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悪質クレーマーに天誅 ~2004年・東京都足立区牛丼店クレーマー殺人~

本記事に登場する氏名は、全て仮名です。

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殺人事件の中には、被害者に一切同情できないものがごくまれにある。

被害者と加害者は「元加害者」と「元被害者」の関係、すなわち被害者が生前に殺されても仕方がないほどのことを加害者に行った結果、反撃もしくは報復されて死に至ったケースのことだ。

本ブログで取り上げる牛丼店の店長が執拗にクレームをつけてきた男を殺した事件、俗にいう『足立区牛丼店クレーマー殺人』は、まさにその典型たる事件とされ、現在に至るまで致し方なく凶行を行ってしまった加害者への同情と自業自得で、地獄に送られた被害者への侮蔑を以って語られる事件である。

真面目な青年

この事件の犯人となる市田武司(仮名・26歳)は、不動産事業や飲食店事業などを手掛ける企業の社員であり、2004年の事件当時、その傘下の大手牛丼チェーンのフランチャイズ店の店長だった。

市田は、同企業の系列の喫茶店で四年ほどアルバイトとして勤務。

その真面目な勤務態度から2004年6月に正社員に抜擢され、足立区の北千住にある牛丼店に配属された。

そこでも持ち前の責任感や接客態度の良さが評価されたらしく、わずか二か月後の8月に店長に昇進する。

牛丼店での勤務経験の短さもさることながら、26歳という若さでの店長就任は異例のことだったという。

市田が店長をやっていた牛丼店

こうして大抜擢された市田だったが、店長になって早々試練に見舞われる。

それは、店長就任後一か月も経たない8月下旬、市田の店に弁当を買ったという男から、一本の苦情の電話が入ったことから始まった。

その男によると、弁当を買って持ち帰ったら、それが横になっていたというのだ。

そして、その言い分と口調は、苦情というより言いがかり、クレームというより恫喝に近いものだったらしい。

あまりの剣幕に、店長である市田は謝罪したが、男の怒りは収まらない。

なんとその後、7-8回もクレームの電話をかけてきたのだ。

これは営業妨害以外の何者でもない。

いくら接客業であっても、本来ならこういった輩には強硬にして断固たる処置をとるべきであった。

だが、経験が浅い市田はやってはいけない行動に出てしまう。

何と、そのクレーマーの男の自宅に出向いてお詫びした挙句、弁当代として現金千円を渡してしまったのだ。

その現金千円は市田の自腹であったろうし、この件は自分の失態であるから当然であると、責任感の強い彼のことだから思ったことだろう。

そしてこれで解決したとばかりに、この件を本社に報告することはなかったらしい。

だが、それは大きな間違いであった。

そのクレーマー、墨田区東向島在住の保川英夫(仮名・36歳)は介護の仕事をしていたが、本性はとんでもないクズ野郎だったからだ。

保川は、その後も市田を何度か呼び出すなどして断続的にクレームをつけ続け、市田を追い込むことになる。

クレーマーに怒りの猛撃

9月11日、クレーマー保川は、何ら悪びれることなく堂々と店を訪れて弁当を注文。

この時に市田は店にいなかったが、今度も店員に対して文句をつけてきた。

「オイ!何で客に水出さねえんだよ!!」

待っている間に水を出さないことに腹を立てたようだが、そこまで怒るほどのことでもないはずだ。

しかしクレームを趣味にしているとしか思えない保川は、それでだけでは済ませなかった。

店を出た後に、またしてもクレームの電話をかけてきたのだ。

「店長出せ、店長!」

「どうなってんだよ、オメエの店はよ!」

「誠意ってもんあんのか?コラ!!」

しかも、今回は前回を上回る回数であり、それは翌日の12日まで続く。

常軌を逸した執拗さに、市田は「店の正常な運営ができない」と追い詰められたが、この期に及んでも、本社に相談をしようとしなかった。

どころか、再び自分一人で解決しようと行動に出る。

しかし、今回はまた元の木阿弥になるであろう謝罪ではなく、この問題の不可逆的且つ永久的解決を決意していた。

それは保川の殺害だ。

市田は、真面目な勤務態度と責任感の持ち主だったが、明晰な頭脳は持ち合わせていなかったと言わざるを得ない。

おまけに、パニックになりやすくて自制心も利かない男だったのは間違いないだろう。

9月12日午前11時ごろ、前も訪れて勝手知ったる墨田区東向島の保川のマンションを訪問した市田は、持参してきた刃物で横柄な態度で対応した保川の胸を一突き。

驚いて逃げようとする保川の背中にも刃物を突き立て、声をあげさせないように口も塞ぎつつ刺し続け、殺した。

クレーマー野郎が死んだことを確認すると、市田はそのままそそくさと立ち去った。

まさに天誅である。

保川の死体はその後、自宅に集金に来た宅配弁当店の店長に発見された。

この年、職を転々として介護職に就いたばかりだった保川は、懐具合が思わしくなかったらしい。

事件の二か月前の7月、ずうずうしくもその場で払うべき宅配の弁当代を「給料が出てから払うからツケにしてくれ」と頼んでいたが、そのまま8月を過ぎても払わずに連絡すらしていなかったのだ。

ゴキブリのような奴である。

保川は市田の店以外にも、ピザ店にクレームをつけていたことが後の調べで分かっているから、営業妨害を専門とする犯罪者と言ってもよい。それもチンケな。

だが、そんな二足歩行のゴキブリでも殺したのはまずかった。

宅配弁当店の店長からの通報を受けて事件の捜査を行っていた警察は、保川の電話の通話記録から、市田の存在を割り出す。

あの怒涛のクレーム電話のことである。

そして、事件から三か月後の12月11日、市田を殺人容疑で逮捕。

彼は保川を殺した後も逮捕されるまで、牛丼店の店長を続けていた。

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事件現場の近く

その後

2005年6月23日、東京地裁は市田武司に懲役10年(求刑懲役14年)を言い渡した。

判決は、保川がしょっちゅう苦情を言ってきたことが殺害の動機につながったと指摘しながらも、「被害者に殺害されなければならないほどの落ち度はない。きわめて短絡的との非難を免れない」としたのだ。

新聞の記事

自動的に生成された説明

やはりどんな事情があれ、殺人にはそれなりの判決が出る。

だが保川という男は「殺すことはなかった」かもしれないが、「殺しても構わなかった」奴ではあると個人的には思う。

日本の消費者は世界一極悪であり、接客する側が甘やかすからつけあがる輩が後を絶たないが、保川はその中でも、タチが悪い部類に入る。

そんな奴に哀悼の意を表する気はない。

どんな人間でも、死ねば仏なんて思わない。

保川のような男が殺されることもなく、その後も元気よくさまざまな店にクレームをつけ続けることがなくなったことは良いことだ。

そんな社会貢献をした市田だが、10年という時間を塀の中で失い、出所後も殺人という前科を背負って生き続けることになってしまった。

しかし、彼はまだ若い。

少々頭が悪くテンパりやすい欠点はあるが、天性の真面目さと責任感を持っているはずだから、やり直しは十分に利くだろう。

これくらいの過ちで人生を捨てることなく、立派に更生できると信ずる。

あと、この牛丼店を運営する会社だが、彼をもう一度雇ってあげてはいかがだろうか?

それも店長より上のポストで。

反社会勢力の暴力団ですら、抗争で相手を殺した組員は長い懲役を経た後に、「組のために体を張った功労者」として幹部のポストが約束されていた時代があった。

彼はまさしく店のために体を張ったではないか。

事実、この事件からしばらく、この牛丼店のその他の店舗へのクレームがなくなったというから、功労者だと断言できる。

彼を雇うことでイメージは悪くなるが、前科のある人間を雇うのは違法ではない。

全国津々浦々に展開して久しいほどの大手なんだから、それが原因で倒産するということもないではないか。

まっとうな会社だというなら、反社会勢力でもやっていること以上のことがやれるはずだ。

取り返しがつかないことをやった者でも、立ち直るチャンスを与えるという太っ腹なところを見せるべきであろう。

極論だが、真摯にそう思っている。

出典元―夕刊フジ・朝日新聞・毎日新聞

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“高校卒業後デビュー” した成人女二人の愚行 ~1995年・足立区小二女児誘拐事件~

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1995年(平成7年)8月7日夕方、足立区の小学二年生の女の子が連れ去られ、身代金が要求される営利誘拐事件が起きた。

事件は翌日夕方、身代金の受け渡し場所に現れた犯人を警視庁の捜査員が取り押さえ、もう一人の犯人も電話の逆探知により居場所が判明して逮捕。

その際に犯人と一緒にいた女の子も無事に解放されて、一件落着となった。

だがこの誘拐犯たるや、若い女二人。

20歳の遠野亜由(仮名)と21歳の船津紀美(仮名)であった。

その身代金の要求額はたった800万円で、犯行計画もずさん。

ばかりか、その後に判明した犯行理由により、当時の日本社会を大いにあきれさせた。

事件の経緯

8月7日午後6時14分。

足立区に住む会社員・山元聖一さん(仮名)の自宅に、一本の電話がかかってきた。

電話に出たのは、中国に単身赴任していた聖一さんに代わって自宅を守っていた妻の由紀(仮名)さん。

由紀さんは、この電話に出る前に心配事があった。

それは、山元家の長女の加奈ちゃん(仮名、7歳)が塾から帰ってこないことだったのだが、その電話で気が動転することになる。

相手の電話の声の主は女であったが、

「お子さんを預かっている。明日の午後5時に、800万円を持って北千住のファーストフード店の森永ラブに来い」

などとはっきりと、娘を誘拐したことを伝えてきたのだ。

びっくり仰天した由紀さんは、すぐさま110番通報。

これを受けた警視庁は、身代金目的誘拐容疑事件対策本部を設置して捜査に乗り出した。

翌8日午後4時41分、夫の聖一さんの勤務先から借りた800万円が入ったショルダーバックを抱えた由紀さんが、身代金の受け渡し場所として指定されたファーストフード店・森永ラブ(現在は存在しない店)に入る。

もちろん、店の周りに警官が張り込み、店内にも客を装った婦人警官が待機しているのは言うまでもない。

森永ラブ

しばらく時間が経過した午後5時2分、一人の若い女が店に現れ、由紀さんに近寄るや、一枚の紙を渡した。

紙には「タクシーで自宅に30分以内に帰れ。子供が帰るまで待て。警察には言うな」と書かれている。

やがて女は口を開いて、読んだら紙を返してくれと要求。

「私はもらうモンもらいに来ただけっスからね」と、自分は連絡役に過ぎないことをさりげなく強調して、身代金を渡すように迫る。

だが、母は強かった。

「子供を返してくれなきゃ、お金は渡せません!」

ときっぱりと唯々諾々と犯罪者の言いなりになることを拒絶したのだ。

「いや、ホント無事だって…」

「じゃあ、まず子供を連れてきてくださいよ!」

犯人の女は母親の思わぬ強硬な姿勢にたじろいだらしい。

「向こうの人が信用するかどうかわかんないけど」

と折れた彼女は午後5時19分、金も持たずに店を出た。

女も冷静ではいられなかったのであろう、ひんぱんに後ろを振り返りながらその場を立ち去ろうとしている。

だが、すでに袋のネズミだった。

周囲を完全に包囲していた捜査陣は、すぐさま確保の判断を下し、ほどなくして犯人の一味と思しき女、遠野亜由は身柄を拘束された。

警察は女児の行方を追求したが、遠野はここでも「新宿のアルタ前で男に金を渡す約束をしている」と、自分は主犯ではないことを強調する。

一方、同じく警官が待機している山元家でも午後6時9分に動きがあった。

もう一人の犯人から電話が来たのである。

「どうなってるんですか?金は?ホント警察に言ったりしてないでしょうね?ちょっと変な動きがあったもんで…」

この声も女のもので、身代金を取りに行った共犯者の遠野が戻ってこないので、しびれを切らしたらしい。

電話には、被害者の母親である由紀さんの妹を装った婦人警官が対応に出て、「まだ姉は帰ってきません。私は頼まれて留守番をしているだけでして」などといいつつ、逆探知を狙って会話を引き延ばす策に出る。

「また連絡します。あ、あと私も頼まれて電話してるだけですから」

「姉が一人で行ったものなんで、私もよく分からなくて」

「とにかくまた30分後にかけます。警察が動いてるんで」

「子供はそこにいるんですか?」

「こっちにはいないから!」

こうしてあわただしく電話は切られたが、これら一連の通話にかかった時間は逆探知するには十分だった。

発信源を突き止めた警察は周辺を捜索し、午後6時43分、加奈ちゃんを連れた船津紀美を発見して逮捕。

加奈ちゃんはケガもなく無事であり、丸一日ぶりに家族のもとに帰ることができて事件は無事解決した。

この事件が円満に解決したのは警察の手腕によるのもあるが、やはり、犯行の稚拙さにも原因があった。

まず、身代金の受け渡し場所にノコノコ犯人が現れるのも、誘拐犯としては大いに問題なのは言うまでもなく、その後は、うかつに電話をかけて逆探知されるなど行動は杜撰。

何より、営利誘拐の身代金要求額としては、かなり低額の800万円を要求しているあたり、この犯罪が愚か者による思い付きの域を出ていないことを物語っていた。

逮捕された遠野と船津は取り調べでも、自分たちは連絡役に過ぎず、主犯は男であり、ほかにも共犯者として自分の女友達の実名まで上げたりしていた。

しかし、供述があいまいで矛盾する点が目立ち、やがて二人だけで行った犯行であることが断定されるのに、時間はかからなかった。

高校卒業後デビュー

逮捕された遠野亜由と船津紀美

遠野亜由(仮名)
船津紀美(仮名)

    

逮捕された遠野亜由(仮名、20歳)と船津紀美(仮名、21歳)は、幼稚園の頃からつるんでいた幼なじみ。

中学時代の同級生によると二人ともテニス部に所属し、いつも共に行動していた。

そして両人とも目立たない印象であり、特に遠野の方は、それが顕著だったという。

中学卒業後は別々の高校に進学したが、船津は卒業後に定職に就くことはなかったようだ。

遠野の方も卒業後に専門学校に入学していたが中退して働くことはなく、事件が起こる二年前から船津の住むアパートの一室に転がり込んで同居するようになった。

そのアパートは船津の祖母が所有しており、家賃の心配はなかったが、二人とも働くことはなく、ボディボードをやったりクラブに行ったり遊び惚けるようになる。

学生時代は地味だった両人の外見も変わり、髪を茶髪に染めて日焼けサロンで真っ黒に日焼けさせていたらしい。

95年当時コギャルなどと呼ばれて、マスコミでもてはやされ始めていた女子高生のファッションだ。

まだ十代のつもりだったのだろうか?

高校卒業後デビューとは情けない奴らだ。

やっていることも未成年の悪ガキそのもので、真夜中に部屋で騒いだり、青空駐車して近所に迷惑をかけ、駐車違反の罰金を請求されても知らん顔。

そして金に困ると、あきれたことにゲームソフトを万引きしては中古ソフト屋に売っていた。

主にそれを行っていたのは遠野の方で、命令するのは船津。

船津は親分気取りで遠野をふだんからアゴで使って万引きで得た稼ぎを巻き上げ、時には暴力をふるってもいた。

もっとも、派手な外見と行動にもかかわらず男っ気が全くなかった二人を“レズカップル”だと、近所のおばちゃんたちには陰口をたたかれていたようだが。

だが遠野も遠野で、無職にも関わらず300万円もするRV車を買うなど分別がついているわけでは決してない。

事件の前には数百万円の借金を抱えてかなり金に困っていた。

そのおかげで、遠野はテレクラで売春したりキャバクラで短期間勤めたり、AVに出演しようと某プロダクションに売り込みをかけたりしていたが、そのパッとしない容貌とスタイルでは、一発逆転にほど遠かったようだ。

現に事件後に取材に応じた当のAVプロダクション関係者には、

「あの程度の子ではいいところ一日三万か四万くらい」

「20歳の体じゃなかった」

などと酷評されている。

遠野のヘアヌード。確かに若さがない。

このようににっちもさっちもいかなくなって、遠野が思いついたのがよりによって、この誘拐事件だったのだ。

しかも、その話を船津に持ちかけると何とあっさり引き受けて、実際に事件に至ってしまったんだから、二人とも頭が悪いにもほどがある。

窮すれば鈍するというが、限度というものがあるだろう。

誘拐した女の子も、その日たまたま出くわしただけで、初めから狙っていたわけでもない。

また、800万円という身代金の要求額からも、普段やっている迷惑駐車や万引き、売春に毛が生えた程度と考えていたフシがあるのではないだろうか?

逮捕後も自分たちの罪を軽くしようと、いるはずのない主犯や他の共犯の存在を騙って、ばれるに決まっているウソをつきとおそうとした点からも終始一貫して思慮に欠け続けていたといえる。

どうやらこの二人は、頭が中学生か高校生のまま大人になってしまった最悪の見本の一つであることは、疑いようがないだろう。

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