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神秘の世界をのぞいた代償~女子トイレをのぞいた元少年の懺悔~

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橋本健一は、今年26歳になった。

だが、心はO市立北中学校三年七組の生徒のままだ。

彼は三年生の夏休み前に登校拒否になり、そのまま十年以上ニート生活を送って来た。

登校拒否の原因はいじめ。

いじめを受けるようになったきっかけは、当時のクラスメイトの前田瞳が大いに関係している。

中学校時代の橋本の片思いの相手だ。

だが、橋本は瞳を恨んではいない。

むしろ、悪いことをしたと今でも悔やんでいる。

クラスの人間ばかりか、他のクラスの者からも二度と学校へ行く気がなくなったほどのいじめを受けたことは確かだが、やられても仕方がないことをしてしまった。

それは、魔がさしたとしても許されざることだったと反省している。

思えば11年前の5月10日木曜日三時間目の英語の授業。

「体調が悪い」と教師に告げて教室を出て行った瞳を見た当時の橋本は、トイレに行ったのだと確信。

日頃から瞳の入浴や排泄を想像してはオナニーをしていた橋本は、のぞきたいという衝動を抑えきれない余り実行に移してしまった。

彼女が出て行った直後に、自分も「気分が悪い」とか言って教室を出て、予想通り女子トイレに入って行く瞳の後ろ姿を遠目から確認すると橋本も間を置いて女子トイレに入り、彼女が入ったに違いない個室の隣の個室の壁と床の隙間から、片思いの相手の排便を拝む。

まず目に入ったのは丸い尻。

二つに分かれた何の変哲もない尻だが、あの瞳の尻も二つに割れていることに、妙な安心感と感慨を感じて拝見していたのもつかの間。

その直後、圧巻のスペクタクルが始まる。

ぶぶっ、ぶうぅうう~、ぶりっぶりぶりぶり…ぶり!

音消しの水を流していたにも関わらず、丸い尻から大音響の屁が響いた直後に盛大にひり出される糞、ほどなくして漂ってきた鼻が曲がりそうな糞臭に、橋本の思春期の股間は決壊。

ズボンとパンツをはいたまま盛大に射精した。

その情景は目に焼き付いて離れず、悪いことをしたと思いつつも、26歳になった今でも橋本の重要なズリネタになり続けているくらいだ。

このまま教室に無事戻っていれば完全犯罪、いや、思春期の後ろめたくも素晴らしい思い出で済んでいたことだろう。

だが、こののぞきが、その後に続く大きな代償を払うことにつながってしまったのは、瞳がケツを拭いている間に女子トイレから脱出しようとしたところを、校内巡回中の体育教師に見つかってしまったからだ。

その体育教師も気のきかない奴で「お前のぞいてただろう!」とその場において大声で問い詰めるものだから、その後、トイレから出てきた瞳に自分の脱糞がのぞかれていたことと、その犯人が橋本であることを気づかせてしまった。

その場で泣き崩れた瞳は、ショックのあまり、その日以来しばらく学校に来なくなってしまったみたいだ。

「みたいだ」というのは、それから一か月くらい後に、橋本も学校に行けなくなったからである。

トイレをのぞいたことでその日の放課後、体育教師や橋本の担任教師、生徒指導の教師にこっぴどく叱られて親にまで知らされて、家でも怒られる羽目になったが、これは大したことではなかった。

教師たちは、生徒に知られないようにしてくれていたみたいだが、泣きながら教室に戻って行った瞳が、仲のいい友達に打ち明けたのが伝わってしまったらしい。

橋本のやったことは、次の日には三年七組の生徒たちに知られており、ここから本物の地獄が始まる。

まず始まったのはシカトだった。

それまで仲の良かった者まで、橋本が話しかけても露骨に無視するし、女子生徒などは性犯罪者を見る目つきで敵意のこもった視線を向けてくる。

さらに、学校の不良グループに体育館の裏に呼び出されて殴られた。

橋本を殴った不良は。学年一の美少女の瞳に気があったらしく、正義の鉄拳とばかりに張り切って「変態野郎!」とか「のぞき魔」とか罵声を浴びせつつタコ殴りにしてきた。

クラスの者たちも、それを機に積極的に攻撃してくるようになり、机に花は置かれるわ教科書は破かれるわ、男子にはいきなり小突かれ蹴られるようになり、女子には集団でズボンとパンツを脱がされる屈辱を味わわされるなど、正真正銘のいじめに遭うようになる。

それまで、和気あいあいとした居心地のいいクラスだったので、この豹変ぶりに橋本は愕然とした。

始めから一体感があって団結した雰囲気があったが、こういう場合はより団結するようだ。

橋本ののぞきは、クラスを超えて伝わっていたらしく休み時間に廊下に出ると、他のクラスの連中から「性犯罪者!」と罵声が飛んだり、モノが投げつけられたし、橋本をボコった不良も出くわすたびにパンチをくらわせて「テメー登校拒否するか自殺しろよ」とまで脅してきたから、クラス八分どころか学年八分になっていた。

担任に訴えても「お前が招いたことじゃないか」と言って聞いてくれやしない。

どころか、のぞきをやった一件について、高校受験で重要になる内申書に書かざるをえないことまで宣告してきた。

もう限界だ、そして終わりだ。

高校受験を控えた学年だったが、橋本は夏休みになるのを待たずに学校に行かなくなった。

二学期になっても三学期になっても行かなかった。

卒業式にも出なかった。

もちろん高校受験をすることはなく、橋本の両親は登校拒否した当初やそれからの数年は、死に物狂いで息子を社会復帰させようとしたが、とっくにあきらめたのか、何年も前から今後について何も言ってこなくなっている。

よって26歳の今になっても、ズルズルとニート生活を送ってきた。

いじめは、たしかにつらかった。

あれ以来、学校に行くのが怖くなってしまった。

でも、いじめを招いたのは、のぞきをやった自分であるのは間違いない。

思春期真っただ中だった瞳は一番恥ずかしい姿を見られて、深く傷ついたはずだ。

もう11年たったけど、現在の彼女はどう思っているんだろう?

願わくば、会って謝りたい。

そう思いつつも、例のごとく11年前の瞳の排便を脳内でリプレイしてのオナニーを自宅のトイレで済ませた橋本は、ため息をついた。

11年間考えてきたのは、そればかりである。

トイレから出てゲームでもしようと自分の部屋に戻る前、玄関からサンダルを履いて外に出て郵便受けをのぞいた。

両親は共働きで家にいないので日中は橋本一人なのだが、郵便受けから郵便物をとってくるのが、彼のこの家での唯一の仕事となっていたのである。

郵便物はほぼ父か母宛で、橋本宛のものはほとんど何か商品やサービスを宣伝するダイレクトメールだったのだが、この日は違った。

数枚あった郵便物中に往復はがきがあり、その文面を見て橋本はハッとなる。

それは「O市立北中学校三年七組平成24年度卒業生同窓会」のお知らせだったのだ。

忘れもしない一学期に満たない期間しかいなかったあの三年七組のことだ。

そこには季節のあいさつに続いて、会場の居酒屋の場所や受付・開宴時間などの案内があったのだが、その横の返事の送り先を見た橋本は、何年も感じたことのなかったうれしい驚きを感じざるを得なかった。

この十年以上の間、何度この三文字の人名が頭に浮かんだことだろう。

何度会って謝りたいと思ったことだろう。

でも許してくれなかったら、と思うとこちらから連絡をすることができなかった。

学校へ行かなくなってから同級生の誰とも連絡をとっていなかったから、瞳がその後どうなっているかは分からなかったが、こうして同窓会の連絡窓口になっているのだから、学校に復帰して無事卒業したようだ。

そして、同窓会に招いてくれている以上、自分のことを許してくれているのではないだろうか。

あの過ちは人生における一番大きな忘れ物だったが、その忘れ物が向こうから帰って来たような気分である。

今度こそ、あの時のことを正式に謝ろう。

そうすれば、このニート生活も終わりにして、やり直すことができそうな気がした。

同窓会の会場は市内だし、いつもヒマだから、何日の何時だって行ける。

こんなにうれしいことは、あの中学三年生の五月以来全くない。

もちろん参加するつもりだ。

橋本は、喜び勇んで出席の返事を書こうと往復はがきを裏返す。

そして返信面を見た結果、今の瞳が橋本のことをどう思っているかを大いに悟ることになる。

瞳は橋本を許していなかった。

「様」と「ご出席」の部分を塗りつぶし、「ご欠席」に〇が幾重も書かれている所に、女の恨みの深さを感じる。

同窓会のお知らせを出さないだけならともかく、わざわざ同窓会への出席を断固拒絶する意思表示を示してきたのだ。

橋本は完全に打ちのめされた。

それはもう何もする気は起きず、社会復帰どころか生きる気力すら失われたような気がしたほどだった。

ちょうど同じころ、同じく26歳になっていた瞳は、勤務先で仕事中にもかかわらず我ながら陰険極まりない往復はがきを憎っくき相手に出し、それを見たあの変態野郎がどんな顔をしているか想像しながら邪悪な笑みをこぼしていた。

下痢便しているところをのぞかれた屈辱は、あと三十年くらいたっても忘れられそうにない。

高校大学と順調に進学して卒業した後、IT企業に勤めているが、中学三年以来ずっと今のように仕事の最中であっても時々思い出してしまい気分が悪くなる。

橋本の野郎は、一年の時から自分をチラチラ見てきやがったキモい奴だ。

三年で同じクラスになってしまい、しかも隣の席にされてしまった。

恐る恐る話しかけてきたから、その勇気に免じて嫌々口をきいてやったのに、あんなことしやがって!

当時はシ、ョックのあまり学校に一時期行けなくなり、心配する同級生からの電話やメールに対して「橋本の顔は一生見たくない」と返答し続けていたら、クラスのみんなばかりか、不良グループまでもが一丸となって橋本を追い出してくれた。

学校に復帰できたのは彼らのおかげだ。

だが、あれによって自分の人生は狂わされたと思っている。

二度と和式トイレに入れなくなったし、橋本を恨み続けた結果なのか顔立ちも陰湿なものになってしまったらしい。

高校・大学でも中学校時代ほど、ちやほやされなくなった。

就職活動でも悪い印象を持たれたようで、希望していた仕事に就けず、ようやく入れたのは今働いているブラック企業。

パワハラと激務のストレスで甘いものを爆食したおかげで体重は70㎏に迫る勢いだし、彼氏もできやしない。

全部橋本のせいだ。

今回中学の同窓会の連絡係になったことを機に、何年も温めていた嫌がらせをしてやったが、こんなもんじゃ済まさない。

そう思っていた最中、さらに陰険で破滅的な第二段の報復が頭に浮かんだ瞳は、26歳という年齢にしては老けて丸くなった顔を醜くゆがませてニヤリと笑った。

今度こそとどめを刺してやる!

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我が中二病 ~人類防衛の大義に燃えた思春期~

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中二病なる言葉がある。

なんでも、「思春期に特徴的な空想や価値観、過剰な自意識やそれに基づく言動を揶揄する俗語」であるらしい。

それが大体中学校の二年生くらいで発症することが多いから、こう呼ばれているようだ。

そういえば私が中学生の頃も、グレ出す奴は、大体二年生からだった気がする。

反抗期もこれくらいの時期から本格化するみたいだし。

また、この年代はかなり多感な時期らしいから、自我が目覚めて荒れ狂うあまり、かなり恥ずかしい言動をしてしまいがちなようだ。

そして、身内以外の他者の影響も受けやすい。

私もそういえばその時期、その中二病に近い症状を患った記憶がある。

ただし、私は問題行動を起こさなかったし、校則はきっちり守る真面目な生徒だった。

先生や親に怒られるのが怖かったし、第一そんなことしたら他の生徒にシメられるのは当時からわかりきっていたからな。

私の場合はそういった人様の鼻につく症状ではなく、主に精神面及び思想面で発症したのだ。

もっとも、その影響は言動にきっちり表れていたから、中二病マンマであったが。

私の発症した中二病とは何か?

それは、異星人の地球侵略を本気で心配していたことだ。

思春期にありがちな異性への関心や将来への不安そっちのけで、私の中学校生活の後半は、異星人の侵略におびえる毎日だった。

きっかけは、金曜ロードショーで放映されたアメリカの異星人侵略モノのテレビドラマV』を見たこと、そして愛読していた漫画『ドラゴンボール』に戦闘民族サイヤ人が登場してきたことだったと思う。

元々心霊やUFOなど超常現象に興味があり、薄々異星人への脅威は感じていた。

だがその脅威は、それらの作品との出会いが思春期に達した当時の私の精神状態と不適切に相互作用して、多感な頭の中で爆発的に増大したのだ。

とどめは、日本テレビで放送された『矢追純一UFO現地取材シリーズ』

まだ1980年代後半で、当時騒がれていたノストラダムスの大予言「1999年の7の月、人類は滅ぶ」とは、異星人の侵略だろうと確信した。

私はその圧倒的な脅威におびえるあまり、熱心に家庭や学校でその危険性を説き、身近な人々をまず啓蒙しようと努めた。

だが、無理解な両親は「もうすぐ受験だろ」と突き放し、学校ではいつもつるんでいた友達に距離を置かれ、「面白い奴がいる」と私を迫害する同級生が増加しただけだった。

誰も理解を示してくれなかったが、私は三年生になると心機一転して、自分ひとりだけでも異星人に立ち向かおうと決意、独自に戦闘訓練を開始した。

まず、攻めてくる異星人は『矢追純一UFO現地取材シリーズ』で主に取り上げられているリトル・グレイという種族だと断定。

そのリトル・グレイと戦うためにまずは格闘術の訓練として、二歳年下で中学校一年生の弟を異星人に見立て、組手の相手とした。

なぜ中学一年生の弟だったかというと、そのリトル・グレイという種族は身長140センチくらいで、当時の弟の身長とほぼ同じであり、まさに練習相手としてうってつけと考えたからだ。

私は「異星人の侵略に対する抵抗のため」という大義を弟に説き、練習相手となるよう命じたが、当時から兄である私を小バカにしていた弟は断固拒否。

それを自分さえよければいいという勝手な考えとみなした私が、組手訓練を強行すると弟は激しく抵抗し、二階の子供部屋で大乱闘に発展した。

弟も本気になってくれたので有意義な訓練になったが、一階で仕事をしていた父親が上がってきて「うるさい」と怒鳴られ、「お前が悪い」と私だけがシメられた。

こうして格闘術の訓練はできなくなったが、やはり異星人との戦いのキモとなるのは対空戦闘であろう。

異星人と言えば円盤、きっと主に円盤に乗って攻撃してくるはずだ。

そこで私は、対空戦闘の訓練に専心することにした。

本物の銃は将来的に狩猟免許を取得してから購入するとして、私はまず、保有していたエアーガンでの射撃訓練を開始する。

標的は、家の畑に飛んでくる蝶。

円盤のように不規則な動きをするため、ふさわしい標的だろう。

私は来るべき地球防衛の戦闘に備え、自宅の前の畑にやって来た蝶を片っ端から銃撃した。

しかし、蝶を狙ったBB弾は時々近所の家に飛び込んで、そこの住民に命中。

「お宅の長男に狙撃されてる」と、その住民から苦情を受けた両親にまたしてもシメられ、エアーガンを取り上げられてしまった。

自宅での自主戦闘訓練を封じられた私だが、やはり独自にやるのではなく、ある程度専門的な機関に所属する必要を感じるようになった。

すなわち自衛隊だ。

ちょうど中学三年生で将来の進路をある程度目星をつけるべき時期に差し掛かっていた私は、とりあえず中学卒業後は一旦普通科高校に行くこととして、高校卒業後には自衛隊に入隊することを学校での三者面談で宣言。

志望動機を聞かれたが、理由はもちろん「異星人と戦うため」だ。

「自分の将来なんだから真面目に考えろ」と両親も担任教師も激怒したが、

人類防衛の大義に燃える私の信念はいささかも揺るがなかった。

将来自衛隊に入隊することを決めていた私だったが、一方で今のままの自衛隊では、異星人にまともに立ち向かえないとも感じていた。

円盤を真っ先に迎撃するのは戦闘機だが、その自衛隊の戦闘機F-15Jは、やすやすマッハ10を超す速度で飛ぶ円盤の敵ではない。

海上自衛隊や陸上自衛隊はモノの役には立たないであろう。

ムダ死には御免だ。

だいたい憲法で縛られた自衛隊では、ソ連軍(当時はまだ健在)や中国軍相手でも持たない。

そこで私は他力本願とはいえ、地球上で最強最大の軍事力を誇る米軍に思いをはせるようになった。

だいたい、映画でも異星人の侵略など地球規模の未曽有の脅威に真っ先に立ち向かうのは米軍と相場が決まっている。また、現実にも、そうなるであろう。

矢追純一のUFO特番でもやっていたが、米国は異星人と密約を結ぶ一方で、万が一の対決に備えて円盤を宇宙空間で迎撃するための『スターウォーズ計画』を策定するなど、日本政府が及びもつかないようなことをやってのける国なのだ。

米国なら、何か考えてくれているに違いない。

そしてその頃、ずっとベールに包まれていた米国の最新兵器がプレスリリースされた。

ステルス戦闘機F-117ナイトホークである。

それは後に、実は攻撃機であったことがわかるのだが、私はその従来の軍用機とは一線を画するF-117の未来的な形状を一目見て、対異星人戦用の兵器だと確信した。

これの主武器はきっとレーザーガンで、宇宙空間だって飛べるはず。

速度マッハ5くらい出してもおかしくはなさそうだし、最低でも空中静止は堅いと

だが私の期待むなしく、F-117はレーザーガンどころか爆弾しか積んでおらず、宇宙空間は飛べないし空中静止もムリ、速度だってマッハ1すら出せやしない。

円盤との空中戦どころか、既存の戦闘機とドッグファイトしたら返り討ちに遭ってしまうことが分かった。

取り柄はレーダーに映らないことで、それは爆撃される側にとって相当ヤバいことなのだが、その時には、そんなことに思いもよらず大いに失望した。

画期的な兵器であることは私が高校一年生の時に起こった湾岸戦争で証明されたが、迎撃を受けることなく爆弾を落とすだけでは、異星人の相手になりそうもない。

人類は終わりだ、と絶望した。

そんな私だったが歳を重ねていくうちに、私の中で中二病たる異星人への恐怖は徐々に消え、地球防衛の大義のために自衛隊へ入隊するという情熱もどこかへ失せていった。

同時に、あの時の自分は何と無意味で恥ずかしいことに時間と労力を費やしてしていたのか、という常識的な反省ができるようには一応なれた。

だが成人して、久しい現在でもその後遺症は残っているようである。

画期的な新兵器が開発されて出現するたびに、それは地球上の軍隊や武装勢力ではなく、異星人相手にどこまで通用するかということを、この年齢になってもついつい考えるからだ。

軍事技術に限っては、私の目線は地球上だけではなく、地球外にも向いてしまっている。

私の中二病は、まだ完治していないということだ。

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奪われた修学旅行2=宿で同級生に屈辱を強いられた修学旅行生

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本記事中に出てくる人物の名前は、全て仮名となります。

修学旅行の第一日目早々、もっとも楽しみにしていたディズニーランドで他校の不良少年たちにカツアゲされて金を巻き上げられた私は、放心状態でランド内を歩き回っていた。

集合時間までまだ時間があったが、ショックのあまりとてもじゃないが、他のアトラクションを楽しもうという気にはなれない。

そして、もうランド内にいたくなかった。

私は、集合場所であるバス駐車場に向かおうと出口を目指した。

誰でもいいから自分の学校、O市立北中学校の面々に早く会いたかった。

たった一人で他の学校のおっかない奴らに囲まれて恐ろしい目に遭わされたばかりで、その恐怖が生々しく残っていた私は、見知った顔と一緒になれば、多少安心できるような気がしたからだ。

何より、さっきの不良たちもまだその辺にいるかもしれず、それが一番怖かった。

だが、カツアゲされたことだけは、絶対に黙っておこうと、心に決めていた。

私にだって、プライドはある。

恰好悪すぎるし、教師や親、同級生に何やかやと思い出したくないことを聞かれたりして、面倒なことになるのはわかりきっていたからだ。

踏んだり蹴ったり

「コラ!オメーどこ行っとったー!!」

出口目指してとぼとぼ歩いていた私の後ろから、甲高い怒声が飛んできた。

私が本来一緒に行動しなければいけなかった班の長・岡睦子だ。

班員の大西康太や芝谷清美も一緒にいる。

さっきまで自分の学校の面子に会ってほっとしたいと思っていたが、実際に会ったのがよりによってこいつらだと、気分が滅入ってしまった。

そんな私の気も知らないで、岡は鬼の形相で、なおも私に罵声を浴びせてくる。

「勝手にどっか行くなて先生に言われとったがや!もういっぺんどっか行ってみい!先生に言いつけたるだでな!」

「わかったて、もうどっこも行かへんて…」

女子とはいえ柔道部所属で170センチ近い長身、横幅もそれなりにある大女の岡は、さっきのヤンキーに負けず劣らす迫力がある。

一方で、中学三年生男子のわりにまだ身長が150センチ程度で貧相な体格だった当時の私は思わずひるんで、岡に服従した。

しかし、何で再び脅されねばならんのか。

もうバスに戻りたかったのに、岡たちはまだ、ランド内から出ようとせず、私を引っ張りまわした。

それも、お土産を買うとか言って、ショップのはしごだ。

岡も芝谷も、ああ見えて一応女子なので、買い物にかける時間が異様に長く、ショップに入るとなかなか出てこない。

有り金全部とられて何も買えない私には、苦痛極まりない時間であるが、班を離れるなと厳命されているので、外でおとなしく待っていた。

男子の大西は早くも買い物を済ませたらしく、商品の入った袋を両手に外へ出てきて「女ども長げえな、早よ済ませろて」とぶつぶつ言っている。

私もお土産を買う必要があるが、もう金は一銭もない。

それにひきかえ、大西はお菓子だのディズニーのキャラクターグッズだのずいぶんいろいろ買っている。うらやましい限りだ。

「えらいぎょうさん買ったな、金もう無いんちゃうか?」

ムカつくので、少々皮肉っぽいことを言ってやったら、大西は自慢げに答えた。

「俺まだ1万円以上残っとるんだわ」

何?1万円だと?今回の修学旅行では持ってくるお小遣いは、学校側から7千円までというレギュレーションがかかっており、私はそれを律義に守っていた。

だが、大西はそれを大幅に超える金額を持参してきていたということだ。

畜生、私も律義に7千円枠を守るんじゃなかった。いや、それならそれでさっきのカツアゲで全部とられていただろうが。

「そりゃそうと、おめえは何も買わんのかて?」

「いや、俺は…」

カツアゲされて金がないとは、口が裂けても言えない。

そうだ、大西から金を借りられないだろうか?こいつとはあまり話したことがないが、金を落としてしまったとか事情を話せば、千円くらい都合つけてくれるかもしれない。

何だかんだ言っても同じクラスだし、同じ班なんだ。

「あのさ、俺、財布落としてまってよ…金ないんだわ」

「アホやな」

「そいでさ、千円でええから…貸してくれへんか?」

「嫌や」

にべもなかった。1万以上持ってるなら千円くらいよいではないか!

「頼むて。何も買えへんのだわ」

「嫌やて、何で俺が貸さなあかんのだ?おめえが悪いんだがや、知るかて」

普段交流があまりないとはいえ、大西の野郎は想像以上に冷たい奴だった。頼むんじゃなかった。

結局、ぎりぎりまで女子の買い物に付き合わされたが、集合時間前にはディズニーランドのゲートを出て、我々は時間通りバスの停まっている集合地点までたどり着いた。

他の面々は皆充実した時間を過ごせたらしく、買ってきたお土産片手に、あそこがよかったとか、あのアトラクションが最高だったとか盛り上がっている。

「もう一回行きたい」とか話し合っており、「もう永久に行くものか」と唇をかんでいるのは私だけのようだ。

そんな一人で悲嘆にくれる私に、更なる追い打ちがかけられた。

「おい!お前、単独行動したらしいな!」

私のクラスの担任教師、矢田谷が、私をいきなり大声で怒鳴りつけてきたのだ。

話に花を咲かせている生徒たちの話が止まり、好奇の視線がこちらに注がれる。

どうやら岡から私が班行動をしなかったことを聞いたらしく、完全に怒りモードだ。

この矢田谷は陰険な性格の体育教師で、一年生の時からずっと体育の授業はこいつの担当だったが、私のような運動神経の鈍い生徒を目の敵にして人間扱いしない傾向があり、これまでも、何かと厳しい態度に出てくることが多かった。

そんな馬鹿が不幸にも私のクラス担任になっていたのだ。

「いや、俺だけじゃないですよ、俺以外にも勝手に班を離れた人間は他にも…」

「先生は今、お前に言っとるんだ!言い訳するな!!」

クラス一同の前で、ねちねちと怒鳴られた。

なぜ私ばかり?私以外にも班行動しなかった者はいたのに!

私は再び涙目になった。

神も仏もないのか。どうして立て続けに、嫌な目に遭い続けなければならないのか?

私は今晩の宿に向かうバス内で、わが身の不運に打ちひしがれていた。

通路を挟んで斜め向かい席では、元々一緒に行動しようと思っていた中基と難波がまだディズニーランドの話を続けている。

彼らは一緒に行動してたようだ、私を置いてけぼりにして…。

そして頼むから「カリブの海賊」の話はやめて欲しい、こっちはリアルな賊にやられたばかりで心の傷がちくちくするのだ。

「おい、お前どうかしたんか?」

私の横にクラスメイトの小阪雄二が来た。

一番後ろの席に座っていたのに私のいる真ん中の席まで来るとは、どうやら私が落ち込み続けている様子に気付いていたらしい。

だが、私は十分すぎるほど知っている。こいつは私の身を案じているのではなく、その逆であることを。

それが証拠にニヤニヤと何かを期待しているようないつものムカつく顔をしている。

二年生から同じクラスの小阪は他人の災難、特に私の災難を見て、その後の経過観察をするのを生きがいにしているとしか思えない奴だ。

私が今回のようにこっぴどく先生に怒られたり、誰かに殴られたりした後などは真っ先に近寄ってきて、実に幸福そうな顔で「今の気分はどうだ?」だの「あれをやられた時どう思った?」などと蒸し返してきたりと、ヒトの傷に塩を塗りたくるクズ野郎なのだ。

「別に何でもないて!」

「何やと、心配したっとんのによ!」

嘘つけ!ヒトが怒鳴られて落ち込んでいる顔を拝みに来てるのはわかってるんだ!

しかし、奴の関心は別のところにあった。

「お前、財布落として金ないって?」

「何で知っとるんだ?関係ないがや!」

大西の野郎がしゃべりやがったんだな!

隣に座る大西は小阪と以前から仲が良く、私を見て口角を吊り上げている。

同じ班なので、バスの席も近くにされていた。前の座席には岡と芝谷も座っている。

「お前、ホントはカツアゲされたやろ?」

「!!」

「おお、こいつえらい深刻な顔しとったでな。ビクビクしとったしよ」

大西も加わってきた。気付いていたのか?

「ナニ?ナニ?おめえカツアゲされとったの?」

前の席の岡と芝谷までもが、興味津々とばかりに身を乗り出してくる。

やばい、ばれてる!ここはシラを切りとおさねばならない!

カツアゲされたことがみんなに知られて、いいことなど一つもない。

修学旅行でカツアゲされた奴として、卒業してからも伝説として語り継がれるのは必定。

それに、こいつらを喜ばせる話題を提供するのは、最高にシャクだ!

被害に遭った後、被害者が更に好奇の視線にさらされるなんて、まるでセカンドなんとかそのものじゃないか!

「されとらんて!落としたんだって!」

「ホントのこと言えや。おーいみんな!こいつカツアゲされたってよ」

「されてないっちゅうねん!」

「先生に知らせたろか?ふふふ」

小阪らの尋問及び慰め風口撃は、バスが今晩の宿に到着するまで続いた。

修学旅行生の宿での悪夢

我々O市立北中学校一行の修学旅行第一日目の宿泊地は、東京都文京区にある「鳳明館」。長い歴史を持ち、全国からやってくる修学旅行生御用達の宿だ。

なるほど、かなり昔に建てられたと思しき重厚な外観と内装をしている。

カツアゲに遭っていなければ、私も中学生ながら感慨にふけることができたであろう。

建物の前に立っている

低い精度で自動的に生成された説明
鳳明館

実はこの宿に関して、旅行前からちょっとした懸念材料があった。

ぶっちゃけた話、私は普段の学校生活で嫌な思いをさせられていた。

それも、冗談で済むレベルではない。

トイレで小便中にパンツごとズボンを下ろされたり、渾身の力で浣腸かまされたりのかなり不愉快になるレベル、即ち低強度のいじめに遭っていた。

その主たる加害者である池本和康が、同じ部屋なのだ!

おまけに、小阪や今日最高に嫌な奴だとわかった大西も同室で、あとの二人も悪ノリしそうな奴らであるため、一緒に一つ屋根の下で夜を明かすのは、危険と言わざるを得ない。

部屋割りはこちらの意思とは関係なく、旅行前に担任教師の矢田谷とクラス委員によって一方的に決められており、その面子が同室であることを知った時は、そこはかとない悪意を感じざるを得ず、私は密かに抗議したが、陰険な矢田谷の「もう決まったことだ」という鶴の一声で神聖不可侵の確定事項となっていた。

もっとも、その宿に到着した頃、私の精神状態はカツアゲの衝撃でショック状態が続いていたため、旅行前に感じた部屋に関する懸念については、部分的に麻痺していた。

同じ部屋の面子のことなどもうどうでもよい。今日出くわした災難に比べればどうってことないと。

ちなみに、夕飯を宴会場のような大きな座敷で食べた後は入浴の時間だったが、私はあえて入らなかった。

いたずらされるに決まっているからだ。

実際、二年生の時の林間学校では、やられていた。

同じ部屋の連中が風呂に入ってさっぱりして帰って来た時、私はもうすでに敷かれていた布団に入っていた。

今日はもう疲れた、もう寝よう。明日になれば少しは今日のことを忘れられるだろうと信じて。

しかし、私はこの時全く気付いていなかった。

本日の悲劇第二幕の開幕時間が始まろうとしていたことを。

とっとと寝ようと思ってたが、消灯時間になっても眠れやしない。

小阪や池本、大西及びあとの二人も寝ようとせずに、電気をつけたまま、ジュースやスナックの袋片手に話を続けていたからだ。

「やっぱ、前田のケツが一番ええわ」

「ええなー、池本は前田と同じ班やろ?うちのはブスばっかだでよ」

「小阪ンとこはまだええがな、うちは岡と芝谷だで。あれんた女のうちに入らへんて」

話題はもっぱらクラスの女子の話で、言いたい放題、時々下品な笑い声を立てる。

女子に関してなら私も多少興味があったので、目をつぶりながらも聞き耳を立てていたが。

しかし彼らはほどなくして、私の話を始めやがった。

「ところで、あいつカツアゲされとるよな、絶対」

「ほうやて、泣いた後みたいな顔しとったもん」

いい加減しつこい奴らだ。

だが私に関する話題は続く。

「そらそうと、あいつ今日風呂入って来なんだな。せっかくあいつで遊んだろう思うとったのに」

やっぱり池本は何かするつもりだったんだ。風呂に入らなくて正解だ。

「あいつってムケとるのかな?」

大西がここで、突然嫌なことを言い出した。

「なわけないやろうが、毛も生えてへんて。俺、林間学校で見たもん」

小阪の野郎!言うなよ!

つい前年の林間学校の風呂場で、小阪は私の素朴な下半身を散々からかってくれたものだ。

彼らの会話がどんどん不快な方向に発展しつつあった。カツアゲのことを蒸し返されるのもムカつくが、私の下半身の話も相当嫌だ!

「なあ、そうだよな!あれ?おーい。もう寝とるのか?」

どうしてヒトの下半身にそこまで興味があるのかこの変態どもは!誰が返事などしてやるものか。こっちはもう寝たいんだ!

私は断固相手にせず、タヌキ寝入り堅持の所存だったが、池本の恐ろしい一言で考えを変えざるを得なかった。

「ほんなら、いっぺん見たろうや!」

何?!それはだめだ!私の下半身は、その林間学校の時から変わらないのだ!

「おもろそうやな」「脱がしたろう」他の奴らも大喜びで賛同し、一同そろって私のところに近づいてくる。

私は思わず布団にくるまり、防御態勢を取った。

「何や、起きとるがやこいつ。おい、出てこいて」

「やめろ!」

五人がかりで布団を引きはがされた後、肥満体の池本に乗っかられ、上半身を固められた。

「おら、脱げ脱げ」と他の奴が私のズボンに手をかける。

「やめろ!やめろて!!やめろてえええ!!!」

私は半狂乱になって抵抗し、声を限りに叫ぶが、彼らの悪ノリは止まらない。

畜生!何でこんな目に!

前から思っていたが、うちの両親はどうして反撃可能な攻撃力を有した肉体に生んでくれなかった!

五体満足の健康体な程度でいいわけないだろ!

私がなぜか両親を逆恨みし始めながら、凌辱されようとしていたその時だ。

ドカン!!

入口の戸が乱暴に開けられる音が室内に響き渡り、その音で一同の動きが止まった。

そして、怒気露わに入ってきた人物を見て全員凍り付いた。

「やかましいんじゃい!!」

その人物はスリッパのまま室内に上がり込むなり凄味満点の声で怒鳴った。

我がO市立北中学校で一番恐れられる男、四組の二井川正敏だ!

やや染めた髪に剃り込みを入れた頭と細く剃った眉毛という、私をカツアゲした連中と同じく、いかにもヤンキーな外見の二井川は、見かけだけではなく、これまで学校の内外で数々の問題行動を起こしてきた『実績』を持つ本物のワル。

池本や小阪のような小悪党とは貫禄が違う。

「何時やと思っとるんじゃい?ナメとんのか!コラ!!」

そう凄んで、足元にあった誰かのカバンを蹴飛ばし、一同を睨み回すと、池本や小阪、大西らも顔色を失った。

もう私にいたずらしている場合ではない。

どいつもこいつも「ご、ごめん」「すまない、ホント」と、しどろもどろになって謝罪し始めている。

ざまあみろ!池本も小阪も震え上がってやがる。さすが二井川くんだ!

普段は他のヤンキー生徒と共に我が物顔で校内をのし歩き、気に入らないことがあると誰彼構わず殴りつけたりする無法者だが、二井川くんがいてくれて本当によかった。

災難続きのこの日の最後に、やっとご降臨なされた救い主のごとく後光すらさして見えた。

この時までは…。

「さっき一番でかい声で“やめろやめろ”って叫んどったんはどいつや!!」

え?そこ?夜中に騒ぐ池本たちに頭に来て、怒鳴り込んで来たんじゃないの?

「あ…ああ、それならこいつ」

池本も小阪も私を指さした。二井川の三白眼がこちらを睨む。

「おめえか、やかましい声でわめきおって!コラァ!」

二井川は私の胸ぐらをつかんで無理やり引き立てた。

「え、いや、だってそれは…」

大声出したのは、こいつらがいたずらしてきたからじゃないか!おかしいだろ!何で私なのだ?そんなのあんまりだ!!

「ちょっと表へ出んか…、お?こいつ何でズボン下げとるんや?」

「ああ、それならさっき、こいつのフルチン見たろう思ってさ、脱がしとったんだわ」

矛先が自分には向かないと分かった池本が喜色満面で答えると、二井川からご神託が下った。

「そやったら、お前。お詫びとして、ここでオ〇らんかい

「え…いや、何で…!」

「やらんかい!!」

魂を凍り付かせるような凄絶な一喝で私は固まってしまった。

「おい、おめーら!こいつを脱がせい!」

「よっしゃあ!」

凍り付いた私は、二井川からお墨付きをもらって大喜びの池本たちに衣服をはぎ取られた。

終わった、私の修学旅行は一日目で終わってしまった。

飛び入り参加した二井川を加えた一同の大爆笑を浴び、当時放送されていた深夜番組『11PM』のオープニング曲を歌わされながらオ〇ニー(当時はつい数か月前に覚えたばかり)を披露する私の中で、修学旅行を明日から楽しもうという気力は完全に消失していった。

絶頂に達した後は、カツアゲされたショックも矢田谷に怒鳴られたことなど諸々の不快感も吹き飛んだ。

明日からの国会議事堂も鎌倉も、あと二日もある修学旅行自体もうどうでもよくなった。

私の中学生活も、私の今後の人生までも…。

そんな気がしていた。

おまけに次の日、国会議事堂見学の時に昨日のショックでふらふら歩いていた傷心の私は、二井川の仲間で同じくヤンキー生徒の柿田武史に「目ざわりなんじゃい!」と後ろから蹴りを入れられた。

谷田谷の野郎は、担任なのに知らんぷり。

それもかなり不愉快な経験だったが、その他のことについて、昨日までのことで頭がいっぱいとなっていた当時の私が、二日目からの修学旅行をどう過ごしたか、あまり覚えてはいない。

初日にさんざん私で遊んだ池本たちは、二日目の晩にはもうちょっかいをかけてこなかったが、彼らと私との間で時空のゆがみが生じていたことだけは確かだ。

「ああー帰りたくねえな」と彼らはぼやき、「まだ帰れないのか」と私は思っていた。

失われた修学旅行

修学旅行が終わって日常が始まった。

ディズニーランドでカツアゲされたことは明るみにならなかったが、あの第一日目の宿「鳳明館」で私が強制された醜態は池本たちが自慢げに言いふらしたことにより、私は卒業するまでクラスの笑い者にされた。

修学旅行で起きたことは、もちろん親にも話さなかったし、高校進学後の三年間、誰にも話せなかった。

時間というものはどんな嫌な記憶でもある程度は消してくれるものらしいが、私の場合、三年間では半減すらしなかったからだ。

高校時代に中学の卒業式の日に配られた卒業アルバムを開いたことがあったが、中に修学旅行の思い出の写真ページがあり、二日目の国会議事堂前で撮ったクラスの集合写真に写る私自身が、あまりにもしょっぱい顔をしているので、見ていられなかった。

卒業文集の方も読んでみたら、池本と小阪がいけしゃあしゃあと修学旅行の思い出を書いていたのには、思わずカッとなった。

池本の思い出にいたっては題名が『仲間と過ごした鳳明館の夜』だ。

私にとって悪夢だった修学旅行にとどめを刺した第一日目の宿の思い出を、主犯の一人である池本は、かゆくなるほど詩情豊かに書いてやがった。

そこには私も二井川も登場せず、ディズニーランドの思い出や将来について、小阪や大西らと部屋で語り明かしたことになっている。

「僕はこの夜のことを一生忘れない」と結んだところまで読み終えた時、私はまだ少年法で保護される年齢だったため、他の高校に進学した池本の殺害を本気で検討した。

そうは言っても、時間の経過による不適切な記憶の希釈作用が私にも働くのはそれこそ時間の問題だったようだ。

大学に進学した頃には他人に話せるようになっていたし、何十年もたった今では『失われた修学旅行』などと笑って話せるまでになっている。

もっとも、未だに中学校の同窓会には一度も参加したことがないし、どんなことがあっても東京ディズニーランドにだけは行く気がせず、ミッキーマウスを見ただけで殴りたくなるが。

しかし、今となってはあの修学旅行であれらの出来事があったからこそ、今の私があるのかもしれない。

どんなに調子が良くても「好事魔多し」を肝に銘じ、有頂天になって我を忘れることがないように自分を戒め、慎重さを堅持することこそ肝要としてきた。

今まで大きな災難もなく過ごせてきたのはそのおかげだと、今の自分には十分言い聞かせられる。

中学の卒業アルバムを今開いてみると、三年二組の担任だった矢田谷、宿で私をいたぶった池本、小阪、大西たち、そして四組の二井川の顔写真は、コンパスやシャープペンシルで何度もめった刺しにされて原型を留めていない。

中学卒業後の高校時代の自分がやったことに、思わず苦笑してしまう。

これではどんな顔をしていたか、写真だけでは思い出すことはできないが、しばらくすると中学校時代が部分的にリプレイされ、徐々にだが彼らの顔が頭に浮かんでくる気がする。

そして、私をディズニーランドで恐喝したあの他校のヤンキーたち一人一人も。

時が過ぎて、はるか昔になってしまえばどんな出来事もセピア色。

三十年後の今では中学時代のほろ苦くもいい思い出に…。

いや!そんなわけあるか!

やっぱり2021年の今でもあいつらムカつくぞ!!

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奪われた修学旅行 = カツアゲされた修学旅行生

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本記事中に出てくる人物の名前は、全て仮名となります。

中学校生活で最高のイベントといえば、修学旅行を挙げる人は少なくないだろう。

私はその中学校の修学旅行を、気が早すぎることに、まだ小学校六年生の頃から楽しみにしていた。

小学校での修学旅行先は京都・奈良であり、一泊二日とあっという間であったが、11歳だった私には、旅行先での瞬間瞬間が非常に充実しており、それまでの人生で最良の二日間だった。

旅行先の宿でクラスメイトたちと過ごした一夜は、家族旅行では味わうことができない鮮烈な体験であったことを、今でも覚えている。

当時の私

旅行から帰った後の私は、修学旅行ロスとも言うべき症状に襲われ、配られた思い出の写真を見ながら、もう二度と来ることのないその瞬間を脳内でリプレイしようと努めては、タメ息をついていたくらいだ。

同時に、私は中学校の修学旅行に思いをはせるようになった。

同級生のうち、中学生以上の兄や姉がいる者から聞いたところ、中学の修学旅行は二泊三日だという。

たった一泊二日の小学校の修学旅行でも、あれだけ楽しかったのだ。単純計算で、倍以上の楽しさになるだろうと確信していた。

しかし、その時は全く予想していなかった。

その中学の修学旅行が、これまでの人生で最もひどい目に遭った体験の一つとなり、「好事魔多し」という鉄の教訓を、私に生涯刻み込むことになるであろうことを。

待ちに待ったその日

中学に入学した時から、私の心は二年後の修学旅行にあった。

早く三年生になって、修学旅行当日を迎えたかったものだ。

そんな私の期待を、いやがうえにもさらに高めた知らせを耳にした。

私が入学した年、三年生の修学旅行の行き先は関東方面で変わらなかったが、第一日目の目的地が、何とあの東京ディズニーランドになったというのだ。

教会の塔

自動的に生成された説明
ディズニーランド

私の期待は、一年生の時点で早くも暴騰した。

これはきっと最高の思い出になるに違いないと確信し、いよいよ三年生になるのが待ち遠しくなった。

そして、短いような長いような中学校生活も二年が過ぎ、晴れて中学校三年生となった1989年の5月20日、私は夢にまで見た修学旅行初日を迎えた。

それまでの中学校生活はこの日のためだったと言っても、過言ではない。

前日、修学旅行へ持参するお菓子を、学校で定められた千円の範囲内でいかに好適な組み合わせで購入すればよいかと、スーパーでじっくりと選んでいたために、帰宅が遅くなったものだ。

きっと明日から始まる三日間は、人生で最も幸福な時間となり、終生忘れることなく、何度も思い出すことになるだろう。

私はその日、そう信じて疑わなかった。

そして迎えた修学旅行当日は、私の通うO市立北中学校に集合し、バスに乗って東海道新幹線の駅へ。

そこからは新幹線に乗って、最初の目的地・東京へは一直線だ。

新幹線の中では、クラスの皆はお菓子を食べたり、トランプをやったり、意味もなく動き回ったり、私を含めた三年二組全員は、これから始まる輝かしい時間に誰もが胸躍らせ、車内に期待が充満していた。

新幹線はあっという間に愛知県を越えて静岡県に入った。

浜名湖を超えて天竜川を過ぎて、富士山の雄姿を拝みながら、そのまま一路東に向かい、普段の退屈な学校生活とは全く異なる得難い極上の非日常を味わいながら、三島、熱海、小田原、そして新横浜に到達。

やがて多摩川を越えて東京都に達すると、今まで見たこともない大都会に入ったことを実感した。

ビルの大きさや市街地の質が自分たちの知っている最も大きな街、名古屋市を凌駕しているのだ。

テレビでしか見たことがない東京を実際に目の当たりにした我々は圧倒された。

東京駅に到着すると、そこからはバスに乗って最初の目的地、東京ディズニーランドに向かう。

車中では、私を含めたクラスメイトたち誰もが旅の疲れなどみじんも見せず、これからが本番だと興奮していた。

ディズニーランドへの道中は、窓の外がいかにも東京という光景の連続に目を奪われ続けたため、あっという間に到着してしまった印象がある。

昼食は外の景色を見ながら移動中のバスの中で摂り、待ちに待った約束の地に到達したのは正午過ぎ。

広大なディズニーランドの駐車場でバスを降りて一刻も早くランド内に突撃したかった我々だが、いったん集合させられ、学年主任の教師である宮崎利親から、長ったらしい注意事項を聞かされた。

宮崎が、いつもの論理破綻した冗長な説明において何度も強調したのは、班行動厳守。

所属する班を離れて班員以外の人間と、又は単独で行動してはならないということだ。

そうは言っても、私は自分の所属する班に不満だった。

なぜなら、班長の岡睦子は、私の好みからは程遠い容貌の上に、気が短く口うるさい女。

もう一人の女子、芝谷清美はクラスのカーストで底辺に位置するネクラな不可触民的女子。

男子の大西康太とは、同じクラスになったのは小学校から通算して初めてだし、少々気が合わないところもあって、普段からあまり話す仲ではない。

こんな奴らと一緒でどう楽しめと?

私は班から離脱することを、とっくに心に決めていた。

だが、その決断が後の災難の大きな要因になることを、この時点の私はまだ知らない。

入口ゲートをくぐると、もう教師たちの統制は効かない。

班は、大体男女二人ずつの四人を基本構成としているが、わが校の制服を着た男ばかり三人や女ばかり五人、或いは男女のペア等の不自然な組み合わせが、あちこちで出現し始めた。

皆考えることは同じなのだ。

私もしない手はないではないか。

我々の班は、独裁的な班長の岡の一存で最初に「シンデレラ城」、次に「ホーンテッドマンション」に行くことになっていたが、私は移動のどさくさに紛れて離脱に成功、別行動を開始した。

本当は、同じクラスで気の合う中基伸一や難波亘と行動を共にする手はずになっていたが、あまりにも人が多すぎて、彼らがどこへ行ったか分からなくなった。

今から思えば携帯電話のない時代の悲しさだ。

そうは言っても、私は一人であることを幸いに、自由自在にアトラクションを回ることができた。

「カリブの海賊」、「ビッグサンダーマウンテン」に「空飛ぶダンボ」等々、ジェットコースター系を好む私は「スペースマウンテン」に三回も乗った。

屋外, 草, 車, 座る が含まれている画像

自動的に生成された説明
ビッグサンダーマウンテン
建物の前の飛行機

低い精度で自動的に生成された説明
スペースマウンテン

「ホーンテッドマンション」やショーなど見てても、退屈なだけだ。

「シンデレラ城」など論外、班長の岡の感性に支配された班と行動を共にしていたら、そういった退屈なアトラクションやショッピングばかり行く羽目になっていたはずで、こんなに満喫はできなかったであろう。

私は、自分の果敢な実行主義を自画自賛しつつ、自分好みのアトラクションを渡り歩き、小腹がすくとソフトクリームやポップコーンを買って小腹を満たした。

ディズニーランドの食べ物はどこも割高であったが、心配はない。お小遣いはたっぷりもらっているのだ。

しかし、調子に乗って食べ過ぎて、もよおしてきてしまった。

幸い、トイレはすぐ近くに見つかった。

この差し迫った緊急事態を回避するためにそのトイレに入ると、さすが天下のディズニーランド。床で寝ても平気なくらい清潔だ。

しかもありえないことに、私以外に人がいないのがありがたい。私は心置きなく個室の一つに飛び込んだ。

そして、修学旅行が楽しかったのはこの時までだった。

今考えても無駄だが、なぜよりによって、このトイレを選んでしまったのだろうか?

このトイレこそ、有頂天の私を奈落の底へと突き落とす悲劇の舞台となったのだから。

悪魔たちとの遭遇

ちょうど個室に入ってドアを閉めて、一安心したのと同時だった。

下卑た大声が外から聞こえたのだ。

「お、誰かウンチコーナー入ったぞ!」

誰かに入るところを見られたようである。

声からして私と同じ中学生くらいだと思われたが、その声に聞き覚えはないため、きっと他の学校の修学旅行生だろう。

しかし、ウンチコーナーだと?

私のいた中学校では大便をするということ自体がスキャンダルになるため、外にいるのが自分の学校の人間でないとみられることに一瞬ほっとしたが、それは大きな間違いだった。

「おい出て来いよ」

「ちょっと顔見せろ!」

などと言ってドアを叩いたり蹴ったりで、かなり悪質な連中なのだ。

そんなこと言ったって、こっちはもうズボンを脱いで、便座に腰掛け、大便を始めている。

だが、彼らの悪ノリは止まらない。

「余裕こいてウンコしてんじゃねえよ」

「お、中の奴、今屁ぇこいたぞ」

「おい!いつまでケツ吹いてんだ?紙使い過ぎなんだよ!」

何なのだ、こいつらは?余計なお世話ではないか!

ヒトの排泄の実況中継や批評まで始められるに至って、私のいらだちは頂点に達した。

ドンッ!!

私は「うるさい」とばかりに、内側から個室のドアを思いっきり叩いた。

音は思ったより大きく響き渡り、外の連中の茶化す声が一瞬静まり返る。

私の強気にビビったのか?

いやいや、その逆だった。

「ナニ叩いてんのオイ!」

「俺らと喧嘩してえのか?!」

「引きずり出すぞ!ボケ、コラ!!」

彼らは、先ほどよりずっと大きな声で威嚇しながら、ドアをより強く蹴飛ばし始めたのだ。

まずい、怒らせてしまった。

そして、さっきから思っていたことだが、外の奴らは悪質も悪質、ヤンキーなのではないのか?やたらとドスが利いたガラの悪い口調である。

ならば、断固出るわけにはいかないではないか!

私はパニックになりながらも、まずは外に何人いるのか確認するのが先決だと判断。

この個室にはドアと床の間に隙間があったため、私はその隙間から外を偵察することにした。

清潔だとはいえ少々抵抗があったが、手をついて、床とドアの隙間に顔を近づける。

が、相手も外の隙間から中をのぞこうとしていたらしい。

それがちょうど私が顔を近づけた場所と向かい合わせで、至近距離で私と相手の目と目が合ってしまった。

「うわ!」

「うおお!」

私も驚いたが、外の奴もかなりびっくりしたらしい。中と外で同時に驚きの声を上げて、顔をそらした。

「中にいる奴、宇宙人みてえなツラしてるぞ!」

私は、相手の顔を一瞬すぎて判断できなかったが、外の奴は私の特徴を一方的にそう表現した。

ヒトを宇宙人呼ばわりとは失礼な奴らだ。

しかし、連中の失礼さは、そんなレベルではなかった。

「君は完全に包囲された。無駄な抵抗はやめて出てきなさい」

とか、ふざけたことを言って、タバコに火をつけて、個室に投げ込んできやがった。燻り出そうという腹らしい。

水も降って来たし、借金の取り立てみたく、ドアも連打してくる。

屈してはならない!出て行ったら何されるかわからない!

何より、やられっ放しもしゃくだ。

私は降ってきた火の付いたタバコを投げ返したり、ドアを蹴飛ばし返したりと『籠城戦』を展開した。

どれだけ攻防戦が続いただろうか。まだ水も流せないし、私はズボンもパンツも下ろしたままだ。

籠城戦というより、闇金の取り立てにおびえる多重債務者の気分に近かっただろう。

そのように、ここで一生暮らす羽目になるのではないかとすら、錯覚した時だった。

外の連中とは違う感じの声が響いてきた。

「ちょっと、ちょっと、止めてください。何してるんですか?」

その声がしたとたん、外からの攻撃が止んだ。

ディズニーランドの従業員、通称『キャスト』か!?

そうだろう!いつまでもこんな無法行為を続けれるほど、日本はならず者国家ではない、止めに来てくれたんだ!

「何だよ!中の奴が俺らをナメてんだよ」

「とにかくダメ。こういうことはやめて。警察呼ぶよ」

「中の奴と話させろよ」

「ダメダメ、もういいから出て!」

外で押し問答が続いていたが、ヤンキーどもが折れたようだ。

「わかったよ、行きゃいいんだろ!くそやろーが!覚えとけよ!」と、捨て台詞を吐いて出て行く気配がするのを、ドア越しに感じた。

助かった!さすがディズニーランド、しっかりしてる!これで安心だ。

やっとズボンを穿ける。脱出できる!

恐る恐るドアを開けて外に出ると、外の世界はさっきと同じただのトイレだったが、あの極限状態から脱した後は違って見えた。

異常事態は終わり、日常世界に生還してやった、という歓喜と達成感に満たされていたからだ。

当時のトイレのイメージ

私はトイレの光景を見て、あんな感慨に浸ったことはない。また、今後もないだろう。

同時に他校の不良少年たちの攻撃に耐え抜き、敢闘したという充実感に満たされていた。

これは災難ではあったが、あの勇敢なキャストの助けもあったとはいえ、私の偉大なる勝利だと。

命の恩人たるくだんのキャストにお礼を言うべきだったが、ヤンキー共々トイレ内にはもういないから、別にいいだろう。

とにかくトイレの外に出よう。外では美しい夢の国が待っている。

だが、それは間違いだった。

奴らは出入り口で私を待っていやがったのだ。

夢の国でのひとり悪夢

「このウンコ野郎、やっと出てきやがったか」

そう言って剣呑な目つきで出入り口をふさいでいたのは、ヤンキー漫画のリアル版のような不良中学生七人。

さっきの連中であろうことは間違いないが、剃りこみ頭や染めた髪で、変形学生服を着た本格的な奴らだった。

写真はイメージです

どういうことだ?キャストに追っ払われたんじゃなかったのか?

私は一瞬キツネにつつまれたようにあ然とした。

「ダメダメ!トイレの中へ戻ってください!」

ヤンキーたちの中の一人、眉なしのデブがおどけて言ったその声も口調も、あの恩人だったはずのキャストそのもの。

「オメー、バカじゃねえの?フツーひっかかるか?」

茶髪のヤンキーの一言で、私は彼らの打った猿芝居に、見事に騙されたことを知った。

「そりゃそうとオメーよ、俺らにずいぶんナメたマネしてくれたな」

と、同じ中学生、いや同じ人類とは思えないくらい凶悪な人相のヤンキーたちが私を囲む。

恐怖のあまり穿いていたブリーフの前面が、用を足した直後にもかかわらず尿でじわじわと濡れてきたその時の感覚を、今でも覚えている。

震えあがった私は「え、俺知らないよ」と苦しい嘘をついたが、「オメ―しかいなかっただろう!」と一喝され、トイレの中に連れ込まれた。

二人くらいが、見張りのためか出口を固める。

悪夢の本番が始まった。

床に土下座させられた私は、ヤンキーどもに脅されながら小突き回され、頭を踏まれ、手数料だとかわけのわからない面目で、金を巻き上げられた。

旅行先でのカツアゲに備えて、靴下の下に紙幣を隠すなどの危機管理を行う修学旅行生もいるようだが、当時の私にとってそんなものは想定外であり、財布の中に全ての金があったために有り金全てを強奪された。

私の金を奪った後も、彼らは「殺されてえのか」だの「まだ終わったと思うなよ」などと、私の髪の毛を引っ張ったり胸ぐらをつかんだりして執拗に脅し続け、その時間は、個室に籠城していたよりも確実に長かった気がする。

生徒手帳まで奪われた私は「テメーの住所と学校はわかった。チクったら殺しに行くぞ」と脅迫された。

ヤンキーどもは「そこで正座したまま400まで数えたら出ていい」と命じ、最後に「東京に来るなんて百年早えぞ、田舎者!」と捨て台詞を吐いて、私の頭をかわるがわる小突いたり蹴りを入れてきたりして立ち去って行った。

さっきのようにまだ外にいるかもしれず、恐怖に震えるあまり、涙目の私が律義に400まで数えてから外に出た時には、日がだいぶ傾いていた。

ヤンキーたちは、自分たちの犯行が露見するのを恐れてたらしく、あまりこっぴどい暴行を加えてこなかったが、私の受けた精神的な打撃及び苦痛は甚大だった。

私はまごうことなきカツアゲに遭ったのだ。

カツアゲされた気分は、実際にやられた人間にしかわからないと、今でも断言できる。

おっかない奴に脅され、さんざん小突かれて金品を奪われる恐怖と屈辱は、笑い事では済まないくらいの災難なのだ。

しかも私の場合、ずっと楽しみにしていた修学旅行でそれが起こり、一番楽しいはずの夢の国ディズニーランドで、自分だけが悪夢の真っただ中だったから、なおさらである。

信じたくはなかったが、それは事実以外の何物でもなかった。

こんな目に遭うなんて誰が思うだろう?

はしゃぐのは、許されざる罪だとでもいうのか?

予測できなかった当時の私を誰が責められよう。

ランド内で目に入る客たちは誰も彼も楽しそうにしているため、私は余計に前を見ていられず、下ばかり見て歩いていた。

地面がさっきより暗く見えたのは、日が落ちてきたからばかりではない。

私は半泣きだったため、視界が時々グニャリとゆがむ。

私は修学旅行への期待に胸膨らませていた小学六年生からこれまでの三年近くの年月ばかりか、中学校生活そのものが崩れ去ったように感じていた。

もう、何も考えたくなかった。

こんな不幸に遭うことは、なかなかないはずだ。

これに匹敵する不愉快が、その後も立て続けに起こることは普通ありえない。

だが信じられないことに、私の災難はこれで終わらなかったのだ!

それもこの直後の、この日のうちにだ!

神が私に与えた試練?いや、天罰か。いやいや、嫌がらせとしか思えない。

試練にしては明確に害意を感じるし、ここまで罰されなければいけないことをした覚えもない。

私がどの神の機嫌を、いつどのように損ねたんだろうか?

その神による嫌がらせ第二段の開始時刻が刻々と迫っていることに、この時の私はまだ気づかなかった。 

パート2に続く

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浜田省吾 – 聖地巡礼情報 –

2022年08月05日更新

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浜田省吾の大ファンです。

浜田省吾の住んでいたところは、どこでも行ってみたいと思い、広島に行く度に聖地巡礼してます。

自分の聖地巡礼のために、いろいろと情報を集めています。

ちなみに、こちらの記事で、私が実際に行ったところを公開しています。広島に行く度に更新してます。

2022年5月に、新たな聖地巡礼で北鎌倉へ行ってきました。「紫陽花のうた」の歌の舞台ですね。北鎌倉への聖地巡礼のブログも追加しました。

浜田省吾

1952年12月29日

広島県竹原市で生まれる

浜田省吾生家: 広島県竹原市港町2丁目7番池2号

3歳から

御調郡向島町岩子島(現尾道市)

佐伯郡廿日市町宮内

五日市町(現広島佐伯区)

広島市元宇品(現南区元宇品)

と広島県内で転校を繰り返す。引越しは、18歳までに20近くとか。

9歳の時

江田島の海沿いの町、鷲部に移居。

♪海辺の田舎町〜10才のころラジオから〜

浜田省吾が昔通っていた小学校は、今は図書館になっています。

13歳の時

呉市汐見町に転居

呉市立二河中学に転校

広島県立呉三津田高校に入学

以降は高校卒業まで呉市で育った。

♪この町のメインストリートわずか数百メートル(れんがどおり)、さびれた映画館(呉シネマ(現ポポロシアター))

♪15の時〜通りのウィンドウに〜飾ってあった〜ギターを見た時〜(楽器店&レコード店の公声堂)

大学受験に失敗後

大竹市に転居。

♪溶けたタールパルプの匂いの

♪丘の上幾つもの〜工業地帯の向こう沈んでいく(2号線沿いに立ち並ぶ石油コンビナート・紙パルプ・化学繊維工場)

そして予備校生活

♪予備校の湿っぽい廊下で〜あの娘を見つけた〜(英数学館(現 並木学園=高校)は、広島老舗の予備校)

♪放課後の図書館のロビーで〜(予備校から一番近い市役所の図書館)

  • 予備校(現 並木学園)広島市中区

予備校に行かずにライブハウスFIVEに通っていた(中央通り)。

今後行ってみたいところ

今まで、浜田省吾の住んでいたいろんなところへ行ってますが、歌の舞台になっているところが中心でした。

それ以外にもいろいろと調べてみると情報がありますので、今後は、是非そちらを訪問してみたいと思います。

私の今後の行きたいところのメモです。新しい情報を見つけては、アップデートしています。自分用のメモとして。

尾道市

〒722-0072 広島県尾道市向島町岩子島1306−1

地図は尾道市岩子島農業構造改善センター(旧岩子島小学校)

尾道に住んでいたことまでは知っていましたが、場所までは分かりませんでした。次回の広島訪問時に時間ができたら、再度、尾道へ行ってみたいと思います。再び、尾道で尾道ラーメンを食べてきます。

小学校2〜3年生の時に通った元宇品小学校

場所は広島の最南端、元宇品(宇品島)

「広島の一番海岸べりにひょっこりひょうたん島みたいな島があって、橋で結ばれてるんですけど、その島の丘の上にある学校で・・・」

元宇品の小学校にも通っていたのだとか。小学校は江田島だけかと思ってました。

浜田省吾が広島でライブをやる時は、プリンスホテルに泊まるらしいのですが、昔住んでたところのすぐそばだったからなのかも知れませんね。今度、広島にいく時は、私もプリンスホテルに泊まってみることにします。

竹原市

「西に歩いて2〜3分行くと、「長建寺」というお寺があります。なんでもここの境内で省吾さんは遊んでいたそうです」とのことです。

竹原には、浜田省吾の生家があるということで行ってきましたが、当時、このお寺の存在は知りませんでした。次回、竹原を訪問の際には、ぜひ行ってみたいと思います。

2階からビートルズの曲を流してもらった同級生のせっちゃん家

浜田省吾の同級生のせっちゃんの家も、見に行ってみたいです。これも、次回の広島訪問時の目標です。

これの場所をずっと探していたのですが見つけました。

江田島の省吾が通っていた小学校(現図書館)のもう少し北側です。次回の江田島には言ってみます。

すぐ近くにあの青木病院もありますね。

喫茶サントス

浜田省吾の同級生がやっている喫茶店です。本人も通っていたらしいです。この喫茶店に行くと、昔のアルバムなどを見せてくれるらしいです。

去年、呉に行った時に寄ってみようと思って、店の前まで行ったのですが、サントスは日曜休みなんですね。開いてませんでした。今度、呉に行く時は、ぜひ行ってみたいです。

2021年12月14日に、サントスを訪問しました。

2021年12月14日サントス
2021年12月14日サントス

浜田省吾ファンということを店員に伝えると、中学の時と高校の時の卒業アルバムや雑誌の記事などを見せてくれます。

左側が中学と高校の卒業アルバム、右側が雑誌の記事

こんなものもありました。裏側には、三津田高校の校歌が記載されています。我らの省吾の卒業した年のものですね。

これがおそらく、当時の省吾が書いたものでは?とされています。そう聞くと省吾っぽさが見える気もします。

サントスでは、このオムカレーが定番です。美味しいのですが、めちゃくちゃ量が多いですので、女性の方は気をつけてください。

サントスのオムカレー

特に何もないのは分かってはいるのですが、省吾の住んでいたところがどんなところか知りたくて、五日市と廿日市にも行ってみました。

佐伯郡廿日市町宮内

昔住んでいたと言われる場所の詳しい住所が分かりません。分かったら、再度訪問してみたいと思います。

五日市町(現広島佐伯区)

五日市駅から佐伯区役所まで、ブラブラと歩いてみました。この辺りに省吾は住んでいたのかなあ。

おまけ

東京で浜田省吾ファンの集い(浜省ナイト)をやってます。丘の上の会という名前です。

コロナの影響で、最近は活動ができていませんが、浜田省吾ファン10名くらいと集まり、食事をしながら浜田省吾の話をし、カラオケで浜田省吾を歌ってます。

イベントをやる時は、Facebook に掲載してますので、興味がありましたら、ご連絡ください。

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