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学校に通っていた頃を思い出すと、教えを受けた教師の中には「怨師」と言わざるを得ない者がいる。
恩師ではない、怨師だ。
学生時代の自分を導いてくれて、終生その恩を忘れるべきではないのが恩師だが、怨師はその真逆。
自分を目の敵にしているとしか思えず、感情的になって面罵してきたり、あるいは体罰を加えてきたり、はたまた同級生の前でさらし者にしたりした教師のことだ。
多感な時期に屈辱的な思いをさせられ、何年たっても、あれは個人的な好き嫌いからヒステリーを起しただけだとし考えられないし、今の自分のためにも一切なっていないから思い出しただけで腹が立ち、許すことができない奴のことである。
拙ブログの著者も何人か心当たりがあり、今からでも遅くないから、お礼参りをしてやりたいものだとすら考えたこともある。
そんな筆者が時々夢見るようなことを本当にやってしまった男が、お隣の中国にいた。
実に痛快なことをやってくれたもんだ。
さぞかし爽快な気分になれたことであろう。
だが、そうではなかったようだ。
6.8億回再生された動画
2018年12月中旬、ある一本の動画が中国中を席巻した。
路上で30がらみの男が50代のスクーターに乗った男を呼び止め、何事かなじりながらビンタをくらわせている動画だ。
街中などで発生したもめごとや騒動を、居合わせた通行人が撮影して動画サイトやSNSにアップすることは中国でもよくあることだが、この事件はただの暴行事件ではなかった。
ビンタを食らっている方は張清林という名の中学教師で、ビンタをくらわせている方の30男は、常仁堯という張の元教え子だったのだ。
中国では、日本とは比べものにならないほど教師を尊重する伝統があり、その権威も高い。
その反面で、教師は生徒に遠慮なく体罰をふるう傾向があることが問題視されてきた。
加害者の常仁堯は、中学時代に被害者の張清林に手ひどく体罰を受け、この動画はその報復を20年越しに果たしたところを撮影したものなのだ。
だったとしても、教師に卒業後の教え子が手をあげる動画は中国社会では衝撃的なものであったらしく、6.8億回再生されるほどの注目を浴びた。
常のこの行動には賛否両論があったが、上記の中国ならではの社会的背景もあって、学生時代に体罰を受けた者、もしくは現在進行形で受けている学生の共感もあったようだ。
担任だった相手を20年も昔のことで、あまつさえ公衆の面前でビンタまでするか?と思う方もいらっしゃるかもしれない。
だが、以下に記す常仁堯が実際にされたことを本当にわが身に置き換えることができたとしたら、あなたはそう言えるだろうか?
体罰四天王
加害者の常仁堯は1985年、中国河南省洛陽市欒川県で生まれ、早くに両親が離婚して家庭が貧しかったために恵まれない幼少時代を過ごした。
小学校を卒業した後は、家から遠く離れた欒川県実験中学に入学。
家庭環境が良好ではなかったとはいえ、特に問題行動を起こす生徒でもなかった彼は、順当に一年生を修了する。
だが、1998年に二年生に進級したとたん、学校生活は暗闇に包まれることになった。
それは、担任教師が張清林だったからだ。
当時の実験中学の生徒たちの間では、「体罰四天王」という言葉がささやかれていた。
それは、生徒に加えるせっかんが特に激しい四名の教師を指していたのだが、張清林はそのセンター的存在であると恐れられていたのである。
まだ30代で血気盛んだった張はトガリまくっており、生徒に圧倒的な威勢をふるうことこそ教師のあるべき姿と勘違いしていたらしく、ちょっとしたことでもキレて、生徒をズタボロにするまで体罰を加えることで有名だった。
何をしに学校に来ているかわからない者は、生徒の側だけでなく、教師の側にもいるようである。
そんな暴力教師に、常は目をつけられてしまった。
彼は素行不良で反抗的な少年では決してなかったのだが、張清林の目には、カンに触る生徒と映ってしまったらしい。
張は英語教師で、常が英語を苦手科目としていたできの悪い生徒だったのもあるが、そんな些細なことも含めて、しょっちゅう体罰の餌食にされるようになる。
大声で罵倒されるわ、ビンタは食らうわ、蹴りは入るわ、棒で突かれるわ。
それもクラスのみんなの前だったから、さらし者にされた常のメンツはズタズタになった。
また、張は暴力的だっただけではなく、陰険な教師でもあった。
常の家庭は貧しくて、学費を払うのにも一苦労だったために支払いが遅れることがあったのだが、張は「誰だろな、学費も払ってない生徒は?全く、払うモン払わないなら、学校に来るんじゃないってんだ」と、常をにらみながらクラスメイト達の前で嫌味を言ったのだ。
家庭環境を公開でなじられたも同然であり、これには我慢を重ねてきた常も耐えかねて、この一件を今までのことも含めて校長に直訴した。
どう考えても、担任によるいじめ以外の何者でもないからだ。
さすがの張も校長から注意を受けたらしく、その後はあまりあからさまなことはしてこなくなったが、その裏で教師にあるまじき嫌らしい腹いせをしてくるとは思わなかった。
クラスの中で一番ケンカの強そうな生徒に「常がふざけたことをしたら殴ってもいい。先生が許す」と、そそのかしていたのである。
幸いその生徒は良識のある男で、お墨付きをもらったのを幸いに常仁堯を殴ることはなく、むしろ張清林に言われたことを、そのまま常に伝えた。
常はこの世に神も仏もないのか、という気持ちになったはずだ。
だからと言って、学校で自分が担任からどんな扱いを受けているか家で言うわけにもいかない。
前述のとおり、中国では教師が日本以上に聖職者視されており、それをかさに着て、張のように暴走する教師は少なくはないのだが、親も自分の子供が不当な扱いを受けても、苦情を言いにくい風潮がある。
教師をやっているほどの人が間違っているはずはないという思い込みもあるし、学校に苦情を言おうものなら、子供がより不当な目に遭わされることが中国社会の現実として、大いにあり得たからだ。
最悪の中学生活だった一年間が終わって三年に進級すると、クラス担任も変わった。
常は張の体罰に怯える日々から解放されたが、思春期の心に刻まれたトラウマは消えなかった。
そして、それは中学を卒業してからも常の心に残り続け、20年後の2018年の夏に爆発することになる。
君子報仇(二)十年不晩
常仁堯は中学を出た後、高校、大学と順当に進学・卒業して社会に出た。
浙江省杭州市に住んで自営業を軌道に乗せ、結婚して子供も生まれていたから、はた目には非の打ちどころがないような人生を歩んでいると言えよう。
だが、彼は夜な夜な悪夢にうなされていた。
それは、中学時代に張清林から体罰を受ける夢である。
中学二年生の時の出来事は、トラウマどころか心的外傷ストレス障害にすらなって、常を苦しめ続けていたのだ。
彼は昔のことを引きずりすぎる性格だったんだろうか?
「昔のことなんだから忘れろ」とか、「気にしすぎないようにした方が良い」などとでも言ってやるべきなんだろうか?
そんなことを軽々しく言う者は、本物の体罰に遭ったことのない奴か、人の気持ちを一切考えようとしない無神経極まりない奴、はたまた、体罰を快感と感じる変態だろう。
過剰な体罰に愛は一切ないのだ。
やった方にあったとすればそれは思い上がりであり、やられた方は、理不尽な暴行を加えられたとしか思わない。
そして、それを忘れることはできないのだ。
後に分かったことだが、張清林の体罰の餌食になった者は、常仁堯以外にも数多く存在した。
同級生の中にもこっぴどく殴られたことがある者が何人かおり、その多くが卒業してからずいぶん経つが、いまだに許せないと口をそろえていたという。
常だけが、特別だったわけではないのである。
2018年、そんな中学時代のトラウマをぬぐいさることができぬまま33歳になった常だったが、同年、思い出したくもない記憶を植え付けてくれた張本人の張清林に再会する日が訪れる。
それは全くの偶然だった。
その日、蒸し暑い2018年7月某日、故郷である河南省洛陽市に帰郷していた常は、地元の友達と魚釣りをしようと車を運転していたのだが、途中で釣り道具を忘れたことに気づく。
取りに戻ろうと考え、欒川郷双糖村19号の路上に車を停めて、何気なく路上に目をやった時だった。
常の目が、電動スクーターに乗ってこちらに向かってくる50がらみの男性の姿を何気なくとらえたのだが、その男の顔を見た瞬間に、彼の頭に過去の記憶が一気にフラッシュバックしたのだ。
20年以上前に起こり、今も彼を苦しめる中学時代に受けた体罰の記憶。
その体罰を加えてきた男、張清林の顔だ。
頭が禿げ上がり、年輪を刻んで年相応の顔になっていたが、あの顔は間違いない。
常はとっさに一緒にいた友人に、これから自分がやることをスマートフォンで撮影するように頼んでから、何かに憑かれたかのように車を降りて、やって来るそのスクーターの前に立ちはだかった。
常は周囲の評判によると決して乱暴者ではなく、紳士的でいつも穏やかであることが多い男である。
だが、この時は様子が明らかに変わっていた。
「張清林か?」
常は、突然進行を妨害されて、怪訝な表情をする50がらみの男に尋ねた。
「そうだが」
なおも怪訝な顔をして中年男が答えた瞬間、常の表情が豹変し、普段の彼からは想像できない行動に出る。
「你妈的以前咋削我,还记不记得(テメー、むかし俺をどんなふうにぶったか覚えてるか)!?」
そう叫ぶや、ビンタをくらわしたのだ。
いきなり顔を張られた張清林は唖然としたが、常はなおもビンタを張り続ける。
「十几年过去了知不知道(十数年くらい前のこと知ってるか)!?以前咋削我还记不记得(むかし俺をどんなふうにぶったか覚えてるか)!?」
なじられながらビンタを何発か食らった張は無抵抗であり、それどころか、
「对不起(すまない)」と謝罪した。
20年前からは考えられない、しおらしい態度である。
だが、常はまだ収まらない。
「对不起(すまないだ)?早干什么去了(いまごろになってか)!!你妈的咋当的教师(テメー何で教師やってやがったんだ)!?」
常の表情も言葉遣いも普段の彼からは全く想像もできないほどの剣幕であって、それは20年間溜りに溜まった鬱屈した思いが一気に決壊したかのようだったのだ。
車道上だったために、常は張にスクーターを路肩へ移動させたが、そこでも中学時代に自分が受けた仕打ちについて非難し、張のスクーターを蹴り倒した。
この一連の報復劇は、集まって来た野次馬のうちの何人かが、仲裁に入って常が冷静になるまで約9分間続いたという。
その模様は、先ほど常に撮影を頼まれた地元の友達が記録していた。
と言っても、後に常が語ったところによると拡散させるためではなくて、20年前に受けたトラウマを吹っ切る一助にするための記録にしようとしたという。
常が落ち着いてようやくビンタと罵声から解放された張だったが、大勢の前でひどい目に遭わされてしょげかえり、肩を落として帰って行った。
中国には『君子報仇十年不晩』、すなわち『君子たるもの、復讐するのに10年かかっても遅くない』という言葉があるが、常は20年かかって復讐したのである。
だが、20年間の鬱屈した思いをはらした常は、すっきりしたわけではなかった。
しばらくしてから、自分が張にやった行動は正しかったのか?と思い始めるようになったのだ。
それは徐々に大きくなり、やがて撮影した動画によって、とんでもない騒動が起きることになった。
拡散された動画
ビンタをくらわせた時の張清林は、すっかり丸くなった50過ぎの中年男であり、中学時代の自分に体罰を加えてきた頃のような凶悪さはなくなっていた。
殴られても無抵抗だったし、非を認めて謝罪もしてきた。
何もあそこまでやらなくてもよかったのではないか?
いやいや、この20年間ずっとあいつの顔が頭から離れなかったんだ。
全部あいつのやったことが招いたんじゃないか。
お礼参り以来、常仁堯の心の中に、そのような葛藤が生まれたようである。
確かに思春期のトラウマは消えたが、取り返しがつかないことをしてしまったような気がしてすっきりしない。
その葛藤を振り払おうとしたのだろう。
常は本来、自身の思春期時代のトラウマを落ち着けるためだけに撮影してもらった動画を、同じく中学時代にこっぴどく張から体罰を受けたことのある同級生の楊某に送信する。
同じトラウマを持っているはずの人間と動画をシェアすることによって、自身のやったことの正しさを確認しようとしたようだ。
だが、これが間違っていた。
動画を送った際に「他の人間には見せないでくれ」とくぎを刺したが、その手の約束は、往々にして破られるものである。
楊もそういう約束を守らないタイプであって、その動画を同じく同級生の辛某に送信してしまったのだ。
辛は自分の大親友だから、特別だとでも思ったのだろう。
しかし、この辛はもっとタチが悪かった。
自身のSNSにアップしたりして、常のお礼参り動画を拡散させてしまったのだ。
この元教え子が教師を殴るという動画はSNSのユーザーたちに衝撃を持って受け止められ、シェアにシェアが重ねられてみるみる拡散。
さらに、その過程で動画は切り抜かれて一分程度になり、それも一番の見せ場ともいうべき常が張をののしりながらビンタしている場面だけになってゆく。
こうして前述のとおり、中国全土で6.8億回も再生されるほどにまでなってしまったのだが、この動画を目にして激怒した者たちがいた。
常の通っていた実験中学の教職員をはじめとした欒川県の教育関係者たちだ。
彼らはすぐに殴られているのが欒川県実験中学の教師・張清林だと分かり、警察に通報した。
ただ、当の本人である張清林は被害を一切訴えておらず、常に顔をビンタされてアザを作って帰宅した際は家族に「バイクで転んでしまった」とごまかしていたという。
なおかつ、この一件は彼にとって重大な精神的打撃となっていたようだ。
かつての教え子に公衆の面前で仕返しされること自体恥ずかしいことであるし、何より自分がなぜこんな目に遭ったのか彼にも分かっていたからである。
しかし、欒川県の教育関係者たちはそうはいかない。
いくらひどい体罰を受けていたとはいえ、かつての教師を殴るとは、教育界への許しがたい挑戦だと憤慨していた。
こんなことを許しておけば、自分たちもお礼参りされてもおかしくない。
関係者は常仁堯のことを「ヤクザ、ゴロツキ、社会のゴミ」とまで言って告訴。
年末になって、ここまでの大騒動になってしまっていることに驚いた常はネットの掲示板に「自分の行いが良くなかったのは分かっているが、どうしても中学時代のことが許せなかった」という旨の声明を発表したが、すでに警察は動き出していた。
2018年12月20日、常仁堯は逮捕される。
身柄を拘束されたのは彼の住む杭州市の杭州駅、自ら出頭しようと故郷への列車に乗り込む直前だった。
その後
翌2019年8月、常仁堯は寻衅滋事罪(騒動挑発罪)で懲役1年6か月の実刑判決を受けた。
いくら犯罪者に厳しい中国でも、ビンタを張っただけでこれほどの刑が科されることは通常ない。
欒川県の教育委員会の意向が量刑に大きく影響したのだと思われる。
一方で、判決前には主に常の故郷の人々を中心に、減刑の歎願が行われていた。
自営業で成功していた常は、高校時代の恩師が病気になった際には気前よく治療費を差し出すなど恩には必ず報いる男で、決して教師そのものを目の敵にしていたわけではなかったし、貧しい故郷の人々の援助を惜しまない人格者だったからだ。
だが結局判決は覆らず、懲役1年6か月が確定。
常は刑務所に入れられてしまった。
翌年2020年6月19日、常仁堯は刑期を満了して出獄する。
刑務所の門の前には妻が迎えに来ており、さらには少なからぬ記者まで集まってきていた。
この一件は、それほど社会の注目を浴びていたのだ。
犯歴がついてしまった常だが、支持する者は多く、彼は現在でも自営業で生計を立てている。
ただ、彼は2018年に自分が張清林にやったことを悔いているようである。
出所後に受けた記者の取材に対して「過去に何があったとしても、暴力で報復したのは間違っていた」と語っていたのだ。
それは1年半もの間、刑務所で服役させられたからだけではない。
張は確かに20年前は手の付けられない暴力教師だったが、長い年月の間に人間的に成熟したらしい。
ビンタ動画が話題になった時期、彼の教え子だった生徒に「常って奴は、あんないい先生に何でこんなことするんだ」と言わせるほど温厚で生徒に好かれる教師に変貌していたのである。
いくら昔ひどい体罰を受けたからといって、そんな人物にビンタをくらわしたのは、やりすぎだったと常は感じていたのだ。
何より張にも家族がいて、彼らも傷ついたはずなのは、自分にも家族がいるからよく分かる。
「やらずに後悔するよりも、やって後悔する方が良い」という言葉が存在するが、常の場合は行動を起こさなかったことの後悔より、行動を起こしてしまったことの後悔の方が大きかったようだ。
長年の恨みを晴らしたら、さぞかし気分が良くなるだろうと、やったことのない人間には思えるが、いざ本当にやってしまった人間に言わせれば、大きなむなしさと悔恨が残るものだということを常は身をもって教えてくれたのかもしれない。
出典元―YouTubeチャンネル『英大吉來了』
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