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1988年(昭和63年)12月7日、福岡県粕屋郡久山町の旧犬鳴トンネル近くの路上で未成年による、世にもおぞましい殺人事件が起きた。
4人の少年が車欲しさに、持ち主の20歳の青年を車ごと拉致、凄まじい暴行を加えたあげく、ガソリンで焼き殺した犬鳴峠焼殺事件である。
時代が昭和から平成に移りつつあった80年代末期は、未成年による犯罪が一挙に凶悪化した時期でもあり、同年2月には、名古屋市で未成年らによるアベック殺人事件が起き、東京都綾瀬の女子高生コンクリ詰め殺人は、この年11月から翌年1月にかけて行われた犯行であった。
だが本稿の犬鳴峠焼殺事件は、今なお悪名高き上記二件の犯罪と比べても、何の落ち度もない弱者を身勝手な理由で狙った点では共通しているし、殺害に至る過程の残忍さにおいて、勝るとも劣らない悪質さだったと断言できる。
ネット界隈では知る人ぞ知る事件であるが、本稿では当時の報道を基にして、できる限り忠実かつ詳細にこの許しがたき凶行を取り上げる。
なお、地名などの固有名詞を除き、被害者名・加害者名共に仮名とし(実名を推測できてしまうかもしれないが)、実際にはなかったかもしれないがあったと考えられる会話や挙動、犯人や被害者たちの行動に関する筆者の主観的意見も、一部含まれている点はご容赦願いたい。
死体発見
死体発見時の現場検証(当時の新聞より)
1988年12月7日正午、福岡県粕屋郡久山町の県道福岡-直方線の新犬鳴トンネル入り口から旧県道を1kmほど奥に入った路上で、通行人が焼死体を発見し、福岡東署に通報。
焼死体は二十歳くらいの男性で、身長170cmほどのやせ型で長髪、焼け残った衣類から、緑色のジャンパーを着ていたとみられ、下はジーパンに紺色のズックを履き、靴下は白色。
火に包まれながら倒れていた場所まで走った形跡があるため、現場で焼死したものとみられ、死後数時間程度と推定された。
自殺と他殺の両面で捜査を開始した福岡東署と福岡県警捜査一課だったが、自殺とするには、あまりにも不可解な点が目立った。
まず、男性の頭頂部には石のようなものにぶつかったと思われる五か所の傷(最大で長さ約8cm)があり、倒れていた男性の頭からは大量の血が路上に流れ、ガードレールの一部にも、その血しぶきと思われる血痕が付着していたが、その傷がいつどのようにしてできたかが分からないこと。
そして路上を転げ回った跡がある上に、司法解剖で気管支内からススが検出されたことから現場で焼死したのは間違いないが、右足の靴が見当たらず、その右足の靴下が、歩き回ったように汚れて破れていたこと。
何よりも、死体から漂う臭いからガソリンをかぶって火をつけたはずだが、焼身自殺ならば死体の近くに容器やライター、マッチが見当たらないのはいかにも不自然であり、なおかつ、財布や免許証なども見つからなかった。
〇捜査と犯人の逮捕
翌12月8日午後、焼死体の身元は、福岡県田川郡方城町の工員・梅川光さん(20歳、仮名)と判明する。
被害者の梅川光さん(当時の新聞より)
梅川さんは、母親(45歳)と祖母(72歳)との3人暮らし。
6日朝に、母親をマイカーの軽乗用車で通勤先まで送ってから、そのまま自身の勤務する同県田川市内のスチール製造工場に出勤、同日午後5時半ごろ、その車で退社してから、行方を絶っていた。
翌7日夜、一向に帰ってこない息子を案ずる母親がテレビで焼死体発見のニュースを知って、「ウチの息子では」と警察に届け出たため、鑑識が死体の指紋を鑑定した結果、梅川さんのものと一致したのだ。
そして、8日の夕方には、死体発見現場から約22km離れた田川市後藤寺の路上で、梅川さんの乗っていた軽乗用車が見つかると、いよいよ他殺の線が濃厚になってきた。
現場で容器やライター、マッチが見当たらない以外にも、
- 梅川さんの車が発見されたのは自宅とは反対方向。
- 梅川さんはいつも寄り道せずにまっすぐ自宅に帰る。
- そもそも自殺の動機がない。
などの新たな疑問点が、浮上したからである。
また、発見された車の助手席と後部のトランクからは、梅川さんのものと思われる血痕があり、さらには、別の人物のものとみられる赤みがかった髪の毛、たばこの吸い殻二種類と複数の指紋を検出。
発見された車(当時の新聞より)
死体発見現場付近の聞き込みでも重要な証言があった。
焼死体が見つかった現場近くで7日の午前中、若い男3人が梅川さんのものと同じような軽乗用車に乗っているのを農作業中の主婦らが目撃していたのだ。
これらの物証や証言などから、福岡県警捜査一課と福岡東、田川両署は、12月9日午前、殺人事件と断定。
福岡東、田川両署に合同捜査本部を設置して、本格的な捜査に乗り出した。
しかし、被害者の車が発見され、車内に指紋という決定的な証拠が残っている以上、犯人の逮捕に時間はかからなかった。
その指紋の持ち主と思われる者を1人ずつ任意同行により事情聴取した結果、その日のうちに、梅川さんを拉致して殺害したとあっさりと認めたのだ。
犯行に関わったのは5人で、全て未成年。
うち主犯格とみられる犯人は、被害者の梅川さんと顔見知りだった。
そして、調べを進めるうちに判明した犯行の動機と詳細たるや、あまりの身勝手さと残虐ぶりに、捜査員をあ然とさせるものであった。
犯行の経緯
逮捕されたのは、行商手伝い(おそらく暴力団関連)の大隅雅司(19歳、仮名)を中心として、窃盗や恐喝を繰り返す16歳から19歳までの不良少年グループの5人。
多子貧困の荒廃した家庭で育った大隅は、中学時代から非行を重ねて14回の補導歴と逮捕歴を持ち、強盗致傷や恐喝で、三回も少年院に入れられたことがある筋金入りだった。
今回の事件が発覚した際も田川署で、「まさかあいつでは」と名前が浮かんだほど、署員の間では悪名がとどろいていたくらいである。
そんな大隅が、この事件を起こすきっかけとなったのは車だった。
彼は車を持っていなかったが、車を買う必要は感じていなかったらしい。
なぜなら身近で車を持っている人間がいると、脅しては奪い取ること(“シャクる”などと称していた)を常習としており、次々と乗り換えていたからだ。
被害者も報復を恐れて通報しなかったっため、そのままま、かり通っていた。
梅川さんが彼らに連れ去られることになる6日夕方も、前日知り合いの少年を脅して奪った車を乗り回していた。
同乗していたのは、後に事件の共犯の1人となり、大隅とつるんで悪さを重ねてきた安藤薫(19歳、仮名)である。
まんまと車をせしめることに成功した2人だが、今乗っている車には不満だった。
彼らは、その日の夜、ある女子中学生とデートする約束をしていたのだが(19歳にもなって恥ずかしい奴らだ)、その車は軽トラで、デートには不向きなことこの上なかったからである。
そんな彼らの視界に入ったのは、勤務先から帰宅する梅川さんの乗るダイハツの「ミラ」だった。
当時の若者に人気があった軽乗用車である。
「あの車やったら、格好つくっちゃけどね」
と考えた大隅だが、赤信号で止まったその「ミラ」の運転席に座っているのが、幼い時から顔見知りの梅川さんだと分かると、途端に一計を案じた。
「あいつのば使うったい」
大隅は安藤を促して、軽トラを路肩に停車させて降り、信号待ちしている梅川さんの乗る「ミラ」に近寄った。
返す気があったか否かは別として、そんな場所でいきなり車を借りようとする神経もなかなかのものだが、欲しいものがあれば、脅して奪うことを繰り返している彼らに躊躇はない。
それに、大隅は梅川さんのことをよく知っていた。
子供のころから年上とはいえ極端に気が弱く、嫌とは絶対言えない性格をしていたのだ。
「よー、光やない。ちょっとドアば開けんか」
などと言って強引に車に乗り込むと、臆面もなく凄みすら効かせて、要件を切り出した。
「俺らこれから女(おなご)と会うことになっとーとたい。ばってん軽トラしかなかけん、格好つかんっちゃん。だけん、オメーの車(俺らに)貸しちゃらんや」
「断るわけはない」と踏んでいた大隅だったが、梅川さんの反応は予想外なもので、逮捕後以下のようなことを繰り返し言っていたと供述した。
「ばあちゃんに叱られるけん」
梅川さんは母親と祖母の3人暮らし。
ビルマ戦線で夫を亡くした祖母は、女手一つで行商をしながら、梅川さんの母となる娘を育て上げたが、その母は、梅川さんをもうけた後離婚。
しかし、彼女も祖母譲りのしっかり者で、梅川さんを同じく女手一つで立派に育てた。
そんなつつましく懸命に生きてきた一家の一粒種である梅川さんは、軽度の知的障害があったらしく、極度に内向的で人見知りであったため、少々将来を心配されていた。
だが、彼は工業高校を卒業後に、スチール製造工場に無事就職。
行く末を案じていた孫の就職を祖母は非常に喜び、母と共に決して多くはない貯えを大幅に切り崩して、就職祝いとして軽自動車「ミラ」を買い与えた。
そんな祖母と母の思いを梅川さんも、十分知っていたのであろう。
その車を、小さなころから悪ガキで、今は輪をかけて悪くなった大隅に、おいそれと貸すわけにいかない。
返してくれない可能性が高いからだ。
その思いがあったからこそ、出た言葉だった。
あるいは、梅川さんなりの遠回しの拒絶だったのかもしれない。
だが、札付きの不良である大隅たちに、その思いが通じるわけがなかった。
「あ?貸すとか貸さんとか?どっちや、ああ?!」
「えと、えと、ばあちゃんに…」
「ナメとうとか!バカ!」
短絡的な大隅は、中途半端な返答にイラつくあまり、梅川さんを殴りつけた。
「よか歳ばして、ばあちゃんばあちゃんて、ガキみたいなことばっか言いくさりやがって!」
一度キレたら、もう止まらない。
さっさと車を手に入れて女に会いに行きたいがばかりに完全に頭に血が上っていた。
安藤も加わって、助手席に移らせた梅川さんを殴る殴る。
暴行はかなり激しく、梅川さんは流血。
助手席の血痕はこの時に付着したようだ。
それまで乗っていた軽トラを放置したまま、新たな車を乗っ取った大隅たちは、持ち主の梅川さんを車内で乱暴しながら、向かった先は、田川市に住む配下の1人である沢村誠一(16歳、仮名)の家。
これから始まるデートの間、邪魔な梅川さんを監禁しておくためだ。
監禁した後、どうするつもりだったのか?
その場の思い付きだけで行動する彼らに大した考えはなかったのであろう。
同じく配下の坂本剛史(16歳、仮名)も呼びつけて沢村とともに見張りをさせ、その間に、自分たちは梅川さんから奪った車で、のうのうとデートに向かった。
おっかない先輩の大隅の命令だ。
断るわけにいかない沢村と坂本は、当初、おびえる梅川さんをいびるなど忠実に勤めを果たしていたが、大きな失態を犯してしまう。
夜中になっても帰ってこない先輩たちを待ち呆けるあまり眠ってしまったのだ。
手ひどい暴力を振るわれた上に、新たに加わった見るからに悪そうな2人に睨まれ続けて、縮み上がっていた梅川さんだが、夜中の午前二時、見張りが完全に寝入ったのを見て、思い切った行動に出る。
逃走を図ったのだ。
しかし、運が悪かった。
ほどなくしてデートを終えた大隅と安藤が、梅川さんの車に乗って帰ってきたのだ。
大隅は激怒した。
梅川さんを逃がしてしまったマヌケ2人に雷を落とし、帰ってきた際に車に同乗していたもう1人の配下の小島幹太(17歳、仮名)も加えて、追跡を開始する。
どこへ逃げたか、全く見当がつかないわけではなかった。
大隅は梅川さんの家を知っていたし、梅川さんが性格上見知らぬ他人の民家に駆け込んだり、通りがかりの車に助けを求めないであろうことも、見つからないように暗い場所を選んで逃げることをしないであろうことも、予測していた。
果たして大隅の読み通り、監禁場所から2km先の通りを、自分の家に向かって逃走する梅川さんを発見。
執拗に追い掛け回して捕らえた。
せっかくのいい気分だったのに、手を煩わされたと逆ギレしていたのか、それとも女子中学生とのデートの首尾が思わしくなくて、イラついていたのか。
大隅たちの身勝手な怒りは相当なものだった。
「ナメたマネしくさりやがって!オラ!オラ!オラア!!」
梅川さんへの暴力は拉致した当初よりさらに凄惨なものになり、顔面パンチが止まらない。
顔が完全に変形し、血だらけになっても手は緩めなかった。
キレたらヤバイことは不良にとって美徳である。
皆も残虐さをアピールするのはここぞとばかりにこぞって無抵抗の弱者を痛めつけた。
そして、どこまでも感情のおもむくまま場当たり的に行動する大隅は、腫れあがった顔からとめどなく血を流してうめく梅川さんを見てとんでもないことを言い出した。
「警察にチクられんごと、殺しんしゃい!」
犯歴を重ねて少年院に何度も入っている大隅は、警察で手荒な取り調べを受けたり、少年院で不自由な生活を強いられることの不快感が、骨身にしみていた。
ここまでやったら逮捕されて、四度目の少年院へ送られるのは間違いがなく、そんなことにならないよう、口を封じておこうというのだ。
だからと言って、傷害罪で訴えられるのを避けるために被害者を殺してバレれば、より重い刑が科されるに決まっているのだが、そこまで考える気はなかったらしい。
大隅は激情的で悪辣な上に人並外れて低能だったからだ。
他の者たちも同じで、誰も止めようとはしなかった。
ボロボロになった梅川さんを、彼から奪った車のトランクに押し込み、安藤はじめ配下の小島と坂本を同乗させて、まだ暗い12月の早朝、福岡県京都郡苅田町の岸壁へ向かった。
海に突き落とすつもりである。
苅田港の岸壁(イメージ)
大隅たちは岸壁への道中の車内でも、着いてからも、梅川さんをさんざん殴った。
それにも飽き足らず、口に火のついたタバコを放り込み、殴りすぎて手が痛くなるとクランクやナット回しを使って殴り、スペアタイアを投げつけるなど滅多打ちにし、岸壁から海中に落とそうとした。
「もうやめんね!!勘弁しちゃらんねえええ!!!」
だが、梅川さんは腫れあがった顔を、血と涙でぐちゃぐちゃにして泣き叫び、岸壁のへりにしがみついて、必死に落とされまいと抵抗。
すると今度はその手に向けてバールが打ち下ろされる。
肉がえぐれ、骨が露出して血が流れ出し、痛みのあまり意識を失ったらしく、ぐったりしたが手は離さない。
そんな、生への凄まじいばかりの執念を目の当たりにして、たじろいだ者もいた。
「もうやめにせんね?なんかかわいそうやん」
だが大隅は冷静だった。最悪な意味で。
「ばーか!オメーらも殺人未遂の共犯やけんね。捕まったらしばらく出て来(こ)れんとばい。何が何でも殺すしかなかろうもん!」
その時、海の向こうから一艘の船が、こちらの岸壁に近づいてきたのが見えた。
まずい、これを見られたら面倒なことになる。
彼らはここでの殺害を中止、ヘリにしがみついていた梅川さんを引きずり上げて車のトランクに入れ、その場を離れることにした。
だが殺害自体を断念したわけではなかった。
もはや誰もやめようと言い出す者もなく、集団はそのまま最悪の結末へと突き進む。
安藤がハンドルを握る車の中では、具体的な殺害方法と場所の検討が始まった。
「港は船とか車の来(く)っけん、いかんばい。ダムに沈むっとはどげんかいな。ここらでダムとかあったかいな?」
「力丸(りきまる)ダムとか、いいっちゃないと?」
「よか。オイ安藤、力丸ダムやけんね。」
一行は今度こそ確実に殺そうと、福岡県宮若市にある力丸ダムに向かったが、途中で中止した。
「ダムやったら死体が浮いてくるっちゃないと?」と、死体が浮いてくる可能性があると考えたためだ。
「そいなら、どげんすっと?埋(う)むっとは?あ、そうだ顔のわからんごと燃やしちゃろう」
「ガソリンやったら、バリバリ燃えるやん」
力丸ダム
逮捕後の取り調べで明らかにされたが、これらの会話はトランクに押し込められている梅川さんにも当然聞こえていた、というか聞かせていた。
後ろから、恐怖と苦痛のあまりうめきながらすすり泣く梅川さんにさらに追い打ちをかけるように、大隅は笑いながらこう言ったという。
「光、もうすぐ楽にしちゃる!」
7日朝8時、大隅らは途中で犯行に使うガソリンを購入するために、ガソリンスタンドに立ち寄る。
「バイクがガス欠になったけん、これに入れちゃらん」
そう言って、1リットルの瓶を差し出した彼らのことならよく覚えていると、従業員は後に語った。
一目で不良と分かる連中だったが、女性従業員に卑猥な言葉をかけて笑い合うなど、この時に買ったそのガソリンを使って殺人を起こすつもりである様子は、一切感じなかったらしい。
ガソリンを購入した後、車内で大隅は、殺害の役割分担を決めようと言い出した。
自分だけが罪をかぶる気はなかったし、全員をそれぞれ殺人に加担させれば、誰もおいそれと口外したりはしないだろうからだ。
「ガソリンかくる役やら、火ィ付くる役とかジャイケン(ジャンケン)で決めるけん」
「じゃあ俺、ガソリンばかくる役ばやりますけん」
ジャンケンの前に自ら志願したのは17歳の小島で、これは実際に火を付ける役を嫌ったかららしい。
「俺はティッシュに火ば…」ともう1人の配下の坂本も直接手を下す役を避ける。
結局、殺害場所の選定は運転する安藤が行い、火を付ける役は大隅自身に決まった。
死の恐怖を梅川さんにたっぷり味わわせながら、人気のない場所を探して車で走り回ること2時間。
殺す場所として選んだのは粕屋郡久山町の旧犬鳴トンネルで、そこは人通りがほとんどない山の中の旧県道であり、当時から心霊スポットとされるくらいの不気味な雰囲気を漂わせていた。
旧県道の入り口(現在は閉鎖されている)
午前10時ごろ、一行はトランクを開けて梅川さんを引きずり出すと、手はずどおり小島がガソリンを浴びせる。
「ああああああああ!!!」
その時、今まで弱々しくうめいていただけの梅川さんがとんでもない大声を上げたために小島は思わずひるんでしまった。
全身を鈍器まで使って滅多打ちにされた体のどこにそんな力があったのか、脱兎のごとく走り出して山の斜面を登って逃走。
「何逃(の)がしようとか、バカが!!捕まえんか!」
大隅たちも慌てて跡を追ったが、山の中に逃げ込んだ梅川さんの姿は完全に消えてしまった。
このまま逃げ続けていれば彼も20年というあまりにも短い生涯を無残に絶たれることなく、さらわれてさんざん暴行されたことによる肉体的精神的な後遺症は残ったとしても、2021年の現在まで生きていたかもしれない。
しかし神から与えられた絶体絶命の危機を脱する機会を一度ならず二度までも無駄にしてしまい、命運が尽きる。
「おーい光!(俺らが)悪かったけん出てこんね。もう何もせんけん、家にも帰しちゃーけん!」
この見え透いた大隅の呼びかけに対して、愚かにも山の中から姿を現し、おとなしく出てきてしまったのだ。
あるいは、この場は逃げおおせたとしても、自分の住所を知っている犯人たちに後日再び襲撃されて、よりひどい目に遭わされることを恐れていた可能性もあるが。
「バカか貴様(キサン)!終わったバイ」
大隅たち悪魔の方は、この機会を逃さなかった。
再び捕らえると、今度は逃がさないよう4人がかりで両手両足をビニールテープで縛り、口には仲間の1人から差し出させたシャツを破いて押し込む。
縛られて、さるぐつわをされた口から、必死に命乞いの言葉を発する梅川さんを道路に正座させ、残ったガソリンをかけて火のついたティッシュを投げ込んだ。
瞬間的に発火して火だるまとなった彼はのたうち回り、火で溶けた衣類やビニールテープを路上やガードレールにこびりつかせながら走り回った後に崩れ落ち、やがて動かなくなった。
焼殺現場(当時の新聞より)
愚劣極まりない犯行後の犯人たち
梅川さんが息絶えた後、犯人たちは、とどめとばかりに石か鈍器のようなものを頭に叩きつけており、頭の傷はこの時できたものと判明した。
ネットでは、この傷からの失血死という情報もあるが、当時の報道を見る限り死因は焼死である。
大隅たちは梅川さんを焼き殺した後、すぐに車で現場を離れたようだが、また五分後に戻ってきて車内から動かなくなっているか否かを確認。
それを三回も繰り返していた。
犯人たちは、さらなる証拠隠滅のため、奪った財布から免許証を取り出して焼き、同じく梅川さんの時計も投棄。
かように用心に用心を重ねたつもりの大隅たちだが、その後の行動が、あまりにもずさんだった。
一旦、監禁場所の家に戻ると、殺人には加わらずそのまま家にいた沢村も加えて、5人で隣町の飯塚市へ梅山さんの車で飲みに出かけ、戻ってくると、自分たちの指紋や被害者の血痕などの物証だらけの車にカギをかけ、田川市後藤寺の路上に駐車していたのだ。
逮捕後の供述によるとまた使うつもりだったらしい。
押収された梅川さんの車(当時の新聞より)
後に、その物的証拠が決め手となって逮捕に至るわけだから、犯罪者としても三流だったとしか言いようがない。
おまけに、大隅は生活保護を受ける母親と暮らす自宅に戻った際、近所の人に「警察来(き)とらんよね?人ば焼き殺してしもうたけんくさ」と、にわかには信じがたい言葉を吐いている。
被害者遺族たちの悲憤
被害者の葬儀(当時の新聞より)
生前の梅川さんは、その内向的でおとなしすぎる性格から、友達付き合いもあまりなく、仕事が終わるとまっすぐ家に帰っていた。
また、給料の10万円のうち7万円を家に入れ、よく車で祖母や母を買い物に連れて行く、近所でも評判の孝行息子だったという。
親子三代でつつましく暮らす梅川家における、かけがえのない宝だった。
その宝、たった1人の子供をあり得ないほどむごたらしい方法で奪われた遺族の悲しみが、尋常ではなかったのは言うまでもない。
9日に密葬が行われた後の自宅では、母の裕美さん(45歳、仮名)と祖母の房江さん(75歳、仮名)が奥の部屋にこもったままで、涙で目を真っ赤にはらし、親族の慰めにも無言でうなずくだけだったという。
叔父の健さん(50歳、仮名)は怒りをこらえながらマスコミの取材に答えてこう言った。
「ただ悔しいとしか言いようがない。犯人に対して何もできないし、耐えるしかないのか。許されるなら、同じことを犯人に対してしてやりたい」
反省なき鬼畜たちのその後
主犯の大隅は、姉に付き添われて田川署に出頭してきた時はぶるぶる震えており、9日の夕食、10日の朝食とも一口しか手を付けず「光のことを思うと食欲が出らん」などと言った。
他の少年たちも「かわいそうなことをした」と後悔の言葉を漏らすようになっていた。
しかしそれは最初だけだったようだ。
犯人たちは開き直ったのか、これが素だったのか次第に何の反省もない態度を取り始める。
朝昼晩の食事は全て平らげ、外部から差し入れられたカップラーメンも完食。
取り調べでもあっけらかんと笑みすら浮かべて犯行についての供述をした。
殺害には加わっていないことを理由に「俺は見張りしてただけやろうもん。なして捕まらんといかんと」と言い張る沢村も問題だったが、焼殺の実行犯たちの中には「あいつが車ば貸さんかったけん、やったったい」とすら口にした者もいた。
主犯格の大隅である。
大隅はさらに「俺は何年の刑になると?」と、自分が未成年であることを理由に大した刑にはならないとタカをくくってすらいた。
だが、甘かった。
その後の一審判決で無期懲役が下されるや「重すぎる」と控訴。
1991年3月8日、福岡地裁で開かれた裁判では控訴を棄却されて二審でも無期懲役が確定した。
成育歴が劣悪だっただのの言い訳や、拘置所で被害者の冥福を祈って読経をしたりのこれ見よがしの行為では、情状酌量は認められず、
『犯行は他に類例を見ないほど残虐。被告はその中心的な役割を果たしており責任は重い』
と判断されたのだ。
しかし、事実上の副主犯格の安藤薫には、5年以上10年以下、その他の従犯の小島幹太と坂本剛史には、4年以上8年以下の懲役であったのは果たして妥当であったのか?
あれほどの凶悪犯罪を行った大隅は、2021年の現在でも服役していると思われる一方、他の3人のうち出所後、地元の広域暴力団に加入して幹部にまでなった者がおり、今でも「あの時の犯人は俺だ」と犯行を自慢しているという、ウソか誠か知れぬ情報がネットでは出回っている。
しかし、あながちウソとも思えない。
あんなことをしでかした奴らだから暴力団に加入してもおかしくないし、そこしか行き場はなかっただろうからだ。
凶悪犯罪を平気で犯すような奴らは、基本的に反省することがないと考えるべきである。
必ず「あれは仕方なくやったんだ」とか「もう償いは十分したはずだ」とかの言い訳を、自分の中で確立するものだし、逆に武勇伝として誇らしく吹聴したりして、再び犯罪に手を染める輩が多いことは女子高生コンクリ殺人の犯人たちのその後が、証明している。
凶悪犯を反省させる必要はない。
だが一線を踏み越えたことへの後悔だけは、十分にさせる必要がある。
司法は更生よりも、危険極まりない人物を、社会から隔離するか無力化することに重点を置くべきだと思うのは、筆者だけではないはずだ。
死体発見現場にたむけられた花(当時の新聞より)
出典元―西日本新聞・朝日新聞西部版・『うちの子が、なぜ!―女子高生コンクリート詰め殺人事件』(草思社)
かげろうの家 女子高生監禁殺人事件 (追跡ルポルタージュ シリーズ「少年たちの未来」2)
犯人直撃「1988名古屋アベック殺人」少年少女たちのそれから―新潮45eBooklet 事件編10
うちの子が、なぜ!―女子高生コンクリート詰め殺人事件
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