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未成年に踏みにじられた25歳の純情 ―実録・おやじ狩り被害―


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1999年(平成11年)、24歳だった私は某電器メーカーの工場で派遣工をしていた。

大学卒業後に就職した会社を、一年とちょっとで追われたからだ。

時は就職氷河期の真っただ中、職場には私と同世代の者が意外と多かった。

就職できなかったか、私と同じく会社からドロップアウトしてしまった若者たちである。

そんな中にH川という青年がいた。

H川は私と同じラインで働いているから顔見知りだが、話したことはない。

私が職場で口を利くようになった人間の一人にM田という男がいて、そのM田がH川とよく話す仲だった。

奇しくもH川はM田の小中学校の同級生で、昔馴染みだったのだ。

つまりM田と同い年だった私とも学年は同じだった。

M田によるとH川はある専門学校を中退後、また別の専門学校へ入り直して卒業してから就職したが、一か月未満で辞めてからこの工場で働いているという。

H川は大人しそう、というか気弱でネクラそうな感じの青年である。

長めの寝ぐせを整え切れていない不潔そうな髪型、170cmくらいの細身だが運動不足で体脂肪率が高めであろうガリポチャ体型、私服のセンスも悪い。

その外見からも、活舌が悪くモゾモゾと何を言っているかわからないしゃべり方から判断しても女性には絶対にモテそうにない感じの男だった。

私も似たようなもんだったが。

だが10月中旬の金曜日、そのH川が大変身を遂げて職場にやって来た。

長めの髪を金髪に近いような茶髪に染め、耳と鼻にピアス。

上下は作業着に着替えていたのでどんな私服を着て来たのかわからなかったが、首から上だけでも十分インパクト大の変わりっぷりだった。

一体何があった?工場の薬品による労働災害か?

いやいや、女関係に決まってる。

果たしてやっぱりその通りで、今晩女性と会う約束をしているとかで、そのためのイメチェンだった。

「どうしたんだその恰好?」とM田らが聞くと、H川は待ってましたとばかりに喋る喋る。

何でもテレクラ(1999年当時は携帯の出会い系サイトも出始めていたが、テレクラも健在だった)で知り合ったらしく、しかも相手は女子高生だというではないか。

当時女子高生は『コギャル』と呼ばれて世のいい歳こいた男どもにもてはやされ、コギャル文化真っ盛りの時代。

だからH川は普段と違ってもう有頂天という感じで、相手は女子(コギ)高生(ャル)であることを特に強調していた。

M田たちは「援助交際だろう」とか「本当に女子高生か」とからかったら、もうすでに一回だけちょっと会っており、今回は二回目で本格的なデートだという。

たったその程度なのに喋っているうちにH川は相手のことを「俺のオンナ」とか「カノジョ」とか言い始め、もうすっかり交際しているつもりになっている。

それをツッコまれると、「俺のことを気に入ったって向こうは言ってんだ!」とムキになった。

「おいおい、ヤバくねえか?」「おっかない奴出て来るぞ」と、みんな懸念を表明したが、H川は聞く耳を持たない。

それどころか「俺ってマジで何歳に見える?高校生くらいに見えなくね?」とかワケわからんことを言い出している。

「25歳には見えない」と言われたらしく、いい歳こいて喋り方までそれっぽく変えて。

25歳未満ではなく25歳より上に見えるという意味じゃないのか、それは?

私も端から聞いてて、どう見てもヤバいような気がしていた。

だってH川はネクラで地味な青年で、喋りがド下手くそなコミュ障。

年上の男に魅力を感じると相手は言っていたと彼は主張するが、イメチェンしたとはいえ小学生のまま25歳になったような感じのH川に、高校生くらいの女の子が寄ってきそうな大人の魅力があるようにも見えない。

援助交際じゃないとしたら、相手の女子高生とやらには何か危険な目的があるんじゃないか?

第一、彼のイメチェンは私から見ても無理してる感が強く、痛々しい。

今までファッションに全く気を配ってこなかった者が、急にシャレっ気を出した場合特有のズレを感じる。

染めた髪だってムラがあるし、相変わらず寝グセ立ってて変な髪型のままだし、ピアスの位置もおかしい。

それにいい歳こいて、そのガキみたいなファッションは何だ?

などなど心の中でツッコミを入れつつ、実は自分と同じくらいネクラそうな奴がまんまと女性と会うことができたことに対する嫉妬が混じっていたのも事実だ。

もうすでに一回会っているって言ってるし、もしH川の話が本当だったら私もテレクラ行ってみようかな、ともちょっと思ってた。

作業が始まってもH川ははしゃぎっぱなしで、隣の奴にあれこれ話しかけてる。

聞こえてきたのは「どのラブホテルが一番おすすめ?」だ。

さっきから聞いてりゃ気が早すぎだろう、今回も約束どおり相手が来るとも限んないんだぞ。

などと横目で聞き耳を立てていたら、「おい!横見て作業するな!」

現場監督に怒鳴られたのはおしゃべりしていたH川ではなく、なぜかそれを見ていた私の方で、何とも釈然としない。

こうしてその日の作業が終わり、午後5時の終業時間になるや、H川は踊るようにタイムレコーダーに向かって行った。

さぞかし期待で胸と下半身を膨らましていたことだろう。

それが、彼を見た最後だった。

土日が明けて、月曜日。

H川の野郎はどんなこと言ってデートにこぎつけたんだろうか?普段話さないけど聞いてみようか?などと考えながら出勤した。

実は金曜日からずっと気になっていたのだ。

朝礼が行われる従業員休憩室に行くと、私の担当ラインのみんなが揃いも揃ってM田とそのツレのK保を囲んで話をしていた。

H川はその中にはおらず、まだ来ていないようだ。

彼らに近づいてみるとみんな深刻な顔をしており、「それで大丈夫なの?」とか「何で警察に言わなかったの?」とかの言葉が聞こえた。

何だかただ事ではない。

何があったのか気になったので、私もその輪に加わる。

「どうしたの?」

「H川がやられたってよ」

「やられたって?ナニされたの?」

「ボコられたらしい。K保が見たってさ」

K保は私たちと同じラインで働いており、H川とも仲が良い。

やや顔をひきつらせたK保によると、事の顛末は以下のとおりだった。

K保は金曜日の夜9時ごろ、女子高生とデートしているであろうH川に冗談半分でメールしたという。

その内容は「おい、もうどこまでいった?もしかして真っ最中か?」というようなもので、わざわざみんなにその時の携帯のショートメールの送信履歴で見せてくれた。

その後しばらく待っても返事がなかったため、K保はひとまず風呂に入った。

風呂から出て携帯を見ると、何と15分くらいの間に二件の着信履歴と留守録。

すべてH川からだった(これもK保は我々のために再生してくれた)。

一件目の留守録を再生すると、H川の「ああ、あのさ、大至急かけ直して」という短いメッセージ。

二件目は、「おい、頼むよ!大至急かけ直してくれって!」というかなり切迫した感じの声だった。

最初、K保はH川がこっぴどく女子高生に振られでもして、その愚痴を話したいんだろうと思ったらしい。

少々ザマミロとほくそえみながらかけ直したら、ワンコールでH川が出た。

だが、H川が電話に出るなりいきなりまくしたてるように話した内容が異常だった。

いきなり「金を貸してくれ!」と頼んできたのである。

しかもその額が十万円で、10時までに市内のB原中央公園という公園に持って来てくれというものだった。

確かにB原中央公園はK保の家から近いから行けないことはないが、いきなり「十万円貸せ」なんて頼みを当然聞けるわけがないからK保は断った。

だが、H川はなおも理由も言わず懇願し続けるので、二人の間で「何で貸さなきゃいけないんだ」「いいから頼む」という押し問答が続く。

付き合ってられないと思ったK保が電話を切ろうとしたら、「ええから持って来いや、ボケェ!」という怒声が電話から響いた。

その声はH川ではない若い男のものだったが、いかにもこういう脅しに慣れていそうなドスの効いた喋り方だったという。

その若い男の言い分は、H川がナメた真似したので落とし前を付けさせているが、これはツレであるK保の責任でもある、という無茶苦茶なものであった。

「俺には関係がない」とK保が少々ビビりながら突っぱねると、「ツレがどうなってもいいのか?」と電話の向こうでH川を痛めつけ始めた。

受話口から「やめてくださ…ぐふっ」とか「勘弁してく…痛ぁ!」とかのH川の叫び声が聞こえて来る。

ばかりか相手の男はK保の氏名や住所、勤務先などの個人情報を把握していることを告げ、10時までに約束の場所に金を持って来なかったらこちらから行く、と脅してきた。

K保のことはH川が苦しまぎれに教えたんだろう。

そして「警察にチクったら必ず報復する」と凄まれ、電話が切られた。

悪い奴らと何かあったのか?いや、H川は女子高生に美人局をかまされたに違いない。

K保は相手が声の感じから未成年だと確信したが、だからこそ怖くて怖くて仕方がなくなっていた。

この当時の少年法は「犯罪をやるなら未成年のうち」と言っているに等しいほど大甘で、それを盾に取った未成年の悪党たちは、金を持っていそうな成人男性を襲う「オヤジ狩り」などの凶悪犯罪を犯しまくっていたからだ。

そんなK保が取った行動は、相手の要求に従うでも警察に通報するでもなく、黙殺だった。

電話の電源を切り着信が来ないようにして、もし本当にこちらに来たらどうしようと、おびえながら床に就いた。

結局10時を過ぎても連中は来なかったが、不安のあまり朝までほとんど眠れなかった。

K保はこんなことに巻き込んだH川にムカついていたが、やはりどうなったか気になっていたので、昨晩彼らがいたであろうB原中央公園へ親から借りた車で行くことにした。

公園までは車で行けば5分とかからない。

公園に着くと、いつでも逃げられるように周りを車で巡回しながら様子を探る。

まだ連中がいるかもしれないからだ。

様子を探っていると、遊具のある広場の街灯の周りに人だかりができているのが見えた。

「もしや」と思い車を停めてその人垣に近づくと、その中央にいたのは案の定昨日職場で見たばかりのあの明るい茶髪、H川本人だった。

何と、広場の街灯にガムテープでぐるぐる巻きに縛り付けられてぐったりしている。

しかも全裸で!

H川は殺されてはいないようだったが、殴られて顔を腫らし、タバコで根性焼きをされた跡も所々体に残っており、陰毛も剃られていた。

ずいぶん屈辱的なシメられ方をしたものだ。

周りで見ているジョギングや犬の散歩で公園を訪れたと思しき人たちも人たちで、「動かさない方がいい」とか言ってガムテープをほどきもせず、H川を全裸のまま放置していた。

K保もそのまま見ていただけだったようだ。

その間にも近所の住民など野次馬が次々現れ、H川の醜態の目撃者は増えてゆく。

誰か通報はしていたらしく、ほどなくして救急車、そしてパトカーが到着した。

やっとガムテープをほどかれたH川は片手で股間を、もう片方の手で顔を覆い、警察官の質問に何事か答えながら救急隊員に促されて救急車までフラフラ内股で歩いて行ったという。

「だからヤバイって言ったのに。俺らまで巻き込みやがって」

K保と同じく電話で脅迫されたというM田も、犯行グループより自分たちを売ったH川に腹を立てているようだった。

脅された時点で彼らのうちどちらかが警察に通報していれば、H川もあそこまでこっぴどくやられることはなかったはずだが、それについての反省はしていない。

他の連中の中には「テレクラって怖いな」「無茶苦茶やる連中だな」と凍り付いている者もいたが、「バカだな」「恥ずかしいやられ方だぜ」「ちょっと笑える」と冷たいことを言う者の方が多かった。

その後、犯行グループが逮捕されたことを新聞の報道で知った。

何とH川をハメた相手は女子高生を装った女子中学生であり、ボコったのも同じ中学に通う二年生や三年生の悪ガキども8人だったことが分かった。

25歳のH川は中学生たちにハメられ、一晩中いいように痛めつけられていたのだ。

彼らはまず女子中学生がテレクラを使って相手を人気のない公園に呼び出し、いざ相手が来ると人数を頼みに金品を脅し取る、という分かりやすい手口を使っていたという。

H川は二回目に会った時にやられたが、おそらく一回目は相手を見極めていたと思われる。

H川以外にも引っかかった者がいたらしく、警察は余罪を追及しているようだったが、犯罪被害のきっかけがきっかけだけに泣き寝入りしている被害者も多いことだろう。

彼らはそれを見越して相手が大人しく金を出しても、調子に乗ってさんざん暴行を加え、友人知人にも金を持ってこさせようとするほどの向こう見ずな悪事を働いていたのだ。

ただし、今回はH川を公園に放置したためにその犯行が露見してしまったらしい。

ちなみにH川を指しているに違いない被害者についても新聞は触れており、『アルバイトの男性(25歳)は財布とATMから合計6万円を脅し取られて暴行を加えられ、顔と下半身に全治二週間の怪我』と報道されていた。

25歳のくせに全所持金が6万、それと新聞記者も「下半身」の三文字は余計だろうに。

H川はそれ以降職場に姿を現さなくなってしまった。

あれだけ職場で「相手は女子高生だぜ」とか自慢して周ったあげくまんまとハメられてシメられ、報道までされてしまったんだから、みっともなくて顔を出せるわけがない。

と言うより、外出すること自体怖くなってしまったはずだ。

私も中学生の時にカツアゲされた経験があるからわかるが、見ず知らずのおっかない奴らに脅されてドツかれたりして金を巻き上げられる体験は半端じゃない恐怖で、その後しばらく街を安心して歩けなくなるくらいの災難なのだ。

しかもH川の場合相手は中学生で、そんなガキどもに長時間好き放題やられて、マックスの恐怖と屈辱が相乗効果を発揮した人生最悪の体験だったはずだ。

その後はその後で醜態を大勢の人にさらしてしまい、きっと一生忘れられない悪夢となったことだろう。

相手方の中学生たちにとっては面白かったに決まってる。

あんなことするような奴らだから、同級生の女相手に鼻の下伸ばしてやって来たひと回り以上年上の男を痛めつけるのは快感だったに違いない。

使命感すら持って「自分がこれやられたら嫌だな」ということを思う存分やって、少年法で保護される対象年齢ど真ん中だったから、大した罪にも問われなかったはずだ。

いい思い出になったとか、三十代半ばになった現在でも居酒屋とかで笑いながら語ってたりしてるかもしれない。

若気の至りだったから仕方がないとか言って、大して反省もしていないのではないだろうか。

世の中そんなもんだ。

職場の連中も冷たい奴ばかりだった。

仲が良かったはずのM田もK保もあの一件について「あいつは女と付き合ったことが全然なかったからな」とか「せっかく気合い入れてイメチェンしたのに、チン毛まで剃られてかわいそうに」と笑顔で語り、「しかも相手中坊だぜ」とも言って笑ってたけど、その中坊に脅されてお前たちもビビったんじゃなかったか?

職場のみんなもH川ネタでしょっちゅう盛り上がってたんだから彼も浮かばれない、死んではいないはずだけど。

やられた動機も動機だし、しょせん他人事ということか。

世の中そんなもんなんだろう。

私はあれからしばらくして別の就職先が決まったため、派遣工を辞めた。

以来、M田はじめ職場の誰とも連絡を取っていないからH川のその後は知らない。

20年以上経った現在のH川はもうさすがに立ち直っているとは思うが、忘れてはいないだろう。

その気になってスケベ心をときめかせて行ってみたら美人局で、寄ってたかって裸にされて縛られ、ひと回り以上年下のガキどもに一晩中いたぶられながら「やめてください」とか懇願し続けた情けない体験を笑って話せる日など来るわけがない。

本当の話、私はH川にさほど同情していないことを告白する。

私もカツアゲされたことはあるが、中学時代の話で相手も中学生だったし、きっかけもやられ方もあそこまでカッコ悪くはないはずだ。

25歳の男のザーメン臭い純情が中学生に踏みにじられたんだから、滑稽極まりない。

ふざけたことした中学生どもにはもちろん頭に来るが、客観的に見て「犯人への怒り」が四割くらいで「H川の自業自得」が五割ほど、「H川が気の毒」に至っては一割未満というのがこの一件に対する私の正直な感想である。

そう思うのはしょせん私にとっても他人事だからだろう。

世の中そんなもんだ。

違う?

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中学生の頃、ゴールデンハムスターを二匹飼い始めた。

ペットショップで買ったのではなく、ハムスターを十匹以上飼っていた近所のK山さんがくれた。

二匹ともオスで、名前は村上と斎藤。

全身真っ茶色なのが村上で、白色と茶色のまだら模様なのが斎藤だ。

なぜそんな名前にしたのか?

それは、もらわれてきた初日に真っ茶色い方を一目見た瞬間、弟が、

「この茶色い奴、顔が村上にそっくりだぞ!」

と言い出したからだ。

村上は我々兄弟共通の知り合いで、私から見てもホント村上にそっくりな顔だった。

村上本人がやや色黒で、まさに真っ茶色っぽい顔色をしていたのもあるが、特に目の配置がそのまんまに見えたからだ。

その日から真っ茶色のゴールデンハムスターは「村上」と命名された。

その村上と学校でいつもつるんでいたのが斎藤だったため、自動的に白色と茶色のまだら模様の方は「斎藤」になった。

ちなみにこちらの方は斎藤と顔が似ているわけではない。

もらわれて我が家に来た時点で二匹とも生後一年を過ぎており、それは人間の年齢に換算すれば40歳近いわけで、昨日今日ハムスターとして生きてきたわけではない貫禄に満ちていた。

要するに、初々しさのかけらもなく妙にオッサンっぽい。

それは成熟した大人のオスハムスターならば持っている身体的特徴を、二匹とも十分備えていたからでもあるのだが、

その特徴とはこれだ。

もうそれはそれは御多分に漏れず本当に立派なものを持っていて、オスであることを雄弁に主張していた。

ゴールデンハムスターの性周期は4日であり、つまり通年にわたって繁殖が可能であるからあんなにオス全開なんだろうか。

だが村上と斎藤ではその使い道が違った。

より分かりやすく、かつ露骨に言えば使おうとする対象が正反対だった。

斎藤が使おうとする対象はメスだったが、村上は逆。

そう、村上はホモハムスターだったのだ。

二匹がそれぞれ入れられているゲージを掃除した後に間違えて一緒にしてしまった時に気づいた。

犯そうとするのだ、斉藤を。

大人のハムスターは通常同性の多頭飼いはできない。

オス同士、メス同士を一緒にしたら冗談抜きに殺し合いになる。

よって、普段は引き離して別々のゲージで飼っていたからそれまで全く気付かなかった。

しかも始末が悪いことに村上はタチであり、より最悪なのはケンカの強いオラオラ系ゲイハムスター。

斉藤の抵抗をあっさり制すると、かなわないと見て逃げる斉藤を猛然と追い掛け回し、後ろから組み付くと腰をカクカクし始めるという目を疑う光景が展開された

さすがにハムスターにもゲイがいることが私も弟も信じられず、弟の友達たちのうちハムスターを飼っている者がいて、我が家に飼っているオスハムスターを持ってきてもらい。

試しに一緒にしてみたら、同じように村上は襲いかかっていたから本物のゲイハムスターだった。

ちなみに繁殖させようと、後にペットショップからメスのハムスターを買ってきたのだが、村上は見向きもしなかったばかりか邪魔者として攻撃する有様。

本来ならば、最低オスとメスのつがいなら同じゲージで飼えるのだが。

以降「おかまハムスターがいる」と、村上は弟の友達の間で有名になってしまった。

かように人気者?になった村上だったが、栄光は長続きしなかった。

ある日のこと、ゲージから忽然と姿を消した。

ゲージの出入り口が空きっぱなしだったから、そこから脱走したと思われる。

それから村上は二度と姿を現すことはなかった。

一方のストレートで俗物の斉藤は逃げることはなく、後から購入したメスハムスターとの間に10匹以上子供を作るなどオス機能をフル活用して天寿を全うした。

それから、我が家では数年にわたり斉藤の子孫や他から購入したハムスターを飼い続けたが、やはり村上以上にインパクトのあるハムスターは斉藤も含めていなかった。

だって、ホモハムだったんだもの。

人類以外にもゲイがいることを中学生にして知ってしまった。

そんなもん知らせてどうすんだという感じであり、あともう少し我々が幼かったらどう解釈すればよかったんだろう?

両親に聞いても我々を納得させる回答を得るのは困難だったはずだ。

子供の情操教育に小動物を飼う家庭もあるようだが、甚だしくそれに不適切な個体もあるということは覚えておいても損はないだろう。

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雨男の誇り

私は自他共に認める雨男である。

外出するとよく雨が降ることを自覚しているし、「お前が来るといつも雨だ」と知人たちによく苦情を言われる。

私の写る旅行先での記念写真はたいてい今にも降ってきそうな曇り空が背景であることが多いし、

今まで参加する予定だった数々の野外イベントを雨天中止に追い込んできた筋金入りである。

雨男の心構え

雨男であることに胸を張る気はない。

むしろ迷惑をかけていることを自覚して心苦しく思う、たまに。

それに、いつも降らせるわけではないし、わざとやってるわけじゃない。

雨男にもかかわらず、私はスズキのバイクST250を所有してツーリングを趣味にしているが、気を引き締めて行けば降らないこともないわけではない。

ただこれまでバイク仲間と集団でツーリングに行ったことが三度あったが、三度とも浮かれすぎて気が緩んだらしく大雨になった。

それについては本当に申し訳なく思い、以来ツーリングは一人で行くことにしている。

向こうも誘ってくれなくなったし。

そんな私はかなり天気予報には敏感で、降水確率が20%以上の場合は絶対にツーリングに出かけない。

経験則から、20%程度だと私が外出したとたんにその降水確率は急上昇、天候が激変することが多いからだ。

気象予報士やアメダスも気圧配置や雨雲の動きだけではなく、私の行動や予定も観測した方が良い。

しかし自慢じゃないが、天気予報が降水確率0%と予想していても雨天にしたことだってあるのだ。

雨雲を呼ぶ男~雨男の自己迷惑力~

いつも雨にしないよう気を引き締めて外出するが、我ながら天気予報に0%と言い切られるとどうしても気が緩んでしまうようなのだ。

その日新潟市までの長距離ツーリングを予定していた私は、天気予報が新潟県や北関東の降水確率0%と予測したのを真に受けて、勇んで愛馬ST250にまたがり関越自動車道を北上した。

天気予報は大当たり。

埼玉や群馬は快晴、私は関越道を快調に飛ばし続けて関越トンネルに入った。

日本第二位の長さの関越トンネルの果てしなき暗黒を抜ければ魅惑の新天地新潟県!

だが、

トンネルを抜けるとそこは雨だった。

それも土砂降り。

降水確率0%という予報だったのでは?

そう心の中で自分に、特にそう予想した予報士に対して問いかけたが、雨は止む気配がないどころかますます激しくなり、こちらは猛スピードのため雨にさらされる上半身や太ももが痛い。

行動に計画性が欠けることが多い私は、雨男にもかかわらず合羽を準備してこなかったため瞬く間にずぶぬれになった。

おまけにこらえ性のない私はこれ以上の進撃を断念。

小出インターチェンジを降りてUターンして関東に逃げ帰る羽目となり、新潟ツーリング旅行を強制終了。

さっき通り過ぎたばかりの関越トンネルに早くも戻ってきた。

だが、関越トンネルを抜けた先でも私の災難は続く。

群馬県側も雨だったのだ。

群馬の降水確率も0%という予報だったのにこの土砂降りとは納得いかないが、それ以上におかしいと思ったことがある。

前方の視界は晴れで、今走行している道路も乾いているのに大雨なのだ。

空を見上げると私の前方は雲一つない晴天だが、頭上にはどす黒い雨雲が浮かんで後方に広がっている。

今しがたまで晴れていた所に、私が巨大雨雲を引き連れてきたみたいだ。

まさに「嵐を呼ぶ男」ならぬ「雨雲を呼ぶ男」、自分の雨男ぶりを最大限可視化させたとしか思えない壮大な超自然現象だった。

振り切ってやる。

私はそのまま休憩なしで走り続けて雨雲圏内から離脱することを決断したが、偉大な大自然の嫌がらせは徹底していた。

雨雲は私の走るスピードに合わせてぴったり着いてきて、頭上に雨を降らせ続けたのだ。

群馬・埼玉県全域で私は雨を浴び続け、雨から解放されたのは東京都に入ってからだった。

練間インターのあたりに来るとカンカン照りで雨が降った様子が全くなく、

私一人だけがずぶぬれでバカみたいであった。

予報が降水確率0%でも地域やそこにいる人によっては降ることもあると理解すべきらしい。

緊急提言!雨男・雨女の国際貢献

私のような雨男は、自分にも他人にも迷惑をかけるしか能がないのだろうか。

いや、否!むしろ逆である。

我々雨男雨女が一定数いるから、日本は水資源が豊富なのだ。

少なくとも日本列島の生態系には欠かすことができない存在である。

我々を撲滅したら日本は水不足に苦しむことになろう。

雨にされてイベントをつぶされたくらいでそんなに嫌な顔をするでない!

それに私はこの能力を生かせる場が他にもあると前から考えているのだ。

それは

干ばつに悩む地域や国へ我々強力雨男・雨女を送り込めば、雨を降らせて水不足解決の一助になるのではないかということだ

世界に水資源に乏しい国や地域は多い。

そんな国にとって雨を招く我々は願ってもない貴重な存在のはずではないか。

ただしあんまり強力なのを大量に派遣すると降らせすぎて水害を招く恐れがある。

軍事利用にはもってこいだが、国際貢献には甚だ具合が悪い。

どの程度の奴を何人派遣するかなどの選定は慎重に行う必要がある。

それには全国の雨男雨女の存在を突き止めて聞き取り調査やモニタリングを行い、各々の雨を招くレベルや住所等データベースの作成が先決なのは言うまでもない。

またそのように全国の雨男雨女情報を把握すれば国内的にもメリットがある。

水害が予想される時期もしくは地域から海外の干ばつ救済を口実にして、彼ら彼女らを一時国外追放して各地を水害から守ることもできるのだ。

むろん、そのデータベースの取扱いについては要配慮個人情報に当たるはずなので、行政機関には厳重に管理していただきたい。

さもないと水害が起こった地域で村八分にされる恐れがある。

私がここで主張したいのは、雨男雨女は日本にくすぶって周りの人々に煙たがられながら、

水資源の確保に貢献していることにあぐらをかいていてはいけないということだ。

日本の雨男雨女は世界を目指すべきである!

世界が我々の助けを待っているのだ!

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昼食がまずいという地獄


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飯がまずいとすぐ満腹になった気になる。

舌と消化器系がそれ以上のその食物の摂取を拒絶するからだろうか。

私が今働いている職場の周辺は飲食店が比較的多いがハズレ店の割合が多く、地雷をよく踏んだ。

それも対戦車地雷クラスの大ハズレ店が一つや二つではなかったから恐ろしい。

「毎日違う飲食店で昼飯を食う」という自らに科したその掟に忠実だったばかりに、そこで働き始めて一か月くらいは、毎日アドベンチャーを強いられていた。

牛焼肉と称しているが、明らかに牛肉ではない獣臭漂う牛焼肉定食800円、パスタが極太ソウメンか細めのうどんとしか思えない、『イタリアうどん』と言うべきミートスパゲティ、店主の創作意欲が暴走した結果、見た目も味もカオスな鉄火丼などなど。

ものすごく腹が減っているはずなのに残してしまい、空腹以上の飢餓レベルでないと完食は不可だと思えるくらいで、その日の午後の仕事のパフォーマンスにも悪影響が及ぶほどの違和感と不快感がトラウマレベルで口の中に残留した。

私の神聖な昼食時間を侵した罪に時効はない。

そんな店には一生入る気がないばかりか、腹いせに同僚にもこの店はハズレだと積極的な啓蒙活動まで行っている。

昼飯がまずいと、生活までもがつらくなる。

だが、その時の私の場合はまだましと考えるべきだろう。

確かにハズレ店もあったけど、「この店また行こう」というアタリ店や「まあまあだな」という安全店も多かったし、まずい店は二度と行かなければ良いだけなのだから。

毎日決まったメニューでそれ以外選択の余地がなく、しかもことごとくまずい場合こそヤバイ。

2017年、神奈川県中郡大磯町の公立中学の学校給食が半端じゃなくまずいと生徒の間で評判になったことが報道された。

調査によると給食の残食率が全国平均の6.9%を大きく上回る平均26%で、多い時には55%。

あるクラスでは生徒31人中完食したのは1人であったらしいから凄まじい。

きっと学校生活にも暗い影を落としたはずだ。

毎日そんなもんを食わされた生徒には同情を禁じ得ないし、そんなもんを恥ずかしげもなく提供した業者はテロリストに等しく、怒りを覚える。

私が他人事ながらそう思うのは、

昔、同じ地獄を味わったことがあるからだ。

学校を出て最初に働き始めた印刷会社の社員全員の昼食は毎日配達される弁当だったが、その弁当が半端じゃなくまずかったのだ。

その会社で働いたのは二年にも満たなかったが、その弁当を完食できた記憶がない。

私はどちらかと言えば好き嫌いが激しい方であることは認めるけど、他の社員もみんなまずいと言って残してたんだから本当にまずかったはずだ。

「美味しかった」か「まずかった」か

ではなく、

「我慢できる」か「我慢できない」かの二択しかない代物

が毎日選択不可で有無を言わさず支給されてたんだからたまらない。

普通昼食というものは、「今日は何食べようか?」「今日のメニューは何か?」と楽しみなものであるべきだが、

そこでは昼になると「今日は何を食わされるのか」不安を覚えていた。

昼休みになるのがあんなに憂鬱だったのは後にも先にもあの会社で働いていた時だけだ。

その弁当代は毎月の給料から差し引かれていたが、食べてやるから金をもらいたい気分であった。

その印刷会社は社員数が80人にも満たなかったのに毎年10人近くが途中退職しており、主な取引先はほぼ官公庁相手で、毎年安定した受注があるという強みはあったのに、会社の業績は私が入社する前から右肩下がりを続けていた。

これらは昼食のまずさと無関係ではなかったはずだ。

朝礼では社長が「給料もらってるプロなんだから、仕事にはちゃんと責任を持て!」と、偉そうに小言を言っていたが、

その社長本人は皆とは違って毎日特製の仕出し弁当を食べていたんだからムカつく。

責任をこちらに押し付ける上司もいたし、給料も安かった(毎年ドラスティックに減らされていた)から気持ちよく働ける会社では全くなかったが、何よりあの弁当のまずさこそが社員のことをどう思っていたかをわかりやすく証明していたと今では思う。

人間が働いていい職場では決してなかった。

食い物の恨みは忘れられない。

こういう食べ物についての文句を言うと、

「食べ物を粗末にするな」

とか、

「世界には飢餓で苦しむ人もいるんだ」という人もいるだろう。

ごもっとも。

まずいことを理由に残した食べ物がゴミとして破棄されるのは、私も心苦しく、忍びない。

しかし同時にこう反論したくなるのだ。

その貴重な食料を、食べたくない味に調理して提供した者の責任はどうなんだ」

と。

食べる方が好き嫌いなく食べなければいけないならば、作る方もある程度の水準、せめてヒトが食用可能な味にするべきなのではないか。

違うか?

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高校デビューした少年の悲劇


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高等学校の中には、素行不良な生徒の占める割合が異様に高い学校がある。

約三十年前の1990年代のことなので現在はどうか知らないが、私の郷里の県立O農業高校がまさにその典型だった。

大学進学率は一ケタどころか小数点第二位で測定不能、その反面で退学率が二ケタ台で出席番号がしょっちゅう若くなるという凄まじさ。

反社会人予備校か出入り自由の少年院としか考えられない環境の高校で、中学時代はおとなしかった生徒も入学すると悪くなり、悪かった生徒はより悪くなる。

真面目な生徒だと無事にそこでの学校生活を送れないからだろう。

逆教育機関と言っても過言でない学校、それがO農業高校だった。

そんな悪名高きO農業高校に、私の出身中学からも何人かの同級生が進学したが、その多くが見事に同校の校風に染まってヤンキー化。

その中には中学時代によくつるんでいたK田もいた。

K田の高校デビュー

中学時代のK田は真面目というか気弱な生徒で、学業成績も破滅的だった。

中学卒業後の進路を聞かれた時に「高校進学」と答えたら、周囲から「爆弾発言」とからかわれたくらいだから、小学校低学年程度の学力を有しているか日本生まれのヒト科でありさえすれば入学できるとまで言われていたO農業高校しかなかったようだ。

そんなK田と私は同じく気弱で、腕力に劣るスクールカーストの底辺に位置することからそこそこウマが合い、中学では一緒であることが多かった。

卒業後、私は一応進学校の県立O西高校に進学したが、それとは対極のO農業高校に入ったK田とは家が比較的近所ということもあって中学時代の関係は続いた。

K田に異変が生じ始めたのは高校に入学してほどなくだった。

やはり入った高校がO農業高校だったからだろう。

彼は坊主頭だったが、心なしか剃り込みを入れているような気がしてきたし、眉毛の形も以前とは違う。

そして会うたびにその剃り込みは深くなり、眉毛も細くなってゆき、変形ズボンを穿いた本格的なヤンキーに変身するのに夏休みまでかからなかった。

外見にリンクして言動も変化。

「どけや、くそガキども!」と声を荒げて小学生を蹴散らすし、タバコを吸うようになったし(銘柄は「エコー」)、私に対する態度も変わってきた。

極悪校O農業高校の生徒であることをなぜか誇りとし、進学率のそこそこ高い普通科高校の生徒を十把一絡げにシャバ僧とバカにし始めていたからだろうか。

K田の口調はだんだんガラが悪くなり、「ジュース買ってこい」だの「タバコ買ってこい」だの私をパシリ扱い。

この時点で友人関係を解消してもよかったが、私自身まだ高校でつるむ友人に乏しかった頃だったために、彼との付き合いはしばらく続いた。

ヤンキーと言えば格好だけではだめで、ある程度ケンカっ早くなければならないことくらい私でも知っている。

彼もいっぱしのヤンキーを気取っていたから、私にO農業高校の恐ろしさを語り、よく学校の内外で誰かとモメたことを自慢するのが好きだった。

そして、私にも「気に食わん奴がおったらぶん殴ったらなあかんぞ」だの「ケンカにガタイも人数も関係あらへん、根性や!」などと忠告。

おそらく覚えたばかりのケンカのやり方や人の殴り方を頼んでもいないのによく教授してくれた。

こっちは誰かを殴ったりしたら退学になりかねない進学校の高校生なのだ。
はっきり言って余計なお世話であった。

K田の試練~生意気な中学生に対して~

そんなK田のヤンキーとしての資質を問われる出来事が私の目の前で起きたのは、その年の夏休み後くらいの休日だった。

その日、私とK田は自転車に乗って中学時代の友達の家に遊びに行った帰り道、前から歩いてくる我々の出身中学の在校生二人に出くわした。

直接面識はないが、二人とも知っている顔だ。

私の二歳下の弟と同学年の、確か名前はT島とS本で、我々が在学中に一年生だったからその時は中学二年生。

部活帰りらしく中学校の体操着姿のため、悪そうな見かけはしていなかったが、どちらも体格が良くて見るからに強そうだった。

それもそのはず、二人とも柔道部に入っていた記憶がある。

高校一年生の我々が自転車で彼らに近づいた時、中学二年生のT島とS本の顔は我々の方、特にK田に向いているような気がした。

そして通り過ぎた後もこちらを見続けている。

ガンをつけているという程ではないが、ニヤニヤしながらバカにしたような顔でだ。

「なんやあいつら?」とK田は自転車を漕ぎつつ、後ろを振り返りながらイラつき始めた。

T島とS本は相変わらずこちらを見ながらヘラヘラして、挑発しているとしか思えない態度である。

K田は二人を睨みながら「やったろか中坊ども!」とうなり始めた。

ケンカする気なのか?相手は中学生とはいえこちらよりガタイが大きい。

しかもあいつら柔道部だぞ。

私はそう懸念したが、K田の怒りはもう制御不能だった。

「てめえらやんのか!?コラ!!」

K田が中学生二人に向けて怒声を発した。

しかしそれは、

彼らから100メートル以上の距離に達してからだった。

そして前を向くと、そのまま自転車を漕いで遠ざかって行った。

時々後ろを振り返りながら、心なしかスピードを上げて。

振り向いて見てみると、遠くのT島は大笑いし、S本は「来てみろよ」とばかりに手招きしていた。

確かK田は「気に食わん奴がおったらぶん殴ったらなあかん」とか「ケンカにガタイも人数も関係あらへん、根性や!」とか私に言ってたはずだ。

そういうのは範で示さなきゃ説得力がないと思うが。

「あいつら殺したる」と、彼らの姿が見えなくなった安全圏でいきり立つK田のヤンキーとしての資質に私の中で疑念が生じ始めた。

それからさすがにバツが悪くなったのか、ケンカについて講釈を垂れなくなったK田だが、彼の本当の試練はその後日にあった。

K田の最後~本物の不良少年に対して~

中学生たちとの一件から一か月ほど後、私とK田はゲームセンターでゲームをしていた。

ケンカの自慢話はしなくなったとはいえ、K田は相変わらず横柄な態度で私に接しており、高校でまともな友達ができ始めた私は彼との関係の解消を考慮し始めていた頃だ。

我々はゲーム機に隣り合って座り、それぞれのゲームに興じていた。

私はゲームセンター版「ゼビウス」を、右隣のK田は「エコー」をくわえて「スターソルジャー」をプレイし、時々ゲーム機の右隅に置いた灰皿に灰を落としていた。

その日の私は絶好調で高得点を重ねて初めてのエリアに突入。

これからが肝心という最中だった。

横からK田が私をつつき「おいおい、あのさ」と話しかけてきた。

その声はいつものガラの悪い命令口調ではなくやたら切迫した弱々しい感じだった。

「何?」私はゲームに熱中してたので顔を上げずに聞き返した。

「あそこにいる奴なんだけど、こっち見てへんか?」

「え?どこの?」

「あの『アフターバーナー』のトコにおる金髪の奴」

そう言われてから、顔を上げて戦闘機ゲーム「アフターバーナー」の方を見たら、いた!確かに金髪のリーゼントでスカジャンを着た少年がこっちを見ている!

90年代初頭の地方都市O市で、未成年で金髪にしているのはグレ方が半端じゃない奴とみなされていた。

実際その金髪少年は相当悪そうで、目つきのヤバさもかなりなものだ。

グレたばかりのK田とは貫禄が違いすぎる。

そんなのがこっちを睨んでいたから私も思わず目を伏せた。

もうゲームどころじゃない。

横のK田も目を伏せており、「なあ、どうしよう?どうしよう?」とこちらを向いたその顔は今にも泣き出しそうだった。

そんなの私に振られても困る!完全に気弱だった中学生時代のK田に戻っている。

「あ、ヤバイこっち来た!」
顔を上げると、その金髪がタバコを吸いながらこちらに近寄ってくるのが見えた。

再び目を伏せてから隣のK田を見ると、彼はより深く顔を伏せて目をきつく閉じ、膝をがくがく震わせていた。

「おい、オメーよぉ」

その声で顔を上げると金髪はK田のゲーム機の右横まで来て、彼の座っているゲーム機を蹴った。

顔を伏せていたK田がビクッとする。

次にタバコの煙をK田の顔に吹きかけた後、おびえるK田の髪をつかんで顔を上げさせ、「オメー見かけん顔やな、どこのモンや?」と凄み始めた。

金髪は前歯が二本欠けていた。

「あの、あの、O農業高校です」と震えながら答えるK田に、「農業ふぜいがナニ偉そうにしとるんじゃ」と言い放つ。

この金髪の本格的不良少年には極悪校O農業高校のブランドも通じない。

「それとよ、オメーさっきからえれぇ調子こいとりゃせんか?おう?」

「いや、そんな…。別に調子こいてないで…、アチイッ!!

金髪に火のついたタバコを顔に押し付けられたK田が悲鳴を上げる。


「ま、ちょっと話あるからツラ貸せや」

そう言うと髪を引っ張ってK田を無理やり立たせた金髪は私を睨んで、「そっちのゴミは失せろ」と出口に向けて顎をしゃくった。

否も応もあるわけがない。

私は一目散にゲームセンターから退散した。

自転車置き場に置いた自分の自転車のカギを、手が震えてうまく外せない私の耳に「オラ!来いや!」という金髪の怒声と、「すいません!」「勘弁してください!」というK田の叫び声が入ってきた。

それが、ヤンキー少年としてのK田を見た最後だった。

K田のその後

その日以降彼からの連絡がなくなり、見殺しにした私もあえて連絡しようとしなかったが、とりあえず殺されてはいなかった。

何週間かした後で学校帰りのK田と不意にばったり出くわしたのだ。

彼は中学時代と同じ丸坊主で眉毛も剃っておらず、学ランも変形ではなくなって普通の高校生の姿になっていたが、私から目をそらしてそそくさと立ち去った。

私との関係は終了したが、奴はすっかり更生したようだ。

いや、ヤンキー生命を絶たれたのではないだろうか?

あの金髪にヤンキーをやるのが嫌になるくらい怖い目にあわされたに違いない。

あの時のK田の、あのおびえ方を目の当たりにした私はそう感じた。

ヤンキー少年、少なくともK田のような中途半端な即席タイプを、形がどうあれ更生させるのは善良な人である必要はないのかもしれない。

悪いことをすることがどれだけ間違っているかを教えるより、どれだけ怖いことかを分からせた方が効果的なのだ。

それを分からせられるのは本当に悪い奴しかいない。

あの金髪のような本物も使いようによっては、O農業高校のような極悪校の生徒を少しはまじめな学生に近づけることができるのではないだろうか。 

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あわやローン地獄~カーシェアリング投資被害未遂~


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世の中うまい話などそうそうあるわけがない。

知恵も労力も使わず、リスクもなしに金など稼げないのだ。

そう分かっていても、楽して安全に稼げることをうたうスキームは次々出現するし、それを真に受けて地獄を見る者は後を絶たない。

2020年11月20日に東京地裁に破産を申請し、破産手続きの開始決定を受けたSERIAS(セリアス)社によって大きな負債を背負わされて途方に暮れる人々もその類ではないだろうか。

同社とその関連企業は2018年4月より東京で「スカイカーシェア」というサービス名でカーシェア事業を展開。

「高級車はシェアする時代」などと宣伝して、メルセデスベンツ、BMW、アウディ、レクサスなどの高級車を最安24時間6800円とレンタカーより安い料金設定でユーザーを集め、月単位の貸し出しもしていた。

その高級車は今回被害者となった個人投資家に購入させたもので、その投資家が買った高級車を同社が預かって、個人間カーシェアとして貸し出していたのだ。

投資家たちは、

「家を買って賃貸に出す不動産投資の自動車版」、
「レンタカーの『わ』ナンバーではない高級車はシェアの需要がある」

と、車を貸し出して運用に回せば利益を得られるというSERIAS社のうたい文句を信じて出資。

彼らは同社のグループ会社や提携先の中古車販売会社から1台数百万円の高級車を7年ローンで買うことになるが、

毎月のローン代金や保険料、駐車場代などは全て同社から投資家の口座に入金され、

数日後にその代金がローン会社や保険会社へ支払われる(口座やクレジットカードから引き落とし)ため、一切金銭の負担がないという説明を受けていた。

こうして一見するとノーリスクに見える上に、

  • 契約時に車両代金の1割(サービスが始まった当初は一律34万円)が支払われる。
  • 毎月1万円(場合によってシェア利用された料金の5%)の配当。
  • 7年後には期間満了時に100万円(2年契約のケースもあり)が支払われる。

という投資家にとっていいことづくめの条件であり、更には他の投資家を紹介して契約に至ると10万円かそれ以上の紹介料が支払われたため、集まった投資家は600名を超えた。

だが、ローンや維持費を肩代わりしてもらえて、あまつさえ配当が支払われるのはSERIAS社の事業の健全な継続が前提である。

同社は大阪にも進出するなど事業の拡大を順調に見せかけていたが、翌2019年には早くも高金利での1.2億円の資金調達を強いられるなど資金繰りが悪化。

2020年8月にはコロナ禍を理由に「翌9月に2か月分まとめて払う」ことを条件として投資家へのローン代や配当を停止したが、10月には事業そのものを停止。

上述のとおり11月20日に破産が決定した。

SERIAS社の負債は判明分だけで4億円を超えるが、負債を背負ったのは投資家も同じであった。

ローンを肩代わりしてくれるSERIAS社はもう存在しなくなったからだ。

投資家のほとんどは他に自動車ローンがなく、信用情報も真っ白な20代から30代の若者たちであったが、当然年収は年齢に相応して高級車とは無縁の水準に過ぎなかった。

そんな彼らにとっては数百万を超えるローンは荷が重すぎ、自己破産を考えている者も少なくない。

「うまい話を信じる方が悪い」

と世間には彼ら投資家を批判する声が多いが、私はあえてそう思わない、というか思う資格がない。

なぜなら、

私は一歩間違えたらその600名のうちの一人になっていたかもしれないからだ。

2018年6月某日、SERIAS社との遭遇

私が「スカイカーシェア」を知ったのは知人の副業マニアで実業家気取りの会社員K江の紹介だ。

ちょうどSERIAS社が同事業を始めたばかりのころである。

その前年、私は仮想通貨にはまったが、年明けに暴落(これもK江の紹介)。

投入した資金は大したことがなかったので損失もさほどではなかったが、株式以上に暴騰し、黙っていても自分の資産が増えていく仮想通貨取引の快感が忘れられず、「元手ゼロで金が入ってくる話がある」というK江の誘いにホイホイ乗ってしまった。

もっとも、乗り気だったのはK江の方で、今から思えば彼も紹介料がもらえるからだったと思われる。

話を聞いたその日のうちに、彼を通じてLINEでSERIAS社の担当者にアポイントを取り付け、後日池袋で詳しい話を聞くことになった。

そして当日、待ち合わせは池袋駅東口に近い某家電量販店の前。

そこへSERIAS社の担当者と称する人物が見るからに値が張りそうな外車で乗り付けてきた(車に詳しくないので車種はわからない)。

担当者はM田という人物で、SERIAS社破綻後に分かったことだがグループ会社のうちの一つの代表を務めていたようだ。

にこやかな笑みを浮かべ、しゃべり口も柔らかな四十代の人物だったが、何となくまともな仕事をしていたら経験することのないような修羅場もくぐってきたような凄みも感じた。

要するに少々グレーンゾーンの人間っぽい。
実際にもらったM田氏の名刺

私はM田氏の車に乗せてもらって近くの駐車場まで移動し、そこのすぐ近くのコーヒーショップで「スカイカーシェア」のカーシェアリング投資の話を聞いた。

M田氏は一連の説明の中で高級車を自分名義で買うことになるが、ローンはじめ駐車場代や保険料などの費用はSERIAS社持ちだからこちらの負担はゼロであると強調し、毎月の配当も当然保証すると断言した。

怪しい。はっきり言って怪しい。

そんなうまい話などあるものか。

それが本当だとしても、もしSERIAS社が破綻したらローンはこっちに降りかかるだろう。

それにこれって「かぼちゃの馬車」と似てなくないか?

2018年のこの当時、サブリースによる賃料保証をうたい、上京する女性のためのシェアハウス「かぼちゃの馬車」を不動産投資用の商品としてサラリーマン投資家に販売していた株式会社スマートデイズが破綻したばかりだった。

そして、賃料の入金をストップされた多数のサラリーマン不動産投資家が大きな負債を背負わされていたことが問題となっていたことは私も知っていた。

確かに、自分名義で費用はSERIAS社持ちで高級車を購入したら最初に34万+(毎月1万×84か月)+満了時の100万、合計218万円ブラスアルファが手に入るのは魅力だが、

SERIAS社が破綻するんじゃないかと生きた心地がしない状態が7年も続くのはごめんだ。

それにホントに払ってくれるかどうかもわからん。

「まあ、ご検討ください」

M田氏はその場で契約を迫ることはせず「興味が合ったらLINEでご連絡ください」といった感じだったので、

私は「そうします」と答え、そのままM田氏とは別れた。

だが、その時点で実は結構揺れ始めていたことを告白する。
「もし紹介者のK江がやったら自分もやってみようか」

と考えてしまったりもしていたのだ。

K江は翌日早々結果を尋ねてきた。

私は「アンタはやるのか?」と聞いてみたが、彼は不動産に投資するからやるつもりはないとのこと。

そして、何となく危ない部分があって決めかねていることを話すと、「まずはやってみたら?」と無責任なことを言ってきやがった。

バカ野郎。
「まずはやってみた」結果、大損こいたらどうしてくれるんだ!

こいつは自分が損しただけでなく、自分が勧めた案件で他人が損しても「自分にとっても相手にとってもいい経験になったはず」とポジティブにとらえる奴なのだ。

でもな、毎月何もしなくても金が入ってくるのは捨てがたい…。

などと、グダグダ迷っていたら、

一週間もたたないうちに私のLINEの友だち欄からM田氏の名前が消えた。

「脈なし」とあっさり判断されたらしい。

こうして私は何もしないうちにSERIAS社から一方的に縁を切られた。

そして2年後

2020年11月20日、SERIAS社が東京地裁により破産手続きの開始決定を受け、莫大なローンを抱える羽目になった投資家が続出したのは上述のとおりである。

そのニュースを聞いた時、たった2年前のことなのにすっかり忘れていて、「そういや似たような話、身近で聞いたな」と思って調べてみたらまさにそれそのものだったので背筋が凍った。

また、続く報道によりSERIAS社が様々な不正行為を行っていたことも明らかになった。

まず同社のうたうカーシェアリングだが、投資家名義とはいえ事業者が預かって管理している以上、法的にはレンタカーでカーシェアリングの定義からは外れるという。

そして投資家に高級車のローンを組ませるにあたって、年収を水増しして申告させていたこと。

本当は350万円くらいしか年収がない人に600万と偽って記載させたりしていたわけだが、ローン会社も不動産と違って自動車のローンの審査は甘く、そのまままかり通っていた。

この大甘の審査の下、配当が倍になるとSERIAS社にそそのかされて複数台購入して、後により大きな負債を背負うことになった投資家もいたようだ。

更に高級車のオーナーとなっていた投資家たちは自分の車を確認しようと(ローンがある以上、所有者はローン会社となるのですぐ取り戻すことはできない)、SERIAS社の所有していた高級車が停めてある埼玉県の駐車場に向かったのだが、500万だの600万だののローンを組まされた自分の車は査定額が100万から300万円のものが多かった。

投資家たちは法外な値段でボロ車を買わされていたのだ。

もっとも、これは車に詳しい人間だったらローンを組まされる前に気づいていただろう。

投資家たちの多くは車の知識に乏しく、実際に自分名義となった車を見た者も多くはなかったのだ。

私も車のことはよくわからなかったから、だからこそやらなくてよかったのだと本当に思う。

だが自分の車が実は安物だったとしても、まともな状態で見つかった人はまだ幸運だったと言えよう。

車を見つけられても事故で大破していたり、まだ未納で自分の車が存在しない人までいたからだ。

なお、よりヤバいことにSERIAS社が破綻した後も貸し出されている車があり、その利用者を調べて連絡してみると暴力団組員。

車の購入やレンタカーを利用できない「反社」、即ち暴力団員が少なからずこのサービスを利用していたことが判明したのだ。

よって、それらの利用者に返還を求めても当然のらりくらりと逃げられたり、逆にすごまれたりする始末で、しかも彼らが踏み倒した違反料金やコインパーキングの支払いもその車のオーナーとなっている投資家に請求が来る事例があるなど踏んだり蹴ったりだ。

SERIAS社について、その代表は反社会勢力と関係の深い人物であるともされ、ハナッから破綻前提のスキームでこの事業をやっていた可能性もあるなど、まだ明らかになっていない闇の部分も多く、その解明が待たれる。

他の詐欺案件と同じく、被害者となっている投資家に金が戻ってくる可能性はほぼなく、ローンも免除されることもなさそうだ。

危ないところであった。

私もあわやこれら被害者の仲間入りをするところだったじゃないか。

ノーリスクの話は信じちゃいけないし、知識のない分野で勝負してはいけない。

それなりの知識と経験の裏打ちによってリスクに立ち向かう者のみが金を稼ぐ資格があると考えるべきだろう。

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