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人命第一の裏で見捨てられた命 ~2024年羽田空港航空機事故~

航空業界の非情な現実


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2024年は新年早々災いで始まった。

1月1日午後4時過ぎ、能登半島を震源とする震度7の地震が発生。

石川県の能登半島を中心として、北陸地方に大きな被害をもたらした。

そして翌2日夕方には、全国のお茶の間に、東京羽田空港の滑走路で火災が発生している衝撃的な映像が流される。

当初、二か所で火炎が上がっていることだけが報道されて、なぜその火災が起こったかは分からなかったが、ほどなくして新千歳空港発の日本航空(以下JAL)516便のA350-900と海上保安庁羽田航空基地所属の航空機(MA722)が、羽田空港のC滑走路で衝突したことが報じられ、その後、事故の瞬間の映像も公開された。

原因は、本ブログ執筆中の1月6日時点で調査中であるが、この事故で海上保安庁のMA722は大破・炎上して乗員5名が死亡、1名が重傷を負う大惨事となったことが、その日のうちに発表される。

ちなみに同機は、前日に発生した能登半島地震の被災地に救援物資を運ぼうとしていた。

一方のJAL516便は、炎にからみつかれながら滑走路からずれて停止し、駆け付けた消防隊の決死の消火活動むなしく機体がみるみる炎に包まれる模様がテレビ画面に映され、さらに犠牲者が出ているのではと危惧されたが、516便のクルーの適切な処置で、乗員乗客は全員無事脱出に成功。

旅客機の側に死者が出なかったのは、不幸中の幸いであったと全国の視聴者が安堵した。

だが、この516便では人命こそ失われなかったものの、それ以外で失われた命があったことが後に判明する。

貨物室に預けられていた乗客のペットの命だ。

なぜ助けられなかったのか?

516便に徐々に火が回り、全焼していくさまを観ていた視聴者の中には「貨物室に預けられていたペットはいなかったのだろうか?」と懸念した人も少なからずいたようだが、その懸念は翌日的中する。

事故の翌3日にJALが乗客から、預かっていた犬一匹と猫一匹が、そのまま焼け死んだことが発表されたのだ。

彼らは、火が回る機内に取り残されて見捨てられたのである。

この悲劇を受けて、SNS上でタレントなどの著名人を中心に「ペットも客室に入れてあげるべきだ」「生きている命をモノとして扱うことが解せない」という意見が上がった。

例えば、フリーアナウンサーの笠井信輔氏は自身のインスタグラムを更新して、この事故で愛猫を失った乗客の慟哭のコメントを紹介。

自らも猫を飼っている笠井氏は、他人事と思えず落涙したと述べ、ペットを客室に同乗させることができる海外の航空会社を例に出して、限定的な条件を定めた上で日本でも検討できないかと訴え、犬や猫を飼う人々から大いなる賛同を得た。

また、3日以降二日間で“貨物扱い”禁止を求める署名も1.6万人を超えたことから、この問題への関心は高まっているようだ。

だが、もちろん反論もある。

「犬や猫が苦手どころか、アレルギーの人もいる」

「緊急事態になったら、人命第一なのは仕方がない」

「そもそも、飛行機に乗せることは犬や猫にとって大きなストレスになるはずだから、ペットホテルに預けるべき」

上記のような、もっともな意見もあって論争が巻き起こった。

そうは言っても、犬や猫も人間と同じ命。

暗い貨物室に押し込めて、緊急事態となったら見捨てざるを得ないのは、忍びないというのも事実だ。

笠井氏が言うように、客室へペットを持ち込める海外の航空会社も現実に存在し、日本国内でも「スターフライヤー」という中堅航空会社が、今年1月15日から小型の犬や猫を客室内に持ち込めるサービスを国内の全便において開始する予定である。

だが、いざ事故が起きても、一緒に避難できるわけではないようだ。

非情な現状

そもそも、今回の事故のように乗客が緊急脱出する際、手近にあるからといって手荷物を持って脱出することはできない。

それには理由がある。

手荷物は、通路をふさいだりして他の客の脱出の妨げになる可能性があり、脱出用のスライドを傷つけて空気が抜けた場合に、後から来る客が脱出できなくなりかねないからだ。

これはJALに限ったことではなく、どの航空会社でも規則でそう定めている。

そして、ペットを客室内に持ち込める海外の航空会社も、ペットを「手荷物」に分類している。

つまり、盲導犬などの特例は除くものの、緊急事態においては機内に置き去りにせざるを得ないのが、航空業界の世界的な常識なのだ。

ペットを客室内に持ち込めるサービスを開始する「スターフライヤー」も同様で、「緊急脱出が必要になった場合は、ペットを機内に残して脱出してください」と公式ホームページ内で明記し、サービス利用の際には、ペットの死傷に関して責任を問わない同意書に署名する必要があるという。

たしかに、家族同様のペットを置き去りにして逃げなければならない悲しみは動物を飼っていない人間にも理解できる。

恐怖や苦痛を感じるのはペットも人間と同じだから、「何とかならなかったのか」とも思いたくなるだろう。

しかし、他の大勢の乗客の脱出の支障になりかねないのは事実であって、これを変えることは難しいのが現状となっている。

JALの行ったペットを見捨てさせる緊急避難は、間違ってはいなかったと見るのが正しいのだ。

とは言え、さまざまな意見が交差しているが、前述の笠井氏も述べているとおり、変える努力をしてもいいのではないかと本ブログの著者は思う。

何事も「現状では仕方ないからあきらめる」では、この先の進歩や改善を放棄することになるのでないだろうか。

一寸の虫にも五分の魂。

長いこと連れ添ったペットならなおさらだ。

この悲劇が、航空会社が緊急時のペットの避難について検討をする契機となることを願いたい。

参考文献―Yahoo!Japanニュース、ライブドアニュース

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『ペットと被ペット』或いは『飼い主と被飼い主』のあるべき関係


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ニホンザルの観察が好きである。

TVやYouTubeでもよく見ているし、実際に動物園や野猿公苑まで見に行くことがあり、顔も見分けることだってできるほどだ。

ネットや書籍でもニホンザルの生態を読み漁り、アマチュア研究家の端くれであると自負している。

ニホンザルの何が面白いかって、他の動物に比べて人間に近いことだ。

中にはおっさん度やおばさん度の高い個体も存在し、特に怒った時の反応や表情などを見ると、「そういや身近にこういう顔して怒る人いるな」と感心したりして、やはり人類はサルから進化したんだと納得する。

このように私はニホンザル研究に熱心であるが、ペットとして飼いたいと思ったことは一度もなく、あくまで見る専門。

ニホンザルをペットとして飼うには都道府県知事の許可が必要で、飼養施設の構造や保管方法にも様々な基準が存在するなどかなりハードルが高いのだ。

そんな面倒くさい動物など飼いたくはない。

それに、

ニホンザルを見ていて面白いと思ったことはあっても、可愛いとは思ったことがない。
「見てて面白い」イコール「ペットにしたい」とは限らないのだ。
いつも身近にいたら憎たらしくなるに決まってる。

なぜなら、ニホンザルは私がペットに求める基準に著しく反する動物だからだ。

それはSF小説の巨匠アイザック・アシモフの「ロボット三原則」に倣って、「ペット三原則」ともいうべき私独自の基準だ。

飼い主とペットの最も理想的かつ良好な関係の構築には、「私は飼い主、お前はペット」という神聖不可侵の境界が存在することが大前提であると考える。

その大前提に対して脅威を及ぼしかねない、つまり,

ペット三原則」に一つでも抵触する特性を有する動物はペット候補から完全に排除するべきである。

ニホンザルはその三つの原則すべてに抵触するから失格。

私はペットにする気が全くない。

ではその基準、「ペット三原則」とはいかなるものか?

ご高覧いただければ幸いである。

原則その一:温厚であること

凶暴な動物など御免こうむりたい、と考えるのは私だけだろうか?

ニホンザルは時々人里に現れては人を襲っているから、決して温厚な動物ではないはずだ。

現に実際にニホンザルの群れを観察していると、しょっちゅうケンカが発生しているから気が短い動物と考えて間違いはない。

ニホンザルに限らず、よく怒る動物は飼っていてきっと疲れるはずだ。

考えてもみよ。いくらペットとはいえ怒っていたら何とかなだめようとするはずで、なぜこちらがそんなに気を使わねばならんのか?

立場わきまえろよ、

と本気で思う。

話は極端にそれるが、家庭内暴力を起こす息子と起こさない息子、どっちがいいだろう?

答えは簡単であろう。

ペットも同様。

外見の如何にかかわらず、少なくとも私は温厚でない動物を可愛いと感じる感性を持っていない。

原則その二:忠実であること

裏切ったり逆らったりする奴は大嫌いだ。

人間だろうが動物だろうがそういう奴は許せない。

よく犬は忠実だが猫は気ままだと言われるから、猫は大嫌いだ。

ハムスターを飼ったことがあるが、ハムスターは恩という概念を理解する知能がなく、いつも餌をやっているにもかかわらず血が出るくらい噛まれたことが何度もあった。

よって、ハムスターは裏切る裏切らない以前の問題だから激しく論外。

やはりペットたるもの飼われているという自覚を有し、

ある程度の敬意と忠誠心を以って飼い主に接することが可能な動物が好ましい。

一方のニホンザルだが、トイレのしつけこそできないとはいえ、日光猿軍団のサルたちのように一旦飼い主と主従関係を築けば忠実になるという本能を有している。

しかし問題があって、これは犬でもそうだが飼い主一家全員に忠誠を誓うわけではなく、主たる飼い主以外の家族の者全員をそれぞれ勝手にランク付けするらしい。

しかも

自分を最底辺に置くという謙虚さは持っておらず、必ず自分より下を作り、その者に対しては不服従を貫いて時に尊大にふるまう。

そういう計算をするのはペットとしてあまりにも可愛げがない。

飼い主たる私同様、私の家族や友人にも同じく敬意を払うべきである。

それにニホンザルは高い知能を有しているというのがどうしても気になるのだ。

人間に例えるなら、

偏差値30くらいのヤバイ奴と偏差値70くらいのヤバイ奴ならば、どっちが怖いだろうか?

やっぱり、ペットはバカすぎず利口すぎないのが好ましい。

その意味から言わせてもらうなら、ニホンザルには犬以上に何を考えているかわからない不気味さを感じるから、疑り深い私はパスしたい。

原則その三:私より強くないこと

他の二つは譲れても、これだけは断固譲れない。

自分より強い動物だけはペットにしてはダメだ。

よく大型犬や、はたまたチンパンジーを飼っている人までいるが、私には信じられない。

その気になったら、こちらを殺すことができる動物なんておっかなくて飼えるものか。

「気持ちが通じ合っているから大丈夫」などと主張する飼い主もいるようだが、それは往々にして人間側の勝手な幻想である。

飼い主の気持ちがペットに分かったとしても、飼い主はペットの気持ちが本当に分かるのだろうか?

言葉が通じないから意見を聞いたり、言いくるめたりすることもできないんだぞ。

もし今機嫌が悪かったら、
実は飼い主である自分にムカついていたら、

などと考えると私ならおちおちしつけもできない。

普段自分に懐いているか懐いていないかは関係がない。

親や子相手でも逆ギレしてついやりすぎちゃった、というのは人間にだってあるのだ。

「やりすぎちゃった」後にいくら反省されても、こちらにとってはもう遅い。

そんな風にこちらがペットの顔色をうかがわなきゃいけないなんて、こちらが飼われているみたいじゃないか。

健全な飼い主・ペット関係とは言い難い。

ニホンザルはオスで体長60cm体重16㎏程度だから、体長169㎝体重68㎏の私がその気になれば勝てる。

だが結構気が荒いし、俊敏でヒットアンドアウェイが可能なあの身体は、飼い主の権威に挑戦する能力を十分に備えている

やはりペットにするには、反抗してきたとしても簡単に制圧可能な動物でなければだめだ。

以上の「ペット三原則」は、飼い主として常に毅然として威厳を持ってペットに接するために必要不可欠な、私的にペット側に求められる特性である。

ペットを溺愛するあまり家族の一員と見做し、自分たちを「飼い主・被飼い主」又は「ペット・被ペット」の関係と表現している者がいたが、私はそんなどっちがどっちだかわからないような関係はお断りだ。

この譲れない三原則以外にもっと贅沢を言えば、「見た目が可愛らしい」「世話が簡単」「放し飼い可能」「逃げ足が遅い」「なんでも食べる(飼い主以外)」「いざとなったら食える」などの条件を加えたいが、そんな私でも飼える動物は販売されているだろうか?

都合よくペットショップを経営する知人がおり、以上の私の条件を伝えて検討と見積りを依頼したところ、即座に以下のような返答があった。

「君に動物を飼う資格はない」

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