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「集団就職」という雇用の形態が、かつての日本にはあった。
ご存じの方も少なからずいらっしゃることであろうが、一般的には高度成長の時代に盛んに行われた、地方の中卒者らが大都市の企業や店舗などへ集団で就職することを指す。
「金の卵」とも呼ばれた彼らは年端もいかぬ年齢で親元を離れ、故郷から遠く離れた都会の職場でホームシックに苛まれながら厳しい労働に耐え、ある者は後にその会社の中核となったり、またある者は起業して経営者となったりと、日本の発展を支える存在となっていったことはもはや伝説と言ってもよいだろう。
だが、伝説に謳われているように職場で懸命に働いた努力が報われて成功した者たちばかりではなかった。
中には厳しい環境に耐えられずに離職してしまった者もいたが、そもそも、その職場環境自体が人間の生存に適さない、すなわち超ブラック企業だった場合も多かったのだ。
本ブログでは『週刊明星』1959年4月26日号に掲載された記事から、こうした悪辣な企業の餌食になって夢も希望もつぶされて故郷に逃げ帰った少年たちを例にとり、集団就職の暗部をご紹介しよう。
祝福されて地獄へ送り込まれた少年たち
1959年(昭和34年)3月25日午前9時、群馬県高崎市市役所前から、七台のバスが出発した。
それぞれのバスに乗っているのは、つい先日中学校を卒業したばかりの少年少女たち約240名、職安や教員ほか同市の関係者らに盛大に祝福されて集団就職のために東京へ出発する「金の卵」たちである。
バスの外では彼らの親たちも駆けつけ、寂しさと感慨の入り混じったまなざしで、我が子の早めの巣立ちを見送っていた。
まだ十代半ばの少年少女たちは、涙をにじませて窓の外の親兄弟たちに手を振り、親元や故郷を離れる心細さやこれから始まる新たな生活への大いなる不安とかすかな希望を胸に一路大都会東京へ向かう。
若者たちを乗せたバスは国道17号線を南下し、およそ100㎞先の東京都千代田区にある九段会館に到着したのは正午過ぎ。
ここ九段会館では、在京の群馬県出身の有力者による「受入式」という大げさな式典が行われ、彼らは地元群馬県選出の自民党幹事長・福田赳夫(後の第67代内閣総理大臣)などお偉方の長ったらしい祝辞を聞かされた後、それぞれの就職先の責任者らに連れられて東京各地に散って行くことになる。
このように大仰に送り出された「金の卵」たちの中に阿部慎(仮名)、江田紘孝(仮名)、松林宜秀(仮名)という三人の少年が含まれていた。
彼らは他の者たち同様、ついこないだ中学の卒業式を終えたばかりで、就職先は高千穂ランプ(仮名)という自転車や自動車のランプ及び関連部品を製造する従業員数180名あまりの中小企業だ。
新しい職場へ行くことは何度転職を経験していたとしても期待より不安が勝るものだが、15歳かそこらで社会へ放り込まれることになる安倍たちにとってはなおさらである。
そうは言っても、大きな安心材料もあった。
それは出身中学こそ違えど同じ群馬県出身で、これから同じ職場へ向かう“戦友”が17人もいたことだ。
また、彼らには他にもこれからの新生活に期待を持たせる要素もあったようである。
阿部慎は地元高崎の職安で高千穂ランプの社員寮には当時まだ広く普及していなかったテレビがあると聞かされており、仕事終わりには、毎日実家にはないテレビが見れるであろうことを楽しみにしていた。
また、家を出る際に母親がいなりずしを持たせようとしてくれたが、昼食くらい出してくれるだろうと思って持ってこなかったという。
江田紘孝は、野球を見るのもやるのも大好きだ。
安倍と同じく地元の職安で高千穂ランプの社長と面談した際に「野球が好きだ」と言ったところ、社長はにこやかに「そうか、君は野球が好きか。じゃあ、仕事に慣れてきたら、みんなで野球大会をやろう」と言ってくれたらしい。
「社会人になっても野球ができる!」と、その時江田はうれしくてうれしくて仕方がなくなり、これから始まる社会人生活も悪くないだろうと信じていた。
松林宜秀は比較的向学心が旺盛で、家が貧しい農家でなかったならば高校に進学していたはずの少年である。
彼は姉に買ってもらったノート十冊と万年筆を持参し、通信教育を受けるための会費も払い込んでいた。
仕事の傍ら勉強するつもりだったのだ。
しかし、彼らのほんの些細な希望は入社早々ことごとく裏切られるばかりか、絶望のどん底に叩き込まれることになる。
情報が限られていたうえに社会経験が未熟な中学生だったから仕方のない話だが、知っていたのならば従業員数180人の会社に群馬県出身の新入社員だけで17人というのが何を意味するのか気づくべきだった。
高千穂ランプはパワハラや長時間労働が横行するブラック企業だらけだった昭和30年代においても、その漆黒さがトップクラスの超ブラック企業だったのだ。
時間も金もむさぼられる金の卵たち
少年たちが社会人生活をスタートさせることになる高千穂ランプは東京都東部の江東区にあった。
安倍は初日となるその日のうちに、高千穂ランプの工場の二階にある「第一寮」と呼ばれる社員寮に入居したのだが、第一日目から嫌な予感を感じることになる。
その部屋は日当たりが悪くて暗く、背の低い安倍でも手を伸ばせば手が届くくらい天井が低いのだ。
また、その部屋は八畳ほどの広さしかないのだが、入居者は安倍とそれ以外の新入社員七人。
一人あたり一畳しかスペースがなく、楽しみにしていたテレビもない。
「受入式」でも会社からも昼食すら出なかったし、この住環境を前に少々嫌な気分になったが、その日は一つ屋根の下で同じ年頃の少年たちばかりということで修学旅行のようなノリになり、荷解きをしながらワイワイ言っているうちに、そんな気分は消えていった。
しかし、翌日になって少年たちは超ブラック企業の洗礼を本格的に受けることになる。
第二日目となったその日、他の者たちと一緒にさっそく工場に投入された安倍は、コンベアの上でヘッドライトを組み立てる作業を任された。
それは新人でもすぐできるようになる簡単な作業であったが、初めてやる作業なんだから、もう一度やり方を確認してからやるべきだ。
そう思った慎重な性格の阿部が職長と呼ばれるこの現場の責任者である中年男に作業のやり方を改めて聞いた時、社会に出てまだ二日目の彼にとって信じられない反応が返って来た。
「説明してやったろ?二回も聞くんじゃねえ!!だいたい仕事ってのはな、見て覚えるモンなんだよ!!!」
と、とんでもない大声で怒鳴られたのだ。
確認しようとしただけなのに、何でこんな剣幕で怒られなければならないのか。
安倍は一挙に委縮した。
どの時代のどの職場にもいるが、「仕事は見て覚えろ」と言う奴は新人に指導することを面倒くさがっているだけであることが多い。
この職長は、まさにそんな手合いであったようだ。
そして、こいつは怠慢で気が短いだけでなく陰険な奴でもあった。
「こんなのバカでもできる仕事だけどよ、オメーは初めてなんだからこれやれ」と、
もう一人の新人である松林にランプ磨きを横柄に命じたのだが、さっき安倍を怒鳴った剣幕を見て縮みあがっていた松林は緊張のあまり手を滑らせてランプに指紋をつけてしまう。
すると「このボケ!そんなこともできねえのか!!」と罵声を浴びせたばかりか、
「おい!オメーら!!このバカみてーにボケーっと仕事してんじゃねえぞ!」などと、他の人間に聞かせるように松林を吊し上げるのだ。
新入社員たちは一挙に凍り付いた。
こんな横暴な奴が上司で、気持ちよく働けるわけがない。
さらに高千穂ランプは、労働環境や待遇も負けず劣らず劣悪だった。
会社の始業時間は午前8時ということになっていたが、実際は午前7時から開始であり、その一時間分の時間外手当はつかない。
そして残業は午後10時くらいになることもあり、休日にいたっては月二回。
寮で出される食事も貧相かつ劣悪で、米は異臭漂う三級品。
おかずは、朝は菜っ葉と味噌汁、昼はカブの煮つけとつくだ煮、夕は漬け物だけで魚がつくことすら滅多にない。
極めつけは一月の給料が5500円だったが、そこから寮の食費(2500円)、積立金(1000円)、作業服代や寮費などを差っ引かれると手取りは1000円しか残らないことが先輩からの話で判明した。
タコ部屋顔負けの搾取である。
一週間にもなると「こんなトコ辞めたい」が彼らの合言葉になったというのも無理はない。
そして翌4月になって、早々それを実行に移した者が現れた。
仕事の傍ら勉強しようとしていた松林だ。
横暴な職長や奴隷労働そのものの職場環境には、もちろん我慢ができない。
何より、勉強して知識をつけ、金をためて独立しようともくろんでいた松林は、高千穂ランプの長時間労働と薄給ではそれが半世紀くらい後にならないかぎり不可能であることに気づいたのだ。
4月2日、彼は「実家に相談しに行く」と仲間たちに告げて寮を出て行ってしまった。
松林の離脱がトリガーとなり、翌3日にはテレビを毎日見れるという約束を反故にされた安倍と野球をする時間もないことに不満の江田、そして他数名の少年たちが早朝に寮から脱走する。
故郷へ向かう列車が出る上野駅で「雇い主に黙って出てきたんじゃないか?」と警官に呼び止められて補導されはしたが、ひどい職場環境であったことなどを説明した結果、会社に戻されることなく群馬に逃げ帰ることに成功した。
無責任で薄情な大人たち
当時の『週刊明星』の記者は少年たちに取材したばかりではなく、高千穂ランプや送り出した群馬県の関係者にも話を聞いている。
まず張本人の超ブラック企業「高千穂ランプ」常務・石黒勉(仮名)は取材に対しこう語った。
「中小企業は労働基準法どうりやってたら経営が成り立たないんだよ。だいたい、そんなきついことやらせてないはずだよ。何で逃げたかわかんないね。職長がおっかなかったとか言ってるみたいだけど、あの人は職人気質なんだから仕方ないだろう」
すがすがしいほど奴隷労働をさせていたという意識も反省もない。
石黒という奴は、ブラック企業の役員どころか、限りなく奴隷商人に近い思考回路の持ち主であると言わざるを得ない。
そして、安倍の中学三年生時のクラス担任だった瑞田由紀子(仮名)は、
「一生その会社でコツコツやるという意識がない子が最近は多いですね。理想と現実が合わないとすぐやめてしまう」
もう卒業してしまったら、教え子ではないとばかりに他人事だ。
昔の教師もこんな手合いはいたようである。
もう一人の当事者で、安倍たちに高千穂ランプを紹介した職業安定所職業課長の幸迫義則(仮名)は、
「高千穂ランプは定着率が悪くってね。毎年三分の一はすぐやめて、こっちに帰ってきちゃうんだよ。あそこは管理がなってないんじゃないかな」
定着率が悪いことや管理がなっていないのを知っていて紹介したということだ。
紹介して送り出しさえすればよいという考え方で、その後は知ったこっちゃないと言っていると理解すべきだろう。
『週刊明星』によると、高千穂ランプでひどい目に遭った安倍たち以外にも、
「雇い主の子供に殴られているのに、その雇い主である両親は黙って見ていて止めようともしない」
「御用聞きに行った客先で待たされて、帰ってきたら「帰ってくるのが遅え!」と怒鳴られた」
「雇い主の主人と妻が夫婦喧嘩し、八つ当たりされた」
などなど雇われ先で理不尽な目に遭わされた少年少女は少なくなく、記事が掲載された昭和34年の4月8日の時点で、職場から故郷に逃げ帰ろうとして上野駅で保護された者が32名もいたことが報告されている。
単に根気がなかっただけの者もいたんだろうが、就職ガチャで大ハズレを引いてしまった不幸な者も多かったはずだ。
もっとも、高度経済成長中とはいえ、まだ貧しかった当時の日本は、他人をそこまで思いやるほど余裕のある社会ではなかったとも考えられる。
また「金の卵」とかいいつつも、少子高齢化になって久しい現代の日本と違って、若者は吐いて捨てるほどいたから、代わりはいくらでもいたと多くの職場では考えていたのではないか。
だがいずれにせよ、多感な十代中盤で社会に出たとたんに最悪の職場に出くわしてしまった安倍たちは、その後の人生に深刻な悪影響が出たはずだ。
本ブログの筆者の体験から言って、社会に出たばかりの時の経験は、後々の社会人人生に大きく影響する。
社会人一年生の時点でひどい会社に入ったり、ひどい上司にパワハラを受けてすぐやめてしまった経験は、言い方は悪いが強姦されたに等しい災難で、働くこと自体怖くなってしまう。
集団就職で入った都会の勤め先から逃げた少年少女たちの中には、その悪夢から一生を棒に振るほどの精神的ダメージを負った者もいたのではないだろうか。
群馬へ逃げ帰った安倍は、暗い目で記者にこうも言ったという。
「東京の人間はウソつきだ」
2023年の現在、もう八十近い年齢になっているはずの彼が、いずれかの時点で立ち直ってやり直し、今は安らかな老後を送っていることを願わずにはいられない。
出典元―週刊明星
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