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中華料理釜山

うまくて評判の良い店が閉店し、まずくて評判の悪い店が営業し続ける。「憎まれっ子世にはばかる」を体現した店が今世紀の初頭まで私の郷里には存在した。その店の名は『中華料理釜山』。

記事に登場する氏名、及び店名は、全て仮名です。


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我が日本国には飲食店があふれている。

バブル期に比べれば減少したとはいえ、今でも67万店舗もの飲食店が各地で営業しているらしい。

だがその平均寿命は短く、開店して三年営業を続けられればいい方であり、十周年も迎えることのできない店の方が多いと聞く。

その業界の熾烈な生存競争においては、うまくて評判の良い店が生き残るとは限らない。

だがその反面、まずくて評判が最悪な店がすぐ淘汰されるとも限らない。

私の生まれ育った地方都市О市の国道沿いに店を構えていた「中華料理釜山」は、間違いなく後者に属する店だった。

このО市民の間で悪名高かった中華料理店は1970年代に開店して21世紀を過ぎて少しの間まで、不当にも、その地で30年以上の長きにわたって営業を続けたのだ。

悪に限ってのさばり続けるというこの世の不条理を体現する存在、それがこの「中華料理釜山」だった。

市民に恐れられる店

「中華料理釜山(仮名)」

まず、この店名からしてふざけている。

ある程度の地理学的常識を有した方なら、ツッコミを入れたくなるはずだ。

釜山、どう見ても韓国のあのプサンじゃないか?中華料理店が名乗っていい名前だろうか?

「イタリア料理マルセイユ」や「タイ料理ホーチミン」くらいおかしいだろう?

ひょっとしたら、韓国風中華の店のつもりだったのかもしれないが、そんなスキマを付いた店が、1970年当時の地方都市に出現したとは考えにくい。

もっとも、その当時は中国と韓国の区別もつかないほどО市の市民は低能だったらしい。

誰からもツッコまれることなく「中華料理釜山」と書かれた看板をデカデカと国道にさらし、恥ずかしげもなく堂々営業していた。

オーナーが釜山出身の在日韓国人だったとかなのかもしれないが、真相は今でも謎のままである。

この「釜山」は名前こそふざけてはいるが、店の外装や看板は気合が入っており、1970年代の日本人の頭の中だけにある間違った中国像を具現化したように派手だった。

だが、気合を入れたのは外観だけだったようだ。

まだ小学校低学年だった私も家が比較的近所だったので、その存在を知っており、チャイナ全開の見た目に魅かれて何度も連れて行ってほしいとせがんだが、父が断固拒否。

なぜなら父は「釜山」がひどい店であることを、すでに身を持って知っていたからだ。

父によると、職場の同僚らとそこで歓送迎会を開いたことがあったが、父を含めた参加者ほぼ全員が、この店には二度と行きたくないと腹を立てるほど最低な店だったという。

店内は当時から汚く、店員の態度も横柄で味や量に比べて、不当に高かったらしい。

また、その悪名は、我が家の中だけに限ったことではなかった。

「釜山」は私が通っていた小学校の学区内にあったため、学校の同級生たちは皆「釜山」のことを知っていて実際に食事した者も多かったが、ダメ出しのオンパレード。

ある生徒は作文の宿題で、小学生の視点によりその恐るべき実態を記述していた。

きのう、ぼくはお父さんとお母さんとねえちゃんといっしょに、ちゅうかりょうりプサンという店へ食べに行きました。

ぼくはラーメンを食べましたが、おいしくなかったです。

それと店の中はきたないし、お父さんが店のおじさんとけんかしたりしたので、ぼくはもう行きたくないなあとおもいます」

我が小学校の児童の間でも「釜山」は「まずい・高い・汚い」という飲食店にとっては致命的な三冠王の店として勇名を轟かせていた。

他に「態度が横柄」「出てくるのが遅い」「この店のラーメンはカップ麺」「料理にシャブが入っている」などの講評や噂も混じっていたが、そんな市井の評判が実際の経営状態には反映されることはなかったようだ。

「釜山」の駐車場には常に一定数の車が停まり、いけしゃしゃあと営業を続けていた。

少年時代の私の心に、実際には行っていない「釜山」に対する侮蔑まじりの恐怖が刻まれたのはその頃からだ。

そして、韓国の釜山市民には悪いが、今でも釜山という地名にいい印象がない。

韓国政府もいくら地方都市とはいえ、自国の都市のマイナスイメージを不特定多数の日本人に刻み続ける店に、何らかの行動をするべきだったであろう。

実食する不運

私が「釜山」で食事する機会を得たのは、長じて大学生となった頃だ。

いや、食事する羽目になったと言うべきか。

その日、私は自分の通う大学の同級生である五島賢司と遊びに行き、その帰りは彼の車で家まで送ってもらっていた。

我々の乗った車が私の家目指して国道を走っていた時、五島が「どこかで飯にしよう」と提案。

ちょうど正午で昼食を食べていなかった私も同意し、国道沿いの適当な店を物色したがなかなか決まらず私の家近くまで来てしまった。

「ココ壱番屋にしないか?この先にあるんだが」

「カレーはどうも食う気がしないな…お、ここにしよう!」

そう言って、急にウインカーを出して入ったのが何と「中華料理釜山」だったのだ。

「ここはやめないか?いい噂を聞かないんだ」

私は地元民として忠告したが「俺はここで食いたいんだ」と五島は譲らない。

具体的な評判を伝えて説得してみたが、結局強硬な五島に折れる形で私も店内に入ることになったのは、自分自身が「釜山」に入ったことがなく、実は言われてるほどひどくはないのではないかと甘く見ていたからだ。

だが、なぜもっと強く五島を制止しなかったのかと入ってからすぐに後悔することになる。

「釜山」は評判どおりの店だったのだ。

店内に入ってまず気づいたことは、臭うことである。

「匂い」ではない「臭い」だ。

中華料理店特有の食欲をそそる炒め物の「匂い」ではなく、不衛生な台所の饐えたような「臭い」である。

その悪臭の発生源は紛れもなく厨房なのだが、入口を入ってすぐのところに目につくため、否応なしにさもありなんと思わせる凄まじい惨状が目に入った。

もう、年季の入った便所といい勝負の汚さではないか。

本当は便所も兼ねてるんじゃないかと思うくらいのレベルで、ここで料理が調理されて出てくるなんて考えたくもない

その厨房を囲むようにカウンター席が設置されており、厨房を真正面に見据えざるを得ないそこにだけは座りたくないと思ってテーブル席を目指したが、大柄でブサイクな女性店員が我々の前に立ちはだかりカウンター席を指さした。

「ここへ座る!」

中国人留学生のアルバイトらしい。

我々を強引にカウンター席へ座らせると、目の前にメニューをどさっと置いて「どれ食べる?」とさ。

正直ここで何も食べずに帰りたいが、とりあえずメニューを開いてみる。

メニューも油ベトベトで薄汚く、そして高い。

何で醤油ラーメンが900円(当時平均600円程度)もするのだ。

「お得!」と書かれたランチセットの欄があったが、そのネーミングがカオスだった。

  • 万里の長城セット:1000
  • 毛沢東長征スペシャルセット:1200
  • 中国4000年の歴史セット:1500

この店は、中国と世間を完全にナメてる。

それに、ネーミングは無意味に壮観で痛々しいが「万里の長城セット」は単なる半ラーメン+餃子だし、「毛沢東長征スペシャルセット」は半ラーメン+チャーハン、「中国4000年の歴史セット」なんぞは半ラーメン+チャーハンに餃子。

他に「黄河悠久の流れセット」や「楊貴妃セクシーダイナマイトセット」などセンスが爆裂した名前のセットもあったが、その内容と値段は見ていないし、見る気もなかった。

中国人アルバイトよ、お前は何も言わないのか?ずいぶん安く見られてるぞ、祖国が。

我々は、一番安くて無難そうな「万里の長城セット」を頼んだが、この厨房で調理するんじゃなくて、よその中華料理店から出前を取ってきて欲しいというのが本音だった。

強引に入った五島も責任を感じたのか、バツが悪そうに押し黙っている。

しかし祈りもむなしく、目の前の汚厨房でジャージャー調理が始まり、そこで作られた「万里の長城セット」が我々の前に並ぶ。

見た目は普通で、食べてみたら、おいしくはないが噂ほどまずくもなかったとはいえ、厨房があの有様だっただけに箸をつけるのに決死の覚悟が必要であった。

他にも何人か客はいたが、昼食を楽しんでいる様子はなく、皆修行僧のように無言で食べている。

我々も腹が減ってたはずだったのに、全部食べることはできなかった。

会計の時もひと悶着あり、くだんの巨漢女は堂々と「中国4000年の歴史セット」の値段1500円で請求してきやがった。

まだテーブル上にある残った餃子とラーメンを動かぬ証拠に断固抗議して取り下げさせたが、全部食わなくて本当に正解だった。

店を出た時、「だからやめろって言っただろ」と愚痴る私に、「いや、外から見たら本格的そうに見えたんだけどな」と、五島は言い訳をしていた。

確かにド派手な「中華料理釜山」の看板を遮る建築物が周囲に存在しないため、遠くからでもよく目立つし、店の外観は立派でいかにも中国という錯覚を覚えさせる。

主要幹線道路だけに交通量は多く、見かけにつられて入ってしまうビジターが後を絶たなかったから、O市の住民にあれだけ評判が悪くても営業できたのではないだろうか。

それが証拠に、駐車場に停まっている車は他県のナンバーが多く、県内ナンバーがあったとしても五島のようにO市から遠く離れた市町村の住民と思われる。

私はこの時初めて「釜山」がしぶとく生き残っている理由がわかったような気がした。

車に乗り込む前に「釜山」の駐車場へS県ナンバーの車が一台入ってきた。

五島はその車から降りてくる中年男性に駆け寄り、「この店ひどいですよ」と忠告。

腹いせの営業妨害をしていたが、私は止めなかった。

中華料理店釜山の最後

そんな来る客来る客に、トラウマを植え続けてきたであろう「中華料理釜山」がようやく閉店したのは、ミレニアムの西暦2000年を超えて数年経過した頃だ。

原因はおそらく「釜山」の隣に建てられた某宗教団体のO市支部の建物だろう。

「釜山」に向かって国道を車で走ればわかる。

そのお城のような建築物は、数多のビジターを毒牙にかけてきた「中華料理釜山」の看板を見事に隠していたのだ。

もう片方の対向車線側から見たら見えるが、看板につられて入ってくる客は単純計算で半減することになる。

よく中華料理店はつぶれにくいと聞くが、それは家族経営の場合であって、「釜山」のような比較的大規模の店は当てはまらないのではないだろうか。

それに、地元の人間に嫌われていた「釜山」が、ビジターをひっかけられなくなったら命取りだったはずだ。

相手が宗教団体だけに、まさに神罰と言えなくもない。

だが、「釜山」の悪運が尽きたのが30年以上のさばってきた後なので、さんざん悪事を働いた暴力団組長が96歳でようやく殺されたくらい釈然としないところがある。

それに悪魔を討伐して無辜のビジターを救ったことになるのが、霊感商法などで全国的に悪名高きうさん臭い宗教団体。

のさばり続ける悪に勝てるのは正義ではなく、より大きな悪だったということだろうか。

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