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虚言で日本中を振り回したバカ女 ~92年オーストラリア花嫁失踪騒ぎ~

シャレにならんことをやった後で、しおらしく謝られてもムカつくだけだ。90年代にも海外での自分勝手なふるまいにより、日本中をイラつかせた女がいた。

本記事に登場する氏名は、全て仮名です。

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男を惑わせて振り回すような悪い女を「魔性の女」とか、「小悪魔」とかいう言葉で形容する場合がある。

どちらも悪い意味のはずだが、「魔性の女」は何となく悪魔的な魅力を持つ上に知謀にも長けていそうな感じがして、この言葉を使われた女に対しては、多分に賞賛が含まれていると個人的には思う。

「小悪魔」の方は「魔性の女」とかより格下だが、ずるい反面で男を引き付けるだけの魅力を持っているイメージがあるから、必ずしも全面的に否定する意味ではない気がする。

今から30年以上前の1992年12月に、ハネムーン先のオーストラリアで「誘拐された」と愚にもつかない虚言を吐いて行方をくらまし、新郎や身内はじめ日豪両国の多くの関係者に迷惑をかけた女、拙ブログで取り上げる日高美穂子(仮名・25歳)はどちらだろう?

間違いなくどちらでもない。

甘ったれたバカ、そしてクソだ。

ハネムーン中に失踪した新婦

ロックス

1992年(平成4年)12月7日、オーストラリアのシドニー市の観光名所ロックス近くで、日本人の榎本敦夫(仮名・29歳)はやきもきしていた。

彼は待ち合わせをしていたのだが、約束の時間になっても相手がいっこうに現れないのだ。

敦夫が待ち合わせをしていたのは、ただの相手ではない。

それは、新妻となる日高美穂子(仮名・25歳)である。

二人は、それまで二時間ほど、別々に市内を散策していた。

大阪府在住の敦夫と美穂子はテニスクラブで知り合い、一年半の交際を経て11月28日に挙式を挙げ、翌29日にハネムーン旅行に出発。

旅行先として選んだここオーストラリアは、当時の日本人に人気で、二人はゴールドコースト、ハミルトン島などの王道のコースを巡って12月6日にシドニーに入っていた。

ハネムーン中の美穂子

彼らは入籍前に結婚式を挙げたため、美穂子の性は変わっていない。

入籍は、明日8日に日本に帰国した後にすることになっていた。

だとしても、戸籍上はまだ夫婦ではないとはいえ、事実上の新婚である。

いつも一緒にいるはずのハネムーン旅行なのに別行動をとったのは、二人が午後1時ごろ、シドニーの免税店で買い物をしていたところ、美穂子が「もう最終日なんやから、自分らで自由にシドニーを回らへん?」と提案したからだ。

そして落ち合うのは、二時間後の午後3時半と約束していた。

敦夫は、待ち合わせに選んだ場所に時間通り到着していたが、彼女は、その約束の午後3時半を過ぎても影も形も見えない。

オーストラリアはアメリカなどと違って比較的治安の良い国だが、それでも海外で姿を消したとなると不安になる。

もしかしてホテルでは?とも考えて宿泊先のホテルに戻ったが、そこにもいない。

部屋の中で美穂子の帰りを待っていたが、戻ってこないばかりか連絡すらなかった。

午後8時、心配でたまらなくなった敦夫は、シドニーの日本領事館に連絡する。

領事館は、館員をホテルに派遣して事情を聴くや、ただ事ではないと判断して、シドニー警察に協力を依頼した。

不可解な失踪

敦夫の待機する部屋の電話が鳴ったのは、午後11時ごろ。

かけてきたのは、何と美穂子からだ。

「美穂子か!?お前ナニしとるん?どこ行っとんのや?」

あわてて電話に出た敦夫に、美穂子はあまりにも不可解なことを伝えてきた。

「ウチ、車で連れてかれてもうてな、ここ、どこかわからへんのや。オーストラリアの人に助けてもろたんやけどな。でも自分で帰れるから捜さんといて」

そう言うや、電話が切れたのだ。

「車で連れていかれた」、それは誘拐ということではないか?

でも、「自分で帰れるから探さないでくれ」とは、どういうことだ?

疑問点はいろいろあるが、事件に巻き込まれたにおいがする。

新婚旅行中に自分から失踪するのはありえない、とこの時は考えられた。

それに美穂子は、それまで何回も海外旅行に行っていたが、日本人のご多分に漏れず英語はからっきしだし、所持金も少ない。

「単に迷子になっただけではないか?」と考えていたシドニー警察も、7日夜の怪電話から何の連絡もないことから、事件性が高いと判断。

8日には、誘拐事件として公開捜査に乗り出す。

情報提供を呼びかける敦夫

敦夫も地元シドニーのテレビ番組に出演し、美穂子の写真をカメラに示しながら「妻は誘拐されたと考えています。見かけた方は、警察にお知らせください」と沈痛な表情で、情報提供を呼び掛けた。

だが、誘拐事件のわりには身代金の要求などもなく、事件に関する情報も、ほとんどないために捜査は難航する。

日本国内の騒動と意外な結末

この一件は、9日の時点でオーストラリア国内ばかりか「花嫁失踪事件」として日本国内で報道され、国民の知るところとなっていた。

この92年当時は、同年春にパキスタンでカヌー下りをしていた早大生が誘拐されたり、パナマでシチズンの日本人社員が誘拐されて殺害されたり、日本人が海外で誘拐される事件が頻発しており、「また起きたか」という印象が持たれてもいた。

日本のマスコミは、「美人花嫁失踪」などの釣り文句付きで連日報道。

現地の捜査の状況や美穂子の身を案ずる両親や兄弟の模様を逐一伝えており、彼女の母などは「なぜ敦夫さんはずっと一緒にいてくれなかったのか?」などと、新郎を非難する始末だった。

そんな折、三日目の10日に事件が、ますます不可解な方向に脱線する。

ホテルに待機している敦夫に、美穂子から再び連絡が来たのだ。

その電話で彼女は、「今ゴールドコーストにいる」と話していた。

だがその後は、またしても連絡が途絶える。

生きていることは分かったが、シドニーからゴールドコーストまでは800kmほど離れており、美穂子がなぜそんなところにいるのか?という疑問の声が関係者の間で上がった。

どういうことだ?本当に誘拐されたのか?

一方のシドニー警察による捜査には、進展があった。

警察は、二人が泊っていたホテルの部屋から美穂子のものと思われるメモを発見。

そのメモには、あるモーテルの名前と電話番号、住所が書かれていたのだ。

誘拐事件として捜査する反面、その線に疑問も抱いていた警察は、そのメモに書かれたモーテルのオーナーである日系人女性に連絡して、事情を聴いたうえで協力を要請。

そのオーナー女性は警察に、日本人女性が一人で宿泊しており、チェックイン日時は12月7日だと話した。

ちょうど、美穂子が行方をくらました日だ。

しかも、それは一か月前から予約されており、予約の電話をかけてきたのはミナミノと名乗る男。

滞在予定は一か月で、その女性が来る前に着替えなのか、荷物も日本から送られていた。

チェックインした際の署名は「ミナミノ・メグミ」だった。

警察から連絡を受けてからオーナー女性はさらに、そのミナミノ・メグミのいる部屋を訪ねて「日高美穂子さんですね?」と確認したが、断固否定されたと知らせてきた。

本人であると判断した警察は、11日午前3時ごろモーテルを訪れて、その部屋にいた日高美穂子と思われるミナミノ・メグミに確認を取ったところ、女は激しく否定。

ばかりか、部屋にあったパスポートやキャッシュカードを窓から投げ捨てて、身元が分からないようにしようとすらしたが、無駄な抵抗だった。

日高美穂子本人以外の何者でもないことは明白であり、彼女も観念して、警察に確保されるしかなかった。

この時、美穂子は失踪前には長かった髪をセミロングに切って、伊達メガネをかけて変装していたらしい。

また、オーナー女性が訪ねてきたことから、捜索の手が近くなっていることを察していたようで、追っ手をかく乱するためか「メルボルンに行く」というメモが用意されていた。

そして、ハネムーン中は、ずっとはめていたエンゲージリングは外され、テーブルの上に置かれていたという。

会見で明らかになった失踪のあきれた理由

誘拐は、完全に美穂子の狂言だった。

ちなみに、美穂子の滞在していたモーテルは、敦夫と泊まっていたホテルから、10㎞ほどしか離れていない。

彼女は失踪している間、ほとんど外出せずに、部屋に引きこもっていたようだ。

愚かな日本女により、完全に振り回されたシドニー警察だったが、「旅行客の保護にベストを尽くしただけで、捜査費用は一切請求しない」と、太っ腹で大人の対応をした。

だが、二人はマスコミを通じての説明責任を果たさなければならない。

現地時間の11日午後7時、彼らは宿泊していたホテルで日豪両国の記者会見に臨んだが、事情を知った敦夫はぶ然とし、張本人の美穂子は緊張のためにガクブルであり、互いに顔を合わせようとせず、美穂子は記者の質問に対しての答えも、ボソボソとして支離滅裂だった。

まず、どうして失踪したかについて美穂子は、

「一か月前、結婚することに不安を覚え、成田離婚になったらどうしようと考え、知り合いに相談したら現地のモーテル(発見されたモーテル)を紹介してくれました」

と答え、着替えまで送って一か月ほど滞在するつもりだったのは、

「ゆっくり考える時間が欲しかった」

とボケた。

また、記者会見で美穂子は

「計画的にやったわけではない」

ともボケたが、一か月前からそんな準備していたというのは、十分計画的である。

その知り合いが、くだんのモーテルに予約電話をかけてきたミナミノらしいが、では、そのミナミノとはどういう知り合いなのか?かなり親しくなければ、ここまでやってくれそうにないが、という質問には、

「前の会社の上司で、昔、海外旅行した際もお世話になって…」

と答えたが、具体的な関係については口を濁す。

男女の関係であった可能性が高い、過去形もしくは現在進行形の。

後者だったとしたら、失踪前から敦夫を裏切っていたということである。

ちなみに「ミナミノ」は騒動になっている最中も心配して、何度か美穂子に電話しており、この失踪劇の共犯であったとみなされても仕方がない。

10日に、敦夫に「ゴールドコーストにいる」と電話したのは、「日豪双方のマスコミに報道されて騒動になっていることをテレビで知り、警察ざたになるのが怖くて、じっとしているのに耐えられなくなったから」「彼に勝手なことをしていると思われたくなかった」と、立て続けに天然ボケをカマす。

すでに勝手なことをしているではないか!

そして、「12日には警察に出頭するつもりだった」とも語ったが、ここまでの騒動を引き起こしておいた後では、あまりに嘘くさい。

美穂子の答えは、終始論理が完全に破綻しているように聞こえるが、要するに好きでもない敦夫という男と結婚するのが嫌で、かと言ってきっぱり別れを切り出す勇気もなく、ズルズルとハネムーンまで来てしまったということだ。

そのくせ「誘拐された」などと、大胆な大ボラを吹いて現実逃避し、とんでもなく大きな迷惑をかけている。

一方の強烈に裏切られていた新郎の敦夫は、記者の「結婚に対して不安を持っていることは美穂子から聞かなかったのか?」という質問に対して「相談されてはいた」と答え、「では、それが失踪の原因ではないかと思わなかったのか?」と聞かれると「その時は本当に誘拐されたと思った」とし、「自分が嫌いでいなくなったと信じたくなかった」と言った。

最愛の女性を、信じたかったということだろう。

だが、「今後の結婚生活はどうなるのか」という核心に触れた質問に対しては、斜め上を行く答えを返す。

「あほやと思われるかもしれへんけど…帰国したら針のムシロでしょうが、これからも二人で一緒にやっていきます」

と、予定どおり入籍することを宣言したのだ。

絶対に別れるだろうと予想していた報道陣も、これには唖然としていた。

美穂子もナメクジのようにすすり泣きながら、「敦夫さんのことが大好き、好きです。ずっと一緒にいたいと思っています」と答えて、その場の記者たちを凍り付かせた。

帰国後

日本で会見する敦夫と美穂子

帰国して大阪空港に降り立った二人は、そこでも記者会見を行い、またしても別れる気がないことを表明して、世にも奇妙な純愛劇を世間にさらす。

しかし、敦夫は会見中に泣き始めた美穂子が「敦夫さんごめんなさい」と、洟水を垂れながら甘えるように頭を自分の肩に傾けようとすると、手でそれを押し返した。

結婚生活を続ける意思は示したものの、この裏切りは、とても全面的に許せるものではなかったのだ。

そして、この寛容バカの男も、翌日にはその決心を変える。

敦夫の身内や知人は、このまま入籍することに納得せず、ワイドショーなどのビデオを見せたりして日本国内で、どのように報道されているかを知らせたのだ。

この騒動の全貌をようやく知った敦夫はワナワナと震え、この女と今後も連れ添うことが、いかに破滅的かを悟る。

美穂子の側にすぐさまそれを伝え、順調に離婚することとなった。

当たり前だ。

特に敦夫の母は、息子がハメられたと怒り心頭であった。

そもそも、母親の美穂子に対する印象はハネムーン旅行に行く前から最悪で、息子に「本当にこの人でいいの?」と尋ねていたくらいである。

それは、結納や結婚式で美穂子と四回会っているが、ヌボーとして一度も笑顔を見せておらず、感じがあまりにも悪かったからだ。

敦夫は、ふだんから女遊びには無縁な堅物で、そのおかげで女を見る目がなく、美穂子のような陰キャなうえに、バカで自分勝手な女に引っかかってしまったと見ることもできる。

彼は大阪空港での記者会見で「今後の取材は一切お断りします」ときっぱりマスコミにくぎを刺していたが、現代以上にモラルのなかったこの時代のマスコミは、言いなりにならなかった。

狂言誘拐だとわかった後は、さすがに二人の実名は出さなくなったが、第三の男である「ミナミノ」氏の正体を探ろうとするなど、しばらく、この騒動に関する面白半分の取材は続けられ、

バラエティー番組でも明石家さんまなどが記者会見を茶化すパロディーネタを披露するなど、完全に笑いものにされる。

ネクラな美穂子は帰国後姿をくらましてしまい、会社を無断欠勤し続けていたという。

いい面の皮だった敦夫も、最愛の女性がゴミだったことに落胆するあまり立ち直ることができず、勤めていた会社を辞めてしまったようだ。

その後の二人については、30年以上たった現在では知るよしもない。

美穂子はどうなっていようが知ったこっちゃないが、せめて敦夫の方は、まっとうな人生を歩んでいて欲しいものだ。

出典元―日刊スポーツ、週刊現代、週刊ポスト、FOCUS

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