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2021年 世界史 戦争もの 歴史

ラテンアメリカ諸国の第二次世界大戦

第二次世界大戦の主な舞台と言えば欧州や北アフリカ、そして中国大陸や東南アジア、太平洋。だが、それ以外の地域であるラテンアメリカも無関係ではなかった。

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人類史上最大の戦争、第二次世界大戦。

当時の独立国の61か国のほとんどが参戦し、主に米国、ソ連、イギリス、フランス、オランダ、中華民国などの連合国側と、ドイツ、日本、イタリアなどの枢軸国側が1939年から1945年まで世界中で総力戦を戦った。

主な戦場となったのは欧州や北アフリカ、太平洋やアジア全域であったが、インド洋や中東も戦場となり、さらには大西洋、カリブ海でも連合国と枢軸国の戦闘が行われた。

むろんカリブ海真っ只中や南太西洋に面して位置するラテンアメリカ諸国も好むと好まざるとにかかわらず、それぞれの思惑を抱えながらも戦争に関わり、結果として大部分の地域で経済的、政治的、軍事的に多大な影響を受けた一大転換点となった。

米国の対ラテンアメリカ諸国政策

当初ラテンアメリカ諸国は中立を保とうとしていたが、参戦国、特にその地域を自国の裏庭とみなしていた連合国側の米国はそれを許さず、硬軟織り交ぜて自らの陣営に引き込む政策をとった。

それはまずメディアを使ったプロパガンダ戦略による干渉から始まる。

1940年、米国の名門ロックフェラー一族出身で、のちに副大統領となるネルソン・ロックフェラーはフランクリン・D・ルーズベルト大統領にラテンアメリカにおけるナチスの影響力に対する懸念を表明する。

開戦初頭は枢軸国優勢で、ラテンアメリカ諸国の独裁者や政治団体の中にはファシズムを支持する風潮が存在したためだ。

米州問題調整官時代のネルソン・ロックフェラー

それを受けてルーズベルト大統領はロックフェラーを米州問題調整局(OCIAA)の新しい米州問題調整官(CIAA)に任命。
彼はCBSラジオネットワークのエドモンド・A・チェスターと協力して、マスメディアを使って西半球の国々との間の関係を強化し、ナチスの影響力の排除を図るようになる。

ロックフェラーは当時最新鋭のメディアであったラジオ放送や映画を使い、反ファシストのプロパガンダをラテンアメリカ全土で行った。

このプロパガンダ戦は結果的に連合国側の圧勝となる。

こうしたプロパガンダは米国の圧力を伴った影響を直接受けていたメキシコなどでは反発を招いたが、メキシコは戦争において貴重な味方となり、米国在住の25万人のメキシコ人が米国軍に入隊。
また、アステカ・イーグルス(アギラス・アステカ)として知られる志願兵300人からなる飛行隊を太平洋の対日戦線に派遣した。

アステカ・イーグルス

こうしたラテンアメリカ諸国を連合国陣営に引き入れる政策は、ドイツの影響力を容認するアルゼンチンを除いて政治的に大成功となったのだ。

プロパガンダ以外にも、経済支援と開発のために多額の金額も割り当てられた。

更に1941年3月22日、米国政府はラテンアメリカ諸国を含めた連合国に対して軍事基地と西半球防衛への参加と引き換えに、軍需品やその他の援助を行うためのレンドリース法を制定。

当然、戦争の混乱真っただ中のイギリスやヨーロッパ諸国とその植民地が援助の大半を受け取ったが、ラテンアメリカ諸国も約4億ドルの軍需物資を得た。

ラテンアメリカ諸国の中でもブラジルは南米大陸の北東に国土を有し、主戦場の一つの北アフリカから近いという戦略的に重要な地点であった地理的関係から、米国との間で融資と軍事援助を提供するという条約が締結され、軍需物資を送るための拠点を米国に提供し、同時に枢軸国からの通商破壊の脅威を受けやすいことが予想されたためラテンアメリカ諸国への支援の四分の三を受け取る。

その後、ブラジルはヨーロッパ戦線に部隊を派遣した唯一のラテンアメリカの国となり、同国の海軍は大西洋の対潜水艦作戦でも重要な役割を果たすことになる。

イタリア戦線でのブラジル軍

キューバもカリブ海や南大西洋でドイツのUボートや巡洋艦との小規模な戦闘を行うなど米国に協力。

他にエクアドルはガラパゴスの空軍基地の建設と引き換えに、コロンビアとドミニカ共和国の両国はパナマ運河とカリブ海のシーレーン防衛への参加と引き換えに軍隊を近代化するためのレンドリースの恩恵を受けた。

一方、レンドリースはラテンアメリカ諸国間のパワーバランスを変え、「古いライバル関係を再燃させた」面もあったようだ。

ペルーとエクアドルのように世界大戦真っただ中の1941年に世界情勢そっちのけで戦争を行うなど、ラテンアメリカ諸国は一枚岩ではなかったのだ。

他にも、チリは枢軸国軍の攻撃ではなくボリビアとペルーがレンドリースによって得た兵器を使って、自国が19世紀の戦争で両国から勝ち取った領土を取り戻そうとすることを懸念していたし、アルゼンチンは以前からのライバル国ブラジルが米国の兵器をレンドリースによって得ていたために脅威を感じていた。

また、米国は戦争継続のための軍需物資獲得のためにも手を打った。

ラテンアメリカ諸国は特定の製品や資源を高めの価格で輸出することができるようにはなったが、1941年12月7日の日本の真珠湾攻撃の後、ラテンアメリカの大部分の国は枢軸国との国交を断絶あるいは宣戦布告したため、多くの国(ドミニカ共和国、メキシコ、チリ、ペルー、アルゼンチン、ベネズエラなど)は貿易を米国一国に依存する結果となる。

この戦時需要によってラテンアメリカでは消費財などが不足する問題が発生。

物資もそれを運ぶ船舶も軍需品を米国に供給することが優先されたため、燃料も食料も価格が高騰するなどのインフレも起こった。

とはいえラテンアメリカ諸国のほとんどは米国の側に立つことで援助を受けるなど、戦争を有利に利用した側面もあったようだ。

米国に戦略的に重要とみなされなかったペルーのようにさほど恩恵を受けなかった国もあったが、パナマは船の交通量の増大によって経済が活性化、プエルトリコではアルコール産業が活況を呈し、石油資源が豊富なメキシコとベネズエラは石油価格上昇の恩恵を受けた。

メキシコはこの機に乗じて、米国やヨーロッパの石油会社と有利な条件での契約を迫ったりもした。

第二次世界大戦は良しくも悪しくも大規模な近代化と大きな経済的後押しを参加したラテンアメリカ諸国にもたらしたのだ。

ラテンアメリカ諸国での枢軸側の活動

戦前のナチスは様々なラテンアメリカ諸国との経済関係が平等であることを保証するため、厳格な二国間貿易協定を通じて経済的浸透を拡大。

ブラジル、メキシコ、グアテマラ、コスタリカ、ドミニカ共和国はいずれもドイツと貿易協定を結んでいた。

例えばブラジルのドイツとの貿易は、ヒトラーが政権を握った1933年から戦争が始まる前年の1938年の間に倍増。
しかし、1939年9月の開戦によって枢軸国の船舶は商業目的で大西洋を横断することができなくなり、ラテンアメリカとドイツ・イタリア間の貿易は停止してしまう。

一部のラテンアメリカの国は打撃を受け、その代替の貿易相手国は米国のみとなった。

第二次世界大戦の初頭、ドイツ系やイタリア系移民が多く、その影響力も大きかったために枢軸国寄りだったアルゼンチンやチリはもちろん、ラテンアメリカ諸国には強力な一体感と目的感を国民にもたらすファシズムに感銘を受けた独裁者や政治団体も存在した。

例えばドミニカ共和国のラファエル・トルヒーヨ大統領はヒトラーのスタイルと軍国主義的な集会を賞賛し、グアテマラとエルサルバドルの独裁者も同様の見解を持っていたようだ。

ブラジルの政治団体であったブラジル統合主義運動はムッソリーニの崇拝者だった。

ブラジル統合主義運動

それを最大限活用しようと枢軸国のスパイ活動やプロパガンダ活動が行われるようになる。

枢軸国の移民も多かったことから、スパイ活動はさほど困難ではなかった。

例えばコロンビアには1941年の時点で約4,000人のドイツ人移民がおり、多くは航空輸送業界に関わっていたため、米国は彼らがスパイ活動に従事しているか、パナマ運河に対する攻撃のために民間航空機を爆撃機に改装する計画を立てていることを懸念していた。その結果、米国政府はコロンビアに移民の監視と抑留を迫ったり、場合によっては米国に引き渡すよう圧力をかけた。

他のラテンアメリカ諸国でも同様だったが、メキシコとブラジルは枢軸国のスパイ活動の封じ込めについて米国に協力的だった。

一方、チリとアルゼンチンは枢軸国のエージェントの活動を許していたため、米国との不和の原因となった。

ドイツはラテンアメリカの主要国のすべてでスパイネットワークを運営しており、アルゼンチンを舞台にコードネーム『ボリバル作戦』と称し、中立国のスペインの船まで使った諜報活動を行っていた。

アルゼンチンやチリは1944年初頭にようやく自国で活動する枢軸側のエージェントを取り締まったが、ドイツ側の活動の一部は1945年5月の欧州戦線の終結まで続いた。

ソ連との関係

ドイツのソ連侵攻後、ラテンアメリカ諸国は労働組合などを通じてソ連への支援と援助を行った。

キューバは赤軍に40,000本の葉巻を送り、1942年10月に南米初の外交関係を持った。

戦争は結果的にソ連との外交的雪解けとなり、1945年までにコロンビア、チリ、アルゼンチンを含む11のラテンアメリカ諸国がモスクワとの関係を正常化した。

ユダヤ人を救ったエルサルバドル総領事

駐スイスのエルサルバドル総領事ホセ・カステラノス・コントレラスは、迫害から逃れようとしているユダヤ人にエルサルバドルのパスポートを提供して25000人を救ったが、この事実はあまり知られていない。

ホセ・カステラノス・コントレラス

出典元―ウィキペディア英語版

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