カテゴリー
2020年 おもしろ 本当のこと

クリスマスバカ屋敷

「メリークリスマス」

私が終生口にしないであろう言葉だ。

私がそれを言い出したならば、私の体が何者かに乗っ取っられたか、脳に重大な損傷を被ったものと考えて欲しい。

私にとって12月24日や25日は、単なる12月24日と25日以外の何者でもない。

世間ではイブだのクリスマスだのと、それらの日が来る一か月以上も前から騒いでいるが、断固私には関係がないのだ。

もっとも、小学校の頃まではこの時期になると何の疑問も持たずにクリスマスケーキだ、プレゼントだ、とはしゃいでいた。

だが小学校四年生の12月、母親が「今年から我が家にサンタは来ない」と宣言。

理由は父がサンタとモメたからだという。

それ以来我が家にサンタは来なくなり、クリスマスツリーも飾らなくなった。

当時からどう考えてもクリスマスプレゼントでの出費を抑えたい母にハメられたとしか思えなかったが、小学校六年の頃には「そもそもなぜキリシタンが少ない日本にクリスマスが必要なんだろう?」とも冷静に考える母の願いどおりの子供になっていた。

臨済宗妙心寺派信徒の我が家を含め、キリシタン以外の大半の日本人には全く関係がない習慣ではないかと。

だいたい、キリスト教は異教徒をも感服させ得る宗教なんだろうか?

歴史オタクの私は歴史を研究してゆくにつれ、世界史上キリスト教会がどんなことをやらかしてきたか分かってきて、もう無条件にありがたがることができなくなった。

それ自体は素晴らしい教えかもしれないが、あまりにも人類に都合よく利用され続け、血に染まりきっていると感じざるを得ないのだ。

キリシタンがクリスマスを祝うのは当然だし、私に口を出す権利は全くない。

だがキリシタンでもない日本人が、商業主義に毒されたとはいえここまではしゃぐのは実に滑稽ではないだろうか。

そんな思想を小学生の時から持っていた私が大学生の頃のことだ。

この日本原理主義者である私を激しくあ然とさせる屋敷が下宿先近くに存在した。

その屋敷、S村邸は広い敷地に重厚な純和風建築の家屋と見事な回遊式日本庭園を有した、まさに屋敷と呼ぶにふさわしい堂々たる風格を備えていた。

住人は60代の初老の夫妻で、その屋敷に住まうに足る貫禄と品格の持ち主に見えた。

だが、12月になるやその屋敷と住人の高貴な佇まいを完全にぶち壊す有様に変貌する。

クリスマスのイルミネーションで、家屋から庭からギンギラギンに飾り立てるからだ。

あの上流階級然とした趣の夫妻のどちらがやっているかは分からないが、とても同じ人たちのしわざとは思えない。

普段は入園料が取れるほど趣味の良い日本庭園に整えられているのだが(塀が意外に低いので敷地内がよく見えた)、ズレまくったデコレーションがその景観を完全に殺しているのだ。

よく整えられた庭木をすべてクリスマスツリーに改造し、LEDのイルミネーションでぐるぐる巻きの灯篭の上には同じくイルミネーションで緊縛されたサンタ。

同じくLEDの電飾が光る母屋の黒壁をよじ登るのはモチーフライトのサンタの大軍、瓦屋根の上にはトナカイの群れ。

立派な造りの玄関の前には門松がごとくごついクリスマスツリーが置かれ、その脇には巨大なスノーマンが仁王立ちだ。

レイアウト的に見て明らかに何かがおかしく、大きく調和を乱しており、その惨状は派手と言うより悪趣味と言った方がふさわしいカオスぶり。

しかもその照度は某遊園地のエレクトリカルパレードを超越して、パチンコ屋かラスベガスのレベルに達する。

真夜中まで点灯し続けている時もあって、明らかにその一帯の住民の睡眠を妨害しており、その前に自分たちもよくこれで眠れるなと感心するくらいであった。

私は一年生から同じ下宿で暮らしていたが、S村家は毎年12月になると性懲りもなく同じことをしていた。

この凶悪な自己満足に対して、近所の住民は何も苦情を言わなかったのだろうか?

私が大学五年生の夏(留年した)、そんなS村家で不幸があった。

誰かが亡くなったらしく、葬式が行われていたのだ。

12月は奇特で近所迷惑なイルミネーションで家を飾り立てるくせに、葬式はいたってまともだった。

ていうか「あれほど派手にデコレートするからには、さぞかし敬虔なキリシタンなんだろうな」と以前から信じていたが、葬式はコテコテの仏式。

家の塀を黒白幕で囲い、家の中からはコテコテ木魚の音が聞こえて来る。

そういえば毎年12月25日以降屋敷からクリスマスのイルミネーションが撤去されたとたん、玄関にごつい正月飾りや門松が何食わぬ顔で出現してたものだ。

屋敷の規模にふさわしく、参列者も外の花輪も多い大がかりな葬式だったから、慶弔事は決して手抜きしない家のようだ。

後で下宿の大家から聞いたが、亡くなったのはこの家の主人の方らしい。

S村家とは何の交流もないが、ご愁傷様である。

人死なば皆仏、「クリスマスはあんだけやりすぎるくせして葬式は坊さん呼ぶのか」とか心で毒づくのも控えて、一応私も日本人だからそばを通り過ぎながら心の中で合掌しよう。

同時に、こうも思った。

「今年はさすがにイルミネーションやらんだろう」と。 もし主人の方が主犯だったら本人は死んだわけだし、夫婦が共謀してたか夫人の方が主導してたとしてもやるわけがなかろう、日本人ならば身内が死んだのにそんな罰当たりはできるはずがない。

だが、甘かった。

その年の冬

追悼と言わんがばかりに一段と凶暴にド派手なイルミネーションがS村家を覆っていたのだ。

同時に、毎年のイルミネーションは残されたS村夫人のしわざだったことを確信した。

喪に服すべきではないのか?

ある日、私はたまたま近くを夕方に通りかかった時に、相変わらずイタいS村家のイルミネーションにあきれ果てたまなざしを向けてそう思っていた。

「いかがです?きれいでしょう?」

いきなり、後ろから声をかけられてギョッとした。

声をかけてきたのは初老の女性、未亡人となったS村夫人だ。

罰当たりの張本人である。

この見るに堪えないイルミネーションの作者本人は自分の作品にご満悦らしく、私に話しかけた後も満足げにギラギラ光る屋敷を見渡している。

傑作だと、本気で思っている顔だった。

この人の感性と視覚は人類一般とは違う種のものに属すると思わざるを得ない。

だが、「ウケ狙ってんのか?このなんちゃってキリシタンが!」というような本音を、いざ本人に面と向かって言えるわけがない。

どころか反射的に「いやあ、毎年見事ですね」と心にもないことを言ってしまい口が腐りそうになったが、その見え見えの社交辞令に対してS村夫人は耳を疑う返答をした。

「皆さんそうおっしゃってくださるんですよ」

冗談だろ?真実を言える人間は近所にいないのか?

それから夫人は褒められて得意になったのか、このデコレーションについて語り始めた。

何でも自分は幼少から欧米の文化習慣へのあこがれが強く、純洋風の暮らしをしてみたいと思っていたが、亡くなった主人のこだわりで自宅もこのような純和風の造りになってしまったという。 それを主人は申し訳なく思ったのか、代わりに12月だけは好きに家を飾らせてくれるよようになったらしく、夫人の暴走が始まった。

そして自身が目指すテーマがあるらしく、それは極上の「和洋折衷」だと真顔で力説。

そういう経緯でこの「洋」が「和」の息の根を完全に止めた異次元空間が出現したのか、とも言い出せない私は我慢して夫人の電波話を拝聴し続ける。

最初は家の中だけにしていたが、だんだんと庭や屋根も飾るようになり、今ではこんなに「華やかでゴージャス」になったんだそうである。

毎年自分が設計した家や庭の実際の飾りつけや撤去は業者を雇ってやらせているとのことで、どうりで毎年突然イルミネーションが出現して、25日以降突然消えるわけだ。

だが、語っているうちに

「私の趣味に理解を示してくれた主人に報いるためにも、今年は一段ときらびやかにしたんです」

と夫人は涙ぐみ始めたりして、私はどう反応すればよかったのだろうか。

また、独立して家を出た息子や娘はそろって「みっともないからいい加減にしてくれ」と言ってるらしく、一応子供は真人間に育ってるみたいなので少し安心したりもした。

しかし、子供たちに反対されていても「私は決してやめませんよ」と断言。

「学生さんのように楽しみにしてくださる方がいらっしゃる限り続けます」

と、私に向かい目を輝かせて決意表明されるにおよんで同好の理解者と認識されたことが分かり、甚だ遺憾である。

「もう来年のレイアウトも考え始めているんですよ」とも語り、私もさっさと帰るべきなのに迂闊にも色々質問を発してしまったりして、イルミネーション談義の泥沼にはまり込む。

どうもS村夫人は天然爆裂のキャラのようでいて、話す相手に本音とは違う心にもないことを言わせる話術とオーラの持ち主らしい。

最後に

「来年はもっと素敵にしますから、楽しみにしてくださいね」

と解放してくれたが、私は「来年卒業です」と言いそびれて

「すごく期待してます」

と答えてしまい、崩壊寸前の自身の信念に自らとどめを刺してしまった。

翌年、幸いにも無事大学を卒業できて下宿を引き払ったため、名物S村家の名物のイルミネーションを拝まされることはなくなった。

だが、12月になると今でもあののS村家のカオスなイルミネーションが目に浮かぶ。

あんだけケバケバしかったんだから嫌でも目に焼き付いてしまっている。

とは言え、実際に話したS村夫人は不思議系でシュールな人だったが、イルミネーションのセンスの悪さと独りよがりな芸術家肌ぶりを除けば人柄の良い人物ではあった。

あのキャラを思えば、度を超えて勘違いしたイルミネーションも今となっては懐かしい。

二十年以上前の90年代後半のことだが、まだお元気だろうか?

まだご存命で、変わらず屋敷をS村夫人ワールドにしていたならちょっとうれしい、わざわざ見に行く気は全くないけど。

もしお亡くなりになられていたならば、来世は誰憚ることなくクリスマスではしゃげるアメリカあたりの敬虔なキリスト教徒の上流家庭に輪廻転生できることを願っている。

関連する記事:

最近の記事:

カテゴリー
2020年 おもしろ 中二病 娯楽 悲劇 旅行 本当のこと 無念

2020年鎌倉の旅

うっかりコーヒーをこぼして、図書館で借りた本を汚してしまった。

返却日、その本を図書館の返却箱に黙って入れてシレーっと帰ろうとしたが、職員に見破られて逃走を阻止され、弁償する羽目に。

『大人の遠足BOOK 鎌倉・湘南・三浦ウォーキング』、1650円なり。

ちょっと汚しただけなのに、あんまりだ。

本屋で買うと高くつきそうなのでアマゾンで探したが新品しかなく、結局本屋で購入して図書館に持って行った。

私の手元に汚してしまった『大人の遠足BOOK 鎌倉・湘南・三浦ウォーキング』が残った。

自分が悪いとはいえ、結構シャクである。

この元は断固取らなければならない、せっかくだからこの本をフル活用するべきだ。

そういうわけで、私は汚染された『大人の遠足BOOK』に記載の神奈川県鎌倉市を目指して、自宅の東京都から250㏄のバイクを走らせている。 私は位置情報ゲーム『ケータイ国盗り合戦』のヘビーユーザーだ。

鎌倉には、まだ未制圧の地域が多いからちょうどよい、とも自己暗示をかけて。

鎌倉はご存じ名所旧跡の宝庫だが、あまりじっくり見たことがない。

いい印象がないからだ。

最初に鎌倉を訪れたのは、中学校三年生の修学旅行の第二日目。

中学の修学旅行と言えば、楽しいことだらけの一生の思い出になるはずで、小学校六年生の時から楽しみにしていた。

だが、三年間待ちに待った修学旅行の初日、最初の目的地『東京ディズニーランド』で、他校の不良中学生に因縁を付けられ恐喝された。

それだけでもかなりの悲劇なのに、その日の宿で同じ部屋の奴らにパンツを脱がされてカイボウされるわ、翌日の国会議事堂見学では同じクラスのヤンキーに肩がぶつかっただけでどつかれたのに、担任は知らんぷりするわで、踏んだり蹴ったり。

そんな立て続けの災難のショックによる放心状態で、鎌倉の街を歩き回った記憶があるから、楽しい思い出になるわけがない。

だが、今やもう四半世紀以上も過去の話で「怨念の半減期」は、はるか前に過ぎているから、こうして鎌倉の街に落ち着いて来ることができる。

だが、ちょっと本を汚しただけなのに、冷酷に弁償を請求してきた図書館職員への「逆恨みの半減期」は、まだ先の話なので、道中頭をよぎりっぱなしだった。

私が住む町から鎌倉までは地味に遠く、到着したのは正午過ぎ。

最初の見学地は、13世紀建立の円覚寺だ。

と言っても、あまり綿密に計画も立てずに旅行する私の常で、たまたま最初に目についたのが円覚寺だったということである。

だが、円覚寺はバイクで来る人お断りらしく、駐車場はあっても、バイク駐輪場はない。

よって路肩に駐輪せざるを得なかった。

「駐禁とられたらどうしよう」とか「近所の元気者に壊されてたらどうしよう」とかの不安を抱えながら、競歩のように境内を歩き回っての見学を強いられた。

次の目的地、建長寺は円覚寺からほど近い場所にあり、しかもバイクを停めてもよい駐輪場を備えた懐の広い寺院だ。

やっと落ち着いて見学できる。

建長寺は、臨済宗建長寺派の大本山、1253年)の創建で開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆であるため、総門・三門・仏殿・法堂などの主要な建物は大陸的に中軸上に並ぶ伽藍配置をしている。

その中でも三門・仏殿・法堂は重要文化財であり、他に国の史跡及び名勝に指定されている建長寺の方丈庭園は禅宗庭園独特の趣が…。

もう帰ってもいいだろうか?

私は位置情報ゲームにはまっているし旅行も結構好きだが、生来外出するとすぐ帰りたくなる性格で、こうしてはるばるやって来て名所旧跡を前にしても、心は自分の家にある。

寝床から1000メートル以上離れると、ストレスを感じるのだ。

だから遠くの博物館でも遺跡でも到着しただけで満足し、いつもサッと見てサッと出て来てしまう。

そして帰ったら帰ったで「なぜもっとじっくり見なかった?」と、死ぬほど後悔している。

今回も歴史は繰り返した。

異例の早さで建長寺の見学を終わると、次の目的地とした報国寺は一応無理やり行ったが、鎌倉は他にも見どころがあるにもかかわらず、自宅への望郷の念にもう堪えられなくなっていた。

『ケータイ国盗り合戦』のエリアもあまり攻略できなかったが、もういいだろう。

さっさと飯食って帰ろう。

せっかく鎌倉来たんだから鎌倉らしいものを食べるべきだが、鎌倉の飲食店はどれもやや高めなのにひるんで、帰り道で適当に何か食べることにした。

鎌倉から国道1号に入り、その沿線の某ラーメン店に入る。

しかし入った店は「まずい」「出てくるのが遅い」「少ない」「高い」の四冠王で、「店内が汚い」「店員の態度も横柄」というタイトルまで保持した極悪店。

昼飯時を過ぎて客が少なかったのに、何で出てくるのに二十分もかかって、『昔ながらの醤油ラーメン』一杯900円なのだ?値段だけは未来志向か?

後味が悪いモノ食わされて高い金とられ、時間までロス、おまけにその後、道に迷った。

余計イラつきながら帰りを急いでいたら、後ろからサイレンの音。

「はい、そこの多摩ナンバー○○-○○のバイク停まりなさい」

白バイだった。

一時停止違反で点数二点引かれて、罰金6000円なり!

さんざんな日帰り旅行だ。

思えば、コーヒーで汚した本を弁償させられたのがシャクで、どうせならその本を思いっきり活用しようと思って出かけたんだよな。

その挙句、貴重な時間を使って罰金取られて、損害が倍増しだ。

でも一方で、今回は修学旅行の時に見れなかった建長寺や報国寺も見ることができた。

それに、あまりエリアは攻略できなかったが今まで未踏だった神奈川県三浦・湘南地方にも進出できた。

悪いことばかりじゃないじゃないか。

そう冷静になって、よーく考えてみた。

しかし冷静になればなるほど、どう考えてもプラスマイナスで言ったら、明らかなマイナスだったという結論しか導き出せない。

得られたはずのプラスが得られず、避けられたはずのマイナスも余計に被っている。

だからやっぱり、

出かけなきゃよかった!!

鎌倉・湘南・三浦ウォーキング (大人の遠足book)

価格:1,650円
(2020/12/10 20:00時点)
感想(0件)

関連する記事:

最近の記事:

カテゴリー
2020年 おもしろ ならず者 悲劇 本当のこと 無念

相談を殺す者たち

PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 ブログブログへ
にほんブログ村

悩みごとや困ったことがあって人に相談したはいいが、解決にならないどころかその相談相手の言うことに腹が立ったり、却って悩みがより深刻になったりしたことはないだろうか?

そりゃ、確かに悩みを抱えた人間の相手をするのはめんどくさい。

でも、せっかくこっちが苦しい胸の内を吐露しているのに、ボケたような返答をされたり、余計にガチャガチャにされたりすると腹が立たないか?

今まで何人もそういう奴に出くわしてきた。

みみっちい性格の私は、時々思い出してはムカッと来る時があって、今日はどうしても我慢ができないので、特にタチが悪かった奴を告発してやる。

●ケースその1―中学の同級生・K原Y之―

こいつは、二十年以上経った今でも本当に頭にくる。

K原は中学の同級生で、お互い別々の大学に入学してからもよくつるんでいた男である。

中学時代から、自分に興味がない話は明らかにスルーしていることが多かった気がしていたが、長年の付き合いだからと心を許して悩みを打ち明けてしまった私も愚かだった。

あれは私が前から狙っていた後輩の女子生徒にコクって、けんもほろろに断られたことを、居酒屋で一緒に飲んだ際に愚痴った時だった。

私の愚痴がまだ終わらないうちに、K原は「オレが今付き合っている彼女なんだけどさ…」といきなり自分の彼女のことを語り始めた。

最初、自分の場合どうやって付き合うようになって、その経験から私の場合ならどうすればよかったかを分析しようとしてくれてるのかと思った。

だが、その彼女と普段どこへ遊びに行くかとか、自分にベタ惚れだのセックスの相性はサイコーだの、いつまでたってもおのろけ話が終わらない。

そして、いつの間にか元カノについて話がおよび、更にその前の彼女やらナンパして食った女も含めて、今まで二十人以上経験したとか、聞き流すのがだんだん限度になり始めた直後で、「まあそんな感じ」と結んだ。

話聞いてたか?私のさっきの相談は一体どこ行った?

「そんな感じ」で話は終わったようだが、今の話はどう私のためになったんだ?

相談を自慢で返してくるとは思わなかった。

そん時は他にも人がいたので怒りを奇跡的に我慢したが、本当に腹が立ったのは就職活動の時だ。

当時は就職氷河期真っただ中で、私は八月になっても内定をもらえず焦っていた。

そして、よりによって私は再びK原を相談相手にしてしまった。

その日、我々二人は居酒屋に入り、酒席で私は自分の苦境を打ち明けた。

私:「Nネットワークもダメだったし、この前受けたS工業も今日不合格の通知が来た、もう後がない。どうしよう?夏休みなのにまだ休めない」

K原:「俺はPアプリケーション株式会社の内定もらってたけど、W製作所に行くことに決めた。すごくない?夏休みは彼女と韓国に行く」

分かってて言ってんのか?

こいつはひょっとしたら、相談を受けた場合のあるべき対応、はたまた相談という概念自体が脳内に存在しないのだろうか?

長年の付き合いだが、こいつと私の脳内のOSは、ここまで異なるものだったのだろうか?

「あのなあ、そういう話じゃなくて、俺は今…」

「それよりさ、相談に乗ってやってんだから、今日はお前のおごりだからな」

一応相談だということは分っていたらしい。

結論、こいつは私にケンカを売ってる。

その後、私が吼えたため、居酒屋の他の客が静まり、店員が割って入ってくるほど場が険悪になった。

この一件でK原とは断交し、それ以来、連絡は取っていない。当然だろう。

K原は極端な例の一つだったが、相談にならないバカは世の中にまだまだ存在した。

●ケースその2―以前の会社の上司・S山T三―

こいつは最悪。

ケースその1のK原より悪質だ。

S山は私がやっとの思いで内定を取って、最初に勤めた印刷会社の上司である。

「俺は仕事に厳しい人間だ」と、胸を張ってパワハラをしてくる男だった。

身も心もブタそのもので、大した技量もないくせに仕事人風を吹かせ、態度だけは人間国宝。

口ずっぱく「一を聞いて十を知れ」「仕事は目で覚えろ」と、テレパシー受信能力の習得を強制して、ロクに指導もせずに業務を私に押し付け、失敗すると私の責任。

そんな仕事の上でも人間的にも全く尊敬できるところのないS山に、私はそもそも自発的に悩みを相談したことはない。

ではなぜケースとして取り上げたかというと、親見になってることをアピールしたいのか「困っていることがあったら言ってみろ」と、こちらが悩んでいることを白状させたり、困っているであろうことを、相談してもいないのに返答してきたりしたからだ。

しかも、その返答がムカつく!

「なぜ怒られるかわかるか?怒られることをするお前が悪いからだ」
「わからないわからないじゃない。わからなきゃダメだ!」
「お前の悩みなど大したことはない。世の中お前より苦しい人間などそこら中にいる」

そもそも、相談に対する答えになっていない。

それと、「世の中、お前より苦しい人間などそこら中にいる」ってどういうことだ?

じゃあ何か?脱臼した人に、骨折した人はもっと痛いから我慢しろとでも言うのか?父親を亡くした人に、両親亡くした人に比べれば大したことないとでも言うのか?

そして最後に「それじゃあこの先お先真っ暗だぞ、どうすんだお前?まあ知らないけどね」などと結んできたりして、「まあ知らないけどね」なら、いちいち偉そうに言ってくるな!という感じであった。

厳しいことを言ってるつもりだったようだが、こちらとしては相談に答えてやってる風のこき下ろしでしかなく、無理やり悩みを言わされた上に、奈落の底に落とされたとしか思えなかった。

そもそもあの会社での私の悩みは、S山の存在自体だったのだ。

●ケースその3―私の実父―

私の実の父親だから、そりゃあ親見なのは当たり前だし、私のことを考えてくれてるのもわかる。

だが、悩みを相談することによって救われるか救われないかは別問題だ。

この人の良くない点は、相手の話どころか、自分自身が何を話しているかも理解していないのではないか?ということである。

私の話を聞いていないわけではないはずだが、脳内で間違って解釈しているらしく、てんで頓珍漢な返答をしてくるのだ。

タイプ的にはケースその1のK原Y之に近いが、その返答の長ったらしさと内容のカオスぶりが比べ物にならない。

小学校五年の時に、足が遅くてクラスでバカにされてることを相談したら、なぜ「孟母三遷の教え」の話が出てきて、そろばん塾へ通えという結論に至るのか?
高校二年の時に原付免許を取りたいと相談したら、いつの間にか、三角関数の講義と野口英世の偉人伝が始まって、「これからの世界情勢は厳しい」という展開になったのはなぜだろう?

普段から多芸多趣味を誇り、博識を気取っていたからタチが悪い。

自分の息子のことだから真剣だったらしく、話も異様に長かった。

虫歯が痛むから歯医者に行ったはずなのに胃カメラ飲まされ、「水虫があります」と診断されて、目薬を処方されたような気分になる。

小学生の時からこんな調子で、私は大学入学前の時点で、この人に重要な相談をしてはいけないことを悟っていた。

ちなみに恐ろしいことに、この人物の職業は中学校教師であった。

理科担当だったが、あの調子でちゃんと授業になってたんだろうか?

まさか、理科の授業で「ファラデーの法則」を説明してる最中に、「大宝律令」や「徒然草」の話を始めたりしてたんじゃないだろうな。 それか、返答に困る相談をうやむやにして、こちらから取り下げさせる戦術だったのかもしれない。

他にもいろいろと相談してはいけなかった相手に出くわしてきたが、反面教師以外の何者でもない彼らからは、学べることがある。

それは、

悩みや相談は「黙って聞け」

ということだ。

そして

「あまり偉そうにペラペラアドバイスするな」

だ。

他人に悩みを打ち明けられたり、相談を持ちかけられるということは、解決策を求められているというより、ただ聞いて共感してもらいたいという場合もあるのではないだろうか?

それを何とかしてやりたいと思うあまり、何らかのアドバイスを長々としたとしても、それが相手にとって救いとなるとは限らない。

むしろ逆効果であることが多い気がする。

また、そうやって相談されると無意識に自分が偉くなったような気になってしまい、ついつい上から目線で偉そうなことや余計なことを言いたくなってしまうのかもしれない。

そういうマネはあまりにもみっともない。

私は相談してくる人間の話を黙って聞き、話させることによって相手の気分を晴らすというスタンスを取っている。

そして解決策が道理的にも個人的にも明らかだと確信できる事柄に対してのみ、手短に返答することにしている。

卑怯かもしれないが。

だから先日、職場の新入のA川に「彼女がいても、昔から他の女にもついつい手を出しちゃって、今は四股になっちゃって困ってるんですよ」という自慢風相談を我慢して聞いてやった後は、明確かつ手短かに返答した。

「去勢しろ。そうすればもう困らない」

関連する記事:

最近の記事: