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奪われた修学旅行2=宿で同級生に屈辱を強いられた修学旅行生

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本記事中に出てくる人物の名前は、全て仮名となります。

修学旅行の第一日目早々、もっとも楽しみにしていたディズニーランドで他校の不良少年たちにカツアゲされて金を巻き上げられた私は、放心状態でランド内を歩き回っていた。

集合時間までまだ時間があったが、ショックのあまりとてもじゃないが、他のアトラクションを楽しもうという気にはなれない。

そして、もうランド内にいたくなかった。

私は、集合場所であるバス駐車場に向かおうと出口を目指した。

誰でもいいから自分の学校、O市立北中学校の面々に早く会いたかった。

たった一人で他の学校のおっかない奴らに囲まれて恐ろしい目に遭わされたばかりで、その恐怖が生々しく残っていた私は、見知った顔と一緒になれば、多少安心できるような気がしたからだ。

何より、さっきの不良たちもまだその辺にいるかもしれず、それが一番怖かった。

だが、カツアゲされたことだけは、絶対に黙っておこうと、心に決めていた。

私にだって、プライドはある。

恰好悪すぎるし、教師や親、同級生に何やかやと思い出したくないことを聞かれたりして、面倒なことになるのはわかりきっていたからだ。

踏んだり蹴ったり

「コラ!オメーどこ行っとったー!!」

出口目指してとぼとぼ歩いていた私の後ろから、甲高い怒声が飛んできた。

私が本来一緒に行動しなければいけなかった班の長・岡睦子だ。

班員の大西康太や芝谷清美も一緒にいる。

さっきまで自分の学校の面子に会ってほっとしたいと思っていたが、実際に会ったのがよりによってこいつらだと、気分が滅入ってしまった。

そんな私の気も知らないで、岡は鬼の形相で、なおも私に罵声を浴びせてくる。

「勝手にどっか行くなて先生に言われとったがや!もういっぺんどっか行ってみい!先生に言いつけたるだでな!」

「わかったて、もうどっこも行かへんて…」

女子とはいえ柔道部所属で170センチ近い長身、横幅もそれなりにある大女の岡は、さっきのヤンキーに負けず劣らす迫力がある。

一方で、中学三年生男子のわりにまだ身長が150センチ程度で貧相な体格だった当時の私は思わずひるんで、岡に服従した。

しかし、何で再び脅されねばならんのか。

もうバスに戻りたかったのに、岡たちはまだ、ランド内から出ようとせず、私を引っ張りまわした。

それも、お土産を買うとか言って、ショップのはしごだ。

岡も芝谷も、ああ見えて一応女子なので、買い物にかける時間が異様に長く、ショップに入るとなかなか出てこない。

有り金全部とられて何も買えない私には、苦痛極まりない時間であるが、班を離れるなと厳命されているので、外でおとなしく待っていた。

男子の大西は早くも買い物を済ませたらしく、商品の入った袋を両手に外へ出てきて「女ども長げえな、早よ済ませろて」とぶつぶつ言っている。

私もお土産を買う必要があるが、もう金は一銭もない。

それにひきかえ、大西はお菓子だのディズニーのキャラクターグッズだのずいぶんいろいろ買っている。うらやましい限りだ。

「えらいぎょうさん買ったな、金もう無いんちゃうか?」

ムカつくので、少々皮肉っぽいことを言ってやったら、大西は自慢げに答えた。

「俺まだ1万円以上残っとるんだわ」

何?1万円だと?今回の修学旅行では持ってくるお小遣いは、学校側から7千円までというレギュレーションがかかっており、私はそれを律義に守っていた。

だが、大西はそれを大幅に超える金額を持参してきていたということだ。

畜生、私も律義に7千円枠を守るんじゃなかった。いや、それならそれでさっきのカツアゲで全部とられていただろうが。

「そりゃそうと、おめえは何も買わんのかて?」

「いや、俺は…」

カツアゲされて金がないとは、口が裂けても言えない。

そうだ、大西から金を借りられないだろうか?こいつとはあまり話したことがないが、金を落としてしまったとか事情を話せば、千円くらい都合つけてくれるかもしれない。

何だかんだ言っても同じクラスだし、同じ班なんだ。

「あのさ、俺、財布落としてまってよ…金ないんだわ」

「アホやな」

「そいでさ、千円でええから…貸してくれへんか?」

「嫌や」

にべもなかった。1万以上持ってるなら千円くらいよいではないか!

「頼むて。何も買えへんのだわ」

「嫌やて、何で俺が貸さなあかんのだ?おめえが悪いんだがや、知るかて」

普段交流があまりないとはいえ、大西の野郎は想像以上に冷たい奴だった。頼むんじゃなかった。

結局、ぎりぎりまで女子の買い物に付き合わされたが、集合時間前にはディズニーランドのゲートを出て、我々は時間通りバスの停まっている集合地点までたどり着いた。

他の面々は皆充実した時間を過ごせたらしく、買ってきたお土産片手に、あそこがよかったとか、あのアトラクションが最高だったとか盛り上がっている。

「もう一回行きたい」とか話し合っており、「もう永久に行くものか」と唇をかんでいるのは私だけのようだ。

そんな一人で悲嘆にくれる私に、更なる追い打ちがかけられた。

「おい!お前、単独行動したらしいな!」

私のクラスの担任教師、矢田谷が、私をいきなり大声で怒鳴りつけてきたのだ。

話に花を咲かせている生徒たちの話が止まり、好奇の視線がこちらに注がれる。

どうやら岡から私が班行動をしなかったことを聞いたらしく、完全に怒りモードだ。

この矢田谷は陰険な性格の体育教師で、一年生の時からずっと体育の授業はこいつの担当だったが、私のような運動神経の鈍い生徒を目の敵にして人間扱いしない傾向があり、これまでも、何かと厳しい態度に出てくることが多かった。

そんな馬鹿が不幸にも私のクラス担任になっていたのだ。

「いや、俺だけじゃないですよ、俺以外にも勝手に班を離れた人間は他にも…」

「先生は今、お前に言っとるんだ!言い訳するな!!」

クラス一同の前で、ねちねちと怒鳴られた。

なぜ私ばかり?私以外にも班行動しなかった者はいたのに!

私は再び涙目になった。

神も仏もないのか。どうして立て続けに、嫌な目に遭い続けなければならないのか?

私は今晩の宿に向かうバス内で、わが身の不運に打ちひしがれていた。

通路を挟んで斜め向かい席では、元々一緒に行動しようと思っていた中基と難波がまだディズニーランドの話を続けている。

彼らは一緒に行動してたようだ、私を置いてけぼりにして…。

そして頼むから「カリブの海賊」の話はやめて欲しい、こっちはリアルな賊にやられたばかりで心の傷がちくちくするのだ。

「おい、お前どうかしたんか?」

私の横にクラスメイトの小阪雄二が来た。

一番後ろの席に座っていたのに私のいる真ん中の席まで来るとは、どうやら私が落ち込み続けている様子に気付いていたらしい。

だが、私は十分すぎるほど知っている。こいつは私の身を案じているのではなく、その逆であることを。

それが証拠にニヤニヤと何かを期待しているようないつものムカつく顔をしている。

二年生から同じクラスの小阪は他人の災難、特に私の災難を見て、その後の経過観察をするのを生きがいにしているとしか思えない奴だ。

私が今回のようにこっぴどく先生に怒られたり、誰かに殴られたりした後などは真っ先に近寄ってきて、実に幸福そうな顔で「今の気分はどうだ?」だの「あれをやられた時どう思った?」などと蒸し返してきたりと、ヒトの傷に塩を塗りたくるクズ野郎なのだ。

「別に何でもないて!」

「何やと、心配したっとんのによ!」

嘘つけ!ヒトが怒鳴られて落ち込んでいる顔を拝みに来てるのはわかってるんだ!

しかし、奴の関心は別のところにあった。

「お前、財布落として金ないって?」

「何で知っとるんだ?関係ないがや!」

大西の野郎がしゃべりやがったんだな!

隣に座る大西は小阪と以前から仲が良く、私を見て口角を吊り上げている。

同じ班なので、バスの席も近くにされていた。前の座席には岡と芝谷も座っている。

「お前、ホントはカツアゲされたやろ?」

「!!」

「おお、こいつえらい深刻な顔しとったでな。ビクビクしとったしよ」

大西も加わってきた。気付いていたのか?

「ナニ?ナニ?おめえカツアゲされとったの?」

前の席の岡と芝谷までもが、興味津々とばかりに身を乗り出してくる。

やばい、ばれてる!ここはシラを切りとおさねばならない!

カツアゲされたことがみんなに知られて、いいことなど一つもない。

修学旅行でカツアゲされた奴として、卒業してからも伝説として語り継がれるのは必定。

それに、こいつらを喜ばせる話題を提供するのは、最高にシャクだ!

被害に遭った後、被害者が更に好奇の視線にさらされるなんて、まるでセカンドなんとかそのものじゃないか!

「されとらんて!落としたんだって!」

「ホントのこと言えや。おーいみんな!こいつカツアゲされたってよ」

「されてないっちゅうねん!」

「先生に知らせたろか?ふふふ」

小阪らの尋問及び慰め風口撃は、バスが今晩の宿に到着するまで続いた。

修学旅行生の宿での悪夢

我々O市立北中学校一行の修学旅行第一日目の宿泊地は、東京都文京区にある「鳳明館」。長い歴史を持ち、全国からやってくる修学旅行生御用達の宿だ。

なるほど、かなり昔に建てられたと思しき重厚な外観と内装をしている。

カツアゲに遭っていなければ、私も中学生ながら感慨にふけることができたであろう。

建物の前に立っている

低い精度で自動的に生成された説明
鳳明館

実はこの宿に関して、旅行前からちょっとした懸念材料があった。

ぶっちゃけた話、私は普段の学校生活で嫌な思いをさせられていた。

それも、冗談で済むレベルではない。

トイレで小便中にパンツごとズボンを下ろされたり、渾身の力で浣腸かまされたりのかなり不愉快になるレベル、即ち低強度のいじめに遭っていた。

その主たる加害者である池本和康が、同じ部屋なのだ!

おまけに、小阪や今日最高に嫌な奴だとわかった大西も同室で、あとの二人も悪ノリしそうな奴らであるため、一緒に一つ屋根の下で夜を明かすのは、危険と言わざるを得ない。

部屋割りはこちらの意思とは関係なく、旅行前に担任教師の矢田谷とクラス委員によって一方的に決められており、その面子が同室であることを知った時は、そこはかとない悪意を感じざるを得ず、私は密かに抗議したが、陰険な矢田谷の「もう決まったことだ」という鶴の一声で神聖不可侵の確定事項となっていた。

もっとも、その宿に到着した頃、私の精神状態はカツアゲの衝撃でショック状態が続いていたため、旅行前に感じた部屋に関する懸念については、部分的に麻痺していた。

同じ部屋の面子のことなどもうどうでもよい。今日出くわした災難に比べればどうってことないと。

ちなみに、夕飯を宴会場のような大きな座敷で食べた後は入浴の時間だったが、私はあえて入らなかった。

いたずらされるに決まっているからだ。

実際、二年生の時の林間学校では、やられていた。

同じ部屋の連中が風呂に入ってさっぱりして帰って来た時、私はもうすでに敷かれていた布団に入っていた。

今日はもう疲れた、もう寝よう。明日になれば少しは今日のことを忘れられるだろうと信じて。

しかし、私はこの時全く気付いていなかった。

本日の悲劇第二幕の開幕時間が始まろうとしていたことを。

とっとと寝ようと思ってたが、消灯時間になっても眠れやしない。

小阪や池本、大西及びあとの二人も寝ようとせずに、電気をつけたまま、ジュースやスナックの袋片手に話を続けていたからだ。

「やっぱ、前田のケツが一番ええわ」

「ええなー、池本は前田と同じ班やろ?うちのはブスばっかだでよ」

「小阪ンとこはまだええがな、うちは岡と芝谷だで。あれんた女のうちに入らへんて」

話題はもっぱらクラスの女子の話で、言いたい放題、時々下品な笑い声を立てる。

女子に関してなら私も多少興味があったので、目をつぶりながらも聞き耳を立てていたが。

しかし彼らはほどなくして、私の話を始めやがった。

「ところで、あいつカツアゲされとるよな、絶対」

「ほうやて、泣いた後みたいな顔しとったもん」

いい加減しつこい奴らだ。

だが私に関する話題は続く。

「そらそうと、あいつ今日風呂入って来なんだな。せっかくあいつで遊んだろう思うとったのに」

やっぱり池本は何かするつもりだったんだ。風呂に入らなくて正解だ。

「あいつってムケとるのかな?」

大西がここで、突然嫌なことを言い出した。

「なわけないやろうが、毛も生えてへんて。俺、林間学校で見たもん」

小阪の野郎!言うなよ!

つい前年の林間学校の風呂場で、小阪は私の素朴な下半身を散々からかってくれたものだ。

彼らの会話がどんどん不快な方向に発展しつつあった。カツアゲのことを蒸し返されるのもムカつくが、私の下半身の話も相当嫌だ!

「なあ、そうだよな!あれ?おーい。もう寝とるのか?」

どうしてヒトの下半身にそこまで興味があるのかこの変態どもは!誰が返事などしてやるものか。こっちはもう寝たいんだ!

私は断固相手にせず、タヌキ寝入り堅持の所存だったが、池本の恐ろしい一言で考えを変えざるを得なかった。

「ほんなら、いっぺん見たろうや!」

何?!それはだめだ!私の下半身は、その林間学校の時から変わらないのだ!

「おもろそうやな」「脱がしたろう」他の奴らも大喜びで賛同し、一同そろって私のところに近づいてくる。

私は思わず布団にくるまり、防御態勢を取った。

「何や、起きとるがやこいつ。おい、出てこいて」

「やめろ!」

五人がかりで布団を引きはがされた後、肥満体の池本に乗っかられ、上半身を固められた。

「おら、脱げ脱げ」と他の奴が私のズボンに手をかける。

「やめろ!やめろて!!やめろてえええ!!!」

私は半狂乱になって抵抗し、声を限りに叫ぶが、彼らの悪ノリは止まらない。

畜生!何でこんな目に!

前から思っていたが、うちの両親はどうして反撃可能な攻撃力を有した肉体に生んでくれなかった!

五体満足の健康体な程度でいいわけないだろ!

私がなぜか両親を逆恨みし始めながら、凌辱されようとしていたその時だ。

ドカン!!

入口の戸が乱暴に開けられる音が室内に響き渡り、その音で一同の動きが止まった。

そして、怒気露わに入ってきた人物を見て全員凍り付いた。

「やかましいんじゃい!!」

その人物はスリッパのまま室内に上がり込むなり凄味満点の声で怒鳴った。

我がO市立北中学校で一番恐れられる男、四組の二井川正敏だ!

やや染めた髪に剃り込みを入れた頭と細く剃った眉毛という、私をカツアゲした連中と同じく、いかにもヤンキーな外見の二井川は、見かけだけではなく、これまで学校の内外で数々の問題行動を起こしてきた『実績』を持つ本物のワル。

池本や小阪のような小悪党とは貫禄が違う。

「何時やと思っとるんじゃい?ナメとんのか!コラ!!」

そう凄んで、足元にあった誰かのカバンを蹴飛ばし、一同を睨み回すと、池本や小阪、大西らも顔色を失った。

もう私にいたずらしている場合ではない。

どいつもこいつも「ご、ごめん」「すまない、ホント」と、しどろもどろになって謝罪し始めている。

ざまあみろ!池本も小阪も震え上がってやがる。さすが二井川くんだ!

普段は他のヤンキー生徒と共に我が物顔で校内をのし歩き、気に入らないことがあると誰彼構わず殴りつけたりする無法者だが、二井川くんがいてくれて本当によかった。

災難続きのこの日の最後に、やっとご降臨なされた救い主のごとく後光すらさして見えた。

この時までは…。

「さっき一番でかい声で“やめろやめろ”って叫んどったんはどいつや!!」

え?そこ?夜中に騒ぐ池本たちに頭に来て、怒鳴り込んで来たんじゃないの?

「あ…ああ、それならこいつ」

池本も小阪も私を指さした。二井川の三白眼がこちらを睨む。

「おめえか、やかましい声でわめきおって!コラァ!」

二井川は私の胸ぐらをつかんで無理やり引き立てた。

「え、いや、だってそれは…」

大声出したのは、こいつらがいたずらしてきたからじゃないか!おかしいだろ!何で私なのだ?そんなのあんまりだ!!

「ちょっと表へ出んか…、お?こいつ何でズボン下げとるんや?」

「ああ、それならさっき、こいつのフルチン見たろう思ってさ、脱がしとったんだわ」

矛先が自分には向かないと分かった池本が喜色満面で答えると、二井川からご神託が下った。

「そやったら、お前。お詫びとして、ここでオ〇らんかい

「え…いや、何で…!」

「やらんかい!!」

魂を凍り付かせるような凄絶な一喝で私は固まってしまった。

「おい、おめーら!こいつを脱がせい!」

「よっしゃあ!」

凍り付いた私は、二井川からお墨付きをもらって大喜びの池本たちに衣服をはぎ取られた。

終わった、私の修学旅行は一日目で終わってしまった。

飛び入り参加した二井川を加えた一同の大爆笑を浴び、当時放送されていた深夜番組『11PM』のオープニング曲を歌わされながらオ〇ニー(当時はつい数か月前に覚えたばかり)を披露する私の中で、修学旅行を明日から楽しもうという気力は完全に消失していった。

絶頂に達した後は、カツアゲされたショックも矢田谷に怒鳴られたことなど諸々の不快感も吹き飛んだ。

明日からの国会議事堂も鎌倉も、あと二日もある修学旅行自体もうどうでもよくなった。

私の中学生活も、私の今後の人生までも…。

そんな気がしていた。

おまけに次の日、国会議事堂見学の時に昨日のショックでふらふら歩いていた傷心の私は、二井川の仲間で同じくヤンキー生徒の柿田武史に「目ざわりなんじゃい!」と後ろから蹴りを入れられた。

谷田谷の野郎は、担任なのに知らんぷり。

それもかなり不愉快な経験だったが、その他のことについて、昨日までのことで頭がいっぱいとなっていた当時の私が、二日目からの修学旅行をどう過ごしたか、あまり覚えてはいない。

初日にさんざん私で遊んだ池本たちは、二日目の晩にはもうちょっかいをかけてこなかったが、彼らと私との間で時空のゆがみが生じていたことだけは確かだ。

「ああー帰りたくねえな」と彼らはぼやき、「まだ帰れないのか」と私は思っていた。

失われた修学旅行

修学旅行が終わって日常が始まった。

ディズニーランドでカツアゲされたことは明るみにならなかったが、あの第一日目の宿「鳳明館」で私が強制された醜態は池本たちが自慢げに言いふらしたことにより、私は卒業するまでクラスの笑い者にされた。

修学旅行で起きたことは、もちろん親にも話さなかったし、高校進学後の三年間、誰にも話せなかった。

時間というものはどんな嫌な記憶でもある程度は消してくれるものらしいが、私の場合、三年間では半減すらしなかったからだ。

高校時代に中学の卒業式の日に配られた卒業アルバムを開いたことがあったが、中に修学旅行の思い出の写真ページがあり、二日目の国会議事堂前で撮ったクラスの集合写真に写る私自身が、あまりにもしょっぱい顔をしているので、見ていられなかった。

卒業文集の方も読んでみたら、池本と小阪がいけしゃあしゃあと修学旅行の思い出を書いていたのには、思わずカッとなった。

池本の思い出にいたっては題名が『仲間と過ごした鳳明館の夜』だ。

私にとって悪夢だった修学旅行にとどめを刺した第一日目の宿の思い出を、主犯の一人である池本は、かゆくなるほど詩情豊かに書いてやがった。

そこには私も二井川も登場せず、ディズニーランドの思い出や将来について、小阪や大西らと部屋で語り明かしたことになっている。

「僕はこの夜のことを一生忘れない」と結んだところまで読み終えた時、私はまだ少年法で保護される年齢だったため、他の高校に進学した池本の殺害を本気で検討した。

そうは言っても、時間の経過による不適切な記憶の希釈作用が私にも働くのはそれこそ時間の問題だったようだ。

大学に進学した頃には他人に話せるようになっていたし、何十年もたった今では『失われた修学旅行』などと笑って話せるまでになっている。

もっとも、未だに中学校の同窓会には一度も参加したことがないし、どんなことがあっても東京ディズニーランドにだけは行く気がせず、ミッキーマウスを見ただけで殴りたくなるが。

しかし、今となってはあの修学旅行であれらの出来事があったからこそ、今の私があるのかもしれない。

どんなに調子が良くても「好事魔多し」を肝に銘じ、有頂天になって我を忘れることがないように自分を戒め、慎重さを堅持することこそ肝要としてきた。

今まで大きな災難もなく過ごせてきたのはそのおかげだと、今の自分には十分言い聞かせられる。

中学の卒業アルバムを今開いてみると、三年二組の担任だった矢田谷、宿で私をいたぶった池本、小阪、大西たち、そして四組の二井川の顔写真は、コンパスやシャープペンシルで何度もめった刺しにされて原型を留めていない。

中学卒業後の高校時代の自分がやったことに、思わず苦笑してしまう。

これではどんな顔をしていたか、写真だけでは思い出すことはできないが、しばらくすると中学校時代が部分的にリプレイされ、徐々にだが彼らの顔が頭に浮かんでくる気がする。

そして、私をディズニーランドで恐喝したあの他校のヤンキーたち一人一人も。

時が過ぎて、はるか昔になってしまえばどんな出来事もセピア色。

三十年後の今では中学時代のほろ苦くもいい思い出に…。

いや!そんなわけあるか!

やっぱり2021年の今でもあいつらムカつくぞ!!

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相談を殺す者たち

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悩みごとや困ったことがあって人に相談したはいいが、解決にならないどころかその相談相手の言うことに腹が立ったり、却って悩みがより深刻になったりしたことはないだろうか?

そりゃ、確かに悩みを抱えた人間の相手をするのはめんどくさい。

でも、せっかくこっちが苦しい胸の内を吐露しているのに、ボケたような返答をされたり、余計にガチャガチャにされたりすると腹が立たないか?

今まで何人もそういう奴に出くわしてきた。

みみっちい性格の私は、時々思い出してはムカッと来る時があって、今日はどうしても我慢ができないので、特にタチが悪かった奴を告発してやる。

●ケースその1―中学の同級生・K原Y之―

こいつは、二十年以上経った今でも本当に頭にくる。

K原は中学の同級生で、お互い別々の大学に入学してからもよくつるんでいた男である。

中学時代から、自分に興味がない話は明らかにスルーしていることが多かった気がしていたが、長年の付き合いだからと心を許して悩みを打ち明けてしまった私も愚かだった。

あれは私が前から狙っていた後輩の女子生徒にコクって、けんもほろろに断られたことを、居酒屋で一緒に飲んだ際に愚痴った時だった。

私の愚痴がまだ終わらないうちに、K原は「オレが今付き合っている彼女なんだけどさ…」といきなり自分の彼女のことを語り始めた。

最初、自分の場合どうやって付き合うようになって、その経験から私の場合ならどうすればよかったかを分析しようとしてくれてるのかと思った。

だが、その彼女と普段どこへ遊びに行くかとか、自分にベタ惚れだのセックスの相性はサイコーだの、いつまでたってもおのろけ話が終わらない。

そして、いつの間にか元カノについて話がおよび、更にその前の彼女やらナンパして食った女も含めて、今まで二十人以上経験したとか、聞き流すのがだんだん限度になり始めた直後で、「まあそんな感じ」と結んだ。

話聞いてたか?私のさっきの相談は一体どこ行った?

「そんな感じ」で話は終わったようだが、今の話はどう私のためになったんだ?

相談を自慢で返してくるとは思わなかった。

そん時は他にも人がいたので怒りを奇跡的に我慢したが、本当に腹が立ったのは就職活動の時だ。

当時は就職氷河期真っただ中で、私は八月になっても内定をもらえず焦っていた。

そして、よりによって私は再びK原を相談相手にしてしまった。

その日、我々二人は居酒屋に入り、酒席で私は自分の苦境を打ち明けた。

私:「Nネットワークもダメだったし、この前受けたS工業も今日不合格の通知が来た、もう後がない。どうしよう?夏休みなのにまだ休めない」

K原:「俺はPアプリケーション株式会社の内定もらってたけど、W製作所に行くことに決めた。すごくない?夏休みは彼女と韓国に行く」

分かってて言ってんのか?

こいつはひょっとしたら、相談を受けた場合のあるべき対応、はたまた相談という概念自体が脳内に存在しないのだろうか?

長年の付き合いだが、こいつと私の脳内のOSは、ここまで異なるものだったのだろうか?

「あのなあ、そういう話じゃなくて、俺は今…」

「それよりさ、相談に乗ってやってんだから、今日はお前のおごりだからな」

一応相談だということは分っていたらしい。

結論、こいつは私にケンカを売ってる。

その後、私が吼えたため、居酒屋の他の客が静まり、店員が割って入ってくるほど場が険悪になった。

この一件でK原とは断交し、それ以来、連絡は取っていない。当然だろう。

K原は極端な例の一つだったが、相談にならないバカは世の中にまだまだ存在した。

●ケースその2―以前の会社の上司・S山T三―

こいつは最悪。

ケースその1のK原より悪質だ。

S山は私がやっとの思いで内定を取って、最初に勤めた印刷会社の上司である。

「俺は仕事に厳しい人間だ」と、胸を張ってパワハラをしてくる男だった。

身も心もブタそのもので、大した技量もないくせに仕事人風を吹かせ、態度だけは人間国宝。

口ずっぱく「一を聞いて十を知れ」「仕事は目で覚えろ」と、テレパシー受信能力の習得を強制して、ロクに指導もせずに業務を私に押し付け、失敗すると私の責任。

そんな仕事の上でも人間的にも全く尊敬できるところのないS山に、私はそもそも自発的に悩みを相談したことはない。

ではなぜケースとして取り上げたかというと、親見になってることをアピールしたいのか「困っていることがあったら言ってみろ」と、こちらが悩んでいることを白状させたり、困っているであろうことを、相談してもいないのに返答してきたりしたからだ。

しかも、その返答がムカつく!

「なぜ怒られるかわかるか?怒られることをするお前が悪いからだ」
「わからないわからないじゃない。わからなきゃダメだ!」
「お前の悩みなど大したことはない。世の中お前より苦しい人間などそこら中にいる」

そもそも、相談に対する答えになっていない。

それと、「世の中、お前より苦しい人間などそこら中にいる」ってどういうことだ?

じゃあ何か?脱臼した人に、骨折した人はもっと痛いから我慢しろとでも言うのか?父親を亡くした人に、両親亡くした人に比べれば大したことないとでも言うのか?

そして最後に「それじゃあこの先お先真っ暗だぞ、どうすんだお前?まあ知らないけどね」などと結んできたりして、「まあ知らないけどね」なら、いちいち偉そうに言ってくるな!という感じであった。

厳しいことを言ってるつもりだったようだが、こちらとしては相談に答えてやってる風のこき下ろしでしかなく、無理やり悩みを言わされた上に、奈落の底に落とされたとしか思えなかった。

そもそもあの会社での私の悩みは、S山の存在自体だったのだ。

●ケースその3―私の実父―

私の実の父親だから、そりゃあ親見なのは当たり前だし、私のことを考えてくれてるのもわかる。

だが、悩みを相談することによって救われるか救われないかは別問題だ。

この人の良くない点は、相手の話どころか、自分自身が何を話しているかも理解していないのではないか?ということである。

私の話を聞いていないわけではないはずだが、脳内で間違って解釈しているらしく、てんで頓珍漢な返答をしてくるのだ。

タイプ的にはケースその1のK原Y之に近いが、その返答の長ったらしさと内容のカオスぶりが比べ物にならない。

小学校五年の時に、足が遅くてクラスでバカにされてることを相談したら、なぜ「孟母三遷の教え」の話が出てきて、そろばん塾へ通えという結論に至るのか?
高校二年の時に原付免許を取りたいと相談したら、いつの間にか、三角関数の講義と野口英世の偉人伝が始まって、「これからの世界情勢は厳しい」という展開になったのはなぜだろう?

普段から多芸多趣味を誇り、博識を気取っていたからタチが悪い。

自分の息子のことだから真剣だったらしく、話も異様に長かった。

虫歯が痛むから歯医者に行ったはずなのに胃カメラ飲まされ、「水虫があります」と診断されて、目薬を処方されたような気分になる。

小学生の時からこんな調子で、私は大学入学前の時点で、この人に重要な相談をしてはいけないことを悟っていた。

ちなみに恐ろしいことに、この人物の職業は中学校教師であった。

理科担当だったが、あの調子でちゃんと授業になってたんだろうか?

まさか、理科の授業で「ファラデーの法則」を説明してる最中に、「大宝律令」や「徒然草」の話を始めたりしてたんじゃないだろうな。 それか、返答に困る相談をうやむやにして、こちらから取り下げさせる戦術だったのかもしれない。

他にもいろいろと相談してはいけなかった相手に出くわしてきたが、反面教師以外の何者でもない彼らからは、学べることがある。

それは、

悩みや相談は「黙って聞け」

ということだ。

そして

「あまり偉そうにペラペラアドバイスするな」

だ。

他人に悩みを打ち明けられたり、相談を持ちかけられるということは、解決策を求められているというより、ただ聞いて共感してもらいたいという場合もあるのではないだろうか?

それを何とかしてやりたいと思うあまり、何らかのアドバイスを長々としたとしても、それが相手にとって救いとなるとは限らない。

むしろ逆効果であることが多い気がする。

また、そうやって相談されると無意識に自分が偉くなったような気になってしまい、ついつい上から目線で偉そうなことや余計なことを言いたくなってしまうのかもしれない。

そういうマネはあまりにもみっともない。

私は相談してくる人間の話を黙って聞き、話させることによって相手の気分を晴らすというスタンスを取っている。

そして解決策が道理的にも個人的にも明らかだと確信できる事柄に対してのみ、手短に返答することにしている。

卑怯かもしれないが。

だから先日、職場の新入のA川に「彼女がいても、昔から他の女にもついつい手を出しちゃって、今は四股になっちゃって困ってるんですよ」という自慢風相談を我慢して聞いてやった後は、明確かつ手短かに返答した。

「去勢しろ。そうすればもう困らない」

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