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西成暴動 ~バブル期の日本で起きた大暴動~

今から30年前の1990年、すなわち平成2年の日本はどのようであったか?
そう、まだバブル景気真っただ中だった。
– 平成史全記録

今から30年前の1990年、すなわち平成2年の日本はどのようであったか?

そう、まだバブル景気真っただ中だった。

モノは飛ぶように売れ、庶民は財テクに走り、海外旅行に行ってはブランド品あさり。

就職難とも無縁で、誰もが空前の好景気を実感できた時代。

経済の凋落が著しく、失われた30年となることが決定的となりつつある現在の日本と比べると、素晴らしい時代に見えるはずだ。

だが当時を生きていた人々が皆そう思っていたわけではなかった。

特に大阪市西成区北部に位置する通称「あいりん地区」で生きていた日雇い労働者たちは。

日本人が最も幸福だったはずの1990年10月2日に、彼らは大暴動を起こした。

大阪市西成区の通称あいりん地区は釜ヶ崎という旧名でも呼ばれ、日雇い労働の斡旋所があり、労働者向けの簡易宿泊所や飲食店が軒を連ねるドヤ街である。

多くの日雇い労働者が集まるため、中には怪しい人間も交じり、暴力団事務所も多いことから治安が悪いことでも有名な地域だ。

暴動のきっかけは、このあいりん地区を管轄する西成署の刑事課の捜査員が、西成を縄張りとする暴力団から捜査情報の見返りに賄賂を受け取っていたことだった。

この当時はバブル景気真っただ中で日雇い労働者たちも仕事にあぶれることはあまりなかったが、その暴力団は日当をピンハネするなど労働者たちを食いモノにしており、一方の西成署員たちは労働者たちを普段から犯罪者扱いして邪険にしていた。

その憎むべき両者が結託していたことに労働者たちが激怒し、西成署前に押しかける。

「出てこい汚職警官!」「税金ドロボー!」

折しも夕方だったために、仕事明けの労働者たちが西成署の前に続々集まって怒声やヤジを張り上げた。

労働者たちに盾を持った署員や機動隊員が立ちはだかったが、やがて騒動はその警官隊に向かっての投石にエスカレート。

午後八時には、約500人にまで膨れ上がった労働者たちが車や道路に積み上げた自転車に火を着け、本格的な暴動に発展していった。

明けた10月3日、午前中のうちに日雇い仕事にあぶれた労働者ら数百人が集結して警官隊に向けた投石が始まり、各地から応援を得て1500人まで増員された機動隊は放水車まで使った鎮圧に乗り出す。

この当時はデモ隊との衝突が頻発した安保闘争の時代からすでに二十年が経過しており、警察側にも暴徒鎮圧のための経験が不足していため、冷静さを失った隊員たちは制圧のために過剰な暴力を行使する。

だが、暴動は一向に収まる気配はなく、いたるところで車や自転車が放火されて炎上。

道路のど真ん中で、火をつけられたプロパンガスが炎を噴き上げるなど異様な光景が西成で展開された。

暴動三日目となった10月4日。

このころから群衆の中に中学生か高校生の年代の少年が混じるようになる。

労働者の起こした暴動に便乗してひと暴れしようとやって来た不良少年たちで、彼らの出現によって西成暴動は最悪の規模に発展した。

彼らは機動隊に向かって火炎瓶を投げる一方、自動販売機や商店を破壊して略奪を始めたのだ。

この日の夜、暴動はピークに達する。

騒動は西成区ばかりか隣接する浪速区にまで拡大。

車ばかりか阪堺電軌阪堺線・南霞町停留場が放火されて全焼し、翌5日未明までにこうした放火が12件を数えるほど事態は悪化した。

四日目となった5日も小競り合いが続いたが、大阪府警は前日より1000人多い約2500人もの警官を動員して警備体制を強化。

検問や通行止めなどによって過激な行動に出る若者らと群衆を分断し、なんとか大規模な騒動を回避するのに成功した。

この日を境に西成暴動はようやく終息に向かう。

翌6日にも数十人規模の抗議活動は行われていたが、もはや投石や放火などが発生することはなくなり、西成暴動は終結した。

このあいりん地区で起きた暴動はこれが初めてではなく、この1990年の暴動の17年前にも発生しており、通算22回目の暴動だった。

しかしこの第22次西成暴動は被害の程度から、これまでに起きた中で最悪のものだったと言われている。

その後、あいりん地区では1992年(平成4年)10月に第23次、2008年(平成20年)6月にも第24次西成暴動が発生しているが、そこまでの規模には発展していない。

相変わらず日雇い労働者の集まるドヤ街ではあるが、現在では簡易宿泊所の安さに魅かれてやってくる外国人旅行者もおり、しょっちゅう暴動が起きたことから「西成ライオットエール」という危険なネーミングの地ビールまで製造・販売されている。

日雇い労働者の高齢化が進んだからか、あいりん地区から、かつてのような危険な匂いは薄れてきているようだ。

それは平成・令和と時代が移り行くうちに、昭和の毒々しさや荒々しさが失われたということでもある。

現在のあいりん地区には、平成が始まったころまでは残っていた、良くも悪しくも活力があった時代の面影はない。

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