 giants, 0 throttles 
     0 input errors, 0 CRC, 0 frame, 0 overrun, 0 ignored
     0 watchdog, 0 multicast, 0 pause input
     0 input packets with dribble condition detected
     0 packets output, 0 bytes, 0 underruns
     0 output errors, 0 collisions, 2 interface resets
     0 unknown protocol drops
     0 babbles, 0 late collision, 0 deferred
     0 lost carrier, 0 no carrier, 0 pause output
     0 output buffer failures, 0 output buffers swapped out

インベントリーを確認してみます。

Gigabit Ethernet 0/9 に SFP が見えました。認識してますね。

Cat2960-TV2#sh inventory 
NAME: "1", DESCR: "WS-C2960L-8TS-LL"
PID: WS-C2960L-8TS-LL  , VID: V02  , SN: FCW230xxxxx

NAME: "GigabitEthernet0/9", DESCR: "10/100/1000BaseTX SFP" <<<<
PID: GLC-T             , VID:      , SN: AGM183xxxxx   

Gigabit Ethernet 0/9 にパソコンを接続してみます。

ポートが Up になりました。

Cat2960-TV2#sh int gigabitEthernet 0/9
GigabitEthernet0/9 is up, line protocol is up (connected) 
  Hardware is Gigabit Ethernet, address is c4b3.6aa9.0e09 (bia c4b3.6aa9.0e09)
  MTU 1522 bytes, BW 1000000 Kbit/sec, DLY 10 usec, 
     reliability 255/255, txload 1/255, rxload 1/255
  Encapsulation ARPA, loopback not set
  Keepalive not set
  Full-duplex, 1000Mb/s, link type is auto, media type is 10/100/1000BaseTX SFP
  input flow-control is off, output flow-control is unsupported 
  ARP type: ARPA, ARP Timeout 04:00:00
  Last input 00:01:47, output 00:00:01, output hang never
  Last clearing of "show interface" counters never
  Input queue: 0/75/0/0 (size/max/drops/flushes); Total output drops: 0
  Queueing strategy: fifo
  Output queue: 0/40 (size/max)
  5 minute input rate 4000 bits/sec, 1 packets/sec
  5 minute output rate 0 bits/sec, 0 packets/sec
     321 packets input, 59851 bytes, 0 no buffer
     Received 321 broadcasts (132 multicasts)
     0 runts, 0 giants, 0 throttles 
     0 input errors, 0 CRC, 0 frame, 0 overrun, 0 ignored
     0 watchdog, 132 multicast, 0 pause input
     0 input packets with dribble condition detected
     75 packets output, 11694 bytes, 0 underruns
     0 output errors, 0 collisions, 1 interface resets
     0 unknown protocol drops
     0 babbles, 0 late collision, 0 deferred
     0 lost carrier, 0 no carrier, 0 pause output
     0 output buffer failures, 0 output buffers swapped out

では、Gigabit Ethernet 0/9 に、データ VLAN であるVLAN100 を割り当ててみます。

Cat2960-TV2#config t
Enter configuration commands, one per line.  End with CNTL/Z.
Cat2960-TV2(config)#int gigabitEthernet 0/9
Cat2960-TV2(config-if)#switchport mode access
Cat2960-TV2(config-if)#switchport access vlan 100
Cat2960-TV2(config-if)#

Gigabit Ethernet 0/9 に接続した Windows10 から、デフォルトゲートウェイとなるルーターに対して Ping を撃ってみます。

しばらくしたら、Echo Reply が返ってきました。通信可能になりましたね。

:\Users\ken>ping 172.16.23.254 -t

172.16.23.254 に ping を送信しています 32 バイトのデータ:
172.16.19.100 からの応答: 宛先ホストに到達できません。
172.16.19.100 からの応答: 宛先ホストに到達できません。
172.16.19.100 からの応答: 宛先ホストに到達できません。
172.16.19.100 からの応答: 宛先ホストに到達できません。
172.16.19.100 からの応答: 宛先ホストに到達できません。
172.16.19.100 からの応答: 宛先ホストに到達できません。
172.16.19.100 からの応答: 宛先ホストに到達できません。
172.16.19.100 からの応答: 宛先ホストに到達できません。
172.16.19.100 からの応答: 宛先ホストに到達できません。
172.16.19.100 からの応答: 宛先ホストに到達できません。
172.16.19.100 からの応答: 宛先ホストに到達できません。
172.16.19.100 からの応答: 宛先ホストに到達できません。
172.16.19.100 からの応答: 宛先ホストに到達できません。
172.16.19.100 からの応答: 宛先ホストに到達できません。
172.16.23.254 からの応答: バイト数 =32 時間 =4ms TTL=255
172.16.23.254 からの応答: バイト数 =32 時間 =3ms TTL=255
172.16.23.254 からの応答: バイト数 =32 時間 =2ms TTL=255
172.16.23.254 からの応答: バイト数 =32 時間 =3ms TTL=255
172.16.23.254 からの応答: バイト数 =32 時間 =2ms TTL=255
172.16.23.254 からの応答: バイト数 =32 時間 =2ms TTL=255
172.16.23.254 からの応答: バイト数 =32 時間 =3ms TTL=255
172.16.23.254 からの応答: バイト数 =32 時間 =2ms TTL=255


172.16.23.254 の ping 統計:
    パケット数: 送信 = 112、受信 = 112、損失 = 0 (0% の損失)、
ラウンド トリップの概算時間 (ミリ秒):
    最小 = 1ms、最大 = 4ms、平均 = 1ms
Ctrl+C
^C
C:\Users\ken>

WS-C2960L-8TS-LL でも GLC-T が使えることが分かりました。これでポート数を 2つ増やすことができます。

関連する記事:

最近の記事:

カテゴリー
2021年 ネイティブ英語 外国語 英語 語学学習

ネイティブの英語 4 “Ka-ute”

にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

今日の表現:

Ka-ute

意味:

可愛いの意味で、Cuteと同じ(Cuteの最新の言い方)

発音はカタカナ表記すれば「キャユート」です。

先日初めて聞きました。意味が分からなかったのですが、文脈からどう聞いてもCute的な意味だよなと思って、インターネットで調べたら、Urban Dictionary に出てました。

日本語にも「かわウィー」という言い方があります。それに近い感じです。

Ka-ute

The newest version of cute, meaning; adorable, cute, sexy, sweet, funny, mindboggleing, amazing, breathtaking kind, irrisitable, and much more .

https://www.urbandictionary.com/define.php?term=Ka-ute

例文:

I got this because it looks Ka-ute.

カワイかったから、これ買ったの。

I customize clothes and shoes and make them look Ka-ute.

服や靴に手を加えて可愛くするの。

私の好きな米国の配信動画 “Dhar Mann” の「Rich Teens SHAME GIRL At THRIFT STORE」の 0:59 あたりで、I just picked up some Ka-ute things と言ってますね。この動画の中で何度か使われてます。

カテゴリー
2021年 おもしろ ゲイ 事件 悲劇 本当のこと

ハメられた?ホモ痴漢で捕まったNHK職員の言い分

写真はイメージです。

PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

だいぶ以前のことではあるが、2006年12月16日、NHK放送総局ライツ・アーカイブスセンターのアーカイブス部に勤める山之内祥徳(当時30歳、仮名)という男がJR総武線内で痴漢を行ったとして、都迷惑防止条例違反で逮捕された。

NHK職員の不祥事自体は、時々報道されるから別に珍しいことではない感がある。

しかし、この山之内というNHK職員の男が犯した痴漢行為はやや特殊だった。

彼が痴漢した相手は大学生の青年、つまり男だったのだ。

しかも、この事件の捜査関係者によると「女性と間違えて触ったわけではない」らしく、はじめから男と分かってやっていたのは間違いないため、完全無欠のホモ痴漢である。

調べによると、12月16日午後7時30分ごろ、仕事が休みだった山之内は、御茶ノ水から浅草橋間を走っていたJR総武線車内で吊革につかまって立っていた男子大学生(19歳)の尻を、後ろから約三分間にわたって触り続けたという。

当時朝のラッシュアワーと違って、車内はさほど混んでいない状態だったから、大胆不敵である。

しかし、あまりにも露骨な犯行であったため相手の大学生に取り押さえられてしまい、浅草橋駅の駅員に突き出されて御用となった。

山之内は取り調べに対して容疑を素直に認め、「不眠症で薬を飲んでいて、頭がボーとしていた」と供述したが、そんなものが言い訳になるわけはない。

この事件はすぐさま明るみに出て新聞各社に報道された結果、彼はNHKという鉄板の職場を追われた。

一見自業自得で救いようがないように見えるこのNHK職員によるホモ痴漢事件だが、背後にはちょっとした闇が存在していた。

それは後日、某スポーツ紙の取材に加害者の山之内自身が応じたことにより、以下のとおり明らかにされた。

被害者の大学生の正体と真相

この痴漢被害に遭った被害者の大学生だが、ただ者ではない。

それは、アメリカンフットボールをやっていたという身長180cm体重120kgの巨漢であったことだ(ラグビーだったという報道もある)。

そして、もっとただ者とは言い難かったかったのは、

デブ専のゲイ雑誌のモデルをしており、その筋では知られた存在だったことである。

山之内本人が言うには、どっぷりその筋の人間である彼は、相手の大学生に出くわして何者であるかすぐに気づいた。

山之内は、生で見るその圧巻の“グラマー”さにそそられるあまり、思わず大胆にも“アプローチ”をかけてしまったのだ。

睡眠薬を飲んでいてほぼ酩酊状態だったことも、そのスケベ心(?)の暴走を助長した。

とはいえ、相手がそんな雑誌のモデルだからといって、無断で尻を触るのは犯罪行為以外の何者でもなく、許されるものではない。

後に取り押さえて突き出した以上、その大学生も不快に感じていたのだろう。

しかしあくまで山之内の言い分なのだが、いきなり取り押さえられることなく、そのまま三分間と比較的長時間犯行を継続することができたのには理由があった。

その大学生は、山之内に触られるや拒絶するどころか、何と尻をグイグイ突き出して挑発。

“アプローチ”に対して濃厚かつ熱烈に返答し続けたらしいのだ。

「おお!こ、これはイケる!」

この時、山之内はあこがれの相手からの思わぬ好感触に興奮して、さらにアプローチに力がこもった。

御茶ノ水駅から浅草橋駅までのその三分間は、睡眠薬の効果も手伝って、さぞかし夢心地であったことだろう。

しかし、その短く美しい夢は浅草駅到着とともに覚まされ、長い現実の悪夢が始まることになる。

「てめえ何しやがんだ!!」

駅に到着するや否や大学生が突然豹変、尻をなでまわしていた山之内の腕をつかんでねじ上げたのだ。

体重100kgを超す巨漢だから力も半端ではない。

「え、ええ!?」

「降りろ!この変態野郎!!」

何ごとかといぶかしむ乗客の好奇の視線を浴び、何が何だか理解が追い付かない山之内は、大学生に罵られながら羽交い絞めにされて電車から引きずり出され、駅員室に引っ立てられた。

踏んだり蹴ったりの山之内

山之内は、相手もその気になっていたように見えたからこっちも触り続けたんだと主張したが、後の祭りだった。

触ったのは事実なので、言い逃れのしようがないのだ。

そして大学生は、精神的苦痛を感じたと主張して譲らず、告訴すると脅してきた。

それはまずい。

痴漢の被害者に告訴されれば、たとえ相手が男であっても、有罪は必至。

そうなれば、今のNHK職員というおいしい身分を失うのは間違いない。

それを見越したのか、大学生の方は示談金を払えば告訴しないとしてきたが、提示してきた金額は数百万円と法外なものだった。

ずいぶんお高くとまった尻である。

しかし、山之内は職を失いたくないばかりに、泣く泣くその金を支払わざるを得なかった。

だが結果として、この事件はあっという間に露見して、翌々日には、マスコミ各社に報道されてしまう。

山之内はNHKで立場を失い、退職を余儀なくされた。

「はめられた!最初からそのつもりだったんだ!」

そう記者にまくしたてていた彼だが、相手側の悪意を立証することは不可能である。

高額の金をふんだくられた上に、ホモ痴漢として全国に名前をさらされて、職まで追われたんだから、まさに踏んだり蹴ったりだ。

“悪女”の手口は、男だって使えるのである。

“魔性の男”のハニートラップに引っかかった山之内は、反省はしていないようだったが、後悔は十分すぎるほどしていることだろう。

世界には、どんな片隅にも危険な罠が潜んでいるようだ。

当時の新聞記事
NHKは迷惑系放送局① 集金人は悪質テクニシャン

関連する記事:

最近の記事:

カテゴリー
2021年 ならず者 事件 事件簿 悲劇 本当のこと 東南アジア 無念

資産ゼロ・無年金で東南アジアに移住した男のその後

にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

海外で生活に困窮している日本人のことを「困窮邦人」というらしい。

これら困窮邦人が最も多いのはフィリピンであり、日本国内のフィリピンパブなどの女性に入れあげた挙句、一緒に暮らそうと後を追いかけたはいいが、金が尽きたとたん、相手の女性やその家族に放り出されてホームレスになってしまうなどの例が、跡を絶たないという。

またタイなどの国々でも、退職金や年金を生活資金として移住した結果、現地の物価が上昇してしまい、手持ちの金では生活が立ち行かなくなった者もいるし、同じく資金が尽きたバックパッカーが、ホームレスに転落することもある。

私の身近にもそんな手合いがいた。

だが、その男は困窮しているどころではなかった。

もっと困ったことになってしまったようなのだ。

二足歩行するキリギリス

私が昔働いていた運送会社のアルバイトの中に、東野という50代後半のおっさんがいた。

その運送会社のアルバイトの雇用条件は日雇いの形式で、二か月継続して働いたら、次の一か月は勤務できないというものだったが、東野氏はその一か月の間は別の仕事をすることなく、次の二か月間のアルバイトの雇用契約をすると、東南アジアの某国に行って過ごしていた。

昔からその国に何度も行っていた彼には現地にひと回り以上年下の妻がおり、その妻の家でやっかいになっていたらしい。

運送会社の給料は雀の涙であったが、発展途上国である某国の物価は日本と比べて段違いに安かったために、現地妻の生活費を援助することもできたし、ホテル代がかからないぶん、滞在費に困ることもなかった。

そんな彼は日本では、家賃4万円そこそこの風呂なしアパートに住み、国民年金も払ったことはなかったし、資産と呼べるものもなかったようだ。

キリギリスな彼は、そんな金があったらパチンコや競馬に行くか、東南アジアに行ってしまっていたからである。

東野氏は、仕事もお気楽で自分勝手。

文句は多いし、いつも率先して肉体的負担の少ない部署ばかりやっていた。

そして、他の人間がその部署につこうものなら「交代だ!」と言って譲らせる始末である。

体力の衰えた50代後半ではあるが、他のアルバイトは、同じ給料できついところをやっている。

反発は当然あったが、彼は腰が痛いと班長に訴えて、その楽な部署に居座り続けた。

また、腰が悪い証拠として、いつも通院している病院の診断書を持参して来ており、いざとなったら、それを水戸黄門の印籠がごとく提示してたんだからずるい男である。

だからあまりよく思っていない人間は少なくなかった。

やがて年月は過ぎ、東野氏が運送会社を去ならければなくなる日が近づいてきた。

彼は御年64歳となっており、会社では、アルバイトは65歳以上になると再契約の対象外となって、働くことができない決まりになっていたのだ。

もっとも、アルバイト以外に労働者を派遣してきていた人材派遣の会社に登録すれば、アルバイトとしてではなく派遣労働者としてなら働くことができるが、東野氏はもう辞めるという。

では他の仕事を探すのかと思いきや、そうでもないらしい。

無年金の彼は本来働き続けなければならないはずなのだが。

驚くべきことに、

「俺はもう歳だから、後はもう働かずにのんびり暮らすよ」

などと、余裕をぶっこいていた。

無年金だろ?

生活保護をもらう気なんだろうか。

だが、彼の老後の設計はそれと同じくらい世の中をナメていた。

「女房の実家のやっかいになる」

東野氏の海外移住とほどなくしてその後

誰が無収入の居候を快く受け入れてくれるものか。

親切なのは、金を運んできてくれたうちだけだろう?

職場の誰もがそう言っていた。

東野氏と親しい須藤という人がいて、その須藤さんは彼より少し年下くらいだから、「そんなに甘くないんじゃないの?」と面と向かって忠告してたらしいが、東野氏は某国の妻の家に転がり込む気満々だったという。

そして最後の勤務が終わった帰り際、「いつでも遊びに来てくれよ」なんて周りに言ったりして、全く悲観している感じはなかった。

須藤さんによると退職してから数日後、彼は意気揚々と某国に旅立っていったようだ。

部屋を解約するなどかなり前から準備をしていたらしい。

それから、半月も経っていない頃だった。

須藤さんの携帯に、早速東野から国際電話があった。

要件は「金を貸してくれ」である。

案の定だ。そして早や!

だから言わんこっちゃない。

東野は、金が必要な理由を濁していたらしいが、言われなくても容易に察しは付く。

文無しを理由に女房の実家から追い出されたか、シメられているに決まっている。

第一、貸してくれと言っているが、

東野は日本にいたころから金を借りたら借りっぱなし、おごってもらったらおごってもらいっぱなしだったから、返すアテと返す気のどちらもないであろう。

それも10万円という、彼が返済できるはずのない金額を指定してきたらしいから、あきれたもんだ。

須藤さんだって金がないから、値切りに値切って1万円を送ってやることにしたという。

送ってやったこと自体驚きだが。

しかし着金後ほどなくして、須藤さんのところに電話がかかってきて、

「この前10万と言ったのに、1万円しか送られていない!あと9万大至急送ってくれ!」

とほざかれたに至って、さすがの温厚というかお人よしの須藤さんも、ブチ切れて連絡を絶ってしまったらしい。

自分の都合よく記憶を作り換えようとするんだから完全に末期症状である。

だが、その末期症状はさらに深刻化していったらしく、須藤さん以外の職場でよく話していた人間ばかりか電話番号を知っている人間にまで、片っ端から金の無心電話をし始めた。

あんまりよく思われていなかった彼のことだから、いったいどのくらいの人間が救いの手を差し伸べたか、推して知るべしの感があったが。

東野とあまり深く付き合わなくて本当に良かった。電話番号を知られていたら、援助をねだられていたことだろう。

などと安心していたのもつかの間だった。

なぜかほとんど面識がなく、電話番号を知らないはずの私のところにも東野から連絡がきたのだ。

キリギリスの断末魔

登録のない番号だったし、携帯でも日本の固定電話でもなさそうな配列の番号だったが、どこからだろうと思って出たら東野だった。

もちろん要件は、金の無心である。

「あの、どうして僕の番号知ってるんですか?」

金の話をする前に、どうしても確かめておきたいことだったのでそれを尋ねたら、

「お前なら貸してくれるからって、電話番号教えてくれた奴がいた」

誰だか知らないが、ふざけたことしやがって!

そんなに私はいい人、いや、バカそうに見えるのか?

「なんでそんなに金が要るんです?」

分かり切ってはいたが、一応聞いてみた。もちろん貸す気はないが。

「暴風雨で家の屋根が壊れちまってさ、早く修理したいんだよ」

嘘に決まっているが、そこは敢えてスルーすることにした。

「いくらくらい必要ですか?」

「気持ちだけでいいよ。たくさんなら助かるが」

「じゃあ1000円くらいで」

「バカにしてんのか!?足りるわけねえだろ!」

そっちこそバカにしているのか?

「気持ちだけでいい」って言ったじゃないか。それになんだ、その言い方。

付き合いはあまりなくても、前から大人気ないおっさんだと知っていたが、相当テンパっているらしく、余計タチが悪くなっていた。

「せめて5万くらい貸してくれよ!知らない仲じゃないだろ?」

このおっさんは、完全に頭がおかしい。元々、ほぼ知らない仲じゃないか。

さらによりおかしいことに、その後、東野は一方的に送金先である某国の銀行名と口座番号などを告げ、

「詳しいことは須藤に聞けば分かるから、大至急頼むぞ!」

と、これまた一方的に吠えて電話が切られた。

誰が貸してなどやるものか。

ほとんど話したこともない人間相手に、あんな口調で図々しい要求ができるとは、人間技ではない。

言うまでもなく、もう連絡がこないように、この番号を着信拒否にした。

その後、私と同じく電話番号を登録していなかった職場の班長である新井のところにも電話が来たことを、新井本人から聞いた。

新井相手にいたっては、「元部下が困っているのに見て見ぬふりするのか?」とか「キャバクラや競馬行く金あるんだから、貸してくれたっていいじゃねえか」とまでほざき、さらに、私をはじめ自分に救いの手を差し伸べなかった者たちの悪口を連ねた後、「助けてくれなかったら必ず化けて出てやる」と実効性のない脅しまでしてきたという。

「終わってるな、あの人。もうかかわりたくねえよ」と、新井はうんざりしていた。

そんな職場を騒がせた東野からの金の無心電話もしばらくしてからピタリと止んだ。

誰も助けてくれなかっただろうし、さすがにあきらめたんだろう。

国際電話だから、電話代もバカにならないはずだし。

連絡がなくなったことについて、

「埋められたからじゃねえの?」と、冗談めかして言う者もいたが。

しかし、その時は誰も思わなかった。

冗談ではなく、本当にそうなっている可能性が高いことを。

つづく

日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 (集英社文庫) 脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち (小学館文庫) 新版「生きづらい日本人」を捨てる (知恵の森文庫)

関連する記事:

最近の記事:

カテゴリー
2021年 いじめ おもしろ ならず者 不良 事件 事件簿 悲劇 本当のこと 無念

奪われた修学旅行2=宿で同級生に屈辱を強いられた修学旅行生

にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

本記事中に出てくる人物の名前は、全て仮名となります。

修学旅行の第一日目早々、もっとも楽しみにしていたディズニーランドで他校の不良少年たちにカツアゲされて金を巻き上げられた私は、放心状態でランド内を歩き回っていた。

集合時間までまだ時間があったが、ショックのあまりとてもじゃないが、他のアトラクションを楽しもうという気にはなれない。

そして、もうランド内にいたくなかった。

私は、集合場所であるバス駐車場に向かおうと出口を目指した。

誰でもいいから自分の学校、O市立北中学校の面々に早く会いたかった。

たった一人で他の学校のおっかない奴らに囲まれて恐ろしい目に遭わされたばかりで、その恐怖が生々しく残っていた私は、見知った顔と一緒になれば、多少安心できるような気がしたからだ。

何より、さっきの不良たちもまだその辺にいるかもしれず、それが一番怖かった。

だが、カツアゲされたことだけは、絶対に黙っておこうと、心に決めていた。

私にだって、プライドはある。

恰好悪すぎるし、教師や親、同級生に何やかやと思い出したくないことを聞かれたりして、面倒なことになるのはわかりきっていたからだ。

踏んだり蹴ったり

「コラ!オメーどこ行っとったー!!」

出口目指してとぼとぼ歩いていた私の後ろから、甲高い怒声が飛んできた。

私が本来一緒に行動しなければいけなかった班の長・岡睦子だ。

班員の大西康太や芝谷清美も一緒にいる。

さっきまで自分の学校の面子に会ってほっとしたいと思っていたが、実際に会ったのがよりによってこいつらだと、気分が滅入ってしまった。

そんな私の気も知らないで、岡は鬼の形相で、なおも私に罵声を浴びせてくる。

「勝手にどっか行くなて先生に言われとったがや!もういっぺんどっか行ってみい!先生に言いつけたるだでな!」

「わかったて、もうどっこも行かへんて…」

女子とはいえ柔道部所属で170センチ近い長身、横幅もそれなりにある大女の岡は、さっきのヤンキーに負けず劣らす迫力がある。

一方で、中学三年生男子のわりにまだ身長が150センチ程度で貧相な体格だった当時の私は思わずひるんで、岡に服従した。

しかし、何で再び脅されねばならんのか。

もうバスに戻りたかったのに、岡たちはまだ、ランド内から出ようとせず、私を引っ張りまわした。

それも、お土産を買うとか言って、ショップのはしごだ。

岡も芝谷も、ああ見えて一応女子なので、買い物にかける時間が異様に長く、ショップに入るとなかなか出てこない。

有り金全部とられて何も買えない私には、苦痛極まりない時間であるが、班を離れるなと厳命されているので、外でおとなしく待っていた。

男子の大西は早くも買い物を済ませたらしく、商品の入った袋を両手に外へ出てきて「女ども長げえな、早よ済ませろて」とぶつぶつ言っている。

私もお土産を買う必要があるが、もう金は一銭もない。

それにひきかえ、大西はお菓子だのディズニーのキャラクターグッズだのずいぶんいろいろ買っている。うらやましい限りだ。

「えらいぎょうさん買ったな、金もう無いんちゃうか?」

ムカつくので、少々皮肉っぽいことを言ってやったら、大西は自慢げに答えた。

「俺まだ1万円以上残っとるんだわ」

何?1万円だと?今回の修学旅行では持ってくるお小遣いは、学校側から7千円までというレギュレーションがかかっており、私はそれを律義に守っていた。

だが、大西はそれを大幅に超える金額を持参してきていたということだ。

畜生、私も律義に7千円枠を守るんじゃなかった。いや、それならそれでさっきのカツアゲで全部とられていただろうが。

「そりゃそうと、おめえは何も買わんのかて?」

「いや、俺は…」

カツアゲされて金がないとは、口が裂けても言えない。

そうだ、大西から金を借りられないだろうか?こいつとはあまり話したことがないが、金を落としてしまったとか事情を話せば、千円くらい都合つけてくれるかもしれない。

何だかんだ言っても同じクラスだし、同じ班なんだ。

「あのさ、俺、財布落としてまってよ…金ないんだわ」

「アホやな」

「そいでさ、千円でええから…貸してくれへんか?」

「嫌や」

にべもなかった。1万以上持ってるなら千円くらいよいではないか!

「頼むて。何も買えへんのだわ」

「嫌やて、何で俺が貸さなあかんのだ?おめえが悪いんだがや、知るかて」

普段交流があまりないとはいえ、大西の野郎は想像以上に冷たい奴だった。頼むんじゃなかった。

結局、ぎりぎりまで女子の買い物に付き合わされたが、集合時間前にはディズニーランドのゲートを出て、我々は時間通りバスの停まっている集合地点までたどり着いた。

他の面々は皆充実した時間を過ごせたらしく、買ってきたお土産片手に、あそこがよかったとか、あのアトラクションが最高だったとか盛り上がっている。

「もう一回行きたい」とか話し合っており、「もう永久に行くものか」と唇をかんでいるのは私だけのようだ。

そんな一人で悲嘆にくれる私に、更なる追い打ちがかけられた。

「おい!お前、単独行動したらしいな!」

私のクラスの担任教師、矢田谷が、私をいきなり大声で怒鳴りつけてきたのだ。

話に花を咲かせている生徒たちの話が止まり、好奇の視線がこちらに注がれる。

どうやら岡から私が班行動をしなかったことを聞いたらしく、完全に怒りモードだ。

この矢田谷は陰険な性格の体育教師で、一年生の時からずっと体育の授業はこいつの担当だったが、私のような運動神経の鈍い生徒を目の敵にして人間扱いしない傾向があり、これまでも、何かと厳しい態度に出てくることが多かった。

そんな馬鹿が不幸にも私のクラス担任になっていたのだ。

「いや、俺だけじゃないですよ、俺以外にも勝手に班を離れた人間は他にも…」

「先生は今、お前に言っとるんだ!言い訳するな!!」

クラス一同の前で、ねちねちと怒鳴られた。

なぜ私ばかり?私以外にも班行動しなかった者はいたのに!

私は再び涙目になった。

神も仏もないのか。どうして立て続けに、嫌な目に遭い続けなければならないのか?

私は今晩の宿に向かうバス内で、わが身の不運に打ちひしがれていた。

通路を挟んで斜め向かい席では、元々一緒に行動しようと思っていた中基と難波がまだディズニーランドの話を続けている。

彼らは一緒に行動してたようだ、私を置いてけぼりにして…。

そして頼むから「カリブの海賊」の話はやめて欲しい、こっちはリアルな賊にやられたばかりで心の傷がちくちくするのだ。

「おい、お前どうかしたんか?」

私の横にクラスメイトの小阪雄二が来た。

一番後ろの席に座っていたのに私のいる真ん中の席まで来るとは、どうやら私が落ち込み続けている様子に気付いていたらしい。

だが、私は十分すぎるほど知っている。こいつは私の身を案じているのではなく、その逆であることを。

それが証拠にニヤニヤと何かを期待しているようないつものムカつく顔をしている。

二年生から同じクラスの小阪は他人の災難、特に私の災難を見て、その後の経過観察をするのを生きがいにしているとしか思えない奴だ。

私が今回のようにこっぴどく先生に怒られたり、誰かに殴られたりした後などは真っ先に近寄ってきて、実に幸福そうな顔で「今の気分はどうだ?」だの「あれをやられた時どう思った?」などと蒸し返してきたりと、ヒトの傷に塩を塗りたくるクズ野郎なのだ。

「別に何でもないて!」

「何やと、心配したっとんのによ!」

嘘つけ!ヒトが怒鳴られて落ち込んでいる顔を拝みに来てるのはわかってるんだ!

しかし、奴の関心は別のところにあった。

「お前、財布落として金ないって?」

「何で知っとるんだ?関係ないがや!」

大西の野郎がしゃべりやがったんだな!

隣に座る大西は小阪と以前から仲が良く、私を見て口角を吊り上げている。

同じ班なので、バスの席も近くにされていた。前の座席には岡と芝谷も座っている。

「お前、ホントはカツアゲされたやろ?」

「!!」

「おお、こいつえらい深刻な顔しとったでな。ビクビクしとったしよ」

大西も加わってきた。気付いていたのか?

「ナニ?ナニ?おめえカツアゲされとったの?」

前の席の岡と芝谷までもが、興味津々とばかりに身を乗り出してくる。

やばい、ばれてる!ここはシラを切りとおさねばならない!

カツアゲされたことがみんなに知られて、いいことなど一つもない。

修学旅行でカツアゲされた奴として、卒業してからも伝説として語り継がれるのは必定。

それに、こいつらを喜ばせる話題を提供するのは、最高にシャクだ!

被害に遭った後、被害者が更に好奇の視線にさらされるなんて、まるでセカンドなんとかそのものじゃないか!

「されとらんて!落としたんだって!」

「ホントのこと言えや。おーいみんな!こいつカツアゲされたってよ」

「されてないっちゅうねん!」

「先生に知らせたろか?ふふふ」

小阪らの尋問及び慰め風口撃は、バスが今晩の宿に到着するまで続いた。

修学旅行生の宿での悪夢

我々O市立北中学校一行の修学旅行第一日目の宿泊地は、東京都文京区にある「鳳明館」。長い歴史を持ち、全国からやってくる修学旅行生御用達の宿だ。

なるほど、かなり昔に建てられたと思しき重厚な外観と内装をしている。

カツアゲに遭っていなければ、私も中学生ながら感慨にふけることができたであろう。

建物の前に立っている

低い精度で自動的に生成された説明
鳳明館

実はこの宿に関して、旅行前からちょっとした懸念材料があった。

ぶっちゃけた話、私は普段の学校生活で嫌な思いをさせられていた。

それも、冗談で済むレベルではない。

トイレで小便中にパンツごとズボンを下ろされたり、渾身の力で浣腸かまされたりのかなり不愉快になるレベル、即ち低強度のいじめに遭っていた。

その主たる加害者である池本和康が、同じ部屋なのだ!

おまけに、小阪や今日最高に嫌な奴だとわかった大西も同室で、あとの二人も悪ノリしそうな奴らであるため、一緒に一つ屋根の下で夜を明かすのは、危険と言わざるを得ない。

部屋割りはこちらの意思とは関係なく、旅行前に担任教師の矢田谷とクラス委員によって一方的に決められており、その面子が同室であることを知った時は、そこはかとない悪意を感じざるを得ず、私は密かに抗議したが、陰険な矢田谷の「もう決まったことだ」という鶴の一声で神聖不可侵の確定事項となっていた。

もっとも、その宿に到着した頃、私の精神状態はカツアゲの衝撃でショック状態が続いていたため、旅行前に感じた部屋に関する懸念については、部分的に麻痺していた。

同じ部屋の面子のことなどもうどうでもよい。今日出くわした災難に比べればどうってことないと。

ちなみに、夕飯を宴会場のような大きな座敷で食べた後は入浴の時間だったが、私はあえて入らなかった。

いたずらされるに決まっているからだ。

実際、二年生の時の林間学校では、やられていた。

同じ部屋の連中が風呂に入ってさっぱりして帰って来た時、私はもうすでに敷かれていた布団に入っていた。

今日はもう疲れた、もう寝よう。明日になれば少しは今日のことを忘れられるだろうと信じて。

しかし、私はこの時全く気付いていなかった。

本日の悲劇第二幕の開幕時間が始まろうとしていたことを。

とっとと寝ようと思ってたが、消灯時間になっても眠れやしない。

小阪や池本、大西及びあとの二人も寝ようとせずに、電気をつけたまま、ジュースやスナックの袋片手に話を続けていたからだ。

「やっぱ、前田のケツが一番ええわ」

「ええなー、池本は前田と同じ班やろ?うちのはブスばっかだでよ」

「小阪ンとこはまだええがな、うちは岡と芝谷だで。あれんた女のうちに入らへんて」

話題はもっぱらクラスの女子の話で、言いたい放題、時々下品な笑い声を立てる。

女子に関してなら私も多少興味があったので、目をつぶりながらも聞き耳を立てていたが。

しかし彼らはほどなくして、私の話を始めやがった。

「ところで、あいつカツアゲされとるよな、絶対」

「ほうやて、泣いた後みたいな顔しとったもん」

いい加減しつこい奴らだ。

だが私に関する話題は続く。

「そらそうと、あいつ今日風呂入って来なんだな。せっかくあいつで遊んだろう思うとったのに」

やっぱり池本は何かするつもりだったんだ。風呂に入らなくて正解だ。

「あいつってムケとるのかな?」

大西がここで、突然嫌なことを言い出した。

「なわけないやろうが、毛も生えてへんて。俺、林間学校で見たもん」

小阪の野郎!言うなよ!

つい前年の林間学校の風呂場で、小阪は私の素朴な下半身を散々からかってくれたものだ。

彼らの会話がどんどん不快な方向に発展しつつあった。カツアゲのことを蒸し返されるのもムカつくが、私の下半身の話も相当嫌だ!

「なあ、そうだよな!あれ?おーい。もう寝とるのか?」

どうしてヒトの下半身にそこまで興味があるのかこの変態どもは!誰が返事などしてやるものか。こっちはもう寝たいんだ!

私は断固相手にせず、タヌキ寝入り堅持の所存だったが、池本の恐ろしい一言で考えを変えざるを得なかった。

「ほんなら、いっぺん見たろうや!」

何?!それはだめだ!私の下半身は、その林間学校の時から変わらないのだ!

「おもろそうやな」「脱がしたろう」他の奴らも大喜びで賛同し、一同そろって私のところに近づいてくる。

私は思わず布団にくるまり、防御態勢を取った。

「何や、起きとるがやこいつ。おい、出てこいて」

「やめろ!」

五人がかりで布団を引きはがされた後、肥満体の池本に乗っかられ、上半身を固められた。

「おら、脱げ脱げ」と他の奴が私のズボンに手をかける。

「やめろ!やめろて!!やめろてえええ!!!」

私は半狂乱になって抵抗し、声を限りに叫ぶが、彼らの悪ノリは止まらない。

畜生!何でこんな目に!

前から思っていたが、うちの両親はどうして反撃可能な攻撃力を有した肉体に生んでくれなかった!

五体満足の健康体な程度でいいわけないだろ!

私がなぜか両親を逆恨みし始めながら、凌辱されようとしていたその時だ。

ドカン!!

入口の戸が乱暴に開けられる音が室内に響き渡り、その音で一同の動きが止まった。

そして、怒気露わに入ってきた人物を見て全員凍り付いた。

「やかましいんじゃい!!」

その人物はスリッパのまま室内に上がり込むなり凄味満点の声で怒鳴った。

我がO市立北中学校で一番恐れられる男、四組の二井川正敏だ!

やや染めた髪に剃り込みを入れた頭と細く剃った眉毛という、私をカツアゲした連中と同じく、いかにもヤンキーな外見の二井川は、見かけだけではなく、これまで学校の内外で数々の問題行動を起こしてきた『実績』を持つ本物のワル。

池本や小阪のような小悪党とは貫禄が違う。

「何時やと思っとるんじゃい?ナメとんのか!コラ!!」

そう凄んで、足元にあった誰かのカバンを蹴飛ばし、一同を睨み回すと、池本や小阪、大西らも顔色を失った。

もう私にいたずらしている場合ではない。

どいつもこいつも「ご、ごめん」「すまない、ホント」と、しどろもどろになって謝罪し始めている。

ざまあみろ!池本も小阪も震え上がってやがる。さすが二井川くんだ!

普段は他のヤンキー生徒と共に我が物顔で校内をのし歩き、気に入らないことがあると誰彼構わず殴りつけたりする無法者だが、二井川くんがいてくれて本当によかった。

災難続きのこの日の最後に、やっとご降臨なされた救い主のごとく後光すらさして見えた。

この時までは…。

「さっき一番でかい声で“やめろやめろ”って叫んどったんはどいつや!!」

え?そこ?夜中に騒ぐ池本たちに頭に来て、怒鳴り込んで来たんじゃないの?

「あ…ああ、それならこいつ」

池本も小阪も私を指さした。二井川の三白眼がこちらを睨む。

「おめえか、やかましい声でわめきおって!コラァ!」

二井川は私の胸ぐらをつかんで無理やり引き立てた。

「え、いや、だってそれは…」

大声出したのは、こいつらがいたずらしてきたからじゃないか!おかしいだろ!何で私なのだ?そんなのあんまりだ!!

「ちょっと表へ出んか…、お?こいつ何でズボン下げとるんや?」

「ああ、それならさっき、こいつのフルチン見たろう思ってさ、脱がしとったんだわ」

矛先が自分には向かないと分かった池本が喜色満面で答えると、二井川からご神託が下った。

「そやったら、お前。お詫びとして、ここでオ〇らんかい

「え…いや、何で…!」

「やらんかい!!」

魂を凍り付かせるような凄絶な一喝で私は固まってしまった。

「おい、おめーら!こいつを脱がせい!」

「よっしゃあ!」

凍り付いた私は、二井川からお墨付きをもらって大喜びの池本たちに衣服をはぎ取られた。

終わった、私の修学旅行は一日目で終わってしまった。

飛び入り参加した二井川を加えた一同の大爆笑を浴び、当時放送されていた深夜番組『11PM』のオープニング曲を歌わされながらオ〇ニー(当時はつい数か月前に覚えたばかり)を披露する私の中で、修学旅行を明日から楽しもうという気力は完全に消失していった。

絶頂に達した後は、カツアゲされたショックも矢田谷に怒鳴られたことなど諸々の不快感も吹き飛んだ。

明日からの国会議事堂も鎌倉も、あと二日もある修学旅行自体もうどうでもよくなった。

私の中学生活も、私の今後の人生までも…。

そんな気がしていた。

おまけに次の日、国会議事堂見学の時に昨日のショックでふらふら歩いていた傷心の私は、二井川の仲間で同じくヤンキー生徒の柿田武史に「目ざわりなんじゃい!」と後ろから蹴りを入れられた。

谷田谷の野郎は、担任なのに知らんぷり。

それもかなり不愉快な経験だったが、その他のことについて、昨日までのことで頭がいっぱいとなっていた当時の私が、二日目からの修学旅行をどう過ごしたか、あまり覚えてはいない。

初日にさんざん私で遊んだ池本たちは、二日目の晩にはもうちょっかいをかけてこなかったが、彼らと私との間で時空のゆがみが生じていたことだけは確かだ。

「ああー帰りたくねえな」と彼らはぼやき、「まだ帰れないのか」と私は思っていた。

失われた修学旅行

修学旅行が終わって日常が始まった。

ディズニーランドでカツアゲされたことは明るみにならなかったが、あの第一日目の宿「鳳明館」で私が強制された醜態は池本たちが自慢げに言いふらしたことにより、私は卒業するまでクラスの笑い者にされた。

修学旅行で起きたことは、もちろん親にも話さなかったし、高校進学後の三年間、誰にも話せなかった。

時間というものはどんな嫌な記憶でもある程度は消してくれるものらしいが、私の場合、三年間では半減すらしなかったからだ。

高校時代に中学の卒業式の日に配られた卒業アルバムを開いたことがあったが、中に修学旅行の思い出の写真ページがあり、二日目の国会議事堂前で撮ったクラスの集合写真に写る私自身が、あまりにもしょっぱい顔をしているので、見ていられなかった。

卒業文集の方も読んでみたら、池本と小阪がいけしゃあしゃあと修学旅行の思い出を書いていたのには、思わずカッとなった。

池本の思い出にいたっては題名が『仲間と過ごした鳳明館の夜』だ。

私にとって悪夢だった修学旅行にとどめを刺した第一日目の宿の思い出を、主犯の一人である池本は、かゆくなるほど詩情豊かに書いてやがった。

そこには私も二井川も登場せず、ディズニーランドの思い出や将来について、小阪や大西らと部屋で語り明かしたことになっている。

「僕はこの夜のことを一生忘れない」と結んだところまで読み終えた時、私はまだ少年法で保護される年齢だったため、他の高校に進学した池本の殺害を本気で検討した。

そうは言っても、時間の経過による不適切な記憶の希釈作用が私にも働くのはそれこそ時間の問題だったようだ。

大学に進学した頃には他人に話せるようになっていたし、何十年もたった今では『失われた修学旅行』などと笑って話せるまでになっている。

もっとも、未だに中学校の同窓会には一度も参加したことがないし、どんなことがあっても東京ディズニーランドにだけは行く気がせず、ミッキーマウスを見ただけで殴りたくなるが。

しかし、今となってはあの修学旅行であれらの出来事があったからこそ、今の私があるのかもしれない。

どんなに調子が良くても「好事魔多し」を肝に銘じ、有頂天になって我を忘れることがないように自分を戒め、慎重さを堅持することこそ肝要としてきた。

今まで大きな災難もなく過ごせてきたのはそのおかげだと、今の自分には十分言い聞かせられる。

中学の卒業アルバムを今開いてみると、三年二組の担任だった矢田谷、宿で私をいたぶった池本、小阪、大西たち、そして四組の二井川の顔写真は、コンパスやシャープペンシルで何度もめった刺しにされて原型を留めていない。

中学卒業後の高校時代の自分がやったことに、思わず苦笑してしまう。

これではどんな顔をしていたか、写真だけでは思い出すことはできないが、しばらくすると中学校時代が部分的にリプレイされ、徐々にだが彼らの顔が頭に浮かんでくる気がする。

そして、私をディズニーランドで恐喝したあの他校のヤンキーたち一人一人も。

時が過ぎて、はるか昔になってしまえばどんな出来事もセピア色。

三十年後の今では中学時代のほろ苦くもいい思い出に…。

いや!そんなわけあるか!

やっぱり2021年の今でもあいつらムカつくぞ!!

上京修学旅行【狙われた夏服】 俺得修学旅行~男は女装した俺だけ!!(32) (ガチコミ)

関連する記事:

最近の記事:

カテゴリー
2021年 いじめ おもしろ カツアゲ ならず者 不良 事件 事件簿 悲劇 本当のこと 無念

奪われた修学旅行 = カツアゲされた修学旅行生

にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

本記事中に出てくる人物の名前は、全て仮名となります。

中学校生活で最高のイベントといえば、修学旅行を挙げる人は少なくないだろう。

私はその中学校の修学旅行を、気が早すぎることに、まだ小学校六年生の頃から楽しみにしていた。

小学校での修学旅行先は京都・奈良であり、一泊二日とあっという間であったが、11歳だった私には、旅行先での瞬間瞬間が非常に充実しており、それまでの人生で最良の二日間だった。

旅行先の宿でクラスメイトたちと過ごした一夜は、家族旅行では味わうことができない鮮烈な体験であったことを、今でも覚えている。

当時の私

旅行から帰った後の私は、修学旅行ロスとも言うべき症状に襲われ、配られた思い出の写真を見ながら、もう二度と来ることのないその瞬間を脳内でリプレイしようと努めては、タメ息をついていたくらいだ。

同時に、私は中学校の修学旅行に思いをはせるようになった。

同級生のうち、中学生以上の兄や姉がいる者から聞いたところ、中学の修学旅行は二泊三日だという。

たった一泊二日の小学校の修学旅行でも、あれだけ楽しかったのだ。単純計算で、倍以上の楽しさになるだろうと確信していた。

しかし、その時は全く予想していなかった。

その中学の修学旅行が、これまでの人生で最もひどい目に遭った体験の一つとなり、「好事魔多し」という鉄の教訓を、私に生涯刻み込むことになるであろうことを。

待ちに待ったその日

中学に入学した時から、私の心は二年後の修学旅行にあった。

早く三年生になって、修学旅行当日を迎えたかったものだ。

そんな私の期待を、いやがうえにもさらに高めた知らせを耳にした。

私が入学した年、三年生の修学旅行の行き先は関東方面で変わらなかったが、第一日目の目的地が、何とあの東京ディズニーランドになったというのだ。

教会の塔

自動的に生成された説明
ディズニーランド

私の期待は、一年生の時点で早くも暴騰した。

これはきっと最高の思い出になるに違いないと確信し、いよいよ三年生になるのが待ち遠しくなった。

そして、短いような長いような中学校生活も二年が過ぎ、晴れて中学校三年生となった1989年の5月20日、私は夢にまで見た修学旅行初日を迎えた。

それまでの中学校生活はこの日のためだったと言っても、過言ではない。

前日、修学旅行へ持参するお菓子を、学校で定められた千円の範囲内でいかに好適な組み合わせで購入すればよいかと、スーパーでじっくりと選んでいたために、帰宅が遅くなったものだ。

きっと明日から始まる三日間は、人生で最も幸福な時間となり、終生忘れることなく、何度も思い出すことになるだろう。

私はその日、そう信じて疑わなかった。

そして迎えた修学旅行当日は、私の通うO市立北中学校に集合し、バスに乗って東海道新幹線の駅へ。

そこからは新幹線に乗って、最初の目的地・東京へは一直線だ。

新幹線の中では、クラスの皆はお菓子を食べたり、トランプをやったり、意味もなく動き回ったり、私を含めた三年二組全員は、これから始まる輝かしい時間に誰もが胸躍らせ、車内に期待が充満していた。

新幹線はあっという間に愛知県を越えて静岡県に入った。

浜名湖を超えて天竜川を過ぎて、富士山の雄姿を拝みながら、そのまま一路東に向かい、普段の退屈な学校生活とは全く異なる得難い極上の非日常を味わいながら、三島、熱海、小田原、そして新横浜に到達。

やがて多摩川を越えて東京都に達すると、今まで見たこともない大都会に入ったことを実感した。

ビルの大きさや市街地の質が自分たちの知っている最も大きな街、名古屋市を凌駕しているのだ。

テレビでしか見たことがない東京を実際に目の当たりにした我々は圧倒された。

東京駅に到着すると、そこからはバスに乗って最初の目的地、東京ディズニーランドに向かう。

車中では、私を含めたクラスメイトたち誰もが旅の疲れなどみじんも見せず、これからが本番だと興奮していた。

ディズニーランドへの道中は、窓の外がいかにも東京という光景の連続に目を奪われ続けたため、あっという間に到着してしまった印象がある。

昼食は外の景色を見ながら移動中のバスの中で摂り、待ちに待った約束の地に到達したのは正午過ぎ。

広大なディズニーランドの駐車場でバスを降りて一刻も早くランド内に突撃したかった我々だが、いったん集合させられ、学年主任の教師である宮崎利親から、長ったらしい注意事項を聞かされた。

宮崎が、いつもの論理破綻した冗長な説明において何度も強調したのは、班行動厳守。

所属する班を離れて班員以外の人間と、又は単独で行動してはならないということだ。

そうは言っても、私は自分の所属する班に不満だった。

なぜなら、班長の岡睦子は、私の好みからは程遠い容貌の上に、気が短く口うるさい女。

もう一人の女子、芝谷清美はクラスのカーストで底辺に位置するネクラな不可触民的女子。

男子の大西康太とは、同じクラスになったのは小学校から通算して初めてだし、少々気が合わないところもあって、普段からあまり話す仲ではない。

こんな奴らと一緒でどう楽しめと?

私は班から離脱することを、とっくに心に決めていた。

だが、その決断が後の災難の大きな要因になることを、この時点の私はまだ知らない。

入口ゲートをくぐると、もう教師たちの統制は効かない。

班は、大体男女二人ずつの四人を基本構成としているが、わが校の制服を着た男ばかり三人や女ばかり五人、或いは男女のペア等の不自然な組み合わせが、あちこちで出現し始めた。

皆考えることは同じなのだ。

私もしない手はないではないか。

我々の班は、独裁的な班長の岡の一存で最初に「シンデレラ城」、次に「ホーンテッドマンション」に行くことになっていたが、私は移動のどさくさに紛れて離脱に成功、別行動を開始した。

本当は、同じクラスで気の合う中基伸一や難波亘と行動を共にする手はずになっていたが、あまりにも人が多すぎて、彼らがどこへ行ったか分からなくなった。

今から思えば携帯電話のない時代の悲しさだ。

そうは言っても、私は一人であることを幸いに、自由自在にアトラクションを回ることができた。

「カリブの海賊」、「ビッグサンダーマウンテン」に「空飛ぶダンボ」等々、ジェットコースター系を好む私は「スペースマウンテン」に三回も乗った。

屋外, 草, 車, 座る が含まれている画像

自動的に生成された説明
ビッグサンダーマウンテン
建物の前の飛行機

低い精度で自動的に生成された説明
スペースマウンテン

「ホーンテッドマンション」やショーなど見てても、退屈なだけだ。

「シンデレラ城」など論外、班長の岡の感性に支配された班と行動を共にしていたら、そういった退屈なアトラクションやショッピングばかり行く羽目になっていたはずで、こんなに満喫はできなかったであろう。

私は、自分の果敢な実行主義を自画自賛しつつ、自分好みのアトラクションを渡り歩き、小腹がすくとソフトクリームやポップコーンを買って小腹を満たした。

ディズニーランドの食べ物はどこも割高であったが、心配はない。お小遣いはたっぷりもらっているのだ。

しかし、調子に乗って食べ過ぎて、もよおしてきてしまった。

幸い、トイレはすぐ近くに見つかった。

この差し迫った緊急事態を回避するためにそのトイレに入ると、さすが天下のディズニーランド。床で寝ても平気なくらい清潔だ。

しかもありえないことに、私以外に人がいないのがありがたい。私は心置きなく個室の一つに飛び込んだ。

そして、修学旅行が楽しかったのはこの時までだった。

今考えても無駄だが、なぜよりによって、このトイレを選んでしまったのだろうか?

このトイレこそ、有頂天の私を奈落の底へと突き落とす悲劇の舞台となったのだから。

悪魔たちとの遭遇

ちょうど個室に入ってドアを閉めて、一安心したのと同時だった。

下卑た大声が外から聞こえたのだ。

「お、誰かウンチコーナー入ったぞ!」

誰かに入るところを見られたようである。

声からして私と同じ中学生くらいだと思われたが、その声に聞き覚えはないため、きっと他の学校の修学旅行生だろう。

しかし、ウンチコーナーだと?

私のいた中学校では大便をするということ自体がスキャンダルになるため、外にいるのが自分の学校の人間でないとみられることに一瞬ほっとしたが、それは大きな間違いだった。

「おい出て来いよ」

「ちょっと顔見せろ!」

などと言ってドアを叩いたり蹴ったりで、かなり悪質な連中なのだ。

そんなこと言ったって、こっちはもうズボンを脱いで、便座に腰掛け、大便を始めている。

だが、彼らの悪ノリは止まらない。

「余裕こいてウンコしてんじゃねえよ」

「お、中の奴、今屁ぇこいたぞ」

「おい!いつまでケツ吹いてんだ?紙使い過ぎなんだよ!」

何なのだ、こいつらは?余計なお世話ではないか!

ヒトの排泄の実況中継や批評まで始められるに至って、私のいらだちは頂点に達した。

ドンッ!!

私は「うるさい」とばかりに、内側から個室のドアを思いっきり叩いた。

音は思ったより大きく響き渡り、外の連中の茶化す声が一瞬静まり返る。

私の強気にビビったのか?

いやいや、その逆だった。

「ナニ叩いてんのオイ!」

「俺らと喧嘩してえのか?!」

「引きずり出すぞ!ボケ、コラ!!」

彼らは、先ほどよりずっと大きな声で威嚇しながら、ドアをより強く蹴飛ばし始めたのだ。

まずい、怒らせてしまった。

そして、さっきから思っていたことだが、外の奴らは悪質も悪質、ヤンキーなのではないのか?やたらとドスが利いたガラの悪い口調である。

ならば、断固出るわけにはいかないではないか!

私はパニックになりながらも、まずは外に何人いるのか確認するのが先決だと判断。

この個室にはドアと床の間に隙間があったため、私はその隙間から外を偵察することにした。

清潔だとはいえ少々抵抗があったが、手をついて、床とドアの隙間に顔を近づける。

が、相手も外の隙間から中をのぞこうとしていたらしい。

それがちょうど私が顔を近づけた場所と向かい合わせで、至近距離で私と相手の目と目が合ってしまった。

「うわ!」

「うおお!」

私も驚いたが、外の奴もかなりびっくりしたらしい。中と外で同時に驚きの声を上げて、顔をそらした。

「中にいる奴、宇宙人みてえなツラしてるぞ!」

私は、相手の顔を一瞬すぎて判断できなかったが、外の奴は私の特徴を一方的にそう表現した。

ヒトを宇宙人呼ばわりとは失礼な奴らだ。

しかし、連中の失礼さは、そんなレベルではなかった。

「君は完全に包囲された。無駄な抵抗はやめて出てきなさい」

とか、ふざけたことを言って、タバコに火をつけて、個室に投げ込んできやがった。燻り出そうという腹らしい。

水も降って来たし、借金の取り立てみたく、ドアも連打してくる。

屈してはならない!出て行ったら何されるかわからない!

何より、やられっ放しもしゃくだ。

私は降ってきた火の付いたタバコを投げ返したり、ドアを蹴飛ばし返したりと『籠城戦』を展開した。

どれだけ攻防戦が続いただろうか。まだ水も流せないし、私はズボンもパンツも下ろしたままだ。

籠城戦というより、闇金の取り立てにおびえる多重債務者の気分に近かっただろう。

そのように、ここで一生暮らす羽目になるのではないかとすら、錯覚した時だった。

外の連中とは違う感じの声が響いてきた。

「ちょっと、ちょっと、止めてください。何してるんですか?」

その声がしたとたん、外からの攻撃が止んだ。

ディズニーランドの従業員、通称『キャスト』か!?

そうだろう!いつまでもこんな無法行為を続けれるほど、日本はならず者国家ではない、止めに来てくれたんだ!

「何だよ!中の奴が俺らをナメてんだよ」

「とにかくダメ。こういうことはやめて。警察呼ぶよ」

「中の奴と話させろよ」

「ダメダメ、もういいから出て!」

外で押し問答が続いていたが、ヤンキーどもが折れたようだ。

「わかったよ、行きゃいいんだろ!くそやろーが!覚えとけよ!」と、捨て台詞を吐いて出て行く気配がするのを、ドア越しに感じた。

助かった!さすがディズニーランド、しっかりしてる!これで安心だ。

やっとズボンを穿ける。脱出できる!

恐る恐るドアを開けて外に出ると、外の世界はさっきと同じただのトイレだったが、あの極限状態から脱した後は違って見えた。

異常事態は終わり、日常世界に生還してやった、という歓喜と達成感に満たされていたからだ。

当時のトイレのイメージ

私はトイレの光景を見て、あんな感慨に浸ったことはない。また、今後もないだろう。

同時に他校の不良少年たちの攻撃に耐え抜き、敢闘したという充実感に満たされていた。

これは災難ではあったが、あの勇敢なキャストの助けもあったとはいえ、私の偉大なる勝利だと。

命の恩人たるくだんのキャストにお礼を言うべきだったが、ヤンキー共々トイレ内にはもういないから、別にいいだろう。

とにかくトイレの外に出よう。外では美しい夢の国が待っている。

だが、それは間違いだった。

奴らは出入り口で私を待っていやがったのだ。

夢の国でのひとり悪夢

「このウンコ野郎、やっと出てきやがったか」

そう言って剣呑な目つきで出入り口をふさいでいたのは、ヤンキー漫画のリアル版のような不良中学生七人。

さっきの連中であろうことは間違いないが、剃りこみ頭や染めた髪で、変形学生服を着た本格的な奴らだった。

写真はイメージです

どういうことだ?キャストに追っ払われたんじゃなかったのか?

私は一瞬キツネにつつまれたようにあ然とした。

「ダメダメ!トイレの中へ戻ってください!」

ヤンキーたちの中の一人、眉なしのデブがおどけて言ったその声も口調も、あの恩人だったはずのキャストそのもの。

「オメー、バカじゃねえの?フツーひっかかるか?」

茶髪のヤンキーの一言で、私は彼らの打った猿芝居に、見事に騙されたことを知った。

「そりゃそうとオメーよ、俺らにずいぶんナメたマネしてくれたな」

と、同じ中学生、いや同じ人類とは思えないくらい凶悪な人相のヤンキーたちが私を囲む。

恐怖のあまり穿いていたブリーフの前面が、用を足した直後にもかかわらず尿でじわじわと濡れてきたその時の感覚を、今でも覚えている。

震えあがった私は「え、俺知らないよ」と苦しい嘘をついたが、「オメ―しかいなかっただろう!」と一喝され、トイレの中に連れ込まれた。

二人くらいが、見張りのためか出口を固める。

悪夢の本番が始まった。

床に土下座させられた私は、ヤンキーどもに脅されながら小突き回され、頭を踏まれ、手数料だとかわけのわからない面目で、金を巻き上げられた。

旅行先でのカツアゲに備えて、靴下の下に紙幣を隠すなどの危機管理を行う修学旅行生もいるようだが、当時の私にとってそんなものは想定外であり、財布の中に全ての金があったために有り金全てを強奪された。

私の金を奪った後も、彼らは「殺されてえのか」だの「まだ終わったと思うなよ」などと、私の髪の毛を引っ張ったり胸ぐらをつかんだりして執拗に脅し続け、その時間は、個室に籠城していたよりも確実に長かった気がする。

生徒手帳まで奪われた私は「テメーの住所と学校はわかった。チクったら殺しに行くぞ」と脅迫された。

ヤンキーどもは「そこで正座したまま400まで数えたら出ていい」と命じ、最後に「東京に来るなんて百年早えぞ、田舎者!」と捨て台詞を吐いて、私の頭をかわるがわる小突いたり蹴りを入れてきたりして立ち去って行った。

さっきのようにまだ外にいるかもしれず、恐怖に震えるあまり、涙目の私が律義に400まで数えてから外に出た時には、日がだいぶ傾いていた。

ヤンキーたちは、自分たちの犯行が露見するのを恐れてたらしく、あまりこっぴどい暴行を加えてこなかったが、私の受けた精神的な打撃及び苦痛は甚大だった。

私はまごうことなきカツアゲに遭ったのだ。

カツアゲされた気分は、実際にやられた人間にしかわからないと、今でも断言できる。

おっかない奴に脅され、さんざん小突かれて金品を奪われる恐怖と屈辱は、笑い事では済まないくらいの災難なのだ。

しかも私の場合、ずっと楽しみにしていた修学旅行でそれが起こり、一番楽しいはずの夢の国ディズニーランドで、自分だけが悪夢の真っただ中だったから、なおさらである。

信じたくはなかったが、それは事実以外の何物でもなかった。

こんな目に遭うなんて誰が思うだろう?

はしゃぐのは、許されざる罪だとでもいうのか?

予測できなかった当時の私を誰が責められよう。

ランド内で目に入る客たちは誰も彼も楽しそうにしているため、私は余計に前を見ていられず、下ばかり見て歩いていた。

地面がさっきより暗く見えたのは、日が落ちてきたからばかりではない。

私は半泣きだったため、視界が時々グニャリとゆがむ。

私は修学旅行への期待に胸膨らませていた小学六年生からこれまでの三年近くの年月ばかりか、中学校生活そのものが崩れ去ったように感じていた。

もう、何も考えたくなかった。

こんな不幸に遭うことは、なかなかないはずだ。

これに匹敵する不愉快が、その後も立て続けに起こることは普通ありえない。

だが信じられないことに、私の災難はこれで終わらなかったのだ!

それもこの直後の、この日のうちにだ!

神が私に与えた試練?いや、天罰か。いやいや、嫌がらせとしか思えない。

試練にしては明確に害意を感じるし、ここまで罰されなければいけないことをした覚えもない。

私がどの神の機嫌を、いつどのように損ねたんだろうか?

その神による嫌がらせ第二段の開始時刻が刻々と迫っていることに、この時の私はまだ気づかなかった。 

パート2に続く

関連する記事:

最近の記事:

カテゴリー
2021年 ならず者 事件 事件簿 悲劇 昭和 本当のこと

中学生にいじめられた29歳の男の復讐

にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

2001年6月8日、大阪教育大学付属池田小で起きた児童殺傷事件は犠牲になった児童の数もさることながら、学校に凶器を持った不審者が乱入する学校襲撃事件としても、社会に衝撃を与えた。

この事件以後、全国の学校で部外者の学校施設内への立ち入りを規制したり、警備員を置くなどの安全対策が取られるようになり、もはや、学校は無条件に安全な場所ではないという考えが国民の間で広まった。

しかし、不審者が学校に侵入して生徒を無差別に襲うという事件は、この池田小事件が日本初ではない。

それより13年前の1988年7月15日、神奈川県平塚市のY中学校で、同様の学校襲撃事件が起きていたのをご存じだろうか?

この事件では死者こそ出なかったものの、鎌や斧を持った男が中学校に乗り込み生徒たちを無差別に攻撃して、8人を負傷させた。

犯人の男は教職員らに取り押さえられて逮捕されたが、その犯行動機たるや、あまりにもあきれたものだった。

ボブ

橋本健一(仮名)

犯人の橋本健一(仮名)は、事件のあった平塚市立Y中学校から、200メートルほど離れた団地で、両親や妹と同居していた29歳の無職。

子供のころから自閉症気味で家に閉じこもりがちだった橋本は、中学卒業後に就職したものの、一年とたたず辞めており、以降、働くこともなく実家に寄生して、ニート生活を送ってきた。

ニートとはいえ、ずっと家に閉じこもりっぱなしの引きこもりではない。

働いていない彼は毎日ヒマにまかせて、家のママチャリに乗って近所を徘徊しており、よく向かっていた先がY中学校であった。

中卒の橋本には中学校に特別な思い入れがあったと思われる。

付近をうろつくだけではなく、校内に入っていくこともあった。

そして、女子生徒がグラウンドで体育の授業を受けていようものなら、それを凝視してニヤニヤしていることもあったし、下校途中の女子生徒をつけまわしたりもした。

完全に不審者そのものである。

行動だけでなく外見も相当怪しい。

ひょろっとした150cmほどの小男で、うつろな目をしたおかっぱ頭の橋本は、見る者に異様な印象を与えた。

そんな妖怪のような成人の男を、生意気盛りの中学生たちが放っておくわけがない。

事件が起こる5年ほど前からY中学校の生徒たちは橋本をからかうようになってきた。

中学生たちが橋本に付けたあだ名は「ボブ」。

それは、彼のおかっぱ頭がボブカットのようであったことに由来する。

そして身なりも行動も怪しく、何より弱そうな見かけだった橋本へのちょっかいが「いじめ」へとエスカレートするのに、時間はかからなかった。

中学校に近づくと大声で罵声を浴びせられたり、唾を吐きかけられたり、石を投げられたり、傘で付かれたり、足蹴にされたり。

橋本は基本無抵抗だったが、時々怒って抵抗することもあった。

しかし「それはそれで面白い」と嫌がらせがグレードアップする始末で、中学生も一人ではない場合が多かったため、よってたかって殴るけるの返り討ちにされたこともあったらしい。

ならば近づかなければいいのだが、橋本はY中学校に出没することをやめなかった。

事件の前年には、中学校の運動会の最中に校内に入ってきた橋本を生徒たちが競技そっちのけで迫害、玉入れに使う玉を、数十人が一斉にぶつけた。

この時は、さすがに教師も止めに入ったようだが、悪ガキどもにとっては、きっと運動会の競技より楽しかったことだろう。

また男子だけでなく女子も面白がっていじめに参入することもあったし、小学生までもが、橋本の自転車を囲んで荷台を引っ張ったりしてからかうようになってきた。

家にいても安全ではない。

どうやって知ったか、中学生たちは橋本の住所や電話番号を知っており、自宅に石を投げ込まれたり、いたずら電話をかけられたりもした。

はたから見て自業自得の気が大いにするし、どう見ても、いじめられに行っているとしか思えない橋本だが、なぜこういう目に遭うのか理解できず、我慢ができなかったようだ。

一度Y中学校に、以下のような手紙を書いて抗議したことがあった。

「先生一同、日ごろ子供たちに嫌がらせをされ、つばを吐かれたり悪口を言われたりして困る。しっかり指導してほしい。弱い者は、いつもいじめられても黙ってがまんしていなければならないのか」

この抗議を受けて、学校側も生徒たちにある程度の指導はしたようだが、そんなことで思春期のガキどもが改心するなら、中学教師は苦労しない。

この時代のY中学校の生徒たちも同じで、いじめは相変わらず続く。

1988年(昭和63年)4月、Y中学校は新年度を迎えた。

橋本は学校に抗議した上に、旧三年生が去って新一年生が入ってきたことで、自分へのいじめはなくなると考えていたようだが、中学生を甘く見てはいけない。

在校生たちは、それまでと同じく橋本を見かけると嫌がらせをしてきたし、その悪しき伝統は、ほどなくして入学したばかりの新一年生にも、順調に受け継がれた。

そしてこの年、それまで橋本の心に蓄積されてきた怨念が飽和状態を超えて臨界点を迎えて爆発、事件に至ることになる。

臨界点

抗議したのに、自分へのいじめはなくならない。

橋本の中では、生徒たちばかりではなく、学校全体が敵に思えてきた。

溜め込める怨念には許容量というものがある。

もう我慢できない。

彼は平塚市内のスーパーなどで刃物類を買い集め始め、7月になったころには、鎌2丁、斧1丁、文化包丁や果物ナイフ6丁を揃えていた。

自分を虐げてきたY中学校の生徒たちを、片っ端から血祭りにあげる気になっていたのだ。

やるなら夏休みが始まる7月20日前にやろうと心に決めながらも、普段通りY中学校校内に入った7月13日。

「おい、ボブが来やがったぜ」

「ナニまた入ってきてんだよボブ!消えろ!!」

「またやられてえのか?コラ!」

「ボールぶつけっぞ!オイ!!」

この日グラウンドで練習をしていた野球部の部員たちだ。

卓越した運動能力を有する彼らは、同時に最も元気の良い一群でもある。

橋本の姿を認めるや、迫力満点の罵声を浴びせてきた。

野球部員たちにとっては、いつもどおりのことだし、皆もやっているから、特に大したことだとは考えていなかったであろう。

だがこの行為が、橋本に凶行の実行を決意させるトリガーとなったことを、彼らは知る由もなかった。

暴走

二日後の7月15日金曜日午前10時40分ごろ。

授業が行われているY中学校に、橋本が現れた。

いつもと違うのは、校舎にまで入り込んだことと、その手に紙袋を持っていたことである。

紙袋の中には二、三か月かけて買い集めた斧や鎌、刃物。

一昨日の決意を実行に移すためだ。

橋本が校舎に入って最初に向かったのは、校舎三階の音楽室。

歌声に交じって聞こえる声から、授業をしているのが女性教師であり、やりやすいと考えたからである。

その音楽室では、一年五組の生徒41人が合唱の練習中だったが、橋本が袋から出した鎌を片手に突然ドアを開けて入ってくると、歌うのを止めて静まり返った。

一瞬あっ気にとられていた一同だったが、橋本が無言のまま一番近くにいた男子生徒に鎌を振り下したとたん血が飛び散るや悲鳴が上がり、室内は大パニックとなった。

橋本は斧も取り出して、椅子や机を倒しながら、逃げ回る生徒に次々襲い掛かかる。

自分をいじめたことのある生徒だったかどうかは関係がない。

橋本にとって、このY中学校の生徒であるというだけで罪なのだ。

退屈だが平穏だった学校での日常は、最悪の非日常へと急変した。

この教室では、合計3人が頭や腕を切られて負傷する。

教室から逃げた生徒を追いかけて、廊下に出た橋本が次に向かったのは、一教室おいて隣接する一年四組の教室。

ここでは、最前列の入り口付近に座って国語の授業を受けていた生徒を真っ先に切りつけた。

蜂の巣をつついたような騒ぎとなった教室内部に、すかさず乱入し、無言で右手に鎌左手に斧を振り回して、生徒たちを追いかけ回す。

音楽室同様、教室は生徒たちの悲鳴に交じって、女性教師の「みんな逃げて!逃げて!!」という叫び声が、こだまする修羅場と化した。

橋本は四組で生徒3人を血祭りにあげると、より多くの生贄を求めて、上の四階に向かった。

四階でも二年生が授業を受けていたのだが、下の階から尋常ではない大声が聞こえてきたため、生徒たちが何ごとかと廊下に出てきていた。

そこへ下の階から上がってきた橋本が襲いかかり、生徒が2人やられた。

その勢いで、別の教室にも向かおうとした橋本だったが、その前に立ちはだかる者たちがようやく現れた。

Y中学校の教職員だ。

椅子を持って橋本を取り囲み、じりじりと近寄ってくる。

鎌や斧で武装しているとはいえ、複数の成人男性相手には分が悪かった。

壁の一角に追い詰められ、ナイフを出して抵抗しようとしたが、教職員の一人に組み付かれて取り押さえられた橋本は、観念して凶器を捨てた。

逮捕後

この凶行では死者こそ出なかったものの、生徒8人が負傷し、うち一人は、全治一か月の重傷であった。

負傷した生徒

教師たちに取り押さえられた橋本は、その後通報により駆け付けた平塚署の警察官に連行された。

平塚署では、刑事たちに動機などを厳しく追及されたが、橋本は犯行時と同じく無言だった。

黙秘していたのではない、しゃべれなかったのだ。

小さいころから、人と話すことが極端に少なかったために声帯が発達せず、大きな声で話すことができなかったのである。

そのため取り調べは、橋本に供述を紙に書かせるという異例の形になった。

「復しゅうした。今年と去年、一昨年にY中学の生徒に悪口を言われたり、石をぶつけられたりした…」

「冬には雪だまを投げられたり、家に石を投げられたりした。学校に『何とかしてくれ』と言ったが、何もしてくれず、無視された」

「この学校の生徒ならば誰でもよかった。殺すつもりはなく何人かやれば気が済むと思った」

橋本は筆談でそう供述した。

さらに凶器を入れていた紙袋から、Y中学校への恨み言や襲撃したことの動機などが丁寧な字で書きこまれた大学ノートも見つかる。

そこにはこう書かれていた。

「ボブ、バカなどと一日多いときで四、五十回も悪口を言われる。本当にムシャクシャする。皆殺しあるのみ」

事件後、新聞記者の取材に答えた生徒の一人は「いじめているという気持ちはなくて、遊んでいるつもりだった」と殺人犯による「殺すつもりじゃなかった」と同じような無責任な言い訳を吐いていた。

また「僕らも悪かったかもしれない」と殊勝な答えをした生徒もいた。

いずれにせよ、襲われたY中学校の生徒たちにとっては、身も凍る衝撃的な事件となったようである。

弱い者いじめによって自分に返ってくるかもしれない結果を、全校生徒が思い知らされたのだ。

事件後の現場検証

筆者の私見

私事ではあるが、Y中学校での事件が起きた当時、1975年生まれの筆者は中学二年生。

つまり、被害に遭った生徒たちと同年代であったから、この時の報道をよく覚えている。

もうおっさんに近い年齢の大人の男が、自分たちと同世代の中学生にいじめられたこと自体カッコ悪いのに、その報復に凶器を持って学校に乱入したんだから「みっともないったらありゃしない」とあきれ返ったものだ。

そして、私が通っていた中学にも、橋本のような部外者がよく校内に入り込んでいた。

「キチ」と皆に呼ばれていた知的障害のある二十代後半の男だ。

だが、「キチ」は「ボブ」のようにいじめられることはなく、わが校の生徒たちは、キチと一緒に遊ぶなど、一見友好的な関係を保っていた。

これはY中学校の生徒たちと違って、わが母校の生徒たちが善良だったからではない。

キチは怒らせると本当に危険なことで有名で、生徒たちも怖くて嫌がらせできなかっただけだからだ。

ボブがキチのように危険な側面を持っていたら、Y中学校の生徒も手を出さなかったはずである。

当時のだろうが今のだろうが、この世代のガキは変わらない。

弱い者いじめは、娯楽だと考えている。

相手がこちらにとって危険でなかったら、いつまでもやり続けるし、たいして深刻に考えることもない。

一方のやられる側は、それに慣れることはなく、怨念が積もり積もっていく。

それが限界を超えたら、あるものは自殺という「消極的な」手段をとるし、ボブのように「積極的な」手段に訴える者もいる。

起こりうるどちらか一方が起きたのだから、Y中学校の事件は、必然的に発生したものではないだろうか?

また、消極的より積極的な手段を採用した方がましだと思うが、ボブの良くないところは、いじめられる原因を自分で作った以外に、無関係の生徒に積極的な手段を行使してしまったことである。

せめて自分に嫌がらせをした張本人に向けていれば、多少は肯定的にとらえることができたかもしれないと思うのは、私だけだろうか?

出典元―読売新聞、毎日新聞、毎日新聞社『昭和史全記録』

まんがでわかる ヒトは「いじめ」をやめられない

最近の人気ブログ TOP 10:

関連する記事:

最近の記事: