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2022年 おもしろ ならず者 悲劇 本当のこと

嫌老青年の主張 ~現代の高齢者は敬われる資格がない~

老後はみじめに決まっている。これから暗くなることが確実な未来に立ち向かわなければいけない我々現役世代は、恵まれた人生と老後を謳歌できた上の世代を尊重する必要はない。

そう主張する青年が昔いた。

本記事に登場する氏名は、全て仮名です。

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私は、某大手運送会社のY運輸で働いていたことは、当ブログで何度も言及している。

アルバイト時代も含めれば、十年以上も勤務してしまった。

まあ正直言って、社会には必要な仕事の一つなのかもしれないが、荷物を仕分けたりするような単純な作業で誰もやりたがらない夜勤だったせいもあるのか、浮世離れした人間が多かった気がする。

勤務していた十年の間に、実に多くの怪人物に出くわしてしまったものだ。

そして、今回ご紹介する加賀雅文も、間違いなくその範疇に入るであろう理由は、極端な屁理屈で理論武装された主義主張と行動原理を有していたからである。

見かけによらない男

加賀は、私と同い年の同学年で、2003年(平成15年)だったその当時28歳。

何年かある大手企業でサラリーマンをやっていたらしいが、その会社を辞めてから、アルバイトとしてY運輸に入ってきた。

パッと見、礼儀正しく、おとなしそうな男である。

働き始めのころは、特に問題を起こすこともなく勤務していたから、あまり目立った印象はない。

しかし、それは二週間ほどで変わることになる。

加賀は、いつも大きな荷物を仕分ける係をやっていたのだが、その日は腰が痛くなったとか言って、一番肉体的負担の軽いベルトコンベアから流れてくる荷物を引き入れる係をやろうとしていた。

我々の部署の班長である新井は放任主義で、人員の配置については、その多くをアルバイト同士の暗黙の了解や話し合いで決めさせている。

そんなこともあって、そこはいつも東野という五十代のおっさんがやることになっていた場所であったが、この日は遅れて来るらしいので空きができていたのだ。

作業が始まって一時間後、東野が出勤して来た。

東野は遅れてきたくせに、いつもの楽な場所をやろうと、そこで作業している加賀に「オイ、交替交替」とか言って、自分に替わらせようとしていた。

このおっさんは、いつもこうだ。

「俺は腰が悪いんだ」とか言って、一番楽なその場所に別の誰かがいると、必ず譲らせようとする。

だが、加賀はその場所を離れようとしない。

東野に何か言われて答えている様子だったが、それが穏やかではない雰囲気に発展していっているのが、遠目からも分かった。

やがて「あ?俺だって腰が痛えんだよ!」とかいう加賀の言葉が聞こえてきて、東野がまた何か言うと、

「今日くらいいいだろ?!」とか「いっつも楽なトコばっかりやってんじゃねーか!!」とか「ふざけんな!同じ給料だぞ!!」とか怒鳴り始めた。

あの大人しそうな加賀とは思えない剣幕で、ドスもかなり効いており、普段偉そうな東野もその迫力に、「いや、その、だからさ…」とか言っててタジタジだ。

さらには、

「体が動かねえなら、いっそのこと家で死んでろ!!!」

とまで言い放った。

やがて班長の新井が飛んできて間に入ったのだが、結局、新参者の加賀は古株の東野に楽な場所を譲らされ、一番きつい元の場所に強制送還されてしまった。

加賀がいなくなると、東野は「なんだあのヤローは?ふざけやがって!」とか、急に威勢がよくなって悪態をつき始めていたが、おさまらない加賀の方は、「年取ってるからって、そりゃおかしいじゃないですか!」とか「不公平ですよ!!」とか、大声で新井に抗議し続けているのが聞こえてきた。

ヒトは見かけによらない、あんな気が荒い奴だとは思わなかった。

私も気を付けよう。

嫌老有理

新人のくせに、曲がりなりにもベテランの東野に反抗するという騒動を起こしたにもかかわらず、加賀はその後も何食わぬ顔で出勤し続け、次の月になるころには職場になじんできた。

また、歳が同じということもあって、私とはよく口を利くようになる。

だが、態度はちっとも穏やかにはならない。

東野に吠えてからしばらくたったある日の作業中には、須藤という東野と同じくらいの年輩のおっさんに対して、「コラ!国民年金払ってやらんぞ!!」とか、ワケの分からんことを怒鳴っていた。

聞けば、大声を出した理由は、須藤が重い荷物の仕分けを「若い人に任せます」とか言って、加賀に押し付けようとしたからだという。

だとしても、ひと回り以上年長の人に、あんな言い方はよくないだろうに。

しかし、加賀は相変わらず「あのオヤジがふざけたこと言うからだ」と聞く耳を持たなかった。

話すようになってすぐに気づいたが、この男はかなり年寄りがお嫌いらしい。

「なんで役に立たんジジババと俺らが同じ給料なんだ」

と、口癖のように言っていたし、なぜか私のことを自分の理解者だと判断したらしく、休憩時間だけでなく帰りの電車の中でも、年長者に関する歪んだ自説を主張し続けていた。

帰り道が途中まで一緒だったので、私は帰りによく捕まって、それを聞かされ続けることになる。

何でも、彼に言わせれば、現代日本の年長者は尊重するに値しないのだそうだ。

加賀によると、まず年長者が年少者から尊重される前提は、多数派の若年人口に対して圧倒的少数派であることだという。

少子高齢化が進み、年長者が多数派になりつつある昨今では、今後ますますこの前提が成り立たなくなる。

そして第二に、年長者の存在意義としては、その豊富な社会経験や知識を有していることだが、それらは昨今の目まぐるしく変化する現代の産業・社会構造の前には、モノの役に立たないことが多いし、その変化についていけないではないか。

つまり存在意義がないばかりか、足手まといですらある。

我々現役世代は、従来の常識も教えも全く通用せず、より複雑でより暗くなる一方の未来に立ち向かわなければならない。

なおかつ、悠々自適を決めこむ多くの高齢者を養うための国民年金を払いながらだ。

彼らのような恵まれた引退後の生活は、絶望的なのにも関わらず。

どちらがどちらを尊重するべきなんだろう?

というようなことを帰りの山手線の電車内で話す時、

28歳の加賀は、いつも優先席にどっかりと座っていた。

本来、そこに座ることができる高齢者が来ても譲る気配は一切なく、恨めしそうにこちらを見てきたら「シッシッ」と追っ払うしぐさをする始末。

優先席には、いつも優先的に座っているのだそうだ。

私はさすがに立っていたが。

さらに、加賀は子供のころから年長者に言われると腹が立って仕方がない言葉があるという。

それは「これからの日本は大変だ」である。

「ろくでもない将来を押し付けられてるみたいじゃねえか!あとは知らねえよ、ってことだろ!?」

あともうひとつ、「今の若い者は恵まれている」と言った年寄りに対しては、殺意を抑えきれないらしい。

「俺たちは、あいつらみたくボーっとした時代を生きてねえんだ、ふざけんな!!」ともよく言っていた。

その二点については、私も確かに理解できなくもないが、電車内でしゃべっているうちにエキサイトしてきたらしく、声が大きくなるのだけは勘弁してくれ。

こちらを振り向く人もチラホラいるんだから。

だが、そんな加賀でも尊重する世代があって、それは第二次世界大戦(加賀は、大東亜戦争と呼んでいた)に従軍した経験のある人たちだ。

結構、右寄りの男でもある。

ただし、尊重すべきは直接戦地に行って戦った経験のある人たちのみに限られ、空襲で逃げ回っていただけの非戦闘員だった連中は認めないとか言ってて、そこは加賀らしい暴論だ。

同時に最も嫌う世代があって、それは戦後の1940年年代後半のベビーブームに生まれた団塊の世代(この当時はまだ50代後半だったが)である。

「アイツらがいるから、日本がおかしくなってきたんだよ!」

どうも、加賀が前の会社を辞めた理由は、団塊世代の上司たちが原因のようだ。

無能で働かず、「もう歳だから」という理由で、こちらにきつい仕事は押し付けてくるは、理不尽な要求はしてくるは、挙句の果てには責任まで押し付けてくるは。

「俺の若い時はこうだった」とか過去の成功体験にしがみついたワケのわからん根性論を振り回し、エクセルやワードも覚えようともしない。

尊敬できる人間は誰一人いやしない、目前に迫った退職までダラダラのんびり過ごすことを決め込んでいるとしか思えなかった。

そのくせ、肩書や給料だけは一丁前に高い!

それに我慢がならなくなり、そのうちの一人を会社で張り倒してしまって退職。

今のアルバイト生活に至ったらしい。

加賀は、そんな生産性の低い奴らが法律に守られてクビにもならず、その役立たずに牛耳られた日本企業は体力を奪われ、結果として国力は衰退して行くのだと主張。

さらに、あと何年もしたら退職した大量の楽隠居が野に放たれ、その後、何十年も福祉に国庫が食われ続けて破滅的状況を招くことになると警鐘を鳴らした。

また、団塊世代が若いころ安保闘争やなんやで好き勝手暴れ、社会の主流となってからは、我が国を間違った方向に導いておきながら逃げ切るのも許せないといきり立つ。

「あのまま、あいつら団塊世代を生かしといたら、日本はまずいぜ!今のうちに半分くらい殺処分するべきだ!!」

いくら個人的な恨みがあるからってそりゃ言い過ぎだろが。

しかも電車の中でそんな大声で。

こいつは右翼どころか、ファシストだ。いや、紅衛兵に近いのかもしれん。

それに、私の両親もお前が言うところの団塊の世代だぞ。

お前は私の両親も殺す気か?

しかし加賀も、「俺の両親だってどちらとも昭和23年生まれでどんぴしゃり団塊だ」とさらりと答えた。

だったら、まずはお前が率先して自分の両親を…、

というブーメランはさすがの私も返すことはできなかったが。

これから高齢者になる者の心構え

「でもさ、上の世代の働きで今の日本があるわけだろ?」などと私が言おうものなら、

「じゃあ、これから先はどうなんだ?今までの功績があるからって、これからは足を引っ張ってもいいってか?」

「だいたい、あいつら一番いい時に生まれただけじゃねえか。あいつらが偉いわけじゃねえ!」

「本当に偉いのは、これからどんどんやばくなる日本で生きなきゃいけねえ俺たちだろ!」

と、数倍の反論が返って来た。

ムチャクチャとはいえ、加賀が年寄りに冷たいのには彼なりの理由があるようだが、一つ重要なことを忘れてる。

それは、「我々も年をとる」ということだ。

爺さんになってから、若い世代に冷たくされたらどう思うんだ?

対する加賀は顔色を変えることなく、「間違いなくされるに決まっているだろう!」と断言。

それどころか、今の若い奴ほど年寄りに親切じゃないはずで、「いつまで生きてるんだ」と、迫害を受けるだろうとも予測していた。

自分たちが高齢者になったら下の世代からゴミ扱いされると達観しているようなのだ。

そして、

「どうせ親切にされないなら、俺たちだって親切にする必要はない」

と力説し、

「罰を受けるなら、好いことやって受けるより、悪いことやって受けた方がマシだ!」

と唸り出したところで、我々の乗る山の手線は新宿駅に到達した。

運がいい。

私はここで降りて小田急線へ、奴はこのまま乗って大塚までだ。

今日は、とりあえずこれ以上とち狂った話を聞かずに済みそうである。

とは言え、考えてみれば加賀の予測どおり、我々が高齢者になった時は、下の世代からの冷遇という過酷な余生が待っていることは間違いなさそうで、彼はそれを覚悟の上であることは何となく理解できる。

暴論とはいえ、少なくとも一本筋は通っているような気がした。

だが、それは私の誤解であったことが、後日すぐに分かることになる。

その日、私はY運輸に出勤してタイムカードを押してから現場に向かうと、人だかりができて騒がしくなっていた。

時々怒声が聞こえるから、誰かがモメているらしい。

「誰と誰がもめてんだ?」と思って近寄ってみたら、もめてる片方はあの加賀ではないか!

今度の相手は、夜10時までの夕勤アルバイトの高校生風の若者で、意外と腕力のある加賀は、若者の胸倉をつかんで押し倒している。

そして例のごとく、ドスを効かせて大声でこう凄んでいた。

「コラ!!ガキのくせにさっきのナメた口のきき方は何だ!?俺が年上だと知ってて言いやがったのか!!」

年長者を尊重する必要はないとか言っときながら、年少者に軽んじられるのは我慢がならないらしい。

単なるならず者であった。

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