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異常な家庭での一夜の体験 – 1990年の悪党家族との一夜

世の中には一般的な社会常識が通用しない異常な家庭が存在する。

そこではわが子を正しく導くべき保護者が反社会的な人物で、その子もそれを見て育った結果、必然的に一家全員が悪党という家族のことだ。

まだバブル経済崩壊前の1990年、一応進学校を標榜する高校の一年生だった私はそんなハイエナの巣のような家庭で一夜を過ごす羽目になった。

だが、その体験は文化や価値観が全く異なる人々との遭遇であり、異国の人々の生活習慣に触れたに等しいカルチャーショックを私に与えた。

私は着いて早々ホームシックに陥ったが、鮮烈で濃厚な時間を過ごしてそれまで知らなかった、あるいは知ってはならなかった世界を垣間見たその一夜はいまだ忘れ得ぬ体験だった。

1990年6月某日、O市N町F山家

私だってそんなヤバイ家庭に好き好んで行き、あまつさえ一泊するつもりなんてなかった。

そのきっかけを作ったのは中学の同級生で、底辺高校として地元で有名なO農業高校に入学したとたん高校デビューした駆け出しヤンキーのK田T也である。

K田についての記事

後にゲームセンターで他の不良少年にシバかれて大人しくなってしまった彼だが、この頃は高校デビューしたばかりで威勢が良く、同級生を殴って停学になったO農業高校の友達の家に遊びに行くからと、学校帰りの私を無理やり同行させたのだ。

その訪問先、K田の友達の危険な男の名はF山M雅。

ちなみに、後に私が高校のクラスメイトでF山と同じ中学だった者から聞いた話では、学校内ではかなり恐れられていた不良だったという。

このF山の家こそが私が一泊する羽目になった家庭なのだが、この時はまさかそんなことになるとは予想していない。

F山の家はO市内だが10km近くも先のN町にあり、ただでさえ行くのが嫌だったが、いざ到着したらもっと嫌になった。

言っちゃ悪いが、外から見て何となく問題を抱えた家庭の荒れた生活臭がする木造の二階建て。

外には「仮面ライダー」仕様のような改造バイクが停まっており、この持ち主が家の中にいるかと思うと帰りたいことこの上ない。

「ごめんください、K田です。F山君いますか?」

「おーう、入れ」

何回も来ているらしいK田が玄関の戸を開けて来意を告げると、玄関を上がってすぐのところにある破れたふすまが開き、赤茶色に染めた長めの髪を逆立てたような髪形の少年が顔を出した。

この少年こそがF山M雅だった。

紫色のジャージを着て首と腕には光物、左耳と鼻にピアス。

細く剃った元々薄い眉毛の下の目は、モノを見るという本来の役割に加えて相手を威嚇するという機能も存分に備えている。

要するに目つきが相当ヤバイ。

一目でわかるほど悪そうで、昨日今日悪くなった感じがしない。

高校デビューのK田とは迫力が違う。

私は思わず後ずさった。

「そいつ誰や?」

F山が剣呑な顔で、尻込みする私の方を見てK田に尋ねる。

「あ、こいつ俺のパシリ」

K田はいけしゃあしゃあと答えた。

高校デビューしてから電話で「今すぐ俺んちに来い」だの「タバコ買って来い」だの横柄な態度を私に取って来るようになっていたK田だが、やはりそう思っていたようだ。

「ふーん、まあええわ。K田のパシリも上がってこい」

K田には勝手にパシリにされ、F山には「K田のパシリ」と名づけられた私もF山家のタバコ臭漂う居間に通された。

居間に入ると、F山以外に二人の先客の少年がドラクエをやっていた(この当時はファミコン健在)。

二人ともやはり悪そうで、入ってきた我々、特に私の方を怪訝そうに睨むので居心地悪いことこの上ない。

そしてそこは悪の巣窟だった。

先客の少年のうち眉なし坊主は近所に住むF山の後輩で中学三年生のI井S三、もう一人の茶髪はこの家で厄介になっている16歳の家出少年でT野M夫というらしい。

どう見ても勉強している姿が想像できない、まともじゃなさそうな見かけをしている。

そして新たに加わったK田と始まった会話の内容は、誰それをボコっただの、どこそこの店は万引きしやすいなどの悪事自慢。

もっとも、自分のやった悪さを懸命に語る駆け出しヤンキーのK田は、他の本格的なヤンキー三人と比べるとどうも背伸びしてる感が否めなかったが。

彼らが吸うタバコの煙もあるが、進学校の高校生の私には生存に適さない空間で呼吸困難になりそうだった。

「あー、いらっしゃいK田君。あれ?そっちの子は初めてやね」

いたとは気づかなかったが、F山の母親と思しきスナックのママ風の中年女性が奥から現れた。

手には人数分のグラスを持っており、私を含めた全員の前にそれを置く。

そしてまた奥に引っ込んで、「まあ飲みんさい」と言って持ってきたのはまごうことなき瓶の「アサヒスーパードライ」三本と亀田の柿ピー。

どういう家庭なんだ?我々は未成年なんだぞ。

だがK田はじめ他の少年たちは「いただきます」と普通にビールを自分のグラスに注いで飲み始める。

「パシリも飲め」とご丁寧にもF山が勧めるので、私も郷に入ったら郷に従わざるを得なかった。

そんな宴が始まって間もない時、外で「ドロドロドロ」という排気音がして、窓からこの家の駐車スペースにごついアメ車が入ってくるのが見えた。

「あ、オヤジが帰って来た」

F山のつぶやきで他の少年たちのビールを飲む手が止まり、緊張が走ったのがわかった。

エンジン音が止まり、玄関の戸が開く音がする。

F山の父親とはどんな人物だろう?他の少年の反応を見る限り優しい人ではなさそうだ。

「おーう帰ったで」

野太い声と共に居間のふすまを開けて入ってきたF山の父親は、やはり想像通り、と言うか以上だった。

パンチパーマで薄黒系のサングラスに口ヒゲ、真っ白なスーツとは対照的に真っ黒なワイシャツとネクタイという容易に職業が推察できるファッションセンス。

F山M雅の父親、F山S雄だ。

「おつかれさまです!」

I井とT野が立ち上がって大声で挨拶をした。

K田もそうしているので私もつられてした。

「おーう、やっとるな。まあ飲め飲め」

「ごちそうになります!」

F山父は鷹揚に言うと、奥の部屋でスーツを脱いでネクタイを外して戻って来て、一緒に飲む気らしく少年たちの輪の中に腰を下ろした。

F山母が持ってきたウイスキーと氷で水割りを作り始めると、そこでひそひそと夫婦の会話が始まった。

「定例会どうやったの?」

「兄さんもケツまくっとる。オヤジも何もしてくれへん」

「何か言うたりゃええがな」

「あかん!どうせまた破門したろかとか言いよるわ」

F山母との短い会話でも、その職業が推察通りであることが裏付けられた。

「そりゃそうと、オイM雅!」

突然F山父が息子に話を振った。

「なんや?いきなり」

M雅はさすがに息子で、こんなおっかない父親にもそんな応答ができるらしい。

だが、その後に続く親子の会話の内容が一般社会の良識から著しく逸脱していた。

M雅、お前この前駅で工業高校の奴とモメたやろ?」

「あ?あれならもうずいぶん前のことやろが」

「何でそいつボコボコにしなんだんや!」

「そういう奴いちいち相手すんの疲れるんだわ」

そしてあろうことか、次にF山父は私に興味を持ち始めた。

「おいそっちの坊主、なんや真面目そうやな?校則とかもちゃんと守っとる感じやな?」

やはりこの不良少年たちの中では、毛並みが違うのが一目瞭然だから目立つらしい。

「ええ、まあ」と答えた私にF山父が言った次の言葉は、今いる場所が非常識を通り越した異次元空間であったことを私に思い知らせた。

「いい若いモンが悪さもせず何をやっとるんや?将来ロクな人間にならへんで!」

この一言にその場の少年たちが「そうやそうや」と大いに沸いた。

何という逆金言だろう。ていうか、もしかして今の笑うところ?

「では、今のあなたは?」

という冷静かつ自殺行為の正論は、少なくともこの場でできるわけがない。

それどころかビールの酔いも手伝って、自信満々に語る貫禄満点のF山父の観念は聞いていて問答無用の説得力があり、少し納得してしまっていた。

F山父も酔い始めたらしく、少年たちがありがたく拝聴しているのをいいことに、自らの道徳観や人生観を大いに語り出した。

まず「この世で一番ツブシがきく商売は何やと思う?」と一同に尋ねて間をおいた後、

「それは、悪さや!」

と吠えてから怒涛の持論を展開し始めた。

「ええか。酒もタバコもええけど、シンナーやシャブだけは食ったらあかん。シンナーやシャブは食うもんやない…売るもんや!」

「被害者になるくらいやったら加害者になれい!日本は加害者を守る国や!」

「好かれてナメられるより、嫌われて恐れられる男にならんかい!」

最初ウケを狙っているのかと思ったが結構目が本気だし、I井もT野も、そしてK田も「なるほど」とか感心したりして神妙な面持ちで聞いている。

私が間違っているんだろうか?決してためになることは言っていないのに、ある意味真実をついているような気がしてきた。

周りが周りだし、私もビールのおかげで徐々に洗脳されつつあったのかもしれない。

知らないうちにK田からもらったタバコを私もせき込みながら吸っている。

そして、F山父独演会の熱心な聴衆の一人となっていた。

他にも彼は、

「青信号は安心して進め!黄信号は全力で進め!赤信号は隙あらば進め!」

という交通法規に対する独自の見解も持っていた。

こんなのが父親とはF山M雅という男は何て不幸なんだと思われるかもしれない。

しかし当のM雅の方は結構冷静で常識があり、

「ムチャクチャ言うとる」とか「そんなわけあるか」

などとオヤジの主張にツッコミを入れていた。

親はなくても子は育つのか、こんな親ならいない方がマシだが。

もっとも息子は高校を傷害で停学になるなど、十分父親の期待通りに育っているようだ。

などと話を聞いていたらもう夜遅くになってしまった。

私は「もう遅いのでこれで失礼します」と千鳥足で帰ろうとしたが、

「泊ってけ」とF山父。

さっきから一緒に水割りを飲んでいるF山母も「一晩くらいええよ。K田君も泊ってく言うてるし」と余計な援護射撃をしてくれる。

F山父は、

「このM夫もM雅とゲーセンで知り合うてから、一週間もウチにホームステイしとる」

と家出少年のT野M夫を指さした。

いや、私は家出してるわけではありませんので、それにホームステイ?意味わかって言ってる?

「でもまあ親は心配するやろうしな。ワシも親やからわかる」

そうなんですよ。だからもう帰ってもいいでしょう?

「でもなあ、子にとって親ちゅうのはな…迷惑かけるためのもんや!

サングラスを外したF山父の猛禽類のような眼光に見据えられてそう断言された私は、

「一晩ご厄介になります」と返事していた。

「俺が迷惑かけたらすぐブチ切れるくせに!」

と息子のM雅に横からツッコまれていたが。

結局その日は遅くまで飲んでそのまま居間で雑魚寝。

翌朝F山母からふるまわれた「金ちゃんヌードル」を朝食としてから(何たる手抜きの朝食!)、私の「ホームステイ」はようやく終了。

帰り際、F山父は私に、

M夫はワシの息子みたいなもんやし、M雅の後輩のS三はワシの後輩、ツレのK田はワシのツレ、K田のパシリのお前はワシのパシリや。いつでも来てええぞ」

という言葉をかけた。

二度と行ってはいけないな。

これ以上付き合ったら無事で済まないことは間違いない。

高校生だった私の目から見ても、気さくさを装ったその奥にあるそこはかとないヤバさが見え見えだった。

もう絶対行きたくないと思いつつ、私は二日酔いのままK田と家路についた。

家に帰ったら、仕事を休んで家で私を待っていたという両親にムチャクチャ怒られた。

大したことしてないのに、何でそこまで怒られねばならんのかと思った。

あの一晩で私の善悪感は少し歪んでしまったらしい。

学校へ普通に行って帰宅しての繰り返しといういつもの日常に戻ると、私の善悪感はまた元通り矯正されたが、実在したあの世界での記憶は確かに残った。

そして時々K田と会っていたが、その後F山の家に行くことはなかった。

その後K田とは付き合いがなくなり、F山一家がどうなったかは分らなくなったが、その年の年末に家で購読してる地方紙のG新聞にF山父のことが載っていた。

「約1億2千万円相当の大量の覚醒剤を密売目的で隠し持っていたとして、G県警は、暴力団Y組系K組幹部のF山S雄容疑者(40)=O市N町=と、住所不定無職の少年(16)を覚醒剤取締法違反(営利目的所持)の疑いで逮捕した」

名前と住所から見てもあのF山父で間違いないだろう。少年の方は家出少年のT野M夫じゃないだろうか?

あれからまだ「ホームステイ」して、仕事まで手伝ってたのか?

シャブは食うものでも売るものでもなかったということだ。

あれ以上深くかかわらなくて正解だったが、こういう新聞の事件欄を飾る人々の生活を垣間見ることができたのは貴重な体験だったと今では思うことにしている。

何も外国に行かなくても、風俗習慣が異なる人々が同じ日本の中にもいるのだ。そんな人々の中で過ごしたあの一夜はまさに私の中では「ホームステイ」だった。

自分の絶対と思ってきた価値観を壊されるのは衝撃だが、時として痛快で心地よい驚きとなることもあるのだ。

実は、最初はあれほど帰りたかったF山家での晩が妙に刺激的で面白かったような気が時々していたことを告白する。

リスクはあったとしても、後から思えば世間のルールを逸脱していい世界は結構魅力的だった。

料理は体に毒なものが多少入ってないとおいしくないのと同様、人生だって破滅しない程度でためにならないことを多少経験しないと面白くないじゃないか。


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高校デビューした少年 – O農業高校とK田の変容の物語


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高等学校の中には、素行不良な生徒の占める割合が異様に高い学校がある。

約三十年前の1990年代のことなので現在はどうか知らないが、私の郷里の県立O農業高校がまさにその典型だった。

大学進学率は一ケタどころか小数点第二位で測定不能、その反面で退学率が二ケタ台で出席番号がしょっちゅう若くなるという凄まじさ。

反社会人予備校か出入り自由の少年院としか考えられない環境の高校で、中学時代はおとなしかった生徒も入学すると悪くなり、悪かった生徒はより悪くなる。

真面目な生徒だと無事にそこでの学校生活を送れないからだろう。

逆教育機関と言っても過言でない学校、それがO農業高校だった。

そんな悪名高きO農業高校に、私の出身中学からも何人かの同級生が進学したが、その多くが見事に同校の校風に染まってヤンキー化。

その中には中学時代によくつるんでいたK田もいた。

K田の高校デビュー

中学時代のK田は真面目というか気弱な生徒で、学業成績も破滅的だった。

中学卒業後の進路を聞かれた時に「高校進学」と答えたら、周囲から「爆弾発言」とからかわれたくらいだから、小学校低学年程度の学力を有しているか日本生まれのヒト科でありさえすれば入学できるとまで言われていたO農業高校しかなかったようだ。

そんなK田と私は同じく気弱で、腕力に劣るスクールカーストの底辺に位置することからそこそこウマが合い、中学では一緒であることが多かった。

卒業後、私は一応進学校の県立O西高校に進学したが、それとは対極のO農業高校に入ったK田とは家が比較的近所ということもあって中学時代の関係は続いた。

K田に異変が生じ始めたのは高校に入学してほどなくだった。

やはり入った高校がO農業高校だったからだろう。

彼は坊主頭だったが、心なしか剃り込みを入れているような気がしてきたし、眉毛の形も以前とは違う。

そして会うたびにその剃り込みは深くなり、眉毛も細くなってゆき、変形ズボンを穿いた本格的なヤンキーに変身するのに夏休みまでかからなかった。

外見にリンクして言動も変化。

「どけや、くそガキども!」と声を荒げて小学生を蹴散らすし、タバコを吸うようになったし(銘柄は「エコー」)、私に対する態度も変わってきた。

極悪校O農業高校の生徒であることをなぜか誇りとし、進学率のそこそこ高い普通科高校の生徒を十把一絡げにシャバ僧とバカにし始めていたからだろうか。

K田の口調はだんだんガラが悪くなり、「ジュース買ってこい」だの「タバコ買ってこい」だの私をパシリ扱い。

この時点で友人関係を解消してもよかったが、私自身まだ高校でつるむ友人に乏しかった頃だったために、彼との付き合いはしばらく続いた。

ヤンキーと言えば格好だけではだめで、ある程度ケンカっ早くなければならないことくらい私でも知っている。

彼もいっぱしのヤンキーを気取っていたから、私にO農業高校の恐ろしさを語り、よく学校の内外で誰かとモメたことを自慢するのが好きだった。

そして、私にも「気に食わん奴がおったらぶん殴ったらなあかんぞ」だの「ケンカにガタイも人数も関係あらへん、根性や!」などと忠告。

おそらく覚えたばかりのケンカのやり方や人の殴り方を頼んでもいないのによく教授してくれた。

こっちは誰かを殴ったりしたら退学になりかねない進学校の高校生なのだ。
はっきり言って余計なお世話であった。

K田の試練~生意気な中学生に対して~

そんなK田のヤンキーとしての資質を問われる出来事が私の目の前で起きたのは、その年の夏休み後くらいの休日だった。

その日、私とK田は自転車に乗って中学時代の友達の家に遊びに行った帰り道、前から歩いてくる我々の出身中学の在校生二人に出くわした。

直接面識はないが、二人とも知っている顔だ。

私の二歳下の弟と同学年の、確か名前はT島とS本で、我々が在学中に一年生だったからその時は中学二年生。

部活帰りらしく中学校の体操着姿のため、悪そうな見かけはしていなかったが、どちらも体格が良くて見るからに強そうだった。

それもそのはず、二人とも柔道部に入っていた記憶がある。

高校一年生の我々が自転車で彼らに近づいた時、中学二年生のT島とS本の顔は我々の方、特にK田に向いているような気がした。

そして通り過ぎた後もこちらを見続けている。

ガンをつけているという程ではないが、ニヤニヤしながらバカにしたような顔でだ。

「なんやあいつら?」とK田は自転車を漕ぎつつ、後ろを振り返りながらイラつき始めた。

T島とS本は相変わらずこちらを見ながらヘラヘラして、挑発しているとしか思えない態度である。

K田は二人を睨みながら「やったろか中坊ども!」とうなり始めた。

ケンカする気なのか?相手は中学生とはいえこちらよりガタイが大きい。

しかもあいつら柔道部だぞ。

私はそう懸念したが、K田の怒りはもう制御不能だった。

「てめえらやんのか!?コラ!!」

K田が中学生二人に向けて怒声を発した。

しかしそれは、

彼らから100メートル以上の距離に達してからだった。

そして前を向くと、そのまま自転車を漕いで遠ざかって行った。

時々後ろを振り返りながら、心なしかスピードを上げて。

振り向いて見てみると、遠くのT島は大笑いし、S本は「来てみろよ」とばかりに手招きしていた。

確かK田は「気に食わん奴がおったらぶん殴ったらなあかん」とか「ケンカにガタイも人数も関係あらへん、根性や!」とか私に言ってたはずだ。

そういうのは範で示さなきゃ説得力がないと思うが。

「あいつら殺したる」と、彼らの姿が見えなくなった安全圏でいきり立つK田のヤンキーとしての資質に私の中で疑念が生じ始めた。

それからさすがにバツが悪くなったのか、ケンカについて講釈を垂れなくなったK田だが、彼の本当の試練はその後日にあった。

K田の最後~本物の不良少年に対して~

中学生たちとの一件から一か月ほど後、私とK田はゲームセンターでゲームをしていた。

ケンカの自慢話はしなくなったとはいえ、K田は相変わらず横柄な態度で私に接しており、高校でまともな友達ができ始めた私は彼との関係の解消を考慮し始めていた頃だ。

我々はゲーム機に隣り合って座り、それぞれのゲームに興じていた。

私はゲームセンター版「ゼビウス」を、右隣のK田は「エコー」をくわえて「スターソルジャー」をプレイし、時々ゲーム機の右隅に置いた灰皿に灰を落としていた。

その日の私は絶好調で高得点を重ねて初めてのエリアに突入。

これからが肝心という最中だった。

横からK田が私をつつき「おいおい、あのさ」と話しかけてきた。

その声はいつものガラの悪い命令口調ではなくやたら切迫した弱々しい感じだった。

「何?」私はゲームに熱中してたので顔を上げずに聞き返した。

「あそこにいる奴なんだけど、こっち見てへんか?」

「え?どこの?」

「あの『アフターバーナー』のトコにおる金髪の奴」

そう言われてから、顔を上げて戦闘機ゲーム「アフターバーナー」の方を見たら、いた!確かに金髪のリーゼントでスカジャンを着た少年がこっちを見ている!

90年代初頭の地方都市O市で、未成年で金髪にしているのはグレ方が半端じゃない奴とみなされていた。

実際その金髪少年は相当悪そうで、目つきのヤバさもかなりなものだ。

グレたばかりのK田とは貫禄が違いすぎる。

そんなのがこっちを睨んでいたから私も思わず目を伏せた。

もうゲームどころじゃない。

横のK田も目を伏せており、「なあ、どうしよう?どうしよう?」とこちらを向いたその顔は今にも泣き出しそうだった。

そんなの私に振られても困る!完全に気弱だった中学生時代のK田に戻っている。

「あ、ヤバイこっち来た!」
顔を上げると、その金髪がタバコを吸いながらこちらに近寄ってくるのが見えた。

再び目を伏せてから隣のK田を見ると、彼はより深く顔を伏せて目をきつく閉じ、膝をがくがく震わせていた。

「おい、オメーよぉ」

その声で顔を上げると金髪はK田のゲーム機の右横まで来て、彼の座っているゲーム機を蹴った。

顔を伏せていたK田がビクッとする。

次にタバコの煙をK田の顔に吹きかけた後、おびえるK田の髪をつかんで顔を上げさせ、「オメー見かけん顔やな、どこのモンや?」と凄み始めた。

金髪は前歯が二本欠けていた。

「あの、あの、O農業高校です」と震えながら答えるK田に、「農業ふぜいがナニ偉そうにしとるんじゃ」と言い放つ。

この金髪の本格的不良少年には極悪校O農業高校のブランドも通じない。

「それとよ、オメーさっきからえれぇ調子こいとりゃせんか?おう?」

「いや、そんな…。別に調子こいてないで…、アチイッ!!

金髪に火のついたタバコを顔に押し付けられたK田が悲鳴を上げる。


「ま、ちょっと話あるからツラ貸せや」

そう言うと髪を引っ張ってK田を無理やり立たせた金髪は私を睨んで、「そっちのゴミは失せろ」と出口に向けて顎をしゃくった。

否も応もあるわけがない。

私は一目散にゲームセンターから退散した。

自転車置き場に置いた自分の自転車のカギを、手が震えてうまく外せない私の耳に「オラ!来いや!」という金髪の怒声と、「すいません!」「勘弁してください!」というK田の叫び声が入ってきた。

それが、ヤンキー少年としてのK田を見た最後だった。

K田のその後

その日以降彼からの連絡がなくなり、見殺しにした私もあえて連絡しようとしなかったが、とりあえず殺されてはいなかった。

何週間かした後で学校帰りのK田と不意にばったり出くわしたのだ。

彼は中学時代と同じ丸坊主で眉毛も剃っておらず、学ランも変形ではなくなって普通の高校生の姿になっていたが、私から目をそらしてそそくさと立ち去った。

私との関係は終了したが、奴はすっかり更生したようだ。

いや、ヤンキー生命を絶たれたのではないだろうか?

あの金髪にヤンキーをやるのが嫌になるくらい怖い目にあわされたに違いない。

あの時のK田の、あのおびえ方を目の当たりにした私はそう感じた。

ヤンキー少年、少なくともK田のような中途半端な即席タイプを、形がどうあれ更生させるのは善良な人である必要はないのかもしれない。

悪いことをすることがどれだけ間違っているかを教えるより、どれだけ怖いことかを分からせた方が効果的なのだ。

それを分からせられるのは本当に悪い奴しかいない。

あの金髪のような本物も使いようによっては、O農業高校のような極悪校の生徒を少しはまじめな学生に近づけることができるのではないだろうか。 

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