カテゴリー
2024年 ならず者 不良 事件 事件簿 悲劇 愛知県 昭和 本当のこと 無念 誘拐

列島を凍り付かせた未成年たちの凶行3~ 1988年・名古屋アベック殺人事件~第三話

PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

第一話 事件の始まり

第二話 大高緑地公園事件

第三話 まず、昭善が殺された

意地の張り合いで決められた殺害計画

2月23日7時30分頃、犯行グループ6人は愛知県海部郡弥富町のドライブイン「オートステーション」に到着、朝食を兼ねて改めて今後について話し合うことにした。

須弥代は小島の車から近藤の車に移され、徳丸が二人を見張る。

話し合いと言っても出席者はシンナーのやりすぎで頭の溶けた者ばかりだし、場を取り仕切る頭の悪い小島からとんでもない案がしょっぱなから出ていた。

「やっぱ男は殺って、女は売り飛ばすしかないて」

空き地での話し合いの時に誰かが冗談半分で言った最悪のプランであるが、驚くべきことに話はその方向で進む。

また、風俗店に売り飛ばせなかった場合は須弥代にも死んでもらうことまでが決められる。

小島は逮捕された後の裁判で、ここでの話し合いでは本気ではなく口だけで言い出したことだったと言い訳をしているが、カップルの処理については誰も「殺すのはだめだ」と言い出すことなく、勢いのまま殺害の方向で固まりつつあった。

この集団、実は事件のつい先日知り合ってつるむようになった者もいたりして関係性は希薄で、互いに相手の腹を探り合うようなところがあった。

ましてや不良なんだから他の奴らに気弱な所は見せられず、常に虚勢を張り続けなければならなかったのである。

店を出た5人は、見張りをしていた徳丸に二人を殺すことにしたと伝えたが、徳丸もあっさり了承した。

これも小島と同じく公判中に徳丸が述べたことだが、この時は本当にやるとは思っていなかったようだ。

つまりこの日の朝の時点において、殺害することは口だけか本気か曖昧なままであったようだが、その本気度はその日のうちに一気に高まって実行に移されることになる。

店を出ると6人は須弥代を再び小島の車に乗せて、2台の車に分乗して移動。

途中で高志だけが帰宅することになり、自宅近くで車を降りた。

無神経な行動

5人になった犯行グループは引き続き二人を連れ回し、9時40分頃に休憩のために「ホテルロペ」に入った。

近藤は、車を借りたに上役に車を傷つけてしまったことを報告しに向かったために、グループは小島・徳丸・龍造寺・筒井の4人となる。

ホテルロペ

この4人は、無神経にも拉致した昭善と須弥代を連れて堂々ホテルに入り、夕方17時ごろまで二部屋に分かれて過ごすことになるのだが、当然ながら同ホテルの従業員に怪しまれていた。

だいたい、こんな目つきの悪い連中の存在自体怪しいのに、その中に顔をこわばらせた男女がおり、しかも顔に殴られたような痕があるからである。

不審を抱いた従業員だったが、すぐに通報しようとはしなかった一方で、彼らが乗ってきたグロリア(小島の車)のナンバーをメモしていた。

後にホテル側がそのメモを警察に提供したことによって、事件の犯人検挙につながることになるのだが、もし、この時に通報していれば殺人事件は未然に防げていたかもしれない。

グループのうち小島と筒井は同じ部屋で、徳丸と龍造寺は別の部屋で昭善と須弥代を見張っていたが、同室で徳丸がまたしても須弥代を彼氏の目の前でレイプしたというから、とんでもない野郎だ。

小島も小島で、当初の計画どおり大まじめに須弥代を売り飛ばそうとヤクザ関係者に電話していた。

考えてみれば、何の罪もない女性を暴行・拉致したうえに、風俗店に売り飛ばそうという発想自体無法極まりないが、この極悪なもくろみは不首尾に終わる。

そんな悪いことは、さすがのヤクザもできなかったのではない。

警察に見つかることは明白だったし、三下ヤクザのまま組を脱退していた小島を信用する者などいなかったからである。

だからといって、幸いなことではなかった。

小島に「須弥代も殺す」というプラン2の実行を決意させたからだ。

しかし、即実行というわけにはいかないし、それをこれから殺す本人たちに知られるわけにもいかない。

17時ごろホテルを出てから犯行の痕跡を隠すために洗車場で車を洗った後、拉致した二人には「帰したるで、おとなしゅうしとけ」と言いつけ、昭善の方に車の修理代を支払うという誓約書を書かせるなど、いずれ自分たちは解放されると思いこませていた。

そして解決案は、より着実に二人の殺害に向かっていく。

23時過ぎに小島たちは近藤と再び合流して今後について話し合ったが、小島は近藤と二人きりになると「もう殺ってまうつもりけど、いつやろう?」と迫っていた。

近藤は所用により龍造寺といったんその場を離れ、犯行グループが再び集合したのは24日午前2時半ごろ、場所は港区にある『すかいらーく 熱田一番店(現ガスト)』。

すかいらーく 熱田一番店(現ガスト)

昭善と須弥代は暴行・拉致されてからほぼ丸一日連れ回されて、体力的にも精神的にも限界に近付いている。

そんな二人に小島は「いつ帰れるか近藤と話し合ってから決めるだでよ、ちょっと待っとれ」と、あと少しで解放という希望を持たせていた。

しかし、この『すかいらーく 熱田一番店』で最終的に二人とも殺害すること、その方法と埋める場所が決定されることになるのだ。

一旦解放されていた二人

昭善と須弥代の方は、手ひどい暴行を加えられて打ちひしがれていたが、まさか殺されることはないと考えていたのは間違いない。

そして、犯人の小島たちも殺害という最終決定を下す前に一度彼らを解放しているのだ。

拉致した側にとっても連れ歩くのは疲れるし、本当に殺すのもリスクがある。

というか、行き当たりばったりな小島と近藤は、早くこの状況を終わらせられるなら、生かしておこうが殺してしまおうがどっちでもよいと考えていた節があった。

だが、もちろん警察に行かないよう脅しを交えて、くぎを刺したのは言うまでもない。

「車の修理代はチャラにしたるけどよ、お前らの住所はもう知っとるだでな。マッポにタレこんだら…分かっとるよな?なぁ?」

「分かってますよ!分かってますよ!ホントしませんよ!もう、行ってもいいですよね?」

やっと解放された昭善と須弥代は深夜の『すかいらーく』を出て道路を横断し、歩道を歩いて遠ざかっていく。

彼らを解放するという決定は首謀者格の小島と近藤が下したものだったが、ここで事情を知らない者たちが騒ぎ出した。

「ええんですか?警察に言うんとちゃいます?ヤバくないです?」

女の龍造寺にまで異議を唱えられた小島は、またも下の者たちにナメられたくないという虚栄心を発動させる。

優柔不断な反面、ハッタリだけは一丁前にかましたがる奴なのだ。

「やっぱ帰すのやめとこ。連れ戻せ、徳丸!」と、二人を連れ戻すよう徳丸に命じてしまった。

そして、連れ戻した後は決まっている。

当初、冗談で口に出し、もう引っ込みがつかなくなった決断を実行するのみだ。

解放されたとはいえ、凄まじい犯罪被害に遭って心身共に傷ついた昭善と須弥代は、とぼとぼ歩いて遠ざかっていたらしく、徳丸にすぐに追いつかれる。

「おい戻れ、帰るのはもうちょっと待っとれ」

彼らは、本当ならこの時に全速力で逃走するべきだったが、徳丸の命令に素直に従ってしまう。

さんざん暴行を加えてきた小島たちへの恐怖心から、一日で心が壊され、反抗できなくなっていたと思われる。

しかし、二人の命運はここで尽きた。

近藤は事件の解決案の話し合いに来ていたにも関わらず、不用心にも事件と関係のない知人たちを連れてきており、事情を知られないように彼らを乗せて帰ってもらおうと車で離脱。

やるだけやって、後の面倒ごとは押し付けられた気が大いにした小島は舌打ちしたが、自分たちがやるしかない。

3時ごろになって徳丸・龍造寺・筒井と共に昭善と須弥代を自分の車に乗せて『すかいらーく』を出発。

行先は、愛知県愛知郡長久手町大字長湫字卯塚25番地(現:長久手市卯塚)にある「卯塚公園墓地」。二人を処刑する場所だ。

昭善の殺害

屋外, 草, 木, 立つ が含まれている画像

自動的に生成された説明
卯塚公園墓地

同墓地は、小島がかつて所属していた弘道会の本家の墓があり、その清掃作業に組員であったころは駆り出されたことがある。

彼らは、途中で自分たちが根城にしているアパートに寄って、死体を埋めるためのスコップを積み込み、深夜スーパーでは殺害に使うロープも買って午前4時半に墓地に到着した。

あれ?帰してくれるんじゃないの?どういうこと?

墓地に向かうまでの間に昭善と須弥代も、さすがに、これはおかしいと気づいたはずである。

帰してもらえると思っていたら、こんな時間に人気のあるはずのない墓地に連れてこられて、おまけに外では小島たちがさっき買ったロープをライターで焼き切っているではないか。

「どういうことですか?どういうことです?ちょっとちょっと!ナニするんですか!?」

小島に何事か命じられた徳丸が昭善を車から降ろすと、半分に焼き切ったロープで両手を縛りはじめ、口にもガムテープが貼り付けられる。

そして、犯人たちは怯える昭善に対して「今からどうなるかわかっとるだろ」と言い放つ。

そう、それは焼き切ったロープのもう片方で絞殺するつもりなのだ。

「そんな!帰してくれるって言ったじゃないですか!やめてくださいよ!!殺さないでくださいよ!!!」

「アレはウソなんだ。さあ来いよ」

小島と徳丸は、ガムテープを貼られた口から必死に命乞いをする昭善を車から少し離れた場所まで引っ立てて正座させると、先ほどのロープを二重に首に巻きつけて、それぞれロープの両端を持つ。

「やめてください!ホントやめてください!やめぇっ…ぐえええぇぇぇっっ」

両方から、綱引きのようにロープが引っ張られ絞められた。

「げげげげっ、げえぇぇえぇぇぇ~!ゔげええぇえっえっえっゔゔぅぅ…ゔゔぅぅう~」

渾身の力で絞められ続けて、この世のものとは思えない断末魔の声を出し続ける昭善。

さすがの小島と徳丸も聞いていられない声で、多少ひるみ始めただったが、やめるわけにはいかない。

どころかここでも虚勢を張って、なかなか死ねない昭善を笑いながら「このタバコ吸い終わるまで引っ張るでよ」と、二人はタバコを吸いつつ絞め続ける。

鼻やガムテープの隙間から血や吐しゃ物を流し、苦しみぬいた昭善が絶命したのは約20分後。

二人は、本当に死んだかどうか蹴ったりして確かめている。

その時、龍造寺と筒井の女二人は車内に残って目と口にガムテープを貼られた須弥代を見張りつつ、離れた場所で男二人が昭善を絞殺する様子を見ていたが、須弥代は目隠しされながらも、何やら最悪なことが起きていることに気づいていた。

「お兄ちゃん(昭善のこと)、お兄ちゃんはどこですか?どこですか!?」

「話しとるだけだがや、うっさいて!」

「何もしてないですよね?お兄ちゃんに何もしてないですよね!?」

「やかましいわ!もうしゃべるなて!」

須弥代の不安の声をうっとうしく感じた女二人は声を出させないようにするため、口にガムテープをさらに貼り重ねる。

本来、次はすぐさま須弥代の番になるはずだった。

しかし、それはなかった。

極悪な小島と徳丸にとってもこれが初めての殺人であり、命を奪われる際に昭善が出した凄絶なうめき声にビビッたからだ。

あれはもう一回聞きたい声ではない。

そして昭善を殺した後、二人は死体と犯行に使用したロープ、スコップをグロリアのトランクに積み込んだのだが、その際に出た物音に須弥代は、何かを感じ取っていたようである。

「あの、何を入れてるんですか」と塞がれた口で尋ね、小島と徳丸が車に乗り込むと「お兄ちゃんはどこですか?」と気が気でない様子になり始めていたのだ。

「もう降ろしたったて」

徳丸は見え透いたウソを言ったが、須弥代はとっくに気がついていた。

最愛の彼氏が、もうこの世にいないことを。

とっくに日が変わって早朝となった、この1988年2月24日。

この日は、須弥代の二十年の人生で最も悲しく絶望的で、そして最後の一日となる。

続く

面白かったらフォローしてください!

世の中には楽しいことがいっぱい - にほんブログ村

関連するブログ:

最近の人気ブログ TOP 10:

最近の記事:

カテゴリー
2024年 カツアゲ ならず者 不良 事件 悲劇 愛知県 昭和 本当のこと 無念 誘拐

列島を凍り付かせた未成年たちの凶行2~ 1988年・名古屋アベック殺人事件~第二話

PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

第一話 事件の始まり

第二話 大高緑地公園事件

噴水族

1988年2月23日早朝、名古屋市中区栄のセントラルパークに、小島茂夫(19歳)、徳丸信久(17歳)、高志健一(20歳)、近藤浩之(19歳)、龍造寺リエ(17歳)、筒井良枝(17歳)の 6人が集まり談笑していた。

6人とも、いかにも暴走族風の見かけをし、シンナーの入った袋を持って吸引している者もいる。

「あいつらも、車もボコボコにしたった。あんなとこで、いちゃくでやわ」

「へへへ!あそこまで女の前でやられたら、男終わりだで」

「あの女、輪姦したりゃよかったな。他の車来たでかんわ」

「うわ!トレーナーに血ぃついとるが!こんなん着て歩けんが!!」

スポーツの試合の後の選手たちのように誇らしげに語っているのは、先ほどやったカツアゲの自慢話だ。

そう、こいつらは、先ほど金城ふ頭でカップルを襲った張本人たち。

1988年当時、ここセントラルパークに集っては、シンナー吸引にふけっていた通称「噴水族」と呼ばれた不良少年たちのかたわれである。

しかし、彼らは中途半端なワルではない。

小島と徳丸は現在こそ鳶の仕事をしているが、元々は山口組弘道会傘下の薗田組の組員であり、唯一成人の高志は現役の同組組員、近藤は同じ弘道会傘下の高山組の組員で、女の龍造寺もヤクザの情婦だし、小島の彼女である筒井も暴力団事務所に出入りしていた。

そんな彼らが金城ふ頭に向かうきっかけとなったのは、昨晩いつものようにシンナーを吸いにセントラルパークに集ったところ、小島が「今からバッカン行くでよ」と言い出したことからだ。

「バッカン」とは彼らの間だけで通用する言葉で、カップルを狙って恐喝するカップル狩りを意味する。

デートスポットである金城ふ頭での「バッカン」は彼らが始めたことではなく、他の「噴水族」の不良も以前からやっており、前年の9月には、複数のカップルを恐喝していた不良少年のグループが検挙されていた。

小島たちの中には、このグループの人間と付き合いのあった者がおり、「バッカン」の手口をよく知っていたのだ。

実際にやるのは今回が初めてだったからか、最初に襲ったパルサーには警察署に逃げ込まれて失敗したが、二回目のカムリは捕まえることに成功。

昨年捕まったグループより危険であることを自認する彼らは、一回目の失敗のうっぷんを晴らすように張り切って、男も女も車もボコボコにしてしまった。

こうして奪った現金は86000円、他にも龍造寺と筒井が女から腕時計とトレーナーを奪っている。

一回のカツアゲとしては大戦果と言えるが、小島はまだ満足していなかった。

もう早朝なのに、あと二回くらいやろうと言い出している。

彼らの中には分け前をもらって帰りたがっている者もいたが、6人で割ったら大した金にならないからだ。

「金城ふ頭、また行くでよ。さっきみたいにやりゃええて」

「金城ふ頭はかんて。最初にやったった奴が通報しとるかもしれんて。」

「ほんなら大高緑地は?あそこなら、カップルおるんと違う?」

「おお、ええな。大高緑地行こまい!」

大高緑地公園も金城ふ頭同様、週末にはカップルの車が押し寄せるデートスポットとなっていたのだ。

こうして次の狩場は決まり、一行は二台の車に分乗して十数キロ先にある名古屋市緑区の大高緑地公園に向かう。

そのころ、大高緑地公園第一駐車場に一台のトヨタ・チェイサーが入ってきて駐車していた。

中に乗っていたのは野村昭善(19歳)と末松須弥代(20歳)。

付き合い始めてぼちぼち経った何回目かのデートを楽しむ彼らは、数十分後に自分たちを襲う悲劇的な運命を、まだ知らなかった。

獲物をロックオンした野獣たち

1988年2月23日未明、名古屋市緑区にある大高緑地公園の公園入口ロータリーに小島の運転するグロリアと、近藤の運転するクラウンが到着。

車を降りた6人は、獲物となるカップルを探索するために暗闇の公園内に入ってゆく。

公園の第一駐車場は平日の早朝とあってがらんとしていたが、一台の白い車が停まっているのが確認できた。

トヨタ・チェイサーだ。

まずは近藤が立ちションを装って偵察に向かうと、チェイサーにはエンジンがかかっており、中にカップルとみられる男女が乗っているのが視認できた。

「よっしゃ、よっしゃ!おったぞ!おったぞ!あそこのチェイサーに乗っとる奴だで」

小島たちが潜む所に戻って来た近藤は、喜色満面で報告。

「こんなド平日のこんな時間までいちゃついとる奴は、お仕置きせなかんて!ほんならやったろか!」

もうすでに三回目なので手慣れたもので、6人は手はずどおり車のナンバーに段ボールを貼り付けたりの準備を手際よく行い、トランクから木刀などの得物を取り出して車に乗り込んだ。

野獣たちにロックオンされたチェイサーの中にいたのは、野村昭善(19歳)と末松須弥代(20歳)。

二人とも、愛知県大府市内にある同じ理容店で働く理容師カップルである。

昭善は床屋を営む家庭の出身で、中学を卒業してから理容師の世界にいたから、すでにいっぱしの理容師、将来は実家の店を継ぐつもりであり、父のために備品を自分の給料を出して購入するなど孝行息子でもあった。

一方の須弥代は、定時制高校を卒業後に理容師を志していたからまだ見習いであり、同い年ながら、すでにいっぱしの理容師として働いていたから昭善は輝いて見え(昭善は早生まれで須弥代と学年は同じだったようだ)、なおかつ、彼のさわやかで人に好かれやすいキャラにも魅かれたのだろう、自然と好意を持って同じ店で働く同僚以上の関係になっていたのだ。

須弥代も親思いで、両親のために貯金をする孝行娘である。

そんな彼らは、将来昭善の実家の店を二人で支えようと共に理容師修行に励んでいたのだから、滅多にいないほど健全なカップルであろう。

両家の親たちも反対する理由がなく、その交際は双方から歓迎されていたほどだ。

この前の日、須弥代は父親のチェイサーを借りて昭善を拾ったようだが、ハンドルは彼氏である昭善が握っている。

なお、須弥代は店の仕事が終わった後で、同僚には今晩は昭善とデートに行くと告げていたものの、父親にはなぜか「女友達の所に行く」と言っていたが、これは後ろめたいからではなく、照れ隠しだったのだろうか?

その事情は、間もなく永遠に確かめることができなくなる。

それは、小島と近藤が運転する車が駐車場に入って近づいてきたと思ったら、チェイサーの後方左右に停車したことから始まった。

動きを封じられた後、特攻隊長気取りの徳丸が木刀片手に車を降りて「オラァ、出てこいや!!」と、こちらに向かって雄叫びを上げたため、昭善と須弥代の二人だけの甘い世界は破られる。

二人とも、異変に気付くのが遅すぎた。

ずっと自分たちの世界に浸っていたのもあるが、後ろ向きに駐車していたので、後方から向かってくる二台がおかしな動きをしているのが分からなかったのである。

駐車場に他の車が入って来たのには気づいていただろうが、いきなり自分たちの車の所に向かってきて後ろ左右に停まり、中から暴走族風の若者たちが鉄パイプや木刀片手に怒声を上げて降りてきて、一気に至福の静寂から奈落の底に落とされた。

どう考えても、こちらに危害を加える気満々の者たちに囲まれ、二人がびっくり仰天したのは言うまでもない。

この時、運転席にいた昭善は慌てて逃走を図ろうとチェイサーをバックさせた。

だが、パニックになるあまり、昭善はより最悪の結果を招く事態を引き起こしてしまう。

この車は、須弥代の父親の車で乗り慣れていない上に、後方は逃げられないように小島と近藤の車が停まっているのである。

昭善のチェイサーは、車体を襲撃者の乗って来た車二台にぶつけてしまったのだ。

「オレの車にナニしてくれとるんだ!!コラアァァー!!!!」

外からは不良の怒りの咆哮が響き、木刀や鉄パイプで車体がより強く叩かれ、ガラスにひびが入る。

その大きな声と音、予想される今後を前、に二人の心臓は凍り付いた。

荒れ狂う逆ギレ

自分たちの車を傷つけられて、小島たちは激怒した。

近藤にいたっては、おっかない組の上役から借りた車なのである。

「オラ!降りてこいてボケ!殺したろか!!!」

不良たちはチェイサーを完全に包囲して、車体を鉄パイプや木刀で乱打してフロントガラスを割る。

もうだめだ、逃げられない。

観念した昭善はおっかなびっくり車を降りたが、頭に木刀が打ち下ろされ、腹や腕を突かれ、拳で顔を殴られる。

「すいません!すいません!勘弁してください!」

流血する頭を押さえて昭善は懇願したが、車を壊された不良たちの怒りが、これで収まるわけがない。

「てめえ、俺らの車どうしてくれるんじゃ!!オラ!!」と、自分たちが悪いにもかかわらず、昭善の顔にパンチを叩き込み続け、所持金の11000円を奪った上に、チェイサーも腹いせとばかりに鉄パイプで破壊する。

そして、女である須弥代の方を担当するのは、今回も龍造寺と筒井の不良少女二人だ。

「はよ降りてこいや!ボケ!」と、助手席で泣きべそをかいておびえ切っている須弥代の髪をつかんで外に引っ張り出す。

金城ふ頭同様に二人は木刀で須弥代を殴打し、ハイヒールを履いた足で足蹴にするなどしたが、今回はより陰惨な仕置きを始めた。

「オラ!服脱げて!」と上半身裸にしたのだ。

これを見た男たちは、黙っていられない。

「この女犯ってまおうぜ!」と近藤が提案し、女である筒井も「こんな糞女犯ってまえ!」とけしかける。

須弥代は襲撃現場から少し離れた場所まで連れていかれ、そこで徳丸と近藤、高志に輪姦された。

小島だけは情婦である筒井の目の前で参加するわけにはいかなかったが。

昭善にとっては、自分の女の前で泣きを入れても叩きのめされ続けたばかりか、目の前で彼女を蹂躙されるという男にとって最悪の屈辱を味わわされた。

もっとも、6人もの不良相手に自分の女を守り切れる男など滅多にいないだろう。

不良たちは現金ばかりかチェイサーの備品、須弥代のアクセサリーなども奪い、今まで幸福だった者たちに地獄を見せるというカップル狩りの醍醐味を堪能し尽くしてはいたが、自分の車を壊されたことを理由にした暴走はまだまだ続く。

レイプを終えた徳丸たちは上半身裸の須弥代を連れて駐車場に戻って来たが、今度は龍造寺と筒井が女として再起不能になった須弥代を全裸にしてヌードリンチを始めたのだ。

極悪少女二人はシンナー(彼らの多くはシンナーを吸っていた)を須弥代の陰部に注ぎ、髪の毛をライターで焼き、タバコの火を背中や胸に押し付ける。

「熱い!熱い!熱い!あづいいい~!!やめてくださいいいい!!!」

須弥代は泣きながら哀願したが、女の涙は女には通用しないことが多い。

特に龍造寺と筒井のような奴には逆効果だった。

「泣きゃええっちゅうもんちゃうぞ!!」「ぶりっ子するなて!ムカつくわ!!」と、余計に暴行に拍車がかかる。

無抵抗の須弥代の体にタバコの火を押し付け、髪を引っ張り回し、足蹴にし続け、男たちも血だらけになった昭善を正座させて殴り蹴り続ける一方で、より楽しそうな須弥代へのリンチにも参加した。

昭善と須弥代への暴行は午前6時まで続いたが、そろそろ明るくなってきて人が入ってくるかもしれない時刻である。

そろそろ退散の時間だ。

だが、両人とも長時間の苛烈な暴行により、金城ふ頭で被害に遭ったカップル以上にひどいケガを負わされていた。

このまま置いておいたら、間違いなく通報される。

不良たちはズタボロにされた二人をひとまず連れて行くことにし、昭善を近藤の車の後部座席に、須弥代を小島の車の後部座席に押し込んで現場を離れた。

手ひどい暴行で呆然自失の二人をそれぞれ乗せた二台の車は、港区の空き地まで行って停まり、小島と徳丸、近藤が車を降りて今後について話し合う。

だが、この時点で彼らが一番心配していたのは、近藤が組の上役から借りた車を傷つけられたことだった。

暴力団幹部ともあろう者が、自分の車を傷つけられて怒らないはずはない。

小島は、組にいた時に兄貴分の車を傷つけ、さんざんヤキを入れられた苦い経験がある。

拉致した二人について「やりすぎちまった。どうする」と話題に出はしたが、この時点では二の次だったのだ。

そんなどうでもよいことに関して、誰かがハッタリ交じりに「男は殺して女は風俗にでも売り飛ばそう」などと言い出したが、それは当初軽口と言った本人も含めて誰もが受け止めていた。

この時までは。

その軽口はその後誰も撤回することなく、なし崩し的に決定事項となり、事件がより最悪の結末を迎えるであろうことを、彼ら自身も気づいていなかった。

続く

第三話 まず、昭善が殺された

面白かったらフォローしてください!

世の中には楽しいことがいっぱい - にほんブログ村

関連するブログ:

最近の人気ブログ TOP 10:

最近の記事:

カテゴリー
2024年 カツアゲ ならず者 不良 事件 悲劇 愛知県 昭和 本当のこと 無念 誘拐

列島を凍り付かせた未成年たちの凶行~ 1988年・名古屋アベック殺人事件~ 第一話

PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

第一話 事件の始まり

1988年(昭和63年)2月に発生した名古屋アベック殺人事件は、同年11月から翌1月にかけて起きた女子高生コンクリ詰め殺人と双璧をなす悪名の高さで、令和の現代にいたっても語り継がれる少年犯罪である。

当時の日本では、未成年者らによる犯罪が激増して社会問題になってはいたが、この事件の凶悪さと犯行理由の理不尽さはそれまでに起きた少年犯罪を大きく凌駕して全国にショックを与えた。

その当時、中学生だった筆者はその衝撃を体感しており、犯人たちの鬼畜ぶりに怒りを爆発させたものだ。

本稿では、犯行を行った6人の人でなしたちを絶対超えてはならない一線を大きく踏み越えた悪魔たちとみなし、そのような所業を犯すにいたるまでの生育環境や境遇の劣悪さに関しては一切考慮しない。

そんなものが理由になったならば、誰だって殺人を犯してもいいはずだからだ。

たとえ若さゆえの過ちであったとしても、犯していい過ちでは決してなく、昔のことだからと忘れていいものでもない。

凶悪なカップル狩り

1980年代後半の日本では未成年による犯罪が激増、かつ凶悪化していた。

どんな時代でも一定数の若者がグレて悪さをするものだが、母数となる若者の絶対数が多くて少子高齢化が遠い未来の話だった時代なので、その数は令和の現代よりもはるかに多く、その悪質さにおいても令和に勝るとも劣らなかったのだ。

1988年2月23日の東海地方の地方紙『中日新聞』夕刊にも、そんな悪質極まりない未成年者によると思われる犯罪の発生が報道されていた。

同日深夜の名古屋市港区の金城ふ頭、車に乗ってデートに来ていたカップルが複数の不良少年少女に襲われて暴行され、金品を奪われたのだ。

金城ふ頭は、当時から夜景を楽しむデートスポットとして名古屋では有名であり、多くのカップルが車に乗ってデートしに来ていたのだが、彼らを狙った犯罪者もたびたび出現しており、この前年の9月には、こうしたカップル狩りを繰り返していた不良少年グループが検挙されていたが、捕食者がいなくなったわけではなかったのである。

報道によると同日2時30分ごろ、まず名古屋港82番岸壁上に車を停めてデートしていた専門学校生カップルが襲撃された。

カップルの乗る車をいきなり二台の車が挟み込むようにして停車、暴走族風の6人の少年少女たちが木刀片手に降りてきて「コラ!降りて来いて!」と車体を叩いたのだ。

身の危険を感じた専門学校生は車を発進させ、襲撃者たちの投げた木刀で、後部窓ガラスを割られながらも逃走。

不良たちの乗る二台の車も追いかけてきたが、このカップルは幸運にも、約5キロ先の港警察署小碓派出所に逃げ込んだために襲撃者たちの車は姿を消したが、彼らが感じた恐怖はかなりのものであったはずだ。

だが、次に襲われたカップルは不運だった。

逃げられなかったのだ。

最初の襲撃から一時間後の3時30分ごろ、最初の襲撃が行われた岸壁から約250 m離れた81番岸壁上に停車していたトヨタ車のカップルは、退路を絶たれて捕まってしまった。

犯人たちは、前回の失敗を繰り返さなかったのである。

フロントガラスを割られて乗っていた会社員の男性(25歳)は車外に引きずり出され、4人の不良に木刀や警棒で嫌というほど殴られたが、犯人たちは当時の不良が吸引していたシンナーの臭いをぷんぷんさせ、ラリっていたから余計歯止めが効かない。

男性は「死を覚悟した」と後に証言したほどの暴行を加えられて現金86000円を奪われた。

道路, 屋外, 車, 交通 が含まれている画像

自動的に生成された説明
金城ふ頭で襲われたカップルの車

男性の彼女(19歳)も無事ではない。

一味の中の2名の不良少女に「てめえも降りろて!」と髪をつかまれて引きずり降ろされて「汚ったねえツラして泣くなて!よけいムカつくがや!!」「ブスのくせにええ服着とるな。似合わんだでウチらによこせや!!」と罵倒されながら、木刀で殴られ、足で蹴られ踏みつけられたのだ。

「やめてくださ…げぼっ!ごめんなさい!ごめんな…ぐえぇぇぇ!ううぅぅう~痛い痛い痛いよぉお…がっ!!いったあああああい!!!」

泣いても哀願しても、容赦ない暴行は止まらない。

自身も執拗な暴行を受けていた男性だったが、乱暴されて苦しむ彼女が目に入ったんだろう。

自分を囲む不良の輪から抜け出し、「もうやめろて!」と不良少女を突き飛ばして女性の体に覆いかぶさった。

身を挺して彼女を守るためだ。

「てめえ、オレの女にナニ手エ出しとるんだて!!」

「かっこつけると死ぬぞ!コラア!!」

彼女に手を出されて我慢ができないのは少年たちも同じで、自分たちが悪いにもかかわらず、男性への暴行はより激しくなる。

女性も腕時計とデートのために着てきた高価なトレーナーを奪われたうえに殴られ蹴られ続け、暴行は他の車のヘッドライトがこちらに近づいてくるのが見えるまで続き、車もめちゃくちゃに破壊された。

被害に遭った二人は報道では全治一週間の軽傷とされているが、それは実際に目の当たりにすれば、しばらく表を歩けないくらいひどい有様であり、文字通りボコボコにされていて、しばらく家から出てこなかったという。

何より心に大きな傷を負ったのは間違いなく、この二人は今でもその時の恐怖と苦痛を忘れてはいないはずだ。

2月23日時点での夕刊の報道では、この二件の卑劣なカップル狩りだけが報道されていたが、実は二件目の犯行の直後により重大な事件が起こされていたことは報じられていない。

その事件こそ、日本社会を震撼させることになる名古屋アベック殺人であるが、発覚するのはその二日後である。

そして、事件はこの日に進行中だった。

拉致された理容師カップル

金城ふ頭でのカップル狩り(当時はアベックという言い方がまだ一般的だったが)の事件のようにカップルを襲う事件は過去にも起こっていたが、今回の事件は木刀で車や乗っていたカップルを滅多打ちにするなど、以前のものと比べてその凶悪さが注目を浴びた。

しかし、世間に与えた衝撃は当初それほどでもなかった。

第一、それまでの事件でも今回の事件でも被害者たちは手ひどく暴行されて金品を奪われていても、命までは奪われていないからだ。

だが、二日後の2月25日の報道で、この事件の犯人が想像以上に悪質である可能性が浮上する。

金城ふ頭から少し離れた場所で、同じ犯人と思われる者たちによってより凶悪な第三のカップル襲撃事件が起こされ、被害者が拉致されたと思われることが報じられたのだ。

ダイアグラム

自動的に生成された説明

23日の夕刊にはまだ掲載されていなかったことだが、金城ふ頭のカップルたちが襲われた23日の午前8時半頃、10キロ離れた名古屋市緑区の県営大高緑地公園第一駐車場にフロントガラスやヘッドライトが割られ、車体がボコボコにへこんだトヨタのチェイサーが放置されているのを通行人が発見して緑署に通報。

同署の捜査で車内からは血痕が残っていることが分かり、車の外には血の付いたブラジャーや空になった財布、ハンドバックが散乱していた。

また、近所の住民から朝6時ごろ、何かを叩くような音と男女の怒鳴り声が聞こえたという証言もあり、何らかの犯罪が行われたのは明白である。

しかし、肝心の被害者については行方が分からず、拉致された可能性が早くも出ていた。

犯人が金城ふ頭でカップルを狩った者たちと同一犯と考えられたのは、車の窓ガラスを割るなど手口が似ていたことと、大高緑地公園までは車で20分もかからない距離であったこと。

そして、金城ふ頭で襲われた被害者の目撃証言で犯人グループは、白いクラウンと茶色のセドリック、もしくはグロリアに乗っており、放置されていたチェイサーのバンパーに別の車がぶつかった痕があって、そこに残った塗膜片を鑑識で調べたところ別の車のものであり、車は茶色のグロリアかセドリックと考えられるという結果が出ていたからだ。

被害者の身元判明

大高緑地公園で見つかった車

やがて、拉致されたと思われる男女は理容師の野村昭善(19歳)と同じ店で理容師見習いとして働く末松須弥代(20歳)と判明。

放置されていたチェイサーは須弥代の父親所有のものであり、22日の夜に仕事から帰ると「友達のところへ行く」と言ってからチェイサーに乗って出かけて行ったきり帰らず、翌24日に家族から捜索願が出されており、須弥代の彼氏である昭善も22日の夜以降行方が分からなくなって、同じく捜索願が出されていた。

襲われたのは、この二人である可能性しか考えられない。

2月25日、この大高緑地公園での事件を捜査する緑署は、金城ふ頭事件の犯人と同一犯と断定し、金城ふ頭事件を捜査する名古屋水上署と合同捜査本部を設置した。

カップルを襲撃してカツアゲすること自体が悪質極まりないが、なおかつ被害者を拉致して、その行方が分からないことから報道関係者も注目し、翌日以降も犯人の目撃情報やその正体を推定する記事などが中日新聞に掲載される。

そして、事件発生から二日も経っていたんだから、被害者の身内や関係者は居ても立っても居られなかっただろう。

だが、まさか生きていないことはないだろうと思われていた。

犯人は極めて悪辣な不良少年たちのようだが、いくら何でも何の落ち度もないカップルをさらって殺すなんてありえない。

昭善と須弥代が務めていた理容店は二人が生存していると信じ、身代金目的で誘拐されている可能性まで考えて現金まで用意していたくらいだ。

しかし、その「まさか」が起きていた。

二日後に一連の強盗事件の容疑で逮捕されることになる少年少女たちは、すでに両人を殺して埋めていたのだ。

続く

第二話 大高緑地公園事件

面白かったらフォローしてください!

世の中には楽しいことがいっぱい - にほんブログ村

関連するブログ:

最近の人気ブログ TOP 10:

最近の記事:

カテゴリー
2024年 オラオラ系 マフィア 事件簿 昭和 本当のこと 横浜 神奈川 誘拐

目指せ!暴力団構成員 ~1973年・現役ヤクザが熱血指導!~ “暴力団組員養成塾” 

PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

まだ元号が昭和だった1973年(昭和48年)4月18日、神奈川県横浜市緑区十日市場町にある横浜市立十日市場中学校の体育館ステージにあった垂れ幕が、ズタズタにされる事件が発生した。

被害総額は、50万円と当時としてはかなりのものであったために警察が捜査したところ、区内のアパート三保荘に住む無職・田邊亨(仮名・16歳)ら不良少年グループの存在が浮かび上がる。

そこで、警察は田邊が暮らす三保荘を調べたところ、同アパートの三部屋を田邊以外に同じく不良少年である中富裕易(仮名・17歳)と稲川会の三次団体高橋組の組員である玉利和信(本名・22歳)が借りていることが分かった。

しかも周辺住民からの聞き込みによると、そこには、常に大勢の不良少年たちが入れ代わり立ち代わり出入りしているというではないか。

犯罪の臭いをいやがうえにも感じ取った警察が捜索に入ったところ、案の定とんでもないことが行われていたことが判明したのだが、それは捜査関係者の予想の斜め上を行っていた。

何と現役バリバリのヤクザである玉利は、暴力団員養成のための「私塾」を開き、多くの少年たちに悪さのテクニックを伝授していたのだ。

“暴力団組員養成塾”の講義内容

新聞の一部の白黒写真

中程度の精度で自動的に生成された説明
“講師”の玉利和信

玉利の暴力団組員養成塾の「塾生」は、中学生7人と高校生19人(女子も4人交じっていた)、その他有職・無職の少年たちを含む計43人。

塾は同年2月に「開校」しており、玉利の「一人前のヤクザになるための講座」は三保荘八号室で毎晩行われ、必ず5、6人は参加していたのだが、その講義内容はヤクザの作法だの仁義だのの面倒くさいものはそっちのけだった。

玉利が主に教えていたのは、窃盗や恐喝のテク、効果的な脅し方であって、いっぱしの現役暴力団組員である自身の豊富な犯罪経験から、過去に遭遇した事例や想定されるさまざまなパターンを網羅した実践的なものである。

もちろん、座学だけではなく「実技」もあった。

正規の暴力団組員である玉利は、自身のシノギとして恐喝もやっており、塾生たちを伴って恐喝する相手のところに押しかけて脅したり、さらったり、監禁して暴行したりの実際の現場も体験させたりしていたのである。

世の中のために全くならない者を育成しているのだが、何らかの技術を習得させる講座としては、かなり充実かつ理想的だったと言わざるを得ない。

また、22歳の玉利は少年たちにとって怖いけど、何でも知ってて頼りになる兄貴であり、先生としても優秀だった。

犯罪のコツを指導しつつ「ヤクザになれば、女にも金にも不自由しないし誰からもナメられることはない」とそのうま味を語り、「気合い入れて、テメーらも一人前の男(ヤクザ)になれ!」と激励。

見込みがあると認められた「優等生」は、玉利の所属する組織の事務所での電話番や使い走りなどをさせてもらえる「インターン」制度まで設けていた。

それに触発されたガキどもは、覚えたての悪事のテクを実践。

この塾が神奈川県警緑署に摘発されるまで、塾生たちは悪事にいそしみ、犯した犯罪は判明しているだけで、窃盗33件にして被害金額は50万円以上、不法監禁2件、暴行や恐喝は数知れずだったという。

新聞の一部の白黒写真

中程度の精度で自動的に生成された説明
“塾”のあった三保荘(現在もあるのだろうか?)

受講生たちの階層と時代背景

結局同年6月、捜査にやって来た警察によって塾は閉校となり、塾長の玉利はもちろん逮捕された。

43人の塾生たち全員も補導され、うち田邊や中富はじめ悪質だった19人が書類送検となる。

だが、なぜたかだか四か月かそこらで、暴力団員を育成する塾などにこんなに多くの塾生が集まったのだろうか?と思うのは現代の感覚だ。

脱退者が相次いで弱体化著しい現代の暴力団組織とは違って、この時代のヤクザは組員数も多くて勢いがあった。

暴力団対策法(暴対法)が施行されるはるか以前だったし、取り締まる側の警察ともある程度癒着していたから、今に比べればやりたい放題。

闇社会の頂点に君臨し、近年ハバを利かせ始めている半グレなど彼らの縄張り内で、ちょっとでものさばったら瞬殺されたであろうおっかない存在だったのだ。

そして「おっかないこと」は往々にして「かっこいいこと」と同義語であり、あこがれて組に入ろうとする青少年も、数多く存在したのである。

だったとしても、そのような塾で熱心に学んで組員になろうとするような塾生たちは、筋金入りの不良少年ばかりだろうと思われたが、補導された中高生たちの多くは意外にも、それぞれの学校で問題行動を起こしたことのない、どちらかと言えば一般の少年たちだった。

彼らは、不良、それもそのワンランク上のヤクザにあこがれて入塾した中二病たちだったのだ。

この事件の発覚した1973年当時は、東映の『仁義なき戦い』が放映されて大ヒット。

映画を観た大人の観客は、劇場を出たとたん肩で風を切ってのし歩くようになるほどで、より影響されやすい年代のガキどもにとっては、なおさらだった。

そんなところへ、手軽にかっこいい暴力団組員の世界を体験できる場所があるとわかるや、友達が友達を呼んで増えていったらしい。

また、玉利ら暴力団の側にも事情があったようで、現代よりぬるかったとはいえ、当時の神奈川県警の取り締まりの強化で勢力が弱まりつつあった組織を立て直そうと、とにかく組員を増やす狙いがあったと見られている

そんな暴力団の思惑とヤクザがかっこよかった時代背景のおかげもあって起きた珍事件であったが、この塾が一期生を指導しているうちにつぶされ、そこで十分学んで闇の世界へ羽ばたく卒業生が出なかったことだけは幸いであった。

出典元―毎日新聞

面白かったらフォローしてください!

世の中には楽しいことがいっぱい - にほんブログ村

関連するブログ:

最近の人気ブログ TOP 10:

最近の記事:

カテゴリー
2023年 いじめ ならず者 事件 事件簿 悲劇 昭和 本当のこと 歌舞伎町 誘拐

1982年・女子高生監禁暴行事件

PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

女子高生を監禁した事件と言えば1989年に発覚した東京都足立区綾瀬の女子高生コンクリ詰め殺人が悪名高いが、同じような悪さをする奴はこの事件の前後にも時々現れている。

この1982年(昭和57年)8月25日に発覚したこの事件では、被害に遭った女子高生は幸いにも殺されることはなかったが、犯人の非行少年少女グループの極悪ぶりは、かなりのものであった。

ガードが甘すぎる家出少女

学校が夏休みに入った1982年7月20日、神奈川県逗子市に住む私立高校一年生の米山成美(仮名・15歳)が家出した。

何が原因かは報道されていないが、黙って家を飛び出た成美が向かった先は東京。

それも、よりによって魑魅魍魎跋扈する新宿区歌舞伎町であり、未成年の女の子が日本一ひとりで行ってはいけない場所であった。

何の当てもなく歌舞伎町を歩いていると、さっそく声をかけてきた者が現れた。

成美と同い年かちょっと上くらいの少年で、どう見ても普通に高校に行っている感じではない。

知り合いもおらず行く当てのあるはずのない成美に、その少年は親しげな感じで「オレらのトコに来ねえか?」と誘ってくる。

どう考えても危険なにおいがするし、この時点で事件に巻き込まれるフラグが立ちまくっているが、成美は愚かにも、その誘いに乗ってついて行ってしまった。

15歳にもなったら、普通は声をかけてきた見ず知らずの相手について行くのが、いかに危ないことか分かるはずだ。

しかし家出するくらいだから、成美は家庭環境か素行に全く問題のない少女ではなかった可能性が高い。

年ごろから推測して不良を気取っていたか、あこがれていたかもしれず、相手がヤンキー丸出しの少年であっても、類友だから安心だとでも思ったのだろうか?

いずれにせよ、それが大いに軽率であったことを後日思い知らされることになる。

生涯忘れることができないであろう地獄の夏休みになったからだ。

監禁生活

その少年の言う「オレらのトコ」とは歌舞伎町からほど近い新宿区百人町にあり、18歳のホステスと女子高生、男子中学生姉弟が住んでいた。

本当は父親がいるが病院に入院しており、それに乗じて少年少女たちのたまり場となっていたようだ。

もちろん、どいつもこいつもまともなわけはなく、喫煙や飲酒ばかりか、シンナー遊びまでが行われる不良の巣窟である。

当初新入りの成美は、このろくでなしグループと遊びに行くなど、一見受け入れられたような感じだったが、それは長くは続かなかった。

新入りだからか、それとも不良の世界では下に見られていたらしく、ぐうたらな姉弟に炊事洗濯などの家事を命じられ、うまくできないと殴られるようになったのだ。

おまけに、出入りする少年たちに輪姦されてしまった。

地獄の始まりだ。

成美は、このろくでなしたちに逃げないように監視されて監禁状態になり、毎日面白半分にいじめられるようになる。

犯されたり、恥ずかしいことをさせられたり、よってたかって顔をパンチされたり、バットやベルトで殴られたこともあった。

その間、食事も満足に与えられず、成美は顔がパンパンに腫れて衰弱し、変わり果てた姿となっていく。

だが成美は、後年足立区で同じように監禁されて虐待され、殺されてコンクリ詰めにされた女子高生よりは幸運だったようだ。

一か月以上後の8月25日午前、見張りの少年の隙をついて脱走に成功。

そのまま、最寄りの戸塚三丁目派出所に助けを求めて駆け込んで、署員に保護される。

その後ホステス姉弟はじめ、監禁にかかわった15歳から18歳までの少年少女9人は暴力行為・傷害容疑で現行犯逮捕された。

しかし駆け込んだ際、成美は裸足で着ていた服は家出した時のままで垢や血で汚れており、顔を腫らして全身あざだらけで全治一か月の重傷。

ひと夏の火遊びは、心にも体にも大きなダメージを負う結果となってしまった。

出典元―朝日新聞、読売新聞

面白かったら、フォローしてください!

世の中には楽しいことがいっぱい - にほんブログ村

関連するブログ:

最近の人気ブログ TOP 10:

最近の記事:

カテゴリー
2023年 オーストラリア おもしろ 事件簿 平成 本当のこと 誘拐

虚言で日本中を振り回したバカ女 ~92年オーストラリア花嫁失踪騒ぎ~

本記事に登場する氏名は、全て仮名です。

PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

男を惑わせて振り回すような悪い女を「魔性の女」とか、「小悪魔」とかいう言葉で形容する場合がある。

どちらも悪い意味のはずだが、「魔性の女」は何となく悪魔的な魅力を持つ上に知謀にも長けていそうな感じがして、この言葉を使われた女に対しては、多分に賞賛が含まれていると個人的には思う。

「小悪魔」の方は「魔性の女」とかより格下だが、ずるい反面で男を引き付けるだけの魅力を持っているイメージがあるから、必ずしも全面的に否定する意味ではない気がする。

今から30年以上前の1992年12月に、ハネムーン先のオーストラリアで「誘拐された」と愚にもつかない虚言を吐いて行方をくらまし、新郎や身内はじめ日豪両国の多くの関係者に迷惑をかけた女、拙ブログで取り上げる日高美穂子(仮名・25歳)はどちらだろう?

間違いなくどちらでもない。

甘ったれたバカ、そしてクソだ。

ハネムーン中に失踪した新婦

ロックス

1992年(平成4年)12月7日、オーストラリアのシドニー市の観光名所ロックス近くで、日本人の榎本敦夫(仮名・29歳)はやきもきしていた。

彼は待ち合わせをしていたのだが、約束の時間になっても相手がいっこうに現れないのだ。

敦夫が待ち合わせをしていたのは、ただの相手ではない。

それは、新妻となる日高美穂子(仮名・25歳)である。

二人は、それまで二時間ほど、別々に市内を散策していた。

大阪府在住の敦夫と美穂子はテニスクラブで知り合い、一年半の交際を経て11月28日に挙式を挙げ、翌29日にハネムーン旅行に出発。

旅行先として選んだここオーストラリアは、当時の日本人に人気で、二人はゴールドコースト、ハミルトン島などの王道のコースを巡って12月6日にシドニーに入っていた。

ハネムーン中の美穂子

彼らは入籍前に結婚式を挙げたため、美穂子の性は変わっていない。

入籍は、明日8日に日本に帰国した後にすることになっていた。

だとしても、戸籍上はまだ夫婦ではないとはいえ、事実上の新婚である。

いつも一緒にいるはずのハネムーン旅行なのに別行動をとったのは、二人が午後1時ごろ、シドニーの免税店で買い物をしていたところ、美穂子が「もう最終日なんやから、自分らで自由にシドニーを回らへん?」と提案したからだ。

そして落ち合うのは、二時間後の午後3時半と約束していた。

敦夫は、待ち合わせに選んだ場所に時間通り到着していたが、彼女は、その約束の午後3時半を過ぎても影も形も見えない。

オーストラリアはアメリカなどと違って比較的治安の良い国だが、それでも海外で姿を消したとなると不安になる。

もしかしてホテルでは?とも考えて宿泊先のホテルに戻ったが、そこにもいない。

部屋の中で美穂子の帰りを待っていたが、戻ってこないばかりか連絡すらなかった。

午後8時、心配でたまらなくなった敦夫は、シドニーの日本領事館に連絡する。

領事館は、館員をホテルに派遣して事情を聴くや、ただ事ではないと判断して、シドニー警察に協力を依頼した。

不可解な失踪

敦夫の待機する部屋の電話が鳴ったのは、午後11時ごろ。

かけてきたのは、何と美穂子からだ。

「美穂子か!?お前ナニしとるん?どこ行っとんのや?」

あわてて電話に出た敦夫に、美穂子はあまりにも不可解なことを伝えてきた。

「ウチ、車で連れてかれてもうてな、ここ、どこかわからへんのや。オーストラリアの人に助けてもろたんやけどな。でも自分で帰れるから捜さんといて」

そう言うや、電話が切れたのだ。

「車で連れていかれた」、それは誘拐ということではないか?

でも、「自分で帰れるから探さないでくれ」とは、どういうことだ?

疑問点はいろいろあるが、事件に巻き込まれたにおいがする。

新婚旅行中に自分から失踪するのはありえない、とこの時は考えられた。

それに美穂子は、それまで何回も海外旅行に行っていたが、日本人のご多分に漏れず英語はからっきしだし、所持金も少ない。

「単に迷子になっただけではないか?」と考えていたシドニー警察も、7日夜の怪電話から何の連絡もないことから、事件性が高いと判断。

8日には、誘拐事件として公開捜査に乗り出す。

情報提供を呼びかける敦夫

敦夫も地元シドニーのテレビ番組に出演し、美穂子の写真をカメラに示しながら「妻は誘拐されたと考えています。見かけた方は、警察にお知らせください」と沈痛な表情で、情報提供を呼び掛けた。

だが、誘拐事件のわりには身代金の要求などもなく、事件に関する情報も、ほとんどないために捜査は難航する。

日本国内の騒動と意外な結末

この一件は、9日の時点でオーストラリア国内ばかりか「花嫁失踪事件」として日本国内で報道され、国民の知るところとなっていた。

この92年当時は、同年春にパキスタンでカヌー下りをしていた早大生が誘拐されたり、パナマでシチズンの日本人社員が誘拐されて殺害されたり、日本人が海外で誘拐される事件が頻発しており、「また起きたか」という印象が持たれてもいた。

日本のマスコミは、「美人花嫁失踪」などの釣り文句付きで連日報道。

現地の捜査の状況や美穂子の身を案ずる両親や兄弟の模様を逐一伝えており、彼女の母などは「なぜ敦夫さんはずっと一緒にいてくれなかったのか?」などと、新郎を非難する始末だった。

そんな折、三日目の10日に事件が、ますます不可解な方向に脱線する。

ホテルに待機している敦夫に、美穂子から再び連絡が来たのだ。

その電話で彼女は、「今ゴールドコーストにいる」と話していた。

だがその後は、またしても連絡が途絶える。

生きていることは分かったが、シドニーからゴールドコーストまでは800kmほど離れており、美穂子がなぜそんなところにいるのか?という疑問の声が関係者の間で上がった。

どういうことだ?本当に誘拐されたのか?

一方のシドニー警察による捜査には、進展があった。

警察は、二人が泊っていたホテルの部屋から美穂子のものと思われるメモを発見。

そのメモには、あるモーテルの名前と電話番号、住所が書かれていたのだ。

誘拐事件として捜査する反面、その線に疑問も抱いていた警察は、そのメモに書かれたモーテルのオーナーである日系人女性に連絡して、事情を聴いたうえで協力を要請。

そのオーナー女性は警察に、日本人女性が一人で宿泊しており、チェックイン日時は12月7日だと話した。

ちょうど、美穂子が行方をくらました日だ。

しかも、それは一か月前から予約されており、予約の電話をかけてきたのはミナミノと名乗る男。

滞在予定は一か月で、その女性が来る前に着替えなのか、荷物も日本から送られていた。

チェックインした際の署名は「ミナミノ・メグミ」だった。

警察から連絡を受けてからオーナー女性はさらに、そのミナミノ・メグミのいる部屋を訪ねて「日高美穂子さんですね?」と確認したが、断固否定されたと知らせてきた。

本人であると判断した警察は、11日午前3時ごろモーテルを訪れて、その部屋にいた日高美穂子と思われるミナミノ・メグミに確認を取ったところ、女は激しく否定。

ばかりか、部屋にあったパスポートやキャッシュカードを窓から投げ捨てて、身元が分からないようにしようとすらしたが、無駄な抵抗だった。

日高美穂子本人以外の何者でもないことは明白であり、彼女も観念して、警察に確保されるしかなかった。

この時、美穂子は失踪前には長かった髪をセミロングに切って、伊達メガネをかけて変装していたらしい。

また、オーナー女性が訪ねてきたことから、捜索の手が近くなっていることを察していたようで、追っ手をかく乱するためか「メルボルンに行く」というメモが用意されていた。

そして、ハネムーン中は、ずっとはめていたエンゲージリングは外され、テーブルの上に置かれていたという。

会見で明らかになった失踪のあきれた理由

誘拐は、完全に美穂子の狂言だった。

ちなみに、美穂子の滞在していたモーテルは、敦夫と泊まっていたホテルから、10㎞ほどしか離れていない。

彼女は失踪している間、ほとんど外出せずに、部屋に引きこもっていたようだ。

愚かな日本女により、完全に振り回されたシドニー警察だったが、「旅行客の保護にベストを尽くしただけで、捜査費用は一切請求しない」と、太っ腹で大人の対応をした。

だが、二人はマスコミを通じての説明責任を果たさなければならない。

現地時間の11日午後7時、彼らは宿泊していたホテルで日豪両国の記者会見に臨んだが、事情を知った敦夫はぶ然とし、張本人の美穂子は緊張のためにガクブルであり、互いに顔を合わせようとせず、美穂子は記者の質問に対しての答えも、ボソボソとして支離滅裂だった。

まず、どうして失踪したかについて美穂子は、

「一か月前、結婚することに不安を覚え、成田離婚になったらどうしようと考え、知り合いに相談したら現地のモーテル(発見されたモーテル)を紹介してくれました」

と答え、着替えまで送って一か月ほど滞在するつもりだったのは、

「ゆっくり考える時間が欲しかった」

とボケた。

また、記者会見で美穂子は

「計画的にやったわけではない」

ともボケたが、一か月前からそんな準備していたというのは、十分計画的である。

その知り合いが、くだんのモーテルに予約電話をかけてきたミナミノらしいが、では、そのミナミノとはどういう知り合いなのか?かなり親しくなければ、ここまでやってくれそうにないが、という質問には、

「前の会社の上司で、昔、海外旅行した際もお世話になって…」

と答えたが、具体的な関係については口を濁す。

男女の関係であった可能性が高い、過去形もしくは現在進行形の。

後者だったとしたら、失踪前から敦夫を裏切っていたということである。

ちなみに「ミナミノ」は騒動になっている最中も心配して、何度か美穂子に電話しており、この失踪劇の共犯であったとみなされても仕方がない。

10日に、敦夫に「ゴールドコーストにいる」と電話したのは、「日豪双方のマスコミに報道されて騒動になっていることをテレビで知り、警察ざたになるのが怖くて、じっとしているのに耐えられなくなったから」「彼に勝手なことをしていると思われたくなかった」と、立て続けに天然ボケをカマす。

すでに勝手なことをしているではないか!

そして、「12日には警察に出頭するつもりだった」とも語ったが、ここまでの騒動を引き起こしておいた後では、あまりに嘘くさい。

美穂子の答えは、終始論理が完全に破綻しているように聞こえるが、要するに好きでもない敦夫という男と結婚するのが嫌で、かと言ってきっぱり別れを切り出す勇気もなく、ズルズルとハネムーンまで来てしまったということだ。

そのくせ「誘拐された」などと、大胆な大ボラを吹いて現実逃避し、とんでもなく大きな迷惑をかけている。

一方の強烈に裏切られていた新郎の敦夫は、記者の「結婚に対して不安を持っていることは美穂子から聞かなかったのか?」という質問に対して「相談されてはいた」と答え、「では、それが失踪の原因ではないかと思わなかったのか?」と聞かれると「その時は本当に誘拐されたと思った」とし、「自分が嫌いでいなくなったと信じたくなかった」と言った。

最愛の女性を、信じたかったということだろう。

だが、「今後の結婚生活はどうなるのか」という核心に触れた質問に対しては、斜め上を行く答えを返す。

「あほやと思われるかもしれへんけど…帰国したら針のムシロでしょうが、これからも二人で一緒にやっていきます」

と、予定どおり入籍することを宣言したのだ。

絶対に別れるだろうと予想していた報道陣も、これには唖然としていた。

美穂子もナメクジのようにすすり泣きながら、「敦夫さんのことが大好き、好きです。ずっと一緒にいたいと思っています」と答えて、その場の記者たちを凍り付かせた。

帰国後

日本で会見する敦夫と美穂子

帰国して大阪空港に降り立った二人は、そこでも記者会見を行い、またしても別れる気がないことを表明して、世にも奇妙な純愛劇を世間にさらす。

しかし、敦夫は会見中に泣き始めた美穂子が「敦夫さんごめんなさい」と、洟水を垂れながら甘えるように頭を自分の肩に傾けようとすると、手でそれを押し返した。

結婚生活を続ける意思は示したものの、この裏切りは、とても全面的に許せるものではなかったのだ。

そして、この寛容バカの男も、翌日にはその決心を変える。

敦夫の身内や知人は、このまま入籍することに納得せず、ワイドショーなどのビデオを見せたりして日本国内で、どのように報道されているかを知らせたのだ。

この騒動の全貌をようやく知った敦夫はワナワナと震え、この女と今後も連れ添うことが、いかに破滅的かを悟る。

美穂子の側にすぐさまそれを伝え、順調に離婚することとなった。

当たり前だ。

特に敦夫の母は、息子がハメられたと怒り心頭であった。

そもそも、母親の美穂子に対する印象はハネムーン旅行に行く前から最悪で、息子に「本当にこの人でいいの?」と尋ねていたくらいである。

それは、結納や結婚式で美穂子と四回会っているが、ヌボーとして一度も笑顔を見せておらず、感じがあまりにも悪かったからだ。

敦夫は、ふだんから女遊びには無縁な堅物で、そのおかげで女を見る目がなく、美穂子のような陰キャなうえに、バカで自分勝手な女に引っかかってしまったと見ることもできる。

彼は大阪空港での記者会見で「今後の取材は一切お断りします」ときっぱりマスコミにくぎを刺していたが、現代以上にモラルのなかったこの時代のマスコミは、言いなりにならなかった。

狂言誘拐だとわかった後は、さすがに二人の実名は出さなくなったが、第三の男である「ミナミノ」氏の正体を探ろうとするなど、しばらく、この騒動に関する面白半分の取材は続けられ、

バラエティー番組でも明石家さんまなどが記者会見を茶化すパロディーネタを披露するなど、完全に笑いものにされる。

ネクラな美穂子は帰国後姿をくらましてしまい、会社を無断欠勤し続けていたという。

いい面の皮だった敦夫も、最愛の女性がゴミだったことに落胆するあまり立ち直ることができず、勤めていた会社を辞めてしまったようだ。

その後の二人については、30年以上たった現在では知るよしもない。

美穂子はどうなっていようが知ったこっちゃないが、せめて敦夫の方は、まっとうな人生を歩んでいて欲しいものだ。

出典元―日刊スポーツ、週刊現代、週刊ポスト、FOCUS

関連するブログ:

最近の人気ブログ TOP 10:

最近の記事:

カテゴリー
2022年 事件 事件簿 奈良 本当のこと 誘拐

「お母さん!何とかして!」~1992年・奈良県天理市女子短大生誘拐事件~

本記事に登場する氏名は、全て仮名です。

PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

1992年11月30日、天理市内のとある寿司店。

金融業を営む森本正成さん(仮名・48歳)と妻の照子さん(仮名・46歳)、小学校五年生の長男の一家三人はすでに店内に入って席についていたが、一向に寿司を注文しようとせずにやきもきしていた。

注文するわけにはいかない。

この店に来るはずの森本家の長女、私立短大一年生の森本知世さん(仮名・19歳)がまだ来ないのだ。

森本家の人々は、この日は家族で食事をしようと決めており、大阪市内の短大に通う知世さんも家族とは別に、学校の帰りに店に来ることになっていた。

だが、その約束した時刻である午後7時は、もうとっくに過ぎている。

この時代に携帯電話はない。

待ち合わせに相手が現れないからといって、今どこにいるか又はいつ来るのか、相手に連絡をとることはできないのだ。

遅れるなら遅れるで、この店にいることは分かっているはずだから、店に電話があってもいいのだがそれも全くない。

「ナンで来(け)えへんのやろ?」

「なんかあったんやろか?」

来るはずの娘が姿を現さないのでは、心配でゆったりと寿司を食べていられるわけがない。

両親は悪い予感がして仕方がなかった。

そして、その予感は的中する。

脅迫電話

森本知世さん(仮名・19歳)

結局知世さんは、寿司屋に現れなかった。

森本家の人々は、仕方なく三人で砂をかむような思いで寿司を食べた後、午後9時には自宅に帰っていた。

そして、9時10分ごろ自宅の電話が鳴る。

娘からのものでは?と直感した母親が急いで電話に出ると、はたして娘の知世さんからだった。

ホッとしたのもつかの間、様子がおかしい。

「お母さん」と一言発してから、泣き声しか聞こえてこないのだ。

「どうしたん?」

呼びかけても泣き続けるばかりである。

「はっきりしいや。何があったん?」

ただ事でないのは明らかだ。

まさか…。

「誘拐された」

母親の照子さんは言葉を失った。

「どこや?どこににおるんや?!」

隣でやり取りを聞いていた父親の正成さんが電話に代わった。

「どこかわからへん~」

電話の向こうで知世さんは激しく泣き始め、もう言葉にならない。

「聞こえたやろ、誘拐したったんや。」

突然男の声に変った。こいつが犯人のようだ。

犯人は立て続けに要件に入った。

「明日までに二億まわし(用意)せい!」

とんでもない野郎である。

森本さんは金融業を営んでおり、そこそこ裕福だったようだが、二億をポンと出せるほどの大金持ちではない。

「二億て…!そなあほな…。よう集められへんわ、そんな金…」

そんな事情など犯人は、お構いなしだった。

犯人「でけへんのやったら、娘死ぬだけやで!」

父親「ちょっと待ってえな、頼むわ!とりあえず500万やったらええけど」

犯人「そないなはした金いらんわ」

父親「あんた鬼か?こっちかて、すぐには無理なんや。とにかく待ってくれって」

犯人「ほうや、わしゃ鬼や。ええから明日までに、二億耳揃えてつくらんかい!」

ここで母親が受話器を取って「お金は用意しますから、何もせんといて!」と絶叫。

だが冷酷な犯人は、次は下の息子もさらうなどと脅し続ける。

言葉からして、犯人は自分たちと同じ奈良の人間、少なくとも関西の人間のようだ。

「お母さん何とかして!!」と、知世さんが電話の向こうで泣き叫ぶのを母親に聞かせた後、警察に言ったら必ず娘を殺すと言って電話が切られた。

「警察に言うな」と言わない誘拐犯はいない。

だからと言って、言われたとおりにするわけにはいかない森本夫妻は、知人の警察官を通じて奈良県警天理署に通報した。

二日目

天理署

通報により森本家に駆け付けた警察は、次の電話に備えて逆探知の準備を開始。

翌12月1日、奈良県警は天理署に「身代金目的誘拐事件捜査本部」を設置し、報道各社は人質の安全を考えて、事件解決まで報道を控える報道協定を結んだ。

そして森本夫妻は、犯人からの電話を待つ一方で、預金を解約するなどして、約2000万円の資金を集めていた。

この日の日中は犯人からの連絡は全くなく、ただ時間だけが過ぎるのを見守る状態が続く。

やがて日が沈んだ夕方6時、唐突に黒いレクサスに乗った男が、森本家を訪ねてきた。

それは、正成さんの顔見知りの石川卓己(仮名・27歳)という男である。

石川は不動産仲介業の会社を経営しており、仕事を通じてつい最近知り合ったばかりだ。

そして森本家を訪ねた要件は、ゴルフ場予約の代行の依頼だった。

のんきな男である。

こっちは愛娘をさらわれて、ゴルフどころではないのだ。

「森本はん、顔色悪いんとちゃいますか?」

などと言ってきたりして、そんなに長い付き合いでもないのになれなれしい。

かと言って娘が誘拐されているとも言えない正成さんは「今ちょっと立て込んでいるから」などとごまかして断ると、「そら、えろうすんませんでした」と、あっさりと引き下がって車に乗り込んで立ち去った。

その車には、もう一人見知らぬ若い男が乗っていた。

石川が去ってからほどない午後6時48分、犯人からの二回目の連絡が入る。

これには、母親の照子さんが対応した。

犯人「金どうなっとる?」

母親「今うちの人が集めてます」

犯人「それと、さっきの黒い車はなんや?警察やろ!?」

先ほど訪ねてきた石川を、警察官と思ったらしい。

そして、こちらを見張っていたようだ。

母親「ちゃいますよ!あれは主人の友達なんです」

犯人「約束破ったんと違うんか?コラ!」

母親「ホンマに違うんです!信じてください!」

最悪だ。

空気の読めない訪問者のおかげで、犯人は態度を硬化させてしまった。

次いで母親は「娘の声聞かせてください!」と懇願したが、電話は無情にも切られた。

通話時間は二分間で、逆探知には足りない。

しかし7時15分、犯人から再び連絡が来る。

犯人も金を手に入れたいのだ。

「お金ですけど、今、二千万あります」

今度も母親が出たが、要求金額の十分の一しかないことで犯人は「二億言うたやろ、そないなはした金いらん!」「家も車も売らんかい!」などとオラついた。

そして「さっき友達や言うとった黒い車の奴呼べや。警察とちゃうこと証明せい!」と要求。

また、二億円には遠く及ばないが二千万で妥協したらしく、「その友達に金を持たせてやな、お前んとこの親父の車に乗せい。三十分以内や」と一方的に迫って電話が切れた。

第三者を、現金の受け渡しに使おうという腹のようだ。

受け渡し場所などは、まずそれからということだろう。

だが正成さんは、犯人の言うところの友達である石川に連絡を取らなかった。

そして、三十分たった7時48分に、三度目の電話か来る。

犯人「約束守らんかい!さっきの奴早う呼べや!」

母親「ウチも行ったらあきまへんか?」

犯人「あかん!その友達たらいう奴だけや!」

犯人はやたらと石川にこだわり、一緒に行くと言い張る母親の頼みを拒絶して電話を切った。

午後10時24分、今度は知世さんの声で電話が入った。

知世「お母さん…早うして…」

母親「大丈夫。何とかしたるから、気強く持ちや」

知世「ウチもうダメ…殺される…」

母親「そないなこと言うたらあかん!なあ…もしもし?もしもし?」

今度も涙声で、かなり参っている様子である。

この日の電話はこれで最後であったが、警察は逆探知する以外にも捜査を進めており、その手は犯人に迫りつつあった。

決死の電話

12月2日になって、事件は三日目となる。

警察は、昨日夕方に森本家を訪問したレクサスの男、石川卓己の身元を洗い始めていた。

捜査関係者は唐突の訪問から、何やら怪しいにおいをかぎ取っていたし、犯人がその石川にこだわって金を運ばせようとしていることから、事件に関係している可能性が高いと見始めていたのだ。

そして、これまで泣いてばかりだった知世嬢も、この日の午後2時、思い切った行動に出る。

犯人が寝入ったスキをついて、内緒で森本家に電話してきたのだ。

知世「もしもし、お母さん?ウチ、今、内緒で電話しとんねん」

母親「ホンマに?犯人はその辺におらへん?」

知世「昼寝してはる」

母親「ほんなら、起こさんよう小声で話しいや。犯人は何人おるの?」

知世「わからへん。目隠しされとる。ずっと縛られとった」

母親「ひどいことされとらん?抵抗したらあかんよ」

知世「うん、それと、警察に言うてない?お金取れへなんだら、殺す言われとるの」

母親「大丈夫。何とかしたるから。もうちょっとの辛抱や」

知世「あ、起きたかもしれへん。切る」

こうして電話が切られたが、時間にして13分間。

知世嬢の決死の電話で森本家に張り込んでいた警察は、ついに逆探知に成功、発信源は奈良県磯城郡田原本町内であることを突き止める。

そしてその田原本町内には、石川卓己の経営する不動産会社『D開発』があった。

石川を最有力の容疑者と断定した奈良県警は、『D開発』を張り込み始める。

捜査は、大詰めを迎えようとしていた。

午後10時42分、現金の受け渡し場所を伝える犯人からの電話が入る。

今度は知世さんに電話をかけさせ、その後に犯人に替わった。

「とりあえずやな、11時15分に家を出え。親父の車でやぞ。そんで、郡山インターから…」

「もっとゆっくり言うてください。メモしとりますんで」

今度の逆探知は地点を絞り込んでいたので、どこからかけられているか完全に判明した。

場所は、まごうことなき『D開発』である。

張り込んでいた捜査員に犯人確保と人質救出の指令が下り、『D開発』に警官が突入、案の定犯人であった石川卓己を『D開発』の事務所内で逮捕した。

D開発

突入時、石川は森本家への電話をかけている最中であり、知世さんはその向かいのソファで、目隠しをされたままぐったりしていたから言い逃れはできない。

奈良県警は突入の前に、『D開発』から出てきた男を参考人として確保していたが、その男は大谷靖(仮名・20歳)という石川の会社の従業員で、共犯者でもあったことがほどなくしてわかる。

それは石川が森本家を車で訪問した際に、同乗していた男であった。

53時間ぶりに解放された知世さんは、突入した警官隊の中にいた女性警官に抱きかかえられて外に出てきたが、相当怖かったのだろう。

それまで溜めていたものを吐き出すかのように、頼もしい同性の胸で泣き続けた。

解放直後の知世さん

一方、犯人の石川は被害者宅に第三者を装って身代金を奪うという奇策を弄したが、それがかえってあだとなる形となったのだ。

犯行の手口と知世さんのその後

犯人の石川卓己と大谷靖
犯人の石川卓己と大谷靖

 

主犯である石川卓己は、もともと不動産のトップセールスマンで、会社を辞めてから『D開発』を創業。

しかし、事件の前年のバブル崩壊のあおりを受けて業績が傾き、二千万の負債を抱えて資金繰りが悪化していた。

そこで、金融業を営んで金を持っていそうな森本さんの娘を誘拐するという犯罪に手を染めてしまったのだが、森本さんに何度か借金を申し込んで断られたこともあり、その個人的な恨みも犯行の動機になった可能性が高い。

石川は従業員である大谷を引き込んで、誘拐を決行する三日前から知世さんを尾行していた。

知世さん本人によると、事件前に何度か後をつけられたり、見られたりしている気がしていたらしい。

近鉄二階堂駅

そして、事件当日の11月30日、最寄り駅の近鉄二階堂駅で、石川は白いレンタカーに乗って待ち伏せ、学校から帰ってきた知世さんを発見。

「ちょっと、お父さんのことで話がありまして、この書類をちょっと見ていただきたいんですよ」

などと声を掛けたところ、彼女は不注意にも車に乗り込んでしまった。

どう考えても、おかしいと思わなかったのだろうか?

車内に乗せてしまえば、こっちのものだ。

石川はナイフで知世さんを脅して粘着テープで後ろ手に縛りあげると、あちこち連れまわした後『D開発』に連れ込んで監禁。

脅迫電話は石川がかけ、大谷は監視役だった。

2日に、スキをついて電話をかけてきた際以降は目隠しだけだったが、それまで長時間縛られっぱなしだったため、彼女の手にはアザができていた。

知世さんは、手にアザができた以外にケガもなく無事生還したが、拉致されて縛られたうえに、命の危険にさらされて、あっけらかんとしていられるわけがない。

無神経にも、両親とともに記者会見に引っ張り出された知世さんは、終始顔を引きつらせっぱなしであったし、その後しばらくPTSDに苦しんだという。

記者会見

最近の人気ブログ TOP 10:

関連する記事:

最近の記事: