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2020年 おもしろ 本当のこと

クリスマスバカ屋敷

昔住んでいた所の近所に12月になるとイルミネーションでギンギンに飾り立てる家があった。
だが、そのセンスは爆裂的で大きくズレていた。
あまりの痛々しさに逆に一見の価値があった。

「メリークリスマス」

私が終生口にしないであろう言葉だ。

私がそれを言い出したならば、私の体が何者かに乗っ取っられたか、脳に重大な損傷を被ったものと考えて欲しい。

私にとって12月24日や25日は、単なる12月24日と25日以外の何者でもない。

世間ではイブだのクリスマスだのと、それらの日が来る一か月以上も前から騒いでいるが、断固私には関係がないのだ。

もっとも、小学校の頃まではこの時期になると何の疑問も持たずにクリスマスケーキだ、プレゼントだ、とはしゃいでいた。

だが小学校四年生の12月、母親が「今年から我が家にサンタは来ない」と宣言。

理由は父がサンタとモメたからだという。

それ以来我が家にサンタは来なくなり、クリスマスツリーも飾らなくなった。

当時からどう考えてもクリスマスプレゼントでの出費を抑えたい母にハメられたとしか思えなかったが、小学校六年の頃には「そもそもなぜキリシタンが少ない日本にクリスマスが必要なんだろう?」とも冷静に考える母の願いどおりの子供になっていた。

臨済宗妙心寺派信徒の我が家を含め、キリシタン以外の大半の日本人には全く関係がない習慣ではないかと。

だいたい、キリスト教は異教徒をも感服させ得る宗教なんだろうか?

歴史オタクの私は歴史を研究してゆくにつれ、世界史上キリスト教会がどんなことをやらかしてきたか分かってきて、もう無条件にありがたがることができなくなった。

それ自体は素晴らしい教えかもしれないが、あまりにも人類に都合よく利用され続け、血に染まりきっていると感じざるを得ないのだ。

キリシタンがクリスマスを祝うのは当然だし、私に口を出す権利は全くない。

だがキリシタンでもない日本人が、商業主義に毒されたとはいえここまではしゃぐのは実に滑稽ではないだろうか。

そんな思想を小学生の時から持っていた私が大学生の頃のことだ。

この日本原理主義者である私を激しくあ然とさせる屋敷が下宿先近くに存在した。

その屋敷、S村邸は広い敷地に重厚な純和風建築の家屋と見事な回遊式日本庭園を有した、まさに屋敷と呼ぶにふさわしい堂々たる風格を備えていた。

住人は60代の初老の夫妻で、その屋敷に住まうに足る貫禄と品格の持ち主に見えた。

だが、12月になるやその屋敷と住人の高貴な佇まいを完全にぶち壊す有様に変貌する。

クリスマスのイルミネーションで、家屋から庭からギンギラギンに飾り立てるからだ。

あの上流階級然とした趣の夫妻のどちらがやっているかは分からないが、とても同じ人たちのしわざとは思えない。

普段は入園料が取れるほど趣味の良い日本庭園に整えられているのだが(塀が意外に低いので敷地内がよく見えた)、ズレまくったデコレーションがその景観を完全に殺しているのだ。

よく整えられた庭木をすべてクリスマスツリーに改造し、LEDのイルミネーションでぐるぐる巻きの灯篭の上には同じくイルミネーションで緊縛されたサンタ。

同じくLEDの電飾が光る母屋の黒壁をよじ登るのはモチーフライトのサンタの大軍、瓦屋根の上にはトナカイの群れ。

立派な造りの玄関の前には門松がごとくごついクリスマスツリーが置かれ、その脇には巨大なスノーマンが仁王立ちだ。

レイアウト的に見て明らかに何かがおかしく、大きく調和を乱しており、その惨状は派手と言うより悪趣味と言った方がふさわしいカオスぶり。

しかもその照度は某遊園地のエレクトリカルパレードを超越して、パチンコ屋かラスベガスのレベルに達する。

真夜中まで点灯し続けている時もあって、明らかにその一帯の住民の睡眠を妨害しており、その前に自分たちもよくこれで眠れるなと感心するくらいであった。

私は一年生から同じ下宿で暮らしていたが、S村家は毎年12月になると性懲りもなく同じことをしていた。

この凶悪な自己満足に対して、近所の住民は何も苦情を言わなかったのだろうか?

私が大学五年生の夏(留年した)、そんなS村家で不幸があった。

誰かが亡くなったらしく、葬式が行われていたのだ。

12月は奇特で近所迷惑なイルミネーションで家を飾り立てるくせに、葬式はいたってまともだった。

ていうか「あれほど派手にデコレートするからには、さぞかし敬虔なキリシタンなんだろうな」と以前から信じていたが、葬式はコテコテの仏式。

家の塀を黒白幕で囲い、家の中からはコテコテ木魚の音が聞こえて来る。

そういえば毎年12月25日以降屋敷からクリスマスのイルミネーションが撤去されたとたん、玄関にごつい正月飾りや門松が何食わぬ顔で出現してたものだ。

屋敷の規模にふさわしく、参列者も外の花輪も多い大がかりな葬式だったから、慶弔事は決して手抜きしない家のようだ。

後で下宿の大家から聞いたが、亡くなったのはこの家の主人の方らしい。

S村家とは何の交流もないが、ご愁傷様である。

人死なば皆仏、「クリスマスはあんだけやりすぎるくせして葬式は坊さん呼ぶのか」とか心で毒づくのも控えて、一応私も日本人だからそばを通り過ぎながら心の中で合掌しよう。

同時に、こうも思った。

「今年はさすがにイルミネーションやらんだろう」と。 もし主人の方が主犯だったら本人は死んだわけだし、夫婦が共謀してたか夫人の方が主導してたとしてもやるわけがなかろう、日本人ならば身内が死んだのにそんな罰当たりはできるはずがない。

だが、甘かった。

その年の冬

追悼と言わんがばかりに一段と凶暴にド派手なイルミネーションがS村家を覆っていたのだ。

同時に、毎年のイルミネーションは残されたS村夫人のしわざだったことを確信した。

喪に服すべきではないのか?

ある日、私はたまたま近くを夕方に通りかかった時に、相変わらずイタいS村家のイルミネーションにあきれ果てたまなざしを向けてそう思っていた。

「いかがです?きれいでしょう?」

いきなり、後ろから声をかけられてギョッとした。

声をかけてきたのは初老の女性、未亡人となったS村夫人だ。

罰当たりの張本人である。

この見るに堪えないイルミネーションの作者本人は自分の作品にご満悦らしく、私に話しかけた後も満足げにギラギラ光る屋敷を見渡している。

傑作だと、本気で思っている顔だった。

この人の感性と視覚は人類一般とは違う種のものに属すると思わざるを得ない。

だが、「ウケ狙ってんのか?このなんちゃってキリシタンが!」というような本音を、いざ本人に面と向かって言えるわけがない。

どころか反射的に「いやあ、毎年見事ですね」と心にもないことを言ってしまい口が腐りそうになったが、その見え見えの社交辞令に対してS村夫人は耳を疑う返答をした。

「皆さんそうおっしゃってくださるんですよ」

冗談だろ?真実を言える人間は近所にいないのか?

それから夫人は褒められて得意になったのか、このデコレーションについて語り始めた。

何でも自分は幼少から欧米の文化習慣へのあこがれが強く、純洋風の暮らしをしてみたいと思っていたが、亡くなった主人のこだわりで自宅もこのような純和風の造りになってしまったという。 それを主人は申し訳なく思ったのか、代わりに12月だけは好きに家を飾らせてくれるよようになったらしく、夫人の暴走が始まった。

そして自身が目指すテーマがあるらしく、それは極上の「和洋折衷」だと真顔で力説。

そういう経緯でこの「洋」が「和」の息の根を完全に止めた異次元空間が出現したのか、とも言い出せない私は我慢して夫人の電波話を拝聴し続ける。

最初は家の中だけにしていたが、だんだんと庭や屋根も飾るようになり、今ではこんなに「華やかでゴージャス」になったんだそうである。

毎年自分が設計した家や庭の実際の飾りつけや撤去は業者を雇ってやらせているとのことで、どうりで毎年突然イルミネーションが出現して、25日以降突然消えるわけだ。

だが、語っているうちに

「私の趣味に理解を示してくれた主人に報いるためにも、今年は一段ときらびやかにしたんです」

と夫人は涙ぐみ始めたりして、私はどう反応すればよかったのだろうか。

また、独立して家を出た息子や娘はそろって「みっともないからいい加減にしてくれ」と言ってるらしく、一応子供は真人間に育ってるみたいなので少し安心したりもした。

しかし、子供たちに反対されていても「私は決してやめませんよ」と断言。

「学生さんのように楽しみにしてくださる方がいらっしゃる限り続けます」

と、私に向かい目を輝かせて決意表明されるにおよんで同好の理解者と認識されたことが分かり、甚だ遺憾である。

「もう来年のレイアウトも考え始めているんですよ」とも語り、私もさっさと帰るべきなのに迂闊にも色々質問を発してしまったりして、イルミネーション談義の泥沼にはまり込む。

どうもS村夫人は天然爆裂のキャラのようでいて、話す相手に本音とは違う心にもないことを言わせる話術とオーラの持ち主らしい。

最後に

「来年はもっと素敵にしますから、楽しみにしてくださいね」

と解放してくれたが、私は「来年卒業です」と言いそびれて

「すごく期待してます」

と答えてしまい、崩壊寸前の自身の信念に自らとどめを刺してしまった。

翌年、幸いにも無事大学を卒業できて下宿を引き払ったため、名物S村家の名物のイルミネーションを拝まされることはなくなった。

だが、12月になると今でもあののS村家のカオスなイルミネーションが目に浮かぶ。

あんだけケバケバしかったんだから嫌でも目に焼き付いてしまっている。

とは言え、実際に話したS村夫人は不思議系でシュールな人だったが、イルミネーションのセンスの悪さと独りよがりな芸術家肌ぶりを除けば人柄の良い人物ではあった。

あのキャラを思えば、度を超えて勘違いしたイルミネーションも今となっては懐かしい。

二十年以上前の90年代後半のことだが、まだお元気だろうか?

まだご存命で、変わらず屋敷をS村夫人ワールドにしていたならちょっとうれしい、わざわざ見に行く気は全くないけど。

もしお亡くなりになられていたならば、来世は誰憚ることなくクリスマスではしゃげるアメリカあたりの敬虔なキリスト教徒の上流家庭に輪廻転生できることを願っている。

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