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2024年 Azure Microsoft MS Azure Administrator MS Azure Fundamentals クラウド コンピューター 技術一般 認定資格

MS Azure を学ぶ (3) リソースグループの作成と管理 2


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合格した Azure Administrator (AZ-104)の更新日がだんだんと近づいてきましたので、復習を兼ねて少しずつアウトプットしていきたいと思います。

私が勉強に使った教材は、こちらでブログで紹介しています。

リソースグループのメリット

リソースグループにリソースをまとめておくことで、次のようなメリットがあります。

  • リソースの閲覧がしやすくなる
  • リソースグループごとに課金情報を整理することで、各グループの費用を明確把握できる
  • 不要になったリソースを複数まとめて削除できる
  • リソースグループを対象としたテンプレートを活用することで、複数のリソースを一括してデプロイできる
  • 権限やポリシーを複数のリソースに対してまとめて付与できる
  • リソースへのアクセス権限を集中管理し、セキュリティーを強化できる

パソコンに例えると、テキストや Excel、Word などのファイルを「フォルダに格納して整理」することに似ています。

パソコンで、フォルダごと削除、フォルダに権限を付与するといったことが可能なように、Azure ではリソースグループを使って、まとめて管理が可能となります。

リソースグループの一般的な使われ方

ライフサイクルの異なるリソースごとで分類するのが一般的な使い方となります。

  • 開発環境
  • 検証環境
  • 本番環境 など

特に、一時的にテストや検証で利用したい環境などを作成し、後からまとめて削除する場合は、一つのリソースグループにまとめておくと便利です。

リソースグループの注意点

リソースグループを使う上で、いろいろと注意点があります。

  • リソースグループは入れ子にできない
  • リソースグループに所属するリソースのリージョンは別々でもOK(別リージョンにある各リソースを、同じリソースグループに入れることが可能)
  • リソースは、複数のリソースグループに所属できない(どれか一つのリソースグループにのみ所属)
  • 後から別のリソースグループに移動させることもできる

リソースグループの移動

移動操作の間は、ソース グループとターゲット グループの両方がロックされます。

つまり、これらのリソース グループに対する書き込み操作および削除操作は、移動が完了するまでブロックされます。 このロックはリソース グループでリソースを追加、更新、削除できなくなることを意味します。 リソースは停止されません。

たとえば、Azure SQL 論理サーバー、そのサーバーのデータベース、そのサーバーに依存している他のリソースを新しいリソースグループやサブスクリプションに移動しても、そのデータベースを使用するアプリケーションにダウンタイムは発生しません。 引き続きデータベースの読み取りと書き込みを行うことができます。

ロックは最大 4 時間継続できますが、ほとんどの移動は短い時間で完了します。

リソースを移動しても、新しいリソース グループまたはサブスクリプションに移動されるだけです。 リソースの場所は変わりません

仮想マシンの作成

それでは、今後は移動対象となるリソースを作成したいと思います。

「作成」ボタンを押します。

リソースの作成

マーケットプレースの画面が表示されます。

Fedora Linux を起動させてみましょう。

インスタンスの起動

「作成」ボタンを押します。

インスタンスの作成

Fedora 向けに、以下の項目を指定してきます。

  • サブスクリプション
  • リソースグループ
  • 仮想マシン名(Fedora Linux の名前)

ここで指定するリソースグループは、デフォルトの名前を使用します。これにより、その名前のリソースグループが新規で作成され、リソースがそこに作成されます。

管理アカウントの認証の種類では、今回はパスワードを指定します。

ログインの際に使用するユーザー名とそのパスワードを指定します。

「次:ディスク」を押して次に進みます。

インスタンスの作成

テストで動かすだけの仮想マシンなので、最小の構成にしておきます。

「次:ネットワーク」を押して、次に進みます。

インスタンスの作成

テストなので、ここも基本的にはそのままで良いでしょう。

「確認および作成」をクリックして、次に進みます。

ネットワークの作成

最終確認をして「作成」ボタンを押します。

インスタンスの作成

仮想マシンの作成が始まりました。これには少し時間がかかります。

インスタンスのディプロイ

作成が完了しました。

ディプロイ完了

リソースグループの作成

Azure ポータルにログインして、サービス一覧を表示しますと、「リソースグループ」が見えます。それをクリックします。

リソースグループの表示

上部メニューから「作成」をクリックして、新規でリソースグループを作成します。

リソースグループの作成開始

以下の項目を指定していきます。

  • サブスクリプション
  • リソースグループ(新規リソースグループの名前)
  • リージョン

移動先のリソースグループとして、「KKInternational-test」という名のリソースグループを新規作成します。

リソースグループの名前とリージョンを指定

「作成」ボタンを押します。

リソースグループの作成

リソースグループが新規作成されました。

リソースグループ作成完了

リソースグループの移動

それでは、作成した仮想マシン(Fedora)を、別のリソースグループに移動させてみたいと思います。

ただいま、この仮想マシンのリソースは、KKInternationa-Linux-test_group という名前のリソースグループ内にあります。

移動元になるリソースグループ名をクリックして、リソース一覧を表示させます。

移動させる対象となるリソースをクリックします。今回は全てのリソースを移動させます。

上部メニューにある「移動」ボタンを押します。

プルダウンメニューが表示されるので、「別のリソースグループに移動する」を選択します。

インスタンスを別のリソースグループへ移動

リソースの移動画面が表示されます。

「リソース」のところで、移動先になるリソース名(先ほど作成したもの)をプルダウンメニューから選択します。

「次へ」を押して進みます。

移動先のリソースグループを指定

検証保留中となり、対象のリソースが移動できるかのチェックが開始されます。

移動の確認中

検証が終わり、全てのリソースが「成功」と表示されました。全てのリソースの移動ができるみたいですね。

「次へ」を押して進みます。

確認完了

「リソースの移動」画面が表示されます。

チェックボックスにチェックを入れ、「移動」ボタンを押します。

さあ、リソースの移動が始まります。

リソース移動の開始

リソースの移動が始まりました。

この移動には、結構時間がかかります。

リソースの移動完了

リソースの移動が完了したら、元のリソースグループ名(KKInt -Linux-test_group)をクリックして、中を見てみましょう。

仮想マシンの作成時に見えていたリソースの一覧がなくなっています。

古いリソースグループの内容(リソースが無くなっている)

今度は、移動先のリソースグループ名(KKInternational-test)をクリックしてみます。

選択した全てのリソースが見えていますね。

新しいリソースグループの内容(リソースが移動して表示されている)

リソースの移動が完了しました。

合格対策Microsoft認定試験AZ-104:Microsoft Azure Administratorテキスト&演習問題

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(模擬試験付き)徹底攻略 Microsoft Azure Administrator 教科書 [AZ-104] 対応

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善良すぎて殺された青年 ~1999年・栃木リンチ殺人事件~ 最終話


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第六話 全てが遅すぎた

殺害現場

遅すぎた勇気

萩原、梅沢、村上は、自分がやられたら嫌なことを平気、かつ楽しんで人にやるクズだったが、人殺しは別だった。

動かなくなった正和の生死をおっかなびっくり確かめ、死んだことを確信してから、あらかじめ掘っておいた穴に投棄。

セメントを流し込んで土をかぶせて、黒く塗ったべニアまで敷き、土、落ち葉をかぶせて偽装した。

その後、殺害には関与させなかった西山にも手伝わせて、沼に殺害と死体遺棄に使った物品を投棄してから赤川ダムに向かい、すでに手配されているであろう村上の車を沈めようとしたのだが、前輪が泥にはまって断念。

ナンバープレート、車検証を持ち出して、その場に遺棄した。

赤川ダム

午後6時から深夜0時にかけて、正和を欠いた一行はホテルに相次いで到着、「15年逃げ切れば時効だ」などと、呑気に今後の逃走について話し合った。

それから、村上はいざ殺害となったら怖気づいたくせに、正和が死ぬ場面の物まねをはじめ、梅沢は思い出して興奮したらしく、その場でセンズリをこき、発射した。

極悪なばかりか、心底気持ち悪い奴らである。

翌12月3日、正和の遺品となった携帯が鳴った。

相手は、正和の実家からである。

これには、梅沢が正和の声マネをして対応、「今眠いから、またかけなおす」などと言ってすぐに切り、まだ生存していることを装った。

この電話をかけたのは父親の光男であり、梅沢の下手な芝居に騙されて、息子はまだ生きているとこの時は思ったようだったが、母親の洋子は母となった女だけが持つ第六感で、何か最悪の異変を感じ取っていたようだ。

「まあくん(正和のこと)がおかしい!まあくんがおかしい!」と、うろたえていたという。

一方、須藤夫妻から最愛の子を奪った萩原たちは、どこまでもお気楽でふざけていた。

居酒屋で飲んだ後、コンビニで買った花火で、『正和の追悼花火大会』に興じたのだ。

翌日からは、すでに予約した東京都新宿区のウイークリーマンションに向かい、15年逃げ切るための生活が始まる。

また正和みたいな金づる兼おもちゃを新しく探さなけりゃならないから、これからたいへんだ程度の感覚だったのであろう。

だが、西山だけは違ったようだ。

4日午後1時、萩原を除く三人は東京に到着し、西山のみが港区の自宅に帰った。

しかし、ホッとするはずの我が家でも、ずっと一昨日の栃木の山林で起きたことまでのことが頭から離れない。

あの須藤って人は話したことあるけど、そんなに悪い人じゃない、むしろいい人だったんじゃないか?

それを、あんなひどいことして殺しちまいやがって…、萩原さん…、いや、萩原のヤローも、あとの二人も、とんでもねえクソだ!

オレは、あのクソどもに手ぇ貸しちまったし、とんでもねえことしちまった!

罪悪感とともに、「次は、ひょっとしたら俺かもしんねえぞ」という懸念もあったことだろう。

あんなことする奴らだから、警察にチクりそうだと思ったら、知り合って日が浅い自分を、何のためらいもなく消しにかかるかもしれない。

その後、母と祖母が帰って来た時には決心していた。

西山は全てを打ち明けて、警察に自首すると伝えたのだ。

「黙ってりゃいいじゃないの!アンタは巻き込まれただけでしょ?警察に話しちゃダメ!!」

西山の母は、「自分の息子さえよければそれでいい」という狂った母性愛にむしばまれた頭の持ち主だったが、息子の方はまともに育っていたようだ。

母の違法な反対を押し切り、午後9時ごろ、港区の警視庁三田署に出頭した。

西山の自首を受けてからの三田署の動きは、栃木県警のどこかの二つの警察署のものとは全く違っていた。

翌5日午前3時には西山を同行させてハイエースで栃木県に向かい、死体遺棄現場などを捜索。

午前11時半過ぎには、市貝町の山林の土中から埋められていた正和の正視に堪えない遺体を発見する。

証拠隠滅のために遺棄した村上の車や他の証拠物品も西山の供述どおりに見つかり、萩原らの非道は完全に裏付けられた。

12月5日午後4時、新宿区のウイークリーマンションで後から合流した萩原と梅沢、村上は、揃って逮捕された。

逮捕時、三人は人相を変えるために髪をカットして派手に染めたりの小細工を働いていたが、あまりにもあからさまな犯行な上に証拠を残し過ぎていたから、逮捕は時間の問題だったように思える。

しかし、すぐに解決できそうなこの事件に関して、栃木県警はいっさい捜査に動こうとはしなかった。

もし、西山がこの時に三田署に自首しなかったら、何も動かないまま、正和の行方は闇に葬られていたかもしれない。

しかし、遅すぎた。

西山の勇気がふるわれたのは、須藤夫妻が愛息を永遠に失ってしまった後だったのだから。

正義が機能不全だった栃木県

12月5日、警視庁三田署の地下で須藤光男・洋子夫妻は、変わり果てた我が子正和の遺体と対面した。

遺体は全体的に黒ずんで正視に耐えるものではなく、親戚の目に曝すわけにいかないために、東京で火葬されることになる。

石橋署がきちんと動いてくれていれば、こんな悲しみの対面はしなくてもよかったはずだ。

そして、悲しみの夫妻に、さらなる追い打ちが待っていた。

マスコミが早速この事件を取り上げたのだが、それは暴走族内部のトラブルによるリンチ殺人事件として報道したのだ。

これでは、自業自得のような印象を世間に与えてしまうではないか!

「ウチの正和が暴走族なわけはない!」と三田署に詰め寄ったが、どうやら三田署の仕業ではないらしい。

両親は、後にマスコミ各社に抗議して訂正を求めたが、マスコミはいっさい取り上げてくれなかったという。

石橋署の次に責任がある日産も日産だった。

9日に正和の告別式が地元黒羽町の斎場で行われ、日産の関係者として同僚や上司十数名が参列したが、会社として花輪を出すことはなかったのだ。

須藤夫妻はこの時、日本で一番理不尽な目に遭わされていたと言っても過言ではないだろう。

このまま一気に忘却の彼方に沈むと思われたこの事件が世に知られるようになったのは、翌年になってからだった。

事件の公判が3月14日から宇都宮地方裁判所で始まったのだが、その犯行の異常性が、まずマスコミ各社の目に留まったのだ。

宇都宮地方裁判所

最初に産経新聞が栃木県版で、4月から事件の残虐性と合わせて栃木県警の不適切な対応を報じ、他の週刊誌やワイドショーも取り上げるようになって、全国的な関心を集めるようになった。

そして、事件の残忍さもさることながら、世間の怒りを買ったのは、被告である萩原、梅沢、村上の公判での態度である。

三人とも入廷して来る際はガニ股で肩を怒らせており、着席するやふんぞり返って、全く反省している様子はなかったのだ。

梅沢は法廷で「火傷している被害者に熱湯をかけていた時どう思ったか」と聞かれるや、あっけらかんと「面白かった」と答える無神経ぶり。

「須藤のせいで、会社に戻れなかった」とまで言ってもいた。

萩原にいたっては「もし殺害を実行しなかったとしたら、被害者をどうしていたか」の質問に、「そのままリンチでもしながら同じことをしていたでしょう」と、こともなげに言い放ったという。

また、「罪を償って出所したら彼女とやり直し、須藤君の分まで長生きしたい」と語って、法廷内を唖然とさせた。

極めつけは、正和の父・満男による息子の思い出や行方不明中の苦しみなど悲しみの意見陳述の際、萩原は小首をかしげてふんぞり返り、あくびをしたり、早く終わらないかという態度だったことだ。

遺族を挑発しているとしか思えない発言といい、この態度といい罪を重くしたいとしか思えない。

判決は6月1日に出て、萩原と梅沢は無期懲役、村上は殺害時に手を放したという理由で、5-10年の不定期刑であった。

梅沢と村上は一審で刑に服することになったが、萩原はなんと控訴する。

あきれたことに、「自分は主犯ではない」と言うのだ。

だが、そこでも「死刑を覚悟している」と発言しておきながら、その後、「須藤君の分まで長生きしたいというのが正直な気持ち」と相変わらずふざけていた。

当然裁判官の心証は悪く、2001年1月29日、東京高等裁判所は控訴を棄却、上告も棄却され、萩原の無期懲役が確定する。

刑務所に入った萩原は、所内でホラを吹いたりで他の受刑者からの評判が悪く、身体に障碍を持つ受刑者をいじめるなど服役態度が劣悪らしく、シャバにいた頃とあまり変わっていないようだ。

当然、まだ出てきていないし、今後も出られないだろう。

出てこなくてもよいが。

梅沢は、後に刑務所内でキリスト教に改宗し、服役態度は良好だが未だ服役している。

服役中の梅沢

ただ、無期懲役囚を特集したドキュメンタリーにもモザイク付きでインタビューに答えていたが、無期懲役囚としての心境は語っても、被害者に対する思いは一切語っていない。

そして、彼らの親も「この親にしてこの子あり」ぶりがハンパではなかった。

萩原の父親は、なんと栃木県警に勤める警察官だったが、息子が捕まってからもしばらく県警に勤め続けていたし、記者の取材に対して「肖像権の侵害だ」だの「こっちも犠牲者なんだ。静かにしてほしい」だのほざいている。

村上の父親は「須藤さん、うちの息子は短ければ5年で出られますから、その時はあいさつに伺います」と光男を挑発、母親にいたっては「ウチも被害者なんです。下の子はまだ小さいから、あんまり騒ぎにしたくありません」と吐き、賠償金に関しては「息子に請求してほしい」という無責任ぶり。

母子家庭である梅沢の母親は「責任は親にあります」としながらも、「ウチの子は巻き込まれた」というスタンスは同じで、賠償金も「たくわえがないので、できそうもありません」と言っていた。

クズの親は、やっぱりクズだったのだ。

当然、両親の訴えを無視したことが発覚した栃木県警もメディア世論の批判を浴びたため、ようやく関係した警察官らを懲戒処分にしたが、最も罰が重い者で「停職14日間」と非常に軽いものであった。

しかも、それまでの態度は非常に不誠実で、後に提出した事件についての回答書も、自分たちに都合よくウソでまみれていた。

両親である光男と洋子はその後、栃木県と加害者、その両親に損害賠償・1億5000万円を求める民事裁判を起こしたが、母親の洋子は心労がたたって50歳の若さでこの世を去る。

事件が起きなければ、彼女は死ななかっただろうと思うと、不条理この上ない。

そして、その後の裁判も同じだった。

2006年4月12日、宇都宮地方裁判所は「栃木県警の捜査怠慢と殺害の因果関係」を明確に認め、遺族である光男の主張を全面的に認める判決を下したが、判決が被告保護者の監督責任を認めなかったことから、遺族は控訴、敗訴した栃木県も判決を不服として控訴する。

2007年3月29日、東京高等裁判所は、「栃木県警の怠慢がなくても、被害者を救出出来た可能性は3割程度」と判断し、栃木県の賠償額を約1100万円に大幅減額する判決を下す。

遺族は判決を不服として上告したが、2009年3月13日、最高裁判所は被害者遺族の上告を棄却し、東京高裁判決が確定した。

そして、被害者である正和を見捨て、事件の戦犯の一角である日産については、何のお咎めもなかったし遺族への謝罪もない。

この事件のルポを書いたルポライターの故・黒木昭雄氏はクリーンな企業イメージを守るために、日産社員同士のこの事件が進行中にある程度の情報をつかみつつ、それを須藤夫妻に伝えることなく総務課内でもみ消そうとした動きがみられ、それを栃木県警にも依頼した可能性を指摘している。

大企業の日産の栃木県内での影響力は大きく、県警の有力な天下り先でもあったから、ありえそうな話だ。

また主犯の萩原の父親は栃木県警の警官であったから、県警の側も身内の罪を暴きたがらなかったのかもしれない。

善良で働き者だった青年は悪魔の化身のようなチンピラたちと、保身を第一に考える日産、そして同社と癒着した事なかれ主義の栃木県警の合作で殺されと言っても過言ではない。

この一連の時期、栃木県に正義は不在だったのだ。

終わり

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善良すぎて殺された青年 ~1999年・栃木リンチ殺人事件~ 第五話


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第五話 天然ボケで奪われた命

石橋署

第四の犯人の出現

10月27日に、正和は同級生である岡田から借りた金を返しに来たが、11月2日の午後8時ごろにまた来て、今度は金を借してほしいと頼んできた。

しかし、今回は正和の父親である光男に頼まれていたとおり、岡田はきっぱり断っている。

その際、乗せられていた車のナンバーを控えることに成功し、岡田の父親は光男にそれを伝えた。

大きな前進であったが、岡本は正和の顔に前回にはなかった傷があったと証言しており、右手に包帯を巻いていた件も合わせて、暴行を加えられている可能性が多いに考えられた。

11月3日、控えたナンバーを石橋署の生活安全課に伝え、手にやけどを負っていたことや顔に傷があったことから事件性が高いとして捜査を依頼したが、返答は相変わらず例のむかつく決まり文句である「警察は事件にならないと動けないんだよ」。

そうは言っても、ナンバーから車の持ち主は村上博紀であることは分かり、その住所も割り出してくれた。

両親は息子を連れ回しているグループが三人であり、そのうちの一人は梅沢であるらしいことをすでにつかんでいたが、これで村上の存在も知ったことになる。

光男は翌日教えられた住所に行ってみたが、くだんのナンバーの車はなかった。

近所で村上博紀について聞いてみたら、甘やかされて育った悪ガキで、名門校を暴走族に入っていたことが原因で退学になったりしたこと、悪そうな連中とつるんでおり、いつも夜遅く帰ってくることなどの情報を得る。

だが、まだ萩原の存在には行きついていない。

そもそも、ここまでしなければならないのは、石橋署が信じられないくらい非協力的だからである。

そして、正和の職場である日産も話にならなかった。

梅沢が絡んでいることは知っていたのに、まんまと梅沢の見え透いたウソを鵜吞みにして正和を悪者にし、両親には息子に退職届を出させるよう迫る始末。

その間にも正和は犯人グループに苛まれ続け、体の傷はますます目も当てられないほどになっていた。

普段から面白半分に暴行・凌辱していたが、友人知人から思うように金を借りれなかった時は、当たり前のように制裁として殴る蹴るや熱湯コマーシャルのお仕置きをしていたのである。

また、正和の両親に金の無心の電話をした場合に下手なことを言ってしまったり、両親が思うような対応をしなかった場合は、腹いせの暴行を食らうこともあったようだ。

11月上旬より、須藤家からしか金を引っ張れないと萩原は判断したらしく、正和から連続して数十万単位の金を無心する電話がかかってくるようになる。

光男が「金は直接渡す」と言っても正和は「振り込みじゃなきゃダメだ」と言い張った。

「振り込めば帰れる」とは言うが、またほどなくして「また別の人から30万円借りてる」とか「最後のお願いだから」などと、無心の電話が来る。

また、その口調はだんだん荒れてきたり、泣き叫ぶような哀願調だったりもしたことから分かるとおり、地獄のような暴行で精神的にかなり追い詰められていたのであろう。

須藤家もしかりで、いつかかってくるか分からない金の無心の電話に疲れるあまり、電話のコードを抜いていたこともあった。

一方、正和を虐待しながら連れ回して東京まで来ていた三人の犯行グループに、11月20日ごろから第四の人物が加わる。

それは、東京都在住の西山啓二(仮名・16歳)という高校生だが、学校に行かずにブラブラしていた男だ。

渋谷で開かれたあるイベントで萩原と知り合い、26日からは一行が宿泊していたビジネスホテルにも泊まり、本格的にグループと行動を共にするようになった。

西山は、萩原たちと行動を共にするようになってすぐ、一味の中におかしいのが一人いることに気づく。

ずっとフードを深くかぶっているが、明らかに分かるほど顔が変形しており、火傷なのか変色してただれている奴だ。

ホテルに泊まる前に自分も含めた5人で銀行に行った時、窓口で札束を受け取ったそいつは、その金を萩原に渡していた。

足利銀行丸の内支店

コイツは一体何なんだ?あの顔は何をされたんだ?

「ヒロヒト」とか呼ばれてるみたいだけど、この面子の中の立ち位置はどうなってんだ?

それは、26日に萩原の泊まるホテルに自分も泊まってから思い知らされる。

「熱湯コマーシャルだ」とか言って、梅沢と村上がその「ヒロヒト」と呼ばれている男の服を脱がせると、ヒロヒトは体中火傷か何かでただれて化膿すらしていたのに仰天した。

なお信じられないことに、そんな重傷以外の何者でもないヒロヒトを無理やり浴室に連れ込んで、最高温度にしたシャワーをかけるのだ。

浴室からは、この世のものとは思えないほど悲痛な叫び声がこだまし、やっと解放されて湯気を出しながらシャワー室から出てきたヒロヒトを梅沢と村上は殴るわ蹴るわ。

火傷で負った水泡がつぶれて、血や体液が飛び散る。

大物ぶった萩原は手を出さず、そのおぞましい様子をウィスキーの入ったグラス片手にショーを鑑賞するように眺めている。

西山は思わず尋ねた。

「あれは何なんすか?あのヒト、何であんな目にあってんすか?」

「あの須藤って奴はよ、俺らに不義理働きやがったから、しつけてんだ。俺は、あそこまでやれって言ってねえけどな」

そう言いながらも藤原はそのリンチを明らかに楽しんで観ていた。

実際に手を下している梅沢も村上も、体のあちこちから血膿を出して目をそむけたくなるような有様になった正和へのリンチを、楽しそうに張り切ってやっている。

もはや、人間のやることではない。

この西山は、萩原のような冷血漢に気に入られてはいたが、まだ彼らほど墜ちてはいなかった。

「こりゃ、やりすぎじゃねえのか」と、内心見ていられなかったのだ。

彼はグレてはいても、まだ人としての良心を備えていたのである。

だが、良心があっても行動に移す勇気はなく、この時点での西山は、まさに「義を見てせざるは勇なきなり」の状態だった。

彼が勇気を発揮してようやく行動に出るのは、事件が取り返しがつかなくなってからとなる。

当時の渋谷センター街

許しがたい天然ボケ

日産から息子の退職願提出をしょっちゅう求められていた両親は、11月24日にかかって来た正和からの金の無心の電話に対して、「金を振り込むから退職願いを書いて出しなさい」と命じていた。

その前には正和の寮に行って、家財道具を運び出している。

自分の意志ではないとはいえ、二か月近く職場に顔を見せていない息子が復帰できる見込みはないし、これ以上、日産に迷惑はかけられないという意識が、この時にはあったのだ。

そして、この頃になると、正和に金を貸した人間からの相談が須藤家に連続して来るようになり、両親はその返済のための金策にも追われるようになる。

連れ回されている正和が言わされているであろう金の無心の電話も、このころは集中的に来るようになっており、両親は追い詰められていた。

両親は、とにかく息子の居所を知ろうと金を振り込んでいる足利銀行に協力を要請する。

事情を話して、振り込んだ金がどこで下ろされているか教えて欲しいと頼んだのだ。

すると25日、栃木から遠く離れた東京丸の内の足利銀行東京支店から、金が下ろされたという報告が入った。

しかも、知らせてくれた同行の支店長によると、四人の男と共にやって来て、窓口で金を受け取った人物はフードを深くかぶっていたが、顔に明らかに分かるほどの火傷を負っているという。

そして、それら一連の様子は監視カメラに収められているとも話した。

四人の男?顔に火傷?

三人だと思っていた犯人が一人増えているし、正和と思われる人物は、顔に火傷まで負わされているとは!

足利銀行の支店長は警察への通報を勧め、いざとなったら監視カメラの映像も提供するとも言ってくれた。

「今度こそ動いてくれるだろう」と信じて両親は石橋署に電話したが、「その車の持ち主の村上の親が捜索願を出したら、刑事事件になるかもしれないと思うけどな」などと、ボケた返答しかしてくれない。

警察を頼りにできない両親は、独力での解決を強いられたため、車のナンバーによって知った村上の家の電話番号にまず電話をかけ、これまでのことを話した結果、村上の親たちと会うことになった。

同時に梅沢の母親にも電話して、11月30日に宇都宮市内のファミリーレストランで会合を開くことが決定した。

30日午後1時、正和の両親は梅沢の母親とその叔父(梅沢は母子家庭)、村上の両親に、これまでの経緯を説明して事情を聞いた。

すると、梅沢の親も村上の親も息子たちの行方が分からず困っており、管轄の宇都宮東署に捜索願を出したが、受け付けてもらえなかったことを知る。

そして何より、ここで正和を連れ回している第三の男の名が、萩原であることが分かった。

梅沢の親も村上の親も、この萩原に金を巻き上げられていると主張しており、この時点では同じ被害者側のような顔をしていたようだ。

とりあえず、三家の親たちは合同で宇都宮東署に改めて相談に行ったが、ここも石橋署同様やる気がなく、「その正和さんの捜索願を出した石橋署に行けばいいでしょ」とつれない。

仕方なしに、一行は石橋署に向かうことになった。

「何だよ、須藤さん。こんなにいっぱい人連れてきて。何の用だよ?」

石橋署生活安全課のいつもの非協力的なムカつく刑事である。

父親の光男は、彼らは息子を連れ回しているとみられる人間の親たちであり、足利銀行の防犯カメラに映る息子の正和は顔に火傷まで負わされていることなどを訴えて捜査を懇願したが、対応はあいかわらず冷ややかなままだ。

その時、光男の携帯に着信があった。

正和からであり、要件はいつものとおり金の無心。

電話の中で正和は精気のない声で「電車賃だけでも振り込んで欲しい」と懇願した。

またか…いつまで続くんだ。

「そんな金あるわけないだろ」「電車賃がないと帰れないじゃん!」「だから迎えに行ってやるから」などと泣き始めたらしい正和と押し問答を始めた光男だったが、それら一連の会話をいぶかしげに見つめるくだんの刑事を前に、ひらめくものがあった。

ムカつく奴だが、腐っても刑事だから、こういう場合は頼りになるはずだ。

「ちょっと待ってろ。ここに父さんの友達がいるから、その人と話してみろ」と、刑事に携帯を渡す。

刑事は一応聞いていたらしく、それにうなずいて受け取って、代わりに電話に出た。

「もしもし、須藤か。今どこだ?早く帰ってこなきゃダメじゃないか。みんな心配してるぞ。え?ナニ?」

こいつは腐っても刑事で、いかにもこういうことに慣れたような口調だったが、刑事としては腐りきっていた。

「誰だ?だって?石橋だ。石橋署の警察官だ…あれ、切れちゃったよ」

信じられない、唖然とした。

正和は監禁されている可能性が高いのに、「友達」とわざわざ言ったのに、警察に知らせていることを刑事自ら犯人たちに知らせてしまったのだ。

これでは、正和がどうなるか分からないではないか!

許しがたい天然ボケである。

「…とにかく村上の車の手配はしましょう」

ボンクラ刑事はバツが悪くなったのか、それまでとは一転して協力する姿勢を示すようになった。

しかし、遅すぎであった。

この天然ボケは、業務上過失致死ばりに罪深いものとなる。

これで、警察に知られたことを萩原の方は悟り、正和の口封じを決意することになるからだ。

断たれる正和の命

「警察?親父にかわってよ」

正和に携帯で親に金の無心の電話をさせ、その携帯の裏側に耳を当てて会話の内容を傍受していた萩原は、その「警察」というワードを耳にしたとたん血相を変えた。

「切れ!電話切れ!」と、電話の相手に聞こえないような小声で正和に指示して切らせると、「やべー!やべえぞ!」と騒ぎ出す。

これまで自分で手を下すことなく、梅沢と村上にリンチをさせるなどして大物ぶってきたが、警察が動いていることを知ったとたん、本来の小物ぶりをさらしたのだ。

「栃木にいるのやべーよ!おい、シャワー室に残ってるヒロヒトの血ィ拭き取れ。ここ出るべ!」と指示を出して、午後6時前にホテルをチェックアウトしたが、自身は某組織の組員に会いに行くとして別行動をとって、その他の者は夜遅く再び同ホテルにチェックインする。

そしてこの晩、梅沢と村上は正和に最悪の残虐行為を行う。

熱湯コマーシャルをやった後、梅沢は火傷で皮がむけた正和の体を靴ベラで百発以上叩いた上に、村上はポットで湯を沸かし、梅沢がそれをコップに入れて正和にかけたのだ。

「やめてください!あつい!!やめ…あっつういいい~!!!」

リンチは、ポットのお湯がなくなると再び沸かして再開され、それは四回にもおよび、ただでさえ広範囲に広がった火傷を余計悪化させ、正和の皮膚はささくれ立ったようになっていたという。

しかも信じられないことに、この最凶リンチは翌日12月1日朝に、萩原がホテルに姿を見せて正和の惨状を目にするなり、「オレにも、昨日オメーらがやったやつ見せろよ」と言ったために再び行われたのだ。

この時点で、正和の顔はこれまで殴られ続けたために完全に変形しており、熱湯コマーシャルなどによって負わされた第三度の火傷は、全身の約80%に及んでいた。

いつ死んでも、おかしくない状態だったのだ。

こんな無残な姿にした上に、なおかつ熱湯をかけることができる三人は、サイコパスだったとしか思えない。

そして、このサイコパスどもは警察にこれまでの行為が知られたら、確実に実刑を受けることを予想していた。

しかも同日夕方、村上は西山と正和を乗せて自分の車を運転していた時にバイクに当て逃げ事故を起こしてしまい、それを聞いた萩原は、余計警察の注意を引くであろうと確信。

何度か捕まって留置所に入れられたことのある萩原は、逮捕された後、いかに嫌な思いをしたか骨身にしみていた。

ましてや、実刑となったら…。

この日の午後11時、一行は萩原と村上の車に分乗して鬼怒川の河川敷に到着、萩原は自分の車の中で今後について自分の考えを話す。

それは、正和の殺害だ。

鬼怒川の河川敷

「帰しちまったら、ぜってー捕まるべ。殺っちまおう。どうだ?」

「うーん。オレ、どうすりゃいいかわかんねえよ」

「はっきりしろよ、テメー。まあいい、明日までに決めとけ」

萩原はこの日、自分だけ自宅に帰り、残りの四人は村上の車の中で寝た。

正和の親から巻き上げた金を使い果たしていたために、ホテルに泊まれなかったからだ。

12月2日午前8時、萩原は河川敷に戻ってきて、再び正和殺害の謀議が始まった。

今度は梅沢に加えて、村上も交えた三人の話合いだ。

「で、どうするか腹くくったのかよ」

「うーん…どうしようか」

「あのな!テメーら捕まったことねえから、わかんねんだよ!今回みてえなコトして捕まったら、長えこと中入んなきゃなんねえかんな!女とも会えねえぞ!いいのかよ!?」

「いや!オレも捕まりたくねえ!やっぱ殺しちまおう」

「村上は?どうすんだよ?決めろよ」

「やっちまおう。生かしといたらやべえ」

正和の運命は、このように短絡的に決まった。

殺して捕まったらもっとヤバいことになるのが、なぜわからないのか?

その後、殺害方法は絞殺とし、死体は芳賀郡の山林に埋めることが決められた。

午前11時に、一行は二台の車に分乗して河川敷を出発し、途中正和の最後の給料を足利銀行から降ろすと、その金を使ってホームセンターでセメント、砂、スコップなどの物品を購入。

掘った穴に、セメントを流し込むつもりなのだ。

午後2時、死体遺棄現場として目星をつけていた栃木県芳賀郡市貝町の山林に着いた。

萩原は乗って来た車を駐車して、梅沢と徒歩で村上の車を先導して山林に入って行く山道に入った。

が、ここは完全に人里離れた場所というわけではなく、近くに駅はあるしゴルフ場もある。

時間的にも人が来てもおかしくなく、彼らが入って行った山道は、ハイキングコースにもなっていた。

なのに萩原は、「ここでやるべ」と命令した。

村上の車からスコップを出して山道から右の斜面に降り、梅沢と二人で穴を掘り始める。

ある程度掘り終わった後、村上の車からそれを見つめる正和に「あの穴に車埋めんだよ」と言ったが、正和はそこに埋められるのが自分だと分かっていた。

「生きたまま埋めるのかな。残酷だな」とつぶやき、同乗していた西山に「悪いけど、セブンスターください」と言ったという(正和は未成年だったが、高校卒業後に喫煙を始める者は、この当時珍しくない)。

その時、外から萩原が「オイ西山、セメント運べ」と指図してきたので、西山はセブンスターを正和にやることなくに外へ出た。

「どれくらい運べばいいんすか!?」とやや大きい声で聞いたら、代わって穴を掘っていた村上に「声でけえよ」とキレられる。

穴を掘る者、セメントをこねる者、これから人を殺すことに誰もがピリピリし始めていた。

四十分後、全ての準備が完了する。

「チャッチャとやってこい」

藤原が梅沢と村上に命令し、自分は車に乗り込む。

梅沢は正和を車から降ろし、全裸になって座るよう命令。

「西山、テメーも車で待ってろ」と、年少の西山も車に戻した。

この期におよんでも無抵抗な正和の首に、梅沢の私物のネクタイが巻き付けられる。

そして、そのネクタイの両方を梅沢と村上は力をこめて引っ張った。

「うぅぅうううぅうう~がはぁああぁぁあげぇぇ~」

断末魔の声を上げて苦しむ正和。

ガタイはデカいが、肝っ玉が実は小さい村上は目をつぶって引っ張っていたが、その声にひるんで手を離してしまった。

正和はうめき、「げぼぼっ」と血を吐き失禁。

もう一回やり直しだ。

その声は車内にも聞こえており、萩原はカーステレオで音楽をかけ始めた。

この冷血漢にも、その苦しむ声は耐えられないものであり、西山に「あいつら、やべーよ。ああいうのオレはダメだ」と言っていたくらいである。

「もういいんじゃね?やべーよ」

「根性ねえな、オメーよ!」

村上はひるんでまた手を放してしまったため、結局、梅沢が一人で絞め続ける羽目になる。

さらに30秒ほど絞め続けたら、苦しみ痙攣していた正和は動かなくなった。

正和は死んだ。

あまりにも善良過ぎたために目をつけられ、苦しめられた末に殺されてしまった。

たった19年の人生だった。

続く

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