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善良すぎて殺された青年 ~1999年・栃木リンチ殺人事件~ 最終話


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第六話 全てが遅すぎた

殺害現場

遅すぎた勇気

萩原、梅沢、村上は、自分がやられたら嫌なことを平気、かつ楽しんで人にやるクズだったが、人殺しは別だった。

動かなくなった正和の生死をおっかなびっくり確かめ、死んだことを確信してから、あらかじめ掘っておいた穴に投棄。

セメントを流し込んで土をかぶせて、黒く塗ったべニアまで敷き、土、落ち葉をかぶせて偽装した。

その後、殺害には関与させなかった西山にも手伝わせて、沼に殺害と死体遺棄に使った物品を投棄してから赤川ダムに向かい、すでに手配されているであろう村上の車を沈めようとしたのだが、前輪が泥にはまって断念。

ナンバープレート、車検証を持ち出して、その場に遺棄した。

赤川ダム

午後6時から深夜0時にかけて、正和を欠いた一行はホテルに相次いで到着、「15年逃げ切れば時効だ」などと、呑気に今後の逃走について話し合った。

それから、村上はいざ殺害となったら怖気づいたくせに、正和が死ぬ場面の物まねをはじめ、梅沢は思い出して興奮したらしく、その場でセンズリをこき、発射した。

極悪なばかりか、心底気持ち悪い奴らである。

翌12月3日、正和の遺品となった携帯が鳴った。

相手は、正和の実家からである。

これには、梅沢が正和の声マネをして対応、「今眠いから、またかけなおす」などと言ってすぐに切り、まだ生存していることを装った。

この電話をかけたのは父親の光男であり、梅沢の下手な芝居に騙されて、息子はまだ生きているとこの時は思ったようだったが、母親の洋子は母となった女だけが持つ第六感で、何か最悪の異変を感じ取っていたようだ。

「まあくん(正和のこと)がおかしい!まあくんがおかしい!」と、うろたえていたという。

一方、須藤夫妻から最愛の子を奪った萩原たちは、どこまでもお気楽でふざけていた。

居酒屋で飲んだ後、コンビニで買った花火で、『正和の追悼花火大会』に興じたのだ。

翌日からは、すでに予約した東京都新宿区のウイークリーマンションに向かい、15年逃げ切るための生活が始まる。

また正和みたいな金づる兼おもちゃを新しく探さなけりゃならないから、これからたいへんだ程度の感覚だったのであろう。

だが、西山だけは違ったようだ。

4日午後1時、萩原を除く三人は東京に到着し、西山のみが港区の自宅に帰った。

しかし、ホッとするはずの我が家でも、ずっと一昨日の栃木の山林で起きたことまでのことが頭から離れない。

あの須藤って人は話したことあるけど、そんなに悪い人じゃない、むしろいい人だったんじゃないか?

それを、あんなひどいことして殺しちまいやがって…、萩原さん…、いや、萩原のヤローも、あとの二人も、とんでもねえクソだ!

オレは、あのクソどもに手ぇ貸しちまったし、とんでもねえことしちまった!

罪悪感とともに、「次は、ひょっとしたら俺かもしんねえぞ」という懸念もあったことだろう。

あんなことする奴らだから、警察にチクりそうだと思ったら、知り合って日が浅い自分を、何のためらいもなく消しにかかるかもしれない。

その後、母と祖母が帰って来た時には決心していた。

西山は全てを打ち明けて、警察に自首すると伝えたのだ。

「黙ってりゃいいじゃないの!アンタは巻き込まれただけでしょ?警察に話しちゃダメ!!」

西山の母は、「自分の息子さえよければそれでいい」という狂った母性愛にむしばまれた頭の持ち主だったが、息子の方はまともに育っていたようだ。

母の違法な反対を押し切り、午後9時ごろ、港区の警視庁三田署に出頭した。

西山の自首を受けてからの三田署の動きは、栃木県警のどこかの二つの警察署のものとは全く違っていた。

翌5日午前3時には西山を同行させてハイエースで栃木県に向かい、死体遺棄現場などを捜索。

午前11時半過ぎには、市貝町の山林の土中から埋められていた正和の正視に堪えない遺体を発見する。

証拠隠滅のために遺棄した村上の車や他の証拠物品も西山の供述どおりに見つかり、萩原らの非道は完全に裏付けられた。

12月5日午後4時、新宿区のウイークリーマンションで後から合流した萩原と梅沢、村上は、揃って逮捕された。

逮捕時、三人は人相を変えるために髪をカットして派手に染めたりの小細工を働いていたが、あまりにもあからさまな犯行な上に証拠を残し過ぎていたから、逮捕は時間の問題だったように思える。

しかし、すぐに解決できそうなこの事件に関して、栃木県警はいっさい捜査に動こうとはしなかった。

もし、西山がこの時に三田署に自首しなかったら、何も動かないまま、正和の行方は闇に葬られていたかもしれない。

しかし、遅すぎた。

西山の勇気がふるわれたのは、須藤夫妻が愛息を永遠に失ってしまった後だったのだから。

正義が機能不全だった栃木県

12月5日、警視庁三田署の地下で須藤光男・洋子夫妻は、変わり果てた我が子正和の遺体と対面した。

遺体は全体的に黒ずんで正視に耐えるものではなく、親戚の目に曝すわけにいかないために、東京で火葬されることになる。

石橋署がきちんと動いてくれていれば、こんな悲しみの対面はしなくてもよかったはずだ。

そして、悲しみの夫妻に、さらなる追い打ちが待っていた。

マスコミが早速この事件を取り上げたのだが、それは暴走族内部のトラブルによるリンチ殺人事件として報道したのだ。

これでは、自業自得のような印象を世間に与えてしまうではないか!

「ウチの正和が暴走族なわけはない!」と三田署に詰め寄ったが、どうやら三田署の仕業ではないらしい。

両親は、後にマスコミ各社に抗議して訂正を求めたが、マスコミはいっさい取り上げてくれなかったという。

石橋署の次に責任がある日産も日産だった。

9日に正和の告別式が地元黒羽町の斎場で行われ、日産の関係者として同僚や上司十数名が参列したが、会社として花輪を出すことはなかったのだ。

須藤夫妻はこの時、日本で一番理不尽な目に遭わされていたと言っても過言ではないだろう。

このまま一気に忘却の彼方に沈むと思われたこの事件が世に知られるようになったのは、翌年になってからだった。

事件の公判が3月14日から宇都宮地方裁判所で始まったのだが、その犯行の異常性が、まずマスコミ各社の目に留まったのだ。

宇都宮地方裁判所

最初に産経新聞が栃木県版で、4月から事件の残虐性と合わせて栃木県警の不適切な対応を報じ、他の週刊誌やワイドショーも取り上げるようになって、全国的な関心を集めるようになった。

そして、事件の残忍さもさることながら、世間の怒りを買ったのは、被告である萩原、梅沢、村上の公判での態度である。

三人とも入廷して来る際はガニ股で肩を怒らせており、着席するやふんぞり返って、全く反省している様子はなかったのだ。

梅沢は法廷で「火傷している被害者に熱湯をかけていた時どう思ったか」と聞かれるや、あっけらかんと「面白かった」と答える無神経ぶり。

「須藤のせいで、会社に戻れなかった」とまで言ってもいた。

萩原にいたっては「もし殺害を実行しなかったとしたら、被害者をどうしていたか」の質問に、「そのままリンチでもしながら同じことをしていたでしょう」と、こともなげに言い放ったという。

また、「罪を償って出所したら彼女とやり直し、須藤君の分まで長生きしたい」と語って、法廷内を唖然とさせた。

極めつけは、正和の父・満男による息子の思い出や行方不明中の苦しみなど悲しみの意見陳述の際、萩原は小首をかしげてふんぞり返り、あくびをしたり、早く終わらないかという態度だったことだ。

遺族を挑発しているとしか思えない発言といい、この態度といい罪を重くしたいとしか思えない。

判決は6月1日に出て、萩原と梅沢は無期懲役、村上は殺害時に手を放したという理由で、5-10年の不定期刑であった。

梅沢と村上は一審で刑に服することになったが、萩原はなんと控訴する。

あきれたことに、「自分は主犯ではない」と言うのだ。

だが、そこでも「死刑を覚悟している」と発言しておきながら、その後、「須藤君の分まで長生きしたいというのが正直な気持ち」と相変わらずふざけていた。

当然裁判官の心証は悪く、2001年1月29日、東京高等裁判所は控訴を棄却、上告も棄却され、萩原の無期懲役が確定する。

刑務所に入った萩原は、所内でホラを吹いたりで他の受刑者からの評判が悪く、身体に障碍を持つ受刑者をいじめるなど服役態度が劣悪らしく、シャバにいた頃とあまり変わっていないようだ。

当然、まだ出てきていないし、今後も出られないだろう。

出てこなくてもよいが。

梅沢は、後に刑務所内でキリスト教に改宗し、服役態度は良好だが未だ服役している。

服役中の梅沢

ただ、無期懲役囚を特集したドキュメンタリーにもモザイク付きでインタビューに答えていたが、無期懲役囚としての心境は語っても、被害者に対する思いは一切語っていない。

そして、彼らの親も「この親にしてこの子あり」ぶりがハンパではなかった。

萩原の父親は、なんと栃木県警に勤める警察官だったが、息子が捕まってからもしばらく県警に勤め続けていたし、記者の取材に対して「肖像権の侵害だ」だの「こっちも犠牲者なんだ。静かにしてほしい」だのほざいている。

村上の父親は「須藤さん、うちの息子は短ければ5年で出られますから、その時はあいさつに伺います」と光男を挑発、母親にいたっては「ウチも被害者なんです。下の子はまだ小さいから、あんまり騒ぎにしたくありません」と吐き、賠償金に関しては「息子に請求してほしい」という無責任ぶり。

母子家庭である梅沢の母親は「責任は親にあります」としながらも、「ウチの子は巻き込まれた」というスタンスは同じで、賠償金も「たくわえがないので、できそうもありません」と言っていた。

クズの親は、やっぱりクズだったのだ。

当然、両親の訴えを無視したことが発覚した栃木県警もメディア世論の批判を浴びたため、ようやく関係した警察官らを懲戒処分にしたが、最も罰が重い者で「停職14日間」と非常に軽いものであった。

しかも、それまでの態度は非常に不誠実で、後に提出した事件についての回答書も、自分たちに都合よくウソでまみれていた。

両親である光男と洋子はその後、栃木県と加害者、その両親に損害賠償・1億5000万円を求める民事裁判を起こしたが、母親の洋子は心労がたたって50歳の若さでこの世を去る。

事件が起きなければ、彼女は死ななかっただろうと思うと、不条理この上ない。

そして、その後の裁判も同じだった。

2006年4月12日、宇都宮地方裁判所は「栃木県警の捜査怠慢と殺害の因果関係」を明確に認め、遺族である光男の主張を全面的に認める判決を下したが、判決が被告保護者の監督責任を認めなかったことから、遺族は控訴、敗訴した栃木県も判決を不服として控訴する。

2007年3月29日、東京高等裁判所は、「栃木県警の怠慢がなくても、被害者を救出出来た可能性は3割程度」と判断し、栃木県の賠償額を約1100万円に大幅減額する判決を下す。

遺族は判決を不服として上告したが、2009年3月13日、最高裁判所は被害者遺族の上告を棄却し、東京高裁判決が確定した。

そして、被害者である正和を見捨て、事件の戦犯の一角である日産については、何のお咎めもなかったし遺族への謝罪もない。

この事件のルポを書いたルポライターの故・黒木昭雄氏はクリーンな企業イメージを守るために、日産社員同士のこの事件が進行中にある程度の情報をつかみつつ、それを須藤夫妻に伝えることなく総務課内でもみ消そうとした動きがみられ、それを栃木県警にも依頼した可能性を指摘している。

大企業の日産の栃木県内での影響力は大きく、県警の有力な天下り先でもあったから、ありえそうな話だ。

また主犯の萩原の父親は栃木県警の警官であったから、県警の側も身内の罪を暴きたがらなかったのかもしれない。

善良で働き者だった青年は悪魔の化身のようなチンピラたちと、保身を第一に考える日産、そして同社と癒着した事なかれ主義の栃木県警の合作で殺されと言っても過言ではない。

この一連の時期、栃木県に正義は不在だったのだ。

終わり

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善良すぎて殺された青年 ~1999年・栃木リンチ殺人事件~ 第五話


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第五話 天然ボケで奪われた命

石橋署

第四の犯人の出現

10月27日に、正和は同級生である岡田から借りた金を返しに来たが、11月2日の午後8時ごろにまた来て、今度は金を借してほしいと頼んできた。

しかし、今回は正和の父親である光男に頼まれていたとおり、岡田はきっぱり断っている。

その際、乗せられていた車のナンバーを控えることに成功し、岡田の父親は光男にそれを伝えた。

大きな前進であったが、岡本は正和の顔に前回にはなかった傷があったと証言しており、右手に包帯を巻いていた件も合わせて、暴行を加えられている可能性が多いに考えられた。

11月3日、控えたナンバーを石橋署の生活安全課に伝え、手にやけどを負っていたことや顔に傷があったことから事件性が高いとして捜査を依頼したが、返答は相変わらず例のむかつく決まり文句である「警察は事件にならないと動けないんだよ」。

そうは言っても、ナンバーから車の持ち主は村上博紀であることは分かり、その住所も割り出してくれた。

両親は息子を連れ回しているグループが三人であり、そのうちの一人は梅沢であるらしいことをすでにつかんでいたが、これで村上の存在も知ったことになる。

光男は翌日教えられた住所に行ってみたが、くだんのナンバーの車はなかった。

近所で村上博紀について聞いてみたら、甘やかされて育った悪ガキで、名門校を暴走族に入っていたことが原因で退学になったりしたこと、悪そうな連中とつるんでおり、いつも夜遅く帰ってくることなどの情報を得る。

だが、まだ萩原の存在には行きついていない。

そもそも、ここまでしなければならないのは、石橋署が信じられないくらい非協力的だからである。

そして、正和の職場である日産も話にならなかった。

梅沢が絡んでいることは知っていたのに、まんまと梅沢の見え透いたウソを鵜吞みにして正和を悪者にし、両親には息子に退職届を出させるよう迫る始末。

その間にも正和は犯人グループに苛まれ続け、体の傷はますます目も当てられないほどになっていた。

普段から面白半分に暴行・凌辱していたが、友人知人から思うように金を借りれなかった時は、当たり前のように制裁として殴る蹴るや熱湯コマーシャルのお仕置きをしていたのである。

また、正和の両親に金の無心の電話をした場合に下手なことを言ってしまったり、両親が思うような対応をしなかった場合は、腹いせの暴行を食らうこともあったようだ。

11月上旬より、須藤家からしか金を引っ張れないと萩原は判断したらしく、正和から連続して数十万単位の金を無心する電話がかかってくるようになる。

光男が「金は直接渡す」と言っても正和は「振り込みじゃなきゃダメだ」と言い張った。

「振り込めば帰れる」とは言うが、またほどなくして「また別の人から30万円借りてる」とか「最後のお願いだから」などと、無心の電話が来る。

また、その口調はだんだん荒れてきたり、泣き叫ぶような哀願調だったりもしたことから分かるとおり、地獄のような暴行で精神的にかなり追い詰められていたのであろう。

須藤家もしかりで、いつかかってくるか分からない金の無心の電話に疲れるあまり、電話のコードを抜いていたこともあった。

一方、正和を虐待しながら連れ回して東京まで来ていた三人の犯行グループに、11月20日ごろから第四の人物が加わる。

それは、東京都在住の西山啓二(仮名・16歳)という高校生だが、学校に行かずにブラブラしていた男だ。

渋谷で開かれたあるイベントで萩原と知り合い、26日からは一行が宿泊していたビジネスホテルにも泊まり、本格的にグループと行動を共にするようになった。

西山は、萩原たちと行動を共にするようになってすぐ、一味の中におかしいのが一人いることに気づく。

ずっとフードを深くかぶっているが、明らかに分かるほど顔が変形しており、火傷なのか変色してただれている奴だ。

ホテルに泊まる前に自分も含めた5人で銀行に行った時、窓口で札束を受け取ったそいつは、その金を萩原に渡していた。

足利銀行丸の内支店

コイツは一体何なんだ?あの顔は何をされたんだ?

「ヒロヒト」とか呼ばれてるみたいだけど、この面子の中の立ち位置はどうなってんだ?

それは、26日に萩原の泊まるホテルに自分も泊まってから思い知らされる。

「熱湯コマーシャルだ」とか言って、梅沢と村上がその「ヒロヒト」と呼ばれている男の服を脱がせると、ヒロヒトは体中火傷か何かでただれて化膿すらしていたのに仰天した。

なお信じられないことに、そんな重傷以外の何者でもないヒロヒトを無理やり浴室に連れ込んで、最高温度にしたシャワーをかけるのだ。

浴室からは、この世のものとは思えないほど悲痛な叫び声がこだまし、やっと解放されて湯気を出しながらシャワー室から出てきたヒロヒトを梅沢と村上は殴るわ蹴るわ。

火傷で負った水泡がつぶれて、血や体液が飛び散る。

大物ぶった萩原は手を出さず、そのおぞましい様子をウィスキーの入ったグラス片手にショーを鑑賞するように眺めている。

西山は思わず尋ねた。

「あれは何なんすか?あのヒト、何であんな目にあってんすか?」

「あの須藤って奴はよ、俺らに不義理働きやがったから、しつけてんだ。俺は、あそこまでやれって言ってねえけどな」

そう言いながらも藤原はそのリンチを明らかに楽しんで観ていた。

実際に手を下している梅沢も村上も、体のあちこちから血膿を出して目をそむけたくなるような有様になった正和へのリンチを、楽しそうに張り切ってやっている。

もはや、人間のやることではない。

この西山は、萩原のような冷血漢に気に入られてはいたが、まだ彼らほど墜ちてはいなかった。

「こりゃ、やりすぎじゃねえのか」と、内心見ていられなかったのだ。

彼はグレてはいても、まだ人としての良心を備えていたのである。

だが、良心があっても行動に移す勇気はなく、この時点での西山は、まさに「義を見てせざるは勇なきなり」の状態だった。

彼が勇気を発揮してようやく行動に出るのは、事件が取り返しがつかなくなってからとなる。

当時の渋谷センター街

許しがたい天然ボケ

日産から息子の退職願提出をしょっちゅう求められていた両親は、11月24日にかかって来た正和からの金の無心の電話に対して、「金を振り込むから退職願いを書いて出しなさい」と命じていた。

その前には正和の寮に行って、家財道具を運び出している。

自分の意志ではないとはいえ、二か月近く職場に顔を見せていない息子が復帰できる見込みはないし、これ以上、日産に迷惑はかけられないという意識が、この時にはあったのだ。

そして、この頃になると、正和に金を貸した人間からの相談が須藤家に連続して来るようになり、両親はその返済のための金策にも追われるようになる。

連れ回されている正和が言わされているであろう金の無心の電話も、このころは集中的に来るようになっており、両親は追い詰められていた。

両親は、とにかく息子の居所を知ろうと金を振り込んでいる足利銀行に協力を要請する。

事情を話して、振り込んだ金がどこで下ろされているか教えて欲しいと頼んだのだ。

すると25日、栃木から遠く離れた東京丸の内の足利銀行東京支店から、金が下ろされたという報告が入った。

しかも、知らせてくれた同行の支店長によると、四人の男と共にやって来て、窓口で金を受け取った人物はフードを深くかぶっていたが、顔に明らかに分かるほどの火傷を負っているという。

そして、それら一連の様子は監視カメラに収められているとも話した。

四人の男?顔に火傷?

三人だと思っていた犯人が一人増えているし、正和と思われる人物は、顔に火傷まで負わされているとは!

足利銀行の支店長は警察への通報を勧め、いざとなったら監視カメラの映像も提供するとも言ってくれた。

「今度こそ動いてくれるだろう」と信じて両親は石橋署に電話したが、「その車の持ち主の村上の親が捜索願を出したら、刑事事件になるかもしれないと思うけどな」などと、ボケた返答しかしてくれない。

警察を頼りにできない両親は、独力での解決を強いられたため、車のナンバーによって知った村上の家の電話番号にまず電話をかけ、これまでのことを話した結果、村上の親たちと会うことになった。

同時に梅沢の母親にも電話して、11月30日に宇都宮市内のファミリーレストランで会合を開くことが決定した。

30日午後1時、正和の両親は梅沢の母親とその叔父(梅沢は母子家庭)、村上の両親に、これまでの経緯を説明して事情を聞いた。

すると、梅沢の親も村上の親も息子たちの行方が分からず困っており、管轄の宇都宮東署に捜索願を出したが、受け付けてもらえなかったことを知る。

そして何より、ここで正和を連れ回している第三の男の名が、萩原であることが分かった。

梅沢の親も村上の親も、この萩原に金を巻き上げられていると主張しており、この時点では同じ被害者側のような顔をしていたようだ。

とりあえず、三家の親たちは合同で宇都宮東署に改めて相談に行ったが、ここも石橋署同様やる気がなく、「その正和さんの捜索願を出した石橋署に行けばいいでしょ」とつれない。

仕方なしに、一行は石橋署に向かうことになった。

「何だよ、須藤さん。こんなにいっぱい人連れてきて。何の用だよ?」

石橋署生活安全課のいつもの非協力的なムカつく刑事である。

父親の光男は、彼らは息子を連れ回しているとみられる人間の親たちであり、足利銀行の防犯カメラに映る息子の正和は顔に火傷まで負わされていることなどを訴えて捜査を懇願したが、対応はあいかわらず冷ややかなままだ。

その時、光男の携帯に着信があった。

正和からであり、要件はいつものとおり金の無心。

電話の中で正和は精気のない声で「電車賃だけでも振り込んで欲しい」と懇願した。

またか…いつまで続くんだ。

「そんな金あるわけないだろ」「電車賃がないと帰れないじゃん!」「だから迎えに行ってやるから」などと泣き始めたらしい正和と押し問答を始めた光男だったが、それら一連の会話をいぶかしげに見つめるくだんの刑事を前に、ひらめくものがあった。

ムカつく奴だが、腐っても刑事だから、こういう場合は頼りになるはずだ。

「ちょっと待ってろ。ここに父さんの友達がいるから、その人と話してみろ」と、刑事に携帯を渡す。

刑事は一応聞いていたらしく、それにうなずいて受け取って、代わりに電話に出た。

「もしもし、須藤か。今どこだ?早く帰ってこなきゃダメじゃないか。みんな心配してるぞ。え?ナニ?」

こいつは腐っても刑事で、いかにもこういうことに慣れたような口調だったが、刑事としては腐りきっていた。

「誰だ?だって?石橋だ。石橋署の警察官だ…あれ、切れちゃったよ」

信じられない、唖然とした。

正和は監禁されている可能性が高いのに、「友達」とわざわざ言ったのに、警察に知らせていることを刑事自ら犯人たちに知らせてしまったのだ。

これでは、正和がどうなるか分からないではないか!

許しがたい天然ボケである。

「…とにかく村上の車の手配はしましょう」

ボンクラ刑事はバツが悪くなったのか、それまでとは一転して協力する姿勢を示すようになった。

しかし、遅すぎであった。

この天然ボケは、業務上過失致死ばりに罪深いものとなる。

これで、警察に知られたことを萩原の方は悟り、正和の口封じを決意することになるからだ。

断たれる正和の命

「警察?親父にかわってよ」

正和に携帯で親に金の無心の電話をさせ、その携帯の裏側に耳を当てて会話の内容を傍受していた萩原は、その「警察」というワードを耳にしたとたん血相を変えた。

「切れ!電話切れ!」と、電話の相手に聞こえないような小声で正和に指示して切らせると、「やべー!やべえぞ!」と騒ぎ出す。

これまで自分で手を下すことなく、梅沢と村上にリンチをさせるなどして大物ぶってきたが、警察が動いていることを知ったとたん、本来の小物ぶりをさらしたのだ。

「栃木にいるのやべーよ!おい、シャワー室に残ってるヒロヒトの血ィ拭き取れ。ここ出るべ!」と指示を出して、午後6時前にホテルをチェックアウトしたが、自身は某組織の組員に会いに行くとして別行動をとって、その他の者は夜遅く再び同ホテルにチェックインする。

そしてこの晩、梅沢と村上は正和に最悪の残虐行為を行う。

熱湯コマーシャルをやった後、梅沢は火傷で皮がむけた正和の体を靴ベラで百発以上叩いた上に、村上はポットで湯を沸かし、梅沢がそれをコップに入れて正和にかけたのだ。

「やめてください!あつい!!やめ…あっつういいい~!!!」

リンチは、ポットのお湯がなくなると再び沸かして再開され、それは四回にもおよび、ただでさえ広範囲に広がった火傷を余計悪化させ、正和の皮膚はささくれ立ったようになっていたという。

しかも信じられないことに、この最凶リンチは翌日12月1日朝に、萩原がホテルに姿を見せて正和の惨状を目にするなり、「オレにも、昨日オメーらがやったやつ見せろよ」と言ったために再び行われたのだ。

この時点で、正和の顔はこれまで殴られ続けたために完全に変形しており、熱湯コマーシャルなどによって負わされた第三度の火傷は、全身の約80%に及んでいた。

いつ死んでも、おかしくない状態だったのだ。

こんな無残な姿にした上に、なおかつ熱湯をかけることができる三人は、サイコパスだったとしか思えない。

そして、このサイコパスどもは警察にこれまでの行為が知られたら、確実に実刑を受けることを予想していた。

しかも同日夕方、村上は西山と正和を乗せて自分の車を運転していた時にバイクに当て逃げ事故を起こしてしまい、それを聞いた萩原は、余計警察の注意を引くであろうと確信。

何度か捕まって留置所に入れられたことのある萩原は、逮捕された後、いかに嫌な思いをしたか骨身にしみていた。

ましてや、実刑となったら…。

この日の午後11時、一行は萩原と村上の車に分乗して鬼怒川の河川敷に到着、萩原は自分の車の中で今後について自分の考えを話す。

それは、正和の殺害だ。

鬼怒川の河川敷

「帰しちまったら、ぜってー捕まるべ。殺っちまおう。どうだ?」

「うーん。オレ、どうすりゃいいかわかんねえよ」

「はっきりしろよ、テメー。まあいい、明日までに決めとけ」

萩原はこの日、自分だけ自宅に帰り、残りの四人は村上の車の中で寝た。

正和の親から巻き上げた金を使い果たしていたために、ホテルに泊まれなかったからだ。

12月2日午前8時、萩原は河川敷に戻ってきて、再び正和殺害の謀議が始まった。

今度は梅沢に加えて、村上も交えた三人の話合いだ。

「で、どうするか腹くくったのかよ」

「うーん…どうしようか」

「あのな!テメーら捕まったことねえから、わかんねんだよ!今回みてえなコトして捕まったら、長えこと中入んなきゃなんねえかんな!女とも会えねえぞ!いいのかよ!?」

「いや!オレも捕まりたくねえ!やっぱ殺しちまおう」

「村上は?どうすんだよ?決めろよ」

「やっちまおう。生かしといたらやべえ」

正和の運命は、このように短絡的に決まった。

殺して捕まったらもっとヤバいことになるのが、なぜわからないのか?

その後、殺害方法は絞殺とし、死体は芳賀郡の山林に埋めることが決められた。

午前11時に、一行は二台の車に分乗して河川敷を出発し、途中正和の最後の給料を足利銀行から降ろすと、その金を使ってホームセンターでセメント、砂、スコップなどの物品を購入。

掘った穴に、セメントを流し込むつもりなのだ。

午後2時、死体遺棄現場として目星をつけていた栃木県芳賀郡市貝町の山林に着いた。

萩原は乗って来た車を駐車して、梅沢と徒歩で村上の車を先導して山林に入って行く山道に入った。

が、ここは完全に人里離れた場所というわけではなく、近くに駅はあるしゴルフ場もある。

時間的にも人が来てもおかしくなく、彼らが入って行った山道は、ハイキングコースにもなっていた。

なのに萩原は、「ここでやるべ」と命令した。

村上の車からスコップを出して山道から右の斜面に降り、梅沢と二人で穴を掘り始める。

ある程度掘り終わった後、村上の車からそれを見つめる正和に「あの穴に車埋めんだよ」と言ったが、正和はそこに埋められるのが自分だと分かっていた。

「生きたまま埋めるのかな。残酷だな」とつぶやき、同乗していた西山に「悪いけど、セブンスターください」と言ったという(正和は未成年だったが、高校卒業後に喫煙を始める者は、この当時珍しくない)。

その時、外から萩原が「オイ西山、セメント運べ」と指図してきたので、西山はセブンスターを正和にやることなくに外へ出た。

「どれくらい運べばいいんすか!?」とやや大きい声で聞いたら、代わって穴を掘っていた村上に「声でけえよ」とキレられる。

穴を掘る者、セメントをこねる者、これから人を殺すことに誰もがピリピリし始めていた。

四十分後、全ての準備が完了する。

「チャッチャとやってこい」

藤原が梅沢と村上に命令し、自分は車に乗り込む。

梅沢は正和を車から降ろし、全裸になって座るよう命令。

「西山、テメーも車で待ってろ」と、年少の西山も車に戻した。

この期におよんでも無抵抗な正和の首に、梅沢の私物のネクタイが巻き付けられる。

そして、そのネクタイの両方を梅沢と村上は力をこめて引っ張った。

「うぅぅうううぅうう~がはぁああぁぁあげぇぇ~」

断末魔の声を上げて苦しむ正和。

ガタイはデカいが、肝っ玉が実は小さい村上は目をつぶって引っ張っていたが、その声にひるんで手を離してしまった。

正和はうめき、「げぼぼっ」と血を吐き失禁。

もう一回やり直しだ。

その声は車内にも聞こえており、萩原はカーステレオで音楽をかけ始めた。

この冷血漢にも、その苦しむ声は耐えられないものであり、西山に「あいつら、やべーよ。ああいうのオレはダメだ」と言っていたくらいである。

「もういいんじゃね?やべーよ」

「根性ねえな、オメーよ!」

村上はひるんでまた手を放してしまったため、結局、梅沢が一人で絞め続ける羽目になる。

さらに30秒ほど絞め続けたら、苦しみ痙攣していた正和は動かなくなった。

正和は死んだ。

あまりにも善良過ぎたために目をつけられ、苦しめられた末に殺されてしまった。

たった19年の人生だった。

続く

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善良すぎて殺された青年 ~1999年・栃木リンチ殺人事件~ 第四話


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第四話 非協力的な警察~警察は事件にならないと動けないんだよ~

両親の戦いが始まる

10月5日午前、正和の両親である須藤光男・洋子夫妻は、日産の社員寮にやって来た。

もしかしたら息子がいるかもしれないと考えたからだったが、やはり姿が見えない。

携帯電話にも電話をかけてもみたが、留守番電話のままだ。

だが、午前10時ごろ父親・光男の携帯電話に正和から着信が来た。

「おい正和か、今どこにいるんだよ?」

「今、宇都宮の先輩の家にいる」

「父さん聞いたぞ。なんで会社をウソついて休んでるんだ?」

「…」

正和は理由を答えないので、先輩の家にいるならば、代わりにその「先輩」を電話に出すように要求。

電話に出た「先輩」に父親は「先輩ならば後輩が理由もなく会社を休んでいたら、出るように説得すべきではないですか」と注意した。

「申し訳ないです。今、ケガで休んでまして、話し相手が欲しかったので須藤君を誘ってしまいました。明日からは出勤するように伝えます」

「お願いしますよ。あと、正和に代わってください。…あ、正和か。もう社会人なんだからちゃんと上司の人に連絡して、会社に行くんだぞ。それと、父さんと母さん、今寮に来てるから、寮に来なさい」

「…今すぐは無理だよ。仕事にはちゃんと行くから、先に帰ってよ。そうじゃないと会社に戻れないから」

「何でだよ?」

理由も話さず、なぜかかたくなで訴えるような言い方だったが、この時両親は息子の言葉を信じて帰宅した。

そして、この「先輩」とは梅沢のことであり、そのことは翌日に日産の総務課から聞かされて両親も知ることになるのだが、梅沢が親子の会話を聞きながら正和に何を答えるか指示を送っていたことまでは知らない。

その後、日産から連絡があって10月6日から8日まで出勤していたことが知らされ、両親はひとまず安心した。

しかしこの連絡の際、正和が眉なしのスキンヘッドで顔に殴られたような痕があったという肝心なことを伝えていない。

彼は萩原たちから、すでに暴行を加えられ始めていたのだ。

土曜日に正和から連絡があり、今週は帰れないが来週は帰省すると伝えてきた。

父親は無断欠勤の一件をとがめることなく、「楽しみにしてるからな」とだけ答えたが、その後、何度かかけてもずっと留守電であることが気にかかるようになる。

そして、その懸念は当たっていた。

週明けの12日の朝、「今日は体調悪いから自治大病院に行んで会社休む」と、またしてもおかしな電話をかけてきたし、14日には「今宇都宮に部屋を借りて彼女と暮らしてる」という怪電話があり、またしても金を貸してほしいと頼んできたのだ。

当然父親は「日産はどうするんだ?」などと詰問したりしたが、そういうツッコミに対しては、口ごもって答えようとしない。

一方で金の無心に関しては、あまりにも必死な気配を感じていたため、この時両親は金を振り込んだ。

10月18日、同業者の寄り合いに出席しなければならなかった父親に代わって、母親の洋子が日産に行った。

先週にこの日に来るように言われていたからだが、この時驚くべき事実を知る。

何と、同僚の稲垣という社員が、正和のために100万の金を借りて渡し、担保として免許証を預かったというのだ。

また、日産の社員はこの問題に関係したとして、すでに正和と梅沢の二人を呼んで事情を聞いて報告書をまとめていたが、二人の証言が食い違い、梅沢は質問にハキハキと滞りなく返答したのに対して、正和はもごもごとしか答えられなかったために「須藤はウソをついている可能性がある」と締めくくられていた。

さらに、ここで母親は息子が頭をツルツルに剃られて眉がなかったことを知らされたのだが、日産の上司には「ウチの息子も悪いが、お宅の息子ほどじゃない」という暴言まで吐かれてしまう。

ウソを言っているのはどちらか明らかなのに、日産は本当のことを言わないように口止めされていた正和を悪者にしていたのだ。

母親はその後、日産の上司の勧めもあって最寄りの石橋署生活安全課へ正和の家出人捜索願を提出、日産から渡された正和と梅沢についての報告書も合わせて提出した。

その際は、上司と警察退職後に日産の総務に天下った60代の警察OBも同行している。

翌19日、事情を聞いて事態がただ事ではないと感じた父親の満男も母親と再び日産を訪れ、稲垣から100万円を借りさせられた状況の説明を聞いた。

稲垣によると、正和が車で事故を起こしてブロック塀を壊してしまい、修理代として100万円かかると言われたらしい。

その際、ガラの悪い三人の男と一緒であり、脅されているのではと思ったという。

正和は車を持っていないし、ガラの悪い三人というのも引っかかる。

おそらく、中に梅沢も混じっているんだろうが、稲垣は梅沢の顔を知らないからだろう。

犯罪の臭いを感じ取った両親が再び石橋署を訪れて、会社を休んでいること、スキンヘッドにされていること、100万もの金を他人に借りさせていること、ガラの悪い男が周りにいることなどの事情を昨日と同じ生活安全課で説明したが、対応した刑事は冷淡であった。

「借金してんのは息子さんでしょ?なんだかんだ言って面白おかしく遊んでんじゃないかね。警察は事件にならないと動けないんだよ」

信じられない対応であった。

警察にこのように見放されたらどうすればよいのか?

だが、呆然としているヒマはまだなかった。

息子が作った借金を清算しなければならない。

夫婦は、郵便局の簡易保険を解約して100万円を作り、22日稲垣に利息分もつけて返した。

その間、ずっと留守電になっていた正和の携帯に「稲垣さんが借りた金は父さんが何とかするから、安心して家に帰って来いよ」とメッセージを入れたところ、正和から折り返しの電話が来て「ごめん、働いてちゃんと返す」と言っていたものの、いつ帰るかは、またもはぐらかした。

しかも、なにやら背後で笑い声のような声が混じってるのがひっかかる。

実は萩原が携帯電話の裏側に耳を当てて盗み聞きしており、父親らの動きは筒抜けだった。

そして、警察沙汰にはなっていないと判断してもいたのだ。

だが、どうしても不安になった父親は、この日また石橋署に相談したが、刑事の対応はまたも同じであった。

「なんか、息子と話していると後ろで変な笑い声がするんですよ。監禁されてるかもしれないんです」

「息子さん19歳だよね?トイレとか一人になった時とかあるんだから、携帯で助けとか呼べるはずじゃない」

「いや、脅されてるとか。彼女を人質に取られてるとかかもしれないんじゃないですか?」

「憶測でモノ言わんでほしいな。金借りてんのアンタの息子でしょ?ひょっとしたらクスリやってるんじゃないか?」

「じゃあ、クスリの線でいいから捜査してくださいよ!」

「警察は事件にならないと動けないって言ってるでしょ」

話にならなかった。

日産も日産で、長期欠勤していることを理由に、退職願の提出を求めてくるようになる。

これら一連の面倒ごとの元凶は正和と決めつけて、厄介払いしようとしているのが見え見えであった。

そしてその頃、囚われの正和の方は、萩原たちから残忍な暴行を受けるようになっていた。

異常な暴行

日産にも警察にも非協力的な態度をとられながらも、何者かに連れ去られて借金をさせられているとみられる息子・正和の行方を必死で探す父親の須藤光男だったが、実は監禁中の息子の姿を一度目にしていた。

それは、10月27日の晩のことである。

父親は、これ以上借金が重ならないよう、この日は息子の同級生たちの実家や本人にかたっぱしから連絡して、借金の頼みがあったら突っぱねるように呼びかけていたが、しばらくして、宇都宮で一人暮らしをする岡田という同級生の父親から折り返し連絡をもらった。

その父親によると、息子から聞いた話では、どうやらすでに正和に金を貸していて、今晩一部を返しに来るらしい。

岡田の父親は今晩様子を見てくると言うので、光男も同行を願い出た。

父親二人が岡田のアパートに行くと、岡田はかなり慌てたそぶりを見せる。

なんでも、金を貸した際に一緒にいたガラの悪い三人に「親に言ったらただでは済まない」と脅されていたのだ。

父親の光男が現れたら親に言ったことがバレて、自分がどんな報復をされるか分からないと、ビビッていたのである。

だから、その場で連れ帰るのだけはやめて欲しいと懇願されてしまう。

仕方なく岡田の父親と離れた場所で張り込んでいたところ、やがて一台の車がやってきて停まり、誰かが降りたのが分かった。

最初、それが誰なのか分からなかったが、光男はしばらくして、車に戻ってくるその人物を目撃する。

アパートの防犯灯に照らされたその人物は、まさしく正和であった。

なるほど、日産で言われたとおり丸坊主であるのが分かったが、そのまま乗って来た車に乗りこんで去っていった。

これが、息子を見た最後となることを光男はまだ知るわけがないのだが、この後に岡田の口から正和の状態について気になることを耳にする。

右手にグルグル包帯を巻いており、それについて聞くと「ラーメンで火傷した」と言っていたのである。

父親は正和が金を返しに現れた際、腰抜けの岡田との約束など破って、現場に突入するべきであった。

監禁初日から乱暴されていた正和は、その前々日にひどい暴行を受けており、暴行はそれからさらにエスカレートしていくことになるからだ。

そのひどい暴行とは、前々日の10月25日午前3時、正和を連れた一行が、あるビジネスホテルに投宿にした際に行われた。

萩原が部屋に備え付けのキンチョールの噴霧にライターを近づけてできた火炎放射を正和に向けて怖がらせ、楽しんでいた時のこと。

それを見ていた「熱湯コマーシャル」の考案者である梅沢に、悪質なひらめきがあった。

「萩原君、それ、”ヒロヒト”に浴びせるってどう?殴るとか熱湯コマーシャルよりおもしろそうじゃね?」

「おお、そらおもしろそうだぜ」

「いやです!そんなのやめてください!!」

萩原たちが中学時代にいじめていた同級生の名前である「ヒロヒト」と呼ばれるようになっていた正和は、半泣きになって懇願したが、この人でなしのお調子者がやめるわけがない。

「オラ、マッパになれよ」とかどつかれながら全裸にされ、キンチョールを手にした梅沢に火炎を浴びせられた。

「あづい!あづい!あづいいいい~!!!やめてくださいいい~!!!」

正和は泣きわめいて逃げ回るが、梅沢はしつこく追い回し火炎を吹きかける。

そして正和を部屋の一角に追い詰めると、こちらに向けている背中に火炎放射を浴びせた。

「ああああああ~~!!!あついいいい!!!!」

「だははは!こりゃウケる!!おもしれええ!」

萩原しかり、この梅沢も人として必要不可欠な感情がいくつか欠けていた。

正和は、体のあちこちに火を浴びせられ、右手、背中、両太もも、下腹部などに深刻なやけどを負ったのだが、逮捕後に梅沢は体をよじって逃げ回る正和に火炎を浴びせた時の気持ちを「面白かった」と、悪びれもせずに供述しているのだ。

しかもより信じられないことに、三人はこの日の晩に皮膚がむけるほどの火傷を負った正和に対して、熱湯コマーシャルを行っているのである。

岡田のアパートに来た時右手に包帯を巻いていたのは、この火炎放射で負った火傷によるものだが、包帯を巻いたのは医者であった。

実は27日、さすがの萩原も火傷がひどいと思ったのか病院に連れて行っていたのだ。

また、どういうわけか萩原は診断室にも入り込んで同席、正和が余計なことを言わないように目を光らせていたという。

正和は他の部分も火傷していたが、萩原は右手以外医者に診断させなかった。

医者もおかしいと思わなかったのだろうか?

そして、火傷の程度は最重度の第三度であったから放っておいたら治らない重傷だったが、病院に連れて行ったのはこの一回だけであった。

ちなみに、この27日の晩も熱湯コマーシャルは行われ、正和は密室に狂ったような泣き声を響かせたのだ。

萩原たちは、この上なく残忍であると同時に変態でもあり、正和は陰毛を剃られ、オナニーをさせられ、フェラチオさせられ、精液を飲まされるなど、屈辱的な暴行も受けていた。

そして一か月以上にわたり、顔がパンパンに腫れるほど殴られ、火炎や熱湯で体中にやけどを負わされた正和を、さすがに友人知人たちの前に曝すわけにはいかなくなり、それからの萩原たちの要求は正和の両親に集中することになる。

続く

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善良すぎて殺された青年 ~1999年・栃木リンチ殺人事件~ 第三話


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第三話 監禁地獄のはじまり

借金ツアー

翌9月30日、正和は仕事を休んで萩原の車に乗せられて、消費者金融回りをさせられた。

会社の上司には「実家の急な用事で休みます」と伝えており、これが萩原の命令であることは言うまでもない。

彼にとって、初めての欠勤であった。

昨日は審査ではねられてしまったが、今日回った他の消費者金融二社は首尾よく審査が通り、「レイク」「日本クレジットサービス」から、それぞれ15万円づつ合計30万円を借りることに成功する。

その金の大部分は萩原の懐に入り、梅沢と村上にもおひねり程度の分け前が与えられた。

だが、強欲ダニ野郎の萩原がこれで満足するわけはない。

消費者金融の限度額いっぱい借りさせた後は、正和の友人知人から金を引っ張り始めたのだ。

それも例のごとく「ヤクザの車と事故って修理代を請求されている」などの口実である。

また、そのやり方は、悪辣かつ卑劣なものだった。

正和が会社を休まされた30日の午後5時ごろ、早番を終えて会社の寮でくつろいでいた同期の同僚・香田孝(仮名・19歳)のケータイに正和から着信があった。

香田はただの同期ではなく、正和の出身高校の同級生でもあり、その縁もあって実際に仲のいい友人である。

「おう須藤、今日休んでたろ?寮にもいねえしさ。どうしたんだよ」

「いや、ちょっと遊びに行ったんだけど、帰る足がなくなっちゃってさ。悪いけど、迎えに来てくれないかな?」

正和は寮からやや遠い宇都宮市にある国道四号線沿いにあるレンタルビデオショップにいることを伝えてきたため、マイカーを持っていた香田は、その場所に迎えに行くことにした。

彼にとって正和は友人であるし、以前に無理な頼みを聞いてもらったこともあるからごく自然に「それくらいなら」と思ったのだ。

だが、そこにいたのは、ずっと前に事故を起こしたとかで会社を休み続けている札付きの不良社員、梅沢一人のみである。

「須藤は、ちょっと先行ったトコにいっからよ。車出せや」と勝手に車に乗り込んできた。

香田は、最初から正和のこの手の頼みは珍しいと思っていたが、なぜ梅沢のような不真面目な奴と一緒にいるのか理解に苦しんだ。

とはいえ、さっさと正和を拾って帰ろうと思って梅沢の指示する場所に向かった香田は仰天することになる。

何と長髪だった頭がスキンヘッドにされているだけではなく、眉毛も剃られていたからだ。

しかも一緒にいるのが、正和には似つかわしくないヤカラそのものの二人である。

そして正和は「ヤクザの車にぶつけちゃって100万円請求されてる。頼むから金を貸して欲しい」と泣きそうになって頼んでくるではないか。

香田は理解した。

こいつらは最初から金を巻き上げるつもりで、正和をダシにして自分を呼び出したんだと。

それが証拠にヤカラの小さい方は「貸すのか貸さねえのか、はっきりしろよ」と語気鋭く香田を脅してくる。

さらにはデカい方などは「テメーの頼み方がわりーんだよ!」と正和を殴った。

これ以上金を払わないと、友人をますますひどい目に遭わせるというパフォーマンスである。

人質をとったも同然の卑劣なやり方だ。

屈した香田は結局、消費者金融の無人契約機から20万円の金を引き出させられて、その金は正和に貸すという面目で梅沢が受け取ってヤカラ二人とともに、正和を自分たちの車に乗せたまま消えた。

そして、同じように萩原たちは香田以外の日産の同僚、中学の同級生たちからも、金を借りさせることを繰り返すようになる。

彼らは後にいつも監視するように少し離れた場所で、三人の目つきの悪い男がいたと話していた。

もちろん、萩原たちのことである。

友人たちが貸した金は十万単位であることが多かったが、それは正和の人柄を信頼していたからなのだ。

正和(一番左)と中学の友人たち

正和は萩原にとっていい金づるだったが、その待遇は人質どころか、しょっぱなから奴隷そのものだった。

30日には飲食店で食事した際、村上がトイレに入ったすきに、村上の食事に萩原と梅沢がタバスコを投入、それを正和のせいにしてそれを食べさせる。

萩原が「梅沢にアホと言え」と正和に命じて言わなかったら殴り、言ったら梅沢に殴られた。

また、「てめえ、オレの車のシートに焦げ跡つけやがったな!50万払え!!」「オレのサングラス壊したべが!100万すんだぞコレ!!」とか無茶苦茶な言いがかりをつけて殴り、延々金を借りる先を探させるようになる。

昨日から続くおっかないことこの上ない奴らによる怒涛の悪意に、ケンカをしたこともなければ他人に強気に出たこともほとんどない臆病な青年の心は凍り付き、ヒビが入り始めたことだろう。

またいつの時期だか不明だが、正和を黒羽町にある彼の実家近くに連れて行き「実家は分かったかんな。逃げたら…、分かってるよな?」と脅したこともあった。

帰省すると両親が温かく迎えてくれた実家を目の前にしながら、「逃げません…」と答えた正和は、どんな気持ちであったことだろう。

きっと「父さん母さん、助けて!」と叫びたかったはずだ。

だとしても、怖がるあまり反抗することが無理であったにしろ、逃げる勇気くらいは持っているべきだった。

萩原たちは、正和を見張りもなしに車に残し、借りさせた金で風俗店に行ったりしてたから、チャンスが全くなかったわけではないのだ。

「神は自ら助くる者を助く」という言葉があるが、自ら助かろうとしなかった者は、助けないことが多いらしい。

神に全く背かず、愛されて然るべき性格と生き方をしてきた正和も、例外ではなかった。

ばかりか、天罰にしては、やりすぎな仕打ちが待っていたのだ。

少しも助かろうとしなかった彼には、間もなくこの世で、萩原ら鬼たちによる地獄が待っていた。

「熱湯コマーシャル」という地獄である。

熱湯コマーシャル

その拷問ばりの残忍な暴行は、面白半分で始まった。

10月上旬になっても、正和は解放されない。

萩原たちに連れ回されて友人知人に金を借りさせられ、その金を巻き上げた萩原らが風俗やパチンコ、キャバクラなどの遊興費で使い果たすと、また別の誰かに借金のお願いをさせるという最悪のループが始まったばかりだったのだ。

「こりゃ、一生遊んで暮らせんじゃねえか?」

濡れ手に粟で大金をせしめるようになった萩原は上機嫌になり、巻き上げた金で宇都宮市内のスナックに飲みに行った際に、梅沢と村上以外に、一番の殊勲者である正和も同席させた。

そして、ここでもお約束のように悪ノリする。

正和に焼酎の一気飲みを何度もさせて、酔いつぶしたのだ。

しかし、それからが面倒だった。

完全につぶれた正和が倒れてしまったので、宿泊先として選んだラブホテルに担いで運ぶ羽目になる。

「世話焼かせやがってよ、うわ!コイツ小便もらしてやがる!」

酩酊するあまり、失禁してしまったのだ。

「オイ!起きろ、須藤!起きろって!」と村上がビンタしても、目覚めやしない。

梅沢と村上は、仕方なしに体を洗ってやろうと正和から服をはぎ取り、浴室に運び込んでシャワーを浴びせた。

「起きろよ、早く。起きろって、この野郎」

浴槽に寝込む顔めがけて梅沢はシャワーをかけてもみたが、やっぱりだめだ。

温度上げたら起きるんじゃねえか?

そう考えた梅沢が、シャワーの温度を50度近くまで上げると、ピクリとはしたが、まだ反応は鈍い。

もっと温度を上げてやったらどうだ?

さらに高温にしてかけたところ、さすがに動き出して「アッチ!アッチ!あちちちち!!」と転げ回り始めた。

これ、おもしれえじゃねえか!

いたずらどころではない、深刻な火傷になりかねない極めて悪質な仕打ちにもかかわらず、梅沢はその反応を面白がって続ける。

こいつは相手の痛みなどお構いなしな性格で、面白いと思ったら調子に乗って、とことんまでやり続ける野郎なのだ。

「なあ、これって殴るより効果あるんじゃねえの?」

喜色満面で萩原たちに提案するや、同じ人でなし二人も完全に同意。

「熱湯コマーシャル」と命名された。

「熱湯コマーシャル」とは、かつて日本テレビ系列で放映されていた『スーパーJOCKEY』の名物コーナーである。

芸能人などの出演者が浴槽に入った熱湯に入り、浸かっていられた秒数だけ自分の宣伝ができるというものだ。

彼らにとっては、そのコーナーのリアル版という位置づけのつもりのようだったが、リアルにやっていいものと悪いものがある。

現に熱湯を浴びた正和の皮膚は、火傷したのか赤く腫れた部分が目立ち、問答無用で正気になって、その部分に水をかけ始めていた。

だが、信じられないことに、この残忍な「熱湯コマーシャル」は、この一回で終わらなかったのだ。

その後、何度も繰り返され、恐ろしいことに全身の皮膚がただれて膿を出し始めても続けられることになる。

ちょうど同じ時期、栃木県那須郡黒羽町の正和の実家では、離れた会社の寮で暮らす息子の様子がおかしいことに、両親である須藤光男と洋子が気づいていた。

正和は、日産に勤務し始めて独身寮に入ってからも月二回は実家に帰省しており、9月には10月1日に帰ってくると言っていたので楽しみに待っていたところ、直前になって「会社の行事があるから帰れない」と伝えてきたのだ。

こんな直前にキャンセルしてくることはなかったので、その時は少々驚いたが、10月4日のまだ朝早い7時くらいの時間に「生活費を5万円ほど振り込んでほしい」という正和の連絡を受けてから、何らかの違和感を感じた。

高価な服を買って金がなくなったからと電話では話していたが、正和は元来ファッションに無頓着だったし、それまで決して金を無駄遣いする息子ではなかったからだ。

「珍しいな。しゃれっ気がとうとう出たのかな」

正和の口座の預金通帳は須藤家にあったので、それを使ってATMで金を振り込んだ父親は、出てきた通帳を見てより大きな違和感を抱く。

それまでコツコツ着実に貯まっていた残高が、9月29日の時点でごっそり消えているのだ。

萩原らに貯金残高全額をとられ、連れ回されるようになった日である。

10月1日の「会社の行事がある」という電話も、朝の金の無心の電話も萩原の指示によるものだったが、この時点で父親は知る由もない。

そしてこの日のうちに、両親は違和感どころか明らかな異変の発生を知ることになる。

午後2時、勤務先の上司である人物から電話があり、正和が先月の30日に家の用事で休むと伝えてきて以来、出勤してこないことを知ったのだ。

学校だってめったに休まなかった正和が、会社を無断欠勤?

どういうことだ?

行方を絶った息子を、必死に探す両親の戦いが始まった瞬間であった。

正和の両親

続く

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善良すぎて殺された青年 ~1999年・栃木リンチ殺人事件~ 第二話


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第二話 事件の発端

人間には二種類しかいない。利用可能か利用不可か

1999年9月23日、萩原克彦と村上博紀が宇都宮駅東口のパチンコ店を訪れていた。

目的は同じ中学の同級生だが、卒業以来付き合いのなかった梅沢昭博に会うことだ。

ずっと付き合いがなかったので、さまざまなルートで梅沢の携帯電話の番号を探り当て、この日のこの時間に、このパチンコ屋で会うことを約束していた。

しかし、萩原は久々に中学生の同級生に会って、旧交を温めようとしているのではない。

その目的は、梅沢から金を巻き上げることだ。

野郎は、仕事を事故の後遺症を理由に休んで、手当をむさぼりながら遊んでいる不届き者である。

そんな奴から金をいただいても、バチは当たらないだろう。

萩原は7月に鳶の会社を辞めてブラブラしており、今からやろうとしているように、時々他人から金を脅し取っていたのだ。

もちろんその目的は、梅沢には隠している。

パチンコをしている梅沢を見つけると、「おーう、久しぶり」と当り障りのない声掛けをしたかと思ったら、「梅沢、テメー最近俺の悪口言っとるべが」と、いきなりドスを利かせた声で因縁をつけた。

恐喝の初歩である。

「いや、してないよ、してないって。誰から聞いたの?そんなわけないって~」

久々に会って、まさか因縁つけられるとは梅沢も思わなかったであろう。

梅沢は必死に弁明して何とかはぐらかそうとしたが、萩原は次の手を用意していた。

「まあ、それは置いといて。オメーに会わせてえ人、アソコにいっからツラ貸せよ。村上も来い」

梅沢と村上を従えて向かった先にいたのはパチンコを打っている中年の男、それも見るからに暴力団組員風の男である。

「お久しぶりです、〇〇さん。この二人、俺の中学校の同級生の梅沢と村上です。こいつらのことも、これから面倒見てやってもらえませんか?」

萩原が丁寧だが、さも親しそうに話す相手は案の定暴力団組員。

暴走族時代に知り合って以来、交際があった男だ。

「おう、そうか。何かあったら、オメーらも連絡してこい」と渡された名刺には、泣く子も黙る広域暴力団・住吉会系の組の代紋が印刷され、名刺を渡してきた手は小指が欠損している。

実にわかりやすい本物ぶりだ。

萩原が、このパチンコ店をこの時間に約束の場所にしたのは、このヤクザがいつもここでパチンコをやっているのを知っていたからだ。

後は慣れたもので、自分の背後にいる者がどういった人間なのか目の当たりにさせれば今後いろいろとやりやすくなることを、この卑怯者は熟知しているのだ。

その姑息な企みは、今回も大いに成功していた。

梅沢は中学時代から万引きなどを繰り返し、高校時代は萩原とは別の暴走族に入っていたが中途半端な悪党だったので、本職を紹介されてその名刺を受け取ってからは、深刻な表情をし始めている。

同じく中学時代から悪さを重ね、梅沢と同じ暴走族に入ったことで高校を退学になった村上も同じだ。

この年の4月に萩原と再会してまたつるむようになったが、ガタイが大きい村上は、ケンカは自分の方が強いと思っていたらしく、これまでずっと対等な態度で接してきていたが、それが今や明らかに変わっている。

仕込みは万全だ。

その場で目的を果たそうとせず、絶妙な間を挟んだ翌日に、すっかり自分の言いなりになった村上を伴って梅沢の家を訪ねた萩原は「金貸してくれ」と要求。

さらに「〇〇さんが俺らに金の都合つけろって言ってきてさ、今日中に用意しねえとまずいんだわ。オメーもサラ金でも何でも使って用意した方がいいぞ」と、昨日の暴力団組員の名前を出したんだからたまらない。

薬が効いている梅沢は「言っとくけど、これ以上無理だからね、ホント…」と、くぎを刺して消費者金融の無人契約機から借りた20万円を萩原に渡した。

むろん、返ってこないことはわかっている。

そして、金を巻き上げるのは梅沢だけではない。

「村上、オメーも出さねえと、まずいんじゃねえか?」

「え?オレも?なんで?」

「昨日、紹介してやった〇〇さんのご指名なんだわ。オメーにも金出させろって言われたんだよ」

などど、梅沢同様昨日のヤクザにビビっている村上からも同じく、30万円ほどの金を巻き上げたのだから、半端ではなく悪どい男である。

案の定、その金はその後萩原自身の遊興費などで瞬時に溶けた。

そして、萩原は一度食らいついたら離れなかった。

ほどなくして、また二人に金を要求したのだ。

「萩原君、もう俺たち無理だって。かんべんしてよ!」

「だったら、誰か他の金借りれそうな奴連れて来りゃいいべがよ!」

萩原にとって、他人は利用可能か利用不可の二種類しかない。

同級生だろうが関係なく、利用可能ならば徹底的かつ冷酷に利用し続けるのだ。

しかし、梅沢は荻原の「誰か金の借りれそうな奴」というワードを聞いて、ひらめくものがあった。

「あ、そうだ。俺の働いている会社にさ、俺のパシリがいるんだけど、そいつにしね?」

梅沢は、まだ日産で普通に勤務していた時、配属された鋳造課の同僚に言うことを聞いてくれそうな奴がいたのを思い出したのだ。

「テメーにパシリ?フカシこいてんじぇねえ」

「フカシじゃないって。同じ課でロッカーが隣でさ、何言っても断らなねえ奴なんだよ、そいつ」

梅沢も結構な卑怯者である。

恐喝の矛先を自分からそらすためだったら、他人を売ることを躊躇しないのだ。

「もう、ホントすっげービビりだから、萩原君が脅せばイチコロだべよ」

「ホントだべな?なら、そいつ呼び出せ」

あいつに断る度胸はねえはずだ。

梅沢は、携帯電話でそのビビりの番号に電話をかけた。

電話帳に入れといてよかったぜ。

「おお、久しぶり!…あん?俺だよ俺、隣のロッカーだろがよ。…うん、梅沢だよ。忘れんなよ」と話した後、本題に入った。

「それでさ、久々だから会わねえか?須藤」

最高のカモ

日産自動車栃木工場

1999年9月29日、日産の工場勤務を終えた須藤正和は、同僚の梅沢に呼び出された。

梅沢は、同期入社の同じ鋳造課でロッカーも隣同士だった男で、長いこと交通事故のケガが原因で休養しているらしく、会うのは久しぶりである。

と言っても、顔を合わせていたのは一か月くらいだし、なんとなくガラが悪いのと、あれこれ命令してきたりして態度がデカいところのある男だったから、特に親しいわけではない。

しかし、他人の頼みを断れない正和は、何の要件も言わず「とにかく会おう」という梅沢の呼び出しに応じたのだ。

待ち合わせの場所で数か月ぶりに会った梅沢は、ケガで休んでいるとは思えないくらい元気そうだったが、友達と思しき二人の見知らぬ男と一緒にいた。

え…、梅沢君だけじゃなかったの?

ちょっと意外だったし、梅沢の友達らしく、なんとなくヤカラっぽいおっかない感じの二人である。

自分と同じくらいの背丈の小デブと、でっかい体の大デブだったのだが、小デブの方は目つきがかなり悪く、その両目の間隔が狭い目がこちらを向いた時は、思わずひるんで目をそらす。

そして子デブは、小首をかしげて正和の目見据えながら口を開いた。

「すまねえけど金貸してくれや」

「え…」

一方的で、脅すような要求をされて絶句した正和に、梅沢はペラペラと補足するように呼び出した要件を語り出した。

梅沢も、少々凄みを聞かせた話し方を心掛けている。

「いや、オレらヤクザの車と事故っちまってさ、めちゃくちゃ修理代請求されてやべーんだわ。だから金貸してほしくってよ」

「え?いくら?」

「なるべくたくさんがいい。オメーしか頼める奴いねーんだ」

「…わかった」

これは、小デブもと萩原が考案して梅沢に言わせたセリフだったが、まさかこんなに簡単にうまくいくとは荻原自身も思わなかった。

ここまで断る根性が全然ねえとは思わなかったぜ。

こりゃ、今までで一番やりやすい奴なんじゃねえか?

「助かるう!お前を知っててよかったぜ!」

そう、助かった。

これで、自分たちが荻原にたかられることはなくなりそうだ。

梅沢と村上は、そうほくそ笑んだはずだ。

だが、予想外のことが、消費者金融の無人契約機まで一緒に行ってまとまった金を引き出させようとした時に起こる。

大企業・日産自動車に勤めて無駄遣いをしないはずの正和が、審査で落ちてしまったのだ。

すると、後ろで無言でひかえていた萩原が「オイ!どういうことだコラ!テメー!!アン?」と、なぜかものすごい剣幕で梅沢にからみ始めた。

「いや、その、おかしいな…。なあ!須藤!お前、貯金いくらある?」

「えと、7万くらいかな」

「じゃあ、とりあえず、その7万引き出して貸してくれ!」

これも、萩原が仕組んだものだ。

ドスを利かせて梅沢を脅すところを見せて、見るからに気が弱そうな正和をビビらせたのである。

その目論見は当たった。

正和は顔をひきつらせて一切ごねることなく、銀行から貯金全額の7万円を引き出して大人しく渡したのだ。

優しすぎるにもほどがある、というわけでは決してない。

気が弱すぎるのだ。

正和は人一倍優しい青年であったと同時に、他人と争うことを徹底的に避ける男であり、とんでもない要求をされても、こんな怖そうな連中に逆らうことができなかったのである。

だが、それはこの二足歩行のダニたちに対して、一番やってはいけないことだった。

「これじゃあ足りねえからよ、明日会社休んで別のサラ金で金借りてくれ」

萩原が、さも当然のように無茶苦茶な要求をしてきた。

その態度で、ナニとんでもない無茶ぶりしてんだよ!

などという当然のツッコミも臆病な正和にできるわけがない。

「わかりました」というようにうなずいた。

こりゃ、サイコーにしゃぶりつくせそうな奴見つけたぜ。

どうりで梅沢程度の奴のパシリにされるわけだ。

萩原は、さっきちょいとガンを飛ばして「金を貸してくれ」と言った時の正和のビビりようから予想はしていたが、それ以上のカモであることを確信した。

こんな滅多にいないくらい極上のカモは、逃がしてはいけない。

日産の寮

正和は、実家ではなく日産の独身寮で暮らしていたが、萩原たちは寮に帰らせなかった。

代わりにひとまず向かったのは、近くの公園。

「オメー、髪長げえな。俺は美容師だから散髪してやるよ」

萩原の悪ふざけである。

あまりにも目的がうまく果たせたことで調子に乗り、先ほどコンビニで買ったハサミとバリカンで、公園のベンチに座らせた正和の頭を刈り始めたのだ。

正和は深刻な顔をしてはいたが抵抗せず、刈られたいだけ刈られて、、頭がみるみるスキンヘッドになっていく。

おいおい、マジかよ!

こんなことされてんのに、ナンもしてこねえぞコイツ。

さらに悪ノリが高じて眉毛も剃ったが、それでも、されるがままだ。

こりゃ、長い付き合いができそうな奴だぜ。

顔を邪悪にほころばせたのは、萩原だけではない。

一緒に正和の髪の毛や眉毛を剃って、笑い転げる梅沢と村上もだ。

矛先が自分たちからそらされただけではなく、自分たちもカモることができそうな奴が手に入ったのだから。

長い監禁生活は、こうして始まった。

しかし、本当の地獄はこれからである。

続く

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善良すぎて殺された青年 ~1999年・栃木リンチ殺人事件~ 第一話


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第一話 最も善良な青年と最も悪辣な犯人

この上なく善良だった青年

1980年5月6日、栃木県那須郡黒羽町で理容店を営む須藤光男・洋子の間に、待望の長男が誕生する。

その子は正しく和むと書いて「正和」と名付けられ、須藤家はこれで、3歳上の長女、祖父・祖母を合わせた6人家族となった。

幼い頃は軽い小児ぜんそくやアトピーを患ったこともあったが、実直な両親や祖父母の愛情を注がれて、正和は健全に育ってゆく。

生来の性格だったのだろうか、非常に温厚な性格であって、蚊ですら殺すこともしない優しい性格の持ち主で、ケンカもしたことはないし、思春期においても親に反抗したことが一度もなかった。

また、生まれ育ったのがのんびりとした田舎であり、通っていた小中学校は一学年の生徒数が都会の一クラスにも満たないという牧歌的な学校生活だったこともあって、人を疑うことを知らない純真な少年でもあった。

同級生たちにもねじ曲がった根性の者がおらず、学年全体が仲良しと言ってもよく、正和と仲の良い友達は非常に多かった。

正和はプラモデルなどを作ることが好きであり、高校に進学してからは自動車に興味を持ち始めたのをきっかけに、進路を決める学年になると日産自動車への就職を希望する。

高卒枠とはいえ、日産は安定の大企業であるために競争率は高かったが、正和は見事に内定を獲得。

高校時代にバトミントン部など三つの部をかけ持ちしたりして活動的だったことや、会って話せばすぐにわかる誠実な人柄が評価されたのだろう。

入社後は一か月の研修期間を経た後、エンジン部品を組み立てる鋳造課に配属になる。

肉体的にきつく、敬遠される不人気部署だったが、正和は自ら志願、欠勤は一度もなく、誰より勤務態度は真面目だった。

おまけに彼は非常に孝行息子であり、家業の手伝いも欠かさなかったし、多くの者が親に金を出してもらって通う自動車学校も全額自分でアルバイトして貯めた金で通い、普通免許を取得している。

また、車も自分で買おうと貯金もしていた。

周りの評価も、真面目、素直、正直、純朴であり、困っている人間を放っておかない優しい性根だったと、彼を知る者は口をそろえる。

だが、後に両親、特に母の洋子は「育て方を間違えた。この世の中を生きるには優しすぎた。もっとケンカっ早い人間に育てればよかった」と激しく悔やむことになった。

なぜなら、息子・正和は日産自動車へ就職したことと、その優しすぎるほどの性格ゆえに、19年という短い人生を絶たれてしまったからだ。

彼とは対極の悪魔そのものの者たちによって、しかもこれ以上ないくらい無残に…。

悪魔たち

萩原克彦

萩原克彦(19歳)は、根っからの悪党だった。

栃木県警に勤務する父親の次男ではあったが、子供のころから粗暴な性格で、地元の宇都宮市の中学校に入ってから当然のように問題行動を起こし、100万円以上を恐喝する事件まで起こす。

警察官の父親は土下座までして謝罪したが、母親は萩原が悪さしても「ウチの息子はそんなことしない」などと逆ギレすることが多く、きつい性格で自分勝手な人物であったようだ。

長男は真面目で大学に進学しているから、萩原の方は、どうやらこの母親の血を受け継いでしまったんだろう。

祖母の溺愛も受けており、荻原はたびたび金をせびっていた。

中学卒業後は定時制高校に進んだが退学、鳶の会社で働き始めても無断欠勤を繰り返すなど仕事は徹底的に不真面目。

その一方で、地元の暴走族に加入して傷害や恐喝などの悪さを働き、逮捕されて保護観察処分を受けたこともある。

そのくせ実は小心者で、立場の強い者やおっかない人間の前では大人しくしているが、弱いと見た相手には徹底的に強気になるという、わかりやすいくらい姑息な性格の持ち主であり、よく付き合っていた彼女にDVを行っていた。

また、その立場の強い者の威光を巧みに利用して、自身を大きく見せることに長けてもいたクズだ。

梅沢昭博

梅沢昭博(19歳)は、自分では何もできない小心者だ。

そのくせ、誰かにくっつくや悪さをエスカレートさせる典型的な付和雷同型のチンピラである。

両親が離婚し、シングルマザーとなった母親の苦労をしり目に、中学校時代は窃盗や万引きを行い、悪い連中とつるむようになって高校に入ってからは暴走族にも加入。

萩原とは中学校の同級生であったが、卒業後に付き合いはなかった。

高校卒業後はどういう手を使ったのか、大手の日産自動車に入社。

だが髪を染めて、勤務態度も不良。

入社後早々、交通事故を起こしてそのケガを理由に会社を休み、給付金を受け取ってブラブラしていた。

ちなみに日産で正和と出会い、ロッカーも隣同士だった。

これは正和にとって最悪の出会いとなるのだが、それはまだ先の話である。

村上博紀

村上博紀(19歳)は、会社員の父親とピアノ教師の母親と弟という家庭であり、暮らし向きは裕福。

ただ、欲しがるものは買ってもらえるなど甘やかされて育っていたのもあって、わがままな性格になっていたらしい。

中学では水泳部に所属して、名門高校に進学するも高校二年生の頃から悪い連中とつるみ始め、中学時代の同級生の梅沢と暴走族に加入、それが原因で高校を退学になっている。

萩原とは小学校、中学校の同級生で、事件の発生した年の4月に再会。

萩原の働いていた鳶の会社で一緒に働いたこともあったが、萩原同様、不真面目で長続きしなかった。

そんなクズ三人が再会してつるむようになったのは、1999年9月23日。

そこから、事件に向かって運命の歯車が回り出すことになる。

続く

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列島を凍り付かせた未成年1988年・名古屋アベック事件 – 第五話


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第五話 犯人逮捕とその後

逮捕された鬼畜たち

小島ら5人は、25日5時ごろには名古屋市内に戻り、犯行に使ったロープや被害者の衣服・免許書など足、がつきそうな物をすべて川に投棄。

殺害現場にいなかった近藤とも会って、逃走方法や捕まってしまった場合の対策などを話し合っていたが、捜査の手は予想外に早く彼らのもとに迫っていた。

大高緑地公園の事件で被害者の車のバンパーに小島の車の塗装片が付着して車種が知られていたし、何より23日に愚かにも、被害者二人を連れてホテルで休憩した際に怪しんだ従業員に車のナンバーを控えられていたことが決定打となる。

従業員が、同日中にそのナンバーを警察に伝えたために、車両まで特定されていたのだ。

小島の車は、翌26日昼過ぎには港区や緑区をしらみつぶしに捜索していた警察に発見される。

発見現場近くには、近藤の住むアパート。

ちょうどそのころ、高志をのぞく犯行グループ5人は、その部屋で事件を報道する新聞を読んだり、逃走先などについて話し合いをしていた。

だが、車が発見されてから間もない午後2時、部屋に緑署の捜査官が乗り込んできて万事休す。

任意同行を求められた5人は、逃走のための身支度をしている最中だった。

捜査本部に身柄を移されて強盗・逮捕監禁などの容疑で取り調べを受けた彼らは、同日中に金城ふ頭や大高緑地の事件についてや拉致されたカップルを殺害したことまで自供。

翌27日未明、強盗致傷・殺人・死体遺棄の容疑で逮捕された。

ちなみに、近藤の部屋には行かずに行方をくらましていた高志も、翌28日には身柄を確保されている。

逮捕された小島茂夫

昭善と須弥代の遺体は26日16時、彼らの供述どおり三重県の山中で発見され、それを伝える報道は日本全国に衝撃を与えた。

犯行にいたる過程も含めて、それまでの未成年による犯罪の中では前代未聞の凶悪さであり、このような連中は厳罰に処すべしという怒りの声が巻き起こる。

死体発見現場

反省なき犯人たち

当時、犯行自供後に犯人たちは涙を流したと、あたかも反省しているような報道をしていたメディアもあったが、実際は全く反省のそぶりが見えなかったようだ。

というか、ふざけていた。

だいたい、6人とも取り調べで自分は主犯じゃないと罪の擦り付け合いをしていたし、責任を感じていないばかりか、他人事のようであったという。

逮捕後に緑署から名古屋少年鑑別所に収容された小島なんぞは、他の共犯者たちと別々に拘置されながら互いに手紙のやり取りをしていたが、その中には反省の言葉はなかったし、「未成年だから大した罪にならない」とか「刑を終えたら筒井と結婚する」と堂々公言。

法廷でも「刑期を終えたら筒井と結婚する」と、カップルを殺したくせに話していたこともあった。

反省していないことは後の名古屋地裁  でも、「少年鑑別所において、反省しているとは思えぬ態度が散見された」と指摘されていることから明らかである。

その他の共犯者も、話にならない奴が多かった。

徳丸や近藤も少年鑑別所で官本に落書きし、職員から注意を受けても反抗的。

龍造寺は少年鑑別所でふんぞり返った言動をし、筒井は少年鑑別所で他の共犯者から呼びかけられるや嬉しそうに応答、龍造寺に窓越しに話しかけて注意を受けたりしていたし、逮捕されたばかりのころは小島と結婚するつもりだと話して、彼氏同様胸糞悪い相思相愛ぶりをさらしている。

裁判になっても彼らの態度は変わらず、犯人の中には公判中に居眠りを始める者まで出る始末だった。

ただでさえ極悪な犯罪を犯しておきながらこの態度では、判決に影響しないはずはない。

小島は何年かしたら出られると思っていたようだが、1989年6月28日に開かれた判決公判で下された判決は死刑(求刑どおり)、求刑どおりになるとは思っていなかった分、これにはかなり動揺したようである。

共犯者については徳丸が無期懲役(求刑どおり)、高志が懲役17年(求刑:無期懲役)、近藤が懲役13年(求刑:懲役15年)、龍造寺と筒井は5~10年の不定期刑(求刑どおり)であった。

昭善と須弥代の両親はもちろんのこと、彼らの凶悪さを身を持って心に刻んでいる金城ふ頭の被害者カップルたちも犯人全員の厳罰を望んでいたが、小島と徳丸はともかく他の共犯者たちの刑は軽すぎるといわざるを得ず、二人の両親はさぞや納得できなかったことだろう。

小島と高志も、この刑に納得していなかった。

あろうことか、重すぎると控訴したのだ。

他の共犯者は控訴しなかったので刑が確定したが、小島たちは途中で弁護人を解任するなど往生際悪く裁判を続け、1996年12月16日の名古屋高裁における控訴審判決公判で原判決が覆され小島は無期懲役、高志は懲役13年に減刑され、のうのうと死刑を回避することに成功してしまった。

高志健一

被害者遺族の無念

野獣たちによる理不尽で陰険な殺人事件は、他の殺人事件同様、被害者遺族のその後の人生も狂わせていた。

昭善の父親は名古屋市南区で理髪店を経営していたが、跡取りとなる予定の息子を殺され、改装したばかりの店を閉店、家族とも離散してしまう。

自動車部品会社で働いていたものの、事件で生きる気力を失っており、事件から3年後の1991年3月、中村区内のアパートで孤独死している。

母親は『中日新聞』の取材に対し、犯人たちを「息子を返してくれない限り、絶対に許すことはない」と語っており、主犯の小島から届いている謝罪の手紙も「中身が毎回同じだ。いつも捨てている」と、息子を殺した犯人たちへの厳しい態度を変えていなかった。

須弥代の両親は事件後、それまで住んでいた家を売却。

母親は1997年11月に病死した。

須弥代の父親は控訴審の公判中、自分が生きている間は犯人たちを憎み続けていくだろうと述べ、その後の週刊新潮の取材では、以下のように答えている。

「娘は病気で亡くなったと思おうとしているのです。私に親や親戚がなく天涯孤独の身であったら、犯人たちを殺していたでしょう。犯人に更生の可能性があるというけど、生きていれば幸せな将来が待っていたはずの娘たちは、その将来を突然断ち切られてしまったのですよ。いまの少年はずるい。少年法で守られていることを知って、平気でああいうことをするんです。私は孫たちに、やられそうになったら遠慮せずにやってしまえといっているんです。うまくいけば正当防衛、悪くても過剰防衛で、いつかは刑務所から出てこられますから」

また、父親は2003年までに服役中の犯人たちから謝罪の手紙を複数回受け取り、犯人たちに励ましの言葉をかけたりしていた。

しかし、この寛大な父親の気持ちを犯人たちの大半は裏切ることになる。

「もう終わったこと」と決め込む犯人たち

獄中の小島

誰も死刑になっていないし、主犯格以外の刑が軽すぎる判決は後味の悪い結果であったが、無期懲役となった小島は、現在も刑務所から出られずにいるから、まだ報いは受け続けていると言える。

その間に、小島は事件を起こしたことを深く反省するようになっており、模範囚として服役して被害者の冥福を祈るなど、犯した罪に向き合っているようだ。

彼の両親も、昭善と須弥代の両親への損害賠償金の支払いを完了し、息子の犯した罪の責任を果たしている。

獄中の徳丸

問題は他の奴らだ。

徳丸は、小島同様未だシャバには出られていないが、一切遺族に謝罪していないし、その親は一回も公判に姿を見せなかったばかりか、賠償金の支払いにも応じていない。

高志、近藤、龍造寺、筒井の親たちも似たり寄ったりで、親権を放棄したとかで支払いを拒否したり、未完済の者が多かったのだ。

すがすがしいほどの「この親にしてこの子あり」ぶりである。

もちろん出所した本人たちは出所後に行方をくらまし、賠償金を支払うことなくのうのうと結婚したりして、意外と普通の生活をしているから頭にくる。

彼らのうち、近藤も2000年に出所後に中国地方の都市に移り住み、結婚して娘をもうけて産廃の仕事をしながらも賠償金をビタ一文払わずにいたところ、2003年にフリーのジャーナリストに居所を突き止められ、その取材に応じて以下のように言い放った。

「事件にばかり引きずられていてもアレでしょう、前に進めないと思う」

「娘が同じ目にあったら許さないと思う。許さないんじゃないでしょうか」

「賠償金については親が示談したが、親とも連絡をとらなくなって、忘れてるというか、それで終わってる」

「被害者の墓参り?行く時間がないので難しいね」

生かしておけないくらい腹が立ったのは、筆者だけではないはずだ。

犯罪者なんて、そんなもんであろう。

その場では反省したとしても、徐々に「あれは、仕方なかったんだ」とかの言い訳を自分で作り上げ、最終的には「もう終わったことだ」という結論にいたり、何食わぬ顔で通常の暮らしに復帰している。

これを見る限り、現実の日本社会は犯ったもの勝ちとしか思えないではないか。

犯罪者を反省させなくてもいいが、後悔だけは十分させる必要があると信ずる筆者は、犯した罪の重さを否応なく知らしめ連中が自殺したくなるような厳格なシステムの構築を切に願っている。

出典元―中日新聞、ウィキペディア、週刊新潮、週刊文春

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列島を凍り付かせた未成年1988年・名古屋アベック事件 – 第四話


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第四話 弄ばれる命

自殺を図った須弥代

須弥代を連れた犯行グループは24日午前11時に近藤と合流、拉致していたカップルのうち男の方は殺し、残った女も今日中に殺すことを告げる。

襲撃の実行犯の一人で、昭善殺害の現場にはいなかった高志にも電話をかけて、この日の22時に落ち合うことを約束させた。

殺害を二人にも手伝わせるはずだったのだが、現役暴力団員の近藤は組の用事があることを理由に「後は任したでな」などと離脱してしまう。

また俺らに丸投げで逃げやがったな!

小島は、近藤の重ね重ねの無責任ぶりに腹が立った。

小島たちは、この時点でまだ須弥代に昭善を殺したことを伝えていないし、須弥代自身も殺すつもりであることも本人に伝えていない。

しかし、須弥代はとっくに彼氏がこの世にいないことに気づいていたし、自分も殺されるであろうことにも感づいていた。

そして、それを望んでいた。

一行が喫茶店などを経て、一昨日カップル狩りをした金城ふ頭に寄った時のこと。

徳丸に見張られてフラフラと外に出た須弥代が、叫び声を上げて突然海に向かって走り出したのだ。

海に飛び込むつもりである。

「お前、ナニしとんだて!!」

ここで死なれるのはかなりまずい、死体が発見されないように真夜中に、どこかで殺して埋めるつもりなのに。

取り押さえて車の中に押し込んだ。

「お兄ちゃん殺したでしょ!?わたし、もう生きていけないいい!!!」

「家帰したったって言っとるが!」

見え透いたウソをここでも言い張ったが、すでに昭善の死を確信していた須弥代は、悲嘆のあまり後追い自殺を図ろうとしていたのだ。

しかし、このあまりに悲しい行動は、人をいたぶるのが大好きな極悪少年少女たちのサディズムの炎に油を注いでしまった。

「私たち、本当に愛し合っていたんです」アピールもカンにさわったし、悲しみに打ちひしがれて泣きわめいている姿を見て、もっともっといじめてやりたくなってきたのだ。

悲しみを踏みにじる悪魔たち

小島たちのたまり場

その後、小島たちはグループのたまり場にしていたアパートに転ずるや、失意のどん底に打ちひしがれる須弥代をリンチ。

「ナニ勝手なことしとんだて!バカ女!!」「死にたいなら殺したる殺したる!」「“お兄ちゃんお兄ちゃん”やかましいじゃい!」「オラ!泣いてんじゃねえ!すんげれぇムカつくわ!」

男には強烈なパンチや蹴りを見舞われて吹っ飛び、女には髪の毛をつかまれて、口汚くののしられながら顔をはたかれて踏みつけられる。

事件後、階下の住民はこの時にドスーンと大きく響く物音を何度か聞いたと証言しており、孤立無援の須弥代に、かなり情け容赦のない暴力が振るわれていたようだ。

さらには、ここで雄獣の徳丸がまたも須弥代をレイプ。

どうせ殺すんだから、こんなやつ何やってもいいと小島はじめ他の奴らも考えていたらしく、筒井も同性が蹂躙されているにもかかわらず「好きだねえ」などと笑っている。

人生最後の日にも関わらず、須弥代は尊厳を踏みにじられ、痛めつけられ続けた。

同日22時ごろ、小島たちは徹底的にいじめ抜いた須弥代を連れてたまり場を出発し、22時40分には高志と合流。

そこで小島は昭善をすでに殺害したことを話し、車のトランクに入った死体も見せた。

「え!?マジ?あの野郎、ホントに殺ってまったんか!?…ホントや、死んどる」

「女の方も殺らなかんでよ。あとはどこでやって、どこに埋めるかなんだわ」

小島と徳丸に高志も加えた男3人で、殺害場所と埋める場所の話し合いが始まった。

車の中には、生きる気力を失ったほどやつれはてた須弥代が龍造寺と筒井に見張られて乗っている。

「富士の樹海とか…、あかん、遠い。明日朝早いから事務所行かなかんで」

「三重の山奥にせんか?オレ、あそこよう知っとるんだわ」

小島の言う三重の山奥とは、現在三重県伊賀市の山林のことである。

彼は、そのあたりに土地勘があったのだ。

「ほんならそこにしよか」

徳丸と高志はその案に同意し、23時10分ごろに高志も加えた一行は三重県に向けて出発。

須弥代にとって、絶望のドライブが始まった。

死者の尊厳などお構いなしの鬼たち

死体を埋めた場所

目的の場所に着いたのは、翌25日の午前2時ごろ。

それは、車一台がやっと通れるほどの林道を進んだ先にあり、両脇はうっそうと茂る山林。

須弥代はタオルで目隠しをされており、小島ら男3人は外に出て、道から7メートルほど奥に入った場所で懐中電灯を照らしながら、死体を埋めるための穴を掘り始める。

そのころ、車中に待機していた龍造寺は、「なんか最後にしてほしいことあったら言やーて」と須弥代に聞いた。

もうここまで来た以上、生かして帰すつもりがないことを隠す必要はないのだ。

すると、「お兄ちゃんの顔が見たいです。お兄ちゃんと一緒に埋めてください」と、弱々しく悲しい答えが返って来た。

金城ふ頭で海に飛び込もうとしたくらいだから、とっくに覚悟を決めていたのである。

「あっそ」「もうええて、そういうの」と、不良少女二人は冷淡だったが。

一時間後、大人の男女を十分埋められるだけの穴かできた。

作業を終わって車まで戻って来た徳丸は須弥代に「最後の飯だで、食べや」と、途中で買った握り飯と缶ジュースを渡す。

徳丸は三回も須弥代を犯したことから分かるとおり、自分勝手にもお気に入りにしていたらしい。

ここへ来るまでの車中でも、自分の膝の上にのせていたりしていた。

嫌らしさがふんだんに混じったやさしさである。

それに対して、須弥代は「私と一緒に埋めてください。天国でお兄ちゃんと食べます」と涙ながらに答え、改めて「お兄ちゃんの顔を見せてください」とお願いしてきた。

「見せたれ」

鬼の小島は、鼻白みながらも徳丸に車のトランクを開けさせて昭善の死体を懐中電灯で照らすと、目隠しを外されて、それを見た須弥代は死体にすがりついて泣き始めた。

昭善の死体はまだ縛られたままだったので、須弥代がそれをほどこうとしていたが、「勝手なことすなて!」と無情にも阻止されてしまう。

午前3時ごろ、小島は厳寒にもかかわらず、須弥代を裸にして再びタオルで目隠し、掘った穴の前に座らせた。

この時、須弥代はずっと無抵抗でされるがままだった彼女らしからぬことを、犯人たちに言っている。

「どうしてこんなひどいことするんですか?警察に捕まらないと思っているんですか?」これは、きっと非道な犯人たちへ発した彼女なりに精一杯の抗議だったんだろう。

そして「やるなら、ひとおもいにやってください」と言った。

暴虐の限りを尽くされた結果、命乞いするほどの生きる気力は、もう残っていなかったようだ。

小島と徳丸は昭善の時と同じように、焼き切っておいたビニールひもを須弥代の首に二重に巻き付け、高志に懐中電灯で照らさせて互いに引っ張る。

須弥代は「やるならひとおもいに」と言っていたが、望み通りにはいかなかった。

ビニールひもが外れるなどのハプニングがあったりして、苦しむ時間は昭善より長引くことになる。

しかも、一回殺人をクリアしている小島と徳丸はすでに慣れてしまっており、「がぁぁぁぁ~げぇぇぇぇ~」と、若い女性が発しているとは思えないほどグロテスクなうめき声を上げて苦しむ須弥代の首を絞め続けながら、「綱引きだぜ」と笑みすら浮かべて前回同様ふざけはじめ、高志にも「お前もやってみろや」とか言って余裕ですらあった。

殺人を一回犯して度胸がついたらしく、ただでさえ悪い奴らが余計に悪くなってしまっていたのである。

結局30分もかかって須弥代は死んだ。

殺してしまった後も、犯行グループの悪ノリは止まらない。

誰が言い出したかは分からないが、穴に須弥代の死体を生前の願いどおり昭善の死体とともに入れた後、カップルの死体なんだからと、お互い抱き合っているような状態にしたのだ。

二人とも理不尽に命を奪われて、なおも弄ばれたのである。

もはや、人間として扱わなくてもよいほどの鬼畜である。

「お兄ちゃんと一緒に埋めてもらえてよかったな」「もう天国着いたかな?」「ハメ合ってるように埋めれば、よかったんちゃう?」「ハハハ!悪い女やな~」などと、ふざけたことを言い合い、全く悪びれていない。

午前3時30分、死体を埋め終わって落ち葉などをかけ、現場に遺留品が残っていないことを確かめた悪魔たちは現場を離れた。

続く

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列島を凍り付かせた未成年1988年・名古屋アベック事件 – 第三話


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第三話 まず、昭善が殺された

意地の張り合いで決められた殺害計画

2月23日7時30分頃、犯行グループ6人は愛知県海部郡弥富町のドライブイン「オートステーション」に到着、朝食を兼ねて改めて今後について話し合うことにした。

須弥代は小島の車から近藤の車に移され、徳丸が二人を見張る。

話し合いと言っても出席者はシンナーのやりすぎで頭の溶けた者ばかりだし、場を取り仕切る頭の悪い小島からとんでもない案がしょっぱなから出ていた。

「やっぱ男は殺って、女は売り飛ばすしかないて」

空き地での話し合いの時に誰かが冗談半分で言った最悪のプランであるが、驚くべきことに話はその方向で進む。

また、風俗店に売り飛ばせなかった場合は須弥代にも死んでもらうことまでが決められる。

小島は逮捕された後の裁判で、ここでの話し合いでは本気ではなく口だけで言い出したことだったと言い訳をしているが、カップルの処理については誰も「殺すのはだめだ」と言い出すことなく、勢いのまま殺害の方向で固まりつつあった。

この集団、実は事件のつい先日知り合ってつるむようになった者もいたりして関係性は希薄で、互いに相手の腹を探り合うようなところがあった。

ましてや不良なんだから他の奴らに気弱な所は見せられず、常に虚勢を張り続けなければならなかったのである。

店を出た5人は、見張りをしていた徳丸に二人を殺すことにしたと伝えたが、徳丸もあっさり了承した。

これも小島と同じく公判中に徳丸が述べたことだが、この時は本当にやるとは思っていなかったようだ。

つまりこの日の朝の時点において、殺害することは口だけか本気か曖昧なままであったようだが、その本気度はその日のうちに一気に高まって実行に移されることになる。

店を出ると6人は須弥代を再び小島の車に乗せて、2台の車に分乗して移動。

途中で高志だけが帰宅することになり、自宅近くで車を降りた。

無神経な行動

5人になった犯行グループは引き続き二人を連れ回し、9時40分頃に休憩のために「ホテルロペ」に入った。

近藤は、車を借りたに上役に車を傷つけてしまったことを報告しに向かったために、グループは小島・徳丸・龍造寺・筒井の4人となる。

ホテルロペ

この4人は、無神経にも拉致した昭善と須弥代を連れて堂々ホテルに入り、夕方17時ごろまで二部屋に分かれて過ごすことになるのだが、当然ながら同ホテルの従業員に怪しまれていた。

だいたい、こんな目つきの悪い連中の存在自体怪しいのに、その中に顔をこわばらせた男女がおり、しかも顔に殴られたような痕があるからである。

不審を抱いた従業員だったが、すぐに通報しようとはしなかった一方で、彼らが乗ってきたグロリア(小島の車)のナンバーをメモしていた。

後にホテル側がそのメモを警察に提供したことによって、事件の犯人検挙につながることになるのだが、もし、この時に通報していれば殺人事件は未然に防げていたかもしれない。

グループのうち小島と筒井は同じ部屋で、徳丸と龍造寺は別の部屋で昭善と須弥代を見張っていたが、同室で徳丸がまたしても須弥代を彼氏の目の前でレイプしたというから、とんでもない野郎だ。

小島も小島で、当初の計画どおり大まじめに須弥代を売り飛ばそうとヤクザ関係者に電話していた。

考えてみれば、何の罪もない女性を暴行・拉致したうえに、風俗店に売り飛ばそうという発想自体無法極まりないが、この極悪なもくろみは不首尾に終わる。

そんな悪いことは、さすがのヤクザもできなかったのではない。

警察に見つかることは明白だったし、三下ヤクザのまま組を脱退していた小島を信用する者などいなかったからである。

だからといって、幸いなことではなかった。

小島に「須弥代も殺す」というプラン2の実行を決意させたからだ。

しかし、即実行というわけにはいかないし、それをこれから殺す本人たちに知られるわけにもいかない。

17時ごろホテルを出てから犯行の痕跡を隠すために洗車場で車を洗った後、拉致した二人には「帰したるで、おとなしゅうしとけ」と言いつけ、昭善の方に車の修理代を支払うという誓約書を書かせるなど、いずれ自分たちは解放されると思いこませていた。

そして解決案は、より着実に二人の殺害に向かっていく。

23時過ぎに小島たちは近藤と再び合流して今後について話し合ったが、小島は近藤と二人きりになると「もう殺ってまうつもりけど、いつやろう?」と迫っていた。

近藤は所用により龍造寺といったんその場を離れ、犯行グループが再び集合したのは24日午前2時半ごろ、場所は港区にある『すかいらーく 熱田一番店(現ガスト)』。

すかいらーく 熱田一番店(現ガスト)

昭善と須弥代は暴行・拉致されてからほぼ丸一日連れ回されて、体力的にも精神的にも限界に近付いている。

そんな二人に小島は「いつ帰れるか近藤と話し合ってから決めるだでよ、ちょっと待っとれ」と、あと少しで解放という希望を持たせていた。

しかし、この『すかいらーく 熱田一番店』で最終的に二人とも殺害すること、その方法と埋める場所が決定されることになるのだ。

一旦解放されていた二人

昭善と須弥代の方は、手ひどい暴行を加えられて打ちひしがれていたが、まさか殺されることはないと考えていたのは間違いない。

そして、犯人の小島たちも殺害という最終決定を下す前に一度彼らを解放しているのだ。

拉致した側にとっても連れ歩くのは疲れるし、本当に殺すのもリスクがある。

というか、行き当たりばったりな小島と近藤は、早くこの状況を終わらせられるなら、生かしておこうが殺してしまおうがどっちでもよいと考えていた節があった。

だが、もちろん警察に行かないよう脅しを交えて、くぎを刺したのは言うまでもない。

「車の修理代はチャラにしたるけどよ、お前らの住所はもう知っとるだでな。マッポにタレこんだら…分かっとるよな?なぁ?」

「分かってますよ!分かってますよ!ホントしませんよ!もう、行ってもいいですよね?」

やっと解放された昭善と須弥代は深夜の『すかいらーく』を出て道路を横断し、歩道を歩いて遠ざかっていく。

彼らを解放するという決定は首謀者格の小島と近藤が下したものだったが、ここで事情を知らない者たちが騒ぎ出した。

「ええんですか?警察に言うんとちゃいます?ヤバくないです?」

女の龍造寺にまで異議を唱えられた小島は、またも下の者たちにナメられたくないという虚栄心を発動させる。

優柔不断な反面、ハッタリだけは一丁前にかましたがる奴なのだ。

「やっぱ帰すのやめとこ。連れ戻せ、徳丸!」と、二人を連れ戻すよう徳丸に命じてしまった。

そして、連れ戻した後は決まっている。

当初、冗談で口に出し、もう引っ込みがつかなくなった決断を実行するのみだ。

解放されたとはいえ、凄まじい犯罪被害に遭って心身共に傷ついた昭善と須弥代は、とぼとぼ歩いて遠ざかっていたらしく、徳丸にすぐに追いつかれる。

「おい戻れ、帰るのはもうちょっと待っとれ」

彼らは、本当ならこの時に全速力で逃走するべきだったが、徳丸の命令に素直に従ってしまう。

さんざん暴行を加えてきた小島たちへの恐怖心から、一日で心が壊され、反抗できなくなっていたと思われる。

しかし、二人の命運はここで尽きた。

近藤は事件の解決案の話し合いに来ていたにも関わらず、不用心にも事件と関係のない知人たちを連れてきており、事情を知られないように彼らを乗せて帰ってもらおうと車で離脱。

やるだけやって、後の面倒ごとは押し付けられた気が大いにした小島は舌打ちしたが、自分たちがやるしかない。

3時ごろになって徳丸・龍造寺・筒井と共に昭善と須弥代を自分の車に乗せて『すかいらーく』を出発。

行先は、愛知県愛知郡長久手町大字長湫字卯塚25番地(現:長久手市卯塚)にある「卯塚公園墓地」。二人を処刑する場所だ。

昭善の殺害

卯塚公園墓地

同墓地は、小島がかつて所属していた弘道会の本家の墓があり、その清掃作業に組員であったころは駆り出されたことがある。

彼らは、途中で自分たちが根城にしているアパートに寄って、死体を埋めるためのスコップを積み込み、深夜スーパーでは殺害に使うロープも買って午前4時半に墓地に到着した。

あれ?帰してくれるんじゃないの?どういうこと?

墓地に向かうまでの間に昭善と須弥代も、さすがに、これはおかしいと気づいたはずである。

帰してもらえると思っていたら、こんな時間に人気のあるはずのない墓地に連れてこられて、おまけに外では小島たちがさっき買ったロープをライターで焼き切っているではないか。

「どういうことですか?どういうことです?ちょっとちょっと!ナニするんですか!?」

小島に何事か命じられた徳丸が昭善を車から降ろすと、半分に焼き切ったロープで両手を縛りはじめ、口にもガムテープが貼り付けられる。

そして、犯人たちは怯える昭善に対して「今からどうなるかわかっとるだろ」と言い放つ。

そう、それは焼き切ったロープのもう片方で絞殺するつもりなのだ。

「そんな!帰してくれるって言ったじゃないですか!やめてくださいよ!!殺さないでくださいよ!!!」

「アレはウソなんだ。さあ来いよ」

小島と徳丸は、ガムテープを貼られた口から必死に命乞いをする昭善を車から少し離れた場所まで引っ立てて正座させると、先ほどのロープを二重に首に巻きつけて、それぞれロープの両端を持つ。

「やめてください!ホントやめてください!やめぇっ…ぐえええぇぇぇっっ」

両方から、綱引きのようにロープが引っ張られ絞められた。

「げげげげっ、げえぇぇえぇぇぇ~!ゔげええぇえっえっえっゔゔぅぅ…ゔゔぅぅう~」

渾身の力で絞められ続けて、この世のものとは思えない断末魔の声を出し続ける昭善。

さすがの小島と徳丸も聞いていられない声で、多少ひるみ始めただったが、やめるわけにはいかない。

どころかここでも虚勢を張って、なかなか死ねない昭善を笑いながら「このタバコ吸い終わるまで引っ張るでよ」と、二人はタバコを吸いつつ絞め続ける。

鼻やガムテープの隙間から血や吐しゃ物を流し、苦しみぬいた昭善が絶命したのは約20分後。

二人は、本当に死んだかどうか蹴ったりして確かめている。

その時、龍造寺と筒井の女二人は車内に残って目と口にガムテープを貼られた須弥代を見張りつつ、離れた場所で男二人が昭善を絞殺する様子を見ていたが、須弥代は目隠しされながらも、何やら最悪なことが起きていることに気づいていた。

「お兄ちゃん(昭善のこと)、お兄ちゃんはどこですか?どこですか!?」

「話しとるだけだがや、うっさいて!」

「何もしてないですよね?お兄ちゃんに何もしてないですよね!?」

「やかましいわ!もうしゃべるなて!」

須弥代の不安の声をうっとうしく感じた女二人は声を出させないようにするため、口にガムテープをさらに貼り重ねる。

本来、次はすぐさま須弥代の番になるはずだった。

しかし、それはなかった。

極悪な小島と徳丸にとってもこれが初めての殺人であり、命を奪われる際に昭善が出した凄絶なうめき声にビビッたからだ。

あれはもう一回聞きたい声ではない。

そして昭善を殺した後、二人は死体と犯行に使用したロープ、スコップをグロリアのトランクに積み込んだのだが、その際に出た物音に須弥代は、何かを感じ取っていたようである。

「あの、何を入れてるんですか」と塞がれた口で尋ね、小島と徳丸が車に乗り込むと「お兄ちゃんはどこですか?」と気が気でない様子になり始めていたのだ。

「もう降ろしたったて」

徳丸は見え透いたウソを言ったが、須弥代はとっくに気がついていた。

最愛の彼氏が、もうこの世にいないことを。

とっくに日が変わって早朝となった、この1988年2月24日。

この日は、須弥代の二十年の人生で最も悲しく絶望的で、そして最後の一日となる。

続く

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列島を凍り付かせた未成年1988年・名古屋アベック事件 – 第二話


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第二話 大高緑地公園事件

噴水族

1988年2月23日早朝、名古屋市中区栄のセントラルパークに、小島茂夫(19歳)、徳丸信久(17歳)、高志健一(20歳)、近藤浩之(19歳)、龍造寺リエ(17歳)、筒井良枝(17歳)の 6人が集まり談笑していた。

6人とも、いかにも暴走族風の見かけをし、シンナーの入った袋を持って吸引している者もいる。

「あいつらも、車もボコボコにしたった。あんなとこで、いちゃくでやわ」

「へへへ!あそこまで女の前でやられたら、男終わりだで」

「あの女、輪姦したりゃよかったな。他の車来たでかんわ」

「うわ!トレーナーに血ぃついとるが!こんなん着て歩けんが!!」

スポーツの試合の後の選手たちのように誇らしげに語っているのは、先ほどやったカツアゲの自慢話だ。

そう、こいつらは、先ほど金城ふ頭でカップルを襲った張本人たち。

1988年当時、ここセントラルパークに集っては、シンナー吸引にふけっていた通称「噴水族」と呼ばれた不良少年たちのかたわれである。

しかし、彼らは中途半端なワルではない。

小島と徳丸は現在こそ鳶の仕事をしているが、元々は山口組弘道会傘下の薗田組の組員であり、唯一成人の高志は現役の同組組員、近藤は同じ弘道会傘下の高山組の組員で、女の龍造寺もヤクザの情婦だし、小島の彼女である筒井も暴力団事務所に出入りしていた。

そんな彼らが金城ふ頭に向かうきっかけとなったのは、昨晩いつものようにシンナーを吸いにセントラルパークに集ったところ、小島が「今からバッカン行くでよ」と言い出したことからだ。

「バッカン」とは彼らの間だけで通用する言葉で、カップルを狙って恐喝するカップル狩りを意味する。

デートスポットである金城ふ頭での「バッカン」は彼らが始めたことではなく、他の「噴水族」の不良も以前からやっており、前年の9月には、複数のカップルを恐喝していた不良少年のグループが検挙されていた。

小島たちの中には、このグループの人間と付き合いのあった者がおり、「バッカン」の手口をよく知っていたのだ。

実際にやるのは今回が初めてだったからか、最初に襲ったパルサーには警察署に逃げ込まれて失敗したが、二回目のカムリは捕まえることに成功。

昨年捕まったグループより危険であることを自認する彼らは、一回目の失敗のうっぷんを晴らすように張り切って、男も女も車もボコボコにしてしまった。

こうして奪った現金は86000円、他にも龍造寺と筒井が女から腕時計とトレーナーを奪っている。

一回のカツアゲとしては大戦果と言えるが、小島はまだ満足していなかった。

もう早朝なのに、あと二回くらいやろうと言い出している。

彼らの中には分け前をもらって帰りたがっている者もいたが、6人で割ったら大した金にならないからだ。

「金城ふ頭、また行くでよ。さっきみたいにやりゃええて」

「金城ふ頭はかんて。最初にやったった奴が通報しとるかもしれんて。」

「ほんなら大高緑地は?あそこなら、カップルおるんと違う?」

「おお、ええな。大高緑地行こまい!」

大高緑地公園も金城ふ頭同様、週末にはカップルの車が押し寄せるデートスポットとなっていたのだ。

こうして次の狩場は決まり、一行は二台の車に分乗して十数キロ先にある名古屋市緑区の大高緑地公園に向かう。

そのころ、大高緑地公園第一駐車場に一台のトヨタ・チェイサーが入ってきて駐車していた。

中に乗っていたのは野村昭善(19歳)と末松須弥代(20歳)。

付き合い始めてぼちぼち経った何回目かのデートを楽しむ彼らは、数十分後に自分たちを襲う悲劇的な運命を、まだ知らなかった。

獲物をロックオンした野獣たち

1988年2月23日未明、名古屋市緑区にある大高緑地公園の公園入口ロータリーに小島の運転するグロリアと、近藤の運転するクラウンが到着。

車を降りた6人は、獲物となるカップルを探索するために暗闇の公園内に入ってゆく。

公園の第一駐車場は平日の早朝とあってがらんとしていたが、一台の白い車が停まっているのが確認できた。

トヨタ・チェイサーだ。

まずは近藤が立ちションを装って偵察に向かうと、チェイサーにはエンジンがかかっており、中にカップルとみられる男女が乗っているのが視認できた。

「よっしゃ、よっしゃ!おったぞ!おったぞ!あそこのチェイサーに乗っとる奴だで」

小島たちが潜む所に戻って来た近藤は、喜色満面で報告。

「こんなド平日のこんな時間までいちゃついとる奴は、お仕置きせなかんて!ほんならやったろか!」

もうすでに三回目なので手慣れたもので、6人は手はずどおり車のナンバーに段ボールを貼り付けたりの準備を手際よく行い、トランクから木刀などの得物を取り出して車に乗り込んだ。

野獣たちにロックオンされたチェイサーの中にいたのは、野村昭善(19歳)と末松須弥代(20歳)。

二人とも、愛知県大府市内にある同じ理容店で働く理容師カップルである。

昭善は床屋を営む家庭の出身で、中学を卒業してから理容師の世界にいたから、すでにいっぱしの理容師、将来は実家の店を継ぐつもりであり、父のために備品を自分の給料を出して購入するなど孝行息子でもあった。

一方の須弥代は、定時制高校を卒業後に理容師を志していたからまだ見習いであり、同い年ながら、すでにいっぱしの理容師として働いていたから昭善は輝いて見え(昭善は早生まれで須弥代と学年は同じだったようだ)、なおかつ、彼のさわやかで人に好かれやすいキャラにも魅かれたのだろう、自然と好意を持って同じ店で働く同僚以上の関係になっていたのだ。

須弥代も親思いで、両親のために貯金をする孝行娘である。

そんな彼らは、将来昭善の実家の店を二人で支えようと共に理容師修行に励んでいたのだから、滅多にいないほど健全なカップルであろう。

両家の親たちも反対する理由がなく、その交際は双方から歓迎されていたほどだ。

この前の日、須弥代は父親のチェイサーを借りて昭善を拾ったようだが、ハンドルは彼氏である昭善が握っている。

なお、須弥代は店の仕事が終わった後で、同僚には今晩は昭善とデートに行くと告げていたものの、父親にはなぜか「女友達の所に行く」と言っていたが、これは後ろめたいからではなく、照れ隠しだったのだろうか?

その事情は、間もなく永遠に確かめることができなくなる。

それは、小島と近藤が運転する車が駐車場に入って近づいてきたと思ったら、チェイサーの後方左右に停車したことから始まった。

動きを封じられた後、特攻隊長気取りの徳丸が木刀片手に車を降りて「オラァ、出てこいや!!」と、こちらに向かって雄叫びを上げたため、昭善と須弥代の二人だけの甘い世界は破られる。

二人とも、異変に気付くのが遅すぎた。

ずっと自分たちの世界に浸っていたのもあるが、後ろ向きに駐車していたので、後方から向かってくる二台がおかしな動きをしているのが分からなかったのである。

駐車場に他の車が入って来たのには気づいていただろうが、いきなり自分たちの車の所に向かってきて後ろ左右に停まり、中から暴走族風の若者たちが鉄パイプや木刀片手に怒声を上げて降りてきて、一気に至福の静寂から奈落の底に落とされた。

どう考えても、こちらに危害を加える気満々の者たちに囲まれ、二人がびっくり仰天したのは言うまでもない。

この時、運転席にいた昭善は慌てて逃走を図ろうとチェイサーをバックさせた。

だが、パニックになるあまり、昭善はより最悪の結果を招く事態を引き起こしてしまう。

この車は、須弥代の父親の車で乗り慣れていない上に、後方は逃げられないように小島と近藤の車が停まっているのである。

昭善のチェイサーは、車体を襲撃者の乗って来た車二台にぶつけてしまったのだ。

「オレの車にナニしてくれとるんだ!!コラアァァー!!!!」

外からは不良の怒りの咆哮が響き、木刀や鉄パイプで車体がより強く叩かれ、ガラスにひびが入る。

その大きな声と音、予想される今後を前、に二人の心臓は凍り付いた。

荒れ狂う逆ギレ

自分たちの車を傷つけられて、小島たちは激怒した。

近藤にいたっては、おっかない組の上役から借りた車なのである。

「オラ!降りてこいてボケ!殺したろか!!!」

不良たちはチェイサーを完全に包囲して、車体を鉄パイプや木刀で乱打してフロントガラスを割る。

もうだめだ、逃げられない。

観念した昭善はおっかなびっくり車を降りたが、頭に木刀が打ち下ろされ、腹や腕を突かれ、拳で顔を殴られる。

「すいません!すいません!勘弁してください!」

流血する頭を押さえて昭善は懇願したが、車を壊された不良たちの怒りが、これで収まるわけがない。

「てめえ、俺らの車どうしてくれるんじゃ!!オラ!!」と、自分たちが悪いにもかかわらず、昭善の顔にパンチを叩き込み続け、所持金の11000円を奪った上に、チェイサーも腹いせとばかりに鉄パイプで破壊する。

そして、女である須弥代の方を担当するのは、今回も龍造寺と筒井の不良少女二人だ。

「はよ降りてこいや!ボケ!」と、助手席で泣きべそをかいておびえ切っている須弥代の髪をつかんで外に引っ張り出す。

金城ふ頭同様に二人は木刀で須弥代を殴打し、ハイヒールを履いた足で足蹴にするなどしたが、今回はより陰惨な仕置きを始めた。

「オラ!服脱げて!」と上半身裸にしたのだ。

これを見た男たちは、黙っていられない。

「この女犯ってまおうぜ!」と近藤が提案し、女である筒井も「こんな糞女犯ってまえ!」とけしかける。

須弥代は襲撃現場から少し離れた場所まで連れていかれ、そこで徳丸と近藤、高志に輪姦された。

小島だけは情婦である筒井の目の前で参加するわけにはいかなかったが。

昭善にとっては、自分の女の前で泣きを入れても叩きのめされ続けたばかりか、目の前で彼女を蹂躙されるという男にとって最悪の屈辱を味わわされた。

もっとも、6人もの不良相手に自分の女を守り切れる男など滅多にいないだろう。

不良たちは現金ばかりかチェイサーの備品、須弥代のアクセサリーなども奪い、今まで幸福だった者たちに地獄を見せるというカップル狩りの醍醐味を堪能し尽くしてはいたが、自分の車を壊されたことを理由にした暴走はまだまだ続く。

レイプを終えた徳丸たちは上半身裸の須弥代を連れて駐車場に戻って来たが、今度は龍造寺と筒井が女として再起不能になった須弥代を全裸にしてヌードリンチを始めたのだ。

極悪少女二人はシンナー(彼らの多くはシンナーを吸っていた)を須弥代の陰部に注ぎ、髪の毛をライターで焼き、タバコの火を背中や胸に押し付ける。

「熱い!熱い!熱い!あづいいい~!!やめてくださいいいい!!!」

須弥代は泣きながら哀願したが、女の涙は女には通用しないことが多い。

特に龍造寺と筒井のような奴には逆効果だった。

「泣きゃええっちゅうもんちゃうぞ!!」「ぶりっ子するなて!ムカつくわ!!」と、余計に暴行に拍車がかかる。

無抵抗の須弥代の体にタバコの火を押し付け、髪を引っ張り回し、足蹴にし続け、男たちも血だらけになった昭善を正座させて殴り蹴り続ける一方で、より楽しそうな須弥代へのリンチにも参加した。

昭善と須弥代への暴行は午前6時まで続いたが、そろそろ明るくなってきて人が入ってくるかもしれない時刻である。

そろそろ退散の時間だ。

だが、両人とも長時間の苛烈な暴行により、金城ふ頭で被害に遭ったカップル以上にひどいケガを負わされていた。

このまま置いておいたら、間違いなく通報される。

不良たちはズタボロにされた二人をひとまず連れて行くことにし、昭善を近藤の車の後部座席に、須弥代を小島の車の後部座席に押し込んで現場を離れた。

手ひどい暴行で呆然自失の二人をそれぞれ乗せた二台の車は、港区の空き地まで行って停まり、小島と徳丸、近藤が車を降りて今後について話し合う。

だが、この時点で彼らが一番心配していたのは、近藤が組の上役から借りた車を傷つけられたことだった。

暴力団幹部ともあろう者が、自分の車を傷つけられて怒らないはずはない。

小島は、組にいた時に兄貴分の車を傷つけ、さんざんヤキを入れられた苦い経験がある。

拉致した二人について「やりすぎちまった。どうする」と話題に出はしたが、この時点では二の次だったのだ。

そんなどうでもよいことに関して、誰かがハッタリ交じりに「男は殺して女は風俗にでも売り飛ばそう」などと言い出したが、それは当初軽口と言った本人も含めて誰もが受け止めていた。

この時までは。

その軽口はその後誰も撤回することなく、なし崩し的に決定事項となり、事件がより最悪の結末を迎えるであろうことを、彼ら自身も気づいていなかった。

続く

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