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高校デビューした少年の悲劇

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高等学校の中には、素行不良な生徒の占める割合が異様に高い学校がある。

約三十年前の1990年代のことなので現在はどうか知らないが、私の郷里の県立O農業高校がまさにその典型だった。

大学進学率は一ケタどころか小数点第二位で測定不能、その反面で退学率が二ケタ台で出席番号がしょっちゅう若くなるという凄まじさ。

反社会人予備校か出入り自由の少年院としか考えられない環境の高校で、中学時代はおとなしかった生徒も入学すると悪くなり、悪かった生徒はより悪くなる。

真面目な生徒だと無事にそこでの学校生活を送れないからだろう。

逆教育機関と言っても過言でない学校、それがO農業高校だった。

そんな悪名高きO農業高校に、私の出身中学からも何人かの同級生が進学したが、その多くが見事に同校の校風に染まってヤンキー化。

その中には中学時代によくつるんでいたK田もいた。

K田の高校デビュー

中学時代のK田は真面目というか気弱な生徒で、学業成績も破滅的だった。

中学卒業後の進路を聞かれた時に「高校進学」と答えたら、周囲から「爆弾発言」とからかわれたくらいだから、小学校低学年程度の学力を有しているか日本生まれのヒト科でありさえすれば入学できるとまで言われていたO農業高校しかなかったようだ。

そんなK田と私は同じく気弱で、腕力に劣るスクールカーストの底辺に位置することからそこそこウマが合い、中学では一緒であることが多かった。

卒業後、私は一応進学校の県立O西高校に進学したが、それとは対極のO農業高校に入ったK田とは家が比較的近所ということもあって中学時代の関係は続いた。

K田に異変が生じ始めたのは高校に入学してほどなくだった。

やはり入った高校がO農業高校だったからだろう。

彼は坊主頭だったが、心なしか剃り込みを入れているような気がしてきたし、眉毛の形も以前とは違う。

そして会うたびにその剃り込みは深くなり、眉毛も細くなってゆき、変形ズボンを穿いた本格的なヤンキーに変身するのに夏休みまでかからなかった。

外見にリンクして言動も変化。

「どけや、くそガキども!」と声を荒げて小学生を蹴散らすし、タバコを吸うようになったし(銘柄は「エコー」)、私に対する態度も変わってきた。

極悪校O農業高校の生徒であることをなぜか誇りとし、進学率のそこそこ高い普通科高校の生徒を十把一絡げにシャバ僧とバカにし始めていたからだろうか。

K田の口調はだんだんガラが悪くなり、「ジュース買ってこい」だの「タバコ買ってこい」だの私をパシリ扱い。

この時点で友人関係を解消してもよかったが、私自身まだ高校でつるむ友人に乏しかった頃だったために、彼との付き合いはしばらく続いた。

ヤンキーと言えば格好だけではだめで、ある程度ケンカっ早くなければならないことくらい私でも知っている。

彼もいっぱしのヤンキーを気取っていたから、私にO農業高校の恐ろしさを語り、よく学校の内外で誰かとモメたことを自慢するのが好きだった。

そして、私にも「気に食わん奴がおったらぶん殴ったらなあかんぞ」だの「ケンカにガタイも人数も関係あらへん、根性や!」などと忠告。

おそらく覚えたばかりのケンカのやり方や人の殴り方を頼んでもいないのによく教授してくれた。

こっちは誰かを殴ったりしたら退学になりかねない進学校の高校生なのだ。
はっきり言って余計なお世話であった。

K田の試練~生意気な中学生に対して~

そんなK田のヤンキーとしての資質を問われる出来事が私の目の前で起きたのは、その年の夏休み後くらいの休日だった。

その日、私とK田は自転車に乗って中学時代の友達の家に遊びに行った帰り道、前から歩いてくる我々の出身中学の在校生二人に出くわした。

直接面識はないが、二人とも知っている顔だ。

私の二歳下の弟と同学年の、確か名前はT島とS本で、我々が在学中に一年生だったからその時は中学二年生。

部活帰りらしく中学校の体操着姿のため、悪そうな見かけはしていなかったが、どちらも体格が良くて見るからに強そうだった。

それもそのはず、二人とも柔道部に入っていた記憶がある。

高校一年生の我々が自転車で彼らに近づいた時、中学二年生のT島とS本の顔は我々の方、特にK田に向いているような気がした。

そして通り過ぎた後もこちらを見続けている。

ガンをつけているという程ではないが、ニヤニヤしながらバカにしたような顔でだ。

「なんやあいつら?」とK田は自転車を漕ぎつつ、後ろを振り返りながらイラつき始めた。

T島とS本は相変わらずこちらを見ながらヘラヘラして、挑発しているとしか思えない態度である。

K田は二人を睨みながら「やったろか中坊ども!」とうなり始めた。

ケンカする気なのか?相手は中学生とはいえこちらよりガタイが大きい。

しかもあいつら柔道部だぞ。

私はそう懸念したが、K田の怒りはもう制御不能だった。

「てめえらやんのか!?コラ!!」

K田が中学生二人に向けて怒声を発した。

しかしそれは、

彼らから100メートル以上の距離に達してからだった。

そして前を向くと、そのまま自転車を漕いで遠ざかって行った。

時々後ろを振り返りながら、心なしかスピードを上げて。

振り向いて見てみると、遠くのT島は大笑いし、S本は「来てみろよ」とばかりに手招きしていた。

確かK田は「気に食わん奴がおったらぶん殴ったらなあかん」とか「ケンカにガタイも人数も関係あらへん、根性や!」とか私に言ってたはずだ。

そういうのは範で示さなきゃ説得力がないと思うが。

「あいつら殺したる」と、彼らの姿が見えなくなった安全圏でいきり立つK田のヤンキーとしての資質に私の中で疑念が生じ始めた。

それからさすがにバツが悪くなったのか、ケンカについて講釈を垂れなくなったK田だが、彼の本当の試練はその後日にあった。

K田の最後~本物の不良少年に対して~

中学生たちとの一件から一か月ほど後、私とK田はゲームセンターでゲームをしていた。

ケンカの自慢話はしなくなったとはいえ、K田は相変わらず横柄な態度で私に接しており、高校でまともな友達ができ始めた私は彼との関係の解消を考慮し始めていた頃だ。

我々はゲーム機に隣り合って座り、それぞれのゲームに興じていた。

私はゲームセンター版「ゼビウス」を、右隣のK田は「エコー」をくわえて「スターソルジャー」をプレイし、時々ゲーム機の右隅に置いた灰皿に灰を落としていた。

その日の私は絶好調で高得点を重ねて初めてのエリアに突入。

これからが肝心という最中だった。

横からK田が私をつつき「おいおい、あのさ」と話しかけてきた。

その声はいつものガラの悪い命令口調ではなくやたら切迫した弱々しい感じだった。

「何?」私はゲームに熱中してたので顔を上げずに聞き返した。

「あそこにいる奴なんだけど、こっち見てへんか?」

「え?どこの?」

「あの『アフターバーナー』のトコにおる金髪の奴」

そう言われてから、顔を上げて戦闘機ゲーム「アフターバーナー」の方を見たら、いた!確かに金髪のリーゼントでスカジャンを着た少年がこっちを見ている!

90年代初頭の地方都市O市で、未成年で金髪にしているのはグレ方が半端じゃない奴とみなされていた。

実際その金髪少年は相当悪そうで、目つきのヤバさもかなりなものだ。

グレたばかりのK田とは貫禄が違いすぎる。

そんなのがこっちを睨んでいたから私も思わず目を伏せた。

もうゲームどころじゃない。

横のK田も目を伏せており、「なあ、どうしよう?どうしよう?」とこちらを向いたその顔は今にも泣き出しそうだった。

そんなの私に振られても困る!完全に気弱だった中学生時代のK田に戻っている。

「あ、ヤバイこっち来た!」
顔を上げると、その金髪がタバコを吸いながらこちらに近寄ってくるのが見えた。

再び目を伏せてから隣のK田を見ると、彼はより深く顔を伏せて目をきつく閉じ、膝をがくがく震わせていた。

「おい、オメーよぉ」

その声で顔を上げると金髪はK田のゲーム機の右横まで来て、彼の座っているゲーム機を蹴った。

顔を伏せていたK田がビクッとする。

次にタバコの煙をK田の顔に吹きかけた後、おびえるK田の髪をつかんで顔を上げさせ、「オメー見かけん顔やな、どこのモンや?」と凄み始めた。

金髪は前歯が二本欠けていた。

「あの、あの、O農業高校です」と震えながら答えるK田に、「農業ふぜいがナニ偉そうにしとるんじゃ」と言い放つ。

この金髪の本格的不良少年には極悪校O農業高校のブランドも通じない。

「それとよ、オメーさっきからえれぇ調子こいとりゃせんか?おう?」

「いや、そんな…。別に調子こいてないで…、アチイッ!!

金髪に火のついたタバコを顔に押し付けられたK田が悲鳴を上げる。


「ま、ちょっと話あるからツラ貸せや」

そう言うと髪を引っ張ってK田を無理やり立たせた金髪は私を睨んで、「そっちのゴミは失せろ」と出口に向けて顎をしゃくった。

否も応もあるわけがない。

私は一目散にゲームセンターから退散した。

自転車置き場に置いた自分の自転車のカギを、手が震えてうまく外せない私の耳に「オラ!来いや!」という金髪の怒声と、「すいません!」「勘弁してください!」というK田の叫び声が入ってきた。

それが、ヤンキー少年としてのK田を見た最後だった。

K田のその後

その日以降彼からの連絡がなくなり、見殺しにした私もあえて連絡しようとしなかったが、とりあえず殺されてはいなかった。

何週間かした後で学校帰りのK田と不意にばったり出くわしたのだ。

彼は中学時代と同じ丸坊主で眉毛も剃っておらず、学ランも変形ではなくなって普通の高校生の姿になっていたが、私から目をそらしてそそくさと立ち去った。

私との関係は終了したが、奴はすっかり更生したようだ。

いや、ヤンキー生命を絶たれたのではないだろうか?

あの金髪にヤンキーをやるのが嫌になるくらい怖い目にあわされたに違いない。

あの時のK田の、あのおびえ方を目の当たりにした私はそう感じた。

ヤンキー少年、少なくともK田のような中途半端な即席タイプを、形がどうあれ更生させるのは善良な人である必要はないのかもしれない。

悪いことをすることがどれだけ間違っているかを教えるより、どれだけ怖いことかを分からせた方が効果的なのだ。

それを分からせられるのは本当に悪い奴しかいない。

あの金髪のような本物も使いようによっては、O農業高校のような極悪校の生徒を少しはまじめな学生に近づけることができるのではないだろうか。 

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R40「城東工業高校のテル」はいま

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映画版 ビー・バップ・ハイスクール(BE-BOP-HIGHSCHOOL)をご存じだろうか?

リアルタイムで記憶にある方の大多数は、おそらく40歳を超えているはずだ。

同作品は、1983年から2003年まで講談社のヤングマガジンで連載されていた人気漫画『ビー・バップ・ハイスクール』を原作とした日本映画である。

仲村トオル、清水宏次朗、中山美穂らが主演した1985年(昭和60年)の第1作目は、14億円を超える配給収入を記録したヒット作となり、1988年までに計6作が製作された。

不良映画の金字塔的作品であり、この当時の中高生、特に劇中の登場人物たちと同じ層の者たちに大いに支持された。

この映画の魅力の一つは、走る電車からの鉄橋ダイブシーンなど、現在なら考えられないような危険なアクションだ。

一歩間違えば死んでもおかしくないシーンが目白押しで、主演の仲村トオルはじめ出演者たちはケガが絶えず、命の危険にもさらされたという。

そしてもう一つの魅力は、主役である仲村トオルや清水宏次朗以外のキャストたちだ。

敵役はもちろん、脇役やエキストラに近いチョイ役まで、不良を演じているキャストたちはいずれも異様に迫力があった。

それもそのはず。

彼らの多くは、本物かつ現役の不良少年たちだったからだ。
この映画では出演者を一般公募、そのオーディションには、役者だけではなく現役のヤンキーや暴走族が多く集まり、主要な役をキャスティングされていた。

そんなキャストたちだったからこそ、撮影現場でガンを飛ばし合ったり、ロケ地で地元の不良とモメてさらわれたりなど、ありえないハプニングが続出したという。

当時人気絶頂だったヒロイン役の中山美穂などは、演技とはいえ、これら本物たちの迫力におびえるあまり、二作目出演後に降板してしまった。

だが、いざ撮影となれば凄んだり、睨み合ったりするシーンでの演技指導は必要ない。

存在しているだけで役者では絶対に出せない凄味があって、荒唐無稽なシーンも多かった同作品に、不良映画としてのリアリティーを、問答無用で備えさせることができた。

私が同作品を初めて観たのは、6作目がレンタルビデオ化されたばかりの頃だったが、こういった不良たちにカツアゲされた経験もあったため、画面越しでも震え上がったものだ。

そんな迫力満点のキャストたちの中でもひときわ異彩を放ち、伝説となった男がいた。

1986年、シリーズ2作目の『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』で「城東工業高校のテル」こと藤本輝男を演じた白井光浩だ。

白井演ずる映画版のテルの貫禄は、原作を上回っていた。

ご覧の通りとても高校生には見えない本職級の悪人相だったが、白井は出演当時正真正銘の18歳だったらしいから驚きだ。

劇中でのテルは容貌そのままの凶悪な高校生で、得意技は不意打ちと集団リンチ。

数を恃んで他校の不良を襲って変形学生ズボンを奪う「ボンタン狩り」を行い、仲間と共に主人公のトオル(仲村トオル)を拉致して、口に折った鉛筆を入れて殴りつけるリンチを行うなどの悪行三昧。

そのインパクトは絶大で、上述の「ボンタン狩り」や、見掛け倒しで根性がない者を意味する「シャバ憎」「シャバい」などの用語を世に広く知らしめ、

「城東は~、数が多いだけの~、チンピラの~集まりだってぇ~、ほざいたなぁ~!!」

「そのツラに穴あけてぇ~、二度とデケー口きけねーようにしてやろうかぁ~、あ~~~~!!?」

などなど、テルのセリフや立ち振る舞いを、当時のヤンキー少年ばかりか真面目な中高生たちまでもが、こぞって真似するようになった。

三十年以上経過した現在でも、当時少年時代を送った人の中で覚えている方は、決して少なくはないのではないだろうか?

そんな伝説的なキャラであるテルを見事に演じた白井光浩だが、惜しくもこの作品に出演してから俳優活動を行うことなく、一般人として自営業に従事。

「城東工業のテル」の鮮烈な印象だけが、当時中高生だった人々に記憶され続けた。

だが2012年、白井光浩は突然表舞台に現れて、役者活動を再開する。

『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』から26年。

すっかり四十路を過ぎた白井も、それなりに人生の年輪を刻んだ味のある中年の男に変貌していた。

そして映画やVシネマに出演する一方で、落語家としても精力的に活動し始める。

同時に、映画『ビー・バップ・ハイスクール』のオールドファンたちのイベントにも顔を出し、2019年にはYouTuberとして『テルチャンネル』を開設。

『ビー・バップ・ハイスクール』のロケ地を訪ね歩いたり、当時の出演者を招いて対談し、撮影の裏話を披露するなど、往年のファンを歓喜させている。

あのキレッキレの極悪ぶりをスクリーンの中で見せていたテルは、もうすっかり丸くなったお茶目なおじさんで、料理に舌鼓を打ったり、喉を鳴らして酒をうまそうに飲んだりオッサン全開だ。

一見すると中年男のどうでもいい動画ではあるが、当時の映画で見せた危険なテルを覚えており、別の場所とはいえ、同じ時代を送った者の一人としては、そんなオッサンぶりがほほえましく思えてしまう。

そして『テルチャンネル』を観た後で、再び映画『ビー・バップ・ハイスクール』を観れば、また違った味わいを楽しむこともできるのだ。

今後のテルのますますの発展と活躍を、私は陰ながら応援したい。

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