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紙幣の顔に異議あり

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2019年4月9日、2024年度前半に千円、5千円、1万円の各紙幣を一新させることが発表された。

この刷新は2004年以来20年ぶりである。

気になる新紙幣に描かれる人物の顔ぶれは、

  • 千円札が北里柴三郎
  • 五千円札は津田梅子
  • 一万円札は渋沢栄一

「平成」から「令和」への改元機運が高まるだの、自動販売機などの関連需要が生まれるから、景気刺激の効果もありそうだの言われているが、そんなことはどうでもよい。

私は大いに失望している。元から期待はしていなかったが。

その失望は、新紙幣の人物の人選についてである。

そして、私の場合それは2004年以前の、1984年の紙幣の刷新から始まっているのだ。

昭和50年代の紙幣

私は1975年(昭和50年)生まれだ。

小学生だった1980年代前半の紙幣は、五百円札が岩倉具視、千円札が伊藤博文、五千円札と一万円札が聖徳太子。

明治の元勲たちと日本史上最高クラスの偉人という実に濃い面々で、どの額面の紙幣も威厳に満ち満ちていた。

紙幣とはあまり縁がない子供だったからかもしれないが、そんな偉人たちが描かれた紙幣を手にすると身が引き締まったものだ。

何というか、その額面の価値があることを大いに担保してくれている気にもさせてくれていた。

だから、そうさせるような人物が紙幣の顔になるべきだと、今でも信じている。

だが、私が小学校四年生だった1984年(昭和59年)11月1日に発行が開始された新しい紙幣に描かれる人物を見て、子供心に唖然とした。

新しい紙幣の顔は千円札が夏目漱石、五千円が新渡戸稲造、一万円札が福沢諭吉。

正直、面子が軽くなったような気がした。

私はこの小学生の時点ですでに歴史オタクであり、それらの人物が何者であるか知っていたから、全員偉大な功績を残した偉人で間違いがないことはわかった。

しかし、どちらかと言えば文化面での泰斗たちが、日本社会の基礎を築いた政治面での功労者であり日本史において燦然と輝く聖徳太子や伊藤博文をはじめとした明治の政治家たちと比べると、貫禄に劣るのは否めないと感じたのだ。

特に最高額紙幣たる一万円札の福沢諭吉なんだが、ヘビー級からミドル級くらいまで落ちた感じがした、というのは冒涜だろうか?

聖徳太子という問答無用のスーパーヘビー級と比べたら、その軽薄短小化ぶりが際立つこと甚だしい。

体重78kgくらいだけどヘビー級扱いにされたみたいで、納得がいかなかった。

なんとなく額面は一万円の紙幣なのに八千円の価値しかないように思ったことを覚えている。

2004年の紙幣の顔ぶれ

月日が経つうちに、私も諭吉をはじめとした他の面子にも慣れてきた。

私の人生で初めての新紙幣の登場から20年後の2004年、再び紙幣の刷新に遭遇した。

そして、その時に感じたのも失望だった。

いや、失望より深刻な絶望ですらあった。

どのくらいかというと、日本は終わりだと落胆したくらいだ。

今の日本政府は打倒されなければならないと憤った。

2004年の刷新において一万円札は福沢諭吉が続投、五千円札に樋口一葉、千円札に野口英世が起用されて2022年の現在に至るわけだが、五千円札と千円札が問題だった。

まずは五千円の樋口一葉である。

五千円に次ぐ額面の紙幣なのに、何でそんなの出すんだ?

そりゃ文学界では偉大な功績を残してはいるが、樋口一葉は活躍期間が短く存在感は弱い。

ミドル級にも遠く及ばない軽量級のバンダム級。五百円札でも荷が重い。

何より問題だと思ったのは、一葉は生前生活に困っていたことだ。

そんな人物を紙幣の顔にするなんて縁起でもない!

そして野口英世だが、これは樋口一葉とは逆の意味で大問題だ。

医学においては国際的に多大な貢献をした野口英世は、千円札の顔としての貫禄は申し分ないように見える。

だがその反面、英世は金銭感覚がゼロに等しく、まとまった金を手に入れると後先考えずに遊興に使い倒して借金まで重ねていたのだ。

生活困窮者と借金王が我が国の紙幣の顔。

日本を滅ぼす気か?

当時はバブルが崩壊してはや十数年、坂道を転がるように衰退していく日本経済を体感していた私には、すさまじく不吉なものに見えた。

もっと景気のいい偉人を使えよ!

功績とか知名度もいいが、まずはその偉人の生前の経済状況も重要ではないか!

そりゃ紙幣の顔を変えたからって、景気がぐんぐん良くなるわけはないが、まずは形からだろう

事実、当時の私の悪い予感が的中してしまい、日本経済は失われた三十年を迎えて現在に至っている。

私の望む紙幣の顔ぶれ

そして迎える2024年の刷新での紙幣のメンツは前述のとおりだ。

一万円札の顔である渋沢栄一は、日本資本主義の父と言われているぐらいだし、実際に大富豪だったから、そりゃあ景気がいい。

女子教育の先駆者たる津田梅子も、樋口一葉よりずっと凄みと重量感があるし、元々裕福、近代日本医学の父・北里柴三郎も若いころは金で苦労したが、晩年になるまでにはかなりの資産があったから経済問題はどの偉人もクリアしている。

だが、大きくモノ足りない。

なぜなら日本史の偉人たちの中で、彼らはウェルター級くらいだと個人的には思うからだ。

出すなら一万円札はヘビー級、五千円札はクルーザー級以上の偉人じゃなきゃ。                    

その人物の出現以前と以後では我が国の在り方が変わってしまったほどの人物じゃないと、高額紙幣の顔になる資格はないはずだ。

本音を言えば、明治期に活躍した政治家や軍人を出してもらいたいが、我が国への逆恨みが甚だしい隣国が文句をつけてくるかもしれないから、もっと時代をさかのぼってやろう。

選ぶなら、よほどのバカじゃない限り日本人誰もが知っており、日本史に与えたインパクトが絶大で、願わくば経済的にも困っていなかったであろう人物でなきゃダメだ。

そこで歴史マニアの私から、今ここに理想の紙幣の顔を独断と偏見で提言する。

・千円札 空海

ご存じ弘法大師だ。

千円札を文化面での偉人から選定するとすれば、空海が日本史上最強だろう。

空海は中国から仏教の奥義や経典を体系づけて日本に伝来させて確立させた真言宗の開祖であり、この人がいなかったら今の日本仏教はない。

また宗教家としてのみならず本場の唐人をもうならせた能書家でもあり、当代一流の詩人であって、温泉を掘り当てたり堤防を作ったりの技術者でもあり、讃岐うどんの開発者でもあると語り継がれるほどの発明家。

ダビンチやゲーテに匹敵する日本が誇る万能人の空海は、いきなり千円札からヘビー級ではないだろうか。

大富豪ではなかったかもしれないが、かと言って決して貧乏ではなかったはずだし、そして一休や日蓮を抑えて日本史上最も有名な坊さんに違いないからどう考えても縁起がいい。

・五千円札 卑弥呼

男ばっかりじゃなく女も、という考えから2004年の時は樋口一葉を出したんだろうが、だったらもっとマシな人物選ばんかい。

日本史の最初の方には、そんじゃそこらの男の偉人など屁でもないような女傑がいるじゃないか。

それは邪馬台国女王、卑弥呼だ。

日本生まれの日本人なら知らないとは言わせない。

文句なしに日本人女子史上最重量級、日本史の中でもスーパーヘビー級の偉人ではないだろうか。

はっきり言って五千円札では役不足すぎるくらいだ。

問題はどんな顔をしていたか確かめようがないことだが、そんなものは女性皇族か政治家、はたまた大女優の顔をいくつか合成してそれらしい貫禄と気品あふれるご尊顔を作り出せばよい。

・一万円札 徳川家康

言うまでもなく戦国の最終勝者にして江戸幕府の開祖。

この人物なくして今の日本はありえないほどの影響を後の世に与えたのは言うまでもなく、日本史において明治の元勲ですら束になってかかってもかなわないくらいの規格外の偉人、それが徳川家康だ。

しかもまだ金銀産国であったころの日本各地の金山銀山をおさえ、海外との貿易を仕切って日本最大の石高を有する大大名でもあったから、当時の世界最大の大富豪でもあった。

なおかつ倹約に努めてその莫大な資産を遺したんだから、紙幣の顔として申し分はないはずだ。

一万円札も、何となく一万五千円くらいに価値が増した錯覚を覚えるかもしれない。

最高額紙幣の顔としては百点満点で四百点くらいの超適任者ではないか!

一万円程度では濃すぎるから五万円札を新設してその顔にしてもよいくらいだ。

いかがであろう?

我が国の紙幣が一挙に盛大になった気がしないか?

思えば1984年以来、紙幣の顔はそこそこ無難な人物ばかりで、どうもその姑息さが現代の日本社会の空気と大いにかぶる気がするのは私だけ?

地味な偉人で占められてすっかりネクラになってしまった現行の紙幣が、国全体からダイナミズムも活気も失われてしまって久しい我が国の姿を象徴しているとすら言いたくなるのは、極論だろうか?

だが先ほども述べたが、もう一度かつての輝きを取り戻す気があるならば、まずは形から入ってもよいではないかと、私は言いたいのだ。

いや、形こそ重要な第一歩だ!

だから腰抜け日本政府よ、紙幣の顔こそ気合入れて選ばんかい!

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運命の女神はストーカーに屈する

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世の中には数多の格言、名言、ことわざ及び喩えがある。

これらは昔から伝わっていたり、偉人や有名人が言った言葉だったりする。

それを心の支えにして自分の座右の銘にしている人もいれば、昔からこう言うんだからこうしろと他人を言いくるめて納得させるために使う人もいる。

だが、我々は果たして昔から言われてきたから、あるいは偉い人が言ってたからと無条件にそれを信じたり、他人に偉そうに説教するために使ったりしていいのだろうか?

実は結構ツッコミどころがあるんじゃないだろうか?

私の中では個人的にどうしてもおかしいと思ったり、誤解を招きかねず鵜呑みにすると危険な格言やことわざがある。

ヒマな私はそれをいくつか取り上げて、批判的考察を述べたいと思う。

●「嘘つきは泥棒の始まり」

いや違う。そうとは限らない。

ちゃんと嘘つきのその後と、泥棒の過去をリサーチしたのか?

両者は別物だ。必要となるスキルに互換性は少ない。

嘘つきがプロフェッショナル嘘つきの詐欺師になることはあっても、泥棒に転化するとは限らん。

軽度のアマチュアであるが、結構嘘つきな私が言うんだから間違いがない。

私は嘘をついたことはあっても、モノを盗んだことはないからだ。

ちなみにこれは嘘をついていないからな。念のため。

●「立つ鳥跡を濁さず」

私は個人的にこの言葉が相当嫌いだ。言われるとムカつく。

経験上、かなり都合よく使われる場合が多いと考えるからだ。

そりが合わず大嫌いだった中学校の怨師(・・)や(恩師(・・)の誤記ではない)、立地条件や日当たりが悪すぎるのに、家賃やら更新料が高すぎるから引っ越すことにしたボロアパートの強欲大家とかが言ってた言葉である。

昔働いていたブラック企業を一方的にリストラされた時も、そこの総務部長がヌケヌケと言いやがった。

冗談じゃねえぞ!私は鳥ではない。

ムカついた場所を去る時は汚し放題汚して、ションベンしてから火をつけて出て行ってやりたいというのが本音だ!

●「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」

この言葉もおかしい。

発明王エジソンの言葉だが、多分に成功者バイアスがかかっていると思う。

特にスポーツの世界では思いっきり当てはまらない。

リーチが長くて肩幅の広い奴にボクシングで勝てるか?

身長2メートルの奴とバスケやって勝てるか?

西アフリカの黒人に100メートル走で勝てるか?

第一、言ったエジソン自身が「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になる」と言いたかったんだとか、後にその意味を部分的に否定している。

子供だましだ。いい大人が大人に向かって言っていい言葉じゃない。

何らかの習い事を我が子にやらせたいと思った親が、その分野で明らかに才能のない子供に無理やりやらせる場合とかに使いそうな言葉だ。

ウチの親がそうだった。

だから私ならこう言う。

「天才とは、99%の才能と1%の努力である」

●「電車と女は追うな。すぐまた来る」

オーストリアの格言だ。

正直、若い頃この格言を知った時には雷に撃たれたようにしびれた。

何てカッコいい言葉なんだと思い、

私を振った女に未練たらしくするのをスパッとやめた。

しかし、中年になった今は思わない。

どちらにも終電というものがあることが分かったからだ。

あれやこれや大胆にも名言や格言にツッコミを入れたが、批判してばかりは建設的ではない。

実は私は既存の格言やことわざを改良したり、新たに自分で作った言葉もあるのだ。

憚りながら、いまここにその拙作をいくつか紹介させていただこうと思う。

〇「性犯罪者にも一分の理」

嫌な気分にさせて申し訳ない。

「盗人にも三分の理」ということわざがあるが、これは窃盗犯の肩を持っているのではなく、その気になればいくらでも理屈はつけられることを表している。

同様にこの言葉も性犯罪者の立場に立っているわけではない。

むしろ逆。

三分も理がつく盗人と比べて性犯罪者は一分しかなく、それくらい情状酌量の余地がないということを言いたかった。

「生活できない」「もう三日も食べてない」と比較して、「モテない」「彼女がいない」は1ミリも世の支持を得られない。

これは主に私自身に対する…いや、性犯罪をやりかねない者全員への警句である。

〇「出る鼻毛は抜かれる」

これを言い出した時、勘違いする人が本当に多かった。

「出る杭は打たれる」の類義語で、出て打たれたり抜かれたりするくらいになることはいいことだと答える人が意外といた。

違うのだ。

鼻毛は確かに必要だ。

呼吸する際、外部からの異物をシャットアウトするフィルターの役割を果たす。

だが、鼻の外に出てきたりしたら、抜かれるだろう?

鼻毛は、眉毛やまつ毛のように自己主張したら消される運命にある。

だから、自分本来の役割を果たし、それ以上でしゃばるなという警句のつもりなのだ。

〇「一知らせたければ、十聞かせよ」

これが普通なんじゃないだろうか?

一を知らせるには、十言わなきゃならない。

私は人にものを教える時はこうしているつもりだ。よく「しつこい奴だ」とか言われるが。

最初に勤めた会社の上司の口癖が「一を聞いて十を知れ」だった。

そんなテレパシー能力を人に期待してはいけない。

「一知らせたけりゃ一伝えりゃいいだろう」とおっしゃるかもしれないが、そうはならないことが多く、万全を期すべきだということを説いている。

〇「運命の女神はストーカーに屈する」

私の人生訓だ。

そろそろ人格を疑われ始めているだろうが、他に的確な喩えが思いつかない。

自らの運命に関して、

かのローマ帝国には「運命の女神は勇者に味方する」という格言があった。

ルネッサンス期のイタリアの政治思想家マキャベリも著書『君主論』で、

「運命の女神は女であり、彼女を支配するには怒鳴りつけ殴りつける必要がある。そういう者にこそ運命は従順になるようだから」

と、補足的にそのバージョンアップ版を論じている。

確かに、歴史を切り開いてきた者の多くには共通点がある

カエサルしかり、チンギスハンしかり、織田信長しかり、ナポレオンしかり…。

その後の運命はともかく、彼らは猪突猛進的な突破力によってそれまでの自らの運命を変えて一時代を築き、歴史にその名を残してきた。

皆、積極果敢な行動により運命を従わせてきた者たちなのだ。

マキャベリの言う通り運命の神は女。

それも男にも女にもモテモテな絶世の美女だから、気まぐれで傲慢不遜。

相手をその気にさせてもてあそぶのが大好きな性悪である。

むろん、一目ぼれしてこちらに寄って来てくれることは滅多にない。

ならばと、こちらから声をかけ、おだてて媚びを売ってようやく微笑んでくれたと思った瞬間、「遊んでやっただけなのにその気になりやがって」と冷酷にそっぽを向かれる。

ようやく交際できたとしても、すぐに飽きられて浮気され、自分の元から去ってゆく。

相思相愛の恋愛関係などほぼあり得ないし、長続きはよりあり得ないのだ。

ならば、好かれる必要はない。愛される必要もない。

言うことを聞かせさえすればよいのだ。有無を言わさず。

相手に言うことを聞かせたければ、愛されるより恐れられる方がはるかに効果的である。

勇気を持って果敢な行動により運命の女神を脅し上げて泣かし、髪の毛を掴んで連行し、自分の目指す道を共に進むのだ。

しかし、その勇気は一時だけではだめだ。終始一貫持続させる必要がある。

さもないと逃げられる。

また、女神が脅しに屈せず、反撃されたり逃げられたりすることも多い。

ローマの格言も、マキャベリもそういった場合をカバーしていない。

ならばどうするか?

そういう時はストーカー行為をすればよいではないか。

たとえ嫌われても、想い続けて付きまとうのだ!

勇気を持って行動を起こし、姿を現して「オレはお前の近くにいるぞ」とアピールすることも忘れるな!

何年かかっても自らの存在を主張し、ビビらせ続けよ!

運命の女神を従わせて自らの願望をかなえるには勇気を持っているだけじゃ足りない。

食い下がること、

執拗たることも必要とされるはずなのだ。

自分の願望に対して執拗であることは美徳である。

好みでも何でもない、むしろ「キモい奴」が荒れ狂いながらいつまでもまとわり続ければ、さしもの女神も恐怖で持ち前の冷徹ぶりが狂い始める。

いつの日か、彼女がおびえ切って「もう見逃して」と泣きを入れてくる時が来るだろう。

その瞬間こそ、断固見逃してはならない!

最大限の勇気を奮って全力で拉致し、有無を言わさず冷酷に××しまくれ!

そうすれば、運命の女神はもうあなたの奴隷だ。

私はロクな職歴もないフリーターだった29歳の時、翻訳者で身を立てようと思った。

その直後、運送会社の契約社員になって荷物の仕分けをしながら翻訳の勉強を続け、「いつの日か」が来るのをしつこく願い続けた。

39歳になってしまった時、ようやく「いつの日か」が「その日」となった。

「その日」を迎えて以降七年間、私は翻訳者・通訳者として未だ食うに困っていない。

だから、僭越ながら自信を持って言うのだ。

「運命の女神はストーカーに屈する」と。

いつの日か私も彼女に逃げられるかもしれないが、少なくとも好ましくない運命を望ましいものに変えさせることができたのは事実だと確信している。

他に類義語として、私のかつての恋愛哲学であった「来る者拒まず、去る者地の果てまで追い回す」などがあるが、

こちらの方は危険すぎるし、成功した後或いは成功する前に自身が社会的に破滅する可能性が高い。

あくまでストーカー行為は運命の女神相手だけにしよう。あなたも私も。

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