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ブラックホール爆弾が出現する日は来るか?

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ブラックホールとは、質量の巨大な恒星が超新星爆発後、自身の重力によって極限まで収縮して生成されたり、巨大なガス雲の収縮で生成されるものであり、極めて高い密度と強い重力のために物質のみならず、周囲の時間と空間、光さえ脱出することができない天体であることは皆さんご存じのことであろう。

それほどの力を持つブラックホールであるが、それを何らかのエネルギー源として利用できないかと考えるぶっ飛んだ発想は古くからあった。

数理物理学者のロジャー・ペンローズ氏などは、1969年にブラックホールからエネルギーを取り出す方法として、「ペンローズ過程」と呼ばれる理論を提唱している。

ロジャー・ペンローズ氏

これはゴミを容器に入れて、回転するブラックホールのエルゴ球と事象の地平線の間に投入して、ゴミはブラックホールに捨てて容器のみを回収した場合、質量とエネルギーの等価性により「ゴミの質量+ブラックホールの減少した質量」に相当するエネルギーが容器を加速させることから、発電が可能というものだ。

むろん、こんなものはあくまで仮想的方法であって、現在のテクノロジーでは不可能なのは言うまでもない。

だが、エネルギー源として利用しようと考えるならば、同時に兵器としても利用できると考えてしまうのが人類のようである。

中華人民共和国の検索エンジン・百度のオンライン百科事典である『百度百科』において、そのブラックホールの力を利用した兵器「ブラックホール爆弾」が取り上げられており、しかも将来実現する可能性があるか否かについて、SFではなく大真面目に論じているのだ。

拙ブログでは、その攻めた内容をご紹介させていただく。

ロシア人科学者の予言とその説

まず「ブラックホール爆弾」とは、ブラックホールに投入したエネルギーが増幅されて戻ってくる連鎖反応を利用した物理的効果を指す。

当然、巨大なエネルギーを持っているこの「ブラックホール爆弾」であるが、何と百度百科において50年後には実現可能となり、現代の人類の心胆を寒からしむる原子爆弾をチャチなおもちゃに陳腐化し得るであろうと予言した人物がいることが紹介されている。

その人物の名は、ロシアの科学者アレクサンダー・トロフィメンコ氏。

トロフィメンコ氏によると、人類が反物質であるオトン(otone)の謎を解明した日には、原子力というテクノロジーを手に入れた後のように、この新しいエネルギーを発電に利用し、同時に新型兵器——「ブラックホール爆弾」の開発に用いることになるであろうというのだ。

発電に利用した場合、原子核サイズのブラックホールは、原子力発電所のそれを大きく上回るエネルギーを有するが、兵器に使われた場合、一発の「ブラックホール爆弾」の破壊力は大量の原子爆弾の同時爆発に匹敵し、10億人以上を死に至らしめることができるために瞬時に地球をも破壊できることを意味する。

それに比べたら、核兵器の危険性など取るに足らないものとなるはずだ。

だが、そもそもブラックホールとは、はるか遠くの何光年も先の宇宙空間に存在し、地球には関係のないところにあるものではないだろうか?

ところがどっこい、前述のトロフィメンコ氏の説では、宇宙のブラックホールのミニ版——「マイクロブラックホール」は地球上どこにでも存在し、人類に多くの災難をもたらすというのだ。

また、他のロシアの科学者の中にも、地球上で起きる自然現象のいくつかがマイクロブラックホールと関係があると考えている人物もいる。

例えば火山の噴火だが、火山活動のエネルギー及び熱量は地球上の特定の地点に集中しており、尽きることがないのだが、これは、太陽のエネルギーがブラックホールを通じて地球の深層部に伝わっているからではないかということである。

さらに、太陽には核エネルギーだけでなく、マイクロブラックホールも存在し、他のどの惑星の内部にもマイクロブラックホールはあるのではないかという説まで提唱されているらしい。

そして、ブラックホールは自然界に存在するだけでない。

「人工ブラックホール」を作り出すことは可能だと、トロフィメンコ氏は主張する。

ちなみにこの「人工ブラックホール」という発想は、最初1980年代カナダのブリティッシュコロンビア大学のウィリアム・ウンルー教授によってもたらされた。

教授は、音波が流体において示す動きは、光がブラックホールで見せる動きと非常に似ていると考え、流体の速度が音速を超えたら、その流体において人工ブラックホールとも言うべき現象が成立すると考えたのだ。

そして2001年1月、英国セント・アンドルーズ大学の著名な物理学者ウルフ・レオンハート博士の研究グループが、実験室内でブラックホールを作り出すことに成功したと主張。

しかし、レオンハート博士が作り出そうとした人工ブラックホールは十分な重力に欠けたため、本物のブラックホールのように光線をはじめ、周囲の全てのものを飲み込むことができず、当時はあまり注目を浴びることはなかった。

どうやら、トロフィメンコ氏が全てを飲み込む本物のブラックホールが将来的に実験室で作り出せると考えている根拠は、このレオンハート博士の実験から来たようだ。

こうして氏は、ロシアの新聞「プラウダ」で、ブラックホールは実験室にとどまらず、50年後には膨大なエネルギーを有する「ブラックホール爆弾」が、核兵器とは比べものにならない脅威として出現しているだろうという前述の予言をしたらしい。

だが、それに対して、主に中国の科学者の間から大いに疑問の声が挙げられた。

懐疑論

まず、中国科学院原子核研究所の研究員である沈文慶氏が、上記の説に対して疑問を呈した。

沈氏によると、「人工ブラックホール」を形成するための方法として、二つ以上の粒子を粒子加速器の加速によって衝突させて強大な吸引力を有するブラックホール様の物質を形成することが挙げられるが、このような方法で生成した物質をブラックホールと呼ぶことができるか否かについてのコンセンサスは、まだ得られていないという。

沈文慶氏

しかも、これらブラックホールに近い物質は、いまだに理論上の産物であり、地球上のいかなる実験室においても完成品を作り出すことに成功していない。

沈氏は「たった50年で、人工ブラックホールからブラックホール爆弾を製造できるようになるというのは現実的ではないですね。1%の可能性をもって100%できるはずというのは間違いであり暴論でしょうな」と一笑に付した。

天文学の専門家である南京紫金山天文台の研究者・王思潮氏も、人工ブラックホールはSFの領域を出ていないと主張している。

人工的にブラックホールを作り出そうとするならば、まず解決しなければならないのは、物質の分子や原子の間の間隔を小さくして質量を巨大にすることであり、質量が大きくなれば、万有引力の法則により、その物質の引力も巨大になり、近づく物質を吸収するようになる。

だが、現状では物質の質量を改変する装置は存在せず、できることと言えば、物質の原子核を圧縮して中性子の状態にすることであり、それですら困難であるため、密度が巨大なブラックホールならばなおさらではないかと、王氏は冷静であった。

次に、たとえブラックホールを作り出したとしても、いったいどんなキャリアを使ってブラックホール爆弾にするのか?ブラックホール爆弾を、どのような装置と方法で輸送及び保管するのか?

確かに威力は破滅的だが、現代のテクノロジーでは、持っている方がまず破滅するだろう。

中国科学院高エネルギー物理学研究所の科学者も、具体的な研究の進展はともかく、現時点でのテクノロジーでは、50年かかってもブラックホール爆弾が出現することはないだろうとしている。

上記の反論から見る限り、ブラックホールに対する認識は、ブラックホールがありうる場所があるという程度のものであり、この程度で、50年間以内にブラックホール爆弾が誕生するというのは絵空事であるようなので、ひとまず安心だ。

だが、50年後は無理でも100年後か200年後はわからない。

危険だから研究するなと言っても、研究するのが人類だ。

しかし、どうせやるなら地球上ではやらないでほしい。

頼むから最低でも太陽系外でやってくれ。

出典元——百度百科『黑洞炸弹』

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バカはバカに厳しい

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  • 『バカとつき合うな』
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  • 『バカの壁』
  • 『コロナとバカ』

「バカ」という言葉をタイトルに含む書籍は数多い。

それはある社会現象や風潮を文字通り「バカ」にして皮肉ったり、あるいは世にはびこる「バカ」への対処法や、「バカ」を科学するものもあるようで、やはり、「バカ」という言葉は心の琴線に直接接触する一種のキラーキーワードなんだろう。

これらの書籍はそれなりに社会的に成功した人々が著者なんだから、まず著者はバカではなく、読者も著者の言うところのバカではない、という前提と思われる。

それか、読者の方は自分がバカではないことを確認する反証バイアスのために読むのだろうか?

しかし、私はかねてよりこうした「バカ」について解説しているとみられる書籍の中に肝心なものがないように思えてならなかった。

それは「バカによるバカのための本が存在しない」ということだ。

つまり、主にバカがどう生きるべきかを、バカが自分の体験を基に世の中のバカたちに指南する本があってもよいのではないかと考えているのだ。

バカとは?

ここで言及するバカはもちろん悪い意味でのバカである。

「空手バカ」とか「野球バカ」とかの、それ一筋で他のことを考えないポジティブな意味でのバカではない。

バカとは誰が何と言おうと欠点である。

平均的で健全な社会生活を営むのに必要な資質や能力に著しく欠ける深刻な欠陥を指すのだ

その欠陥たる「バカ」には多種多様なタイプがあり、私的に大きく分類すると、

  • 知識の総量が一般人に及んでいないか、現代に対応していない「無教養系バカ」
  • いくらモノを教えてもなかなか習得しない「学習困難系バカ」
  • 物事の筋道を立てたり、合理的な思考や言動ができない「非論理系バカ」
  • 大切なことをすぐ忘れたり、注意力に著しく欠ける「不注意系バカ」
  • 応用力や想像力が全く機能しないか、させる気のない「思考停滞系バカ」
  • まっとうな社会生活を送るために必要な常識や配慮に欠ける「無神経・非常識系バカ」
  • 自分が他人にどう見られているか、自分の立ち位置が分からない「無自覚系バカ」

…などなど際限なく思い浮かぶ。

私自身はこのうち少なくとも「学習困難系バカ」、「非論理系バカ」、「不注意系バカ」、「無神経・非常識系バカ」に該当しており、合併症すら発症している。

私はバカであることに胸を張る気はない。

これまでよく怒られたり、職場を解雇されたりと様々な不利益を被ってきたことが誇らしいことでは決してないはずだからだ。

自分がバカだと分からない「無自覚系バカ」じゃないだけマシだと言う者もいるが、自分がバカだと分かっているからといって心が楽になるわけではない。

バカゆえに将来への展望や可能性が大きく制限されることを自覚するのはあまり気持ちのいいものではないからだ。

バカは傍から見て面白いかもしれないが、バカ本人はそう思っていない。

バカもバカにされると不愉快になるのだ。

誰が人様を楽しませるために自分の尊厳を犠牲にすることが面白いものか。

近年ではバカとひとくくりにされてきた者たちが、発達障害や学習障害などの疾患を抱えていると見て理解を示す向きもあるが、社会は相変わらずバカとみなされる者に冷たいし、暖かくなることもないだろう。

効果的な救いの手が伸ばされることなく、生きづらさを抱えながら人生を送らざるを得ないことは私も覚悟している。

長年バカとして生きてきたが、実はどうすれば心地よく生きられるかはいまだによくわからない。

だがどうすれば最悪かはよくわかっているつもりだ。

46年生きてきた中で振り返ると、これをやったらヤバイいことになったと思われる行為が自分自身の経験からも他人の例からもかなり見受けられるのだ。

それは私自身だけでなく他のバカにも適用可能で普遍的な教訓ではないかと思う。

もしあなたが自他ともに認めるバカだが、他人の話を理解できないほど深刻なものではないならば、他山の岩としていただければ幸いである。

バカであることをアピールするなかれ

バカは恥ずべきことだ。

胸を張って主張することではない。

なのに世の中には、

「俺はバカだから」

と、自分でバカであることを白状する者は少なくない。

本当にそう思って、自分を卑下しているのかもしれないが、これは多分に「俺にあまり期待しないでくれ」とか「難しいことをさせないでくれ」と予防線を張っているつもりなんだろう。

私もそうしたことはある。

だが、これは実はよくない。

あんまり言いすぎると、

周りの者に「こいつはバカにしていいのだ」

と思われる可能性があるからだ。

人間は本能的に自分を最底辺には置かず、自分より下を作りたがる。

特に本物のバカに限ってその傾向が強い。

バカにバカにされるのは我慢がならないだろう?

また「自分はバカだ」と言い続けると、周りからそう思われるだけではなく、自分も本当によりバカになっていくことが多い気がする。

自身の経験から、

どうも「バカ」という日本語に宿る霊力はかなり強力で、特に自分に対して言った場合には言霊となって本当に実現しやすいようなのだ

つまり今以上にバカになってしまう。

「俺は天才だ」と公言するのもよくないが、自分がバカだと周りには言わない方がよい。

本当にそうであったとしても。

バカは利口ぶってはならない

バカだと白状するのもいけないが、だからと言って知ったかぶりをしたり利口ぶったりするのもよくない。

切れ者にあこがれる気持ちはよくわかる。

だが何をやってもバカは終生切れ者にはなれない。

それなのに、私はついついやってしまう。

知ったばかりのことを、さも一般常識ですらあるかのように利口ぶって得意げに語った結果、相手はもっとそれについて知ってて、間違いを指摘されたり、突っ込まれたりして木っ端みじんに粉砕されてしまうことが。

ついこないだもやってしまった。

これは南米かアフリカあたりの失敗国家の経済政策か軍事クーデターみたいなもので、これからも繰り返すであろう。

バカは愛されなければ生きていけない

バカが周りから嫌われたら最悪だ。

有能な人間が嫌われるよりずっとやばい。

はっきり言ってその所属する社会ではアウトオブカースト同然となる。

いつの世も人間は嫌らしい。

バカにしている人間が憎たらしいと、そういう時だけ正義感を発揮して大いに排斥してくるはずだ。

では、憎まれるバカとはどんなバカか?

バカであることを認めないバカ、姑息な計算をするバカ、反抗的なバカ、利口ぶるバカ、プライドの高いバカなどが思い浮かぶが、

要するに素直じゃないバカが嫌われる。

バカは嫌われてはならないのだ。

ただでさえあてにならない奴だと良く思われているのに、その上嫌われたらもう評価が覆ることはない。

一挙手一投足がカンに触るものとみなされるようになる。

私はそういう扱いを受けていたバカを何人か知っているし、私自身がそうなったことがあるから切実に思うのだ。

バカはバカに厳しい

先ほどの「バカであることをアピールするなかれ」でも述べたことだが、バカに限って自分よりバカだと思った者をバカにしたがるようだ。

よく職場で仕事ができない奴に限って新入りなどには厳しく接していた気がする。

日ごろのうっぷん晴らしか、それとも自分がやられて嫌なことを他人にやるのは楽しいからか?

はたまた自分が利口になったと錯覚するからだろうか?

だが、他人をバカだと決めつけてバカにする前によく考えてみてほしい。

そいつが本当に自分よりバカだとは限らないし、いつまでもバカだとも限らないのだ。

まあ、そんな簡単なことにも頭が及ばないからバカなんだろう。

ずっとバカだと思っていた奴が、実は自分よりずっと有能だったと証明された時のバツの悪さとそれ以降の居心地の悪さと言ったら、たまったもんじゃない。

これも身に覚えがある。

バカにされないバカになるには?

本当にバカなのにバカにされない者もいる。

バカなのにバカにしてはいけないバカとはどんなバカ?

決まってる。

怒らせると怖いバカだ。

前々項で「バカは嫌われたら、おしまいだ」と述べたが、

恐れられるバカは違う。

怒らせたらやばい奴がバカなんだから、その脅威の深刻度は倍増しである。

尊重されるわけでは決してないが、触らぬ神に祟りなしとばかりに、腫れ物に触るように扱われるだろう。

どっちかと言えばぼっちにされていることになるが、バカにされて見下されるよりはマシかもしれない。

とは言え、こういうバカはそもそも平均以上の腕力やケンカ上等の精神力という資質を備えていなければならず、どちらもないならば目指してはならない。

また、あったとしても目指すのは危険だ。

この文章を読んでいる人が、その理由が分からないほどバカではないことを祈ってやまないが。

以上、バカが生きる上で心がけるべきだと思うことについて私なりにまとめてみたが、

他にも忘れてしまった重大なことがあったかもしれないし、

私自身がまだ気づいていない、バカとしてやってはいけないことがあるのかもしれない。

また、私の文章が分かりにくくて矛盾に満ち、参考にならなかったかもしれない。

でも、これは仕方がないことだ。

なぜなら、私もあなたもバカなんだから。

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