にほんブログ村
限界親子
練馬区役所の一角にある相談窓口。
明るい蛍光灯の下、野比のび太の両親である野比のび助と玉子は、緊張した面持ちで座っていた。
窓口の職員は書類を前に、慣れた口調で説明を続ける。
「お話を伺う限り、ご子息は精神科の専門機関で診察を受けられた方がいいかもしれませんね。ただ……ご本人の同意がなければ、強制的に入院させることはできないんですよ。」
「……そう、ですか。」
玉子の顔は、疲れ果てていた。
手元のバッグをぎゅっと握りしめ、夫ののび助をちらりと見る。
彼もまた黙り込んでいる。
ここに相談に来るのは、何度目だろうか。
のび太が中学一年生で引きこもり始めてから、すでに十数年が経っている。
最初のうちは、何とか学校へ戻すことを試みたが、その努力は報われることはなかった。
そして、成人してなお一歩も外へ出ない息子を前に、どうしていいのか分からなくなってしまったのだ。
「私たち……どうすればいいのでしょうか」
玉子の声は震えていた。
「お母さんも、かなりお疲れのようですし、一度ご家族全体でカウンセリングを受けるのもいいかもしれません」
職員の優しげな言葉に玉子は小さくうなずくが、その目には希望の光は見えなかった。
そのころ、剛田武は自分の会社「剛田商店」本社からほど近い実家に住む母を訪ねていた。ここは、武が剛田商店を引き継いだばかりの時までは実体店舗として営業をしていたが、現在は今の本社にすべての機能を移転して、今はかつて店舗だった名残が残るだけである。
生まれ育ち、ずっとここで過ごしてきた懐かしい実家に母の手作りの夕飯の香りが漂う。
妻の静香と子供たちは、高校時代の友達たちと子供同伴のお泊り女子会に出かけており、この日は実家で久々に母の作った夕食を摂ることになっていたのだ。
「武、随分早く来たじゃないの」
母が軽く笑いながら食器を並べると、武は黙って箸を手に取った。
ビジネスの最前線で働いている彼だが、この家に帰ると肩の力が抜ける。
「あんた、最近元気?忙しいんでしょ」
「まあな。でも忙しいのはいいことだろ。母ちゃん」
食事をしながら、最近、週刊連載で忙しい漫画家の妹の話題や、葉音と優士を今度はいつ連れて来てくれるのか?などと祖母らしいことを言う母の話を聞きながら、武が箸を口に運んでいると、不意に話題を変えた。
「ねえ、武。近所の野比さんのこと聞いたことある?」
「野比?……のび太んとこか?」
箸を止め、武は顔を上げた。
「息子さん、まだ引きこもっているらしいのよ。もう33歳だっていうのに……玉子さん、すっかり疲れ果ててね」
「……まだ引きこもってんのかよ、アイツ!」
武は呆れたように言いながらも、微かな罪悪感が胸をかすめた。
小学校時代、のび太をさんざんいじめて楽しんでいたのは事実だ。
中学に上がって野球部に入ってから、自分が上級生に理不尽なしごきを受けるようになって、初めてやられる側の気持ちがわかり、他の小学校出身者にいじめられていたのび太を助けてやったこともある。
しかし、守り切れなかった。
のび太は、いじめを苦に登校拒否になり、それから学校に来なくなったのだ。
中学の時、もうちょっとあいつにかまってやれば、いや、あいつの問題だ。
そういったちょっとした葛藤が時々頭をもたげていたが、まさか今でも引きこもっているとは思わなかった。
「……武、なんとかしてやれないのかね?」
母の言葉が武の胸に突き刺さる。
「俺が……?」
「そうよ。あんた、あの会社を立て直して、ここまで大きくしたじゃない。力があるんだから、何かしてあげられるんじゃない?」
武は椅子にもたれかかり、黙り込んだ。
確かに――自分には力がある。
自分の会社で雇って、少しずつ社会に慣らしてやることだってできるかもしれない。
いや、自分ならできる。
「母ちゃん、のび太の親父さんとお袋さんに伝えといてくれよ……」
母は驚いた顔をして息子を見つめた。
「俺が何とかしてやるってな!」
その言葉には、持ち前の男気と過去へのわずかな償いが込められていた。
のび太を小学校時代にはさんざんいじめ、中学校時代には見捨てた、という罪悪感が時々頭をもたげていたのだ。
夕飯を食べ終えた剛田武は「今度は葉音と優士を連れて来るからよ」と母に別れを告げてベントレー・ベンテイガに乗り込み、芝浦の自宅マンションに向けてハンドルを握った。
あいつがああなったのには、俺にも責任はある。
それの清算はしなくっちゃな!
バックミラーに映る自分の表情は、かつての「ジャイアン」そのものだった。
この男気が、最悪の悲劇の幕開けとなるとも知らず――。
続く
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第一話・老いた父と東京拘置所への道
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第二話・成熟を拒んだ男: のび太の葛藤
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第三話・閉じ込められた夢と現実
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第四話・消えた奇跡といじめの葛藤
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第五話・東京の夜に潜む悲劇: 剛田武
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第六話・墜ちた男の物語:成功から失落への旅
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第七話・自信満々の人生と転機
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第八話・地域特産品を世界へ:剛田商店の挑戦
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第九話・中学校生活の悲惨な真実
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第十話・中学校での不登校の理由、拒絶と崩壊
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第十一話・剛田商店の成功と静香の帰国
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第十二話・のび太と静香:過去を巡る再会
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第十三話・幼馴染、静香との運命的な再会
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第十四話・幼馴染との再会が生む新たな感情
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第十五話・武の運命のプロポーズ
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第十六話・剛田商店の成長と静香の貢献
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第十七話・ドラえもんと30歳ののび太の葛藤
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第十八話・引きこもりの息子と家族のジレンマ
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第十九話・ジャイアンとのび太の絆
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第二十話・のび太の初出勤: 恐れと葛藤
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第二十一話・夫婦間の亀裂とのび太の影響
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第二十二話・静の怒りと武の苛立ち
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第二十三話・昇華するのび太の鬱屈
関連するブログ:
- 西成暴動 ~バブル期の日本で起きた大暴動~
- レオタード愛好紳士たちへ
- 未成年に踏みにじられた25歳の純情 ―実録・おやじ狩り被害―
- 口を糸で縫われた男 ~芳しき昭和の香ばしき事件簿~
- 中学生にいじめられた29歳の男の復讐
- 奪われた修学旅行 = カツアゲされた修学旅行生
- 奪われた修学旅行2=宿で同級生に屈辱を強いられた修学旅行生
- 資産ゼロ・無年金で東南アジアに移住した男のその後
- 資産ゼロ・無年金で東南アジアに移住した男のその後 2
- 同級生の顔面を硫酸で溶かした思春期の狂気 ~古き悪しき昭和の事件~
最近の人気ブログ TOP 10:
- 夢の国で起きた悲劇 ~ディズニーリゾートで心中した一家~
- 新潟六日町のトンネル事件:恋愛に狂った暴力団員の極限の嫉妬
- 知られざる女子高生コンクリ詰め殺人発覚当時の報道(後編)
- 仙台アルバイト女性集団暴行殺人
- 犬鳴峠リンチ焼殺事件 ~超凶悪少年犯罪~
- 浜田省吾ファン必見の聖地巡礼訪問地リスト
- 広島の魅力: 浜田省吾ファン必見のスポット
- 未成年に踏みにじられた25歳の純情 ―実録・おやじ狩り被害―
- R40、テルの今:城東工業高校の伝説のその後
- 高崎山の王・ベンツ ~ミスターニホンザルの生涯~
最近の記事:
- 複数の宛先に ping を打つことができる「fping」
- ネイティブの英語 7 “A cup of joe”
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第二十三話・昇華するのび太の鬱屈
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第二十二話・静の怒りと武の苛立ち
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第二十一話・夫婦間の亀裂とのび太の影響
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第二十話・のび太の初出勤: 恐れと葛藤
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第十九話・ジャイアンとのび太の絆
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第十八話・引きこもりの息子と家族のジレンマ
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第十七話・ドラえもんと30歳ののび太の葛藤
- 死刑確定囚・野比のび太 – 第十六話・剛田商店の成長と静香の貢献