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「バカ」を理解するためのガイド – バカの種類とその特徴


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「バカ」という言葉をタイトルに含む書籍は数多い。

それはある社会現象や風潮を文字通り「バカ」にして皮肉ったり、あるいは世にはびこる「バカ」への対処法や、「バカ」を科学するものもあるようで、やはり、「バカ」という言葉は心の琴線に直接接触する一種のキラーキーワードなんだろう。

これらの書籍はそれなりに社会的に成功した人々が著者なんだから、まず著者はバカではなく、読者も著者の言うところのバカではない、という前提と思われる。

それか、読者の方は自分がバカではないことを確認する反証バイアスのために読むのだろうか?

しかし、私はかねてよりこうした「バカ」について解説しているとみられる書籍の中に肝心なものがないように思えてならなかった。

それは「バカによるバカのための本が存在しない」ということだ。

つまり、主にバカがどう生きるべきかを、バカが自分の体験を基に世の中のバカたちに指南する本があってもよいのではないかと考えているのだ。

バカとは?

ここで言及するバカはもちろん悪い意味でのバカである。

「空手バカ」とか「野球バカ」とかの、それ一筋で他のことを考えないポジティブな意味でのバカではない。

バカとは誰が何と言おうと欠点である。

平均的で健全な社会生活を営むのに必要な資質や能力に著しく欠ける深刻な欠陥を指すのだ

その欠陥たる「バカ」には多種多様なタイプがあり、私的に大きく分類すると、

  • 知識の総量が一般人に及んでいないか、現代に対応していない「無教養系バカ」
  • いくらモノを教えてもなかなか習得しない「学習困難系バカ」
  • 物事の筋道を立てたり、合理的な思考や言動ができない「非論理系バカ」
  • 大切なことをすぐ忘れたり、注意力に著しく欠ける「不注意系バカ」
  • 応用力や想像力が全く機能しないか、させる気のない「思考停滞系バカ」
  • まっとうな社会生活を送るために必要な常識や配慮に欠ける「無神経・非常識系バカ」
  • 自分が他人にどう見られているか、自分の立ち位置が分からない「無自覚系バカ」

…などなど際限なく思い浮かぶ。

私自身はこのうち少なくとも「学習困難系バカ」、「非論理系バカ」、「不注意系バカ」、「無神経・非常識系バカ」に該当しており、合併症すら発症している。

私はバカであることに胸を張る気はない。

これまでよく怒られたり、職場を解雇されたりと様々な不利益を被ってきたことが誇らしいことでは決してないはずだからだ。

自分がバカだと分からない「無自覚系バカ」じゃないだけマシだと言う者もいるが、自分がバカだと分かっているからといって心が楽になるわけではない。

バカゆえに将来への展望や可能性が大きく制限されることを自覚するのはあまり気持ちのいいものではないからだ。

バカは傍から見て面白いかもしれないが、バカ本人はそう思っていない。

バカもバカにされると不愉快になるのだ。

誰が人様を楽しませるために自分の尊厳を犠牲にすることが面白いものか。

近年ではバカとひとくくりにされてきた者たちが、発達障害や学習障害などの疾患を抱えていると見て理解を示す向きもあるが、社会は相変わらずバカとみなされる者に冷たいし、暖かくなることもないだろう。

効果的な救いの手が伸ばされることなく、生きづらさを抱えながら人生を送らざるを得ないことは私も覚悟している。

長年バカとして生きてきたが、実はどうすれば心地よく生きられるかはいまだによくわからない。

だがどうすれば最悪かはよくわかっているつもりだ。

46年生きてきた中で振り返ると、これをやったらヤバイいことになったと思われる行為が自分自身の経験からも他人の例からもかなり見受けられるのだ。

それは私自身だけでなく他のバカにも適用可能で普遍的な教訓ではないかと思う。

もしあなたが自他ともに認めるバカだが、他人の話を理解できないほど深刻なものではないならば、他山の岩としていただければ幸いである。

バカであることをアピールするなかれ

バカは恥ずべきことだ。

胸を張って主張することではない。

なのに世の中には、

「俺はバカだから」

と、自分でバカであることを白状する者は少なくない。

本当にそう思って、自分を卑下しているのかもしれないが、これは多分に「俺にあまり期待しないでくれ」とか「難しいことをさせないでくれ」と予防線を張っているつもりなんだろう。

私もそうしたことはある。

だが、これは実はよくない。

あんまり言いすぎると、

周りの者に「こいつはバカにしていいのだ」

と思われる可能性があるからだ。

人間は本能的に自分を最底辺には置かず、自分より下を作りたがる。

特に本物のバカに限ってその傾向が強い。

バカにバカにされるのは我慢がならないだろう?

また「自分はバカだ」と言い続けると、周りからそう思われるだけではなく、自分も本当によりバカになっていくことが多い気がする。

自身の経験から、

どうも「バカ」という日本語に宿る霊力はかなり強力で、特に自分に対して言った場合には言霊となって本当に実現しやすいようなのだ

つまり今以上にバカになってしまう。

「俺は天才だ」と公言するのもよくないが、自分がバカだと周りには言わない方がよい。

本当にそうであったとしても。

バカは利口ぶってはならない

バカだと白状するのもいけないが、だからと言って知ったかぶりをしたり利口ぶったりするのもよくない。

切れ者にあこがれる気持ちはよくわかる。

だが何をやってもバカは終生切れ者にはなれない。

それなのに、私はついついやってしまう。

知ったばかりのことを、さも一般常識ですらあるかのように利口ぶって得意げに語った結果、相手はもっとそれについて知ってて、間違いを指摘されたり、突っ込まれたりして木っ端みじんに粉砕されてしまうことが。

ついこないだもやってしまった。

これは南米かアフリカあたりの失敗国家の経済政策か軍事クーデターみたいなもので、これからも繰り返すであろう。

バカは愛されなければ生きていけない

バカが周りから嫌われたら最悪だ。

有能な人間が嫌われるよりずっとやばい。

はっきり言ってその所属する社会ではアウトオブカースト同然となる。

いつの世も人間は嫌らしい。

バカにしている人間が憎たらしいと、そういう時だけ正義感を発揮して大いに排斥してくるはずだ。

では、憎まれるバカとはどんなバカか?

バカであることを認めないバカ、姑息な計算をするバカ、反抗的なバカ、利口ぶるバカ、プライドの高いバカなどが思い浮かぶが、

要するに素直じゃないバカが嫌われる。

バカは嫌われてはならないのだ。

ただでさえあてにならない奴だと良く思われているのに、その上嫌われたらもう評価が覆ることはない。

一挙手一投足がカンに触るものとみなされるようになる。

私はそういう扱いを受けていたバカを何人か知っているし、私自身がそうなったことがあるから切実に思うのだ。

バカはバカに厳しい

先ほどの「バカであることをアピールするなかれ」でも述べたことだが、バカに限って自分よりバカだと思った者をバカにしたがるようだ。

よく職場で仕事ができない奴に限って新入りなどには厳しく接していた気がする。

日ごろのうっぷん晴らしか、それとも自分がやられて嫌なことを他人にやるのは楽しいからか?

はたまた自分が利口になったと錯覚するからだろうか?

だが、他人をバカだと決めつけてバカにする前によく考えてみてほしい。

そいつが本当に自分よりバカだとは限らないし、いつまでもバカだとも限らないのだ。

まあ、そんな簡単なことにも頭が及ばないからバカなんだろう。

ずっとバカだと思っていた奴が、実は自分よりずっと有能だったと証明された時のバツの悪さとそれ以降の居心地の悪さと言ったら、たまったもんじゃない。

これも身に覚えがある。

バカにされないバカになるには?

本当にバカなのにバカにされない者もいる。

バカなのにバカにしてはいけないバカとはどんなバカ?

決まってる。

怒らせると怖いバカだ。

前々項で「バカは嫌われたら、おしまいだ」と述べたが、

恐れられるバカは違う。

怒らせたらやばい奴がバカなんだから、その脅威の深刻度は倍増しである。

尊重されるわけでは決してないが、触らぬ神に祟りなしとばかりに、腫れ物に触るように扱われるだろう。

どっちかと言えばぼっちにされていることになるが、バカにされて見下されるよりはマシかもしれない。

とは言え、こういうバカはそもそも平均以上の腕力やケンカ上等の精神力という資質を備えていなければならず、どちらもないならば目指してはならない。

また、あったとしても目指すのは危険だ。

この文章を読んでいる人が、その理由が分からないほどバカではないことを祈ってやまないが。

以上、バカが生きる上で心がけるべきだと思うことについて私なりにまとめてみたが、

他にも忘れてしまった重大なことがあったかもしれないし、

私自身がまだ気づいていない、バカとしてやってはいけないことがあるのかもしれない。

また、私の文章が分かりにくくて矛盾に満ち、参考にならなかったかもしれない。

でも、これは仕方がないことだ。

なぜなら、私もあなたもバカなんだから。

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世の中には数多の格言、名言、ことわざ及び喩えがある。

これらは昔から伝わっていたり、偉人や有名人が言った言葉だったりする。

それを心の支えにして自分の座右の銘にしている人もいれば、昔からこう言うんだからこうしろと他人を言いくるめて納得させるために使う人もいる。

だが、我々は果たして昔から言われてきたから、あるいは偉い人が言ってたからと無条件にそれを信じたり、他人に偉そうに説教するために使ったりしていいのだろうか?

実は結構ツッコミどころがあるんじゃないだろうか?

私の中では個人的にどうしてもおかしいと思ったり、誤解を招きかねず鵜呑みにすると危険な格言やことわざがある。

ヒマな私はそれをいくつか取り上げて、批判的考察を述べたいと思う。

●「嘘つきは泥棒の始まり」

いや違う。そうとは限らない。

ちゃんと嘘つきのその後と、泥棒の過去をリサーチしたのか?

両者は別物だ。必要となるスキルに互換性は少ない。

嘘つきがプロフェッショナル嘘つきの詐欺師になることはあっても、泥棒に転化するとは限らん。

軽度のアマチュアであるが、結構嘘つきな私が言うんだから間違いがない。

私は嘘をついたことはあっても、モノを盗んだことはないからだ。

ちなみにこれは嘘をついていないからな。念のため。

●「立つ鳥跡を濁さず」

私は個人的にこの言葉が相当嫌いだ。言われるとムカつく。

経験上、かなり都合よく使われる場合が多いと考えるからだ。

そりが合わず大嫌いだった中学校の怨師(・・)や(恩師(・・)の誤記ではない)、立地条件や日当たりが悪すぎるのに、家賃やら更新料が高すぎるから引っ越すことにしたボロアパートの強欲大家とかが言ってた言葉である。

昔働いていたブラック企業を一方的にリストラされた時も、そこの総務部長がヌケヌケと言いやがった。

冗談じゃねえぞ!私は鳥ではない。

ムカついた場所を去る時は汚し放題汚して、ションベンしてから火をつけて出て行ってやりたいというのが本音だ!

●「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」

この言葉もおかしい。

発明王エジソンの言葉だが、多分に成功者バイアスがかかっていると思う。

特にスポーツの世界では思いっきり当てはまらない。

リーチが長くて肩幅の広い奴にボクシングで勝てるか?

身長2メートルの奴とバスケやって勝てるか?

西アフリカの黒人に100メートル走で勝てるか?

第一、言ったエジソン自身が「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になる」と言いたかったんだとか、後にその意味を部分的に否定している。

子供だましだ。いい大人が大人に向かって言っていい言葉じゃない。

何らかの習い事を我が子にやらせたいと思った親が、その分野で明らかに才能のない子供に無理やりやらせる場合とかに使いそうな言葉だ。

ウチの親がそうだった。

だから私ならこう言う。

「天才とは、99%の才能と1%の努力である」

●「電車と女は追うな。すぐまた来る」

オーストリアの格言だ。

正直、若い頃この格言を知った時には雷に撃たれたようにしびれた。

何てカッコいい言葉なんだと思い、

私を振った女に未練たらしくするのをスパッとやめた。

しかし、中年になった今は思わない。

どちらにも終電というものがあることが分かったからだ。

あれやこれや大胆にも名言や格言にツッコミを入れたが、批判してばかりは建設的ではない。

実は私は既存の格言やことわざを改良したり、新たに自分で作った言葉もあるのだ。

憚りながら、いまここにその拙作をいくつか紹介させていただこうと思う。

〇「性犯罪者にも一分の理」

嫌な気分にさせて申し訳ない。

「盗人にも三分の理」ということわざがあるが、これは窃盗犯の肩を持っているのではなく、その気になればいくらでも理屈はつけられることを表している。

同様にこの言葉も性犯罪者の立場に立っているわけではない。

むしろ逆。

三分も理がつく盗人と比べて性犯罪者は一分しかなく、それくらい情状酌量の余地がないということを言いたかった。

「生活できない」「もう三日も食べてない」と比較して、「モテない」「彼女がいない」は1ミリも世の支持を得られない。

これは主に私自身に対する…いや、性犯罪をやりかねない者全員への警句である。

〇「出る鼻毛は抜かれる」

これを言い出した時、勘違いする人が本当に多かった。

「出る杭は打たれる」の類義語で、出て打たれたり抜かれたりするくらいになることはいいことだと答える人が意外といた。

違うのだ。

鼻毛は確かに必要だ。

呼吸する際、外部からの異物をシャットアウトするフィルターの役割を果たす。

だが、鼻の外に出てきたりしたら、抜かれるだろう?

鼻毛は、眉毛やまつ毛のように自己主張したら消される運命にある。

だから、自分本来の役割を果たし、それ以上でしゃばるなという警句のつもりなのだ。

〇「一知らせたければ、十聞かせよ」

これが普通なんじゃないだろうか?

一を知らせるには、十言わなきゃならない。

私は人にものを教える時はこうしているつもりだ。よく「しつこい奴だ」とか言われるが。

最初に勤めた会社の上司の口癖が「一を聞いて十を知れ」だった。

そんなテレパシー能力を人に期待してはいけない。

「一知らせたけりゃ一伝えりゃいいだろう」とおっしゃるかもしれないが、そうはならないことが多く、万全を期すべきだということを説いている。

〇「運命の女神はストーカーに屈する」

私の人生訓だ。

そろそろ人格を疑われ始めているだろうが、他に的確な喩えが思いつかない。

自らの運命に関して、

かのローマ帝国には「運命の女神は勇者に味方する」という格言があった。

ルネッサンス期のイタリアの政治思想家マキャベリも著書『君主論』で、

「運命の女神は女であり、彼女を支配するには怒鳴りつけ殴りつける必要がある。そういう者にこそ運命は従順になるようだから」

と、補足的にそのバージョンアップ版を論じている。

確かに、歴史を切り開いてきた者の多くには共通点がある

カエサルしかり、チンギスハンしかり、織田信長しかり、ナポレオンしかり…。

その後の運命はともかく、彼らは猪突猛進的な突破力によってそれまでの自らの運命を変えて一時代を築き、歴史にその名を残してきた。

皆、積極果敢な行動により運命を従わせてきた者たちなのだ。

マキャベリの言う通り運命の神は女。

それも男にも女にもモテモテな絶世の美女だから、気まぐれで傲慢不遜。

相手をその気にさせてもてあそぶのが大好きな性悪である。

むろん、一目ぼれしてこちらに寄って来てくれることは滅多にない。

ならばと、こちらから声をかけ、おだてて媚びを売ってようやく微笑んでくれたと思った瞬間、「遊んでやっただけなのにその気になりやがって」と冷酷にそっぽを向かれる。

ようやく交際できたとしても、すぐに飽きられて浮気され、自分の元から去ってゆく。

相思相愛の恋愛関係などほぼあり得ないし、長続きはよりあり得ないのだ。

ならば、好かれる必要はない。愛される必要もない。

言うことを聞かせさえすればよいのだ。有無を言わさず。

相手に言うことを聞かせたければ、愛されるより恐れられる方がはるかに効果的である。

勇気を持って果敢な行動により運命の女神を脅し上げて泣かし、髪の毛を掴んで連行し、自分の目指す道を共に進むのだ。

しかし、その勇気は一時だけではだめだ。終始一貫持続させる必要がある。

さもないと逃げられる。

また、女神が脅しに屈せず、反撃されたり逃げられたりすることも多い。

ローマの格言も、マキャベリもそういった場合をカバーしていない。

ならばどうするか?

そういう時はストーカー行為をすればよいではないか。

たとえ嫌われても、想い続けて付きまとうのだ!

勇気を持って行動を起こし、姿を現して「オレはお前の近くにいるぞ」とアピールすることも忘れるな!

何年かかっても自らの存在を主張し、ビビらせ続けよ!

運命の女神を従わせて自らの願望をかなえるには勇気を持っているだけじゃ足りない。

食い下がること、

執拗たることも必要とされるはずなのだ。

自分の願望に対して執拗であることは美徳である。

好みでも何でもない、むしろ「キモい奴」が荒れ狂いながらいつまでもまとわり続ければ、さしもの女神も恐怖で持ち前の冷徹ぶりが狂い始める。

いつの日か、彼女がおびえ切って「もう見逃して」と泣きを入れてくる時が来るだろう。

その瞬間こそ、断固見逃してはならない!

最大限の勇気を奮って全力で拉致し、有無を言わさず冷酷に××しまくれ!

そうすれば、運命の女神はもうあなたの奴隷だ。

私はロクな職歴もないフリーターだった29歳の時、翻訳者で身を立てようと思った。

その直後、運送会社の契約社員になって荷物の仕分けをしながら翻訳の勉強を続け、「いつの日か」が来るのをしつこく願い続けた。

39歳になってしまった時、ようやく「いつの日か」が「その日」となった。

「その日」を迎えて以降七年間、私は翻訳者・通訳者として未だ食うに困っていない。

だから、僭越ながら自信を持って言うのだ。

「運命の女神はストーカーに屈する」と。

いつの日か私も彼女に逃げられるかもしれないが、少なくとも好ましくない運命を望ましいものに変えさせることができたのは事実だと確信している。

他に類義語として、私のかつての恋愛哲学であった「来る者拒まず、去る者地の果てまで追い回す」などがあるが、

こちらの方は危険すぎるし、成功した後或いは成功する前に自身が社会的に破滅する可能性が高い。

あくまでストーカー行為は運命の女神相手だけにしよう。あなたも私も。

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