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善良すぎて殺された青年 ~1999年・栃木リンチ殺人事件~ 第二話


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第二話 事件の発端

人間には二種類しかいない。利用可能か利用不可か

1999年9月23日、萩原克彦と村上博紀が宇都宮駅東口のパチンコ店を訪れていた。

目的は同じ中学の同級生だが、卒業以来付き合いのなかった梅沢昭博に会うことだ。

ずっと付き合いがなかったので、さまざまなルートで梅沢の携帯電話の番号を探り当て、この日のこの時間に、このパチンコ屋で会うことを約束していた。

しかし、萩原は久々に中学生の同級生に会って、旧交を温めようとしているのではない。

その目的は、梅沢から金を巻き上げることだ。

野郎は、仕事を事故の後遺症を理由に休んで、手当をむさぼりながら遊んでいる不届き者である。

そんな奴から金をいただいても、バチは当たらないだろう。

萩原は7月に鳶の会社を辞めてブラブラしており、今からやろうとしているように、時々他人から金を脅し取っていたのだ。

もちろんその目的は、梅沢には隠している。

パチンコをしている梅沢を見つけると、「おーう、久しぶり」と当り障りのない声掛けをしたかと思ったら、「梅沢、テメー最近俺の悪口言っとるべが」と、いきなりドスを利かせた声で因縁をつけた。

恐喝の初歩である。

「いや、してないよ、してないって。誰から聞いたの?そんなわけないって~」

久々に会って、まさか因縁つけられるとは梅沢も思わなかったであろう。

梅沢は必死に弁明して何とかはぐらかそうとしたが、萩原は次の手を用意していた。

「まあ、それは置いといて。オメーに会わせてえ人、アソコにいっからツラ貸せよ。村上も来い」

梅沢と村上を従えて向かった先にいたのはパチンコを打っている中年の男、それも見るからに暴力団組員風の男である。

「お久しぶりです、〇〇さん。この二人、俺の中学校の同級生の梅沢と村上です。こいつらのことも、これから面倒見てやってもらえませんか?」

萩原が丁寧だが、さも親しそうに話す相手は案の定暴力団組員。

暴走族時代に知り合って以来、交際があった男だ。

「おう、そうか。何かあったら、オメーらも連絡してこい」と渡された名刺には、泣く子も黙る広域暴力団・住吉会系の組の代紋が印刷され、名刺を渡してきた手は小指が欠損している。

実にわかりやすい本物ぶりだ。

萩原が、このパチンコ店をこの時間に約束の場所にしたのは、このヤクザがいつもここでパチンコをやっているのを知っていたからだ。

後は慣れたもので、自分の背後にいる者がどういった人間なのか目の当たりにさせれば今後いろいろとやりやすくなることを、この卑怯者は熟知しているのだ。

その姑息な企みは、今回も大いに成功していた。

梅沢は中学時代から万引きなどを繰り返し、高校時代は萩原とは別の暴走族に入っていたが中途半端な悪党だったので、本職を紹介されてその名刺を受け取ってからは、深刻な表情をし始めている。

同じく中学時代から悪さを重ね、梅沢と同じ暴走族に入ったことで高校を退学になった村上も同じだ。

この年の4月に萩原と再会してまたつるむようになったが、ガタイが大きい村上は、ケンカは自分の方が強いと思っていたらしく、これまでずっと対等な態度で接してきていたが、それが今や明らかに変わっている。

仕込みは万全だ。

その場で目的を果たそうとせず、絶妙な間を挟んだ翌日に、すっかり自分の言いなりになった村上を伴って梅沢の家を訪ねた萩原は「金貸してくれ」と要求。

さらに「〇〇さんが俺らに金の都合つけろって言ってきてさ、今日中に用意しねえとまずいんだわ。オメーもサラ金でも何でも使って用意した方がいいぞ」と、昨日の暴力団組員の名前を出したんだからたまらない。

薬が効いている梅沢は「言っとくけど、これ以上無理だからね、ホント…」と、くぎを刺して消費者金融の無人契約機から借りた20万円を萩原に渡した。

むろん、返ってこないことはわかっている。

そして、金を巻き上げるのは梅沢だけではない。

「村上、オメーも出さねえと、まずいんじゃねえか?」

「え?オレも?なんで?」

「昨日、紹介してやった〇〇さんのご指名なんだわ。オメーにも金出させろって言われたんだよ」

などど、梅沢同様昨日のヤクザにビビっている村上からも同じく、30万円ほどの金を巻き上げたのだから、半端ではなく悪どい男である。

案の定、その金はその後萩原自身の遊興費などで瞬時に溶けた。

そして、萩原は一度食らいついたら離れなかった。

ほどなくして、また二人に金を要求したのだ。

「萩原君、もう俺たち無理だって。かんべんしてよ!」

「だったら、誰か他の金借りれそうな奴連れて来りゃいいべがよ!」

萩原にとって、他人は利用可能か利用不可の二種類しかない。

同級生だろうが関係なく、利用可能ならば徹底的かつ冷酷に利用し続けるのだ。

しかし、梅沢は荻原の「誰か金の借りれそうな奴」というワードを聞いて、ひらめくものがあった。

「あ、そうだ。俺の働いている会社にさ、俺のパシリがいるんだけど、そいつにしね?」

梅沢は、まだ日産で普通に勤務していた時、配属された鋳造課の同僚に言うことを聞いてくれそうな奴がいたのを思い出したのだ。

「テメーにパシリ?フカシこいてんじぇねえ」

「フカシじゃないって。同じ課でロッカーが隣でさ、何言っても断らなねえ奴なんだよ、そいつ」

梅沢も結構な卑怯者である。

恐喝の矛先を自分からそらすためだったら、他人を売ることを躊躇しないのだ。

「もう、ホントすっげービビりだから、萩原君が脅せばイチコロだべよ」

「ホントだべな?なら、そいつ呼び出せ」

あいつに断る度胸はねえはずだ。

梅沢は、携帯電話でそのビビりの番号に電話をかけた。

電話帳に入れといてよかったぜ。

「おお、久しぶり!…あん?俺だよ俺、隣のロッカーだろがよ。…うん、梅沢だよ。忘れんなよ」と話した後、本題に入った。

「それでさ、久々だから会わねえか?須藤」

最高のカモ

日産自動車栃木工場

1999年9月29日、日産の工場勤務を終えた須藤正和は、同僚の梅沢に呼び出された。

梅沢は、同期入社の同じ鋳造課でロッカーも隣同士だった男で、長いこと交通事故のケガが原因で休養しているらしく、会うのは久しぶりである。

と言っても、顔を合わせていたのは一か月くらいだし、なんとなくガラが悪いのと、あれこれ命令してきたりして態度がデカいところのある男だったから、特に親しいわけではない。

しかし、他人の頼みを断れない正和は、何の要件も言わず「とにかく会おう」という梅沢の呼び出しに応じたのだ。

待ち合わせの場所で数か月ぶりに会った梅沢は、ケガで休んでいるとは思えないくらい元気そうだったが、友達と思しき二人の見知らぬ男と一緒にいた。

え…、梅沢君だけじゃなかったの?

ちょっと意外だったし、梅沢の友達らしく、なんとなくヤカラっぽいおっかない感じの二人である。

自分と同じくらいの背丈の小デブと、でっかい体の大デブだったのだが、小デブの方は目つきがかなり悪く、その両目の間隔が狭い目がこちらを向いた時は、思わずひるんで目をそらす。

そして子デブは、小首をかしげて正和の目見据えながら口を開いた。

「すまねえけど金貸してくれや」

「え…」

一方的で、脅すような要求をされて絶句した正和に、梅沢はペラペラと補足するように呼び出した要件を語り出した。

梅沢も、少々凄みを聞かせた話し方を心掛けている。

「いや、オレらヤクザの車と事故っちまってさ、めちゃくちゃ修理代請求されてやべーんだわ。だから金貸してほしくってよ」

「え?いくら?」

「なるべくたくさんがいい。オメーしか頼める奴いねーんだ」

「…わかった」

これは、小デブもと萩原が考案して梅沢に言わせたセリフだったが、まさかこんなに簡単にうまくいくとは荻原自身も思わなかった。

ここまで断る根性が全然ねえとは思わなかったぜ。

こりゃ、今までで一番やりやすい奴なんじゃねえか?

「助かるう!お前を知っててよかったぜ!」

そう、助かった。

これで、自分たちが荻原にたかられることはなくなりそうだ。

梅沢と村上は、そうほくそ笑んだはずだ。

だが、予想外のことが、消費者金融の無人契約機まで一緒に行ってまとまった金を引き出させようとした時に起こる。

大企業・日産自動車に勤めて無駄遣いをしないはずの正和が、審査で落ちてしまったのだ。

すると、後ろで無言でひかえていた萩原が「オイ!どういうことだコラ!テメー!!アン?」と、なぜかものすごい剣幕で梅沢にからみ始めた。

「いや、その、おかしいな…。なあ!須藤!お前、貯金いくらある?」

「えと、7万くらいかな」

「じゃあ、とりあえず、その7万引き出して貸してくれ!」

これも、萩原が仕組んだものだ。

ドスを利かせて梅沢を脅すところを見せて、見るからに気が弱そうな正和をビビらせたのである。

その目論見は当たった。

正和は顔をひきつらせて一切ごねることなく、銀行から貯金全額の7万円を引き出して大人しく渡したのだ。

優しすぎるにもほどがある、というわけでは決してない。

気が弱すぎるのだ。

正和は人一倍優しい青年であったと同時に、他人と争うことを徹底的に避ける男であり、とんでもない要求をされても、こんな怖そうな連中に逆らうことができなかったのである。

だが、それはこの二足歩行のダニたちに対して、一番やってはいけないことだった。

「これじゃあ足りねえからよ、明日会社休んで別のサラ金で金借りてくれ」

萩原が、さも当然のように無茶苦茶な要求をしてきた。

その態度で、ナニとんでもない無茶ぶりしてんだよ!

などという当然のツッコミも臆病な正和にできるわけがない。

「わかりました」というようにうなずいた。

こりゃ、サイコーにしゃぶりつくせそうな奴見つけたぜ。

どうりで梅沢程度の奴のパシリにされるわけだ。

萩原は、さっきちょいとガンを飛ばして「金を貸してくれ」と言った時の正和のビビりようから予想はしていたが、それ以上のカモであることを確信した。

こんな滅多にいないくらい極上のカモは、逃がしてはいけない。

日産の寮

正和は、実家ではなく日産の独身寮で暮らしていたが、萩原たちは寮に帰らせなかった。

代わりにひとまず向かったのは、近くの公園。

「オメー、髪長げえな。俺は美容師だから散髪してやるよ」

萩原の悪ふざけである。

あまりにも目的がうまく果たせたことで調子に乗り、先ほどコンビニで買ったハサミとバリカンで、公園のベンチに座らせた正和の頭を刈り始めたのだ。

正和は深刻な顔をしてはいたが抵抗せず、刈られたいだけ刈られて、、頭がみるみるスキンヘッドになっていく。

おいおい、マジかよ!

こんなことされてんのに、ナンもしてこねえぞコイツ。

さらに悪ノリが高じて眉毛も剃ったが、それでも、されるがままだ。

こりゃ、長い付き合いができそうな奴だぜ。

顔を邪悪にほころばせたのは、萩原だけではない。

一緒に正和の髪の毛や眉毛を剃って、笑い転げる梅沢と村上もだ。

矛先が自分たちからそらされただけではなく、自分たちもカモることができそうな奴が手に入ったのだから。

長い監禁生活は、こうして始まった。

しかし、本当の地獄はこれからである。

続く

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善良すぎて殺された青年 ~1999年・栃木リンチ殺人事件~ 第一話


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第一話 最も善良な青年と最も悪辣な犯人

この上なく善良だった青年

1980年5月6日、栃木県那須郡黒羽町で理容店を営む須藤光男・洋子の間に、待望の長男が誕生する。

その子は正しく和むと書いて「正和」と名付けられ、須藤家はこれで、3歳上の長女、祖父・祖母を合わせた6人家族となった。

幼い頃は軽い小児ぜんそくやアトピーを患ったこともあったが、実直な両親や祖父母の愛情を注がれて、正和は健全に育ってゆく。

生来の性格だったのだろうか、非常に温厚な性格であって、蚊ですら殺すこともしない優しい性格の持ち主で、ケンカもしたことはないし、思春期においても親に反抗したことが一度もなかった。

また、生まれ育ったのがのんびりとした田舎であり、通っていた小中学校は一学年の生徒数が都会の一クラスにも満たないという牧歌的な学校生活だったこともあって、人を疑うことを知らない純真な少年でもあった。

同級生たちにもねじ曲がった根性の者がおらず、学年全体が仲良しと言ってもよく、正和と仲の良い友達は非常に多かった。

正和はプラモデルなどを作ることが好きであり、高校に進学してからは自動車に興味を持ち始めたのをきっかけに、進路を決める学年になると日産自動車への就職を希望する。

高卒枠とはいえ、日産は安定の大企業であるために競争率は高かったが、正和は見事に内定を獲得。

高校時代にバトミントン部など三つの部をかけ持ちしたりして活動的だったことや、会って話せばすぐにわかる誠実な人柄が評価されたのだろう。

入社後は一か月の研修期間を経た後、エンジン部品を組み立てる鋳造課に配属になる。

肉体的にきつく、敬遠される不人気部署だったが、正和は自ら志願、欠勤は一度もなく、誰より勤務態度は真面目だった。

おまけに彼は非常に孝行息子であり、家業の手伝いも欠かさなかったし、多くの者が親に金を出してもらって通う自動車学校も全額自分でアルバイトして貯めた金で通い、普通免許を取得している。

また、車も自分で買おうと貯金もしていた。

周りの評価も、真面目、素直、正直、純朴であり、困っている人間を放っておかない優しい性根だったと、彼を知る者は口をそろえる。

だが、後に両親、特に母の洋子は「育て方を間違えた。この世の中を生きるには優しすぎた。もっとケンカっ早い人間に育てればよかった」と激しく悔やむことになった。

なぜなら、息子・正和は日産自動車へ就職したことと、その優しすぎるほどの性格ゆえに、19年という短い人生を絶たれてしまったからだ。

彼とは対極の悪魔そのものの者たちによって、しかもこれ以上ないくらい無残に…。

悪魔たち

萩原克彦

萩原克彦(19歳)は、根っからの悪党だった。

栃木県警に勤務する父親の次男ではあったが、子供のころから粗暴な性格で、地元の宇都宮市の中学校に入ってから当然のように問題行動を起こし、100万円以上を恐喝する事件まで起こす。

警察官の父親は土下座までして謝罪したが、母親は萩原が悪さしても「ウチの息子はそんなことしない」などと逆ギレすることが多く、きつい性格で自分勝手な人物であったようだ。

長男は真面目で大学に進学しているから、萩原の方は、どうやらこの母親の血を受け継いでしまったんだろう。

祖母の溺愛も受けており、荻原はたびたび金をせびっていた。

中学卒業後は定時制高校に進んだが退学、鳶の会社で働き始めても無断欠勤を繰り返すなど仕事は徹底的に不真面目。

その一方で、地元の暴走族に加入して傷害や恐喝などの悪さを働き、逮捕されて保護観察処分を受けたこともある。

そのくせ実は小心者で、立場の強い者やおっかない人間の前では大人しくしているが、弱いと見た相手には徹底的に強気になるという、わかりやすいくらい姑息な性格の持ち主であり、よく付き合っていた彼女にDVを行っていた。

また、その立場の強い者の威光を巧みに利用して、自身を大きく見せることに長けてもいたクズだ。

梅沢昭博

梅沢昭博(19歳)は、自分では何もできない小心者だ。

そのくせ、誰かにくっつくや悪さをエスカレートさせる典型的な付和雷同型のチンピラである。

両親が離婚し、シングルマザーとなった母親の苦労をしり目に、中学校時代は窃盗や万引きを行い、悪い連中とつるむようになって高校に入ってからは暴走族にも加入。

萩原とは中学校の同級生であったが、卒業後に付き合いはなかった。

高校卒業後はどういう手を使ったのか、大手の日産自動車に入社。

だが髪を染めて、勤務態度も不良。

入社後早々、交通事故を起こしてそのケガを理由に会社を休み、給付金を受け取ってブラブラしていた。

ちなみに日産で正和と出会い、ロッカーも隣同士だった。

これは正和にとって最悪の出会いとなるのだが、それはまだ先の話である。

村上博紀

村上博紀(19歳)は、会社員の父親とピアノ教師の母親と弟という家庭であり、暮らし向きは裕福。

ただ、欲しがるものは買ってもらえるなど甘やかされて育っていたのもあって、わがままな性格になっていたらしい。

中学では水泳部に所属して、名門高校に進学するも高校二年生の頃から悪い連中とつるみ始め、中学時代の同級生の梅沢と暴走族に加入、それが原因で高校を退学になっている。

萩原とは小学校、中学校の同級生で、事件の発生した年の4月に再会。

萩原の働いていた鳶の会社で一緒に働いたこともあったが、萩原同様、不真面目で長続きしなかった。

そんなクズ三人が再会してつるむようになったのは、1999年9月23日。

そこから、事件に向かって運命の歯車が回り出すことになる。

続く

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列島を凍り付かせた未成年1988年・名古屋アベック事件 – 第五話


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第五話 犯人逮捕とその後

逮捕された鬼畜たち

小島ら5人は、25日5時ごろには名古屋市内に戻り、犯行に使ったロープや被害者の衣服・免許書など足、がつきそうな物をすべて川に投棄。

殺害現場にいなかった近藤とも会って、逃走方法や捕まってしまった場合の対策などを話し合っていたが、捜査の手は予想外に早く彼らのもとに迫っていた。

大高緑地公園の事件で被害者の車のバンパーに小島の車の塗装片が付着して車種が知られていたし、何より23日に愚かにも、被害者二人を連れてホテルで休憩した際に怪しんだ従業員に車のナンバーを控えられていたことが決定打となる。

従業員が、同日中にそのナンバーを警察に伝えたために、車両まで特定されていたのだ。

小島の車は、翌26日昼過ぎには港区や緑区をしらみつぶしに捜索していた警察に発見される。

発見現場近くには、近藤の住むアパート。

ちょうどそのころ、高志をのぞく犯行グループ5人は、その部屋で事件を報道する新聞を読んだり、逃走先などについて話し合いをしていた。

だが、車が発見されてから間もない午後2時、部屋に緑署の捜査官が乗り込んできて万事休す。

任意同行を求められた5人は、逃走のための身支度をしている最中だった。

捜査本部に身柄を移されて強盗・逮捕監禁などの容疑で取り調べを受けた彼らは、同日中に金城ふ頭や大高緑地の事件についてや拉致されたカップルを殺害したことまで自供。

翌27日未明、強盗致傷・殺人・死体遺棄の容疑で逮捕された。

ちなみに、近藤の部屋には行かずに行方をくらましていた高志も、翌28日には身柄を確保されている。

逮捕された小島茂夫

昭善と須弥代の遺体は26日16時、彼らの供述どおり三重県の山中で発見され、それを伝える報道は日本全国に衝撃を与えた。

犯行にいたる過程も含めて、それまでの未成年による犯罪の中では前代未聞の凶悪さであり、このような連中は厳罰に処すべしという怒りの声が巻き起こる。

死体発見現場

反省なき犯人たち

当時、犯行自供後に犯人たちは涙を流したと、あたかも反省しているような報道をしていたメディアもあったが、実際は全く反省のそぶりが見えなかったようだ。

というか、ふざけていた。

だいたい、6人とも取り調べで自分は主犯じゃないと罪の擦り付け合いをしていたし、責任を感じていないばかりか、他人事のようであったという。

逮捕後に緑署から名古屋少年鑑別所に収容された小島なんぞは、他の共犯者たちと別々に拘置されながら互いに手紙のやり取りをしていたが、その中には反省の言葉はなかったし、「未成年だから大した罪にならない」とか「刑を終えたら筒井と結婚する」と堂々公言。

法廷でも「刑期を終えたら筒井と結婚する」と、カップルを殺したくせに話していたこともあった。

反省していないことは後の名古屋地裁  でも、「少年鑑別所において、反省しているとは思えぬ態度が散見された」と指摘されていることから明らかである。

その他の共犯者も、話にならない奴が多かった。

徳丸や近藤も少年鑑別所で官本に落書きし、職員から注意を受けても反抗的。

龍造寺は少年鑑別所でふんぞり返った言動をし、筒井は少年鑑別所で他の共犯者から呼びかけられるや嬉しそうに応答、龍造寺に窓越しに話しかけて注意を受けたりしていたし、逮捕されたばかりのころは小島と結婚するつもりだと話して、彼氏同様胸糞悪い相思相愛ぶりをさらしている。

裁判になっても彼らの態度は変わらず、犯人の中には公判中に居眠りを始める者まで出る始末だった。

ただでさえ極悪な犯罪を犯しておきながらこの態度では、判決に影響しないはずはない。

小島は何年かしたら出られると思っていたようだが、1989年6月28日に開かれた判決公判で下された判決は死刑(求刑どおり)、求刑どおりになるとは思っていなかった分、これにはかなり動揺したようである。

共犯者については徳丸が無期懲役(求刑どおり)、高志が懲役17年(求刑:無期懲役)、近藤が懲役13年(求刑:懲役15年)、龍造寺と筒井は5~10年の不定期刑(求刑どおり)であった。

昭善と須弥代の両親はもちろんのこと、彼らの凶悪さを身を持って心に刻んでいる金城ふ頭の被害者カップルたちも犯人全員の厳罰を望んでいたが、小島と徳丸はともかく他の共犯者たちの刑は軽すぎるといわざるを得ず、二人の両親はさぞや納得できなかったことだろう。

小島と高志も、この刑に納得していなかった。

あろうことか、重すぎると控訴したのだ。

他の共犯者は控訴しなかったので刑が確定したが、小島たちは途中で弁護人を解任するなど往生際悪く裁判を続け、1996年12月16日の名古屋高裁における控訴審判決公判で原判決が覆され小島は無期懲役、高志は懲役13年に減刑され、のうのうと死刑を回避することに成功してしまった。

高志健一

被害者遺族の無念

野獣たちによる理不尽で陰険な殺人事件は、他の殺人事件同様、被害者遺族のその後の人生も狂わせていた。

昭善の父親は名古屋市南区で理髪店を経営していたが、跡取りとなる予定の息子を殺され、改装したばかりの店を閉店、家族とも離散してしまう。

自動車部品会社で働いていたものの、事件で生きる気力を失っており、事件から3年後の1991年3月、中村区内のアパートで孤独死している。

母親は『中日新聞』の取材に対し、犯人たちを「息子を返してくれない限り、絶対に許すことはない」と語っており、主犯の小島から届いている謝罪の手紙も「中身が毎回同じだ。いつも捨てている」と、息子を殺した犯人たちへの厳しい態度を変えていなかった。

須弥代の両親は事件後、それまで住んでいた家を売却。

母親は1997年11月に病死した。

須弥代の父親は控訴審の公判中、自分が生きている間は犯人たちを憎み続けていくだろうと述べ、その後の週刊新潮の取材では、以下のように答えている。

「娘は病気で亡くなったと思おうとしているのです。私に親や親戚がなく天涯孤独の身であったら、犯人たちを殺していたでしょう。犯人に更生の可能性があるというけど、生きていれば幸せな将来が待っていたはずの娘たちは、その将来を突然断ち切られてしまったのですよ。いまの少年はずるい。少年法で守られていることを知って、平気でああいうことをするんです。私は孫たちに、やられそうになったら遠慮せずにやってしまえといっているんです。うまくいけば正当防衛、悪くても過剰防衛で、いつかは刑務所から出てこられますから」

また、父親は2003年までに服役中の犯人たちから謝罪の手紙を複数回受け取り、犯人たちに励ましの言葉をかけたりしていた。

しかし、この寛大な父親の気持ちを犯人たちの大半は裏切ることになる。

「もう終わったこと」と決め込む犯人たち

獄中の小島

誰も死刑になっていないし、主犯格以外の刑が軽すぎる判決は後味の悪い結果であったが、無期懲役となった小島は、現在も刑務所から出られずにいるから、まだ報いは受け続けていると言える。

その間に、小島は事件を起こしたことを深く反省するようになっており、模範囚として服役して被害者の冥福を祈るなど、犯した罪に向き合っているようだ。

彼の両親も、昭善と須弥代の両親への損害賠償金の支払いを完了し、息子の犯した罪の責任を果たしている。

獄中の徳丸

問題は他の奴らだ。

徳丸は、小島同様未だシャバには出られていないが、一切遺族に謝罪していないし、その親は一回も公判に姿を見せなかったばかりか、賠償金の支払いにも応じていない。

高志、近藤、龍造寺、筒井の親たちも似たり寄ったりで、親権を放棄したとかで支払いを拒否したり、未完済の者が多かったのだ。

すがすがしいほどの「この親にしてこの子あり」ぶりである。

もちろん出所した本人たちは出所後に行方をくらまし、賠償金を支払うことなくのうのうと結婚したりして、意外と普通の生活をしているから頭にくる。

彼らのうち、近藤も2000年に出所後に中国地方の都市に移り住み、結婚して娘をもうけて産廃の仕事をしながらも賠償金をビタ一文払わずにいたところ、2003年にフリーのジャーナリストに居所を突き止められ、その取材に応じて以下のように言い放った。

「事件にばかり引きずられていてもアレでしょう、前に進めないと思う」

「娘が同じ目にあったら許さないと思う。許さないんじゃないでしょうか」

「賠償金については親が示談したが、親とも連絡をとらなくなって、忘れてるというか、それで終わってる」

「被害者の墓参り?行く時間がないので難しいね」

生かしておけないくらい腹が立ったのは、筆者だけではないはずだ。

犯罪者なんて、そんなもんであろう。

その場では反省したとしても、徐々に「あれは、仕方なかったんだ」とかの言い訳を自分で作り上げ、最終的には「もう終わったことだ」という結論にいたり、何食わぬ顔で通常の暮らしに復帰している。

これを見る限り、現実の日本社会は犯ったもの勝ちとしか思えないではないか。

犯罪者を反省させなくてもいいが、後悔だけは十分させる必要があると信ずる筆者は、犯した罪の重さを否応なく知らしめ連中が自殺したくなるような厳格なシステムの構築を切に願っている。

出典元―中日新聞、ウィキペディア、週刊新潮、週刊文春

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列島を凍り付かせた未成年1988年・名古屋アベック事件 – 第四話


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第四話 弄ばれる命

自殺を図った須弥代

須弥代を連れた犯行グループは24日午前11時に近藤と合流、拉致していたカップルのうち男の方は殺し、残った女も今日中に殺すことを告げる。

襲撃の実行犯の一人で、昭善殺害の現場にはいなかった高志にも電話をかけて、この日の22時に落ち合うことを約束させた。

殺害を二人にも手伝わせるはずだったのだが、現役暴力団員の近藤は組の用事があることを理由に「後は任したでな」などと離脱してしまう。

また俺らに丸投げで逃げやがったな!

小島は、近藤の重ね重ねの無責任ぶりに腹が立った。

小島たちは、この時点でまだ須弥代に昭善を殺したことを伝えていないし、須弥代自身も殺すつもりであることも本人に伝えていない。

しかし、須弥代はとっくに彼氏がこの世にいないことに気づいていたし、自分も殺されるであろうことにも感づいていた。

そして、それを望んでいた。

一行が喫茶店などを経て、一昨日カップル狩りをした金城ふ頭に寄った時のこと。

徳丸に見張られてフラフラと外に出た須弥代が、叫び声を上げて突然海に向かって走り出したのだ。

海に飛び込むつもりである。

「お前、ナニしとんだて!!」

ここで死なれるのはかなりまずい、死体が発見されないように真夜中に、どこかで殺して埋めるつもりなのに。

取り押さえて車の中に押し込んだ。

「お兄ちゃん殺したでしょ!?わたし、もう生きていけないいい!!!」

「家帰したったって言っとるが!」

見え透いたウソをここでも言い張ったが、すでに昭善の死を確信していた須弥代は、悲嘆のあまり後追い自殺を図ろうとしていたのだ。

しかし、このあまりに悲しい行動は、人をいたぶるのが大好きな極悪少年少女たちのサディズムの炎に油を注いでしまった。

「私たち、本当に愛し合っていたんです」アピールもカンにさわったし、悲しみに打ちひしがれて泣きわめいている姿を見て、もっともっといじめてやりたくなってきたのだ。

悲しみを踏みにじる悪魔たち

小島たちのたまり場

その後、小島たちはグループのたまり場にしていたアパートに転ずるや、失意のどん底に打ちひしがれる須弥代をリンチ。

「ナニ勝手なことしとんだて!バカ女!!」「死にたいなら殺したる殺したる!」「“お兄ちゃんお兄ちゃん”やかましいじゃい!」「オラ!泣いてんじゃねえ!すんげれぇムカつくわ!」

男には強烈なパンチや蹴りを見舞われて吹っ飛び、女には髪の毛をつかまれて、口汚くののしられながら顔をはたかれて踏みつけられる。

事件後、階下の住民はこの時にドスーンと大きく響く物音を何度か聞いたと証言しており、孤立無援の須弥代に、かなり情け容赦のない暴力が振るわれていたようだ。

さらには、ここで雄獣の徳丸がまたも須弥代をレイプ。

どうせ殺すんだから、こんなやつ何やってもいいと小島はじめ他の奴らも考えていたらしく、筒井も同性が蹂躙されているにもかかわらず「好きだねえ」などと笑っている。

人生最後の日にも関わらず、須弥代は尊厳を踏みにじられ、痛めつけられ続けた。

同日22時ごろ、小島たちは徹底的にいじめ抜いた須弥代を連れてたまり場を出発し、22時40分には高志と合流。

そこで小島は昭善をすでに殺害したことを話し、車のトランクに入った死体も見せた。

「え!?マジ?あの野郎、ホントに殺ってまったんか!?…ホントや、死んどる」

「女の方も殺らなかんでよ。あとはどこでやって、どこに埋めるかなんだわ」

小島と徳丸に高志も加えた男3人で、殺害場所と埋める場所の話し合いが始まった。

車の中には、生きる気力を失ったほどやつれはてた須弥代が龍造寺と筒井に見張られて乗っている。

「富士の樹海とか…、あかん、遠い。明日朝早いから事務所行かなかんで」

「三重の山奥にせんか?オレ、あそこよう知っとるんだわ」

小島の言う三重の山奥とは、現在三重県伊賀市の山林のことである。

彼は、そのあたりに土地勘があったのだ。

「ほんならそこにしよか」

徳丸と高志はその案に同意し、23時10分ごろに高志も加えた一行は三重県に向けて出発。

須弥代にとって、絶望のドライブが始まった。

死者の尊厳などお構いなしの鬼たち

死体を埋めた場所

目的の場所に着いたのは、翌25日の午前2時ごろ。

それは、車一台がやっと通れるほどの林道を進んだ先にあり、両脇はうっそうと茂る山林。

須弥代はタオルで目隠しをされており、小島ら男3人は外に出て、道から7メートルほど奥に入った場所で懐中電灯を照らしながら、死体を埋めるための穴を掘り始める。

そのころ、車中に待機していた龍造寺は、「なんか最後にしてほしいことあったら言やーて」と須弥代に聞いた。

もうここまで来た以上、生かして帰すつもりがないことを隠す必要はないのだ。

すると、「お兄ちゃんの顔が見たいです。お兄ちゃんと一緒に埋めてください」と、弱々しく悲しい答えが返って来た。

金城ふ頭で海に飛び込もうとしたくらいだから、とっくに覚悟を決めていたのである。

「あっそ」「もうええて、そういうの」と、不良少女二人は冷淡だったが。

一時間後、大人の男女を十分埋められるだけの穴かできた。

作業を終わって車まで戻って来た徳丸は須弥代に「最後の飯だで、食べや」と、途中で買った握り飯と缶ジュースを渡す。

徳丸は三回も須弥代を犯したことから分かるとおり、自分勝手にもお気に入りにしていたらしい。

ここへ来るまでの車中でも、自分の膝の上にのせていたりしていた。

嫌らしさがふんだんに混じったやさしさである。

それに対して、須弥代は「私と一緒に埋めてください。天国でお兄ちゃんと食べます」と涙ながらに答え、改めて「お兄ちゃんの顔を見せてください」とお願いしてきた。

「見せたれ」

鬼の小島は、鼻白みながらも徳丸に車のトランクを開けさせて昭善の死体を懐中電灯で照らすと、目隠しを外されて、それを見た須弥代は死体にすがりついて泣き始めた。

昭善の死体はまだ縛られたままだったので、須弥代がそれをほどこうとしていたが、「勝手なことすなて!」と無情にも阻止されてしまう。

午前3時ごろ、小島は厳寒にもかかわらず、須弥代を裸にして再びタオルで目隠し、掘った穴の前に座らせた。

この時、須弥代はずっと無抵抗でされるがままだった彼女らしからぬことを、犯人たちに言っている。

「どうしてこんなひどいことするんですか?警察に捕まらないと思っているんですか?」これは、きっと非道な犯人たちへ発した彼女なりに精一杯の抗議だったんだろう。

そして「やるなら、ひとおもいにやってください」と言った。

暴虐の限りを尽くされた結果、命乞いするほどの生きる気力は、もう残っていなかったようだ。

小島と徳丸は昭善の時と同じように、焼き切っておいたビニールひもを須弥代の首に二重に巻き付け、高志に懐中電灯で照らさせて互いに引っ張る。

須弥代は「やるならひとおもいに」と言っていたが、望み通りにはいかなかった。

ビニールひもが外れるなどのハプニングがあったりして、苦しむ時間は昭善より長引くことになる。

しかも、一回殺人をクリアしている小島と徳丸はすでに慣れてしまっており、「がぁぁぁぁ~げぇぇぇぇ~」と、若い女性が発しているとは思えないほどグロテスクなうめき声を上げて苦しむ須弥代の首を絞め続けながら、「綱引きだぜ」と笑みすら浮かべて前回同様ふざけはじめ、高志にも「お前もやってみろや」とか言って余裕ですらあった。

殺人を一回犯して度胸がついたらしく、ただでさえ悪い奴らが余計に悪くなってしまっていたのである。

結局30分もかかって須弥代は死んだ。

殺してしまった後も、犯行グループの悪ノリは止まらない。

誰が言い出したかは分からないが、穴に須弥代の死体を生前の願いどおり昭善の死体とともに入れた後、カップルの死体なんだからと、お互い抱き合っているような状態にしたのだ。

二人とも理不尽に命を奪われて、なおも弄ばれたのである。

もはや、人間として扱わなくてもよいほどの鬼畜である。

「お兄ちゃんと一緒に埋めてもらえてよかったな」「もう天国着いたかな?」「ハメ合ってるように埋めれば、よかったんちゃう?」「ハハハ!悪い女やな~」などと、ふざけたことを言い合い、全く悪びれていない。

午前3時30分、死体を埋め終わって落ち葉などをかけ、現場に遺留品が残っていないことを確かめた悪魔たちは現場を離れた。

続く

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列島を凍り付かせた未成年1988年・名古屋アベック事件 – 第三話


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第三話 まず、昭善が殺された

意地の張り合いで決められた殺害計画

2月23日7時30分頃、犯行グループ6人は愛知県海部郡弥富町のドライブイン「オートステーション」に到着、朝食を兼ねて改めて今後について話し合うことにした。

須弥代は小島の車から近藤の車に移され、徳丸が二人を見張る。

話し合いと言っても出席者はシンナーのやりすぎで頭の溶けた者ばかりだし、場を取り仕切る頭の悪い小島からとんでもない案がしょっぱなから出ていた。

「やっぱ男は殺って、女は売り飛ばすしかないて」

空き地での話し合いの時に誰かが冗談半分で言った最悪のプランであるが、驚くべきことに話はその方向で進む。

また、風俗店に売り飛ばせなかった場合は須弥代にも死んでもらうことまでが決められる。

小島は逮捕された後の裁判で、ここでの話し合いでは本気ではなく口だけで言い出したことだったと言い訳をしているが、カップルの処理については誰も「殺すのはだめだ」と言い出すことなく、勢いのまま殺害の方向で固まりつつあった。

この集団、実は事件のつい先日知り合ってつるむようになった者もいたりして関係性は希薄で、互いに相手の腹を探り合うようなところがあった。

ましてや不良なんだから他の奴らに気弱な所は見せられず、常に虚勢を張り続けなければならなかったのである。

店を出た5人は、見張りをしていた徳丸に二人を殺すことにしたと伝えたが、徳丸もあっさり了承した。

これも小島と同じく公判中に徳丸が述べたことだが、この時は本当にやるとは思っていなかったようだ。

つまりこの日の朝の時点において、殺害することは口だけか本気か曖昧なままであったようだが、その本気度はその日のうちに一気に高まって実行に移されることになる。

店を出ると6人は須弥代を再び小島の車に乗せて、2台の車に分乗して移動。

途中で高志だけが帰宅することになり、自宅近くで車を降りた。

無神経な行動

5人になった犯行グループは引き続き二人を連れ回し、9時40分頃に休憩のために「ホテルロペ」に入った。

近藤は、車を借りたに上役に車を傷つけてしまったことを報告しに向かったために、グループは小島・徳丸・龍造寺・筒井の4人となる。

ホテルロペ

この4人は、無神経にも拉致した昭善と須弥代を連れて堂々ホテルに入り、夕方17時ごろまで二部屋に分かれて過ごすことになるのだが、当然ながら同ホテルの従業員に怪しまれていた。

だいたい、こんな目つきの悪い連中の存在自体怪しいのに、その中に顔をこわばらせた男女がおり、しかも顔に殴られたような痕があるからである。

不審を抱いた従業員だったが、すぐに通報しようとはしなかった一方で、彼らが乗ってきたグロリア(小島の車)のナンバーをメモしていた。

後にホテル側がそのメモを警察に提供したことによって、事件の犯人検挙につながることになるのだが、もし、この時に通報していれば殺人事件は未然に防げていたかもしれない。

グループのうち小島と筒井は同じ部屋で、徳丸と龍造寺は別の部屋で昭善と須弥代を見張っていたが、同室で徳丸がまたしても須弥代を彼氏の目の前でレイプしたというから、とんでもない野郎だ。

小島も小島で、当初の計画どおり大まじめに須弥代を売り飛ばそうとヤクザ関係者に電話していた。

考えてみれば、何の罪もない女性を暴行・拉致したうえに、風俗店に売り飛ばそうという発想自体無法極まりないが、この極悪なもくろみは不首尾に終わる。

そんな悪いことは、さすがのヤクザもできなかったのではない。

警察に見つかることは明白だったし、三下ヤクザのまま組を脱退していた小島を信用する者などいなかったからである。

だからといって、幸いなことではなかった。

小島に「須弥代も殺す」というプラン2の実行を決意させたからだ。

しかし、即実行というわけにはいかないし、それをこれから殺す本人たちに知られるわけにもいかない。

17時ごろホテルを出てから犯行の痕跡を隠すために洗車場で車を洗った後、拉致した二人には「帰したるで、おとなしゅうしとけ」と言いつけ、昭善の方に車の修理代を支払うという誓約書を書かせるなど、いずれ自分たちは解放されると思いこませていた。

そして解決案は、より着実に二人の殺害に向かっていく。

23時過ぎに小島たちは近藤と再び合流して今後について話し合ったが、小島は近藤と二人きりになると「もう殺ってまうつもりけど、いつやろう?」と迫っていた。

近藤は所用により龍造寺といったんその場を離れ、犯行グループが再び集合したのは24日午前2時半ごろ、場所は港区にある『すかいらーく 熱田一番店(現ガスト)』。

すかいらーく 熱田一番店(現ガスト)

昭善と須弥代は暴行・拉致されてからほぼ丸一日連れ回されて、体力的にも精神的にも限界に近付いている。

そんな二人に小島は「いつ帰れるか近藤と話し合ってから決めるだでよ、ちょっと待っとれ」と、あと少しで解放という希望を持たせていた。

しかし、この『すかいらーく 熱田一番店』で最終的に二人とも殺害すること、その方法と埋める場所が決定されることになるのだ。

一旦解放されていた二人

昭善と須弥代の方は、手ひどい暴行を加えられて打ちひしがれていたが、まさか殺されることはないと考えていたのは間違いない。

そして、犯人の小島たちも殺害という最終決定を下す前に一度彼らを解放しているのだ。

拉致した側にとっても連れ歩くのは疲れるし、本当に殺すのもリスクがある。

というか、行き当たりばったりな小島と近藤は、早くこの状況を終わらせられるなら、生かしておこうが殺してしまおうがどっちでもよいと考えていた節があった。

だが、もちろん警察に行かないよう脅しを交えて、くぎを刺したのは言うまでもない。

「車の修理代はチャラにしたるけどよ、お前らの住所はもう知っとるだでな。マッポにタレこんだら…分かっとるよな?なぁ?」

「分かってますよ!分かってますよ!ホントしませんよ!もう、行ってもいいですよね?」

やっと解放された昭善と須弥代は深夜の『すかいらーく』を出て道路を横断し、歩道を歩いて遠ざかっていく。

彼らを解放するという決定は首謀者格の小島と近藤が下したものだったが、ここで事情を知らない者たちが騒ぎ出した。

「ええんですか?警察に言うんとちゃいます?ヤバくないです?」

女の龍造寺にまで異議を唱えられた小島は、またも下の者たちにナメられたくないという虚栄心を発動させる。

優柔不断な反面、ハッタリだけは一丁前にかましたがる奴なのだ。

「やっぱ帰すのやめとこ。連れ戻せ、徳丸!」と、二人を連れ戻すよう徳丸に命じてしまった。

そして、連れ戻した後は決まっている。

当初、冗談で口に出し、もう引っ込みがつかなくなった決断を実行するのみだ。

解放されたとはいえ、凄まじい犯罪被害に遭って心身共に傷ついた昭善と須弥代は、とぼとぼ歩いて遠ざかっていたらしく、徳丸にすぐに追いつかれる。

「おい戻れ、帰るのはもうちょっと待っとれ」

彼らは、本当ならこの時に全速力で逃走するべきだったが、徳丸の命令に素直に従ってしまう。

さんざん暴行を加えてきた小島たちへの恐怖心から、一日で心が壊され、反抗できなくなっていたと思われる。

しかし、二人の命運はここで尽きた。

近藤は事件の解決案の話し合いに来ていたにも関わらず、不用心にも事件と関係のない知人たちを連れてきており、事情を知られないように彼らを乗せて帰ってもらおうと車で離脱。

やるだけやって、後の面倒ごとは押し付けられた気が大いにした小島は舌打ちしたが、自分たちがやるしかない。

3時ごろになって徳丸・龍造寺・筒井と共に昭善と須弥代を自分の車に乗せて『すかいらーく』を出発。

行先は、愛知県愛知郡長久手町大字長湫字卯塚25番地(現:長久手市卯塚)にある「卯塚公園墓地」。二人を処刑する場所だ。

昭善の殺害

卯塚公園墓地

同墓地は、小島がかつて所属していた弘道会の本家の墓があり、その清掃作業に組員であったころは駆り出されたことがある。

彼らは、途中で自分たちが根城にしているアパートに寄って、死体を埋めるためのスコップを積み込み、深夜スーパーでは殺害に使うロープも買って午前4時半に墓地に到着した。

あれ?帰してくれるんじゃないの?どういうこと?

墓地に向かうまでの間に昭善と須弥代も、さすがに、これはおかしいと気づいたはずである。

帰してもらえると思っていたら、こんな時間に人気のあるはずのない墓地に連れてこられて、おまけに外では小島たちがさっき買ったロープをライターで焼き切っているではないか。

「どういうことですか?どういうことです?ちょっとちょっと!ナニするんですか!?」

小島に何事か命じられた徳丸が昭善を車から降ろすと、半分に焼き切ったロープで両手を縛りはじめ、口にもガムテープが貼り付けられる。

そして、犯人たちは怯える昭善に対して「今からどうなるかわかっとるだろ」と言い放つ。

そう、それは焼き切ったロープのもう片方で絞殺するつもりなのだ。

「そんな!帰してくれるって言ったじゃないですか!やめてくださいよ!!殺さないでくださいよ!!!」

「アレはウソなんだ。さあ来いよ」

小島と徳丸は、ガムテープを貼られた口から必死に命乞いをする昭善を車から少し離れた場所まで引っ立てて正座させると、先ほどのロープを二重に首に巻きつけて、それぞれロープの両端を持つ。

「やめてください!ホントやめてください!やめぇっ…ぐえええぇぇぇっっ」

両方から、綱引きのようにロープが引っ張られ絞められた。

「げげげげっ、げえぇぇえぇぇぇ~!ゔげええぇえっえっえっゔゔぅぅ…ゔゔぅぅう~」

渾身の力で絞められ続けて、この世のものとは思えない断末魔の声を出し続ける昭善。

さすがの小島と徳丸も聞いていられない声で、多少ひるみ始めただったが、やめるわけにはいかない。

どころかここでも虚勢を張って、なかなか死ねない昭善を笑いながら「このタバコ吸い終わるまで引っ張るでよ」と、二人はタバコを吸いつつ絞め続ける。

鼻やガムテープの隙間から血や吐しゃ物を流し、苦しみぬいた昭善が絶命したのは約20分後。

二人は、本当に死んだかどうか蹴ったりして確かめている。

その時、龍造寺と筒井の女二人は車内に残って目と口にガムテープを貼られた須弥代を見張りつつ、離れた場所で男二人が昭善を絞殺する様子を見ていたが、須弥代は目隠しされながらも、何やら最悪なことが起きていることに気づいていた。

「お兄ちゃん(昭善のこと)、お兄ちゃんはどこですか?どこですか!?」

「話しとるだけだがや、うっさいて!」

「何もしてないですよね?お兄ちゃんに何もしてないですよね!?」

「やかましいわ!もうしゃべるなて!」

須弥代の不安の声をうっとうしく感じた女二人は声を出させないようにするため、口にガムテープをさらに貼り重ねる。

本来、次はすぐさま須弥代の番になるはずだった。

しかし、それはなかった。

極悪な小島と徳丸にとってもこれが初めての殺人であり、命を奪われる際に昭善が出した凄絶なうめき声にビビッたからだ。

あれはもう一回聞きたい声ではない。

そして昭善を殺した後、二人は死体と犯行に使用したロープ、スコップをグロリアのトランクに積み込んだのだが、その際に出た物音に須弥代は、何かを感じ取っていたようである。

「あの、何を入れてるんですか」と塞がれた口で尋ね、小島と徳丸が車に乗り込むと「お兄ちゃんはどこですか?」と気が気でない様子になり始めていたのだ。

「もう降ろしたったて」

徳丸は見え透いたウソを言ったが、須弥代はとっくに気がついていた。

最愛の彼氏が、もうこの世にいないことを。

とっくに日が変わって早朝となった、この1988年2月24日。

この日は、須弥代の二十年の人生で最も悲しく絶望的で、そして最後の一日となる。

続く

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