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善良すぎて殺された青年 ~1999年・栃木リンチ殺人事件~ 第四話


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第四話 非協力的な警察~警察は事件にならないと動けないんだよ~

両親の戦いが始まる

10月5日午前、正和の両親である須藤光男・洋子夫妻は、日産の社員寮にやって来た。

もしかしたら息子がいるかもしれないと考えたからだったが、やはり姿が見えない。

携帯電話にも電話をかけてもみたが、留守番電話のままだ。

だが、午前10時ごろ父親・光男の携帯電話に正和から着信が来た。

「おい正和か、今どこにいるんだよ?」

「今、宇都宮の先輩の家にいる」

「父さん聞いたぞ。なんで会社をウソついて休んでるんだ?」

「…」

正和は理由を答えないので、先輩の家にいるならば、代わりにその「先輩」を電話に出すように要求。

電話に出た「先輩」に父親は「先輩ならば後輩が理由もなく会社を休んでいたら、出るように説得すべきではないですか」と注意した。

「申し訳ないです。今、ケガで休んでまして、話し相手が欲しかったので須藤君を誘ってしまいました。明日からは出勤するように伝えます」

「お願いしますよ。あと、正和に代わってください。…あ、正和か。もう社会人なんだからちゃんと上司の人に連絡して、会社に行くんだぞ。それと、父さんと母さん、今寮に来てるから、寮に来なさい」

「…今すぐは無理だよ。仕事にはちゃんと行くから、先に帰ってよ。そうじゃないと会社に戻れないから」

「何でだよ?」

理由も話さず、なぜかかたくなで訴えるような言い方だったが、この時両親は息子の言葉を信じて帰宅した。

そして、この「先輩」とは梅沢のことであり、そのことは翌日に日産の総務課から聞かされて両親も知ることになるのだが、梅沢が親子の会話を聞きながら正和に何を答えるか指示を送っていたことまでは知らない。

その後、日産から連絡があって10月6日から8日まで出勤していたことが知らされ、両親はひとまず安心した。

しかしこの連絡の際、正和が眉なしのスキンヘッドで顔に殴られたような痕があったという肝心なことを伝えていない。

彼は萩原たちから、すでに暴行を加えられ始めていたのだ。

土曜日に正和から連絡があり、今週は帰れないが来週は帰省すると伝えてきた。

父親は無断欠勤の一件をとがめることなく、「楽しみにしてるからな」とだけ答えたが、その後、何度かかけてもずっと留守電であることが気にかかるようになる。

そして、その懸念は当たっていた。

週明けの12日の朝、「今日は体調悪いから自治大病院に行んで会社休む」と、またしてもおかしな電話をかけてきたし、14日には「今宇都宮に部屋を借りて彼女と暮らしてる」という怪電話があり、またしても金を貸してほしいと頼んできたのだ。

当然父親は「日産はどうするんだ?」などと詰問したりしたが、そういうツッコミに対しては、口ごもって答えようとしない。

一方で金の無心に関しては、あまりにも必死な気配を感じていたため、この時両親は金を振り込んだ。

10月18日、同業者の寄り合いに出席しなければならなかった父親に代わって、母親の洋子が日産に行った。

先週にこの日に来るように言われていたからだが、この時驚くべき事実を知る。

何と、同僚の稲垣という社員が、正和のために100万の金を借りて渡し、担保として免許証を預かったというのだ。

また、日産の社員はこの問題に関係したとして、すでに正和と梅沢の二人を呼んで事情を聞いて報告書をまとめていたが、二人の証言が食い違い、梅沢は質問にハキハキと滞りなく返答したのに対して、正和はもごもごとしか答えられなかったために「須藤はウソをついている可能性がある」と締めくくられていた。

さらに、ここで母親は息子が頭をツルツルに剃られて眉がなかったことを知らされたのだが、日産の上司には「ウチの息子も悪いが、お宅の息子ほどじゃない」という暴言まで吐かれてしまう。

ウソを言っているのはどちらか明らかなのに、日産は本当のことを言わないように口止めされていた正和を悪者にしていたのだ。

母親はその後、日産の上司の勧めもあって最寄りの石橋署生活安全課へ正和の家出人捜索願を提出、日産から渡された正和と梅沢についての報告書も合わせて提出した。

その際は、上司と警察退職後に日産の総務に天下った60代の警察OBも同行している。

翌19日、事情を聞いて事態がただ事ではないと感じた父親の満男も母親と再び日産を訪れ、稲垣から100万円を借りさせられた状況の説明を聞いた。

稲垣によると、正和が車で事故を起こしてブロック塀を壊してしまい、修理代として100万円かかると言われたらしい。

その際、ガラの悪い三人の男と一緒であり、脅されているのではと思ったという。

正和は車を持っていないし、ガラの悪い三人というのも引っかかる。

おそらく、中に梅沢も混じっているんだろうが、稲垣は梅沢の顔を知らないからだろう。

犯罪の臭いを感じ取った両親が再び石橋署を訪れて、会社を休んでいること、スキンヘッドにされていること、100万もの金を他人に借りさせていること、ガラの悪い男が周りにいることなどの事情を昨日と同じ生活安全課で説明したが、対応した刑事は冷淡であった。

「借金してんのは息子さんでしょ?なんだかんだ言って面白おかしく遊んでんじゃないかね。警察は事件にならないと動けないんだよ」

信じられない対応であった。

警察にこのように見放されたらどうすればよいのか?

だが、呆然としているヒマはまだなかった。

息子が作った借金を清算しなければならない。

夫婦は、郵便局の簡易保険を解約して100万円を作り、22日稲垣に利息分もつけて返した。

その間、ずっと留守電になっていた正和の携帯に「稲垣さんが借りた金は父さんが何とかするから、安心して家に帰って来いよ」とメッセージを入れたところ、正和から折り返しの電話が来て「ごめん、働いてちゃんと返す」と言っていたものの、いつ帰るかは、またもはぐらかした。

しかも、なにやら背後で笑い声のような声が混じってるのがひっかかる。

実は萩原が携帯電話の裏側に耳を当てて盗み聞きしており、父親らの動きは筒抜けだった。

そして、警察沙汰にはなっていないと判断してもいたのだ。

だが、どうしても不安になった父親は、この日また石橋署に相談したが、刑事の対応はまたも同じであった。

「なんか、息子と話していると後ろで変な笑い声がするんですよ。監禁されてるかもしれないんです」

「息子さん19歳だよね?トイレとか一人になった時とかあるんだから、携帯で助けとか呼べるはずじゃない」

「いや、脅されてるとか。彼女を人質に取られてるとかかもしれないんじゃないですか?」

「憶測でモノ言わんでほしいな。金借りてんのアンタの息子でしょ?ひょっとしたらクスリやってるんじゃないか?」

「じゃあ、クスリの線でいいから捜査してくださいよ!」

「警察は事件にならないと動けないって言ってるでしょ」

話にならなかった。

日産も日産で、長期欠勤していることを理由に、退職願の提出を求めてくるようになる。

これら一連の面倒ごとの元凶は正和と決めつけて、厄介払いしようとしているのが見え見えであった。

そしてその頃、囚われの正和の方は、萩原たちから残忍な暴行を受けるようになっていた。

異常な暴行

日産にも警察にも非協力的な態度をとられながらも、何者かに連れ去られて借金をさせられているとみられる息子・正和の行方を必死で探す父親の須藤光男だったが、実は監禁中の息子の姿を一度目にしていた。

それは、10月27日の晩のことである。

父親は、これ以上借金が重ならないよう、この日は息子の同級生たちの実家や本人にかたっぱしから連絡して、借金の頼みがあったら突っぱねるように呼びかけていたが、しばらくして、宇都宮で一人暮らしをする岡田という同級生の父親から折り返し連絡をもらった。

その父親によると、息子から聞いた話では、どうやらすでに正和に金を貸していて、今晩一部を返しに来るらしい。

岡田の父親は今晩様子を見てくると言うので、光男も同行を願い出た。

父親二人が岡田のアパートに行くと、岡田はかなり慌てたそぶりを見せる。

なんでも、金を貸した際に一緒にいたガラの悪い三人に「親に言ったらただでは済まない」と脅されていたのだ。

父親の光男が現れたら親に言ったことがバレて、自分がどんな報復をされるか分からないと、ビビッていたのである。

だから、その場で連れ帰るのだけはやめて欲しいと懇願されてしまう。

仕方なく岡田の父親と離れた場所で張り込んでいたところ、やがて一台の車がやってきて停まり、誰かが降りたのが分かった。

最初、それが誰なのか分からなかったが、光男はしばらくして、車に戻ってくるその人物を目撃する。

アパートの防犯灯に照らされたその人物は、まさしく正和であった。

なるほど、日産で言われたとおり丸坊主であるのが分かったが、そのまま乗って来た車に乗りこんで去っていった。

これが、息子を見た最後となることを光男はまだ知るわけがないのだが、この後に岡田の口から正和の状態について気になることを耳にする。

右手にグルグル包帯を巻いており、それについて聞くと「ラーメンで火傷した」と言っていたのである。

父親は正和が金を返しに現れた際、腰抜けの岡田との約束など破って、現場に突入するべきであった。

監禁初日から乱暴されていた正和は、その前々日にひどい暴行を受けており、暴行はそれからさらにエスカレートしていくことになるからだ。

そのひどい暴行とは、前々日の10月25日午前3時、正和を連れた一行が、あるビジネスホテルに投宿にした際に行われた。

萩原が部屋に備え付けのキンチョールの噴霧にライターを近づけてできた火炎放射を正和に向けて怖がらせ、楽しんでいた時のこと。

それを見ていた「熱湯コマーシャル」の考案者である梅沢に、悪質なひらめきがあった。

「萩原君、それ、”ヒロヒト”に浴びせるってどう?殴るとか熱湯コマーシャルよりおもしろそうじゃね?」

「おお、そらおもしろそうだぜ」

「いやです!そんなのやめてください!!」

萩原たちが中学時代にいじめていた同級生の名前である「ヒロヒト」と呼ばれるようになっていた正和は、半泣きになって懇願したが、この人でなしのお調子者がやめるわけがない。

「オラ、マッパになれよ」とかどつかれながら全裸にされ、キンチョールを手にした梅沢に火炎を浴びせられた。

「あづい!あづい!あづいいいい~!!!やめてくださいいい~!!!」

正和は泣きわめいて逃げ回るが、梅沢はしつこく追い回し火炎を吹きかける。

そして正和を部屋の一角に追い詰めると、こちらに向けている背中に火炎放射を浴びせた。

「ああああああ~~!!!あついいいい!!!!」

「だははは!こりゃウケる!!おもしれええ!」

萩原しかり、この梅沢も人として必要不可欠な感情がいくつか欠けていた。

正和は、体のあちこちに火を浴びせられ、右手、背中、両太もも、下腹部などに深刻なやけどを負ったのだが、逮捕後に梅沢は体をよじって逃げ回る正和に火炎を浴びせた時の気持ちを「面白かった」と、悪びれもせずに供述しているのだ。

しかもより信じられないことに、三人はこの日の晩に皮膚がむけるほどの火傷を負った正和に対して、熱湯コマーシャルを行っているのである。

岡田のアパートに来た時右手に包帯を巻いていたのは、この火炎放射で負った火傷によるものだが、包帯を巻いたのは医者であった。

実は27日、さすがの萩原も火傷がひどいと思ったのか病院に連れて行っていたのだ。

また、どういうわけか萩原は診断室にも入り込んで同席、正和が余計なことを言わないように目を光らせていたという。

正和は他の部分も火傷していたが、萩原は右手以外医者に診断させなかった。

医者もおかしいと思わなかったのだろうか?

そして、火傷の程度は最重度の第三度であったから放っておいたら治らない重傷だったが、病院に連れて行ったのはこの一回だけであった。

ちなみに、この27日の晩も熱湯コマーシャルは行われ、正和は密室に狂ったような泣き声を響かせたのだ。

萩原たちは、この上なく残忍であると同時に変態でもあり、正和は陰毛を剃られ、オナニーをさせられ、フェラチオさせられ、精液を飲まされるなど、屈辱的な暴行も受けていた。

そして一か月以上にわたり、顔がパンパンに腫れるほど殴られ、火炎や熱湯で体中にやけどを負わされた正和を、さすがに友人知人たちの前に曝すわけにはいかなくなり、それからの萩原たちの要求は正和の両親に集中することになる。

続く

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