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列島を凍り付かせた未成年1988年・名古屋アベック事件 – 第四話


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第四話 弄ばれる命

自殺を図った須弥代

須弥代を連れた犯行グループは24日午前11時に近藤と合流、拉致していたカップルのうち男の方は殺し、残った女も今日中に殺すことを告げる。

襲撃の実行犯の一人で、昭善殺害の現場にはいなかった高志にも電話をかけて、この日の22時に落ち合うことを約束させた。

殺害を二人にも手伝わせるはずだったのだが、現役暴力団員の近藤は組の用事があることを理由に「後は任したでな」などと離脱してしまう。

また俺らに丸投げで逃げやがったな!

小島は、近藤の重ね重ねの無責任ぶりに腹が立った。

小島たちは、この時点でまだ須弥代に昭善を殺したことを伝えていないし、須弥代自身も殺すつもりであることも本人に伝えていない。

しかし、須弥代はとっくに彼氏がこの世にいないことに気づいていたし、自分も殺されるであろうことにも感づいていた。

そして、それを望んでいた。

一行が喫茶店などを経て、一昨日カップル狩りをした金城ふ頭に寄った時のこと。

徳丸に見張られてフラフラと外に出た須弥代が、叫び声を上げて突然海に向かって走り出したのだ。

海に飛び込むつもりである。

「お前、ナニしとんだて!!」

ここで死なれるのはかなりまずい、死体が発見されないように真夜中に、どこかで殺して埋めるつもりなのに。

取り押さえて車の中に押し込んだ。

「お兄ちゃん殺したでしょ!?わたし、もう生きていけないいい!!!」

「家帰したったって言っとるが!」

見え透いたウソをここでも言い張ったが、すでに昭善の死を確信していた須弥代は、悲嘆のあまり後追い自殺を図ろうとしていたのだ。

しかし、このあまりに悲しい行動は、人をいたぶるのが大好きな極悪少年少女たちのサディズムの炎に油を注いでしまった。

「私たち、本当に愛し合っていたんです」アピールもカンにさわったし、悲しみに打ちひしがれて泣きわめいている姿を見て、もっともっといじめてやりたくなってきたのだ。

悲しみを踏みにじる悪魔たち

小島たちのたまり場

その後、小島たちはグループのたまり場にしていたアパートに転ずるや、失意のどん底に打ちひしがれる須弥代をリンチ。

「ナニ勝手なことしとんだて!バカ女!!」「死にたいなら殺したる殺したる!」「“お兄ちゃんお兄ちゃん”やかましいじゃい!」「オラ!泣いてんじゃねえ!すんげれぇムカつくわ!」

男には強烈なパンチや蹴りを見舞われて吹っ飛び、女には髪の毛をつかまれて、口汚くののしられながら顔をはたかれて踏みつけられる。

事件後、階下の住民はこの時にドスーンと大きく響く物音を何度か聞いたと証言しており、孤立無援の須弥代に、かなり情け容赦のない暴力が振るわれていたようだ。

さらには、ここで雄獣の徳丸がまたも須弥代をレイプ。

どうせ殺すんだから、こんなやつ何やってもいいと小島はじめ他の奴らも考えていたらしく、筒井も同性が蹂躙されているにもかかわらず「好きだねえ」などと笑っている。

人生最後の日にも関わらず、須弥代は尊厳を踏みにじられ、痛めつけられ続けた。

同日22時ごろ、小島たちは徹底的にいじめ抜いた須弥代を連れてたまり場を出発し、22時40分には高志と合流。

そこで小島は昭善をすでに殺害したことを話し、車のトランクに入った死体も見せた。

「え!?マジ?あの野郎、ホントに殺ってまったんか!?…ホントや、死んどる」

「女の方も殺らなかんでよ。あとはどこでやって、どこに埋めるかなんだわ」

小島と徳丸に高志も加えた男3人で、殺害場所と埋める場所の話し合いが始まった。

車の中には、生きる気力を失ったほどやつれはてた須弥代が龍造寺と筒井に見張られて乗っている。

「富士の樹海とか…、あかん、遠い。明日朝早いから事務所行かなかんで」

「三重の山奥にせんか?オレ、あそこよう知っとるんだわ」

小島の言う三重の山奥とは、現在三重県伊賀市の山林のことである。

彼は、そのあたりに土地勘があったのだ。

「ほんならそこにしよか」

徳丸と高志はその案に同意し、23時10分ごろに高志も加えた一行は三重県に向けて出発。

須弥代にとって、絶望のドライブが始まった。

死者の尊厳などお構いなしの鬼たち

死体を埋めた場所

目的の場所に着いたのは、翌25日の午前2時ごろ。

それは、車一台がやっと通れるほどの林道を進んだ先にあり、両脇はうっそうと茂る山林。

須弥代はタオルで目隠しをされており、小島ら男3人は外に出て、道から7メートルほど奥に入った場所で懐中電灯を照らしながら、死体を埋めるための穴を掘り始める。

そのころ、車中に待機していた龍造寺は、「なんか最後にしてほしいことあったら言やーて」と須弥代に聞いた。

もうここまで来た以上、生かして帰すつもりがないことを隠す必要はないのだ。

すると、「お兄ちゃんの顔が見たいです。お兄ちゃんと一緒に埋めてください」と、弱々しく悲しい答えが返って来た。

金城ふ頭で海に飛び込もうとしたくらいだから、とっくに覚悟を決めていたのである。

「あっそ」「もうええて、そういうの」と、不良少女二人は冷淡だったが。

一時間後、大人の男女を十分埋められるだけの穴かできた。

作業を終わって車まで戻って来た徳丸は須弥代に「最後の飯だで、食べや」と、途中で買った握り飯と缶ジュースを渡す。

徳丸は三回も須弥代を犯したことから分かるとおり、自分勝手にもお気に入りにしていたらしい。

ここへ来るまでの車中でも、自分の膝の上にのせていたりしていた。

嫌らしさがふんだんに混じったやさしさである。

それに対して、須弥代は「私と一緒に埋めてください。天国でお兄ちゃんと食べます」と涙ながらに答え、改めて「お兄ちゃんの顔を見せてください」とお願いしてきた。

「見せたれ」

鬼の小島は、鼻白みながらも徳丸に車のトランクを開けさせて昭善の死体を懐中電灯で照らすと、目隠しを外されて、それを見た須弥代は死体にすがりついて泣き始めた。

昭善の死体はまだ縛られたままだったので、須弥代がそれをほどこうとしていたが、「勝手なことすなて!」と無情にも阻止されてしまう。

午前3時ごろ、小島は厳寒にもかかわらず、須弥代を裸にして再びタオルで目隠し、掘った穴の前に座らせた。

この時、須弥代はずっと無抵抗でされるがままだった彼女らしからぬことを、犯人たちに言っている。

「どうしてこんなひどいことするんですか?警察に捕まらないと思っているんですか?」これは、きっと非道な犯人たちへ発した彼女なりに精一杯の抗議だったんだろう。

そして「やるなら、ひとおもいにやってください」と言った。

暴虐の限りを尽くされた結果、命乞いするほどの生きる気力は、もう残っていなかったようだ。

小島と徳丸は昭善の時と同じように、焼き切っておいたビニールひもを須弥代の首に二重に巻き付け、高志に懐中電灯で照らさせて互いに引っ張る。

須弥代は「やるならひとおもいに」と言っていたが、望み通りにはいかなかった。

ビニールひもが外れるなどのハプニングがあったりして、苦しむ時間は昭善より長引くことになる。

しかも、一回殺人をクリアしている小島と徳丸はすでに慣れてしまっており、「がぁぁぁぁ~げぇぇぇぇ~」と、若い女性が発しているとは思えないほどグロテスクなうめき声を上げて苦しむ須弥代の首を絞め続けながら、「綱引きだぜ」と笑みすら浮かべて前回同様ふざけはじめ、高志にも「お前もやってみろや」とか言って余裕ですらあった。

殺人を一回犯して度胸がついたらしく、ただでさえ悪い奴らが余計に悪くなってしまっていたのである。

結局30分もかかって須弥代は死んだ。

殺してしまった後も、犯行グループの悪ノリは止まらない。

誰が言い出したかは分からないが、穴に須弥代の死体を生前の願いどおり昭善の死体とともに入れた後、カップルの死体なんだからと、お互い抱き合っているような状態にしたのだ。

二人とも理不尽に命を奪われて、なおも弄ばれたのである。

もはや、人間として扱わなくてもよいほどの鬼畜である。

「お兄ちゃんと一緒に埋めてもらえてよかったな」「もう天国着いたかな?」「ハメ合ってるように埋めれば、よかったんちゃう?」「ハハハ!悪い女やな~」などと、ふざけたことを言い合い、全く悪びれていない。

午前3時30分、死体を埋め終わって落ち葉などをかけ、現場に遺留品が残っていないことを確かめた悪魔たちは現場を離れた。

続く

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列島を凍り付かせた未成年1988年・名古屋アベック事件 – 第三話


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第三話 まず、昭善が殺された

意地の張り合いで決められた殺害計画

2月23日7時30分頃、犯行グループ6人は愛知県海部郡弥富町のドライブイン「オートステーション」に到着、朝食を兼ねて改めて今後について話し合うことにした。

須弥代は小島の車から近藤の車に移され、徳丸が二人を見張る。

話し合いと言っても出席者はシンナーのやりすぎで頭の溶けた者ばかりだし、場を取り仕切る頭の悪い小島からとんでもない案がしょっぱなから出ていた。

「やっぱ男は殺って、女は売り飛ばすしかないて」

空き地での話し合いの時に誰かが冗談半分で言った最悪のプランであるが、驚くべきことに話はその方向で進む。

また、風俗店に売り飛ばせなかった場合は須弥代にも死んでもらうことまでが決められる。

小島は逮捕された後の裁判で、ここでの話し合いでは本気ではなく口だけで言い出したことだったと言い訳をしているが、カップルの処理については誰も「殺すのはだめだ」と言い出すことなく、勢いのまま殺害の方向で固まりつつあった。

この集団、実は事件のつい先日知り合ってつるむようになった者もいたりして関係性は希薄で、互いに相手の腹を探り合うようなところがあった。

ましてや不良なんだから他の奴らに気弱な所は見せられず、常に虚勢を張り続けなければならなかったのである。

店を出た5人は、見張りをしていた徳丸に二人を殺すことにしたと伝えたが、徳丸もあっさり了承した。

これも小島と同じく公判中に徳丸が述べたことだが、この時は本当にやるとは思っていなかったようだ。

つまりこの日の朝の時点において、殺害することは口だけか本気か曖昧なままであったようだが、その本気度はその日のうちに一気に高まって実行に移されることになる。

店を出ると6人は須弥代を再び小島の車に乗せて、2台の車に分乗して移動。

途中で高志だけが帰宅することになり、自宅近くで車を降りた。

無神経な行動

5人になった犯行グループは引き続き二人を連れ回し、9時40分頃に休憩のために「ホテルロペ」に入った。

近藤は、車を借りたに上役に車を傷つけてしまったことを報告しに向かったために、グループは小島・徳丸・龍造寺・筒井の4人となる。

ホテルロペ

この4人は、無神経にも拉致した昭善と須弥代を連れて堂々ホテルに入り、夕方17時ごろまで二部屋に分かれて過ごすことになるのだが、当然ながら同ホテルの従業員に怪しまれていた。

だいたい、こんな目つきの悪い連中の存在自体怪しいのに、その中に顔をこわばらせた男女がおり、しかも顔に殴られたような痕があるからである。

不審を抱いた従業員だったが、すぐに通報しようとはしなかった一方で、彼らが乗ってきたグロリア(小島の車)のナンバーをメモしていた。

後にホテル側がそのメモを警察に提供したことによって、事件の犯人検挙につながることになるのだが、もし、この時に通報していれば殺人事件は未然に防げていたかもしれない。

グループのうち小島と筒井は同じ部屋で、徳丸と龍造寺は別の部屋で昭善と須弥代を見張っていたが、同室で徳丸がまたしても須弥代を彼氏の目の前でレイプしたというから、とんでもない野郎だ。

小島も小島で、当初の計画どおり大まじめに須弥代を売り飛ばそうとヤクザ関係者に電話していた。

考えてみれば、何の罪もない女性を暴行・拉致したうえに、風俗店に売り飛ばそうという発想自体無法極まりないが、この極悪なもくろみは不首尾に終わる。

そんな悪いことは、さすがのヤクザもできなかったのではない。

警察に見つかることは明白だったし、三下ヤクザのまま組を脱退していた小島を信用する者などいなかったからである。

だからといって、幸いなことではなかった。

小島に「須弥代も殺す」というプラン2の実行を決意させたからだ。

しかし、即実行というわけにはいかないし、それをこれから殺す本人たちに知られるわけにもいかない。

17時ごろホテルを出てから犯行の痕跡を隠すために洗車場で車を洗った後、拉致した二人には「帰したるで、おとなしゅうしとけ」と言いつけ、昭善の方に車の修理代を支払うという誓約書を書かせるなど、いずれ自分たちは解放されると思いこませていた。

そして解決案は、より着実に二人の殺害に向かっていく。

23時過ぎに小島たちは近藤と再び合流して今後について話し合ったが、小島は近藤と二人きりになると「もう殺ってまうつもりけど、いつやろう?」と迫っていた。

近藤は所用により龍造寺といったんその場を離れ、犯行グループが再び集合したのは24日午前2時半ごろ、場所は港区にある『すかいらーく 熱田一番店(現ガスト)』。

すかいらーく 熱田一番店(現ガスト)

昭善と須弥代は暴行・拉致されてからほぼ丸一日連れ回されて、体力的にも精神的にも限界に近付いている。

そんな二人に小島は「いつ帰れるか近藤と話し合ってから決めるだでよ、ちょっと待っとれ」と、あと少しで解放という希望を持たせていた。

しかし、この『すかいらーく 熱田一番店』で最終的に二人とも殺害すること、その方法と埋める場所が決定されることになるのだ。

一旦解放されていた二人

昭善と須弥代の方は、手ひどい暴行を加えられて打ちひしがれていたが、まさか殺されることはないと考えていたのは間違いない。

そして、犯人の小島たちも殺害という最終決定を下す前に一度彼らを解放しているのだ。

拉致した側にとっても連れ歩くのは疲れるし、本当に殺すのもリスクがある。

というか、行き当たりばったりな小島と近藤は、早くこの状況を終わらせられるなら、生かしておこうが殺してしまおうがどっちでもよいと考えていた節があった。

だが、もちろん警察に行かないよう脅しを交えて、くぎを刺したのは言うまでもない。

「車の修理代はチャラにしたるけどよ、お前らの住所はもう知っとるだでな。マッポにタレこんだら…分かっとるよな?なぁ?」

「分かってますよ!分かってますよ!ホントしませんよ!もう、行ってもいいですよね?」

やっと解放された昭善と須弥代は深夜の『すかいらーく』を出て道路を横断し、歩道を歩いて遠ざかっていく。

彼らを解放するという決定は首謀者格の小島と近藤が下したものだったが、ここで事情を知らない者たちが騒ぎ出した。

「ええんですか?警察に言うんとちゃいます?ヤバくないです?」

女の龍造寺にまで異議を唱えられた小島は、またも下の者たちにナメられたくないという虚栄心を発動させる。

優柔不断な反面、ハッタリだけは一丁前にかましたがる奴なのだ。

「やっぱ帰すのやめとこ。連れ戻せ、徳丸!」と、二人を連れ戻すよう徳丸に命じてしまった。

そして、連れ戻した後は決まっている。

当初、冗談で口に出し、もう引っ込みがつかなくなった決断を実行するのみだ。

解放されたとはいえ、凄まじい犯罪被害に遭って心身共に傷ついた昭善と須弥代は、とぼとぼ歩いて遠ざかっていたらしく、徳丸にすぐに追いつかれる。

「おい戻れ、帰るのはもうちょっと待っとれ」

彼らは、本当ならこの時に全速力で逃走するべきだったが、徳丸の命令に素直に従ってしまう。

さんざん暴行を加えてきた小島たちへの恐怖心から、一日で心が壊され、反抗できなくなっていたと思われる。

しかし、二人の命運はここで尽きた。

近藤は事件の解決案の話し合いに来ていたにも関わらず、不用心にも事件と関係のない知人たちを連れてきており、事情を知られないように彼らを乗せて帰ってもらおうと車で離脱。

やるだけやって、後の面倒ごとは押し付けられた気が大いにした小島は舌打ちしたが、自分たちがやるしかない。

3時ごろになって徳丸・龍造寺・筒井と共に昭善と須弥代を自分の車に乗せて『すかいらーく』を出発。

行先は、愛知県愛知郡長久手町大字長湫字卯塚25番地(現:長久手市卯塚)にある「卯塚公園墓地」。二人を処刑する場所だ。

昭善の殺害

卯塚公園墓地

同墓地は、小島がかつて所属していた弘道会の本家の墓があり、その清掃作業に組員であったころは駆り出されたことがある。

彼らは、途中で自分たちが根城にしているアパートに寄って、死体を埋めるためのスコップを積み込み、深夜スーパーでは殺害に使うロープも買って午前4時半に墓地に到着した。

あれ?帰してくれるんじゃないの?どういうこと?

墓地に向かうまでの間に昭善と須弥代も、さすがに、これはおかしいと気づいたはずである。

帰してもらえると思っていたら、こんな時間に人気のあるはずのない墓地に連れてこられて、おまけに外では小島たちがさっき買ったロープをライターで焼き切っているではないか。

「どういうことですか?どういうことです?ちょっとちょっと!ナニするんですか!?」

小島に何事か命じられた徳丸が昭善を車から降ろすと、半分に焼き切ったロープで両手を縛りはじめ、口にもガムテープが貼り付けられる。

そして、犯人たちは怯える昭善に対して「今からどうなるかわかっとるだろ」と言い放つ。

そう、それは焼き切ったロープのもう片方で絞殺するつもりなのだ。

「そんな!帰してくれるって言ったじゃないですか!やめてくださいよ!!殺さないでくださいよ!!!」

「アレはウソなんだ。さあ来いよ」

小島と徳丸は、ガムテープを貼られた口から必死に命乞いをする昭善を車から少し離れた場所まで引っ立てて正座させると、先ほどのロープを二重に首に巻きつけて、それぞれロープの両端を持つ。

「やめてください!ホントやめてください!やめぇっ…ぐえええぇぇぇっっ」

両方から、綱引きのようにロープが引っ張られ絞められた。

「げげげげっ、げえぇぇえぇぇぇ~!ゔげええぇえっえっえっゔゔぅぅ…ゔゔぅぅう~」

渾身の力で絞められ続けて、この世のものとは思えない断末魔の声を出し続ける昭善。

さすがの小島と徳丸も聞いていられない声で、多少ひるみ始めただったが、やめるわけにはいかない。

どころかここでも虚勢を張って、なかなか死ねない昭善を笑いながら「このタバコ吸い終わるまで引っ張るでよ」と、二人はタバコを吸いつつ絞め続ける。

鼻やガムテープの隙間から血や吐しゃ物を流し、苦しみぬいた昭善が絶命したのは約20分後。

二人は、本当に死んだかどうか蹴ったりして確かめている。

その時、龍造寺と筒井の女二人は車内に残って目と口にガムテープを貼られた須弥代を見張りつつ、離れた場所で男二人が昭善を絞殺する様子を見ていたが、須弥代は目隠しされながらも、何やら最悪なことが起きていることに気づいていた。

「お兄ちゃん(昭善のこと)、お兄ちゃんはどこですか?どこですか!?」

「話しとるだけだがや、うっさいて!」

「何もしてないですよね?お兄ちゃんに何もしてないですよね!?」

「やかましいわ!もうしゃべるなて!」

須弥代の不安の声をうっとうしく感じた女二人は声を出させないようにするため、口にガムテープをさらに貼り重ねる。

本来、次はすぐさま須弥代の番になるはずだった。

しかし、それはなかった。

極悪な小島と徳丸にとってもこれが初めての殺人であり、命を奪われる際に昭善が出した凄絶なうめき声にビビッたからだ。

あれはもう一回聞きたい声ではない。

そして昭善を殺した後、二人は死体と犯行に使用したロープ、スコップをグロリアのトランクに積み込んだのだが、その際に出た物音に須弥代は、何かを感じ取っていたようである。

「あの、何を入れてるんですか」と塞がれた口で尋ね、小島と徳丸が車に乗り込むと「お兄ちゃんはどこですか?」と気が気でない様子になり始めていたのだ。

「もう降ろしたったて」

徳丸は見え透いたウソを言ったが、須弥代はとっくに気がついていた。

最愛の彼氏が、もうこの世にいないことを。

とっくに日が変わって早朝となった、この1988年2月24日。

この日は、須弥代の二十年の人生で最も悲しく絶望的で、そして最後の一日となる。

続く

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列島を凍り付かせた未成年1988年・名古屋アベック事件 – 第二話


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第二話 大高緑地公園事件

噴水族

1988年2月23日早朝、名古屋市中区栄のセントラルパークに、小島茂夫(19歳)、徳丸信久(17歳)、高志健一(20歳)、近藤浩之(19歳)、龍造寺リエ(17歳)、筒井良枝(17歳)の 6人が集まり談笑していた。

6人とも、いかにも暴走族風の見かけをし、シンナーの入った袋を持って吸引している者もいる。

「あいつらも、車もボコボコにしたった。あんなとこで、いちゃくでやわ」

「へへへ!あそこまで女の前でやられたら、男終わりだで」

「あの女、輪姦したりゃよかったな。他の車来たでかんわ」

「うわ!トレーナーに血ぃついとるが!こんなん着て歩けんが!!」

スポーツの試合の後の選手たちのように誇らしげに語っているのは、先ほどやったカツアゲの自慢話だ。

そう、こいつらは、先ほど金城ふ頭でカップルを襲った張本人たち。

1988年当時、ここセントラルパークに集っては、シンナー吸引にふけっていた通称「噴水族」と呼ばれた不良少年たちのかたわれである。

しかし、彼らは中途半端なワルではない。

小島と徳丸は現在こそ鳶の仕事をしているが、元々は山口組弘道会傘下の薗田組の組員であり、唯一成人の高志は現役の同組組員、近藤は同じ弘道会傘下の高山組の組員で、女の龍造寺もヤクザの情婦だし、小島の彼女である筒井も暴力団事務所に出入りしていた。

そんな彼らが金城ふ頭に向かうきっかけとなったのは、昨晩いつものようにシンナーを吸いにセントラルパークに集ったところ、小島が「今からバッカン行くでよ」と言い出したことからだ。

「バッカン」とは彼らの間だけで通用する言葉で、カップルを狙って恐喝するカップル狩りを意味する。

デートスポットである金城ふ頭での「バッカン」は彼らが始めたことではなく、他の「噴水族」の不良も以前からやっており、前年の9月には、複数のカップルを恐喝していた不良少年のグループが検挙されていた。

小島たちの中には、このグループの人間と付き合いのあった者がおり、「バッカン」の手口をよく知っていたのだ。

実際にやるのは今回が初めてだったからか、最初に襲ったパルサーには警察署に逃げ込まれて失敗したが、二回目のカムリは捕まえることに成功。

昨年捕まったグループより危険であることを自認する彼らは、一回目の失敗のうっぷんを晴らすように張り切って、男も女も車もボコボコにしてしまった。

こうして奪った現金は86000円、他にも龍造寺と筒井が女から腕時計とトレーナーを奪っている。

一回のカツアゲとしては大戦果と言えるが、小島はまだ満足していなかった。

もう早朝なのに、あと二回くらいやろうと言い出している。

彼らの中には分け前をもらって帰りたがっている者もいたが、6人で割ったら大した金にならないからだ。

「金城ふ頭、また行くでよ。さっきみたいにやりゃええて」

「金城ふ頭はかんて。最初にやったった奴が通報しとるかもしれんて。」

「ほんなら大高緑地は?あそこなら、カップルおるんと違う?」

「おお、ええな。大高緑地行こまい!」

大高緑地公園も金城ふ頭同様、週末にはカップルの車が押し寄せるデートスポットとなっていたのだ。

こうして次の狩場は決まり、一行は二台の車に分乗して十数キロ先にある名古屋市緑区の大高緑地公園に向かう。

そのころ、大高緑地公園第一駐車場に一台のトヨタ・チェイサーが入ってきて駐車していた。

中に乗っていたのは野村昭善(19歳)と末松須弥代(20歳)。

付き合い始めてぼちぼち経った何回目かのデートを楽しむ彼らは、数十分後に自分たちを襲う悲劇的な運命を、まだ知らなかった。

獲物をロックオンした野獣たち

1988年2月23日未明、名古屋市緑区にある大高緑地公園の公園入口ロータリーに小島の運転するグロリアと、近藤の運転するクラウンが到着。

車を降りた6人は、獲物となるカップルを探索するために暗闇の公園内に入ってゆく。

公園の第一駐車場は平日の早朝とあってがらんとしていたが、一台の白い車が停まっているのが確認できた。

トヨタ・チェイサーだ。

まずは近藤が立ちションを装って偵察に向かうと、チェイサーにはエンジンがかかっており、中にカップルとみられる男女が乗っているのが視認できた。

「よっしゃ、よっしゃ!おったぞ!おったぞ!あそこのチェイサーに乗っとる奴だで」

小島たちが潜む所に戻って来た近藤は、喜色満面で報告。

「こんなド平日のこんな時間までいちゃついとる奴は、お仕置きせなかんて!ほんならやったろか!」

もうすでに三回目なので手慣れたもので、6人は手はずどおり車のナンバーに段ボールを貼り付けたりの準備を手際よく行い、トランクから木刀などの得物を取り出して車に乗り込んだ。

野獣たちにロックオンされたチェイサーの中にいたのは、野村昭善(19歳)と末松須弥代(20歳)。

二人とも、愛知県大府市内にある同じ理容店で働く理容師カップルである。

昭善は床屋を営む家庭の出身で、中学を卒業してから理容師の世界にいたから、すでにいっぱしの理容師、将来は実家の店を継ぐつもりであり、父のために備品を自分の給料を出して購入するなど孝行息子でもあった。

一方の須弥代は、定時制高校を卒業後に理容師を志していたからまだ見習いであり、同い年ながら、すでにいっぱしの理容師として働いていたから昭善は輝いて見え(昭善は早生まれで須弥代と学年は同じだったようだ)、なおかつ、彼のさわやかで人に好かれやすいキャラにも魅かれたのだろう、自然と好意を持って同じ店で働く同僚以上の関係になっていたのだ。

須弥代も親思いで、両親のために貯金をする孝行娘である。

そんな彼らは、将来昭善の実家の店を二人で支えようと共に理容師修行に励んでいたのだから、滅多にいないほど健全なカップルであろう。

両家の親たちも反対する理由がなく、その交際は双方から歓迎されていたほどだ。

この前の日、須弥代は父親のチェイサーを借りて昭善を拾ったようだが、ハンドルは彼氏である昭善が握っている。

なお、須弥代は店の仕事が終わった後で、同僚には今晩は昭善とデートに行くと告げていたものの、父親にはなぜか「女友達の所に行く」と言っていたが、これは後ろめたいからではなく、照れ隠しだったのだろうか?

その事情は、間もなく永遠に確かめることができなくなる。

それは、小島と近藤が運転する車が駐車場に入って近づいてきたと思ったら、チェイサーの後方左右に停車したことから始まった。

動きを封じられた後、特攻隊長気取りの徳丸が木刀片手に車を降りて「オラァ、出てこいや!!」と、こちらに向かって雄叫びを上げたため、昭善と須弥代の二人だけの甘い世界は破られる。

二人とも、異変に気付くのが遅すぎた。

ずっと自分たちの世界に浸っていたのもあるが、後ろ向きに駐車していたので、後方から向かってくる二台がおかしな動きをしているのが分からなかったのである。

駐車場に他の車が入って来たのには気づいていただろうが、いきなり自分たちの車の所に向かってきて後ろ左右に停まり、中から暴走族風の若者たちが鉄パイプや木刀片手に怒声を上げて降りてきて、一気に至福の静寂から奈落の底に落とされた。

どう考えても、こちらに危害を加える気満々の者たちに囲まれ、二人がびっくり仰天したのは言うまでもない。

この時、運転席にいた昭善は慌てて逃走を図ろうとチェイサーをバックさせた。

だが、パニックになるあまり、昭善はより最悪の結果を招く事態を引き起こしてしまう。

この車は、須弥代の父親の車で乗り慣れていない上に、後方は逃げられないように小島と近藤の車が停まっているのである。

昭善のチェイサーは、車体を襲撃者の乗って来た車二台にぶつけてしまったのだ。

「オレの車にナニしてくれとるんだ!!コラアァァー!!!!」

外からは不良の怒りの咆哮が響き、木刀や鉄パイプで車体がより強く叩かれ、ガラスにひびが入る。

その大きな声と音、予想される今後を前、に二人の心臓は凍り付いた。

荒れ狂う逆ギレ

自分たちの車を傷つけられて、小島たちは激怒した。

近藤にいたっては、おっかない組の上役から借りた車なのである。

「オラ!降りてこいてボケ!殺したろか!!!」

不良たちはチェイサーを完全に包囲して、車体を鉄パイプや木刀で乱打してフロントガラスを割る。

もうだめだ、逃げられない。

観念した昭善はおっかなびっくり車を降りたが、頭に木刀が打ち下ろされ、腹や腕を突かれ、拳で顔を殴られる。

「すいません!すいません!勘弁してください!」

流血する頭を押さえて昭善は懇願したが、車を壊された不良たちの怒りが、これで収まるわけがない。

「てめえ、俺らの車どうしてくれるんじゃ!!オラ!!」と、自分たちが悪いにもかかわらず、昭善の顔にパンチを叩き込み続け、所持金の11000円を奪った上に、チェイサーも腹いせとばかりに鉄パイプで破壊する。

そして、女である須弥代の方を担当するのは、今回も龍造寺と筒井の不良少女二人だ。

「はよ降りてこいや!ボケ!」と、助手席で泣きべそをかいておびえ切っている須弥代の髪をつかんで外に引っ張り出す。

金城ふ頭同様に二人は木刀で須弥代を殴打し、ハイヒールを履いた足で足蹴にするなどしたが、今回はより陰惨な仕置きを始めた。

「オラ!服脱げて!」と上半身裸にしたのだ。

これを見た男たちは、黙っていられない。

「この女犯ってまおうぜ!」と近藤が提案し、女である筒井も「こんな糞女犯ってまえ!」とけしかける。

須弥代は襲撃現場から少し離れた場所まで連れていかれ、そこで徳丸と近藤、高志に輪姦された。

小島だけは情婦である筒井の目の前で参加するわけにはいかなかったが。

昭善にとっては、自分の女の前で泣きを入れても叩きのめされ続けたばかりか、目の前で彼女を蹂躙されるという男にとって最悪の屈辱を味わわされた。

もっとも、6人もの不良相手に自分の女を守り切れる男など滅多にいないだろう。

不良たちは現金ばかりかチェイサーの備品、須弥代のアクセサリーなども奪い、今まで幸福だった者たちに地獄を見せるというカップル狩りの醍醐味を堪能し尽くしてはいたが、自分の車を壊されたことを理由にした暴走はまだまだ続く。

レイプを終えた徳丸たちは上半身裸の須弥代を連れて駐車場に戻って来たが、今度は龍造寺と筒井が女として再起不能になった須弥代を全裸にしてヌードリンチを始めたのだ。

極悪少女二人はシンナー(彼らの多くはシンナーを吸っていた)を須弥代の陰部に注ぎ、髪の毛をライターで焼き、タバコの火を背中や胸に押し付ける。

「熱い!熱い!熱い!あづいいい~!!やめてくださいいいい!!!」

須弥代は泣きながら哀願したが、女の涙は女には通用しないことが多い。

特に龍造寺と筒井のような奴には逆効果だった。

「泣きゃええっちゅうもんちゃうぞ!!」「ぶりっ子するなて!ムカつくわ!!」と、余計に暴行に拍車がかかる。

無抵抗の須弥代の体にタバコの火を押し付け、髪を引っ張り回し、足蹴にし続け、男たちも血だらけになった昭善を正座させて殴り蹴り続ける一方で、より楽しそうな須弥代へのリンチにも参加した。

昭善と須弥代への暴行は午前6時まで続いたが、そろそろ明るくなってきて人が入ってくるかもしれない時刻である。

そろそろ退散の時間だ。

だが、両人とも長時間の苛烈な暴行により、金城ふ頭で被害に遭ったカップル以上にひどいケガを負わされていた。

このまま置いておいたら、間違いなく通報される。

不良たちはズタボロにされた二人をひとまず連れて行くことにし、昭善を近藤の車の後部座席に、須弥代を小島の車の後部座席に押し込んで現場を離れた。

手ひどい暴行で呆然自失の二人をそれぞれ乗せた二台の車は、港区の空き地まで行って停まり、小島と徳丸、近藤が車を降りて今後について話し合う。

だが、この時点で彼らが一番心配していたのは、近藤が組の上役から借りた車を傷つけられたことだった。

暴力団幹部ともあろう者が、自分の車を傷つけられて怒らないはずはない。

小島は、組にいた時に兄貴分の車を傷つけ、さんざんヤキを入れられた苦い経験がある。

拉致した二人について「やりすぎちまった。どうする」と話題に出はしたが、この時点では二の次だったのだ。

そんなどうでもよいことに関して、誰かがハッタリ交じりに「男は殺して女は風俗にでも売り飛ばそう」などと言い出したが、それは当初軽口と言った本人も含めて誰もが受け止めていた。

この時までは。

その軽口はその後誰も撤回することなく、なし崩し的に決定事項となり、事件がより最悪の結末を迎えるであろうことを、彼ら自身も気づいていなかった。

続く

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列島を凍り付かせた未成年1988年・名古屋アベック事件 – 第一話


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第一話 事件の始まり

1988年(昭和63年)2月に発生した名古屋アベック殺人事件は、同年11月から翌1月にかけて起きた女子高生コンクリ詰め殺人と双璧をなす悪名の高さで、令和の現代にいたっても語り継がれる少年犯罪である。

当時の日本では、未成年者らによる犯罪が激増して社会問題になってはいたが、この事件の凶悪さと犯行理由の理不尽さはそれまでに起きた少年犯罪を大きく凌駕して全国にショックを与えた。

その当時、中学生だった筆者はその衝撃を体感しており、犯人たちの鬼畜ぶりに怒りを爆発させたものだ。

本稿では、犯行を行った6人の人でなしたちを絶対超えてはならない一線を大きく踏み越えた悪魔たちとみなし、そのような所業を犯すにいたるまでの生育環境や境遇の劣悪さに関しては一切考慮しない。

そんなものが理由になったならば、誰だって殺人を犯してもいいはずだからだ。

たとえ若さゆえの過ちであったとしても、犯していい過ちでは決してなく、昔のことだからと忘れていいものでもない。

凶悪なカップル狩り

1980年代後半の日本では未成年による犯罪が激増、かつ凶悪化していた。

どんな時代でも一定数の若者がグレて悪さをするものだが、母数となる若者の絶対数が多くて少子高齢化が遠い未来の話だった時代なので、その数は令和の現代よりもはるかに多く、その悪質さにおいても令和に勝るとも劣らなかったのだ。

1988年2月23日の東海地方の地方紙『中日新聞』夕刊にも、そんな悪質極まりない未成年者によると思われる犯罪の発生が報道されていた。

同日深夜の名古屋市港区の金城ふ頭、車に乗ってデートに来ていたカップルが複数の不良少年少女に襲われて暴行され、金品を奪われたのだ。

金城ふ頭は、当時から夜景を楽しむデートスポットとして名古屋では有名であり、多くのカップルが車に乗ってデートしに来ていたのだが、彼らを狙った犯罪者もたびたび出現しており、この前年の9月には、こうしたカップル狩りを繰り返していた不良少年グループが検挙されていたが、捕食者がいなくなったわけではなかったのである。

報道によると同日2時30分ごろ、まず名古屋港82番岸壁上に車を停めてデートしていた専門学校生カップルが襲撃された。

カップルの乗る車をいきなり二台の車が挟み込むようにして停車、暴走族風の6人の少年少女たちが木刀片手に降りてきて「コラ!降りて来いて!」と車体を叩いたのだ。

身の危険を感じた専門学校生は車を発進させ、襲撃者たちの投げた木刀で、後部窓ガラスを割られながらも逃走。

不良たちの乗る二台の車も追いかけてきたが、このカップルは幸運にも、約5キロ先の港警察署小碓派出所に逃げ込んだために襲撃者たちの車は姿を消したが、彼らが感じた恐怖はかなりのものであったはずだ。

だが、次に襲われたカップルは不運だった。

逃げられなかったのだ。

最初の襲撃から一時間後の3時30分ごろ、最初の襲撃が行われた岸壁から約250 m離れた81番岸壁上に停車していたトヨタ車のカップルは、退路を絶たれて捕まってしまった。

犯人たちは、前回の失敗を繰り返さなかったのである。

フロントガラスを割られて乗っていた会社員の男性(25歳)は車外に引きずり出され、4人の不良に木刀や警棒で嫌というほど殴られたが、犯人たちは当時の不良が吸引していたシンナーの臭いをぷんぷんさせ、ラリっていたから余計歯止めが効かない。

男性は「死を覚悟した」と後に証言したほどの暴行を加えられて現金86000円を奪われた。

金城ふ頭で襲われたカップルの車

男性の彼女(19歳)も無事ではない。

一味の中の2名の不良少女に「てめえも降りろて!」と髪をつかまれて引きずり降ろされて「汚ったねえツラして泣くなて!よけいムカつくがや!!」「ブスのくせにええ服着とるな。似合わんだでウチらによこせや!!」と罵倒されながら、木刀で殴られ、足で蹴られ踏みつけられたのだ。

「やめてくださ…げぼっ!ごめんなさい!ごめんな…ぐえぇぇぇ!ううぅぅう~痛い痛い痛いよぉお…がっ!!いったあああああい!!!」

泣いても哀願しても、容赦ない暴行は止まらない。

自身も執拗な暴行を受けていた男性だったが、乱暴されて苦しむ彼女が目に入ったんだろう。

自分を囲む不良の輪から抜け出し、「もうやめろて!」と不良少女を突き飛ばして女性の体に覆いかぶさった。

身を挺して彼女を守るためだ。

「てめえ、オレの女にナニ手エ出しとるんだて!!」

「かっこつけると死ぬぞ!コラア!!」

彼女に手を出されて我慢ができないのは少年たちも同じで、自分たちが悪いにもかかわらず、男性への暴行はより激しくなる。

女性も腕時計とデートのために着てきた高価なトレーナーを奪われたうえに殴られ蹴られ続け、暴行は他の車のヘッドライトがこちらに近づいてくるのが見えるまで続き、車もめちゃくちゃに破壊された。

被害に遭った二人は報道では全治一週間の軽傷とされているが、それは実際に目の当たりにすれば、しばらく表を歩けないくらいひどい有様であり、文字通りボコボコにされていて、しばらく家から出てこなかったという。

何より心に大きな傷を負ったのは間違いなく、この二人は今でもその時の恐怖と苦痛を忘れてはいないはずだ。

2月23日時点での夕刊の報道では、この二件の卑劣なカップル狩りだけが報道されていたが、実は二件目の犯行の直後により重大な事件が起こされていたことは報じられていない。

その事件こそ、日本社会を震撼させることになる名古屋アベック殺人であるが、発覚するのはその二日後である。

そして、事件はこの日に進行中だった。

拉致された理容師カップル

金城ふ頭でのカップル狩り(当時はアベックという言い方がまだ一般的だったが)の事件のようにカップルを襲う事件は過去にも起こっていたが、今回の事件は木刀で車や乗っていたカップルを滅多打ちにするなど、以前のものと比べてその凶悪さが注目を浴びた。

しかし、世間に与えた衝撃は当初それほどでもなかった。

第一、それまでの事件でも今回の事件でも被害者たちは手ひどく暴行されて金品を奪われていても、命までは奪われていないからだ。

だが、二日後の2月25日の報道で、この事件の犯人が想像以上に悪質である可能性が浮上する。

金城ふ頭から少し離れた場所で、同じ犯人と思われる者たちによってより凶悪な第三のカップル襲撃事件が起こされ、被害者が拉致されたと思われることが報じられたのだ。

23日の夕刊にはまだ掲載されていなかったことだが、金城ふ頭のカップルたちが襲われた23日の午前8時半頃、10キロ離れた名古屋市緑区の県営大高緑地公園第一駐車場にフロントガラスやヘッドライトが割られ、車体がボコボコにへこんだトヨタのチェイサーが放置されているのを通行人が発見して緑署に通報。

同署の捜査で車内からは血痕が残っていることが分かり、車の外には血の付いたブラジャーや空になった財布、ハンドバックが散乱していた。

また、近所の住民から朝6時ごろ、何かを叩くような音と男女の怒鳴り声が聞こえたという証言もあり、何らかの犯罪が行われたのは明白である。

しかし、肝心の被害者については行方が分からず、拉致された可能性が早くも出ていた。

犯人が金城ふ頭でカップルを狩った者たちと同一犯と考えられたのは、車の窓ガラスを割るなど手口が似ていたことと、大高緑地公園までは車で20分もかからない距離であったこと。

そして、金城ふ頭で襲われた被害者の目撃証言で犯人グループは、白いクラウンと茶色のセドリック、もしくはグロリアに乗っており、放置されていたチェイサーのバンパーに別の車がぶつかった痕があって、そこに残った塗膜片を鑑識で調べたところ別の車のものであり、車は茶色のグロリアかセドリックと考えられるという結果が出ていたからだ。

被害者の身元判明

大高緑地公園で見つかった車

やがて、拉致されたと思われる男女は理容師の野村昭善(19歳)と同じ店で理容師見習いとして働く末松須弥代(20歳)と判明。

放置されていたチェイサーは須弥代の父親所有のものであり、22日の夜に仕事から帰ると「友達のところへ行く」と言ってからチェイサーに乗って出かけて行ったきり帰らず、翌24日に家族から捜索願が出されており、須弥代の彼氏である昭善も22日の夜以降行方が分からなくなって、同じく捜索願が出されていた。

襲われたのは、この二人である可能性しか考えられない。

2月25日、この大高緑地公園での事件を捜査する緑署は、金城ふ頭事件の犯人と同一犯と断定し、金城ふ頭事件を捜査する名古屋水上署と合同捜査本部を設置した。

カップルを襲撃してカツアゲすること自体が悪質極まりないが、なおかつ被害者を拉致して、その行方が分からないことから報道関係者も注目し、翌日以降も犯人の目撃情報やその正体を推定する記事などが中日新聞に掲載される。

そして、事件発生から二日も経っていたんだから、被害者の身内や関係者は居ても立っても居られなかっただろう。

だが、まさか生きていないことはないだろうと思われていた。

犯人は極めて悪辣な不良少年たちのようだが、いくら何でも何の落ち度もないカップルをさらって殺すなんてありえない。

昭善と須弥代が務めていた理容店は二人が生存していると信じ、身代金目的で誘拐されている可能性まで考えて現金まで用意していたくらいだ。

しかし、その「まさか」が起きていた。

二日後に一連の強盗事件の容疑で逮捕されることになる少年少女たちは、すでに両人を殺して埋めていたのだ。

続く

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1990年・ドラクエ Ⅳ 放火事件 ~ドラクエ熱で焼けた家~


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1986年(昭和61年)5月27日に第一作が発売されて以来、30年以上にわたり根強い人気のドラゴンクエストシリーズ。

発売されたばかりの数年、すなわち、ドラゴンクエストⅣまでのファミコン用ゲームソフトだった頃の人気ぶりはすさまじく、社会現象ですらあった。

そして、その人気の過熱ぶりから、さまざまな騒動も起こっていたという。

発売当日は販売店に長蛇の行列ができて、その日のうちに完売するだけならまだしも、平日で学校があるにもかかわらず、その行列に並ぶ小中学生が少なからず現れた。

さらには、ドラクエを買い求めた彼らを、その帰り道に襲って奪い取る不良少年まで現れるなど、ちょっとした社会問題になってもいたのである。

シリーズ四作目である『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』が発売された1990年(平成2年)2月11日、前回のような問題や混乱を避けるために発売日を日曜日とし、初日に130万本を用意したが、初日に長蛇の列ができて瞬く間に完売。

やっとの思いで買ったドラクエをカツアゲされる小中学生も案の定続出し、発売日には全国で60件近い被害が報告されている。

製作したメーカーのエニックス(現スクウェア・エニックス)にとってはドラクエ様様

で笑いが止まらなかったであろうが、カツアゲされた少年たちにとっては、ドラクエⅣのおかげでとんだ災難に遭ってしまったことであろう。

だが、このドラクエⅣのせいでカツアゲをはるかに超える犯罪に巻き込まれてしまった人もいた。

その人々は、ドラクエにはまったバカ息子によって自宅が燃えてしまったのだ。

バカ兄弟

ドラクエⅣがリリースされて間もない1990年2月14日午前11時ごろ、愛知県大府市森岡町の武田和之(仮名・51歳)宅の二階で、留守番をしていた武田家のバカ息子二人がケンカを始めた。

ケンカの原因は、ドラゴンクエストⅣ。

長男が買ってきたドラクエを次男が借りようとしたのだが、自身の部屋でドラクエをプレイ中であった長男が、断固拒否したからだ。

「何でやらしてくれんのだて!」

「俺がやっとるが!」

「ちょっとだけだて!ちょっとくらい、やらせてくれてもええがや!」

「おめえ、いっつもなかなか返さんがや!昨日かて、夜遅うまでやりよってよ!」

「すぐ返すて!おめえばっかやってセコイぞ!」

「俺が買ったんやぞ!俺のモンだに!!」

断っておくがこの二人、子供ではない。

ドラクエを貸そうとしない長男の武田亘(仮名)は20歳、借りようとしている次男の満(仮名)は19歳。

年甲斐もなくドラクエにハマるばかりか、それをめぐって兄弟げんかになるくらいなんだから、あまりデキのいい兄弟でないのは間違いない。

それが証拠に、20歳の満は無職のためにいつも家でブラブラし、次男の満は働いていたがこの日は仕事をさぼって家にいた。

ヒマ人は、ろくなことを考えない。

何が何でもドラクエをやりたい弟と、断固貸す気のない兄のレベルの低い口論は延々続いたが、やがて頭に血が上った弟の満は階下に降りて行った。

あきらめたのではない、わからずやの兄貴に思い知らせてやろうとしたのだ。

満が向かったのは台所。

普通のバカなら包丁を手にして兄貴を刺しただろうが、こいつは普通のバカではない。

二階に上がって来た満の手には、油をしみこませたティッシュを巻き付けたフォークが握られており、亘の部屋に入ってそのフォークに火を点けて、部屋にあった布団に放り投げた。

腹いせに兄貴の部屋を燃やしてやろうというのだ。

だが、そんなことをしたら、一つ屋根の下の部屋に火をつけたら自分の部屋も含めて家が全焼する可能性があるのが分からないのだろうか?

こいつは、バカというレベルではない。

そして亘の方も、相当なものであった。

自分の部屋の布団に火がつけられ、煙を上げているというのに再び食ってかかってきた弟と、「貸せ」「貸さない」の不毛な押し問答を再開したのだ。

その間にも布団の火は燃えあがっていたのだが、機能が劣悪な頭に血をのぼらせて同じく熱くなっている二人はおかまいなし。

バカ二人がようやく兄弟げんかしている場合じゃないと悟った時には、火が手の施しようがないほど広がって周りは煙だらけ。

この時になって、ようやく身の危険を感じた二人は階下に逃げて無事だったが、結局、火は亘の部屋どころか満の部屋にも燃え広がり、二階部分を全焼させるほどの火事になってしまった。

ドラクエ無罪

信じられないことだが、満も本当は兄貴の亘にだけ仕返しするつもりで火を点け、ここまでの火事になるとは思っていなかったようである。

その日のうちに、放火の現行犯で愛知県東海署に逮捕された満は「ついカッとなって」と供述していたが、ついカッとなっても、ここまでのレベルのことをするバカはそうそういない。

そんな稀代のバカの満の人となりについて、近所の住民によると、「短気なところはあったがおとなしい人」と、要するに普段はおとなしいが、キレたら何をするか分からない男という印象ではあったようだ。

また、育ての親である武田夫妻も自分の子供の出来の悪さが分からなかったようで、車もバイクも自分の給料で買っていることを理由に「いい息子だ」と自慢していたらしい。

どうりで、こんな息子たちが育つわけである。

ドラクエ発売日の騒動が問題視されていた当時の新聞報道では「ドラクエ騒動ついに放火」とされ、一部の識者は紙上で「人間関係より孤独な世界を求める若者が増え…現実的努力を避ける傾向にあるのでは」として、この事件を加熱しているブームを反省する機会とすべしとの意見を述べている。

だが、ドラクエに罪はないであろう。

いつの時代にも、救いようのないバカというものはいるものであり、間違いなく、この事件はそれに該当する者によって引き起こされたに過ぎないわけで、ドラクエの問題でも社会の問題でもなかったはずだ。

出典元―毎日新聞、中日新聞

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サンバのリズムにキレた男 2016年・杉並サンバ祭り会場火炎瓶事件


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2016年(平成28年)8月7日、東京都杉並区久我山の富士見ヶ丘商店街では、毎年恒例の『富士見ヶ丘七夕踊り流し』の第二日目を迎えていた。

この祭りは、毎年8月のこの時期に二日間にわたって行われ、富士見ヶ丘商店街の通りを南から北へ、北から南へと阿波踊りやソーラン節などの踊り子たちが踊り流すものである。

そこへ数年以上前からサンバが加わり、いつしかそれが目玉となった『富士見ヶ丘七夕踊り流し』は「サンバ祭り」の通称で呼ばれるようになっていた。

そしてこの日の夕方からは、その目玉であるサンバのパレードが行われる。

通りには数多くの家族連れなどの見物人が集まり、お目当ての太鼓や笛の音を響かせて練り歩くサンバ隊を見物していた。

夜7時半ころには祭りは最高潮を迎え、真夏の夜の開放的な空気も手伝ってか見物人たちの中にも行列の後ろをつけたり、陽気なリズムに合わせて手拍子したり踊り出したりするお調子者も出現するほど盛り上がる。

このように、富士見ヶ丘商店街を楽しい雰囲気に包んだサンバ隊と見物人の列がある三階建ての建物の近くに来た直後、その場を凍り付かせる事態が発生した。

頭上から火炎瓶

ガン!!

何かがビルから落ちてきたような音が響いたが、サンバの騒々しさもあって、気づいた人は最初あまりいなかった。

物体が落ちてきた近くにいた見物人のみが気づいており、その人物によると、それはビンとスプレー缶をくっつけたような代物だったという。

二発目の物体が落ちてきた時には、さすがに多くの人が気づいて「何だ何だ」と騒ぎが起こり始めたとたん、三発目が降って来た。

そして、今度は誰しもが気づくことになる。

その物体は地面に落ちて割れるや、高さ2メートルほどの大きな火炎を上げたのだ。

火炎瓶だ!

一部の人の足や髪の毛に火が付いて転げまわり、その場は一気に騒然となる。

もうサンバどころじゃない。

落ちてきた方向を見上げると、三階建ての建物の三階のベランダに上半身裸の初老の男。

手に瓶のようなものを持ち、遠目からもわかるような敵意に満ちた目つきで仁王立ちしている。

男はさらに四発目、五発目を見物人たちが逃げ散った道路へ向けて投げたために火炎が立て続けに上がった。

男はいつの間にか部屋の中に引っ込んだが、今度はそこからも火災が発生。

楽しいサンバ祭りは、悲鳴と怒号がこだまする修羅場と化した。

やがて、消防や警察が駆け付けて路上の炎や建物三階の火災は消し止められたが、火傷や瓶の破片の切り傷などで子供を含む15人もの男女が負傷。

とはいえ、誰も命に別状はない軽傷だったのは不幸中の幸いであったと言えよう。

一方、この騒動を起こした張本人の男は、火炎瓶を投げた建物の内部で首を吊った姿で発見され、病院に運ばれたが翌日死亡した。

サンバ嫌いの主張

その後の警察の捜査で死亡した犯人は、橋川秀雄(仮名)という68歳の男であることが判明。

さらに。橋川の住んでいた部屋からは、今回の事件で使われたガスボンベと瓶が合体した手作りの火炎瓶が複数個発見される。

どうやら、液体の炎でボンベまで破裂させて威力を倍増させることを狙っていたようだ。

また、火炎瓶の他にボウガンまで発見されている。

犯人の橋川は、かつて富士見ヶ丘商店街で酒屋を経営していたが店をたたんで久しく、前年には妻を亡くした独り身。

近所づきあいもあまりなく、孤独な生活を送っていた。

生きる目的を失った結果、心身のバランスを崩して犯罪を犯す高齢者にありがちなパターンである。

橋川がサンバ隊を攻撃した本当の動機は、本人が地獄に行ってしまったので分からないが、相当サンバが嫌いだったことは確かなようだ。

ごく限られた彼の知人によると「祭りがやかましい」と何年も前からこぼしており、それは特にサンバ指していたのは間違いないだろう。

生きる意味を失って孤独をこじらせるあまり、大嫌いな音楽を演奏したり踊ったりしている者だけじゃなく、楽しそうにしている者にも虫唾が走るようになっていたのも一因かもしれない。

全人類皆サンバが好きなわけではない。

耳障りな騒音としか感じない人もいるはずではないだろうか。

本ブログの筆者もそう思っている。

徳島県の阿波踊り歌の出だしには「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」なる言葉があるが、サンバに関してはどちらも救いようのない阿呆であるが、間違っても「踊る阿呆」の方になることはないという認識である。

近所で毎年サンバ祭りが開かれるようになったら引っ越しを検討するか、その日は外出して祭りが終わるまで帰宅しないだろう。

だからと言って、火炎瓶まで投げたのはやりすぎだ。

橋川の心情は理解できても、行動は支持できない。

子供まで怪我させたのだから、橋川は晩節を凶悪犯罪で大いに汚してしまったことになる。

橋川も三階からサンバ隊に向けて火炎瓶ではなく放尿くらいだったら、全国のサンバ嫌いの同情と喝采を浴びたであろう。

出典元―女子SPA!、ハフポスト、Yahoo!ニュース、

産経ニュース

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封じられた秘密 ~少年の過ちとその償い~


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橋本健一は、今年26歳になった。

だが、心はO市立北中学校三年七組の生徒のままだ。

彼は三年生の夏休み前に登校拒否になり、そのまま十年以上ニート生活を送って来た。

登校拒否の原因はいじめ。

いじめを受けるようになったきっかけは、当時のクラスメイトの前田瞳が大いに関係している。

中学校時代の橋本の片思いの相手だ。

だが、橋本は瞳を恨んではいない。

むしろ、悪いことをしたと今でも悔やんでいる。

クラスの人間ばかりか、他のクラスの者からも二度と学校へ行く気がなくなったほどのいじめを受けたことは確かだが、やられても仕方がないことをしてしまった。

それは、魔がさしたとしても許されざることだったと反省している。

思えば11年前の5月10日木曜日三時間目の英語の授業。

「体調が悪い」と教師に告げて教室を出て行った瞳を見た当時の橋本は、トイレに行ったのだと確信。

日頃から瞳の入浴や排泄を想像してはオナニーをしていた橋本は、のぞきたいという衝動を抑えきれない余り実行に移してしまった。

彼女が出て行った直後に、自分も「気分が悪い」とか言って教室を出て、予想通り女子トイレに入って行く瞳の後ろ姿を遠目から確認すると橋本も間を置いて女子トイレに入り、彼女が入ったに違いない個室の隣の個室の壁と床の隙間から、片思いの相手の排便を拝む。

まず目に入ったのは丸い尻。

二つに分かれた何の変哲もない尻だが、あの瞳の尻も二つに割れていることに、妙な安心感と感慨を感じて拝見していたのもつかの間。

その直後、圧巻のスペクタクルが始まる。

ぶぶっ、ぶうぅうう~、ぶりっぶりぶりぶり…ぶり!

音消しの水を流していたにも関わらず、丸い尻から大音響の屁が響いた直後に盛大にひり出される糞、ほどなくして漂ってきた鼻が曲がりそうな糞臭に、橋本の思春期の股間は決壊。

ズボンとパンツをはいたまま盛大に射精した。

その情景は目に焼き付いて離れず、悪いことをしたと思いつつも、26歳になった今でも橋本の重要なズリネタになり続けているくらいだ。

このまま教室に無事戻っていれば完全犯罪、いや、思春期の後ろめたくも素晴らしい思い出で済んでいたことだろう。

だが、こののぞきが、その後に続く大きな代償を払うことにつながってしまったのは、瞳がケツを拭いている間に女子トイレから脱出しようとしたところを、校内巡回中の体育教師に見つかってしまったからだ。

その体育教師も気のきかない奴で「お前のぞいてただろう!」とその場において大声で問い詰めるものだから、その後、トイレから出てきた瞳に自分の脱糞がのぞかれていたことと、その犯人が橋本であることを気づかせてしまった。

その場で泣き崩れた瞳は、ショックのあまり、その日以来しばらく学校に来なくなってしまったみたいだ。

「みたいだ」というのは、それから一か月くらい後に、橋本も学校に行けなくなったからである。

トイレをのぞいたことでその日の放課後、体育教師や橋本の担任教師、生徒指導の教師にこっぴどく叱られて親にまで知らされて、家でも怒られる羽目になったが、これは大したことではなかった。

教師たちは、生徒に知られないようにしてくれていたみたいだが、泣きながら教室に戻って行った瞳が、仲のいい友達に打ち明けたのが伝わってしまったらしい。

橋本のやったことは、次の日には三年七組の生徒たちに知られており、ここから本物の地獄が始まる。

まず始まったのはシカトだった。

それまで仲の良かった者まで、橋本が話しかけても露骨に無視するし、女子生徒などは性犯罪者を見る目つきで敵意のこもった視線を向けてくる。

さらに、学校の不良グループに体育館の裏に呼び出されて殴られた。

橋本を殴った不良は。学年一の美少女の瞳に気があったらしく、正義の鉄拳とばかりに張り切って「変態野郎!」とか「のぞき魔」とか罵声を浴びせつつタコ殴りにしてきた。

クラスの者たちも、それを機に積極的に攻撃してくるようになり、机に花は置かれるわ教科書は破かれるわ、男子にはいきなり小突かれ蹴られるようになり、女子には集団でズボンとパンツを脱がされる屈辱を味わわされるなど、正真正銘のいじめに遭うようになる。

それまで、和気あいあいとした居心地のいいクラスだったので、この豹変ぶりに橋本は愕然とした。

始めから一体感があって団結した雰囲気があったが、こういう場合はより団結するようだ。

橋本ののぞきは、クラスを超えて伝わっていたらしく休み時間に廊下に出ると、他のクラスの連中から「性犯罪者!」と罵声が飛んだり、モノが投げつけられたし、橋本をボコった不良も出くわすたびにパンチをくらわせて「テメー登校拒否するか自殺しろよ」とまで脅してきたから、クラス八分どころか学年八分になっていた。

担任に訴えても「お前が招いたことじゃないか」と言って聞いてくれやしない。

どころか、のぞきをやった一件について、高校受験で重要になる内申書に書かざるをえないことまで宣告してきた。

もう限界だ、そして終わりだ。

高校受験を控えた学年だったが、橋本は夏休みになるのを待たずに学校に行かなくなった。

二学期になっても三学期になっても行かなかった。

卒業式にも出なかった。

もちろん高校受験をすることはなく、橋本の両親は登校拒否した当初やそれからの数年は、死に物狂いで息子を社会復帰させようとしたが、とっくにあきらめたのか、何年も前から今後について何も言ってこなくなっている。

よって26歳の今になっても、ズルズルとニート生活を送ってきた。

いじめは、たしかにつらかった。

あれ以来、学校に行くのが怖くなってしまった。

でも、いじめを招いたのは、のぞきをやった自分であるのは間違いない。

思春期真っただ中だった瞳は一番恥ずかしい姿を見られて、深く傷ついたはずだ。

もう11年たったけど、現在の彼女はどう思っているんだろう?

願わくば、会って謝りたい。

そう思いつつも、例のごとく11年前の瞳の排便を脳内でリプレイしてのオナニーを自宅のトイレで済ませた橋本は、ため息をついた。

11年間考えてきたのは、そればかりである。

トイレから出てゲームでもしようと自分の部屋に戻る前、玄関からサンダルを履いて外に出て郵便受けをのぞいた。

両親は共働きで家にいないので日中は橋本一人なのだが、郵便受けから郵便物をとってくるのが、彼のこの家での唯一の仕事となっていたのである。

郵便物はほぼ父か母宛で、橋本宛のものはほとんど何か商品やサービスを宣伝するダイレクトメールだったのだが、この日は違った。

数枚あった郵便物中に往復はがきがあり、その文面を見て橋本はハッとなる。

それは「O市立北中学校三年七組平成24年度卒業生同窓会」のお知らせだったのだ。

忘れもしない一学期に満たない期間しかいなかったあの三年七組のことだ。

そこには季節のあいさつに続いて、会場の居酒屋の場所や受付・開宴時間などの案内があったのだが、その横の返事の送り先を見た橋本は、何年も感じたことのなかったうれしい驚きを感じざるを得なかった。

この十年以上の間、何度この三文字の人名が頭に浮かんだことだろう。

何度会って謝りたいと思ったことだろう。

でも許してくれなかったら、と思うとこちらから連絡をすることができなかった。

学校へ行かなくなってから同級生の誰とも連絡をとっていなかったから、瞳がその後どうなっているかは分からなかったが、こうして同窓会の連絡窓口になっているのだから、学校に復帰して無事卒業したようだ。

そして、同窓会に招いてくれている以上、自分のことを許してくれているのではないだろうか。

あの過ちは人生における一番大きな忘れ物だったが、その忘れ物が向こうから帰って来たような気分である。

今度こそ、あの時のことを正式に謝ろう。

そうすれば、このニート生活も終わりにして、やり直すことができそうな気がした。

同窓会の会場は市内だし、いつもヒマだから、何日の何時だって行ける。

こんなにうれしいことは、あの中学三年生の五月以来全くない。

もちろん参加するつもりだ。

橋本は、喜び勇んで出席の返事を書こうと往復はがきを裏返す。

そして返信面を見た結果、今の瞳が橋本のことをどう思っているかを大いに悟ることになる。

瞳は橋本を許していなかった。

「様」と「ご出席」の部分を塗りつぶし、「ご欠席」に〇が幾重も書かれている所に、女の恨みの深さを感じる。

同窓会のお知らせを出さないだけならともかく、わざわざ同窓会への出席を断固拒絶する意思表示を示してきたのだ。

橋本は完全に打ちのめされた。

それはもう何もする気は起きず、社会復帰どころか生きる気力すら失われたような気がしたほどだった。

ちょうど同じころ、同じく26歳になっていた瞳は、勤務先で仕事中にもかかわらず我ながら陰険極まりない往復はがきを憎っくき相手に出し、それを見たあの変態野郎がどんな顔をしているか想像しながら邪悪な笑みをこぼしていた。

下痢便しているところをのぞかれた屈辱は、あと三十年くらいたっても忘れられそうにない。

高校大学と順調に進学して卒業した後、IT企業に勤めているが、中学三年以来ずっと今のように仕事の最中であっても時々思い出してしまい気分が悪くなる。

橋本の野郎は、一年の時から自分をチラチラ見てきやがったキモい奴だ。

三年で同じクラスになってしまい、しかも隣の席にされてしまった。

恐る恐る話しかけてきたから、その勇気に免じて嫌々口をきいてやったのに、あんなことしやがって!

当時はシ、ョックのあまり学校に一時期行けなくなり、心配する同級生からの電話やメールに対して「橋本の顔は一生見たくない」と返答し続けていたら、クラスのみんなばかりか、不良グループまでもが一丸となって橋本を追い出してくれた。

学校に復帰できたのは彼らのおかげだ。

だが、あれによって自分の人生は狂わされたと思っている。

二度と和式トイレに入れなくなったし、橋本を恨み続けた結果なのか顔立ちも陰湿なものになってしまったらしい。

高校・大学でも中学校時代ほど、ちやほやされなくなった。

就職活動でも悪い印象を持たれたようで、希望していた仕事に就けず、ようやく入れたのは今働いているブラック企業。

パワハラと激務のストレスで甘いものを爆食したおかげで体重は70㎏に迫る勢いだし、彼氏もできやしない。

全部橋本のせいだ。

今回中学の同窓会の連絡係になったことを機に、何年も温めていた嫌がらせをしてやったが、こんなもんじゃ済まさない。

そう思っていた最中、さらに陰険で破滅的な第二段の報復が頭に浮かんだ瞳は、26歳という年齢にしては老けて丸くなった顔を醜くゆがませてニヤリと笑った。

今度こそとどめを刺してやる!

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2024年 ならず者 世田谷区 事件 悲劇 昭和 本当のこと 東京

裏切りの果てに ~青学生殺人事件・1994年の記録~


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東京都世田谷区野毛の閑静な住宅地の中に、あるワンルームマンションが存在する。

1990年代初頭に建てられた二階建てのこじんまりとしたそのマンションは、最寄りの駅から徒歩9分、コンビニや郵便局にも近くて家賃も5万円台とリーズナブル。

都内でありながら落ち着いた生活ができ、大学生が住むにはうってつけの環境だ。

だが、このマンションが建ってほどない頃の今からちょうど30年前、二階の203号室で凄惨な殺人事件が起きていた。

殺されたのは、卒業を目前に控えた大学生。

夢をかなえるために羽ばたこうとしていた矢先の無念の死であった。

非の打ちどころのない好青年

1994年(平成6年)2月15日の夜まで、このマンションの203号室は、まだ瑕疵物件になっていなかった。

この日まで同203号室に住んでいたのは、青山学院大学4年生の学生、和歌山県出身の松本浩二(23歳)。

松本は、このこじゃれたワンルームマンションの住民にふさわしい好青年だった。

高校時代は、短距離の選手で近畿大会に出たほどの実力の持ち主で、青山学院大学入学後は一転してヨット部に入ったが、運動神経抜群の彼はそこでも実力を発揮。

3年生の時には、全国で3位に入ったほどのスポーツマンだ。

だからと言って松本は体育バカではなく、学業もおろそかにしていなかったし、性格もさわやかなナイスガイだった。

進路を決める4年生になると、エアライン・パイロット養成のための公的機関である航空大学校を受験し、競争率7~10倍の壁を突破して見事合格。

4月からは、同大学校で国際線パイロットになるための訓練が始まる。

それは、彼の長年の夢だったのだ。

来月に大学の卒業式を終えた後、その夢の実現に向けた第一歩を踏み出すことになる彼は、幸福の絶頂だったことだろう。

航空大学校は遠く宮崎県にあり、4月までには引っ越さなければならないが、非常に実り多き四年間の大学生活を送った東京を離れるのは名残惜しいものだ。

実家の母親からは、帰ってきたらどうかと電話で言われていたが、松本は残り少ない東京での暮らしをかみしめながら過ごすつもりだった。

だが、後に母親はなぜもっと強い調子で「帰って来い」と言わなかったのかと悔やみ続けることになる。

なぜなら、この日は息子の夢ばかりか、命までもが永遠に絶たれる日となるからだ。

ちょうどこの時、松本の住む部屋の隣室に、その災いをもたらすことになる悪魔たちが、邪悪な企みを実行に移そうとしていたことを、彼はまだ知る由もなかった。

ドブネズミカップル

出水智秀

松本が自宅の203号室でくつろいでいた頃、隣の205号室には、出水智秀(20歳)と飯田正美(20歳)という男女がいた。

二人とも、20歳だが学生ではない。

荒廃した家庭で育った出水は、少年期に当然の権利のごとくグレて窃盗や傷害で少年院に入ったこともあるケチな悪党。

飯田は昨年二月に少年院を出たばかりの出水に、名古屋の繁華街でナンパされて以来付き合うようになったのだが、手っ取り早く金を得ようと日本各地を転々としながら、車上荒らしや盗みなどを40件も繰り返してきたクズカップルだ。

松本と違って、両人ともこのこぎれいなマンションに住まうにふさわしい品性が全くない風貌であり、その前に、この205号室の住民ですらない。

この205号室の本来の住人は、宮崎県出身の大学生、名尾満男(仮名・20歳)であったが、2月6日に帰省して不在であった。

いや、逃げ帰ったと言った方が正解だ。

彼は中学時代に飯田と付き合っていた時期があり、その縁で前年の1993年(平成5年)7月に飯田が出水と一緒に自分の住む205号室を訪ねてきたことがあった。

思春期の淡い思い出がよみがえって飯田との会話が弾んだところ、一緒に来て背後に控えていた出水に「オレの女にナニ慣れ慣れしゅうしとんのや」と因縁をつけられ、それから二度にわたって金を脅し取られていたのだ。

要するに、美人局をかまされていた。

出水たちは、窃盗よりそちらの方が金になると考えたらしい。

今回、実家に逃げ帰ったのは春休みということもあるが、先々週に出水から電話がかかってきて「また近いうち行くから金用意して待っとれや!」と、脅迫されて怖くなったからである。

やがて、出水と飯田は名尾から三度目の恐喝をしようと2月11日に205号室へやって来たが、留守で鍵がかかっていたため、ベランダ伝いに侵入して勝手に生活し始めた。

名尾が帰ってくるのを待つためだ。

その間、無一文のまま来ていた二人は部屋内を物色して見つけた現金を使って生活費としていたのだが、コンビニで買った弁当の空き箱やゴミは散らかしっぱなし、セックスをしては床や布団を汚染するなど、数日間他人の部屋でやりたい放題してきた。

ドブネズミかゴキブリのような奴らである。

見つけた現金を使い果たすと、今度は部屋にあったテレビを質に入れようと質屋に電話したが、学生証と印鑑が必要だと言われて断念していた。

この2月15日夜には、彼らの所持金は数百円を下回るほどになっており、かなり追い詰められた状態に陥る。

衝動的で短絡的な出水は「ここにいても金にならないし、死ぬしかない」などと悲観して、前々日と前日には、この部屋で飯田と心中しようとすらしていたが、その覚悟が足りず死にきれなかった。

部屋の主の名尾や大家には悪いが、こいつらが、この時にめでたく死んでくれていれば事件は起きなかったのだ。

死ぬこともできず八方ふさがりとなった出水だったが、生きるための行動を思いつく。

生まれつき頭が悪くて、困ったら平気で盗みをする男の考えることだから、もちろん犯罪である。

それは、このこぎれいなマンションの住民を襲って金を奪う強盗である。

標的は、隣室203号室の住民、松本浩二だ。

出水は昨年、名尾を恐喝しにここを訪れた際に松本を見ており、顔を覚えていた。

何となく、自分とは違って育ちのいい感じの奴だと記憶しており、金を持っているに違いないと考えたらしい。

肝心の実行計画だったが、彼氏同様お世辞にも利口とは言えない飯田と即興で考えたものらしく、ずさんそのもの。

事件後の捜査で、この部屋から「犯行計画」が書かれたルーズリーフが見つかっており、そこには「計画、隣に侵入する、人がいた場合」とだけ記され、その後は白紙だった。

つまり、思い付きの域を出ず、その後のことや他のこまごまとしたことは「やってしまってから」と考えていた可能性が高い。

こうして、行き当たりばったりで、おぞましい惨劇の幕が切って降ろされることになったのだ。

異常な凶行

飯田正美

今まさに強盗の片棒を担ごうとしている飯田正美は、出水同様に問題のある家庭環境で育ったとはいえ、前年の1993年まで昼は紡績工場で働きながら、保育士を目指して夜間の短大に通うなどまっとうな生き方をしていた。

だが、出水と出会ってから人生が変わってしまったようだ。

流されるままに窃盗を繰り返しながら、一緒に各地を転々とする生活を送るようになったのである。

出水が真面目に働かずに、悪さばかりすることに嫌気がさして別れようとしたこともあったが、結局よりを戻した。

互いに魅かれ合うものがあったので、このクズ男と一緒に行動し続けたのである。

優柔不断で自己主張ができない弱い性格だったとも考えられるが、ここまで出水に付き従って協力している以上、共犯者というそしりは免れ得ないであろう。

犯行は、飯田が203号室のチャイムを鳴らして、中の松本を呼び出すことから始まった。

「隣の部屋の者ですが、ちょっと換気扇の調子がおかしいんですけど、見ていただけませんか?」

夜中にもかかわらず対応した松本は、困った顔した飯田にそう言われて、何の疑いもなく205号室に向かってしまった。

隣に住んでいるのは、名尾という男子大学生であることは松本にも分かっていたはずだが、前述のとおり昨年7月に出水と飯田が名尾宅を訪れた際に顔を合わせており、特に話をした仲ではなくてもお互いに顔を知っていたのだ。

だから名尾の部屋に飯田がいても、以前に見た顔だから知り合いが来ているのだと判断したようである。

だが、もし松本が名尾とよく口をきく仲だったら、彼が出水から脅されていたことや、隣の部屋で起きている異常事態に気づいて警戒したかもしれない。

隣の部屋の中では出水が台所にあった果物ナイフを持って控え、そうとは知らずに入ってくるターゲットを待ち構える。

出水は威勢がいい男ではあったが、暴力を専門とする武闘派の悪党ではなかったからかなり緊張していたらしい。

やがて、松本が部屋に入って来るや、じっとりと汗ばんだ手で握るナイフを突きつけて上ずった声と引きつった顔で、松本を脅した。

「オラ!大人なしゅうせいや!殺てもうたろか!おおん!?」

一方の松本もスポーツマンとはいえ荒事には慣れておらず、元々品のない顔を余計ひきつらせて、刃物片手にわめく出水を前にして声を失う。

その間に、飯田は松本の後ろに回り込み、部屋にあったビニールひもで後ろ手に縛りあげた。

完全にターゲットの制圧に成功した出水と飯田は、縛られた松本を彼の部屋である203号室に引っ立て、そこで足も縛った。

完全に身動きできず恐怖に震える松本は、飯田にナイフを突きつけられ、出水は部屋内を物色して金品を探る。

その一方で、出水は部屋内でタバコを吸ったりテレビゲームをしたりもしていたので、松本にとって生きた心地がしない時間はかなり長かったようだ。

やがて、航空大学校合格を祝って東京在住の母方の伯母がくれたお祝い金5万円の他に、現金3000円とキャッシュカードが見つかって出水に奪われ、暗証番号も吐かされた。

それでも満足できない出水は「もうないんか?殺てまうぞ!」と、さらに金品を要求。

また、「殺す」というチンピラらしい脅し文句も何度か使っているうちに、本当にやる気になってきたとみられる。

これまでの行動から考えて、こいつは行き当たりばったりな性格であったはずだから、感情のおもむくままに犯罪行為をエスカレートさせる傾向があったとみて間違いないだろう。

「金ないんやったらもう用なしや。どっちみち殺るつもりやったけどな」

「ツレに貸した金と、あとあと、サラ金からも借りてくるから!」

「たった5万円で殺さないでくれよ!」

「黙ってるから!警察には絶対言わないからさ!」

死の恐怖を存分に感じ続けていた松本は、出水の雰囲気から自分を今にも殺そうとしていることに気づき、泣いて命乞いをした。

難関の航空大学校に受かって、これからパイロットへの道が開けようとしているのに、死ぬなんて絶対にごめんだ。

だが、この必死の懇願は出水のような社会のゴミには逆効果であったようで、加虐の炎を余計にたぎらせる結果となる。

「死ぬ前に気持ちええことさせたるわ。冥途の土産にせい」

いたぶるようにそう言い放つや「正美、コイツにまたがってイカしたれや」と、飯田に松本と性交するように命じたのだ。

「いや!絶対にいや!!」

飯田は当然拒んだが、結局いつもどおり強引な出水の言いなりになる。

服を脱いで縛られたままの松本の下半身からズボンとパンツをおろしてまたがり、性交を始めたのだ。

飯田は20歳とはいえ性的魅力に乏しい小汚い女だったが、23歳の男の体は正直であった。

松本は気持ちよさそうな顔をするようになり、飯田も反応して体をのけぞらせる。

これを見ていた出水は、だんだん腹が立ってきた。

命じたこととはいえ、自分の女が他の男とヤッて感じているのを実際見ていると面白くないのだ。

「もうええわ!やめいや!!」

飯田を松本から引き離すと代わりに自分が飯田の中に入って絶頂に達し、行為を強制終了させた。

「さて、もうそろそろ死ねや!」

自分がさせたとはいえ、自分の女とヤッた奴なら、何のためらいもなく殺せる。

この異常な3Pの狙いは、そこだったのではないだろうか?

しかし、いざ殺そうとした時に手足を縛っていたビニールひもが緩んで手足が若干動くようになっていた松本が、窓側に転がって立ち上がり、外に向かって大声で叫んだ。

「あああああ!!殺されるうううう!!」

この大声は近所の住民にも聞こえていたことが、後に分かっているが、間に合わなかった。

直後に出水に羽交い絞めにされて、刃物で背中を刺されたからだ。

飯田は前から腹を刺し、二人は胸、頭、首を刺し、切る。

血だらけになって崩れ落ちた松本は、さらに首に電気コードを巻き付けられ、とどめとばかりにしめ続けられて絶命した。

夢の実現に手が届くところで、しかも23年という短い生涯を絶たれる無念はいかほどのものであろうか。

松本が出水と飯田に向けた最後の言葉は「恨んでやる…」だったという。

何の落ち度もない有為な青年を殺した出水と飯田は205号室に戻って、返り血を浴びた衣類や血を拭いたタオルなどを放置し、無神経にも16日の早朝まで寝た後マンションから姿を消した。

底なしの厚かましさと愚かさ

松本の断末魔の悲鳴が近所中に響き渡ったにもかかわらず、住民たちは、誰も通報しなかったらしい。

犯行が発覚したのは、何と二日も後の2月18日午前10時半ごろだった。

それは、和歌山県の松本浩二の母が「16日から浩二が電話に出ない」と心配して東京在住の姉、すなわち松本の伯母に様子を見に行ってくれるように依頼したことによる。

この伯母とは、出水に奪われた航空大学校への入学祝い金5万円を送った人物だ。

203号室を訪れた伯母は、部屋に鍵がかかって応答がないことから不動産会社から合鍵を借りて入り、そこで変わり果てた姿となった甥を発見したのだった。

半狂乱になった伯母の通報で駆け付けた警察による捜査が始まったが、すぐに出水智秀と飯田正美が捜査線上に浮かぶ。

勝手に生活していた205号室まで血の足跡が残り、その室内からは、血の付いたタオルなどの物証が出てきたし、同じマンションに住む学生が不審な男女を見たという証言もあった。

何より、宮崎に逃げていた本来の205号室住民である名尾の口から出水と飯田のことが語られたからである。

捜査本部が置かれた警視庁玉川署は、さっそく二人を重要参考人として手配した。

一方の出水と飯田は、犯行現場を離れた後、静岡県熱海市へ逃亡。

同市内の銀行で松本から奪ったキャッシュカードで現金1万円を引き出したりして当初はホテルにも宿泊したが、パチンコで使い果たすなどして、瞬く間に懐が寂しくなっていた。

すると、雨露をしのぐために、熱海市伊豆山にある企業の別荘に入り込んで潜伏する。

またも無断での侵入であることは言うまでもない。

その逃亡中に自分たちに捜査の手が及んでいることを、テレビで知った。

すでに、青山学院大生が自宅マンションで殺されたことが報じられており、容疑者と疑われている男女が自分たちとしか思えないことが彼らにも分かったのだ。

22日午後四時、所持金も数十円しかなく、もう逃げきれないと観念した出水が決意したのは、またしても勝手に入り込んだ場所で心中することだった。

ここまで他人に平気で迷惑をかけることができる奴らも珍しい。

二人は、別荘内の押し入れに入ってガスコンロを持ち込み、今度こそ覚悟を決めてガス心中を図った。

そして、今度もやっぱり死ねなかった。

ここで出水が信じられないくらいマヌケなことをやらかしたからである。

最後の一服を吸おうと、ガスが充満する中でタバコに火をつけたのだ。

当然爆発が起こり、火元だった出水は大やけどを負ってのたうち回った。

一方の飯田は軽傷であり、苦しむ彼氏を見かねた彼女は、夜になって119番通報。

やって来た救急車で病院へ運ばれたが、二人ともこの別荘の所有者ではないことは誰の目にも見え見えだったために、熱海署に住居侵入の容疑で逮捕されてしまった。

警察にいったん捕まった以上、今度こそ年貢の納め時である。

その日のうちに、青山学院大生殺人の重要参考人であることが判明し、翌23日には捜査本部のある玉川署に移送された結果、両人ともあっさり容疑を認めて強盗殺人容疑で逮捕された。

とことんまでクズな犯人たち

前途有望な青年の命を理不尽に奪った出水は、とことんまでゴミだった。

大やけどを負った出水は、包帯を巻かれ車いすに乗せられて玉川署に移送される際、集まって来たテレビ局などの報道陣を睨みつけて「勝手に撮んなや!ボケェ!!」などと威嚇。

取り調べにおいて容疑をあっさり認めつつも、態度は投げやりであり、被害者についてどう思っているかを聞かれると「知らんわ!」と吐き捨てた。

接見した弁護士が「謝罪する態度がないと罪が重くなる」と言っても、何ら反省の弁を述べなかったという。

移送される出水

3月5日に出水と飯田は住居侵入、窃盗、強盗殺人で起訴され、5月9日から第一回目の公判が始まったが、ここでも出水は、反省の態度を一切見せていない。

「松本さんの件については、何とも思ってません。全然関係のない人ですから、かわいそうだとは思わないです。そんなこと思うなら、殺したりしません」と平然と言い放ったと公判記録にはある。

また、貧乏ゆすりをしたりため息をついたり、早く終わらないかという態度が見え見えだった。

「もう、どうなっても知るもんか」と自暴自棄だったのかもしれない。

9月5日、東京地検での判決公判で「冷酷、反省ない」として、出水には無期懲役の刑が言い渡されたが、ここでも態度は変わらなかった。

退廷する際、腹いせに壁を蹴って出て行ったのだ。

出水は、犯した犯行も残酷で反省の態度も最後まで見せていないし、獄中でも問題行動を起こすなどしていたため、おそらく一生出てくることはないであろう。

一方の飯田は、真摯な悔恨の情を示しており、公判中に出水の子供を妊娠していることが判明する。

それについて「中絶すれば、おなかの子供を殺すことになります。私は二度も殺人を犯したくない」と言って生むことを表明し、出水との婚姻届けまで出すと発言。

「遺族の方には申し訳ありませんが」と断ってはいたが、出水の判決が出た後にワイドショーに出演した松本の父親は、この飯田の発言について「感情を大いに逆なでされた」と怒り心頭で述べている。

こんな胸糞悪い純愛も、なかなかないであろう。

飯田は、従犯的な立場だったことや遺族に謝罪していること、生育歴が不遇だったことが考慮されて、言い渡された判決は懲役15年であり、遺族にとって納得のいく判決とは言い難かった。

その年10月に飯田は女児を獄中出産しているが、育ての親である祖父母は引き取りを拒否したために、女児は乳児院に送られることに決定。

「生まれた子供に罪はない」とよく言われるが、生むべきではなかったと思う。

ただでさえろくでなしの両親も塀の中で不在であるから、まともに育つ環境には思えない。

彼らのような不幸な環境に育つがゆえに、ひねくれるであろう人間を新たに生み出しただけなのではないかと思うのは、本ブログの筆者の偏見だろうか。

こんな奴らに、夢がかなう直前で命を絶たれた松本浩二は、さぞかし無念であったことだろう。

「恨んでやる…」と言って死んだ彼の怨念が残っていたのだろうか。

怨霊となって出水と飯田を祟ることはできなかったようだが、彼が命を奪われた世田谷区のマンションの203号室の壁に残った血痕は、内装業者が何度張り替えても浮き出てきたという。

2024年現在も事件現場となったマンションは存在し、当時の惨状を知らない地方からやって来た学生らが入居し続けている。

出典元―毎日新聞、朝日新聞、読売新聞、週刊朝日

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2024年 事件 地震 悲劇 本当のこと 能登半島

悪事を働く者たち: 能登半島の震災後の犯罪


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2024年1月1日午後4時過ぎ、能登半島を震源とする震度7の地震が発生。

石川県の能登半島を中心として、北陸地方に大きな被害をもたらした。

本稿執筆中の1月7日現在において、救助活動や復旧活動が急ピッチで進められており、地震による家屋の倒壊やその後の津波襲来などで多くの住民が家を失い被災民となっている。

そんな最中、地震で大きな被害を出した輪島市で、災害に付け込んだ悪事を働く輩が現れた。

5日午前8時40分頃、壊れた民家から一つ500円の高級ミカンを六つも盗んだ男が逮捕されたのだ。

その民家は住民が不在で、出てきた見知らぬ男を不審に思った住民らが取り押さえて警察に突き出したという。

男は21歳の自称大学生で、「愛知県からボランティアで来た」などと語っているらしいがとんでもない野郎である。

被災地を助けに来たのではなく迷惑をかけに来ているのだから「逆ボランティア」と言ってもよいだろう。

それだけではない。

4日には富山県高岡市で「国から依頼されて来た」と騙って住宅で復旧作業をしていた人に10メートル一万円という法外な値でブルーシートを売りつけようとした者もいて、そいつは富山県外のナンバーの車に乗っていたという。

その他、厚労省の臨時支援金受付などと言って「電子マネーで手数料を支払えば支援金を受け取れる」などといった内容のメールが届いたとの相談も受理されており、震災に便乗した詐欺も出現し始めている。

空き巣や盗難などの被害も相次いでおり、震災のどさくさで悪事を働くとは実に許しがたい行為であるが、こういった火事場泥棒的な犯罪は今回の能登半島地震特有のものでは決してない。

被災地での犯罪は1995年の阪神淡路大震災の時から問題になっており、東日本大震災や熊本地震の時にも空き家からの貴重品の窃盗や詐欺が頻発していたのだ。

また女性、特に若い女性にはもう一つの危険が付きまとう。

それは言うまでもなく性犯罪だ。

これまで発生した大規模地震後、被災した人のための避難所において性被害を受けたと告白する女性が、少なからずいたことが報告されている。

性被害では、プライバシーが十分保たれているとは言えない避難所で被害に遭うケースが多く、今後どころか、今回から何らかの対策を大至急打つべきであろう。

地震の後に余震や津波、火事、今後の生活の心配に加えて犯罪者にまで備えなければならないのは御免こうむりたいものだ。

こういった震災に乗じた犯罪は、平時においてのものよりも許しがたく、厳しく取り締まられるべきである。

犯人は射殺か地元民による私刑が望ましいが、それは残念ながら論外だ。

ならば、震災後の避難時期か復興時期の期間に限定して、被災地域での犯罪には何割増しかの重い量刑を課すことができるよう法律を改正できぬものだろうか。

ある程度の抑止力として働くであろうことは、間違いないと思うのだが。

参考文献―Yahoo!Japanニュース、

ライブドアニュース、日テレニュース

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2024年 ペット 事故 地震 悲劇 本当のこと 無念 羽田空港 能登半島

JAL516便事故とペットの悲劇

航空業界の非情な現実


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2024年は新年早々災いで始まった。

1月1日午後4時過ぎ、能登半島を震源とする震度7の地震が発生。

石川県の能登半島を中心として、北陸地方に大きな被害をもたらした。

そして翌2日夕方には、全国のお茶の間に、東京羽田空港の滑走路で火災が発生している衝撃的な映像が流される。

当初、二か所で火炎が上がっていることだけが報道されて、なぜその火災が起こったかは分からなかったが、ほどなくして新千歳空港発の日本航空(以下JAL)516便のA350-900と海上保安庁羽田航空基地所属の航空機(MA722)が、羽田空港のC滑走路で衝突したことが報じられ、その後、事故の瞬間の映像も公開された。

原因は、本ブログ執筆中の1月6日時点で調査中であるが、この事故で海上保安庁のMA722は大破・炎上して乗員5名が死亡、1名が重傷を負う大惨事となったことが、その日のうちに発表される。

ちなみに同機は、前日に発生した能登半島地震の被災地に救援物資を運ぼうとしていた。

一方のJAL516便は、炎にからみつかれながら滑走路からずれて停止し、駆け付けた消防隊の決死の消火活動むなしく機体がみるみる炎に包まれる模様がテレビ画面に映され、さらに犠牲者が出ているのではと危惧されたが、516便のクルーの適切な処置で、乗員乗客は全員無事脱出に成功。

旅客機の側に死者が出なかったのは、不幸中の幸いであったと全国の視聴者が安堵した。

だが、この516便では人命こそ失われなかったものの、それ以外で失われた命があったことが後に判明する。

貨物室に預けられていた乗客のペットの命だ。

なぜ助けられなかったのか?

516便に徐々に火が回り、全焼していくさまを観ていた視聴者の中には「貨物室に預けられていたペットはいなかったのだろうか?」と懸念した人も少なからずいたようだが、その懸念は翌日的中する。

事故の翌3日にJALが乗客から、預かっていた犬一匹と猫一匹が、そのまま焼け死んだことが発表されたのだ。

彼らは、火が回る機内に取り残されて見捨てられたのである。

この悲劇を受けて、SNS上でタレントなどの著名人を中心に「ペットも客室に入れてあげるべきだ」「生きている命をモノとして扱うことが解せない」という意見が上がった。

例えば、フリーアナウンサーの笠井信輔氏は自身のインスタグラムを更新して、この事故で愛猫を失った乗客の慟哭のコメントを紹介。

自らも猫を飼っている笠井氏は、他人事と思えず落涙したと述べ、ペットを客室に同乗させることができる海外の航空会社を例に出して、限定的な条件を定めた上で日本でも検討できないかと訴え、犬や猫を飼う人々から大いなる賛同を得た。

また、3日以降二日間で“貨物扱い”禁止を求める署名も1.6万人を超えたことから、この問題への関心は高まっているようだ。

だが、もちろん反論もある。

「犬や猫が苦手どころか、アレルギーの人もいる」

「緊急事態になったら、人命第一なのは仕方がない」

「そもそも、飛行機に乗せることは犬や猫にとって大きなストレスになるはずだから、ペットホテルに預けるべき」

上記のような、もっともな意見もあって論争が巻き起こった。

そうは言っても、犬や猫も人間と同じ命。

暗い貨物室に押し込めて、緊急事態となったら見捨てざるを得ないのは、忍びないというのも事実だ。

笠井氏が言うように、客室へペットを持ち込める海外の航空会社も現実に存在し、日本国内でも「スターフライヤー」という中堅航空会社が、今年1月15日から小型の犬や猫を客室内に持ち込めるサービスを国内の全便において開始する予定である。

だが、いざ事故が起きても、一緒に避難できるわけではないようだ。

非情な現状

そもそも、今回の事故のように乗客が緊急脱出する際、手近にあるからといって手荷物を持って脱出することはできない。

それには理由がある。

手荷物は、通路をふさいだりして他の客の脱出の妨げになる可能性があり、脱出用のスライドを傷つけて空気が抜けた場合に、後から来る客が脱出できなくなりかねないからだ。

これはJALに限ったことではなく、どの航空会社でも規則でそう定めている。

そして、ペットを客室内に持ち込める海外の航空会社も、ペットを「手荷物」に分類している。

つまり、盲導犬などの特例は除くものの、緊急事態においては機内に置き去りにせざるを得ないのが、航空業界の世界的な常識なのだ。

ペットを客室内に持ち込めるサービスを開始する「スターフライヤー」も同様で、「緊急脱出が必要になった場合は、ペットを機内に残して脱出してください」と公式ホームページ内で明記し、サービス利用の際には、ペットの死傷に関して責任を問わない同意書に署名する必要があるという。

たしかに、家族同様のペットを置き去りにして逃げなければならない悲しみは動物を飼っていない人間にも理解できる。

恐怖や苦痛を感じるのはペットも人間と同じだから、「何とかならなかったのか」とも思いたくなるだろう。

しかし、他の大勢の乗客の脱出の支障になりかねないのは事実であって、これを変えることは難しいのが現状となっている。

JALの行ったペットを見捨てさせる緊急避難は、間違ってはいなかったと見るのが正しいのだ。

とは言え、さまざまな意見が交差しているが、前述の笠井氏も述べているとおり、変える努力をしてもいいのではないかと本ブログの著者は思う。

何事も「現状では仕方ないからあきらめる」では、この先の進歩や改善を放棄することになるのでないだろうか。

一寸の虫にも五分の魂。

長いこと連れ添ったペットならなおさらだ。

この悲劇が、航空会社が緊急時のペットの避難について検討をする契機となることを願いたい。

参考文献―Yahoo!Japanニュース、ライブドアニュース

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