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2020年 おもしろ 悲劇

「俺だけは大丈夫」神話の終焉

非常事態はいつやってくるかわからない。その時には商店も飲食店も閉まり、何不自由なき日常が終わる。ゆえに常日頃からの備えを怠ってはいけないのだ、と私は昨年台風19号の東京直撃を経験した時に思った。

私は現在居住する東京都で大地震が起こっても、自分だけは大丈夫と信じてきた。

自宅に食料や水などの備蓄は特になく、準備する気もなかった。

なぜなら、私の家のすぐ近くにはコンビニエンスストア『ファミリーマート』があるからだ。

それも「歩いて1分くらい」程度のレベルではなく、「歩いて何秒」か「歩いて何歩」という近さだ。

たとえ真夜中に飲んでて「飲み足りない」、「タバコが切れた」という事態が起こっても、一分以内に補充を完了させて、酒池肉林の即時再開が可能である。

「ガマンして寝る」という悲劇に見舞われたことは一度もない。

同様に地震など不測の事態が起きた瞬間にファミリーマートに駆け込めば、お望みの物資を必要なだけ手に入れることも容易であろう。

私には、近所に食糧庫があるのだ。

そう信じ込んできた。

そんな、ひとり天下泰平をむさぼる私に「審判の時」がやって来た。

昨年の2019年10月12日、令和元年台風第19号の東京直撃である。

この台風は天気予報によって、事前にその規模と上陸の日時は予想されていた。

まごうことなき非常事態目前であり、食料や水を数日分買う必要がある。

だが、その時私は動かなかった、いや動けなかった。

なぜなら、そのニュースを知ったのは自宅から遠く離れた職場だったからだ。

それならそれで職場近くのコンビニで買えばよかったのだが、その期に及んでも“私の食糧庫”ファミリーマートで帰りがけに買えばいいと呑気に考えていた。

愚かだった。

帰り道、ファミリーマートに悠々立ち寄った私は、わが目を疑った。

“私の食糧庫”から、めぼしい食品や飲料が消えているではないか!

焦った私は、他のコンビニやスーパーにも行ってみたが、事情はなおさら同じ。

完全に出遅れ、他の客にかっさらわれていたのだ。

考えてみればすぐわかることだったが、非常事態が自宅にいる時に起こるとは限らない。

それに、ファミリーマートの隣人は私だけではないのだ

駅からの通り道で人通りも多いし、ファミリーマートは、私専用ではなく“みんなの食糧庫”だった

私は十数年間にわたり、その程度のことにも気づかなかったのだ。

かくして10月12日、私は上京して以来初の食糧難と共に、台風第19号を迎える。

暴風雨により飲食店も商店も閉まっており、近所を流れる多摩川が大雨で、中国の長江のようになっていくライブ映像をパソコンで見ながら、不安で空腹な一日を送った。

この一件で私が思い知ったのは、私がバカだという幼児の頃から気づいている事実を除けば、備蓄の重要性以外の何者でもない。

最近の表現で言うなら、まさに「ぴえん超えてぱおん」だ。

そんなもんとっくに気づいて然るべきだが、徹底した面倒くさがり屋の私はこういう目に遭わなきゃわからない。

あれ以来、私は毎月の給料日には飲料水や防災食、缶詰などを買って備蓄することを心がけている。

備えあれば患いなしだ。

非常事態が実際に起きた際、私以外のファミマの隣人たちは、私を差し置いて行動する油断も隙もな…、いや、賢明な人々であることが分かった。

もう、ファミマだけを当てにしてはいかん。

それに私が購入した『美味しい防災食』シリーズは非常食とは思えないスーパーの惣菜級であり、さすがやや高いだけのことはある。

缶詰だと『宝幸 日本のさば』と『ニッスイ いわし味付』なんかは、缶詰にしておくにはもったいない逸品ではないか。

私が作るよりはるかに美味い!

非常食なのに、なぜその味を知っているかと言うと、それは我が家の財政危機という恒例の非常事態が、月末給料日前に発生しているからだ。

あと、外に買い物に行くのが面倒くさい時などもついつい…。

それらもひっくるめての備えなのだ。

と、食うたびに、そう自分には言い聞かせており、次の「審判の時」こそ、私への「最後の審判」になりそうである。

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