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死刑確定囚・野比のび太 – 第二十二話・静の怒りと武の苛立ち


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武のいらだちと咆哮

「私、もう限界!」

静香の声が、朝の静けさを破った。

自宅のリビングでコーヒーを飲んでいた武は、新聞を置き、眉をひそめながら静香を見た。

「何がだよ?」

「野比くんのことよ!」

静香は食卓の向こうから一歩近づき、苛立ちを隠そうともせず続けた。

「小学校の時から、あの人のことが薄気味悪いと思ってた。変なこと言ったり、いつも、じっと私を見つめて……私、本当にあの視線が嫌なの!」

武はため息をつき、テーブルに肘をついた。

「静香、お前、それ言い過ぎだろ。あいつも、昔からの幼馴染なんだぞ」

「幼馴染だから何?現場の人たちだって言ってるじゃない!『なぜ、あんな男を雇ったんですか?』って。武だって分かってるでしょ?」

静香の苛立ちはさらに高まり、武の目を真っ直ぐに見据えた。

「何が『助けてやる』よ。あの人不真面目だし、周りに迷惑をかけてるだけじゃないの!」

「分かってる……分かってるよ!」

武は、苛立たしげに声を上げた。

「でもな、放っておいたら、どうなるか分からないだろ?俺たちくらいしか、あいつをどうにかできる奴がいないんだよ」

静香は黙り込んだが、顔にはまだ不満の色が浮かんでいた。

武は視線を逸らし、ため息混じりに言葉を続ける。

「それに……明日からの中国出張が控えてるんだ。こっちもギリギリの状況なんだよ。頼むから、余計なことで俺を煩わせないでくれ」

静香は言い返すことなく、無言でキッチンに戻った。

その背中を見つめながら、武は苛立ちを抑えきれずに頭を掻きむしる。

武の苛立ちは、そのまま会社へと持ち越されたが、火に油を注ぐ事態が待っていた。

倉庫へ行った時、社員たちからの報告で、のび太がまた勤務中にいなくなったというのだ。

「社長、また野比がいません。トイレに行ったっきり戻ってこないんです」

倉庫主任の声に、武は一瞬目を閉じた。

そして、深い息をついて立ち上がると、冷静さを失わないよう努めながら答える。

「分かった。俺が探す」

倉庫の隅々まで見て回るうちに、最初は勉めて冷静にしようとした心が、なかなか見つからない苛立ちによって、だんだん熱くなっていく。

そして、外へ出て自社のビルと隣の会社のビルの間の陰にしゃがみ込んで居眠りしているのび太を見つけた時、もはや限界を超えた。

「のび太!!!」

武の声は鋭く、とてつもない大声であり、眠っていたのび太は飛び起きた。

「な、何……」

寝ぼけた表情ののび太に、武の中の怒りが一気に爆発した。

「ふざけるなよ!!」

武は、のび太の腕を引っ張り立たせると、その場で怒鳴りつけた。

「お前、何やってんだ!ここは遊び場じゃねえんだぞ!!」

のび太は、怯えた目で武を見上げたが、武の怒りは収まらない。

「いいか、周りを見てみろ!みんながどれだけ必死で働いてるか分かってんのか!!お前の態度が、どれだけ迷惑かけてるか……分かってるのか!!」

武の剣幕に、周囲の作業員たちも動きを止め、様子をうかがう。

その怒りは普段穏やかな武を知る社員たちにとっても衝撃的だったのだ。

のび太は、泣きそうな顔をして何度も「すみません」と繰り返したが、武はそれでも怒りを収めることなく言い放った。

「いいか、これが最後だ!次に同じことをしたら、クビにするからな!!!」

武の声が倉庫全体に響き渡り、のび太は、怯えながら小さく頷いた。

その日、のび太は定時まで黙々と働く。

周囲の視線を気にしながら、怒られないようにと、必死な様子が見え見えだったが。

やがて定時になると、逃げるように帰宅した。

しかし、家に帰るとその恐怖が、次第に別の感情へと変わることになる。

「ちょっと休んでただけなのに……なんであんなに怒鳴るんだ……!それもみんなの前で!」

のび太は、暗い部屋の中で独り言を呟いた。

「やっぱり……ジャイアンは見下してるんだ。いや、それだけじゃない……あいつ、わざと僕を雇って、こんな辛い仕事をさせて見せ物にしてるんだ……今日、怒鳴ったのもそうだ!あいつは、昔から僕をいじめて楽しんで……おかげで、僕は何をやっても自信がなくなって……、こんなふうになったのは、あいつのせいだ!」

滅茶苦茶な思考が、のび太の中で膨らんでいく。

「……ジャイアンなんて、いなくなればいい」

のび太の心の中に、とてつもない闇がどす黒く広がっていった。

続く

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死刑確定囚・野比のび太 – 第二十一話・夫婦間の亀裂とのび太の影響


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のび太の逆恨みと夫婦の亀裂

のび太の勤務態度は、日に日に悪化していた。

最初こそ、武が倉庫内での軽作業を割り振り、少しずつ仕事に慣れさせようとしていたが、のび太は全く適応しようとしていなかったのだ。

体力がないのはもちろんのこと、引きこもり生活の長さからか、コミュニケーション能力も乏しい。

作業指示を受けても曖昧な返事しかせず、やがて、現場の作業員たちから厳しい言葉が飛ぶようになった。

「野比、動けよ!荷物が溜まってるんだよ!」

「お前、それでも働いてるつもりか?」

叱責の声にのび太はただ下を向き、やる気のない様子で作業を続ける。

しかし、その態度がさらに現場の反感を買うことになり、次第に孤立してゆく。

一方で、毎日の重労働や叱責により、のび太の心の中では、武への複雑な感情が膨らみ続けていた。

「僕には僕のペースがあるんだ。何でそのペースを尊重してくれないんだ」

「ジャイアンは、なんでこんなところで働かせるんだろう?」

「ジャイアンが僕にこんなつらい仕事をさせるのは、嫌がらせをしたいからに違いない」

「それと、僕をここで働かせることで自分が社長になったことと、静香ちゃんと結婚して幸せな家庭を築いていることを見せつけたいんだ」

現実を正しく見ることができないのび太は、無茶苦茶な屁理屈で武を逆恨みするようになっていった。

その思い込みは日に日に強くなり、のび太は武だけでなく、静香に対しても薄気味悪い視線を送るようになる。

静香が子供たちを連れて会社に顔を出すたび、のび太はじっと彼女を見つめた。

その目には、憧れとも嫉妬ともつかない感情が混ざり合っており、静香は次第にその視線に不安を覚え始めるようになる。

「ねえ、武。なんであんな人を雇ったの?」

夕食の席で、静香が思い切って切り出した。

「のび太か?俺たちの幼馴染じゃないか。助けてやるべきだと思ってさ」

一日の勤務を終えた武は、少し疲れた表情を浮かべながら答えた。

「あの人、現場の評判最悪だよ?それと……私のこといつも変な目で見てくるの。じっと見てきてなんだか怖い」

静香の声には、明らかな警戒心が滲んでいた。

「気にしすぎだろ。のび太だって、まだ慣れてないんだよ」

「違うの。あの目は普通じゃない。何かやりそうで……怖いのよ、本当に」

静香の真剣な訴えに、武も一瞬黙り込んだ。

だが、彼は肩をすくめてこう答えた。

「お前、あいつを悪く見すぎだ。長い間引きこもってたから、ぎこちないだけだろ」

静香は納得がいかない様子で言い返す。

「でも、何かあったらどうするの?私や子供たちに危害を加えるようなことがあったら、どう責任を取るつもり!?」

その言葉に武は少し声を荒げる。

「のび太はそんなことしないよ!あいつは優しい奴なんだ!お前だって知ってるだろう!」

だが、静香の不安が拭い去られることはなかった。

そして、日がたつにつれて武とのび太を巡る議論は、夫婦の間に小さな亀裂を生み出していった。

静香は、のび太の存在が子供たちの安全に影を落とすのではないかと心配し、武はその不安を過剰反応だと一蹴しようとする。

「俺は、のび太を救いたいんだ。それだけだよ」

「それで、私や葉音や優士が危険にさらされるのは、どうでもいいの!?」

静香の言葉に、武は思わず言い返すことができなかった。

彼の心にも、のび太を雇ったことへの小さな不安が芽生え始めていたのだ。

現場での苦情は、彼の耳にも入ってもいたこともある。

しかし、その時の武はまだ、この選択が後に彼らの生活にどんな影響を与えるのか、想像もできていなかった。

続く

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死刑確定囚・野比のび太 – 第二十話・のび太の初出勤: 恐れと葛藤


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交錯する視線

のび太にとって、剛田商店への初出勤は人生で最も恐ろしい挑戦だった。

長年引きこもっていたため、家から一歩も外に出たくないばかりか会社で働くということ自体が初体験なのだ。

「絶対にイヤだ」という思いと闘いながら剛田武の説得によってなんとか初出社に至ったが、職場に到着してからも、その恐怖と緊張は消えることはなかった。

工場の倉庫は忙しさに満ちており、社員たちは黙々と作業をこなしている。

のび太は、自分の場違いな存在を痛感しながら、恐る恐る荷物の仕分けを始めた。

しかし、働くという経験が全くなかっただけでなく長年運動不足で肥満した彼にとって、簡単な仕分け作業ですら重労働。

数箱を運んだだけで息が上がり、膝に手をついて休む始末だった。

「ちょっと野比さん!そんなペースじゃ仕事にならないよ!」

作業場のリーダーらしき中年男性が、厳しい声を飛ばす。

のび太は「すみません」と、蚊の鳴くような声で謝るしかない。

額にはじっとりと汗が滲み、体力のなさを呪うような思いだった。

そこへ、武が通りかかり、のび太に向けて明るい声をかけた。

「のび太、焦るなよ。お前はまだリハビリ中だ。少しずつ慣れていけばいいさ」

その言葉に一瞬ホッとしたものの、「社長の幼馴染だから入れた使えそうにない奴」と周囲の社員たちの目は冷たく、それがのび太の心をさらに締め付ける。

そんな倉庫内の空気が張り詰める中、外から高めの女性の声が聞こえた。

「みなさん、今日もご苦労様です」

「おはようございます、専務。」

のび太は、その声にハッと反応した。聞き覚えのある声――静香だった。

倉庫の入り口から、シンプルなスーツに身を包んだ静香が現れた。

そして、のび太を驚かせたのは何と小さい女の子の手を引き、二歳くらいの男の子を乗せたベビーカーを引いていることだ。

「おお、おはよう。葉音と優士を保育所に預けてからでいいから、打ち合わせに来てくれないか?」

「うん、わかった。すぐ行くから」

武と静香は自然体接し合い、短い会話を交わす。

「どういうことだ?あの子供たちは?」

のび太はその光景を呆然と見つめる。

静香の存在そのものが彼の記憶をかき乱す。

静香が、武の会社で働いている?

それだけでもショックだったのに、さらに彼女が二人の子供を連れているのを見て、彼の思考は止まった。

静香がふと視線を倉庫内に向けると、そこで初めて、のび太の姿に気づく。

彼女の顔は一瞬固まり、まるで見てはいけないものを見たかのように声を失った。

その反応が、のび太には痛烈に突き刺さる。

「どうした?誰か分かるか?」

静香の表情を察した武が、軽い調子で声をかけた。

「のび太だよ。ほら、ガキの頃、土管の空き地によく来てた。うちで雇うことにしたんだ」

静香の目が、再びのび太に向けられる。

その視線は困惑そのもので、まるで言葉を探しているようだった。

「そうなの……」

静香はそう答えるのがやっとで、次に武を見上げる目には、どこか戸惑いと複雑な感情が浮かんでいる。

その会話の一部始終を聞きながら、のび太は衝撃で頭が真っ白になった。

武と静香は結婚していたのだ、しかも子供まで――その事実が、彼を深く突き刺す。

そして、二人の子供たちに目を向けると、幼い女の子の方が武に似ていることに気づく。顔の輪郭、目元――どれを取っても武そのものだった。

「結婚してからずいぶん経つのか……」

のび太は心の中で呟き、視線を落とす。

現実を受け入れることができなかった。

あの未だ片思いの静香が、よりによってジャイアンと……。

静香は最後にもう一度のび太を見たが、その目には近づきたくないという距離感が見え隠れしている。

その後、子供たちを連れて足早に去っていった静香の後ろ姿を見送りながら、のび太は呆然と立ち尽くすしかない。

その日は初出勤だったにもかかわらず、のび太は仕事が手につかなかった。

何もかもが崩れ落ちた気がして、彼はただ自分の無力さを噛みしめるしかなかったのだ。

続く

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死刑確定囚・野比のび太 – 第十九話・ジャイアンとのび太の絆


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手を差し伸べるジャイアン

土曜日、剛田武はベントレー・ベンテイガを静かに停め、野比家の玄関へと向かった。

ラフなカジュアルスタイルながら、清潔感のある服装。

グレーのジャケットに白シャツを合わせ、足元は上質なスニーカー。

休みの日だが、今日はただの訪問ではない。

幼馴染の野比のび太を立ち直らせるため、家を訪ねるのだ。

すでに自分の母親を通して、自分の訪問は野比家の両親に伝えてある。

玄関を開けたのは、憔悴した表情ののび太の母の玉子だった。

のび太によく似ているが、今や年齢以上に老けた顔にメガネをかけ、服装は質素だがきちんとした印象を保っている。

玄関には父のび助の姿もあり、どこか落ち着かない様子で武を迎えた。

「剛田さん、本当にありがとうございます……」

玉子は深々と頭を下げた。

「やめてくださいよ、お母さん。俺が会いたくて来ただけですから」

武は、勉めて明るい口調で答える。

のび助も苦笑いを浮かべながら「正直助かります。何をどう言っても、あいつは……」と声を落とす。

家の中に通された武は、ふと壁に目をやる。

そこには、明らかに蹴られてへこんだ跡やひび割れが残っていた。

家庭内暴力の痕跡が、家の疲弊を物語っている。

玉子は、武がそれに気づいたのを見て目を伏せ、小さく首を横に振った。

「高校生くらいの時から……あの子は……」と声を詰まらせる。

「のび太、武くんが来たわよ」

のび太の引きこもる部屋の階段を先に上がった玉子が声をかけるが、部屋の中は沈黙したままだった。

「どうぞ」

玉子が促すと、武は障子を軽くノックし、自ら開けた。

「よお、のび太! 」

武の声は明るいが、その目に映ったのび太の姿に言葉を失った。

のび太は部屋の隅で体育座りのように縮こまり、怯えた表情でこちらを見ている。

30歳になった彼の体は太りきり、顔には脂肪がついていた。

部屋は荒れ果て、床には食べかけのお菓子やゴミが散乱している。

机の引き出しが半開きになっているのを見た武は、ふと昔のことを思い出した。

「お前……ずいぶん変わっちまったな」

武が一歩近づくと、のび太はびくっと体を震わせ、目を逸らす。

「そんな怯えた顔すんなよ。何もしねえよ。小学生の時とは違うんだ。」

武は少し笑みを浮かべたが、その言葉が逆にのび太を萎縮させた。

「……ジャイアン、何しに来たんだよ」

のび太が震える声で言う。

「お前を立ち直らせるためだよ」

武は、畳みかけるように言った。

「お前、いい加減に家から出てこいよ。親父さんとお袋さんがどれだけ心配してると思ってるんだ?」

のび太は、視線をそらしながら「……だって……べつに……関係ないじゃない」とぼそぼそ呟く。

「関係あるとかないとかじゃねえだろ。おまえ、いつまでそうしてる気なんだよ」

武の言葉に、のび太はさらに小さくなる。

「なあ、お前に提案がある。俺の会社で働かないか?まずは、倉庫で荷物を仕分けるだけだ。簡単な仕事だし、慣れたらいろいろやってもらう。それに朝起きて少しでも体を動かせばお前も変わるぜ」

のび太は何も答えず、ただ俯いたままだった。

武は少し息をつき、語調を和らげた。

「なあ、のび太。俺に任せてみろよ。一緒にやろうぜ」

のび太が顔を上げると、武の目には真剣な光が宿っている。

その眼差しにのび太は戸惑いながらも、何かを感じ取ったようだった。

武が部屋を出ると、廊下で待っていた玉子とのび助が目を潤ませる。

「ありがとうございます、剛田さん……本当に。」

玉子は、涙ながらに感謝を伝えた。

「まだ何もしてませんよ。でも、あいつは俺が絶対に立ち直らせます。」

武は静かに答え、もう一度のび太の部屋を振り返った。

武の心には「俺が何とかする」という揺るぎない決意があった。

それは、過去に彼が守れなかった幼馴染への償いであり、罪滅ぼしでもあった。

この訪問が、のび太にとって新たな一歩となるのか。

それは、まだこの時点では誰にもわからなかったが、希望の火種は確かに灯されたのだ。

続く

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死刑確定囚・野比のび太 – 第十八話・引きこもりの息子と家族のジレンマ


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限界親子

練馬区役所の一角にある相談窓口。

明るい蛍光灯の下、野比のび太の両親である野比のび助と玉子は、緊張した面持ちで座っていた。

窓口の職員は書類を前に、慣れた口調で説明を続ける。

「お話を伺う限り、ご子息は精神科の専門機関で診察を受けられた方がいいかもしれませんね。ただ……ご本人の同意がなければ、強制的に入院させることはできないんですよ。」

「……そう、ですか。」

玉子の顔は、疲れ果てていた。

手元のバッグをぎゅっと握りしめ、夫ののび助をちらりと見る。

彼もまた黙り込んでいる。

ここに相談に来るのは、何度目だろうか。

のび太が中学一年生で引きこもり始めてから、すでに十数年が経っている。

最初のうちは、何とか学校へ戻すことを試みたが、その努力は報われることはなかった。

そして、成人してなお一歩も外へ出ない息子を前に、どうしていいのか分からなくなってしまったのだ。

「私たち……どうすればいいのでしょうか」

玉子の声は震えていた。

「お母さんも、かなりお疲れのようですし、一度ご家族全体でカウンセリングを受けるのもいいかもしれません」

職員の優しげな言葉に玉子は小さくうなずくが、その目には希望の光は見えなかった。

そのころ、剛田武は自分の会社「剛田商店」本社からほど近い実家に住む母を訪ねていた。ここは、武が剛田商店を引き継いだばかりの時までは実体店舗として営業をしていたが、現在は今の本社にすべての機能を移転して、今はかつて店舗だった名残が残るだけである。

生まれ育ち、ずっとここで過ごしてきた懐かしい実家に母の手作りの夕飯の香りが漂う。

妻の静香と子供たちは、高校時代の友達たちと子供同伴のお泊り女子会に出かけており、この日は実家で久々に母の作った夕食を摂ることになっていたのだ。

「武、随分早く来たじゃないの」

母が軽く笑いながら食器を並べると、武は黙って箸を手に取った。

ビジネスの最前線で働いている彼だが、この家に帰ると肩の力が抜ける。

「あんた、最近元気?忙しいんでしょ」

「まあな。でも忙しいのはいいことだろ。母ちゃん」

食事をしながら、最近、週刊連載で忙しい漫画家の妹の話題や、葉音と優士を今度はいつ連れて来てくれるのか?などと祖母らしいことを言う母の話を聞きながら、武が箸を口に運んでいると、不意に話題を変えた。

「ねえ、武。近所の野比さんのこと聞いたことある?」

「野比?……のび太んとこか?」

箸を止め、武は顔を上げた。

「息子さん、まだ引きこもっているらしいのよ。もう33歳だっていうのに……玉子さん、すっかり疲れ果ててね」

「……まだ引きこもってんのかよ、アイツ!」

武は呆れたように言いながらも、微かな罪悪感が胸をかすめた。

小学校時代、のび太をさんざんいじめて楽しんでいたのは事実だ。

中学に上がって野球部に入ってから、自分が上級生に理不尽なしごきを受けるようになって、初めてやられる側の気持ちがわかり、他の小学校出身者にいじめられていたのび太を助けてやったこともある。

しかし、守り切れなかった。

のび太は、いじめを苦に登校拒否になり、それから学校に来なくなったのだ。

中学の時、もうちょっとあいつにかまってやれば、いや、あいつの問題だ。

そういったちょっとした葛藤が時々頭をもたげていたが、まさか今でも引きこもっているとは思わなかった。

「……武、なんとかしてやれないのかね?」

母の言葉が武の胸に突き刺さる。

「俺が……?」

「そうよ。あんた、あの会社を立て直して、ここまで大きくしたじゃない。力があるんだから、何かしてあげられるんじゃない?」

武は椅子にもたれかかり、黙り込んだ。

確かに――自分には力がある。

自分の会社で雇って、少しずつ社会に慣らしてやることだってできるかもしれない。

いや、自分ならできる。

「母ちゃん、のび太の親父さんとお袋さんに伝えといてくれよ……」

母は驚いた顔をして息子を見つめた。

「俺が何とかしてやるってな!」

その言葉には、持ち前の男気と過去へのわずかな償いが込められていた。

のび太を小学校時代にはさんざんいじめ、中学校時代には見捨てた、という罪悪感が時々頭をもたげていたのだ。

夕飯を食べ終えた剛田武は「今度は葉音と優士を連れて来るからよ」と母に別れを告げてベントレー・ベンテイガに乗り込み、芝浦の自宅マンションに向けてハンドルを握った。

あいつがああなったのには、俺にも責任はある。

それの清算はしなくっちゃな!

バックミラーに映る自分の表情は、かつての「ジャイアン」そのものだった。

この男気が、最悪の悲劇の幕開けとなるとも知らず――。

続く

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死刑確定囚・野比のび太 – 第十七話・ドラえもんと30歳ののび太の葛藤


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未だにドラえもんを待つ三十歳ののび太

野比家の二階、畳敷きの部屋は中学一年生の頃とほとんど変わらない。

机の上には使い古された文房具や埃をかぶった小物が散らばり、押し入れには今や着ることのない学生服が吊るされたまま。

その中に、ただ一つ違うものがある。

30歳を迎えた野比のび太の肥満した体が、その空間に重く沈んでいることだ。

のび太の体は、かつての小柄で頼りない少年の面影を完全に失い、ぶくぶくと太っている。髪は寝癖がついたまま脂ぎっており、顔にはひげの剃り残しが目立つ。

彼の目は虚ろで、どこか焦点が定まらないまま天井を見上げている。

その視線の先にあるのは、現実ではなく、過去の夢だ。

「ドラえもん、いつ戻ってくるんだよ……」

のび太はそう呟くと、机の引き出しに目をやる。

その引き出しは、中学一年生の時から何度も開け閉めを繰り返されてきた。

かつてそこにあったタイムマシンが、もう一度現れるのではないかという期待が未だに捨てきれない。

部屋の外から微かな足音が聞こえた。

母・玉子だ。彼女は慎重に部屋の様子を伺う。

ノイローゼ気味になった彼女の顔には、疲れの色が濃く刻まれている。

14、15歳頃から始まったのび太の家庭内暴力。

そのたびに部屋の物が投げられたり、壊されたりした記憶が今も玉子を怯えさせている。

「のびちゃん……ご飯、持ってきたわよ」

玉子の声はか細い。

まるで腫れ物を扱うかのようだ。

「そこに置いといて!」

のび太の怒鳴り声が返ってくる。

玉子はビクッと体を震わせ、トレイをそっと部屋の入り口に置いた。

中身はインスタント食品や冷凍食品がほとんどだ。

それでも玉子は、のび太が暴れないことを最優先に考えている。

のび太は母の存在を感じながら、心の中で苛立ちを募らせていた。

彼にとって玉子は、口うるさく怒ってばかりで、自分を追い詰めてきた張本人だ。

小学生の頃から勉強や生活態度のことで怒鳴られ、叱られ、常に自分を否定されてきた。ドラえもんの話をしても「そんな話ばっかりしないで現実を見なさい!」と一蹴されるばかり。

のび太は、母が自分からすべての自信を奪い去ったと思っていた。

「俺をこんなダメ人間にしたのはママだ!」

のび太の心の中で、怒りが膨れ上がる。

かつての少年が持っていた無邪気さや優しさは、どこかに消え去ってしまった。

残っているのは過去の栄光を夢見てそこにすがりつく姿だけ。

しかし、その一方で、のび太は未だにドラえもんの帰りを心待ちにしていた。

引き出しの向こうからドラえもんが現れ、「何してるんだよ!のび太くん」と優しい声で言ってくれる――そんな日が来ると信じているのだ。

それが現実から目を背け、時間を無為に過ごす彼にとっての唯一の希望だった。

「ドラえもん……お願いだから戻ってきてよ……」

のび太は小さく呟き、机に顔を埋めた。

その体が震える。

涙が溢れているのか、ただ怒りに震えているのか、それは本人にもわからなかった。

続く

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死刑確定囚・野比のび太 – 第十六話・剛田商店の成長と静香の貢献


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支え合う武と静香

結婚生活が始まると、静香は自然と武のビジネスを支える立場に立つようになった。

家で家庭を守るだけではなく、武の経営する剛田商店に秘書として入社したのだ。

これは、単なるお飾りの役職ではなかった。

静香はもともと物事を整理し、計画的に進める能力に長けており、そのスキルを最大限に発揮して、武を支えたのである。

社長秘書としての静香は、社内で「完璧」と評される存在となった。

彼女はスケジュール管理や書類作成を徹底的にこなし、武がどんな状況でも適切な決断を下せるよう準備を整えたのだ。

社内の誰もが静香に一目置き、彼女の指示を仰ぐようになる。

秘書業務だけでなく、静香のもう一つの才能が輝いたのが、営業の場だった。

静香は、アメリカでの留学と会社勤務時代に培った英語力を武のビジネスに活かし、海外のバイヤーとの交渉を一手に引き受けるようになったのである。

ある日、大口の取引先であるシンガポールのバイヤーが来日した際のこと。

交渉が難航し、バイヤー側が契約条件の変更を主張。

武が静香を同席させたのは、このときが初めてだった。

静香は、冷静かつ柔軟な対応で相手の懸念を丁寧に聞き取り、問題点を的確に整理して解決策を提案。

その結果、取引先は満足し、契約は無事成立。

静香の対応に感服したバイヤーは、契約後も剛田商店を最優先の取引先として扱うと約束してくれた。

「静香がいると安心だ」

武はそう言って、彼女の手腕を素直に褒めた。

静香の存在は、もはや武にとって仕事でも欠かせないものとなり、夫婦としての絆もますます深まっていった。

結婚した翌年、静香は長女を妊娠する。

仕事を続けるべきか迷ったが、武は「無理しなくていい。家族が一番だ」と静香を気遣い、彼女は産休を取ることにした。

そして、生まれた長女は「葉音(はのん)」と名付けられた。

その名前には、静香と武が共に作り上げた新しい家庭の「音色」を響かせたいという思いが込められている。

初めて我が子を腕に抱いた武は、「これが俺たちの未来なんだな」としみじみと語った。

葉音が三歳を迎えた頃、静香は再び秘書として職場に戻る決意をする。

だが、その頃には、また新しい命が宿っていた。

第二子となる長男「優士(ゆうじ)」の誕生だ。

優士の名には「優しさ」と「士(おとこ)」らしさを兼ね備えた人間になってほしいという願いが込められていた。

二人の子供を抱えながらも、静香は見事に仕事と家庭を両立させる。

仕事の合間に保育園の送り迎えをし、家では愛情たっぷりの食事を作り、子供たちの成長を見守った。

武も家庭を大切にし、子供たちとの時間を積極的に作ったのである。

「静香と葉音、そして優士がいてくれるから俺も頑張れる」武はよくそう口にした。

彼らの家庭は愛情に満ち溢れ、周囲の人々からも理想的な家族として映っていた。

静香の働きぶりは、社員たちにも良い影響を与え、「剛田商店」は、ますます成長を遂げていく。

静香と武の関係は、単なる夫婦という枠を超えたものだった。

仕事のパートナーであり、家庭の支柱でもある二人は互いを尊敬し合い、補い合う存在だったのだ。

時には衝突することもあったが、そのたびに、お互いの思いを真摯に伝え合い、理解を深めていったのである。

そんな日々の中で、葉音と優士も健やかに育ち、家族としての絆は、ますます強固なものとなっていった。

静香と武が、共に築いた家庭と仕事の両輪。

その調和は、剛田商店の繁栄とともに未来へと続いていく。

それを疑う者はこの時、武や静香も含めて誰もいなかった。

続く

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死刑確定囚・野比のび太 – 第十五話・武の運命のプロポーズ


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新たな一歩:武と静香の物語

静香と居酒屋で飲んでから、武は少しずつ彼女との距離を縮めていった。

最初は「久しぶりに話せて楽しかったよ」というお礼のLINEを送り、それが「今度またご飯でも行こう」という誘いに変わる。

静香も最初は遠慮がちだったが、次第に彼からの誘いを受け入れるようになった。

二人は少しずつデートを重ねていった。

武は、芝浦の自宅近くにある洒落たレストランや静香の好きそうなカフェを探しては誘い、静香は武の気遣いに少しずつ心を開き、武自身も気づかぬうちに彼女に夢中になっていく。

遊び慣れているはずの武だったが、静香といると不思議と冷静ではいられない、少年時代の初恋のような気分になっていた。

こんな感じになるのは久しぶりだ。

ある夜、二人は東京湾が一望できる高層階のレストランで食事をしていた。

窓から見える夜景の輝きは、静香の笑顔をより一層美しく見せている。

「静香、最近、元気そうだな。」

武がワイングラスを持ちながら言う。

「武がいろいろ誘ってくれるからかもね」

静香は少し恥ずかしそうに笑った。

「それならよかった」

武はその言葉にほっとしながらも、胸の奥で沸き上がる感情を抑えられない。

そして、とうとう口を開いてしまった。

「静香、俺……もっとお前と一緒にいたいんだ」

武は不器用な言葉で、彼女への気持ちを伝えたのだ。

静香は少し驚いたように彼を見つめたが、その目に宿る優しさが彼を安心させた。

「私も……武といると安心する。たぶん、昔から知ってるからかな」

静香はそう言って微笑んだ。

それから数か月後、武は意を決して静香にプロポーズをする。

場所は、二人が幼い頃によく遊んだ空き地のあった駐車場。

あの土管のあった場所だ。

彼女にとっても彼にとっても、その場所は、特別な意味を持っていた。

「静香、俺と結婚してほしい」

武は、大ぶりのダイヤモンドがあしらわれた指輪を差し出しながら、彼女に向き合った。

静香は一瞬驚いたが、次の瞬間、涙を浮かべながら「はい」と頷く。

その言葉は、武にとって、これまでのどんな成功よりも価値のあるものだった。

結婚式は、華やかに執り行われる。

会場は、芝浦の高級ホテルの大宴会場。

剛田商店の社員や取引先の関係者、そして幼馴染たちが集まり、二人を祝福する。

武の母は、父の遺影を持ちながら涙ぐんでいた。

「お父さんも、きっと喜んでいるわ」

そう言う母に、武は感謝の気持ちを込めて微笑む。

スネ夫夫妻や出木杉夫妻も出席し、それぞれのスピーチで二人の幸せを願った。

スネ夫は「俺たちが幼馴染だったからこそ、今日のこの日があるんだな」と冗談めかしながら語り、会場を和ませる。

また、人気漫画家となっていた武の妹が二人の馴れ初めや思い出を描いたイラストを披露し、笑いと涙が交錯する場面もあった。

結婚式の後、二人はモルディブへハネムーン。

白い砂浜とエメラルドグリーンの海が広がるリゾート地で、武は豪華な水上ヴィラを予約していた。

「さすが武、こういうところは妥協しないんだね」

静香が冗談交じりに言うと、武は「お前のためだからな」と照れくさそうに答えた。

二人は一緒にシュノーケリングを楽しみ、プライベートディナーで乾杯。

穏やかな波音の中で語らう時間は、二人の絆をさらに深めていった。

新しい人生の第一歩を踏み出した武と静香。

その日々は、過去の傷を癒し、新たな未来を築く希望に満ちていた。

続く

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誘いと新たな感情

剛田武はスマートフォンの画面を見つめ、手を止めていた。

そこに映るのは、先日交換した幼馴染の源静香のLINEの名前。

普段なら、女性を食事や飲みに誘うのに躊躇することはない。

銀座や六本木の高級クラブでさえ慣れた様子で通い詰め、誰とでも自然に打ち解ける武が、静香相手だとなぜか勝手が違った。

「ただの幼馴染なんだから、深く考える必要はないだろう」

そう自分に言い聞かせながら、メッセージを打つ。

「今週末の夜8時くらいに飲みに行かないか?練馬駅近くにいい店があるんだ。」

送信ボタンを押すまでの数秒が、やけに長く感じられた。

こんな感覚は、いつ以来だろう。

思春期の時の恋愛初期のような、妙にぎこちない気分。

武は、まさか28歳になるまで様々な女性と交際を重ねてきた自分が、こんな緊張を再び味わうとは思わなかった。

しばらくして、スマホが振動する。

「うん、いいよ」

短い返事が来た瞬間、胸の内に小さな安堵が広がった。

その夜、武は静香を誘った居酒屋で待っていた。

練馬駅近くの少し古びた木造の店。

普段ならもっと洒落た店を選ぶのだが、静香にはこういう場所が合う気がしたのだ。

静香が店に入ってきた瞬間、武は一瞬言葉を失った。

柔らかいベージュのニットに控えめなスカート。

華やかさを抑えた服装なのに、彼女はどこか洗練された美しさを漂わせていた。

「待たせちゃった?」

静香が少し恥ずかしそうに笑う。

「いや、ちょうど着いたとこ」

武は少し動揺を隠しながら答えた。

静香相手だと、普段の軽快な態度が少しぎこちなくなる。

二人はカウンター席に並んで座り、まずはビールで乾杯する。

「何年ぶりだろうな、こうやって飲むの」

武がジョッキを持ち上げながら言うと、静香も小さく笑った。

「こういう店、意外と落ち着くね」

静香が周りを見回しながら言う。

最初は、近況を語る無難な会話から始まった。

しかし、静香の実家に戻った理由をそれとなく尋ねても、静香は「まあ、色々あってね」と曖昧に流すばかりだった。

武も、それ以上踏み込むことはできない。

普段の武なら女性に強引に迫ることもできたはずなのに、静香相手だとどうしても慎重になってしまう。

だが、ジョッキが空になる頃には、二人の間のぎこちなさも少しずつ溶け始めていた。

「静香ちゃん、テニス部だったよな。覚えてるよ」

武が、ふと思い出したように言う。

「よく覚えてるね。武君は……野球部だったよね?」

静香が答える。

「ああ、真っ黒に日焼けしてた頃だよ」

武が照れ笑いを浮かべた。

静香がクスリと笑う。

「そういえば、今池さんと仲良かったよね?」

「いや、それは……」

武がビールを飲みながら答えを濁すと、静香はさらに突っ込んだ。

「付き合ってたんでしょ?女の子は、みんな知ってたよ」

「ええと、あれは……まあ、そんな感じ……」

武は顔を赤くしながら言った。

静香が、からかうように肩をすくめる。

「ふふ、そうなんだ。」

「そっちは、どうだったんだよ?誰かいなかったのか?」

武が逆に尋ねる。

「三年のときに、諏訪くんとちょっとだけね。キスまでしかしてないけど」

静香がさらりと言うと、武は思わずジョッキを置いた。

「え、諏訪って、バトミントン部のミツ夫のこと?あのネクラそうな奴と?!嘘だろ?」

静香が笑いながら頷く。

「本当だよ。でも、それもすぐ終わっちゃったけどね」

話は中学を卒業した後のお互いの高校時代、そして静香のアメリカ留学へと移っていった。

酒が進むにつれ、二人の距離は自然と縮まっていく。

「アメリカでは、どうだったんだ?楽しかっただろ?」

武が尋ねると、静香は少し間を置いて答えた。

「楽しかったよ。仕事も充実してたし……それに彼もいたし」

静香がぽつりと言う。

「彼?」

武は興味を引かれる。

「ニックっていう人。白人で、家柄が良くてクールで、すごく優しい人だった。でも……」

静香の声が少し震え始めた。

「でも?」

「結婚、反対されたの。彼の両親に……。有色人種との結婚なんてありえないって」

静香は視線を下に落とした。

「それで?」

武が慎重に尋ねる。

「結局、彼も親の言うことを聞いて……別れることになったの」

静香の目に涙が浮かんだ。

武は何も言えなかった。

ただ静香の話を聞くしかできなかった。

「ごめん、こんな話して。誰かに話したかったんだと思う」

静香が涙を拭いながら微笑む。

その笑顔が、武の心に深く刺さった。

彼女の強さと傷つきやすさが混ざり合ったその姿に、胸が熱くなる。

その夜、二人は時間を忘れるほど話し続けた。

静香の涙と笑顔が交差する中、武は自分の中に芽生えた新たな感情に気づき始める。

それは、ただの幼馴染への懐かしさではなく、もっと複雑で深い何かだった。

続く

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もうひとつの再会

剛田武、28歳。

仕事においては、絶頂期を迎えていた。

彼が再建した「剛田商店」は、フォワーダー事業の成功によって安定した収益を上げ、いまや国内外に輸送ネットワークを広げている。

そんな順風満帆な日々を支えていたのが、出資してくれた幼馴染の実業家である骨川スネ夫、そしてもう一人の幼馴染の出木杉英才だった。

出木杉は、東京大学在学中に司法試験を突破し、五大法律事務所の一つでキャリアを積んだ後、26歳で独立して弁護士事務所を設立。

武は、彼の事務所の最初の大口顧客となって法務面で全面的なサポートを受けるようになり、出木杉もまた、的確な法的助言を武に与えることで剛田商店の成功に欠かせない存在となっていたのだ。

武は、仕事が終わればスネ夫や出木杉を誘って夜の銀座や六本木で飲み歩く日々を送っていたが、この年は、そんな華やかな日々に変化が訪れる。

スネ夫が婚約し、夜遊びに付き合うことがなくなったのだ。

そして、出木杉も早くも26歳で結婚、一児の父となって堅実な家庭生活を送っていたため、誘えば顔を出すこともあるが、いつも早めに帰宅してしまう。

「家庭が大事ですから」と笑って言う彼に、武は冗談めかして「心の友じゃなかったのかよ」と言い返すものの、心のどこかで羨ましさを感じていた。

夜の街を共にできる相手がいなくなった武は、次第に飲みに行くこと自体が億劫になり始める。

一人で行くのは味気なく、家に帰れば誰も待っていない広い港区のタワーマンション。

その孤独感は、華やかな日常の裏に、じわじわと忍び寄る影のようだった。

そんなある日、武は練馬の「剛田商店本社」での業務を終え、愛車のベントレー・ベンテイガに乗り込んで、港区の自宅へと帰路につく。

車を走らせながら、ふと冷蔵庫が空だったことを思い出した。

「たまには自分で料理するか……」

そう呟きながら、近くのスーパーに立ち寄ることにした。

時計は夜8時を少し回った頃。

スーパーの店内は昼間の賑わいが嘘のように静まり返り、まばらな客が各々の買い物をしている。

武はスーツの上着を脱ぎ、カゴを手に野菜売り場を歩き始めた。

ふと視界の端に人影が映り、何気なく顔を向ける。

その瞬間、彼の足が止まった。

「静香……ちゃん?」

そこにいたのは、源静香だった。

小学校時代の幼馴染であり、中学時代に密かに意識していたこともある女性だ。

シンプルなカーディガンにスカートという控えめな服装ながら、どこか影がある表情をしていた。

彼女の顔を見た瞬間、武の中に眠っていた記憶が、一気によみがえる。

静香もまた、武に気づいて驚いたような表情を浮かべた。

「武くん……久しぶり」

彼女の声は少し戸惑いを帯びていた。

「こんなところで会うなんてな」

武は少しぎこちなく笑いながら、カゴを持ち直した。

「最近、どうしてる?」

「まあ、色々と……ね」

静香は曖昧に笑うが、その言葉の裏に隠された苦労が見え隠れする。

二人はそのまま数分間、当たり障りのない話を交わした。

昔の話題や近況報告が主だったが、会話のどこかに漂う空気が、武には引っかかった。

彼は耳にしていた噂 ――静香がアメリカで婚約破棄を経験し、実家に戻ってきたという話を思い出す。

「静香ちゃん、この辺に住んでるのか?」

武は静かに問いかけた。

「うん、実家に戻ってきてね」

静香は短く答える。

彼女の目は、どこか遠くを見ているようだった。

武はさらに話を掘り下げようとしたが、静香の表情がほんの少し曇るのを感じて、話題を変えることにした。

「じゃあさ、また今度、飯でも行かない?久しぶりだし、ゆっくり話そうぜ」

静香は一瞬躊躇したように見えたが、最終的には小さくうなずいた。

「……うん、そうだね」

「じゃあ、LINE交換しとこうか」

武がスマートフォンを取り出し、静香も少しだけ困ったような表情をしながら、自分のスマホを取り出す。

二人は連絡先を交換したが、その後の沈黙が少しぎこちなかった。

「じゃあ、そろそろ行くね」

静香がカゴを手に言うと、武は少し名残惜しそうに彼女を見送った。

「またな、静香ちゃん」

静香が店を出ていく後ろ姿を見送りながら、武の心には奇妙な感覚が残った。

10年以上も会うことのなかった幼馴染との再会。

そして、彼女の疲れた表情。

何かが引っかかる。

それが何なのかはっきりとは分からなかったが、彼女の背中を見つめるうちに、武の胸には微かな決意が生まれ始めていた。

その夜、港区の自宅に帰り、広いリビングのソファに腰を下ろした武は、スマホの連絡先に登録されたばかりの「静香」という名前をぼんやりと眺めていた。

続く

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