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21世紀の銃剣突撃 ~2004年イラク戦争・ダニーボーイの戦い~

現代の戦争は兵器のIT化、ハイテク化によって相手の見えない戦争となりつつあると言われる。もはや敵味方が銃剣を振りかざして肉弾戦を行うような白兵戦は起こりえないのではないか?いや、そうでもない。21世紀になってからも白兵戦は行われたのだ。それも先進国である英国の軍隊によって。

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白兵戦とは本来、敵味方の兵士が入り乱れての白刃による近接戦闘を指す。

白兵戦は古代や中世は言うにおよばず、遠距離からの攻撃が可能な火器が登場してからも行われ、近世に至ってほぼすべての兵士に火器が行き渡ると、それに銃剣を着剣しての白兵戦が主流となり、第一次世界大戦まで重要な戦法であり続けた。

自動火器が発達してからも完全に消滅することはなく、第二次世界大戦はもちろん、その後の朝鮮戦争やベトナム戦争でも敵味方が近距離で遭遇した際には、白兵戦が発生していたという。

それ以後、より兵器が高度になった1982年のフォークランド紛争や精密誘導爆弾やステルス戦闘機などのハイテク兵器の独壇場になった1991年の湾岸戦争においても、銃剣を使った白兵戦が完全に消滅したわけではなかった。

だが、ステルス機や精密誘導爆弾などのハイテク兵器が登場して久しく、IT化も進んですでに敵の姿すら見ることがなくなったと言われるようになっていた21世紀の戦場ではどうだろうか?

さすがに、もう発生することはないだろう。

いや、実はそうではなかった。

2004年、中東・イラクのバスラでそれは起こった。

しかも、古式ゆかしき銃剣を着剣しての突撃で、それを行ったのは世界屈指の軍事大国・英国の部隊なのだ。

待ち伏せに遭った英軍

2003年3月20日に米英を中心とする有志連合によって、イラクによる大量破壊兵器保持における武装解除進展義務違反を理由とした『イラクの自由作戦』の名の下で行われたイラク戦争。

イラク正規軍との戦闘は、ほぼ一方的な展開となってイラクの独裁者サダム・フセイン率いるバアス党政権は崩壊、2003年5月1日に戦争に踏み切ったジョージ・W・ブッシュ米大統領によって「大規模戦闘終結宣言」が出たが、米国が指摘した大量破壊兵器の発見には至らず、さらにイラク国内の治安が悪化して戦闘は続行していた。

そんなイラク戦争二年目の2004年5月21日、有志連合の一角であった英軍の第16空中強襲旅団戦闘団(当時はアーガイル・アンド・サザーランド・ハイランダーズ)所属の兵士20名は、任務交代の命令を受けて、ダニーボーイと呼ばれた検問所へ向かっていた。

ダニーボーイは、イラク南部で最大の都市であるバスラに近い地点にある。

このころイラク北部では、米英軍に対する抵抗が活発化して極端に危険になっていた時期であったが、北部は前政権のバアス党に優遇されていたスンニ派の地域だ。

バスラを含めた南部はバアス党に虐げられてきたシーア派住民居住区であり、駐留する米英軍に攻撃を加えてくることはあっても大規模な衝突となったことはなかった。

また、この時点のイラク南部では後に米英軍相手に猛威を振るうことになるIED(路肩爆弾)による被害が発生しておらず、英軍兵士は危険な任務ととらえてもいなかったようである。

よって、英軍はあえて重装備の部隊を派遣せず、非装甲の軍用トラックで兵員を派遣していた。

だが、分隊がバスラまで約55マイルの地点まで来た時に、それが間違いであったことを思い知ることになる。

その場所は郊外の集落で、道路沿いには、まばらなに建物があったのだが、その後ろから人影が見えたかと思うと突然激しい銃撃を加えてきたのだ。

イラクに駐留している全ての外国軍の排除を目的としたシーア派武装組織マフディ軍である。

マフディ軍は、これまでも攻撃を加えてきたことはあったが、今回ほど激しいものは初めてであり、人数も優勢だ。

マフディ軍

英軍にとって完全な不意打ちとなったが、彼らは世界に冠たる英軍の第16空中強襲旅団戦闘団の精鋭たち。

指揮官の的確な支持の下、瞬時に反応する。

車両は銃撃を加えられながらも路肩に停止し、兵士たちは次々に下車して、路肩の縁石などを遮蔽物に反撃を開始した。

マフディ軍には数的優位があったが、指揮官や個々の民兵の練度は、英軍に遠く及ばなかったようである。

多数の敵から先制攻撃を受けたにもかかわらず、この時点で英軍側に死傷者は出ていなかったのだ。

もし、この時マフディ軍の中に有能な指揮官がいたら、手際よく英軍を包囲して殲滅に成功していたことだろう。

 2003年のイラク戦争の戦闘終結宣言以来、英軍はバスラに駐留。

誤射による死傷者を減らし、地元のシーア派イスラム教徒の支持と好感を勝ち取るために、イラクの英軍は厳格な交戦規則を設定、直接攻撃を受けた場合のみ反撃を許可していた。現在のこの状況は、明らかに反撃が許されるものである。

英軍指揮官は保有する全ての火器の使用を許可し、射撃の精度の高さもあって、交戦開始から十数分後には一時的にマフディ軍を圧倒し始めた。

数的優位があるにも関わらず、劣勢に立ったマフディ軍は態勢を立て直そうと銃撃を止め、街中へ向けて加勢を求める呼びかけを始める。

だが、これは著しく軍事リテラシーを欠いた行動であった。

なぜなら、その呼びかけは英軍にも聞こえており、自軍の状況を敵軍に知らせているに等しい行為だからだ。

しかも、英軍は現地語のわかるガイドを同行させていたために、マフディ軍の状況は筒抜けだった。

もっとも、英軍にとって不利な状況がさらに悪化しつつあることに変わりはなく、守りを固めながら一番近い友軍に無線で救援を呼びかける。

膠着状態が続いていたが、時間の経過によって事態はより悪化した。

弾薬が底を突き始めていたうえに、マフディ軍側に新手のシーア派民兵数十人が加わり、道路に沿って展開、総兵力が100人を超えたのだ。

一方の英軍は20名のままであり、敵軍の助っ人が到着するまでの間に、簡単な塹壕を掘っていたものの、数的劣勢はより深刻になって孤立した形となっていた。

道路を挟んで対峙するマフディ軍は、じりじりと包囲網を形成。

しかも、今度はRPGロケット砲や迫撃砲まで持って来ており、その増強した火力で英軍を殲滅しようとしているのは明らかであった。

危機的な状況に陥った英軍だったが、指揮官は分隊を二手に分け、一方に現在の拠点を死守させ、もう一方に相手側に攻撃を加えさせてかく乱する戦法に打って出る。

そして、救援要請に一番近くをパトロールしていたブライアン・ウッド軍曹指揮下の英軍プリンセス・オブ・ウェールズ・ロイヤル連隊の一個分隊が応えて到着。

彼我の戦力差は4対1に縮まったが、劣勢なのは変わらない。

ブライアン・ウッド軍曹

双方とも銃撃戦を展開しつつも、マフディ軍は練度の高い英軍を警戒し、英軍はマフディ軍の数的優勢を警戒して、積極的な攻勢に打って出ることはしなかったために再び膠着状態になったが、英軍側の弾薬は確実に欠乏し始めていった。

着剣!突撃!!

プリンセス・オブ・ウェールズ・ロイヤル連隊

30分間銃撃戦が続いた頃には英軍の弾薬はほぼ枯渇、時間の経過とともに、形勢は絶望的になりつつあった。

こののっぴきならぬ状況の前に、救援に駆け付けて孤立した英軍部隊を指揮することになったブライアン・ウッド軍曹は、捨て身の戦法を決断する。

それは、残りの銃弾を発砲しながら、銃剣を使った突撃を行うことだ。

だが、いくら弾薬がなくなったからとはいえ、これは危険というより自殺行為に等しい決定だった。

なぜなら、自軍の今いる拠点からマフディ―軍が陣取る場所まで180メートルほどしかなく、その間に遮蔽物はなかったために、恰好の標的になる危険があったのだ。

しかも相手の兵力は四倍である。

下手すれば、日本軍の米軍相手のバンザイ突撃のような結果になることは必至だったのだ。

しかしこの捨て鉢とも思えた戦法は、予期せぬ効果があった。

英軍の精鋭が発砲を続けるマフディ軍側に殺到すると、シーア派民兵たちは意表を突かれて浮足立ち始めたのだ。

マフディ―軍のシーア派民兵は、数も多くて火力に勝ってはいたが、しょせんは素人の烏合の衆。

やたらめったら撃つだけで効果的な火力網を敷くことができずに、英兵の突破を許して至近距離まで接近されるや、鬼気迫る気迫で突進してくる英軍を前に、戦意を喪失して算を乱して逃亡し始めたのである。

後方の民兵は、次から次へこちらに逃げてくる味方に当たるかもしれないので、発砲し続けるわけにもいかない。

しかも、英兵は心技体共に鍛え抜かれた練兵ぞろいで、徒手格闘や銃剣術にも長けていた。

よしんば立ち向かってくる民兵がいても、格闘術を知らない相手だから、赤子の手をひねるように確実に仕留めてゆく。

後の英軍の作戦報告書によると、多くのシーア派民兵は米英軍の兵士は、ハイテク兵器と火力に依存して白兵戦を行う勇気はないと思い込まされていた可能性があり、弾薬が尽きて降伏すると思っていたら、まさか銃剣突撃をしてくるとは思っていなかったらしいと分析されている。

おまけに、民兵たちは訓練も実戦経験も欠いていたアマチュアで、いざ世界に冠たる英軍精鋭の気迫あふれる突進を前に、戦意を喪失してしまったらしい。

 この戦闘で英軍は3名が負傷しただけで戦死者はなく、マフディ軍は20名が死亡して28~35名が負傷。

劣勢を見事に挽回した英軍の圧勝であった。

その後、この戦闘を指揮したブライアン・ウッド軍曹は、戦功十字章を授与されている。

英軍にとって、白兵戦は1982年のフォークランド戦争以来のものであったが、現在でも軍に制式採用されているアサルトライフルであるL85には銃剣を取り付けることができるし、銃剣での訓練も欠かしていなかったのだ。

L85

ちなみに、それから十数年後の2017年7月1日にも、英軍は白兵戦を展開している。

イラク北部のモスルで情報収集活動から帰還していた英陸軍特殊部隊SASが、イスラム国(IS)の武装集団50名に襲撃され、弾薬が尽きるまで抵抗した後に白兵戦を挑んだのだ。

世界最高レベルの戦闘集団であるSASの精鋭たちであるから格闘術も一流で、イスラム国の戦闘員を30名以上殺害して蹴散らすことに成功している。

いくら兵器のハイテク化、IT化、無人化が進んでも、最後にモノをいうのは、個々の兵士の訓練と戦意だったと言えるだろう。

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