カテゴリー
2021年 おもしろ 中二病 動物 本当のこと

『ペットと被ペット』或いは『飼い主と被飼い主』のあるべき関係


にほんブログ村

ニホンザルの観察が好きである。

TVやYouTubeでもよく見ているし、実際に動物園や野猿公苑まで見に行くことがあり、顔も見分けることだってできるほどだ。

ネットや書籍でもニホンザルの生態を読み漁り、アマチュア研究家の端くれであると自負している。

ニホンザルの何が面白いかって、他の動物に比べて人間に近いことだ。

中にはおっさん度やおばさん度の高い個体も存在し、特に怒った時の反応や表情などを見ると、「そういや身近にこういう顔して怒る人いるな」と感心したりして、やはり人類はサルから進化したんだと納得する。

このように私はニホンザル研究に熱心であるが、ペットとして飼いたいと思ったことは一度もなく、あくまで見る専門。

ニホンザルをペットとして飼うには都道府県知事の許可が必要で、飼養施設の構造や保管方法にも様々な基準が存在するなどかなりハードルが高いのだ。

そんな面倒くさい動物など飼いたくはない。

それに、

ニホンザルを見ていて面白いと思ったことはあっても、可愛いとは思ったことがない。
「見てて面白い」イコール「ペットにしたい」とは限らないのだ。
いつも身近にいたら憎たらしくなるに決まってる。

なぜなら、ニホンザルは私がペットに求める基準に著しく反する動物だからだ。

それはSF小説の巨匠アイザック・アシモフの「ロボット三原則」に倣って、「ペット三原則」ともいうべき私独自の基準だ。

飼い主とペットの最も理想的かつ良好な関係の構築には、「私は飼い主、お前はペット」という神聖不可侵の境界が存在することが大前提であると考える。

その大前提に対して脅威を及ぼしかねない、つまり,

ペット三原則」に一つでも抵触する特性を有する動物はペット候補から完全に排除するべきである。

ニホンザルはその三つの原則すべてに抵触するから失格。

私はペットにする気が全くない。

ではその基準、「ペット三原則」とはいかなるものか?

ご高覧いただければ幸いである。

原則その一:温厚であること

凶暴な動物など御免こうむりたい、と考えるのは私だけだろうか?

ニホンザルは時々人里に現れては人を襲っているから、決して温厚な動物ではないはずだ。

現に実際にニホンザルの群れを観察していると、しょっちゅうケンカが発生しているから気が短い動物と考えて間違いはない。

ニホンザルに限らず、よく怒る動物は飼っていてきっと疲れるはずだ。

考えてもみよ。いくらペットとはいえ怒っていたら何とかなだめようとするはずで、なぜこちらがそんなに気を使わねばならんのか?

立場わきまえろよ、

と本気で思う。

話は極端にそれるが、家庭内暴力を起こす息子と起こさない息子、どっちがいいだろう?

答えは簡単であろう。

ペットも同様。

外見の如何にかかわらず、少なくとも私は温厚でない動物を可愛いと感じる感性を持っていない。

原則その二:忠実であること

裏切ったり逆らったりする奴は大嫌いだ。

人間だろうが動物だろうがそういう奴は許せない。

よく犬は忠実だが猫は気ままだと言われるから、猫は大嫌いだ。

ハムスターを飼ったことがあるが、ハムスターは恩という概念を理解する知能がなく、いつも餌をやっているにもかかわらず血が出るくらい噛まれたことが何度もあった。

よって、ハムスターは裏切る裏切らない以前の問題だから激しく論外。

やはりペットたるもの飼われているという自覚を有し、

ある程度の敬意と忠誠心を以って飼い主に接することが可能な動物が好ましい。

一方のニホンザルだが、トイレのしつけこそできないとはいえ、日光猿軍団のサルたちのように一旦飼い主と主従関係を築けば忠実になるという本能を有している。

しかし問題があって、これは犬でもそうだが飼い主一家全員に忠誠を誓うわけではなく、主たる飼い主以外の家族の者全員をそれぞれ勝手にランク付けするらしい。

しかも

自分を最底辺に置くという謙虚さは持っておらず、必ず自分より下を作り、その者に対しては不服従を貫いて時に尊大にふるまう。

そういう計算をするのはペットとしてあまりにも可愛げがない。

飼い主たる私同様、私の家族や友人にも同じく敬意を払うべきである。

それにニホンザルは高い知能を有しているというのがどうしても気になるのだ。

人間に例えるなら、

偏差値30くらいのヤバイ奴と偏差値70くらいのヤバイ奴ならば、どっちが怖いだろうか?

やっぱり、ペットはバカすぎず利口すぎないのが好ましい。

その意味から言わせてもらうなら、ニホンザルには犬以上に何を考えているかわからない不気味さを感じるから、疑り深い私はパスしたい。

原則その三:私より強くないこと

他の二つは譲れても、これだけは断固譲れない。

自分より強い動物だけはペットにしてはダメだ。

よく大型犬や、はたまたチンパンジーを飼っている人までいるが、私には信じられない。

その気になったら、こちらを殺すことができる動物なんておっかなくて飼えるものか。

「気持ちが通じ合っているから大丈夫」などと主張する飼い主もいるようだが、それは往々にして人間側の勝手な幻想である。

飼い主の気持ちがペットに分かったとしても、飼い主はペットの気持ちが本当に分かるのだろうか?

言葉が通じないから意見を聞いたり、言いくるめたりすることもできないんだぞ。

もし今機嫌が悪かったら、
実は飼い主である自分にムカついていたら、

などと考えると私ならおちおちしつけもできない。

普段自分に懐いているか懐いていないかは関係がない。

親や子相手でも逆ギレしてついやりすぎちゃった、というのは人間にだってあるのだ。

「やりすぎちゃった」後にいくら反省されても、こちらにとってはもう遅い。

そんな風にこちらがペットの顔色をうかがわなきゃいけないなんて、こちらが飼われているみたいじゃないか。

健全な飼い主・ペット関係とは言い難い。

ニホンザルはオスで体長60cm体重16㎏程度だから、体長169㎝体重68㎏の私がその気になれば勝てる。

だが結構気が荒いし、俊敏でヒットアンドアウェイが可能なあの身体は、飼い主の権威に挑戦する能力を十分に備えている

やはりペットにするには、反抗してきたとしても簡単に制圧可能な動物でなければだめだ。

以上の「ペット三原則」は、飼い主として常に毅然として威厳を持ってペットに接するために必要不可欠な、私的にペット側に求められる特性である。

ペットを溺愛するあまり家族の一員と見做し、自分たちを「飼い主・被飼い主」又は「ペット・被ペット」の関係と表現している者がいたが、私はそんなどっちがどっちだかわからないような関係はお断りだ。

この譲れない三原則以外にもっと贅沢を言えば、「見た目が可愛らしい」「世話が簡単」「放し飼い可能」「逃げ足が遅い」「なんでも食べる(飼い主以外)」「いざとなったら食える」などの条件を加えたいが、そんな私でも飼える動物は販売されているだろうか?

都合よくペットショップを経営する知人がおり、以上の私の条件を伝えて検討と見積りを依頼したところ、即座に以下のような返答があった。

「君に動物を飼う資格はない」

関連する記事:

最近の記事:

カテゴリー
2020年 おもしろ 人気ブログ 動物 大分 娯楽 旅行

高崎山の王・ベンツ ~ミスターニホンザルの生涯~


にほんブログ村

餌付けしたニホンザルを直に見ることができる公園として有名な高崎山自然動物園(大分県大分市)。

1953年に開園した同公園では、職員が撒くエサを目当てに、C群とB群という二つの群れ、合わせて千頭以上のニホンザルが、それぞれ午前と午後に分かれて、山麓に設けられたサル寄せ場と呼ばれる場所に現れる。

両群とも、普段公園が存在する高崎山山中で生活しているため、訪れた観光客は檻を隔てることなく、ほぼ野生に近い姿のニホンザルを観察することが可能だ。

群れには数百頭を超えるサルがひしめき、目まぐるしく動き回っているために、観光客の目にはどれも同じにしか見えない。

だがそんな観光客の目にも、明らかに他とは違う雰囲気のサルがC群にいた。

老いたとはいえ、群を抜いて巨大な体躯。

圧倒的な存在感と威厳を有し、サル寄せ場にあるボスザル(アルファオスと最近では呼ばれる)の指定席たる切り株に座って周りを睥睨する様は、まさに玉座に座る帝王の風格すらある。

切り株を降りてサル寄せ場をのし歩けば、他のサルたちは道を譲る。

彼の目の前に職員の撒いたエサがあったら、より若く体力のあるオスザルも決して手を付けようとしない。

忠誠の証だ。

彼に挑戦的な態度を取ることができるサルは、この高崎山には存在しない。

どころか、観光客や職員たち人間をも震え上がらせる凄味があった。

彼はここ、C群650頭の頂点に君臨するボスザル。

その名はベンツ。

「高崎山史上最強の男」と人間に言わしめた伝説のボスザルだ。

若年期

ベンツは元々C群ではなくB群出身で、1978年ごろ生まれたと考えられている。

当時すでに、ニホンザルの群れとしては別格に多い数百頭規模のB群の中で、ベンツは早くから頭角を現し始める。

この当時群れはA群・B群・C群の三つ、A群、C群とB群の順番でサル寄せ場にやってきていた。

そのサル版三国志のような高崎山においてB群は、自分たちより先にいるC群としょっちゅう出くわして衝突していたが、その抗争でベンツは大暴れしたのだ。

立派な体格の大ザルで、サルの中でも運動能力に秀でていた彼は、先頭に立って、C群のサルを駆逐、B群内の幹部クラスのオスザルが、次々に群れを離脱したこともあって徐々に序列を上げてゆく。

このころ、高崎山自然動物園職員にベンツと名付けられたのは、その存在感からであるようだ。

そして1987年、弱冠9歳の若さにして、B群のボスザルになった。

これは、人間の年齢ならば20代後半に相当し、ニホンザルの社会でも異例のこととされる。

ボスザルになってからもベンツは、自分の群れがC群と衝突した際には、真っ先に駆け付け、平時には群れ内で起きるケンカを鎮圧。

ボスザルの本来の役割を、存分に果たした。

だが、2年後の1989年に転落することになる。

発情期に抗争相手のC群のメスザル・リズに目をつけ、たびたび群れを離れるようになったのだが、これがいけなかった。

群れを一定期間留守にすると、たとえボスザルであっても、群れから排斥されてしまうのがニホンザルの社会なのだ。

リズとの情事を終えて戻ってきたベンツは、今まで自分に忠誠を誓っていた他のサルから一斉に威嚇されて、B群を追放されてしまう。

C群での下積み生活

トップの座を失い、群れからも“破門”されたベンツは、ハナレザルとなったが、ほどなくして、今までさんざんいびってきたC群に加わろうと接近する。

だが、C群は自分たちをさんざん攻撃してきた憎っくき敵の元大将の顔を覚えており、ベンツをリンチ。

B群のボスザル時代に良い仲だったリズも知らんぷりで、ベンツはC群の外延部から中に入れず、サル寄せ場でエサにありつけない半ハナレザル生活を余儀なくされた。

前の群れでのキャリアなど、ニホンザル社会では関係ない、元ボスザルだろうと新たに加わった群れでは最下層からの出発、ここ高崎山では、サル寄せ場からは遠い周縁部での生活となる。

そして、そこから浮かび上がることはほとんどない。

だが、ベンツは違った。

伝説のボスザルたり得た原因は、たぐいまれな強運もあったからだ。

下積み生活を続けていたベンツは翌年1990年、群れの中央にいることができる幹部クラスのオスザルで、C群での序列第八位のサイジョーの知遇を得る。

サイジョーはそれまで、ベンツを見かけるたびに攻撃していたが、ある日ベンツにマウンティングをした。

これは、サルの世界では弱い一方が誓った忠誠や謝罪を、強い一方が受け入れたことになり、上下関係が存在するとはいえ、一定の友好関係が生じたことを意味する。

サイジョーに認められ、ベンツがC群に居場所を確保した瞬間だった。

サル道に忠実なベンツ

それから後のサイジョーは、未だベンツを認めないC群の他のサルが、ベンツを攻撃すると威嚇して追い払ったし、ベンツはサイジョーがうっかりB群に紛れ込んで攻撃を受けた際は、真っ先に飛び込んで救出した。

彼らはまさに、義兄弟のような関係になっていった。

そして、三か月後にはC群ボスザルのバートン、次いで序列第二位のゲンタのマウンティングを受ける。

それは、C群トップと最高幹部の“盃”を受けたに等しく、ベンツは晴れてサル寄せ場に入って職員の撒くエサを口にする権利を有するオスザル、C群の幹部となった。

ニホンザルの群れは、歴然たる階級社会である。

その序列は、オスの場合年功序列で決まり、群れに長くいればいるほど順位が高い。

そして、自分より順位の高いサルに挑戦する“下剋上”はあまり発生しない。

そんな暴力団のような習性がニホンザルの世界には存在する。

C群は、自分たちより先の午前中にサル寄せ場にいるもう一つの群れ、A群とたびたび鉢合わせして紛争が頻発していたが、例のごとく、ベンツはそこでも大活躍。

戦利品とばかりにA群からエサを奪い取ることもしばしばだったが、功労者であるにもかかわらず、自分より序列が上のサルが来るとベンツはエサを譲った。

ベンツは、上位の者には絶対服従というニホンザルの掟に忠実だったのだ。

そしてその掟は、義兄弟の関係よりも優先すべきものだった。

ある日、ボスザルのバートンと序列が三位になっていたサイジョーがケンカになったのを目の当たりにしたベンツは、何と恩人(恩サル)であり兄貴分のサイジョーを攻撃したのだ。

おそらく、これが原因でサイジョーは群れ内で失脚、ほどなくしてC群から姿を消した。

どう見てもベンツは恩を仇で返したことになるが、それは人間社会の見方である。

ベンツはサル社会での常識、群れ内での順位関係を律義に守ったにすぎないのだ。

それにより、ベンツは上位のサルからの信頼を勝ち取っていった。

高崎山最強軍団・C群行動隊長

サイジョー失脚後、ベンツのC群内での序列は当然上がった。

その後、上位のオスの離脱(オスザルはある期間生活した群れを出る習性がある)によってベンツの地位も上がり、2000年には、序列二位の副ボスザルになっていた。

そのころのベンツは、気力体力共に最盛期。

並外れて大きく筋肉の鎧で覆われた貫禄十分の姿で、群れの内部でしばしば発生するケンカを収め、群れの脅威と判断した観光客や職員までも攻撃するなど、上位オスの本領を発揮。

その一方で、新たなボスとなったゾロには絶対服従と、ニホンザルの王道を走っていた。

だが、ベンツを語る上で欠かせないエピソードとなるのは、その立派なオスザルぶりはおまけに過ぎない。

それは2002年、A群との大規模抗争での活躍だ。

A群は高崎山に公園ができる前からいた群れであり、B群・C群は共に同群から分派したものである。

そして霊長類の群れとしては、世界最多の800頭以上で構成されていた。

A群は、C群より先にサル寄せ場にやってくる群れであり、午前中いっぱいをサル寄せ場で過ごし、午後になると入れ替わりでC群の番になる。

しかし、二時間余りすると今度はB群が来て、C群のエサの時間は強制終了となってしまう。

この当時は、どの群も個体数が飽和状態で、律義に順番を守っていたらエサに十分ありつけないからか、A群はいつまでもいるし、C群は早めに降りてくるようになっていた。

違う群れ同士が同じエサ場で同時に共存することは、ニホンザルの世界ではあり得ない。

バッティングする機会と時間が多くなった両群間で、小競り合いが前にも増して頻発するようになり、それはほどなくして、A群対C群の全面戦争に発展した。

それは大げさではなくまさに戦争、総力戦だった。

両群合わせて1400頭余りの大中小のサルがにらみ合い、あちこちで肉弾戦が起こる。

こうした抗争こそ、ベンツの出番だった。

彼はその戦闘の最前線に常に立ち、圧倒的な度胸と戦闘力を思う存分発揮したのだ。

本来、A群は約800頭の巨大組織であり、数の上では約600頭のC群に勝ち目はない。

しかし、大きな問題を抱えていた。

ボスザルのブラボーはじめ、外敵に立ち向かうべきオスザルたちが頼りにならなかったのだ。

ニホンザルはオスだけでなく、メスにも序列がある。

メスはオスと違って生まれた群れを一生離れないため、メス間の序列がオスの場合のように変動することはない。

そしてその序列は世襲であり、上位のメスから生まれたコザルはオスメス問わず生まれながらに上位、即ち群れ内における“貴族”である。

ブラボーはまさに貴族出身、群れで上位に君臨する母ザルの威光の下で労なくしてボスザルになったボンボンで、厳しいハナレザル生活も、新たに加入した群れでの三下生活といった苦労を経験していない。

それは他の幹部クラスのオスザルたちの多くも同様で、そんな彼らが気骨に欠けるのは人間の場合と事情は同じだ。

一方のC群は他群の出身で最下層からたたき上げたベンツを筆頭に、ワイヤーやブルなど、ハナレザル出身で屈強な体格の武闘派ザルが目白押しだった。

そんな本物の“男たち”に、A群のマザコンたちが敵うはずがない。

ベンツが巨体を怒らせ「ゴッ!ゴッ!ゴッ!」と雄叫びを挙げて突進すれば、A群のサルたちは瞬く間に蹴散らされ、「キーキー」叫んで逃げ出す。

ベンツの背後から襲い掛かる卑怯者には、後に続くC群ボス・ゾロの弟ゾロメ(後のC群ボスザル)が対処し、他の戦線でもワイヤー、ブルが遅れてはならじと相手を撃破してゆく。 C群の他のオスザル、それもついこないだまでコザルだったような“少年ザル”たちまでが戦列に加わり、ベンツの後に続く。

最強の“男”と肩を並べて戦えるのだ。

こんな心強いことはない。

“行動隊長”ベンツを先頭にしたC群の猛攻で、衝突の度にA群の戦線は崩壊。

土煙を挙げてサル寄せ場から山の中へ、一斉に逃げ帰って行った。

それ以降も何度か攻防が続いたが、C群にA群が追い散らされることが多く、その際はいつも先頭にベンツの姿があった。

やがて、A群はベンツの姿を見ただけで動きを停めるほど、ベンツを警戒するようになり、しまいにはベンツが一頭で突進すると、何百頭が揃って逃げ出すほどになった。

そしてその年以降、A群はサル寄せ場に姿を現さなくなった。

完全に高崎山から駆逐されてしまったのだ。

ボス就任、そして伝説へ

2011年、長らくC群ボスザルの地位にあったゾロが姿を現さなくなったことから、ベンツが新たなC群ボスザルとなった。

C群への移籍から21年、ベンツは再び頂点に立ったのだ。

異なる二つの群れでボスになったサルは、高崎山自然動物園が開園して以来存在しない。

B群における最年少でのボス就任、対A群戦争での大殊勲に続いて奇跡的な偉業を、またしてもベンツは果たしたのだ。

ベンツはこの年で年齢33歳、人間の年齢に換算すれば100歳超。 体も弱って、もはや、かつてのような大暴れをすることはなく、サル寄せ場でのんびりと過ごすようになる。

しかしその威厳は健在で、その姿には何事かを成し遂げた者だけが持つ重厚なオーラを見る者に感じさせていた。

そのように余生を穏やかに送るだけ、と思われていたベンツが再び人間を驚かせたのはボス就任の二年後、晩年のことだ。

2013年9月、ベンツが山から下りてこなくなった。

姿が見えなくなってから一週間後、高崎山自然動物園の職員による捜索隊が高崎山に入り、ベンツの捜索が始まった。

普通のサルとは違って、これまでのベンツの武勇伝はマスコミによって広く知れ渡り、ベンツを一目見ようと多くの観光客が高崎山を訪れていたために、無視できない存在となっていたからだ。

もはや死亡したものと思われていた翌10月、何と高崎山から7キロ離れた大分市内で見つかり捕獲された。

通常なら有害鳥獣として殺処分されるところだったが、特別の計らいで住み慣れた高崎山戻されることになった。

だが、長いこと群れを離れていたサルは前述のとおりたとえボスザルであっても受け入れてもらえなくなるのがニホンザルの社会だ。

B群時代同様の事態が懸念されたが、ここでも奇跡は再び起こった。

ベンツの盟友で、彼の不在中にC群の“最高実力者”になっていたゾロメの毛づくろいを受けていたのだ。

これは受け入れられただけではなく、ボスとして復帰したことを意味する。


中央左がゾロメ、右がベンツ

ニホンザルの世界では異例のことが、またしても起こったのだ。

もはやベンツが伝説のボスザル以外の何者でもないことは、疑いようがなかった。

しかし、これが最後の奇跡となった。

その年の12月、ベンツは再び姿を見せなくなり、そして二度と姿を現すことはなかったのだ。

老いて群れについていけなくなったニホンザルは群れを離れ、そのまま死体を残すことなく消えてしまうという。

高崎山自然動物園の職員によると、35歳でニホンザルの平均寿命を大きく上回っていたベンツは、復帰後も老化による衰えが目立っていたらしい。

そしてニホンザルの最後にふさわしく、人間に発見されることなく高崎山の土になった。

最後の最後までニホンザルの王道を走ったのだ。

その後ベンツは、人間たちにその数々の偉業をたたえられて名誉ボスとされ、祠付きの銅像まで作られた。

ベンツはボスザルから守り神となって、今も高崎山に君臨し続けているのだ。

最近の人気ブログ TOP 10:

関連する記事:

最近の記事: