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1986年・中学生と決闘して殺した22歳の男

本記事に登場する氏名は、一部仮名です

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1986年(昭和61年)2月、兵庫県神戸市東灘区にある市営団地で中学三年生の少年が殺される事件が起きた。

殺したのは、同区の県営住宅に住む小林寛智(仮名・22歳)。

一見すると、成人が未成年を殺した許しがたい凶行に思えるこの殺人だが、実は加害者も加害者ならば、被害者も被害者と言わざるを得ない性質の事件であった。

ミニFM局

YouTubeやツイキャスが出現するはるか以前の80年代、ミニFM局が注目を浴びていた。

ミニFM局とは、FM電波を送信する送信機を使って自分の好きな音楽などの情報を不特定多数に発信するミニラジオ局ともいうべきものである。

スマートフォンもパソコンもなかった時代だったから、情報の受け手はもっぱらラジオからだったが、テレビ局やラジオ局ではない一般人が情報を広く発信するという意味では、現代のSNSとやっていることは変わらないから、個人メディアのはしりと言ってもいいだろう。

グローバルに発信できるSNSが定着した現代と違って電波法の規制もあったから、出力できる範囲は限られていたが、それでも自分の意見なり嗜好を多くの人々に知らしめて、何らかの反応や共感を得たいという承認欲求を満たせるツールとして、多くの若者がミニFM局を開設していた。

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「FMシティ」のあった県営団地の現在

神戸市東灘区に住む小林寛智もその一人で、小林は1985年7月から、自宅の県営住宅でミニFM局「FMシティ」を開設。

定職のなかった彼は、ヒマに任せて自分の好みの音楽などを配信するようになった。

小林の「FMシティ」の放送エリアは東灘区一帯という狭い範囲だったが(ちなみに当時の電波法に定められた範囲には違反していた)、出だしから好調で中学生を中心に口コミで人気が広がる。

曲をリクエストする電話もかかって来るようになり、中には小林の自宅を訪ねてくる中学生のファンも現れた。

自分より若い世代に支持されていることに気を良くしたんだろう。

小林は、気さくにその中学生を自宅に上げるや、やがてその仲間たちも誘われてやってくるようになり、いつしか小林の家は中学生のたまり場になった。

だが、これが大きな間違いであったことに気づくのに時間はかからなかった。

つけあがるガキども

中学生たちは、主に小林の「FMシティ」が放送される午後11時から午前4時の間に来ることが多く、そのまま泊まっていく者もいた。

中学生のくせにそんな時間に外出していたような者たちなんだから、当然真面目でおとなしい少年少女たちではない。

小林は彼らよりだいぶ年長だったが、当初から同級生のような目線で接したのもいけなかった。

おまけに、年少者からある程度畏敬される兄貴分的な気質もみじんもなかったために、中学生たちは増長。

小林の家でタバコを吸ったり酒を飲んだり、深夜に騒いで近所の住民から注意されると逆ギレして、ビール瓶を投げ込んだりのやりたい放題をするようになったが、小林は特に注意することなく、そのままにしていた。

もっとも、注意していたとしても効果はなかったであろう。

生意気盛りのガキどもは、自分たちに対して弱気と見た小林を侮るようになっていたからだ。

そして「FMシティ」開設の翌年1986年2月、事件のきっかけが起こる。

それは、小林宅に出入りする悪ガキどもの一人である町田理人(仮名・15歳)が、聞き捨てならないことを耳にしたことから始まる。

小林が自分のことを「うざい奴だ」と言っていることを、仲間から聞いたのだ。

反抗期真っただ中の中学三年生でいいカッコしいの町田は、日頃から小林相手に生意気な態度で接し、みんなの前ではナメられまいと威勢よくふるまっていたから、そのままにしておくと自身の沽券に係わると考えた。

小林と賭けマージャンをしたりもしていたのだが、そのマージャンで賭け金やマージャンの打ち方をめぐって、小林ともめていたこともあったから、なおさらムカつく。

「あんガキ、ナメくさりおってからに!白黒つけたらあ!」

町田は、小林よりはるかに年下のガキのくせにいきり立ち、小林と話をつけると宣言した。

中学生にナメられる22歳

小林寛智(仮名・22歳)

1986年2月19日夜7時、町田は勝手知ったる小林の自宅に押しかけた。

こういう穏やかじゃない目的を持っている場合、悪ガキは往々にして一人で行かず何人か引き連れて行くものだが、町田もご多分に漏れず仲間4人を同伴している。

そんなに怖くない相手でも一人で行くのは嫌なのだ。

「おい、小林くんよお。オレの悪口言うとるみたいやけど、どういうことやねん?ああん?」

町田は仲間も来ているから、遠慮なくドスを効かせて対応に出た気の弱い年上男を脅した。

小林は中学生たちにこんな態度をとられるようだから、もともと臆病で見くびられやすい男だったのは間違いがない。

だったとしても、この時、年甲斐もなくはるか年少の少年たちの剣呑な雰囲気にビビるあまり、年上らしからぬことを口にしてしまった。

「言うとらへんよ…、オレちゃうわ。悪口言うとるんは髙澤やて…」

高澤は、町田と同じく小林宅に出入りしている中学生である。

何と22歳の小林は、中学生の高澤に矛先をそらそうとしたのだ。

どうりでガキどもから見下されるわけである。

「ホンマやろな?ほんなら、一緒に本人に聞こうやないか!ちょっとツラ貸せや!」

もう、どっちが22歳でどっちが中学生かわからない。

中学生たちは小林を連れて、近所の市営団地に住む高澤宅に向かい、団地のロビーに呼び出した本人に問い詰めたが、当然ながら激しく否定される。

ばかりか、高澤は悪口を言っていたのは小林だと主張した。

「言うわけないやろ!ええ加減なこと言うてからに!お前が言うとったんやないかい!!」

高澤も町田同様小林のことをナメているのだ。

「やっぱ、そうやったやないか!どう落とし前つけてくれるんや?コラ!」

「いや、落とし前て…んなアホな…」

「タイマンで決着つけようやないか!」

町田は語気鋭く言うや、登山ナイフを取り出した。

若気の至りの代償

何と、町田は素手ではなくナイフでタイマンしようというのだ。

「な、なんやそれは?あかん!落ち着けや…やめとこうや」

「お前もナイフ取れや、おい、誰かこいつに一本貸したれや」

町田は、仲間の一人から折り畳みナイフを出させて、小林に取らせようとする。

彼らの学校のそれなりの素行の生徒の間では、ナイフを持って歩くことが流行しており、しゃれっ気の塊のような町田が握っている登山ナイフは自慢の一品だ。

思春期の町田は仲間もいるし、気が大きくなっていたんだろう。

また、みんなの見ている前で中途半端に終わらせてしまったら、後々見くびられてしまうと考えたのも間違いない。

「なあ、なあ、あかんて、こういうの…。冷静になろうや!」

小林はナイフこそ受け取ったが、勝負しようとしない。

だが、一緒に来ていた少年たちがはやし立てる。

「はよやらんかい!」

「ビビっとんのか?!情けねえ年上やな!」

この時の町田が、どこまで本気だったかは分からない。

本当に刺すつもりだったのか、ハッタリだけで小林が謝罪してくれたらいいやと考えていたのか。

それはこの直後、永遠に確かめることができなくなる。

ナイフを握って、こちらに向かってきた町田を、小林がとっさに受け取ったナイフで刺したのだ。

町田は、うめき声を上げてうずくまった。

小林のナイフは、町田の左わき腹を貫いており血が止まらない。

ロビーにみるみる広がる鮮血を前に、刺した小林はもちろん、さっきまではやし立てていた少年たちも顔色を失った。

町田は、刺された場所が悪かったようだ。

そのまま気を失い、呆然とするあまり周りの者たちの処置が遅れたこともあって出血多量で死亡。

15年という短い人生を自業自得で終わらせてしまった。

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事件現場となった市営団地の現在

小林は、その後に駆け付けた警察によって殺人容疑で逮捕される。

「ナイフを持って向かってきたから刺した。殺すつもりはなかった」と主張したが、当然正当防衛が認められるわけはない。

結果的に殺してしまったわけだし、その前に家にやって来た中学生と賭けマージャンをやったり、喫煙や飲酒を放置していたこと、そもそも自身のミニFM局が電波法に違反していたことなどから、刑事責任を免れることはできなかった。

いずれにせよ、だらしなさ過ぎたことが原因で長期の実刑を受けたであろう小林はもちろん、生意気すぎたことが原因で死んでしまった町田も同情するに値しない事件である。

防ぐことはできなかったんだろうか?

無理だったろう。

どっちも救いようがないくらい愚かだったとしか考えられないのだから。

出典元―神戸新聞、毎日新聞

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オレの代わりに受験しろ! ~替え玉受験させるために軟弱陰キャ大学生を脅して猛勉強させた男~

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「加害者も加害者なら、被害者も被害者」と言わざるを得ない事件が起きることがある。

どう考えても加害者は「普通はこんなことやらないだろう」ということをしでかし、被害者は「普通はこんなことやられないだろう」ということをされる事件のことだ。

1975年(昭和50年)に起きたこの珍妙な出来事は、まさにそれにあたり、その「どっちもどっち」さぶりは語り継ぐに値すると考える。

大志を抱く出来損ない

兵庫県姫路市で生まれた片倉卓己(仮名・19歳)は、お世辞にもデキのいい男とは言えなかった。

地元姫路市内の中学を卒業後に、高校受験に失敗。

家庭環境が複雑で家に居づらかったこともあって、1973年(昭和48年)に上京して新聞配達の仕事を始めたが、一緒に働いていた年上の大学生を殴ってクビになってしまう。

その後は東京をいったん離れ、翌年四月に四国の電波系高等専門学校に入学したが、せっかく入った高専も合わなかったらしく一年余りで退学してしまった。

その後、自分探しをするように職に就いたりしていたが、高専を退学した1975年に再び上京する。

科学技術に興味のあった片倉は、いつしか科学者になりたいと思うようになっており、それを実現するために、理系の大学に入ろうと受験勉強をするつもりだったのだ。

しかし、その夢は、片倉の知能を大きく上回っていた。

高校を卒業していない彼は、まず大学受験の資格を得るために大学入学資格検定(現・高等学校卒業程度認定試験)をパスする必要があり、大学入学試験は、それよりさらに難易度が高かったのは言うまでもないが、どちらもからっきし合格する自信がなかったのである。

普通なら、この時点であきらめるし、だいたい19にもなったら自分の能力や資質をある程度把握して見て、いい夢と悪い夢の区別くらいはつくはずだが、片倉にはそれが分からなかった。

どうしてもクリアしたいが、全く自信がない試験にどうやったら受かることができるのか?

普通のバカならば、やるだけムダな受験勉強をダラダラ続けたことだろう。

だが、片倉はそんじゃそこらのバカとはレベルが違った。

その劣悪な頭脳で思いついたのは「自分の代わりに誰か頭のいい奴に受験させる」ことだったのだ。

そして、そんな都合のいい奴に心当たりがあった。

気弱な大学生

だいたい、入学試験にも合格できない者が授業についていけるわけがないのだが、片倉は合格して入学さえしてしまえば、こっちのもんだとでも思っていたんだろう。

間違いなく頭が悪い。

しかし、片倉は頭こそ悪かったが、行動力が抜群にあった。

思いついたら、すぐ行動なのだ。

つまり、バカなぶん相当タチが悪い。

上京して借りた部屋は、北区十条のアパート。

そこには、顔見知りが住んでいたからなのだが、その顔見知りとは、最初に務めた新聞店で片倉が殴った大学生だった。

その大学生、本田雄介(仮名・21歳)は某工科大学の三年生で年上だったが、極端に気弱な男であったために、ちょっと脅せば言うことを聞いてくれる奴である。

新聞店にいた時に殴ってしまったのは、日ごろからいいように使っていたところ、ちょっと気に入らない態度を見せたことからついカッとなったからだ。

そんな奴と同じアパートに引っ越してきた目的は言うまでもない。

目的どおり、自分の替え玉として受験させるためだ。

本田はヘタレだが腐っても大学生である。

試験がからっきし苦手な自分が受験するよりも、合格する確率ははるかに高い。

6月ごろ、片倉は本田に自分の替え玉となって受験するように強要。

その際「オレは地元にヤクザのツレがおってのう。嫌や言うんやったら、そいつも連れて来たるで!」と見え見えのハッタリまでかました。

とんでもない無茶ぶりだが、本田は元々気弱すぎるうえに、以前片倉に殴られたこともあって、恐怖が身に染みていたと思われる。

その要求を嫌々飲まされた結果、受験勉強地獄が始まった。

受験勉強地獄

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いくら大学生とはいえ、何もせずに一発で合格できるとは思えない。

念には念を入れて、やりすぎなぐらい勉強するのが望ましいのだ。

片倉は、受験で必須となる科目の参考書を本田に買い与えて学習スケジュール表を作成、一日五時間の受験勉強を義務付けた。

勉強は片倉の部屋でさせ、その間つきっきりで本田の勉強を監視。

本田はアルバイトの新聞配達をしつつ昼間は学校に通っているから学習中にウトウトすることがあったが、片倉は甘やかさない。

ちょっとでも居眠りしようものならば「合格する気あんのか!!わりゃあ!!」と、タバコの火で根性焼きか鉄拳制裁だ。

片倉は、自分が勉強する場合はダラダラやっていたが、他人に勉強させる場合は熱心かつスパルタなのだ。

自分の夢を実現するためなんだから、手は決して抜かない。

本田の家財道具も没収して自分の部屋に運び込み、「逃げた場合はこれを処分する」と脅した。

本田も本田で、いくら気弱で自分で抵抗する勇気はなかったとしても、学校や周囲の人間に相談するくらいできそうなものだが、対人恐怖症的なところもあったのか相談できる友はなく、東京で唯一知っている人間は片倉だけだったようだ。

知人が片倉のようなバカしかいないとは最悪である。

強制受験勉強が始まって一か月後、本田の大学は夏休みに入った。

だが、本田に遊ぶ時間はない、夏休みを制する者は受験を制するのだ。

学習時間は、なんと12時間にされてしまった。

これでは、授業がある時よりきつい。

本田がウトウトする頻度も多くなり、そのたびに、片倉によるお仕置きにも力がこもる。

「もうすぐ大学入学資格検定やぞ、分かっとるんか!!?」

そして、大学の夏休みも終盤を迎えた8月28日、朝から英語の学習をさせられていた本田がまた居眠りを始める。

「ナニ寝とるんじゃい!ボケェ!!」

この日、特に機嫌が悪かったらしい片倉は激怒し、火で熱したナイフを本田の右腕に押し付けた。

「あっつううううう!!!!」

この暴行には、さすがの本田もたまりかねたようだ。

同日午後1時ごろ、今までされるがままだった彼は、隙をついて部屋から脱走。

110番通報した結果、駆け付けた警察官によって片倉は暴行傷害の容疑であっさり逮捕され、その実現方法を大いに間違えた夢は潰えた。

自分が受かる自信がないから、他人に受験させようと勉強までさせ続けていたこの奇特な事件だが、加害者の片倉も相当なバカだが、被害者の本田もかなりのもんであろう。

一番悪いのは片倉だが、ここまでされるがままだった本田も問題だと言わざるをえない。

極端にバカで凶悪な奴と極端に気弱な奴が出会ったからこそ起きた世にも珍妙な事件であった。

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出典―読売新聞、毎日新聞、朝日新聞

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