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2020年 おもしろ 本当のこと

クリスマスバカ屋敷

「メリークリスマス」

私が終生口にしないであろう言葉だ。

私がそれを言い出したならば、私の体が何者かに乗っ取っられたか、脳に重大な損傷を被ったものと考えて欲しい。

私にとって12月24日や25日は、単なる12月24日と25日以外の何者でもない。

世間ではイブだのクリスマスだのと、それらの日が来る一か月以上も前から騒いでいるが、断固私には関係がないのだ。

もっとも、小学校の頃まではこの時期になると何の疑問も持たずにクリスマスケーキだ、プレゼントだ、とはしゃいでいた。

だが小学校四年生の12月、母親が「今年から我が家にサンタは来ない」と宣言。

理由は父がサンタとモメたからだという。

それ以来我が家にサンタは来なくなり、クリスマスツリーも飾らなくなった。

当時からどう考えてもクリスマスプレゼントでの出費を抑えたい母にハメられたとしか思えなかったが、小学校六年の頃には「そもそもなぜキリシタンが少ない日本にクリスマスが必要なんだろう?」とも冷静に考える母の願いどおりの子供になっていた。

臨済宗妙心寺派信徒の我が家を含め、キリシタン以外の大半の日本人には全く関係がない習慣ではないかと。

だいたい、キリスト教は異教徒をも感服させ得る宗教なんだろうか?

歴史オタクの私は歴史を研究してゆくにつれ、世界史上キリスト教会がどんなことをやらかしてきたか分かってきて、もう無条件にありがたがることができなくなった。

それ自体は素晴らしい教えかもしれないが、あまりにも人類に都合よく利用され続け、血に染まりきっていると感じざるを得ないのだ。

キリシタンがクリスマスを祝うのは当然だし、私に口を出す権利は全くない。

だがキリシタンでもない日本人が、商業主義に毒されたとはいえここまではしゃぐのは実に滑稽ではないだろうか。

そんな思想を小学生の時から持っていた私が大学生の頃のことだ。

この日本原理主義者である私を激しくあ然とさせる屋敷が下宿先近くに存在した。

その屋敷、S村邸は広い敷地に重厚な純和風建築の家屋と見事な回遊式日本庭園を有した、まさに屋敷と呼ぶにふさわしい堂々たる風格を備えていた。

住人は60代の初老の夫妻で、その屋敷に住まうに足る貫禄と品格の持ち主に見えた。

だが、12月になるやその屋敷と住人の高貴な佇まいを完全にぶち壊す有様に変貌する。

クリスマスのイルミネーションで、家屋から庭からギンギラギンに飾り立てるからだ。

あの上流階級然とした趣の夫妻のどちらがやっているかは分からないが、とても同じ人たちのしわざとは思えない。

普段は入園料が取れるほど趣味の良い日本庭園に整えられているのだが(塀が意外に低いので敷地内がよく見えた)、ズレまくったデコレーションがその景観を完全に殺しているのだ。

よく整えられた庭木をすべてクリスマスツリーに改造し、LEDのイルミネーションでぐるぐる巻きの灯篭の上には同じくイルミネーションで緊縛されたサンタ。

同じくLEDの電飾が光る母屋の黒壁をよじ登るのはモチーフライトのサンタの大軍、瓦屋根の上にはトナカイの群れ。

立派な造りの玄関の前には門松がごとくごついクリスマスツリーが置かれ、その脇には巨大なスノーマンが仁王立ちだ。

レイアウト的に見て明らかに何かがおかしく、大きく調和を乱しており、その惨状は派手と言うより悪趣味と言った方がふさわしいカオスぶり。

しかもその照度は某遊園地のエレクトリカルパレードを超越して、パチンコ屋かラスベガスのレベルに達する。

真夜中まで点灯し続けている時もあって、明らかにその一帯の住民の睡眠を妨害しており、その前に自分たちもよくこれで眠れるなと感心するくらいであった。

私は一年生から同じ下宿で暮らしていたが、S村家は毎年12月になると性懲りもなく同じことをしていた。

この凶悪な自己満足に対して、近所の住民は何も苦情を言わなかったのだろうか?

私が大学五年生の夏(留年した)、そんなS村家で不幸があった。

誰かが亡くなったらしく、葬式が行われていたのだ。

12月は奇特で近所迷惑なイルミネーションで家を飾り立てるくせに、葬式はいたってまともだった。

ていうか「あれほど派手にデコレートするからには、さぞかし敬虔なキリシタンなんだろうな」と以前から信じていたが、葬式はコテコテの仏式。

家の塀を黒白幕で囲い、家の中からはコテコテ木魚の音が聞こえて来る。

そういえば毎年12月25日以降屋敷からクリスマスのイルミネーションが撤去されたとたん、玄関にごつい正月飾りや門松が何食わぬ顔で出現してたものだ。

屋敷の規模にふさわしく、参列者も外の花輪も多い大がかりな葬式だったから、慶弔事は決して手抜きしない家のようだ。

後で下宿の大家から聞いたが、亡くなったのはこの家の主人の方らしい。

S村家とは何の交流もないが、ご愁傷様である。

人死なば皆仏、「クリスマスはあんだけやりすぎるくせして葬式は坊さん呼ぶのか」とか心で毒づくのも控えて、一応私も日本人だからそばを通り過ぎながら心の中で合掌しよう。

同時に、こうも思った。

「今年はさすがにイルミネーションやらんだろう」と。 もし主人の方が主犯だったら本人は死んだわけだし、夫婦が共謀してたか夫人の方が主導してたとしてもやるわけがなかろう、日本人ならば身内が死んだのにそんな罰当たりはできるはずがない。

だが、甘かった。

その年の冬

追悼と言わんがばかりに一段と凶暴にド派手なイルミネーションがS村家を覆っていたのだ。

同時に、毎年のイルミネーションは残されたS村夫人のしわざだったことを確信した。

喪に服すべきではないのか?

ある日、私はたまたま近くを夕方に通りかかった時に、相変わらずイタいS村家のイルミネーションにあきれ果てたまなざしを向けてそう思っていた。

「いかがです?きれいでしょう?」

いきなり、後ろから声をかけられてギョッとした。

声をかけてきたのは初老の女性、未亡人となったS村夫人だ。

罰当たりの張本人である。

この見るに堪えないイルミネーションの作者本人は自分の作品にご満悦らしく、私に話しかけた後も満足げにギラギラ光る屋敷を見渡している。

傑作だと、本気で思っている顔だった。

この人の感性と視覚は人類一般とは違う種のものに属すると思わざるを得ない。

だが、「ウケ狙ってんのか?このなんちゃってキリシタンが!」というような本音を、いざ本人に面と向かって言えるわけがない。

どころか反射的に「いやあ、毎年見事ですね」と心にもないことを言ってしまい口が腐りそうになったが、その見え見えの社交辞令に対してS村夫人は耳を疑う返答をした。

「皆さんそうおっしゃってくださるんですよ」

冗談だろ?真実を言える人間は近所にいないのか?

それから夫人は褒められて得意になったのか、このデコレーションについて語り始めた。

何でも自分は幼少から欧米の文化習慣へのあこがれが強く、純洋風の暮らしをしてみたいと思っていたが、亡くなった主人のこだわりで自宅もこのような純和風の造りになってしまったという。 それを主人は申し訳なく思ったのか、代わりに12月だけは好きに家を飾らせてくれるよようになったらしく、夫人の暴走が始まった。

そして自身が目指すテーマがあるらしく、それは極上の「和洋折衷」だと真顔で力説。

そういう経緯でこの「洋」が「和」の息の根を完全に止めた異次元空間が出現したのか、とも言い出せない私は我慢して夫人の電波話を拝聴し続ける。

最初は家の中だけにしていたが、だんだんと庭や屋根も飾るようになり、今ではこんなに「華やかでゴージャス」になったんだそうである。

毎年自分が設計した家や庭の実際の飾りつけや撤去は業者を雇ってやらせているとのことで、どうりで毎年突然イルミネーションが出現して、25日以降突然消えるわけだ。

だが、語っているうちに

「私の趣味に理解を示してくれた主人に報いるためにも、今年は一段ときらびやかにしたんです」

と夫人は涙ぐみ始めたりして、私はどう反応すればよかったのだろうか。

また、独立して家を出た息子や娘はそろって「みっともないからいい加減にしてくれ」と言ってるらしく、一応子供は真人間に育ってるみたいなので少し安心したりもした。

しかし、子供たちに反対されていても「私は決してやめませんよ」と断言。

「学生さんのように楽しみにしてくださる方がいらっしゃる限り続けます」

と、私に向かい目を輝かせて決意表明されるにおよんで同好の理解者と認識されたことが分かり、甚だ遺憾である。

「もう来年のレイアウトも考え始めているんですよ」とも語り、私もさっさと帰るべきなのに迂闊にも色々質問を発してしまったりして、イルミネーション談義の泥沼にはまり込む。

どうもS村夫人は天然爆裂のキャラのようでいて、話す相手に本音とは違う心にもないことを言わせる話術とオーラの持ち主らしい。

最後に

「来年はもっと素敵にしますから、楽しみにしてくださいね」

と解放してくれたが、私は「来年卒業です」と言いそびれて

「すごく期待してます」

と答えてしまい、崩壊寸前の自身の信念に自らとどめを刺してしまった。

翌年、幸いにも無事大学を卒業できて下宿を引き払ったため、名物S村家の名物のイルミネーションを拝まされることはなくなった。

だが、12月になると今でもあののS村家のカオスなイルミネーションが目に浮かぶ。

あんだけケバケバしかったんだから嫌でも目に焼き付いてしまっている。

とは言え、実際に話したS村夫人は不思議系でシュールな人だったが、イルミネーションのセンスの悪さと独りよがりな芸術家肌ぶりを除けば人柄の良い人物ではあった。

あのキャラを思えば、度を超えて勘違いしたイルミネーションも今となっては懐かしい。

二十年以上前の90年代後半のことだが、まだお元気だろうか?

まだご存命で、変わらず屋敷をS村夫人ワールドにしていたならちょっとうれしい、わざわざ見に行く気は全くないけど。

もしお亡くなりになられていたならば、来世は誰憚ることなくクリスマスではしゃげるアメリカあたりの敬虔なキリスト教徒の上流家庭に輪廻転生できることを願っている。

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2020年鎌倉の旅

うっかりコーヒーをこぼして、図書館で借りた本を汚してしまった。

返却日、その本を図書館の返却箱に黙って入れてシレーっと帰ろうとしたが、職員に見破られて逃走を阻止され、弁償する羽目に。

『大人の遠足BOOK 鎌倉・湘南・三浦ウォーキング』、1650円なり。

ちょっと汚しただけなのに、あんまりだ。

本屋で買うと高くつきそうなのでアマゾンで探したが新品しかなく、結局本屋で購入して図書館に持って行った。

私の手元に汚してしまった『大人の遠足BOOK 鎌倉・湘南・三浦ウォーキング』が残った。

自分が悪いとはいえ、結構シャクである。

この元は断固取らなければならない、せっかくだからこの本をフル活用するべきだ。

そういうわけで、私は汚染された『大人の遠足BOOK』に記載の神奈川県鎌倉市を目指して、自宅の東京都から250㏄のバイクを走らせている。 私は位置情報ゲーム『ケータイ国盗り合戦』のヘビーユーザーだ。

鎌倉には、まだ未制圧の地域が多いからちょうどよい、とも自己暗示をかけて。

鎌倉はご存じ名所旧跡の宝庫だが、あまりじっくり見たことがない。

いい印象がないからだ。

最初に鎌倉を訪れたのは、中学校三年生の修学旅行の第二日目。

中学の修学旅行と言えば、楽しいことだらけの一生の思い出になるはずで、小学校六年生の時から楽しみにしていた。

だが、三年間待ちに待った修学旅行の初日、最初の目的地『東京ディズニーランド』で、他校の不良中学生に因縁を付けられ恐喝された。

それだけでもかなりの悲劇なのに、その日の宿で同じ部屋の奴らにパンツを脱がされてカイボウされるわ、翌日の国会議事堂見学では同じクラスのヤンキーに肩がぶつかっただけでどつかれたのに、担任は知らんぷりするわで、踏んだり蹴ったり。

そんな立て続けの災難のショックによる放心状態で、鎌倉の街を歩き回った記憶があるから、楽しい思い出になるわけがない。

だが、今やもう四半世紀以上も過去の話で「怨念の半減期」は、はるか前に過ぎているから、こうして鎌倉の街に落ち着いて来ることができる。

だが、ちょっと本を汚しただけなのに、冷酷に弁償を請求してきた図書館職員への「逆恨みの半減期」は、まだ先の話なので、道中頭をよぎりっぱなしだった。

私が住む町から鎌倉までは地味に遠く、到着したのは正午過ぎ。

最初の見学地は、13世紀建立の円覚寺だ。

と言っても、あまり綿密に計画も立てずに旅行する私の常で、たまたま最初に目についたのが円覚寺だったということである。

だが、円覚寺はバイクで来る人お断りらしく、駐車場はあっても、バイク駐輪場はない。

よって路肩に駐輪せざるを得なかった。

「駐禁とられたらどうしよう」とか「近所の元気者に壊されてたらどうしよう」とかの不安を抱えながら、競歩のように境内を歩き回っての見学を強いられた。

次の目的地、建長寺は円覚寺からほど近い場所にあり、しかもバイクを停めてもよい駐輪場を備えた懐の広い寺院だ。

やっと落ち着いて見学できる。

建長寺は、臨済宗建長寺派の大本山、1253年)の創建で開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆であるため、総門・三門・仏殿・法堂などの主要な建物は大陸的に中軸上に並ぶ伽藍配置をしている。

その中でも三門・仏殿・法堂は重要文化財であり、他に国の史跡及び名勝に指定されている建長寺の方丈庭園は禅宗庭園独特の趣が…。

もう帰ってもいいだろうか?

私は位置情報ゲームにはまっているし旅行も結構好きだが、生来外出するとすぐ帰りたくなる性格で、こうしてはるばるやって来て名所旧跡を前にしても、心は自分の家にある。

寝床から1000メートル以上離れると、ストレスを感じるのだ。

だから遠くの博物館でも遺跡でも到着しただけで満足し、いつもサッと見てサッと出て来てしまう。

そして帰ったら帰ったで「なぜもっとじっくり見なかった?」と、死ぬほど後悔している。

今回も歴史は繰り返した。

異例の早さで建長寺の見学を終わると、次の目的地とした報国寺は一応無理やり行ったが、鎌倉は他にも見どころがあるにもかかわらず、自宅への望郷の念にもう堪えられなくなっていた。

『ケータイ国盗り合戦』のエリアもあまり攻略できなかったが、もういいだろう。

さっさと飯食って帰ろう。

せっかく鎌倉来たんだから鎌倉らしいものを食べるべきだが、鎌倉の飲食店はどれもやや高めなのにひるんで、帰り道で適当に何か食べることにした。

鎌倉から国道1号に入り、その沿線の某ラーメン店に入る。

しかし入った店は「まずい」「出てくるのが遅い」「少ない」「高い」の四冠王で、「店内が汚い」「店員の態度も横柄」というタイトルまで保持した極悪店。

昼飯時を過ぎて客が少なかったのに、何で出てくるのに二十分もかかって、『昔ながらの醤油ラーメン』一杯900円なのだ?値段だけは未来志向か?

後味が悪いモノ食わされて高い金とられ、時間までロス、おまけにその後、道に迷った。

余計イラつきながら帰りを急いでいたら、後ろからサイレンの音。

「はい、そこの多摩ナンバー○○-○○のバイク停まりなさい」

白バイだった。

一時停止違反で点数二点引かれて、罰金6000円なり!

さんざんな日帰り旅行だ。

思えば、コーヒーで汚した本を弁償させられたのがシャクで、どうせならその本を思いっきり活用しようと思って出かけたんだよな。

その挙句、貴重な時間を使って罰金取られて、損害が倍増しだ。

でも一方で、今回は修学旅行の時に見れなかった建長寺や報国寺も見ることができた。

それに、あまりエリアは攻略できなかったが今まで未踏だった神奈川県三浦・湘南地方にも進出できた。

悪いことばかりじゃないじゃないか。

そう冷静になって、よーく考えてみた。

しかし冷静になればなるほど、どう考えてもプラスマイナスで言ったら、明らかなマイナスだったという結論しか導き出せない。

得られたはずのプラスが得られず、避けられたはずのマイナスも余計に被っている。

だからやっぱり、

出かけなきゃよかった!!

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相談を殺す者たち

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悩みごとや困ったことがあって人に相談したはいいが、解決にならないどころかその相談相手の言うことに腹が立ったり、却って悩みがより深刻になったりしたことはないだろうか?

そりゃ、確かに悩みを抱えた人間の相手をするのはめんどくさい。

でも、せっかくこっちが苦しい胸の内を吐露しているのに、ボケたような返答をされたり、余計にガチャガチャにされたりすると腹が立たないか?

今まで何人もそういう奴に出くわしてきた。

みみっちい性格の私は、時々思い出してはムカッと来る時があって、今日はどうしても我慢ができないので、特にタチが悪かった奴を告発してやる。

●ケースその1―中学の同級生・K原Y之―

こいつは、二十年以上経った今でも本当に頭にくる。

K原は中学の同級生で、お互い別々の大学に入学してからもよくつるんでいた男である。

中学時代から、自分に興味がない話は明らかにスルーしていることが多かった気がしていたが、長年の付き合いだからと心を許して悩みを打ち明けてしまった私も愚かだった。

あれは私が前から狙っていた後輩の女子生徒にコクって、けんもほろろに断られたことを、居酒屋で一緒に飲んだ際に愚痴った時だった。

私の愚痴がまだ終わらないうちに、K原は「オレが今付き合っている彼女なんだけどさ…」といきなり自分の彼女のことを語り始めた。

最初、自分の場合どうやって付き合うようになって、その経験から私の場合ならどうすればよかったかを分析しようとしてくれてるのかと思った。

だが、その彼女と普段どこへ遊びに行くかとか、自分にベタ惚れだのセックスの相性はサイコーだの、いつまでたってもおのろけ話が終わらない。

そして、いつの間にか元カノについて話がおよび、更にその前の彼女やらナンパして食った女も含めて、今まで二十人以上経験したとか、聞き流すのがだんだん限度になり始めた直後で、「まあそんな感じ」と結んだ。

話聞いてたか?私のさっきの相談は一体どこ行った?

「そんな感じ」で話は終わったようだが、今の話はどう私のためになったんだ?

相談を自慢で返してくるとは思わなかった。

そん時は他にも人がいたので怒りを奇跡的に我慢したが、本当に腹が立ったのは就職活動の時だ。

当時は就職氷河期真っただ中で、私は八月になっても内定をもらえず焦っていた。

そして、よりによって私は再びK原を相談相手にしてしまった。

その日、我々二人は居酒屋に入り、酒席で私は自分の苦境を打ち明けた。

私:「Nネットワークもダメだったし、この前受けたS工業も今日不合格の通知が来た、もう後がない。どうしよう?夏休みなのにまだ休めない」

K原:「俺はPアプリケーション株式会社の内定もらってたけど、W製作所に行くことに決めた。すごくない?夏休みは彼女と韓国に行く」

分かってて言ってんのか?

こいつはひょっとしたら、相談を受けた場合のあるべき対応、はたまた相談という概念自体が脳内に存在しないのだろうか?

長年の付き合いだが、こいつと私の脳内のOSは、ここまで異なるものだったのだろうか?

「あのなあ、そういう話じゃなくて、俺は今…」

「それよりさ、相談に乗ってやってんだから、今日はお前のおごりだからな」

一応相談だということは分っていたらしい。

結論、こいつは私にケンカを売ってる。

その後、私が吼えたため、居酒屋の他の客が静まり、店員が割って入ってくるほど場が険悪になった。

この一件でK原とは断交し、それ以来、連絡は取っていない。当然だろう。

K原は極端な例の一つだったが、相談にならないバカは世の中にまだまだ存在した。

●ケースその2―以前の会社の上司・S山T三―

こいつは最悪。

ケースその1のK原より悪質だ。

S山は私がやっとの思いで内定を取って、最初に勤めた印刷会社の上司である。

「俺は仕事に厳しい人間だ」と、胸を張ってパワハラをしてくる男だった。

身も心もブタそのもので、大した技量もないくせに仕事人風を吹かせ、態度だけは人間国宝。

口ずっぱく「一を聞いて十を知れ」「仕事は目で覚えろ」と、テレパシー受信能力の習得を強制して、ロクに指導もせずに業務を私に押し付け、失敗すると私の責任。

そんな仕事の上でも人間的にも全く尊敬できるところのないS山に、私はそもそも自発的に悩みを相談したことはない。

ではなぜケースとして取り上げたかというと、親見になってることをアピールしたいのか「困っていることがあったら言ってみろ」と、こちらが悩んでいることを白状させたり、困っているであろうことを、相談してもいないのに返答してきたりしたからだ。

しかも、その返答がムカつく!

「なぜ怒られるかわかるか?怒られることをするお前が悪いからだ」
「わからないわからないじゃない。わからなきゃダメだ!」
「お前の悩みなど大したことはない。世の中お前より苦しい人間などそこら中にいる」

そもそも、相談に対する答えになっていない。

それと、「世の中、お前より苦しい人間などそこら中にいる」ってどういうことだ?

じゃあ何か?脱臼した人に、骨折した人はもっと痛いから我慢しろとでも言うのか?父親を亡くした人に、両親亡くした人に比べれば大したことないとでも言うのか?

そして最後に「それじゃあこの先お先真っ暗だぞ、どうすんだお前?まあ知らないけどね」などと結んできたりして、「まあ知らないけどね」なら、いちいち偉そうに言ってくるな!という感じであった。

厳しいことを言ってるつもりだったようだが、こちらとしては相談に答えてやってる風のこき下ろしでしかなく、無理やり悩みを言わされた上に、奈落の底に落とされたとしか思えなかった。

そもそもあの会社での私の悩みは、S山の存在自体だったのだ。

●ケースその3―私の実父―

私の実の父親だから、そりゃあ親見なのは当たり前だし、私のことを考えてくれてるのもわかる。

だが、悩みを相談することによって救われるか救われないかは別問題だ。

この人の良くない点は、相手の話どころか、自分自身が何を話しているかも理解していないのではないか?ということである。

私の話を聞いていないわけではないはずだが、脳内で間違って解釈しているらしく、てんで頓珍漢な返答をしてくるのだ。

タイプ的にはケースその1のK原Y之に近いが、その返答の長ったらしさと内容のカオスぶりが比べ物にならない。

小学校五年の時に、足が遅くてクラスでバカにされてることを相談したら、なぜ「孟母三遷の教え」の話が出てきて、そろばん塾へ通えという結論に至るのか?
高校二年の時に原付免許を取りたいと相談したら、いつの間にか、三角関数の講義と野口英世の偉人伝が始まって、「これからの世界情勢は厳しい」という展開になったのはなぜだろう?

普段から多芸多趣味を誇り、博識を気取っていたからタチが悪い。

自分の息子のことだから真剣だったらしく、話も異様に長かった。

虫歯が痛むから歯医者に行ったはずなのに胃カメラ飲まされ、「水虫があります」と診断されて、目薬を処方されたような気分になる。

小学生の時からこんな調子で、私は大学入学前の時点で、この人に重要な相談をしてはいけないことを悟っていた。

ちなみに恐ろしいことに、この人物の職業は中学校教師であった。

理科担当だったが、あの調子でちゃんと授業になってたんだろうか?

まさか、理科の授業で「ファラデーの法則」を説明してる最中に、「大宝律令」や「徒然草」の話を始めたりしてたんじゃないだろうな。 それか、返答に困る相談をうやむやにして、こちらから取り下げさせる戦術だったのかもしれない。

他にもいろいろと相談してはいけなかった相手に出くわしてきたが、反面教師以外の何者でもない彼らからは、学べることがある。

それは、

悩みや相談は「黙って聞け」

ということだ。

そして

「あまり偉そうにペラペラアドバイスするな」

だ。

他人に悩みを打ち明けられたり、相談を持ちかけられるということは、解決策を求められているというより、ただ聞いて共感してもらいたいという場合もあるのではないだろうか?

それを何とかしてやりたいと思うあまり、何らかのアドバイスを長々としたとしても、それが相手にとって救いとなるとは限らない。

むしろ逆効果であることが多い気がする。

また、そうやって相談されると無意識に自分が偉くなったような気になってしまい、ついつい上から目線で偉そうなことや余計なことを言いたくなってしまうのかもしれない。

そういうマネはあまりにもみっともない。

私は相談してくる人間の話を黙って聞き、話させることによって相手の気分を晴らすというスタンスを取っている。

そして解決策が道理的にも個人的にも明らかだと確信できる事柄に対してのみ、手短に返答することにしている。

卑怯かもしれないが。

だから先日、職場の新入のA川に「彼女がいても、昔から他の女にもついつい手を出しちゃって、今は四股になっちゃって困ってるんですよ」という自慢風相談を我慢して聞いてやった後は、明確かつ手短かに返答した。

「去勢しろ。そうすればもう困らない」

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自分の名前と戦う子供たち

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心愛(ここあ)、空流(くうる)、姫星(きてぃ)、本気(まじ)などなど。

おそらく平成を迎えた頃からだと思うが、自分の子供に日本人らしくないばかりか常識から外れた名前、いわゆるキラキラネームを付ける親が目立ってきた。

私の職場の同僚であるO川秀定もその一人で、来月生まれる予定の息子には「都夢」と名付けるつもりだと嬉々として宣言してしまっている。

A川も含めて、こういう親たちは自分の子供がどんなふうに育つように願っているのだろうか?

そんな名前を付けられるなんて、実に不憫な子だと切実に思う。

私はそんな変わった名前を付けられて成長した人間をリアルに知っているからだ。

1975年(昭和50年代)生まれの私の世代にも、現在ほど多くはないが珍妙な名前を背負わされた者がいた。

彼らはその時代において圧倒的少数派、いや異端派ですらある名前ゆえに、いやが応にも目立ち、いわれなき不愉快を感じていたのだ。

高校時代の同級生

高校に入学した時、同じクラスになった同級生は、名前が林五だった。

B原リンゴである。

漢字も読みも正統派の名前が99%超だった昭和49年や50年生まれの同級生の中で、さすがにリンゴという名前の響きは目立つ。

そして、

本人は相当気にしていた。

今でも覚えているが、クラスで最初のホームルームで自己紹介をやった時、林五は「○○中学出身のH原です」と下の名前を名乗らなかった。

なのに、空気の読めない担任は「下の名前は?これ何て読むの?リンゴ?」と心無い問いを発したため、林五は「…リンゴですよ!」と、憮然として答えたものだ。

さらにその後、より心無いクラスメイトたちが大爆笑したため、林五は正にリンゴみたく怒りで顔を赤くして「笑ってんじゃねえ!」と大声を出した。

どうやら両親が『ビートルズ』のリンゴ・スターの大ファンで、身内の反対を押し切って名付けたらしい。

リンゴという名前を付けるなら付けるで、「凛悟」とか「麟吾」とか、画数が多くてそれなりに教養を感じさせる秀麗な漢字でカバーすべきなのに、安易に「林五」である。

これじゃあ小作人の五男みたいじゃないか。

響きだけを優先させたのは見え見えで、他人事ながら教養の程度が分かり易い実に愚かな親である。

ちなみに林五には妹がいて、こちらはB原恵美となぜか正統派の日本人名、兄との落差が際立っている。

林五は大柄で恵まれた体格の持ち主のうえに性格が荒く(ラグビー部に所属していた)、同じ中学出身者によると、小学校の頃から自分の名前をちょっとでもからかう人間は問答無用で制圧してきたらしい。

そして両親をかなり憎悪しており、「親を殺しちゃいけない理由がわからねえ」が口癖。

そんな危険人物は「林五」と呼ばれると瞬時に顔色を変えるため、1年の時、彼を下の名前で呼ぶどころか「リンゴ」という単語自体が禁句となってしまった。

私など「アップル」と言っただけで、林五に胸倉をつかまれたことがある。

浅はかな命名をしたばっかりに息子の根性をひねくれさせ、他人に脅威を与える人間にして社会に放った林五の両親の罪は重い。

中学時代の同級生

林五は性格こそ歪んでいたが、周囲の偏見を沈黙させる能力を有していたからまだましだったかもしれないが。

私が入学した高校には同じ学年にもう一人変わった名前の持ち主がおり、こちらは女子生徒だ。

その名はC西エレナ

漢字ですらない、ダイレクトにカタカナの横文字ネームである。

エレナの存在は、入学当初から主に男子生徒の間で話題になっていた。

ハーフか?それとも外人さん?

気にならずにはいられない名前ではないか!

入学後ほどなくして、エレナが在籍するクラスには、彼女の顔を一目見ようと他のクラスばかりか上級生の男子が殺到したらしい。

私のいたクラスの生徒たちも例外ではなく、はるか遠くの教室まで、勝手に幻想を抱きながら「エレナ詣で」に出かけて行った。

だが、彼らはがっかりしながら戻ってきた。

実物はあまりにも名前との乖離が激しかったからだ。

実際のエレナ本人はスタイルも顔も典型的な日本人、チンチクリンでずんぐりむっくり体型をした大福顔で、ハーフどころか帰国子女でもない。

戦前の農村あたりによくいたタイプの佇まいで、スカートよりモンペが似合いそうなくらい地味な女の子だった。

名前も「和子」とか「敏子」どころか、「お七」や「お駒」あたりが妥当ですらある。

その容貌に対してエレナという名前は、遺伝子学的に著しく不適切だった。
彼女の両親は「エレナ」という洋風の名前を付けさえすれば、成長の過程で突然変異が起こるとでも思ったんだろうか?

その暴挙に対して、責任を追及したい気分だった。

本人の責任では決してないが、それが当時、エレナを初めて見た時の私の偽らざる印象である。

その後、3年生になって、私はエレナと同じクラスになった。

直接話したことはあまりなかったが、ある時期の席替えでエレナの席が私の前になったことがあり、休み時間になると時々エレナの友達たちがおしゃべりをしに来るようになった。

その会話から、エレナは仲間内で「レナ」と呼ばれていることを知った。

また、名前には似合わないが容貌にふさわしく古典が得意で英語を苦手としており、信仰する宗教は仏教の臨済宗妙心寺派、好物はあんころ餅と草餅だとのこと。

趣味嗜好は典型的どころか、鎖国していた江戸時代の町人の娘レベルの日本人ぶりだ。

ある日のおしゃべりで、友達の一人がエレナの名前のことを口にしたのが耳に入った。

「レナの名前ってさ、すごくきれいだよね」

「やめてよ~、全然気に入ってないんだから」

「外人さんみたいでいいじゃん」

その顔のどこがエレナだ、とかしょっちゅう言われるんだよ?私のせいじゃないのに!」

やはりエレナも自分の名前を気にしていた。

その後の会話で、どうやら母親の方が独断で命名したらしいことが分かった。

何でも、昔からあこがれていた外国人スーパーモデルの名前が「エレナ・何とかコフ」で、それが由来だという。

タチの悪い母親だ。

「そんなんで自分の娘の名前決めるなっての!自分と、自分の旦那の顔見りゃどうなるか想像つくだろうが!まともな名前つけろよ、ウチのバカ親!!」

エレナもしゃべっているうちに興奮してきたらしく、毒説を吐きまくっていた。

その後、エレナの愚母をこの目で拝む機会が訪れた。

進路指導のための三者面談で私と母親が面談を待っていた時、私たちの次の順番がエレナ母娘だったため、廊下で一緒に待つことになったのだ。

エレナ母は、娘をそのままエイジング処理したらこうなる、というぐらいそっくりで、ずんぐりしたドングリ体型なんぞ同じ型でハメたように一致する。

遺伝形質に対して挑戦的な命名を娘に強行した張本人は教育熱心でもあり、待っている最中、進路に関して学業成績の悪いエレナに、あれこれ小言を言っているのが聞こえた。

そんな母親に対し、エレナは「もう分かってるっての!」「しつこいよ、ホント!」と終始いらだち反抗的に応答していた。

思春期という事情もあるだろうが、親子仲が良好ではなさそうだった。

そんなこんなで高校を卒業したが、その後、林五にもエレナにも会ってないから彼らがどういう人生を歩んだかは分からない。

その名前について、今はどう思っているかも知らない。

変な名前やキラキラネームを付けられた子供全てがそうなるとは限らないだろうが、思春期の彼らを見た限りでは自分の名前を気に入っていた様子はなく、そのおかげで大きな悩みを抱えていた。

そういった悩みは一過性のもので、成長の糧になることもあるんだろうか?

だが、一生のうち必ず味わわなければならない悩みでもないだろう。

できることならば、そんな無用な苦しみは味わわせるべきではないはずだ。

親の願望を子供の名前に託すのはいいが、思わずからかいたくなる名前になっていないかよく考えよう。

だから、A川秀定くんよ。

今度生まれる子供に「都夢」って名前つけるのやめた方がいいぞ。

君にも林五やエレナの話をしただろう?

戦国大名みたいな自分の名前が悩みだったからって、トムって名前つけられた息子はそれとは別種で、より深刻な悩みを持つかもしれないんだからな。

え?「都夢」はトムじゃなくて、ドムって読むのか。

いや、そりゃあ目立つだろうけど、人気者とは限らんよ。

それに自分の願いは、林五やエレナの親ほどチャラくないだって?

じゃあ、どうチャラくないってんだ?

何々?ほうほう。

なるほど、

『機動戦士ガンダム』のジオン軍のモビルスーツである『ドム』のような強い男になって欲しいという願いを込めてこの名前に…。
よけいタチ悪りィわ!!

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2020年 おもしろ 中二病 料理

元柿泥棒です

ついこないだまで暑くてかなわなかったと思ったらもう11月、季節はもう晩秋。

実りの季節、食欲の秋である。

食欲の秋の味覚と言ったら、私は柿を真っ先に思い浮かべる。

故郷の実家で暮らしていた頃は、柿に不自由したことがなかった。

近所の蒲山さんという半兼業農家の庭に大きな柿の木が何本もあり、我が家は毎年柿をお裾分けしてもらっていたからだ。

その柿の木のうちの二本は蒲山邸の塀近くに生えており、枝が塀を越えて道路側までせり出しているため、たわわに実った柿に手を伸ばせばすぐに届く。

中学2年生の頃からシーズンにその下を通り過ぎると、いつも半自動的に私のズボンのポケットには柿が入っていた。

勝手に失敬していたからだ。

黙っていてもお裾分けしてくれるのにこんな悪事を働いていたのは、柿の熟度への私独自のこだわりからである。

柿が一番おいしいのは完熟になる直前より前、ほんのり甘く果肉が固いくらいの熟度のものであると、このころから確信していた。

それより前や後はダメだ。

人間の年代で換算すれば、高校2年生から大学1年生くらいまでが好ましい。
つまり十代後半。

私はそれぐらいが、柿の食べごろだと今でも思っている。

あのまだ固く、出し惜しみ恥じらうような甘さこそがたまらないのだ。

だからそれを過ぎた柔らかい柿は無理だし、ましてや干し柿なんて論外!

成熟した色気や美魔女なんて認めない。

あくまで柿の話だからね、柿。

18歳、私的食べごろ

ところがくだんの蒲山さんがお裾分けしてくれる柿は、私的適齢期を大きく越えているものばかりなのだ。

人間の年齢だと25歳以上くらいが平均で、三十路を超えた年増まで混じっている。

祖母や両親には好評だったが、思春期の私の食指は動かない。

20代後半、ド完熟
40代後半、過完熟で発酵中

とんでもないことをしていたと今では反省しているが、その時は「食べごろをくれない方が悪い」とばかりにシレーっと柿泥棒を働いていた。

蒲山家の柿をいただく時は、一撃必殺がマストだ。

何食わぬ顔で柿の木まで近づく間までに標的を定め、柿がたわわに実って下までしなった枝の下まで来た瞬間に手を伸ばし、両手を使って瞬時にもぐ。

気分はまるで、大戦中B29を迎撃しに向かった戦闘機「飛燕」のパイロットそのもの。

もぐのに失敗した場合はそのまま通り過ぎ、深追いはしない一撃離脱戦法を取っていた。

むろん、前後に誰かの目が光っていないか確認するのは言うまでもない。

あの時の感覚は今でも覚えており、実家に帰省して蒲山さん宅近くに行くと、いつもあの興奮が罪悪感と共によみがえる。

このように戦利品が得られたら、家に帰る前に全部食べてしまう。

証拠を隠滅し、完全犯罪を果たすためだ。

私は柿を切って食べない、どころか皮も剥かない。

そのままワイルドに皮ごと丸かじりである(さすがにヘタやタネは食べないが)。

これは多分に、我が家の習慣によるものだ。

子どもの頃から、祖母が柿をおやつに出してくれた時は、いつもそのまま出てきた。

他の果物、リンゴや梨などは律義に皮を剥いて切って出してくれるのに、柿だけは、なぜかそのままなのだ。

祖母によると、昔からこうしてたとのこと。

祖母の息子である私の父も何の疑問も持たず、そのまま柿をかじっていたし、母もそれになじんでいた、

人様のお宅で柿をごちそうになった時、リンゴや梨と同じく皮を剥いて切られて出てくると「何もそこまでしてくれなくてもいいのに」と思うくらい、私の中では常識である。

皮あっての柿なのだ、皮なしの柿など柿ではない。

私にとっての皮なしの柿は、女子高生フェチの男性にとって制服を着ていない女子高生と同…。

かなり不快な喩えをして申し訳ないが、私にとって皮のない柿がどんなものか、わかる人には十分わかっていただけたものと信ずる。

こうして私は中学校を卒業するまでバレることなく、二年連続秋になると違法な柿狩りをしていたが、それを知らないであろう蒲山さんは、毎年柿をお裾分けし続けてくれた。

高校生になってから、何てことしたんだろうと思うようになって現在に至る。

高校を卒業して大学生になった頃、蒲山家の柿の木は家の増築により残らず伐採されたため、柿のお裾分けはなくなった。

私は上京して故郷を離れたが、帰省した際には時々、お土産を蒲山家に持って行く。

罪滅ぼしのつもりなんだが、まだ中学生の頃柿を盗んでいたことは告白していない。

蒲山さん夫妻も80代のお年寄りだ。

今年こそ謝罪しよう。

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2020年 おもしろ 中二病 料理

『カルビーポテト丸』の衝撃

『カルビーポテトチップス』を無性に食べたくなる発作が時々起こる。

食べたくなるのはもちろん『うすしお味』。

幼少の頃から親しんだ、単純だが安定感のあるあの味だ。

私の中で『カルビーポテトチップスうすしお味』を上回るポテトチップは存在しないし、今後も現れないだろう。

ポテトチップの永遠不変の決定版であり、

スナック菓子における『スーパーカブ』か『AK47』的存在だとすら思う。

この“『カルビーポテトチップス』を無性に食べたくなる発作”だが、

『カルビーポテトチップスうすしお味』を食べれば当然症状は収まる。

だが、発作を鎮めたとしても後に残るのは充足感ではなく、後味の悪い満腹感だ。

やはり、健康に対して好ましいものでは決してないからな。

この発作を抑えるための療法のおかげで最低5年くらいは健康寿命が縮んでいるはずで、 「余分なカロリーを摂取してしまった」「また無駄金を使ってしまった」などと気に病む精神的副作用も深刻である。

それでもこの発作は何の前触れもなく急激に発症し、

私はその度に即効性のある対症療法を施してしまっている。

最近、そんな私の急性発作を激しく誘発し、重症化させる写真をネットで発見してしまった。

それはこれである。

カルビーポテト丸!

何というまんまであろうか!!

これを初めて見た時は勤務中だったが(たまたま息抜きに検索しただけだ)、まんますぎて問答無用で食べたくなったために職場を抜け出してコンビニに行ってしまった。

この文章を書いている現在もポテトチップスを食べながらである。

じゃなきゃ、何の症状も発現させずに冷静に書けやしない。

私と同じ症状に苦しむ方々の中にも、これを見て発作を起こしている方は少なくないことだろう。

このカルビーポテト丸、むろん車両や原油を運ぶ船ではない。

文字どおりカルビーポテトチップスの原料となるジャガイモを運ぶことを主任務とする馬鈴薯運搬船なのだ。 同船の貨物室はジャガイモを運ぶために断熱構造や換気・空調設備を有し、定温輸送する能力を持つ。

毎年夏から冬にかけて、産地である北海道の十勝港からカルビーの工場のある広島港又は鹿児島県の谷山港に向けてジャガイモを輸送している。

現在のカルビーポテト丸は三代目で、所有者はエヴァラインという海運会社となり、船名は『ポテト丸』に改称された。

『ポテト丸』はコンテナに積んだジャガイモを約850トン輸送可能で、

オフシーズンにはプラントなどジャガイモ以外の貨物も運んでいるが、主な荷主はもちろんカルビーで、ジャガイモ運搬が本分であることに変わりはない。

『カルビー』という枕詞こそ消えたが、『ポテト丸』だけでも十分殺し文句である。

この文章を書いている途中でも、ソッコーで一袋開けてしまった。

私の重症化してしまったこの病、東洋医学的に根本から治す必要があるようだが、カルビーポテトチップスうすしお味も食べられない辛い後半生を送るつもりもない。

完治させる必要もないだろう。

対症療法をも含めた併用療法で対処し、病と適度に共存もいいじゃないか。

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2020年 おもしろ 悲劇

芳しき昭和的趣味と子供の将来

牛乳瓶のフタの収集という趣味をご存じだろうか?

乳飲料はガラス瓶に充填され、紙製のフタでシールしているものが主流だった昭和の時代、少なからぬ小学生がその牛乳瓶のフタをコレクトしていた。

1975年(昭和五十年)生まれの私も小学校時代の一時期はまった一人だ。

牛乳瓶のフタなど一見すると単なる廃棄物だが、乳製品は数多の銘柄や種類があって、フタのデザインも様々である。

何十種類も集めて並べて眺めてみると、実に壮観で目を見張る。

私の学校でのブームはずっと続いたわけではなく、私が二年生の時の数か月ほどだったが、あの時の牛乳瓶のフタを求め続けたむさぼるような感覚ははっきり覚えている。

○○牛乳、△△コーヒー、×△フルーツだの乳製品の名前を耳にしただけで、45歳の今でも当時の情熱を思い出して私の心はときめく。

当時学校でも友達の家でも皆、自分のコレクションを自慢し合ったりしたものだ。

そんな中でも、私の近所に住む一学年上の上田唯という少年は誰も持っていないようなレアもののフタを大量に保有する断トツのコレクターで、皆から仰ぎ見られていた。

大人になった今から思えば、あの当時の上田も我々も子供ながら非常にみみっちくつまらないことにこだわっていたものだ。

だが他の子供たちより多くコレクションを充実させることができた上田こそ、実は将来の星であったと今では思う。

彼はこの牛乳瓶のフタの収集において、将来世渡りに有利となる才覚を発揮していた点がいくつか見受けられるからだ。

まず、レアものを数多くゲットしていたからには、行動力が抜きんでていたと考えられる。

行動力は社会的成功を収めるための必須の要素の一つ、それなくしては遊びも仕事も始まらない。

どこに行けばそれがあるかを察知する注意力、情報収集能力もあっただろう。

また、上田は自分で探すだけでなく他のコレクターとの交換によってもレアものを入手していたから、交渉能力にも長けていたに違いない。

なおかつ交換ではなく他人からの純粋な譲渡によってもコレクションを入手しており、それは上田が粗末に扱ってはいけない人間と見做されていたからであって、人間的な魅力(あるいは迫力)にも富んでいなければできないはずだ。

確かに上田は私を含めた近所の子供たちの間だけではなく、学校の同級生たちの間でもセンターに位置する少年だったと記憶する。

これだけでも、社会生活を営む上で勝者となりうる資質ではないだろうか。

更に彼は他の子に先んじて収集を始めていた。

つまり、いち早く流行をキャッチしていたということだ。

その能力は社会に出てからなお一層有利に働くことは言うまでもないだろう。

もし上田が流行を作り出していた本人だったとしたらなおさらである。

上田は建築用ガラス業者の長男で、成長してからは親の跡を継いで二代目の社長となった。

そして、彼の率いる会社は平成大不況を乗り切ったばかりか、日本経済が縮小する現在でも高度成長期ばりに業績を拡大している。

それを目の当たりにすると、牛乳瓶のフタ集めでの上田はその資質の片鱗を見せつけていたと、今では思えて仕方がない。

一方の私は学校の給食で出てくる牛乳のフタか、近所の牛乳屋でいくらでも手に入るために誰でも持っているものしか持っておらず、コレクションは貧弱だった。

そんな私の貧しいコレクションが一気に豊かになったのは、我が小学校での牛乳瓶のフタ集めがブームとなって何か月も経ったある日のこと。

その日、上田が直々に私を呼び出して、自慢のコレクションを分けてくれたのだ。

それからしばらくしてからも上田は自分のコレクションを私にくれるようになり、しまいには残り全部を譲ってくれた。

何とありがたいことだろう!

垂涎の品々を大量にくれるなんて信じられない!

うれしさのあまり子供ながら「上田君は一生の恩人だ!」と思うくらい感激した。

上田だけではない。

他の有力なコレクターたちも私にコレクションをくれたため、私のコレクションはこの上なく充実した。

家でそれらを眺めて悦に浸った後にやることはただ一つ、友達に自慢である。

このコレクションを見せられたら、誰もがきっとぐうの音も出ないはずだ。

それまで経験したことのない、羨望のまなざしを大いに浴びるに違いない。

私はもらった牛乳瓶のフタを学校へ意気揚々と持って行き、皆に見せびらかした。

「どーだ、すげーだろ」

だが皆の反応は冷淡で、友達の一人にあきれ顔で言われた。

「お前、まだそんなことやってたのか?」

ブームはとっくの昔に終わっていた。

私だけがそれに長いこと気づいていなかったのだ。

私は幼少の頃から世渡りが下手だったようだ。

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2020年 おもしろ 無念

ミスコンにモノ申す

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ミスコンテストに対して大いに不満がある。

『ミス・ワールド』、『ミス・ユニバース』、『ミス・インターナショナル』、『ミス・アース』などの四大ミスコンテストと呼ばれる人類一美しい女性を選ぶ最高峰から、ある地方や学園一を選ぶ程度のものまで、全てのミスコンに対してだ。

そりゃあもちろん出場する女性は、皆それなりにハッとするほどの美女である。

私が不満に思っているのは出場者のレベルに対してでは決してない。

ミスコンテストの画一的すぎる審査基準と方法に対してだ。

なぜ体重別にやらないのか?

ボクシングは言うに及ばず、柔道やレスリング、重量挙げや、はたまたボディビルの大会だって参加選手は体重別で競技を行っている。

ミスコンだって体重や身長による階級制を採用すべきだ

と思うのは私だけだろうか?

女性の美の基準は様々でどれが最高というものはない。

特に体格の違いによる美の多様性こそ認められるべきだと私は思う。

身長150cmくらいの華奢でキュートな女性の美と、身長180cmくらいでモデル体型のセクシーな女性の美とは別物で、かつ対等であってどちらが上ということはない。

それはジャンルの違いか好みの問題だ。

金魚の美しさと錦鯉の美しさが違うのと同じく、どっちも美として評価されて然るべきだろう。

現状でのミスコンに出場する女性の体格は、ボクシングに当てはめるならばミドル級に相当すると私は考えている。

だが、それはおそらく

ボクシング同様、欧米人基準の中肉中背

日本人目線だとスタイルが良すぎて、恐れ多すぎるではないか。

完全に欧米人の標準的審美眼だけに特化した画一的な基準であり、何より多様性に乏しく味気ないことこの上ないと、

美を愛し美の実践者にして美の忠実な下僕を自認するこの私は憤りすら覚える!

そこで私が提案したいのは従来のミドル級に加えて、

ミスコンのライト級やヘビー級の創設、その階級ごとに女王を選ぶことだ。

ウェルター級やクルーザー級など、さらに細分化するとなおよい。

そうすればウェルター級はきっと人類最激戦区になるであろう。

とにかく

ミドル級だけが美女ではないはずだ。

地方や大学程度の大会ならともかく、四大ミスコンなんかあれだけの組織力持ってんだから、やろうと思えばできるだろうが!

想像してみよ!

身長150cm前後、体重40kg未満の歩く人形がごとき各国の最軽量級美女が並ぶ雛壇飾りのようなキュート感充満のステージを!

身長180cm以上体重90kg超の白、黒、黄色、褐色の超重量級美女たちがステージをきしませ、原子力空母のごときド迫力ムチムチ肉厚ボディが目白押しの陣容はきっと壮観、激しくスペクタクル!世界を揺さぶる肉弾無敵艦隊!!

もう誰が優勝しようが関係がない。

胸と下半身を問答無用にときめかせる圧巻の絶景ではないか!

私はひたすら願い続ける。

スーパーヘビー級のミス・ユニバースかミス・ワールド

を拝める日が来るのを。

世界が、特に私が待っている。

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2020年 おもしろ 悲劇 本当のこと 無念

成人失格

私は世の中から煙たがられる喫煙者である。

吸うのは存在自体も煙たがられる私にふさわしい紙巻きタバコで、点火するのは使い捨てライターだ。

かように安っぽい私だが、かつて一度だけ7000円もの大枚をはたいてジッポライターを購入したことがある。

だが、購入後一週間で紛失するという離れ業を演じて発狂、以来もっぱら使い捨てライターを使用している。

ライターも私にふさわしいのかもしれない。

その使い捨てライターだが、ずいぶん前からチャイルドロックなる小癪な装置が装着されるようになった。

そりゃ子供がいたずらして事故が起こるのは断固防ぐべきだと私も思うが、

問題はその解除方法だ。

解除が簡単すぎやしないか?

あの程度のロックだと、多少賢い子供ならば容易く解除してしまうはずである。

子供をナメすぎている。

もちろん40歳過ぎのおっさん盛りで、

成人がやっていいことや入っていい場所はほぼクリアしている成人全開の私には何の問題にもならない。

そう信じて疑わなかった私の大人としての余裕と矜持が木っ端みじんにされたのは、数年前のファミリーマートでのことだった。

そこで買ったライターのチャイルドロックを解除できなかったのだ。

そのライターは着火レバーの下にボルトアクションライフルのボルトのようなレバーが付いており、それがどうやらチャイルドロックらしいのだが、

押し込もうが、捻ろうが、スライドさせようがレバーはピクリともしやしない。

なかなか解除できず頭に血が上った私は、チャイルドロック自体が壊れているのかもしれないと考え、ライターを購入したファミリーマートに引き返して女性店員に詰め寄った。

「このライターのチャイルドロック動かないんだけど」

その店員に全く責任はないのだが、私はイラつくあまり正気を失っていたようだ。

当然ながらあ然としている店員に「やってみろ」とばかりにライターを押し付ける。

「えーと、えーと。私タバコ吸わないんですけどね」

店員はそう言いながらも、私から受け取ったライターのチャイルドロックをいじり始めた。

四十路の私が着火できないんだから壊れてるに違いない。

壊れてなかったとしたら難易度高すぎ、大人までロックしてどうすんだ。

と、その時私は考えていたが…。

「ライターのことはよくわかんな…、あ、ついた!」

何と、タバコを吸わないはずの彼女はものの見事に十秒足らずでロックを解除した。

問題があったのはチャイルドロックではなく、私のやり方だったらしい。

「え、今どうやったの?」

「こうみたいですね。こう、こう」

女性店員は完全にこのチャイルドロックに慣れたらしく、軽快に何度も着火して見せた。

「あ、なーるほどね。いやいやありがとう」

私は鷹揚に平静を装って店を出て、外で先ほど店員が実演したとおりに着火してみることにした。

さっき、レバーを上げてスライドさせてたな、実は簡単だったんだな。

そう思って再現してみようとしたが、レバーを上げることはできてもスライドさせることができない。

「そんなバカな!」とムキになってレバーをガチャガチャやってたら、もげた。

キイィィィィィィ!!!

私は怒りのあまり、死んでしまったライターをごみ箱にシュートした。

くだんのチャイルドロックは子供だけではなく、一部の成人もロックするものだったようだ。

私はもう一度同じものを買って、その際は見事解除して雪辱を晴らそうと考えたこともあったが、これ以降着火レバーを強く押し込むような単純な形式の、三歳以上の人類ならば誰でも解除可能と確信できるものしか買っていない。

チャイルドロックを解除できない成人であったという事実は、私の心に今も暗い影を落とし続けているということだ。

第一、もう一回買ってそれでも解除できなかったら、私の成人としての立場はどこへ行ってしまうんだろう?

それに、あのような形式のチャイルドロックを持つライターを全く見かけなくなった。

これはきっと解除できない成人が続出したからではないだろうか?私以外にも。

…であることを望むが。

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2020年 AWS AWS Solutions Architect - Associate クラウド コンピューター メッセージング 技術一般 認定資格

AWS を学ぶ(24)3つのメッセージングサービス

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AWS には、SNS(Simple Notification Service)、SQS(Simple Queue Service)、SES(Simple Email Service)といった 3 つのサービスがあります。

これらの違いは以下のようになります。

  • Amazon SNS:プッシュ型の通知が得意。メール通知、SMS、モバイルプッシュが可能。要領制限があり、長文メッセージには向いていない。
  • Amazon SES:Eメールでの配信が得意。コンテンツ配信に向いているが、メール以外での配信はできない。
  • Amazon SQS:プル型のメッセージ処理が得意。非同期型のメッセージをキューイングする。

Amazon SNSとは

Amazon SNS(以下、SNS)は、わざわざそのためだけにサーバーを用意しなくても、SNS サービスを利用することで、アプリケーションからの通知を可能にします。ユーザーが何かを行ったタイミングを起点としてで通知するメッセージングを手軽に実現できます。

具体的な通知の例としては、商品が発送されたタイミンングでの発送完了通知や、フリーマーケットで商品が売れた時の通知などがあります。

またこれだけでなく、登録ユーザー全員に一斉告知のメッセージを送るという使い方もできます。

SNSの特徴
  • イベントをトリガーとしてのメッセージ

商品の購入、アカウント情報の変更、コンテンツの更新などの利用できます。

  • モバイル端末へのプッシュ機能

iOS、Android などのスマートフォンに対してプッシュ通知が行えます。

  • セキュリティーを確保

HTTPS API による通信のセキュアな状態を保つことが可能です。

  • サービスとしての利用

前払いや最低料金などはなし。完全な従量課金制で使った分しか支払う必要がありません。

Amazon SES とは

Amazon SES (以下、SES)は、AWS が提供するメールサービスです。メールサーバーをわざわざ用意しなくても、SES サービスを利用すれば、メール配信が可能になります。

具合的な使い方としては、マーケティングメールの配信メールマガジンの配信などがあります。

SES は、導入コストが安いことや、固定費用が掛からず従量課金という点で、企業レベルでの利用だけでなく、個人レベルでの利用にも向いています。

SES の特徴
  • 安い導入コスト

AWS のアカウントとメールアドレス、利用可能なドメインがあれば利用できます。

  • 低価格な料金

固定費用や最低料金はなし、従量課金で利用できます。

EC2 でホストされているアプリケーションからの配信の場合、毎月最初の 62,000 通は無料です。その後でも、1,000 通毎に、0.1 USDしかかかりません。

  • 高い信頼性

SES には、送信したメールが確実に届く様に、信頼性を高める機能があります。送信頻度のコントロールやアドレス偽装対策などです。

Amazon SQS とは

Amazon SQS(以下、SQS)は AWS が提供するキューイングサービスです。アプリケーションの切り離し(疎結合)とスケジューリングといった処理を、AWS のサービスで行えます。

キューとは、メッセージを管理するための入れ物のようなものです。

エンドポイントと呼ばれるURLを介して、キューに入ったメッセージを利用します。

SQS の利用パターン例

  • 一回の処理で許容する処理時間を超過しそうな場合
  • 一度に大量のデータ件数を処理する場合
キューの種類

キューの種類には、以下の 2種類があります。

処理数が優先なら標準キュー、順序が重要なら FIFO キューといった使い方になります。

  • 標準キュー(Stanadrdキュー)

ほぼ無制限のトランザクション数(TPS)を処理します。

ただし、メッセージを受け取った時とは異なる順序で配信されることもあります。また、複数の同じメッセージのコピーが配信されることもあります。

  • FIFO キュー

バッチ処理なしで毎秒最大 300 件、バッチ処理ありで最大3,000件のトランザクション (TPS)をサポートします。また、メッセージが送信または受信された順序が厳密に保持されます (先入れ先出し)。

トランザクション処理は、標準キューより下がります。

SQS 向けの機能
  • 可視性タイムアウト

設定した期間、重複したメッセージ配信が行われないようにする機能

メッセージは、受信しただけでは削除されず、クライアント側からの明示的な削除指示を受けた際に削除されます。そのため、メッセージの受信中に、たのクライアントが取得してしまう可能性もあります。それを防ぐ機能となります。

デフォルトは30秒で、最大12時間まで設定できます。

  • ショートポーリングとロングポーリング

キューからのメッセージ取得の際で、対象のキューがない場合、キューに新規登録されるのを一定時間待つ機能。

待機する(メッセージがある場合にレスポンスを返す)のをロングポーリング、待機しない(リクエストを受け取ると、メッセージがあるなしに関わらず、即レスポンスを返す)のをショートポーリングと呼びます。

デフォルトはショートポーリングになります。

  • デットレターキュー

正常に処理できないデータを別のキュー(デッドレターキュー)に格納する機能

問題のあるメッセージ(処理失敗を1ー1,000回で設定)を分離して、処理が成功しない理由を調べることができるため、デッドレターキューは、アプリケーションやメッセージングシステムのデバッグに役立ちます。

  • 遅延キュー

キューに送られたメッセージを、一定時間見えなくする機能

  • メッセージタイマー

個々のメッセージを一定間隔見えなくする機能

メッセージサイズ

キューに格納できるメッセージサイズの最大は256KBとなります。

大きなサイズのデータを扱う際には、S3やDunamoDBに一旦格納し、そこへのパスやキーといったポインターとなる情報を渡すことで対応できます。

この教材を使って勉強してます。

AWS認定資格試験テキスト AWS認定ソリューションアーキテクト-アソシエイト

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