カテゴリー
2023年 事件簿 人気ブログ 悲劇 本当のこと 東京 無念

夢の国で起きた悲劇 ~ディズニーリゾートで心中した一家~

記事に登場する氏名は、全て仮名です。

PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

1983年4月15日にオープン以来40年、「世代を超え、国境を超え、あらゆる人々が共通の体験を通してともに笑い、驚き、発見し、そして楽しむことのできる世界…」を理念として、大人も子供も楽しませてきた東京ディズニーランド。

そんな夢の国のすぐ近くで、今から30年以上前に、あまりにも悲惨な出来事が起きていた。

時は1989年(平成元年)12月2日、同園から目と鼻の先のオフィシャルホテルでもあるシェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルで、一家心中事件が起きたのだ。

この心中した一家の中には、11歳と6歳の幼い兄弟も混じっていた。

誰もが幸福でいられるはずの場所で、なぜ彼らはこんな悲しい結末を自ら迎えなければならなかったのだろうか?

心中した一家

1989年(平成元年)12月2日午前1時10分、ディズニーランドの目と鼻の先にあり、オフィシャルホテルにも指定されているシェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルの北側の中庭に、複数人が倒れているのを宿泊客が発見。

倒れていたのは子供も含む男女四人で、すでに死亡していた。

ホテルのいずれかの部屋から飛び降りたらしい。

両親と思しき中年の男女はジャンパー姿で、子供二人はオーバーコート姿だったという。

やがて彼らは、このホテルの10階に宿泊していた家族であり、岐阜県不破郡垂井町から来た会社員の中林昭さん(仮名・39歳)、妻の美彩さん(仮名・35歳)、長男の弘樹君(仮名・11歳)と次男の啓二君(仮名・6歳)の家族だと判明する。

一家は11月26日から同ホテルに滞在しており、宿泊していた部屋には四通の遺書が残されていたことから、心中したと見て間違いはない。

その遺書は、中林家の一人一人がそれぞれ書いたものだった。

まず、父親の昭さんは自分の実家や上司にあてて、『お世話になりました。妻が心臓病でよくならず、不安感がつのっていました。その結果、死を選ぶことになりました…』

母親の美彩さんは自身の父親に、『私の体は悪くなるばかりで、生きていても長生きできないだろうと思います。夫と弘樹と三人で話し合い、死を選び、旅に出ることになりました。今日でこの旅も終わりです』と記していた。

長男の弘樹君も、彼にとっては祖父である美彩さんの父親に遺書を書いていた。

『おじいちゃん。これまでの11年間、どうもありがとうございました。楽しいことがたくさんありました。お父さん、お母さんが苦しんでいるのを見て、僕は決めました』

幼稚園児だった啓二君は、遺書のかわりに祖父の似顔絵を残していた。

遺書から分かるように、中林一家が心中する原因となったのは、母親である美彩さんの病気であったようだ。

美彩さんはこの10年前より糖尿病を患い、しょっちゅう起こる発作に苦しめられていた。

家族仲の円満だった中林家の大黒柱の昭さんは、たびたび会社を早退して妻の看護にあたっていたし、長男の弘樹君も午後5時には帰宅して、家の手伝いをしたり病院へ薬を取りに行ったりしていたという。

だが、美彩さんの病状は日に日に悪化し、病魔に苦しむ美彩さんと介護に追われる一家は、疲弊して限界に達していたと思われる。

そして、前途を悲観した中林一家は、10月18日にこの苦しみに自ら終止符を打つ決意を固め、自宅からそろって姿を消す。

その前日、幼稚園に次男の啓二君を迎えにやってきた昭さんは、「一週間ほど旅行に連れて行きます」と職員に話していた。

弘樹君の小学校の担任にも、同じようなことを言っていたらしいが、一週間たっても登校してこないのを不審に思った担任が、中林一家の近所に住む子供たちの祖父である美彩さんの実父に連絡。

祖父は、一家の暮らす県営住宅へ行ったが家はもぬけの殻で、郵便通帳が一冊残されており、口座から300万円が引き出されていた。

最後に思い出を残そうと、二度と帰ることのない永遠の家族旅行に出たのだ。

慌てた祖父は、最寄りの警察署に連絡して捜索願を出した。

その後、不意に一度長男の弘樹君から電話があったという。

しかし彼は「元気だから」と話していたものの、どこにいるかは言わなかった。

彼らが悲しき不帰の旅のエピローグとしてディズニーランドを選び、シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルにチェックインした11月26日までの足取りは分かっていない。

そして、一家が命を絶った12月2日は美彩さんが「今日でこの旅も終わりです」と遺書に記したように、同ホテルをチェックアウトする予定の日だった。

無力だったディズニーの魔法

一家が落ちた場所は玉砂利が敷き詰められた中庭であり、それがクッションとなったらしく四人とも驚くほどきれいな死に顔だったと、現場を見た宿泊客の一人は涙ぐんで証言している。

彼らの遺体は4日に浦安市で火葬され、親族によって岐阜へ帰った。

一家が泊まっていた部屋には、遺書の他にランド内で買ったと思われる大きなミッキーマウスのぬいぐるみやおもちゃも残されていた。

さらに、数冊の預金通帳と数十万円の現金。

ホテル代と迷惑料を清算したつもりだったんだろうか?

心中の場所に選んでしまった上に、宿泊費を踏み倒す気はなかったのだろう。

彼らなりの心遣いだったとすれば胸が痛む。

何より、この世の見納めと各地を漫遊してから最後にディズニーランドを楽しんだ後、どんな気持ちでこの最後の瞬間を一家そろって迎えたのかと思うと、心が張り裂けそうになる。

自殺はいけない。

ましてや、幼い子供まで巻き込んで心中するなんて考えられない。

そう言うのは簡単だ。

誰が好き好んで一家心中などするものか。

こんな手段でしか終わらせることができなかったほどの苦しみと悲しみを、この一家は味わい続け、それが限界に達してしまったのだろう。

ディズニーランドについて書かれたある本で、借金苦で心中を図る前の最後の思い出にとやって来たある一家が、ランド内で子供たちが楽しんでいる姿を見るうちに思いとどまり、「生きてもう一度やり直そう」と決心したエピソードが紹介されている。

ウソか誠か知らぬが、それを「ディズニーの魔法だ」などとその本では絶賛していたが、中林一家にその魔法は効かなかった。

そんな程度のものでは救えないほど、彼らの苦悩と絶望は大きかったのだ。

だったとしても、こんな悲しい手段を取らなくても、よかったじゃないかと思わずにはいられない。

我々にできるのはこの世で苦悶したぶん、向こうの世界で報われていて欲しいと願うことだけだ。

しかし、多くの宗教では自殺した者の魂は死後も救われず、天国に行けないと説いている。

それが本当だったら神は何と非情なのかと、この一家の一件に関しては思う。

死を選ばなければ解決できない苦しみも、世の中にはあるのがわからないのか。

天罰上等で言わせてもらう。

神よ、もし存在するならよく聞け。

この一家の魂だけは何が何でも救え。

彼らは、貴様が気まぐれで与えた試練に殺されたんだ。

責任を取れ!

出典元―岐阜新聞、朝日新聞、女性セブン

関連するブログ:

最近の人気ブログ TOP 10:

最近の記事:

カテゴリー
2021年 いじめ おもしろ カツアゲ ならず者 不良 事件 事件簿 悲劇 本当のこと 無念

奪われた修学旅行 = カツアゲされた修学旅行生

にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

本記事中に出てくる人物の名前は、全て仮名となります。

中学校生活で最高のイベントといえば、修学旅行を挙げる人は少なくないだろう。

私はその中学校の修学旅行を、気が早すぎることに、まだ小学校六年生の頃から楽しみにしていた。

小学校での修学旅行先は京都・奈良であり、一泊二日とあっという間であったが、11歳だった私には、旅行先での瞬間瞬間が非常に充実しており、それまでの人生で最良の二日間だった。

旅行先の宿でクラスメイトたちと過ごした一夜は、家族旅行では味わうことができない鮮烈な体験であったことを、今でも覚えている。

当時の私

旅行から帰った後の私は、修学旅行ロスとも言うべき症状に襲われ、配られた思い出の写真を見ながら、もう二度と来ることのないその瞬間を脳内でリプレイしようと努めては、タメ息をついていたくらいだ。

同時に、私は中学校の修学旅行に思いをはせるようになった。

同級生のうち、中学生以上の兄や姉がいる者から聞いたところ、中学の修学旅行は二泊三日だという。

たった一泊二日の小学校の修学旅行でも、あれだけ楽しかったのだ。単純計算で、倍以上の楽しさになるだろうと確信していた。

しかし、その時は全く予想していなかった。

その中学の修学旅行が、これまでの人生で最もひどい目に遭った体験の一つとなり、「好事魔多し」という鉄の教訓を、私に生涯刻み込むことになるであろうことを。

待ちに待ったその日

中学に入学した時から、私の心は二年後の修学旅行にあった。

早く三年生になって、修学旅行当日を迎えたかったものだ。

そんな私の期待を、いやがうえにもさらに高めた知らせを耳にした。

私が入学した年、三年生の修学旅行の行き先は関東方面で変わらなかったが、第一日目の目的地が、何とあの東京ディズニーランドになったというのだ。

教会の塔

自動的に生成された説明
ディズニーランド

私の期待は、一年生の時点で早くも暴騰した。

これはきっと最高の思い出になるに違いないと確信し、いよいよ三年生になるのが待ち遠しくなった。

そして、短いような長いような中学校生活も二年が過ぎ、晴れて中学校三年生となった1989年の5月20日、私は夢にまで見た修学旅行初日を迎えた。

それまでの中学校生活はこの日のためだったと言っても、過言ではない。

前日、修学旅行へ持参するお菓子を、学校で定められた千円の範囲内でいかに好適な組み合わせで購入すればよいかと、スーパーでじっくりと選んでいたために、帰宅が遅くなったものだ。

きっと明日から始まる三日間は、人生で最も幸福な時間となり、終生忘れることなく、何度も思い出すことになるだろう。

私はその日、そう信じて疑わなかった。

そして迎えた修学旅行当日は、私の通うO市立北中学校に集合し、バスに乗って東海道新幹線の駅へ。

そこからは新幹線に乗って、最初の目的地・東京へは一直線だ。

新幹線の中では、クラスの皆はお菓子を食べたり、トランプをやったり、意味もなく動き回ったり、私を含めた三年二組全員は、これから始まる輝かしい時間に誰もが胸躍らせ、車内に期待が充満していた。

新幹線はあっという間に愛知県を越えて静岡県に入った。

浜名湖を超えて天竜川を過ぎて、富士山の雄姿を拝みながら、そのまま一路東に向かい、普段の退屈な学校生活とは全く異なる得難い極上の非日常を味わいながら、三島、熱海、小田原、そして新横浜に到達。

やがて多摩川を越えて東京都に達すると、今まで見たこともない大都会に入ったことを実感した。

ビルの大きさや市街地の質が自分たちの知っている最も大きな街、名古屋市を凌駕しているのだ。

テレビでしか見たことがない東京を実際に目の当たりにした我々は圧倒された。

東京駅に到着すると、そこからはバスに乗って最初の目的地、東京ディズニーランドに向かう。

車中では、私を含めたクラスメイトたち誰もが旅の疲れなどみじんも見せず、これからが本番だと興奮していた。

ディズニーランドへの道中は、窓の外がいかにも東京という光景の連続に目を奪われ続けたため、あっという間に到着してしまった印象がある。

昼食は外の景色を見ながら移動中のバスの中で摂り、待ちに待った約束の地に到達したのは正午過ぎ。

広大なディズニーランドの駐車場でバスを降りて一刻も早くランド内に突撃したかった我々だが、いったん集合させられ、学年主任の教師である宮崎利親から、長ったらしい注意事項を聞かされた。

宮崎が、いつもの論理破綻した冗長な説明において何度も強調したのは、班行動厳守。

所属する班を離れて班員以外の人間と、又は単独で行動してはならないということだ。

そうは言っても、私は自分の所属する班に不満だった。

なぜなら、班長の岡睦子は、私の好みからは程遠い容貌の上に、気が短く口うるさい女。

もう一人の女子、芝谷清美はクラスのカーストで底辺に位置するネクラな不可触民的女子。

男子の大西康太とは、同じクラスになったのは小学校から通算して初めてだし、少々気が合わないところもあって、普段からあまり話す仲ではない。

こんな奴らと一緒でどう楽しめと?

私は班から離脱することを、とっくに心に決めていた。

だが、その決断が後の災難の大きな要因になることを、この時点の私はまだ知らない。

入口ゲートをくぐると、もう教師たちの統制は効かない。

班は、大体男女二人ずつの四人を基本構成としているが、わが校の制服を着た男ばかり三人や女ばかり五人、或いは男女のペア等の不自然な組み合わせが、あちこちで出現し始めた。

皆考えることは同じなのだ。

私もしない手はないではないか。

我々の班は、独裁的な班長の岡の一存で最初に「シンデレラ城」、次に「ホーンテッドマンション」に行くことになっていたが、私は移動のどさくさに紛れて離脱に成功、別行動を開始した。

本当は、同じクラスで気の合う中基伸一や難波亘と行動を共にする手はずになっていたが、あまりにも人が多すぎて、彼らがどこへ行ったか分からなくなった。

今から思えば携帯電話のない時代の悲しさだ。

そうは言っても、私は一人であることを幸いに、自由自在にアトラクションを回ることができた。

「カリブの海賊」、「ビッグサンダーマウンテン」に「空飛ぶダンボ」等々、ジェットコースター系を好む私は「スペースマウンテン」に三回も乗った。

屋外, 草, 車, 座る が含まれている画像

自動的に生成された説明
ビッグサンダーマウンテン
建物の前の飛行機

低い精度で自動的に生成された説明
スペースマウンテン

「ホーンテッドマンション」やショーなど見てても、退屈なだけだ。

「シンデレラ城」など論外、班長の岡の感性に支配された班と行動を共にしていたら、そういった退屈なアトラクションやショッピングばかり行く羽目になっていたはずで、こんなに満喫はできなかったであろう。

私は、自分の果敢な実行主義を自画自賛しつつ、自分好みのアトラクションを渡り歩き、小腹がすくとソフトクリームやポップコーンを買って小腹を満たした。

ディズニーランドの食べ物はどこも割高であったが、心配はない。お小遣いはたっぷりもらっているのだ。

しかし、調子に乗って食べ過ぎて、もよおしてきてしまった。

幸い、トイレはすぐ近くに見つかった。

この差し迫った緊急事態を回避するためにそのトイレに入ると、さすが天下のディズニーランド。床で寝ても平気なくらい清潔だ。

しかもありえないことに、私以外に人がいないのがありがたい。私は心置きなく個室の一つに飛び込んだ。

そして、修学旅行が楽しかったのはこの時までだった。

今考えても無駄だが、なぜよりによって、このトイレを選んでしまったのだろうか?

このトイレこそ、有頂天の私を奈落の底へと突き落とす悲劇の舞台となったのだから。

悪魔たちとの遭遇

ちょうど個室に入ってドアを閉めて、一安心したのと同時だった。

下卑た大声が外から聞こえたのだ。

「お、誰かウンチコーナー入ったぞ!」

誰かに入るところを見られたようである。

声からして私と同じ中学生くらいだと思われたが、その声に聞き覚えはないため、きっと他の学校の修学旅行生だろう。

しかし、ウンチコーナーだと?

私のいた中学校では大便をするということ自体がスキャンダルになるため、外にいるのが自分の学校の人間でないとみられることに一瞬ほっとしたが、それは大きな間違いだった。

「おい出て来いよ」

「ちょっと顔見せろ!」

などと言ってドアを叩いたり蹴ったりで、かなり悪質な連中なのだ。

そんなこと言ったって、こっちはもうズボンを脱いで、便座に腰掛け、大便を始めている。

だが、彼らの悪ノリは止まらない。

「余裕こいてウンコしてんじゃねえよ」

「お、中の奴、今屁ぇこいたぞ」

「おい!いつまでケツ吹いてんだ?紙使い過ぎなんだよ!」

何なのだ、こいつらは?余計なお世話ではないか!

ヒトの排泄の実況中継や批評まで始められるに至って、私のいらだちは頂点に達した。

ドンッ!!

私は「うるさい」とばかりに、内側から個室のドアを思いっきり叩いた。

音は思ったより大きく響き渡り、外の連中の茶化す声が一瞬静まり返る。

私の強気にビビったのか?

いやいや、その逆だった。

「ナニ叩いてんのオイ!」

「俺らと喧嘩してえのか?!」

「引きずり出すぞ!ボケ、コラ!!」

彼らは、先ほどよりずっと大きな声で威嚇しながら、ドアをより強く蹴飛ばし始めたのだ。

まずい、怒らせてしまった。

そして、さっきから思っていたことだが、外の奴らは悪質も悪質、ヤンキーなのではないのか?やたらとドスが利いたガラの悪い口調である。

ならば、断固出るわけにはいかないではないか!

私はパニックになりながらも、まずは外に何人いるのか確認するのが先決だと判断。

この個室にはドアと床の間に隙間があったため、私はその隙間から外を偵察することにした。

清潔だとはいえ少々抵抗があったが、手をついて、床とドアの隙間に顔を近づける。

が、相手も外の隙間から中をのぞこうとしていたらしい。

それがちょうど私が顔を近づけた場所と向かい合わせで、至近距離で私と相手の目と目が合ってしまった。

「うわ!」

「うおお!」

私も驚いたが、外の奴もかなりびっくりしたらしい。中と外で同時に驚きの声を上げて、顔をそらした。

「中にいる奴、宇宙人みてえなツラしてるぞ!」

私は、相手の顔を一瞬すぎて判断できなかったが、外の奴は私の特徴を一方的にそう表現した。

ヒトを宇宙人呼ばわりとは失礼な奴らだ。

しかし、連中の失礼さは、そんなレベルではなかった。

「君は完全に包囲された。無駄な抵抗はやめて出てきなさい」

とか、ふざけたことを言って、タバコに火をつけて、個室に投げ込んできやがった。燻り出そうという腹らしい。

水も降って来たし、借金の取り立てみたく、ドアも連打してくる。

屈してはならない!出て行ったら何されるかわからない!

何より、やられっ放しもしゃくだ。

私は降ってきた火の付いたタバコを投げ返したり、ドアを蹴飛ばし返したりと『籠城戦』を展開した。

どれだけ攻防戦が続いただろうか。まだ水も流せないし、私はズボンもパンツも下ろしたままだ。

籠城戦というより、闇金の取り立てにおびえる多重債務者の気分に近かっただろう。

そのように、ここで一生暮らす羽目になるのではないかとすら、錯覚した時だった。

外の連中とは違う感じの声が響いてきた。

「ちょっと、ちょっと、止めてください。何してるんですか?」

その声がしたとたん、外からの攻撃が止んだ。

ディズニーランドの従業員、通称『キャスト』か!?

そうだろう!いつまでもこんな無法行為を続けれるほど、日本はならず者国家ではない、止めに来てくれたんだ!

「何だよ!中の奴が俺らをナメてんだよ」

「とにかくダメ。こういうことはやめて。警察呼ぶよ」

「中の奴と話させろよ」

「ダメダメ、もういいから出て!」

外で押し問答が続いていたが、ヤンキーどもが折れたようだ。

「わかったよ、行きゃいいんだろ!くそやろーが!覚えとけよ!」と、捨て台詞を吐いて出て行く気配がするのを、ドア越しに感じた。

助かった!さすがディズニーランド、しっかりしてる!これで安心だ。

やっとズボンを穿ける。脱出できる!

恐る恐るドアを開けて外に出ると、外の世界はさっきと同じただのトイレだったが、あの極限状態から脱した後は違って見えた。

異常事態は終わり、日常世界に生還してやった、という歓喜と達成感に満たされていたからだ。

当時のトイレのイメージ

私はトイレの光景を見て、あんな感慨に浸ったことはない。また、今後もないだろう。

同時に他校の不良少年たちの攻撃に耐え抜き、敢闘したという充実感に満たされていた。

これは災難ではあったが、あの勇敢なキャストの助けもあったとはいえ、私の偉大なる勝利だと。

命の恩人たるくだんのキャストにお礼を言うべきだったが、ヤンキー共々トイレ内にはもういないから、別にいいだろう。

とにかくトイレの外に出よう。外では美しい夢の国が待っている。

だが、それは間違いだった。

奴らは出入り口で私を待っていやがったのだ。

夢の国でのひとり悪夢

「このウンコ野郎、やっと出てきやがったか」

そう言って剣呑な目つきで出入り口をふさいでいたのは、ヤンキー漫画のリアル版のような不良中学生七人。

さっきの連中であろうことは間違いないが、剃りこみ頭や染めた髪で、変形学生服を着た本格的な奴らだった。

写真はイメージです

どういうことだ?キャストに追っ払われたんじゃなかったのか?

私は一瞬キツネにつつまれたようにあ然とした。

「ダメダメ!トイレの中へ戻ってください!」

ヤンキーたちの中の一人、眉なしのデブがおどけて言ったその声も口調も、あの恩人だったはずのキャストそのもの。

「オメー、バカじゃねえの?フツーひっかかるか?」

茶髪のヤンキーの一言で、私は彼らの打った猿芝居に、見事に騙されたことを知った。

「そりゃそうとオメーよ、俺らにずいぶんナメたマネしてくれたな」

と、同じ中学生、いや同じ人類とは思えないくらい凶悪な人相のヤンキーたちが私を囲む。

恐怖のあまり穿いていたブリーフの前面が、用を足した直後にもかかわらず尿でじわじわと濡れてきたその時の感覚を、今でも覚えている。

震えあがった私は「え、俺知らないよ」と苦しい嘘をついたが、「オメ―しかいなかっただろう!」と一喝され、トイレの中に連れ込まれた。

二人くらいが、見張りのためか出口を固める。

悪夢の本番が始まった。

床に土下座させられた私は、ヤンキーどもに脅されながら小突き回され、頭を踏まれ、手数料だとかわけのわからない面目で、金を巻き上げられた。

旅行先でのカツアゲに備えて、靴下の下に紙幣を隠すなどの危機管理を行う修学旅行生もいるようだが、当時の私にとってそんなものは想定外であり、財布の中に全ての金があったために有り金全てを強奪された。

私の金を奪った後も、彼らは「殺されてえのか」だの「まだ終わったと思うなよ」などと、私の髪の毛を引っ張ったり胸ぐらをつかんだりして執拗に脅し続け、その時間は、個室に籠城していたよりも確実に長かった気がする。

生徒手帳まで奪われた私は「テメーの住所と学校はわかった。チクったら殺しに行くぞ」と脅迫された。

ヤンキーどもは「そこで正座したまま400まで数えたら出ていい」と命じ、最後に「東京に来るなんて百年早えぞ、田舎者!」と捨て台詞を吐いて、私の頭をかわるがわる小突いたり蹴りを入れてきたりして立ち去って行った。

さっきのようにまだ外にいるかもしれず、恐怖に震えるあまり、涙目の私が律義に400まで数えてから外に出た時には、日がだいぶ傾いていた。

ヤンキーたちは、自分たちの犯行が露見するのを恐れてたらしく、あまりこっぴどい暴行を加えてこなかったが、私の受けた精神的な打撃及び苦痛は甚大だった。

私はまごうことなきカツアゲに遭ったのだ。

カツアゲされた気分は、実際にやられた人間にしかわからないと、今でも断言できる。

おっかない奴に脅され、さんざん小突かれて金品を奪われる恐怖と屈辱は、笑い事では済まないくらいの災難なのだ。

しかも私の場合、ずっと楽しみにしていた修学旅行でそれが起こり、一番楽しいはずの夢の国ディズニーランドで、自分だけが悪夢の真っただ中だったから、なおさらである。

信じたくはなかったが、それは事実以外の何物でもなかった。

こんな目に遭うなんて誰が思うだろう?

はしゃぐのは、許されざる罪だとでもいうのか?

予測できなかった当時の私を誰が責められよう。

ランド内で目に入る客たちは誰も彼も楽しそうにしているため、私は余計に前を見ていられず、下ばかり見て歩いていた。

地面がさっきより暗く見えたのは、日が落ちてきたからばかりではない。

私は半泣きだったため、視界が時々グニャリとゆがむ。

私は修学旅行への期待に胸膨らませていた小学六年生からこれまでの三年近くの年月ばかりか、中学校生活そのものが崩れ去ったように感じていた。

もう、何も考えたくなかった。

こんな不幸に遭うことは、なかなかないはずだ。

これに匹敵する不愉快が、その後も立て続けに起こることは普通ありえない。

だが信じられないことに、私の災難はこれで終わらなかったのだ!

それもこの直後の、この日のうちにだ!

神が私に与えた試練?いや、天罰か。いやいや、嫌がらせとしか思えない。

試練にしては明確に害意を感じるし、ここまで罰されなければいけないことをした覚えもない。

私がどの神の機嫌を、いつどのように損ねたんだろうか?

その神による嫌がらせ第二段の開始時刻が刻々と迫っていることに、この時の私はまだ気づかなかった。 

パート2に続く

関連する記事:

最近の記事: