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運命の女神はストーカーに屈する


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世の中には数多の格言、名言、ことわざ及び喩えがある。

これらは昔から伝わっていたり、偉人や有名人が言った言葉だったりする。

それを心の支えにして自分の座右の銘にしている人もいれば、昔からこう言うんだからこうしろと他人を言いくるめて納得させるために使う人もいる。

だが、我々は果たして昔から言われてきたから、あるいは偉い人が言ってたからと無条件にそれを信じたり、他人に偉そうに説教するために使ったりしていいのだろうか?

実は結構ツッコミどころがあるんじゃないだろうか?

私の中では個人的にどうしてもおかしいと思ったり、誤解を招きかねず鵜呑みにすると危険な格言やことわざがある。

ヒマな私はそれをいくつか取り上げて、批判的考察を述べたいと思う。

●「嘘つきは泥棒の始まり」

いや違う。そうとは限らない。

ちゃんと嘘つきのその後と、泥棒の過去をリサーチしたのか?

両者は別物だ。必要となるスキルに互換性は少ない。

嘘つきがプロフェッショナル嘘つきの詐欺師になることはあっても、泥棒に転化するとは限らん。

軽度のアマチュアであるが、結構嘘つきな私が言うんだから間違いがない。

私は嘘をついたことはあっても、モノを盗んだことはないからだ。

ちなみにこれは嘘をついていないからな。念のため。

●「立つ鳥跡を濁さず」

私は個人的にこの言葉が相当嫌いだ。言われるとムカつく。

経験上、かなり都合よく使われる場合が多いと考えるからだ。

そりが合わず大嫌いだった中学校の怨師(・・)や(恩師(・・)の誤記ではない)、立地条件や日当たりが悪すぎるのに、家賃やら更新料が高すぎるから引っ越すことにしたボロアパートの強欲大家とかが言ってた言葉である。

昔働いていたブラック企業を一方的にリストラされた時も、そこの総務部長がヌケヌケと言いやがった。

冗談じゃねえぞ!私は鳥ではない。

ムカついた場所を去る時は汚し放題汚して、ションベンしてから火をつけて出て行ってやりたいというのが本音だ!

●「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」

この言葉もおかしい。

発明王エジソンの言葉だが、多分に成功者バイアスがかかっていると思う。

特にスポーツの世界では思いっきり当てはまらない。

リーチが長くて肩幅の広い奴にボクシングで勝てるか?

身長2メートルの奴とバスケやって勝てるか?

西アフリカの黒人に100メートル走で勝てるか?

第一、言ったエジソン自身が「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になる」と言いたかったんだとか、後にその意味を部分的に否定している。

子供だましだ。いい大人が大人に向かって言っていい言葉じゃない。

何らかの習い事を我が子にやらせたいと思った親が、その分野で明らかに才能のない子供に無理やりやらせる場合とかに使いそうな言葉だ。

ウチの親がそうだった。

だから私ならこう言う。

「天才とは、99%の才能と1%の努力である」

●「電車と女は追うな。すぐまた来る」

オーストリアの格言だ。

正直、若い頃この格言を知った時には雷に撃たれたようにしびれた。

何てカッコいい言葉なんだと思い、

私を振った女に未練たらしくするのをスパッとやめた。

しかし、中年になった今は思わない。

どちらにも終電というものがあることが分かったからだ。

あれやこれや大胆にも名言や格言にツッコミを入れたが、批判してばかりは建設的ではない。

実は私は既存の格言やことわざを改良したり、新たに自分で作った言葉もあるのだ。

憚りながら、いまここにその拙作をいくつか紹介させていただこうと思う。

〇「性犯罪者にも一分の理」

嫌な気分にさせて申し訳ない。

「盗人にも三分の理」ということわざがあるが、これは窃盗犯の肩を持っているのではなく、その気になればいくらでも理屈はつけられることを表している。

同様にこの言葉も性犯罪者の立場に立っているわけではない。

むしろ逆。

三分も理がつく盗人と比べて性犯罪者は一分しかなく、それくらい情状酌量の余地がないということを言いたかった。

「生活できない」「もう三日も食べてない」と比較して、「モテない」「彼女がいない」は1ミリも世の支持を得られない。

これは主に私自身に対する…いや、性犯罪をやりかねない者全員への警句である。

〇「出る鼻毛は抜かれる」

これを言い出した時、勘違いする人が本当に多かった。

「出る杭は打たれる」の類義語で、出て打たれたり抜かれたりするくらいになることはいいことだと答える人が意外といた。

違うのだ。

鼻毛は確かに必要だ。

呼吸する際、外部からの異物をシャットアウトするフィルターの役割を果たす。

だが、鼻の外に出てきたりしたら、抜かれるだろう?

鼻毛は、眉毛やまつ毛のように自己主張したら消される運命にある。

だから、自分本来の役割を果たし、それ以上でしゃばるなという警句のつもりなのだ。

〇「一知らせたければ、十聞かせよ」

これが普通なんじゃないだろうか?

一を知らせるには、十言わなきゃならない。

私は人にものを教える時はこうしているつもりだ。よく「しつこい奴だ」とか言われるが。

最初に勤めた会社の上司の口癖が「一を聞いて十を知れ」だった。

そんなテレパシー能力を人に期待してはいけない。

「一知らせたけりゃ一伝えりゃいいだろう」とおっしゃるかもしれないが、そうはならないことが多く、万全を期すべきだということを説いている。

〇「運命の女神はストーカーに屈する」

私の人生訓だ。

そろそろ人格を疑われ始めているだろうが、他に的確な喩えが思いつかない。

自らの運命に関して、

かのローマ帝国には「運命の女神は勇者に味方する」という格言があった。

ルネッサンス期のイタリアの政治思想家マキャベリも著書『君主論』で、

「運命の女神は女であり、彼女を支配するには怒鳴りつけ殴りつける必要がある。そういう者にこそ運命は従順になるようだから」

と、補足的にそのバージョンアップ版を論じている。

確かに、歴史を切り開いてきた者の多くには共通点がある

カエサルしかり、チンギスハンしかり、織田信長しかり、ナポレオンしかり…。

その後の運命はともかく、彼らは猪突猛進的な突破力によってそれまでの自らの運命を変えて一時代を築き、歴史にその名を残してきた。

皆、積極果敢な行動により運命を従わせてきた者たちなのだ。

マキャベリの言う通り運命の神は女。

それも男にも女にもモテモテな絶世の美女だから、気まぐれで傲慢不遜。

相手をその気にさせてもてあそぶのが大好きな性悪である。

むろん、一目ぼれしてこちらに寄って来てくれることは滅多にない。

ならばと、こちらから声をかけ、おだてて媚びを売ってようやく微笑んでくれたと思った瞬間、「遊んでやっただけなのにその気になりやがって」と冷酷にそっぽを向かれる。

ようやく交際できたとしても、すぐに飽きられて浮気され、自分の元から去ってゆく。

相思相愛の恋愛関係などほぼあり得ないし、長続きはよりあり得ないのだ。

ならば、好かれる必要はない。愛される必要もない。

言うことを聞かせさえすればよいのだ。有無を言わさず。

相手に言うことを聞かせたければ、愛されるより恐れられる方がはるかに効果的である。

勇気を持って果敢な行動により運命の女神を脅し上げて泣かし、髪の毛を掴んで連行し、自分の目指す道を共に進むのだ。

しかし、その勇気は一時だけではだめだ。終始一貫持続させる必要がある。

さもないと逃げられる。

また、女神が脅しに屈せず、反撃されたり逃げられたりすることも多い。

ローマの格言も、マキャベリもそういった場合をカバーしていない。

ならばどうするか?

そういう時はストーカー行為をすればよいではないか。

たとえ嫌われても、想い続けて付きまとうのだ!

勇気を持って行動を起こし、姿を現して「オレはお前の近くにいるぞ」とアピールすることも忘れるな!

何年かかっても自らの存在を主張し、ビビらせ続けよ!

運命の女神を従わせて自らの願望をかなえるには勇気を持っているだけじゃ足りない。

食い下がること、

執拗たることも必要とされるはずなのだ。

自分の願望に対して執拗であることは美徳である。

好みでも何でもない、むしろ「キモい奴」が荒れ狂いながらいつまでもまとわり続ければ、さしもの女神も恐怖で持ち前の冷徹ぶりが狂い始める。

いつの日か、彼女がおびえ切って「もう見逃して」と泣きを入れてくる時が来るだろう。

その瞬間こそ、断固見逃してはならない!

最大限の勇気を奮って全力で拉致し、有無を言わさず冷酷に××しまくれ!

そうすれば、運命の女神はもうあなたの奴隷だ。

私はロクな職歴もないフリーターだった29歳の時、翻訳者で身を立てようと思った。

その直後、運送会社の契約社員になって荷物の仕分けをしながら翻訳の勉強を続け、「いつの日か」が来るのをしつこく願い続けた。

39歳になってしまった時、ようやく「いつの日か」が「その日」となった。

「その日」を迎えて以降七年間、私は翻訳者・通訳者として未だ食うに困っていない。

だから、僭越ながら自信を持って言うのだ。

「運命の女神はストーカーに屈する」と。

いつの日か私も彼女に逃げられるかもしれないが、少なくとも好ましくない運命を望ましいものに変えさせることができたのは事実だと確信している。

他に類義語として、私のかつての恋愛哲学であった「来る者拒まず、去る者地の果てまで追い回す」などがあるが、

こちらの方は危険すぎるし、成功した後或いは成功する前に自身が社会的に破滅する可能性が高い。

あくまでストーカー行為は運命の女神相手だけにしよう。あなたも私も。

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雨男の誇り

私は自他共に認める雨男である。

外出するとよく雨が降ることを自覚しているし、「お前が来るといつも雨だ」と知人たちによく苦情を言われる。

私の写る旅行先での記念写真はたいてい今にも降ってきそうな曇り空が背景であることが多いし、

今まで参加する予定だった数々の野外イベントを雨天中止に追い込んできた筋金入りである。

雨男の心構え

雨男であることに胸を張る気はない。

むしろ迷惑をかけていることを自覚して心苦しく思う、たまに。

それに、いつも降らせるわけではないし、わざとやってるわけじゃない。

雨男にもかかわらず、私はスズキのバイクST250を所有してツーリングを趣味にしているが、気を引き締めて行けば降らないこともないわけではない。

ただこれまでバイク仲間と集団でツーリングに行ったことが三度あったが、三度とも浮かれすぎて気が緩んだらしく大雨になった。

それについては本当に申し訳なく思い、以来ツーリングは一人で行くことにしている。

向こうも誘ってくれなくなったし。

そんな私はかなり天気予報には敏感で、降水確率が20%以上の場合は絶対にツーリングに出かけない。

経験則から、20%程度だと私が外出したとたんにその降水確率は急上昇、天候が激変することが多いからだ。

気象予報士やアメダスも気圧配置や雨雲の動きだけではなく、私の行動や予定も観測した方が良い。

しかし自慢じゃないが、天気予報が降水確率0%と予想していても雨天にしたことだってあるのだ。

雨雲を呼ぶ男~雨男の自己迷惑力~

いつも雨にしないよう気を引き締めて外出するが、我ながら天気予報に0%と言い切られるとどうしても気が緩んでしまうようなのだ。

その日新潟市までの長距離ツーリングを予定していた私は、天気予報が新潟県や北関東の降水確率0%と予測したのを真に受けて、勇んで愛馬ST250にまたがり関越自動車道を北上した。

天気予報は大当たり。

埼玉や群馬は快晴、私は関越道を快調に飛ばし続けて関越トンネルに入った。

日本第二位の長さの関越トンネルの果てしなき暗黒を抜ければ魅惑の新天地新潟県!

だが、

トンネルを抜けるとそこは雨だった。

それも土砂降り。

降水確率0%という予報だったのでは?

そう心の中で自分に、特にそう予想した予報士に対して問いかけたが、雨は止む気配がないどころかますます激しくなり、こちらは猛スピードのため雨にさらされる上半身や太ももが痛い。

行動に計画性が欠けることが多い私は、雨男にもかかわらず合羽を準備してこなかったため瞬く間にずぶぬれになった。

おまけにこらえ性のない私はこれ以上の進撃を断念。

小出インターチェンジを降りてUターンして関東に逃げ帰る羽目となり、新潟ツーリング旅行を強制終了。

さっき通り過ぎたばかりの関越トンネルに早くも戻ってきた。

だが、関越トンネルを抜けた先でも私の災難は続く。

群馬県側も雨だったのだ。

群馬の降水確率も0%という予報だったのにこの土砂降りとは納得いかないが、それ以上におかしいと思ったことがある。

前方の視界は晴れで、今走行している道路も乾いているのに大雨なのだ。

空を見上げると私の前方は雲一つない晴天だが、頭上にはどす黒い雨雲が浮かんで後方に広がっている。

今しがたまで晴れていた所に、私が巨大雨雲を引き連れてきたみたいだ。

まさに「嵐を呼ぶ男」ならぬ「雨雲を呼ぶ男」、自分の雨男ぶりを最大限可視化させたとしか思えない壮大な超自然現象だった。

振り切ってやる。

私はそのまま休憩なしで走り続けて雨雲圏内から離脱することを決断したが、偉大な大自然の嫌がらせは徹底していた。

雨雲は私の走るスピードに合わせてぴったり着いてきて、頭上に雨を降らせ続けたのだ。

群馬・埼玉県全域で私は雨を浴び続け、雨から解放されたのは東京都に入ってからだった。

練間インターのあたりに来るとカンカン照りで雨が降った様子が全くなく、

私一人だけがずぶぬれでバカみたいであった。

予報が降水確率0%でも地域やそこにいる人によっては降ることもあると理解すべきらしい。

緊急提言!雨男・雨女の国際貢献

私のような雨男は、自分にも他人にも迷惑をかけるしか能がないのだろうか。

いや、否!むしろ逆である。

我々雨男雨女が一定数いるから、日本は水資源が豊富なのだ。

少なくとも日本列島の生態系には欠かすことができない存在である。

我々を撲滅したら日本は水不足に苦しむことになろう。

雨にされてイベントをつぶされたくらいでそんなに嫌な顔をするでない!

それに私はこの能力を生かせる場が他にもあると前から考えているのだ。

それは

干ばつに悩む地域や国へ我々強力雨男・雨女を送り込めば、雨を降らせて水不足解決の一助になるのではないかということだ

世界に水資源に乏しい国や地域は多い。

そんな国にとって雨を招く我々は願ってもない貴重な存在のはずではないか。

ただしあんまり強力なのを大量に派遣すると降らせすぎて水害を招く恐れがある。

軍事利用にはもってこいだが、国際貢献には甚だ具合が悪い。

どの程度の奴を何人派遣するかなどの選定は慎重に行う必要がある。

それには全国の雨男雨女の存在を突き止めて聞き取り調査やモニタリングを行い、各々の雨を招くレベルや住所等データベースの作成が先決なのは言うまでもない。

またそのように全国の雨男雨女情報を把握すれば国内的にもメリットがある。

水害が予想される時期もしくは地域から海外の干ばつ救済を口実にして、彼ら彼女らを一時国外追放して各地を水害から守ることもできるのだ。

むろん、そのデータベースの取扱いについては要配慮個人情報に当たるはずなので、行政機関には厳重に管理していただきたい。

さもないと水害が起こった地域で村八分にされる恐れがある。

私がここで主張したいのは、雨男雨女は日本にくすぶって周りの人々に煙たがられながら、

水資源の確保に貢献していることにあぐらをかいていてはいけないということだ。

日本の雨男雨女は世界を目指すべきである!

世界が我々の助けを待っているのだ!

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昼食がまずいという地獄


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飯がまずいとすぐ満腹になった気になる。

舌と消化器系がそれ以上のその食物の摂取を拒絶するからだろうか。

私が今働いている職場の周辺は飲食店が比較的多いがハズレ店の割合が多く、地雷をよく踏んだ。

それも対戦車地雷クラスの大ハズレ店が一つや二つではなかったから恐ろしい。

「毎日違う飲食店で昼飯を食う」という自らに科したその掟に忠実だったばかりに、そこで働き始めて一か月くらいは、毎日アドベンチャーを強いられていた。

牛焼肉と称しているが、明らかに牛肉ではない獣臭漂う牛焼肉定食800円、パスタが極太ソウメンか細めのうどんとしか思えない、『イタリアうどん』と言うべきミートスパゲティ、店主の創作意欲が暴走した結果、見た目も味もカオスな鉄火丼などなど。

ものすごく腹が減っているはずなのに残してしまい、空腹以上の飢餓レベルでないと完食は不可だと思えるくらいで、その日の午後の仕事のパフォーマンスにも悪影響が及ぶほどの違和感と不快感がトラウマレベルで口の中に残留した。

私の神聖な昼食時間を侵した罪に時効はない。

そんな店には一生入る気がないばかりか、腹いせに同僚にもこの店はハズレだと積極的な啓蒙活動まで行っている。

昼飯がまずいと、生活までもがつらくなる。

だが、その時の私の場合はまだましと考えるべきだろう。

確かにハズレ店もあったけど、「この店また行こう」というアタリ店や「まあまあだな」という安全店も多かったし、まずい店は二度と行かなければ良いだけなのだから。

毎日決まったメニューでそれ以外選択の余地がなく、しかもことごとくまずい場合こそヤバイ。

2017年、神奈川県中郡大磯町の公立中学の学校給食が半端じゃなくまずいと生徒の間で評判になったことが報道された。

調査によると給食の残食率が全国平均の6.9%を大きく上回る平均26%で、多い時には55%。

あるクラスでは生徒31人中完食したのは1人であったらしいから凄まじい。

きっと学校生活にも暗い影を落としたはずだ。

毎日そんなもんを食わされた生徒には同情を禁じ得ないし、そんなもんを恥ずかしげもなく提供した業者はテロリストに等しく、怒りを覚える。

私が他人事ながらそう思うのは、

昔、同じ地獄を味わったことがあるからだ。

学校を出て最初に働き始めた印刷会社の社員全員の昼食は毎日配達される弁当だったが、その弁当が半端じゃなくまずかったのだ。

その会社で働いたのは二年にも満たなかったが、その弁当を完食できた記憶がない。

私はどちらかと言えば好き嫌いが激しい方であることは認めるけど、他の社員もみんなまずいと言って残してたんだから本当にまずかったはずだ。

「美味しかった」か「まずかった」か

ではなく、

「我慢できる」か「我慢できない」かの二択しかない代物

が毎日選択不可で有無を言わさず支給されてたんだからたまらない。

普通昼食というものは、「今日は何食べようか?」「今日のメニューは何か?」と楽しみなものであるべきだが、

そこでは昼になると「今日は何を食わされるのか」不安を覚えていた。

昼休みになるのがあんなに憂鬱だったのは後にも先にもあの会社で働いていた時だけだ。

その弁当代は毎月の給料から差し引かれていたが、食べてやるから金をもらいたい気分であった。

その印刷会社は社員数が80人にも満たなかったのに毎年10人近くが途中退職しており、主な取引先はほぼ官公庁相手で、毎年安定した受注があるという強みはあったのに、会社の業績は私が入社する前から右肩下がりを続けていた。

これらは昼食のまずさと無関係ではなかったはずだ。

朝礼では社長が「給料もらってるプロなんだから、仕事にはちゃんと責任を持て!」と、偉そうに小言を言っていたが、

その社長本人は皆とは違って毎日特製の仕出し弁当を食べていたんだからムカつく。

責任をこちらに押し付ける上司もいたし、給料も安かった(毎年ドラスティックに減らされていた)から気持ちよく働ける会社では全くなかったが、何よりあの弁当のまずさこそが社員のことをどう思っていたかをわかりやすく証明していたと今では思う。

人間が働いていい職場では決してなかった。

食い物の恨みは忘れられない。

こういう食べ物についての文句を言うと、

「食べ物を粗末にするな」

とか、

「世界には飢餓で苦しむ人もいるんだ」という人もいるだろう。

ごもっとも。

まずいことを理由に残した食べ物がゴミとして破棄されるのは、私も心苦しく、忍びない。

しかし同時にこう反論したくなるのだ。

その貴重な食料を、食べたくない味に調理して提供した者の責任はどうなんだ」

と。

食べる方が好き嫌いなく食べなければいけないならば、作る方もある程度の水準、せめてヒトが食用可能な味にするべきなのではないか。

違うか?

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2020年鎌倉の旅

うっかりコーヒーをこぼして、図書館で借りた本を汚してしまった。

返却日、その本を図書館の返却箱に黙って入れてシレーっと帰ろうとしたが、職員に見破られて逃走を阻止され、弁償する羽目に。

『大人の遠足BOOK 鎌倉・湘南・三浦ウォーキング』、1650円なり。

ちょっと汚しただけなのに、あんまりだ。

本屋で買うと高くつきそうなのでアマゾンで探したが新品しかなく、結局本屋で購入して図書館に持って行った。

私の手元に汚してしまった『大人の遠足BOOK 鎌倉・湘南・三浦ウォーキング』が残った。

自分が悪いとはいえ、結構シャクである。

この元は断固取らなければならない、せっかくだからこの本をフル活用するべきだ。

そういうわけで、私は汚染された『大人の遠足BOOK』に記載の神奈川県鎌倉市を目指して、自宅の東京都から250㏄のバイクを走らせている。 私は位置情報ゲーム『ケータイ国盗り合戦』のヘビーユーザーだ。

鎌倉には、まだ未制圧の地域が多いからちょうどよい、とも自己暗示をかけて。

鎌倉はご存じ名所旧跡の宝庫だが、あまりじっくり見たことがない。

いい印象がないからだ。

最初に鎌倉を訪れたのは、中学校三年生の修学旅行の第二日目。

中学の修学旅行と言えば、楽しいことだらけの一生の思い出になるはずで、小学校六年生の時から楽しみにしていた。

だが、三年間待ちに待った修学旅行の初日、最初の目的地『東京ディズニーランド』で、他校の不良中学生に因縁を付けられ恐喝された。

それだけでもかなりの悲劇なのに、その日の宿で同じ部屋の奴らにパンツを脱がされてカイボウされるわ、翌日の国会議事堂見学では同じクラスのヤンキーに肩がぶつかっただけでどつかれたのに、担任は知らんぷりするわで、踏んだり蹴ったり。

そんな立て続けの災難のショックによる放心状態で、鎌倉の街を歩き回った記憶があるから、楽しい思い出になるわけがない。

だが、今やもう四半世紀以上も過去の話で「怨念の半減期」は、はるか前に過ぎているから、こうして鎌倉の街に落ち着いて来ることができる。

だが、ちょっと本を汚しただけなのに、冷酷に弁償を請求してきた図書館職員への「逆恨みの半減期」は、まだ先の話なので、道中頭をよぎりっぱなしだった。

私が住む町から鎌倉までは地味に遠く、到着したのは正午過ぎ。

最初の見学地は、13世紀建立の円覚寺だ。

と言っても、あまり綿密に計画も立てずに旅行する私の常で、たまたま最初に目についたのが円覚寺だったということである。

だが、円覚寺はバイクで来る人お断りらしく、駐車場はあっても、バイク駐輪場はない。

よって路肩に駐輪せざるを得なかった。

「駐禁とられたらどうしよう」とか「近所の元気者に壊されてたらどうしよう」とかの不安を抱えながら、競歩のように境内を歩き回っての見学を強いられた。

次の目的地、建長寺は円覚寺からほど近い場所にあり、しかもバイクを停めてもよい駐輪場を備えた懐の広い寺院だ。

やっと落ち着いて見学できる。

建長寺は、臨済宗建長寺派の大本山、1253年)の創建で開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆であるため、総門・三門・仏殿・法堂などの主要な建物は大陸的に中軸上に並ぶ伽藍配置をしている。

その中でも三門・仏殿・法堂は重要文化財であり、他に国の史跡及び名勝に指定されている建長寺の方丈庭園は禅宗庭園独特の趣が…。

もう帰ってもいいだろうか?

私は位置情報ゲームにはまっているし旅行も結構好きだが、生来外出するとすぐ帰りたくなる性格で、こうしてはるばるやって来て名所旧跡を前にしても、心は自分の家にある。

寝床から1000メートル以上離れると、ストレスを感じるのだ。

だから遠くの博物館でも遺跡でも到着しただけで満足し、いつもサッと見てサッと出て来てしまう。

そして帰ったら帰ったで「なぜもっとじっくり見なかった?」と、死ぬほど後悔している。

今回も歴史は繰り返した。

異例の早さで建長寺の見学を終わると、次の目的地とした報国寺は一応無理やり行ったが、鎌倉は他にも見どころがあるにもかかわらず、自宅への望郷の念にもう堪えられなくなっていた。

『ケータイ国盗り合戦』のエリアもあまり攻略できなかったが、もういいだろう。

さっさと飯食って帰ろう。

せっかく鎌倉来たんだから鎌倉らしいものを食べるべきだが、鎌倉の飲食店はどれもやや高めなのにひるんで、帰り道で適当に何か食べることにした。

鎌倉から国道1号に入り、その沿線の某ラーメン店に入る。

しかし入った店は「まずい」「出てくるのが遅い」「少ない」「高い」の四冠王で、「店内が汚い」「店員の態度も横柄」というタイトルまで保持した極悪店。

昼飯時を過ぎて客が少なかったのに、何で出てくるのに二十分もかかって、『昔ながらの醤油ラーメン』一杯900円なのだ?値段だけは未来志向か?

後味が悪いモノ食わされて高い金とられ、時間までロス、おまけにその後、道に迷った。

余計イラつきながら帰りを急いでいたら、後ろからサイレンの音。

「はい、そこの多摩ナンバー○○-○○のバイク停まりなさい」

白バイだった。

一時停止違反で点数二点引かれて、罰金6000円なり!

さんざんな日帰り旅行だ。

思えば、コーヒーで汚した本を弁償させられたのがシャクで、どうせならその本を思いっきり活用しようと思って出かけたんだよな。

その挙句、貴重な時間を使って罰金取られて、損害が倍増しだ。

でも一方で、今回は修学旅行の時に見れなかった建長寺や報国寺も見ることができた。

それに、あまりエリアは攻略できなかったが今まで未踏だった神奈川県三浦・湘南地方にも進出できた。

悪いことばかりじゃないじゃないか。

そう冷静になって、よーく考えてみた。

しかし冷静になればなるほど、どう考えてもプラスマイナスで言ったら、明らかなマイナスだったという結論しか導き出せない。

得られたはずのプラスが得られず、避けられたはずのマイナスも余計に被っている。

だからやっぱり、

出かけなきゃよかった!!

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相談を殺す者たち


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悩みごとや困ったことがあって人に相談したはいいが、解決にならないどころかその相談相手の言うことに腹が立ったり、却って悩みがより深刻になったりしたことはないだろうか?

そりゃ、確かに悩みを抱えた人間の相手をするのはめんどくさい。

でも、せっかくこっちが苦しい胸の内を吐露しているのに、ボケたような返答をされたり、余計にガチャガチャにされたりすると腹が立たないか?

今まで何人もそういう奴に出くわしてきた。

みみっちい性格の私は、時々思い出してはムカッと来る時があって、今日はどうしても我慢ができないので、特にタチが悪かった奴を告発してやる。

●ケースその1―中学の同級生・K原Y之―

こいつは、二十年以上経った今でも本当に頭にくる。

K原は中学の同級生で、お互い別々の大学に入学してからもよくつるんでいた男である。

中学時代から、自分に興味がない話は明らかにスルーしていることが多かった気がしていたが、長年の付き合いだからと心を許して悩みを打ち明けてしまった私も愚かだった。

あれは私が前から狙っていた後輩の女子生徒にコクって、けんもほろろに断られたことを、居酒屋で一緒に飲んだ際に愚痴った時だった。

私の愚痴がまだ終わらないうちに、K原は「オレが今付き合っている彼女なんだけどさ…」といきなり自分の彼女のことを語り始めた。

最初、自分の場合どうやって付き合うようになって、その経験から私の場合ならどうすればよかったかを分析しようとしてくれてるのかと思った。

だが、その彼女と普段どこへ遊びに行くかとか、自分にベタ惚れだのセックスの相性はサイコーだの、いつまでたってもおのろけ話が終わらない。

そして、いつの間にか元カノについて話がおよび、更にその前の彼女やらナンパして食った女も含めて、今まで二十人以上経験したとか、聞き流すのがだんだん限度になり始めた直後で、「まあそんな感じ」と結んだ。

話聞いてたか?私のさっきの相談は一体どこ行った?

「そんな感じ」で話は終わったようだが、今の話はどう私のためになったんだ?

相談を自慢で返してくるとは思わなかった。

そん時は他にも人がいたので怒りを奇跡的に我慢したが、本当に腹が立ったのは就職活動の時だ。

当時は就職氷河期真っただ中で、私は八月になっても内定をもらえず焦っていた。

そして、よりによって私は再びK原を相談相手にしてしまった。

その日、我々二人は居酒屋に入り、酒席で私は自分の苦境を打ち明けた。

私:「Nネットワークもダメだったし、この前受けたS工業も今日不合格の通知が来た、もう後がない。どうしよう?夏休みなのにまだ休めない」

K原:「俺はPアプリケーション株式会社の内定もらってたけど、W製作所に行くことに決めた。すごくない?夏休みは彼女と韓国に行く」

分かってて言ってんのか?

こいつはひょっとしたら、相談を受けた場合のあるべき対応、はたまた相談という概念自体が脳内に存在しないのだろうか?

長年の付き合いだが、こいつと私の脳内のOSは、ここまで異なるものだったのだろうか?

「あのなあ、そういう話じゃなくて、俺は今…」

「それよりさ、相談に乗ってやってんだから、今日はお前のおごりだからな」

一応相談だということは分っていたらしい。

結論、こいつは私にケンカを売ってる。

その後、私が吼えたため、居酒屋の他の客が静まり、店員が割って入ってくるほど場が険悪になった。

この一件でK原とは断交し、それ以来、連絡は取っていない。当然だろう。

K原は極端な例の一つだったが、相談にならないバカは世の中にまだまだ存在した。

●ケースその2―以前の会社の上司・S山T三―

こいつは最悪。

ケースその1のK原より悪質だ。

S山は私がやっとの思いで内定を取って、最初に勤めた印刷会社の上司である。

「俺は仕事に厳しい人間だ」と、胸を張ってパワハラをしてくる男だった。

身も心もブタそのもので、大した技量もないくせに仕事人風を吹かせ、態度だけは人間国宝。

口ずっぱく「一を聞いて十を知れ」「仕事は目で覚えろ」と、テレパシー受信能力の習得を強制して、ロクに指導もせずに業務を私に押し付け、失敗すると私の責任。

そんな仕事の上でも人間的にも全く尊敬できるところのないS山に、私はそもそも自発的に悩みを相談したことはない。

ではなぜケースとして取り上げたかというと、親見になってることをアピールしたいのか「困っていることがあったら言ってみろ」と、こちらが悩んでいることを白状させたり、困っているであろうことを、相談してもいないのに返答してきたりしたからだ。

しかも、その返答がムカつく!

「なぜ怒られるかわかるか?怒られることをするお前が悪いからだ」
「わからないわからないじゃない。わからなきゃダメだ!」
「お前の悩みなど大したことはない。世の中お前より苦しい人間などそこら中にいる」

そもそも、相談に対する答えになっていない。

それと、「世の中、お前より苦しい人間などそこら中にいる」ってどういうことだ?

じゃあ何か?脱臼した人に、骨折した人はもっと痛いから我慢しろとでも言うのか?父親を亡くした人に、両親亡くした人に比べれば大したことないとでも言うのか?

そして最後に「それじゃあこの先お先真っ暗だぞ、どうすんだお前?まあ知らないけどね」などと結んできたりして、「まあ知らないけどね」なら、いちいち偉そうに言ってくるな!という感じであった。

厳しいことを言ってるつもりだったようだが、こちらとしては相談に答えてやってる風のこき下ろしでしかなく、無理やり悩みを言わされた上に、奈落の底に落とされたとしか思えなかった。

そもそもあの会社での私の悩みは、S山の存在自体だったのだ。

●ケースその3―私の実父―

私の実の父親だから、そりゃあ親見なのは当たり前だし、私のことを考えてくれてるのもわかる。

だが、悩みを相談することによって救われるか救われないかは別問題だ。

この人の良くない点は、相手の話どころか、自分自身が何を話しているかも理解していないのではないか?ということである。

私の話を聞いていないわけではないはずだが、脳内で間違って解釈しているらしく、てんで頓珍漢な返答をしてくるのだ。

タイプ的にはケースその1のK原Y之に近いが、その返答の長ったらしさと内容のカオスぶりが比べ物にならない。

小学校五年の時に、足が遅くてクラスでバカにされてることを相談したら、なぜ「孟母三遷の教え」の話が出てきて、そろばん塾へ通えという結論に至るのか?
高校二年の時に原付免許を取りたいと相談したら、いつの間にか、三角関数の講義と野口英世の偉人伝が始まって、「これからの世界情勢は厳しい」という展開になったのはなぜだろう?

普段から多芸多趣味を誇り、博識を気取っていたからタチが悪い。

自分の息子のことだから真剣だったらしく、話も異様に長かった。

虫歯が痛むから歯医者に行ったはずなのに胃カメラ飲まされ、「水虫があります」と診断されて、目薬を処方されたような気分になる。

小学生の時からこんな調子で、私は大学入学前の時点で、この人に重要な相談をしてはいけないことを悟っていた。

ちなみに恐ろしいことに、この人物の職業は中学校教師であった。

理科担当だったが、あの調子でちゃんと授業になってたんだろうか?

まさか、理科の授業で「ファラデーの法則」を説明してる最中に、「大宝律令」や「徒然草」の話を始めたりしてたんじゃないだろうな。 それか、返答に困る相談をうやむやにして、こちらから取り下げさせる戦術だったのかもしれない。

他にもいろいろと相談してはいけなかった相手に出くわしてきたが、反面教師以外の何者でもない彼らからは、学べることがある。

それは、

悩みや相談は「黙って聞け」

ということだ。

そして

「あまり偉そうにペラペラアドバイスするな」

だ。

他人に悩みを打ち明けられたり、相談を持ちかけられるということは、解決策を求められているというより、ただ聞いて共感してもらいたいという場合もあるのではないだろうか?

それを何とかしてやりたいと思うあまり、何らかのアドバイスを長々としたとしても、それが相手にとって救いとなるとは限らない。

むしろ逆効果であることが多い気がする。

また、そうやって相談されると無意識に自分が偉くなったような気になってしまい、ついつい上から目線で偉そうなことや余計なことを言いたくなってしまうのかもしれない。

そういうマネはあまりにもみっともない。

私は相談してくる人間の話を黙って聞き、話させることによって相手の気分を晴らすというスタンスを取っている。

そして解決策が道理的にも個人的にも明らかだと確信できる事柄に対してのみ、手短に返答することにしている。

卑怯かもしれないが。

だから先日、職場の新入のA川に「彼女がいても、昔から他の女にもついつい手を出しちゃって、今は四股になっちゃって困ってるんですよ」という自慢風相談を我慢して聞いてやった後は、明確かつ手短かに返答した。

「去勢しろ。そうすればもう困らない」

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自分の名前と戦う子供たち


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心愛(ここあ)、空流(くうる)、姫星(きてぃ)、本気(まじ)などなど。

おそらく平成を迎えた頃からだと思うが、自分の子供に日本人らしくないばかりか常識から外れた名前、いわゆるキラキラネームを付ける親が目立ってきた。

私の職場の同僚であるO川秀定もその一人で、来月生まれる予定の息子には「都夢」と名付けるつもりだと嬉々として宣言してしまっている。

A川も含めて、こういう親たちは自分の子供がどんなふうに育つように願っているのだろうか?

そんな名前を付けられるなんて、実に不憫な子だと切実に思う。

私はそんな変わった名前を付けられて成長した人間をリアルに知っているからだ。

1975年(昭和50年代)生まれの私の世代にも、現在ほど多くはないが珍妙な名前を背負わされた者がいた。

彼らはその時代において圧倒的少数派、いや異端派ですらある名前ゆえに、いやが応にも目立ち、いわれなき不愉快を感じていたのだ。

高校時代の同級生

高校に入学した時、同じクラスになった同級生は、名前が林五だった。

B原リンゴである。

漢字も読みも正統派の名前が99%超だった昭和49年や50年生まれの同級生の中で、さすがにリンゴという名前の響きは目立つ。

そして、

本人は相当気にしていた。

今でも覚えているが、クラスで最初のホームルームで自己紹介をやった時、林五は「○○中学出身のH原です」と下の名前を名乗らなかった。

なのに、空気の読めない担任は「下の名前は?これ何て読むの?リンゴ?」と心無い問いを発したため、林五は「…リンゴですよ!」と、憮然として答えたものだ。

さらにその後、より心無いクラスメイトたちが大爆笑したため、林五は正にリンゴみたく怒りで顔を赤くして「笑ってんじゃねえ!」と大声を出した。

どうやら両親が『ビートルズ』のリンゴ・スターの大ファンで、身内の反対を押し切って名付けたらしい。

リンゴという名前を付けるなら付けるで、「凛悟」とか「麟吾」とか、画数が多くてそれなりに教養を感じさせる秀麗な漢字でカバーすべきなのに、安易に「林五」である。

これじゃあ小作人の五男みたいじゃないか。

響きだけを優先させたのは見え見えで、他人事ながら教養の程度が分かり易い実に愚かな親である。

ちなみに林五には妹がいて、こちらはB原恵美となぜか正統派の日本人名、兄との落差が際立っている。

林五は大柄で恵まれた体格の持ち主のうえに性格が荒く(ラグビー部に所属していた)、同じ中学出身者によると、小学校の頃から自分の名前をちょっとでもからかう人間は問答無用で制圧してきたらしい。

そして両親をかなり憎悪しており、「親を殺しちゃいけない理由がわからねえ」が口癖。

そんな危険人物は「林五」と呼ばれると瞬時に顔色を変えるため、1年の時、彼を下の名前で呼ぶどころか「リンゴ」という単語自体が禁句となってしまった。

私など「アップル」と言っただけで、林五に胸倉をつかまれたことがある。

浅はかな命名をしたばっかりに息子の根性をひねくれさせ、他人に脅威を与える人間にして社会に放った林五の両親の罪は重い。

中学時代の同級生

林五は性格こそ歪んでいたが、周囲の偏見を沈黙させる能力を有していたからまだましだったかもしれないが。

私が入学した高校には同じ学年にもう一人変わった名前の持ち主がおり、こちらは女子生徒だ。

その名はC西エレナ

漢字ですらない、ダイレクトにカタカナの横文字ネームである。

エレナの存在は、入学当初から主に男子生徒の間で話題になっていた。

ハーフか?それとも外人さん?

気にならずにはいられない名前ではないか!

入学後ほどなくして、エレナが在籍するクラスには、彼女の顔を一目見ようと他のクラスばかりか上級生の男子が殺到したらしい。

私のいたクラスの生徒たちも例外ではなく、はるか遠くの教室まで、勝手に幻想を抱きながら「エレナ詣で」に出かけて行った。

だが、彼らはがっかりしながら戻ってきた。

実物はあまりにも名前との乖離が激しかったからだ。

実際のエレナ本人はスタイルも顔も典型的な日本人、チンチクリンでずんぐりむっくり体型をした大福顔で、ハーフどころか帰国子女でもない。

戦前の農村あたりによくいたタイプの佇まいで、スカートよりモンペが似合いそうなくらい地味な女の子だった。

名前も「和子」とか「敏子」どころか、「お七」や「お駒」あたりが妥当ですらある。

その容貌に対してエレナという名前は、遺伝子学的に著しく不適切だった。
彼女の両親は「エレナ」という洋風の名前を付けさえすれば、成長の過程で突然変異が起こるとでも思ったんだろうか?

その暴挙に対して、責任を追及したい気分だった。

本人の責任では決してないが、それが当時、エレナを初めて見た時の私の偽らざる印象である。

その後、3年生になって、私はエレナと同じクラスになった。

直接話したことはあまりなかったが、ある時期の席替えでエレナの席が私の前になったことがあり、休み時間になると時々エレナの友達たちがおしゃべりをしに来るようになった。

その会話から、エレナは仲間内で「レナ」と呼ばれていることを知った。

また、名前には似合わないが容貌にふさわしく古典が得意で英語を苦手としており、信仰する宗教は仏教の臨済宗妙心寺派、好物はあんころ餅と草餅だとのこと。

趣味嗜好は典型的どころか、鎖国していた江戸時代の町人の娘レベルの日本人ぶりだ。

ある日のおしゃべりで、友達の一人がエレナの名前のことを口にしたのが耳に入った。

「レナの名前ってさ、すごくきれいだよね」

「やめてよ~、全然気に入ってないんだから」

「外人さんみたいでいいじゃん」

その顔のどこがエレナだ、とかしょっちゅう言われるんだよ?私のせいじゃないのに!」

やはりエレナも自分の名前を気にしていた。

その後の会話で、どうやら母親の方が独断で命名したらしいことが分かった。

何でも、昔からあこがれていた外国人スーパーモデルの名前が「エレナ・何とかコフ」で、それが由来だという。

タチの悪い母親だ。

「そんなんで自分の娘の名前決めるなっての!自分と、自分の旦那の顔見りゃどうなるか想像つくだろうが!まともな名前つけろよ、ウチのバカ親!!」

エレナもしゃべっているうちに興奮してきたらしく、毒説を吐きまくっていた。

その後、エレナの愚母をこの目で拝む機会が訪れた。

進路指導のための三者面談で私と母親が面談を待っていた時、私たちの次の順番がエレナ母娘だったため、廊下で一緒に待つことになったのだ。

エレナ母は、娘をそのままエイジング処理したらこうなる、というぐらいそっくりで、ずんぐりしたドングリ体型なんぞ同じ型でハメたように一致する。

遺伝形質に対して挑戦的な命名を娘に強行した張本人は教育熱心でもあり、待っている最中、進路に関して学業成績の悪いエレナに、あれこれ小言を言っているのが聞こえた。

そんな母親に対し、エレナは「もう分かってるっての!」「しつこいよ、ホント!」と終始いらだち反抗的に応答していた。

思春期という事情もあるだろうが、親子仲が良好ではなさそうだった。

そんなこんなで高校を卒業したが、その後、林五にもエレナにも会ってないから彼らがどういう人生を歩んだかは分からない。

その名前について、今はどう思っているかも知らない。

変な名前やキラキラネームを付けられた子供全てがそうなるとは限らないだろうが、思春期の彼らを見た限りでは自分の名前を気に入っていた様子はなく、そのおかげで大きな悩みを抱えていた。

そういった悩みは一過性のもので、成長の糧になることもあるんだろうか?

だが、一生のうち必ず味わわなければならない悩みでもないだろう。

できることならば、そんな無用な苦しみは味わわせるべきではないはずだ。

親の願望を子供の名前に託すのはいいが、思わずからかいたくなる名前になっていないかよく考えよう。

だから、A川秀定くんよ。

今度生まれる子供に「都夢」って名前つけるのやめた方がいいぞ。

君にも林五やエレナの話をしただろう?

戦国大名みたいな自分の名前が悩みだったからって、トムって名前つけられた息子はそれとは別種で、より深刻な悩みを持つかもしれないんだからな。

え?「都夢」はトムじゃなくて、ドムって読むのか。

いや、そりゃあ目立つだろうけど、人気者とは限らんよ。

それに自分の願いは、林五やエレナの親ほどチャラくないだって?

じゃあ、どうチャラくないってんだ?

何々?ほうほう。

なるほど、

『機動戦士ガンダム』のジオン軍のモビルスーツである『ドム』のような強い男になって欲しいという願いを込めてこの名前に…。
よけいタチ悪りィわ!!

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ミスコンにモノ申す


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ミスコンテストに対して大いに不満がある。

『ミス・ワールド』、『ミス・ユニバース』、『ミス・インターナショナル』、『ミス・アース』などの四大ミスコンテストと呼ばれる人類一美しい女性を選ぶ最高峰から、ある地方や学園一を選ぶ程度のものまで、全てのミスコンに対してだ。

そりゃあもちろん出場する女性は、皆それなりにハッとするほどの美女である。

私が不満に思っているのは出場者のレベルに対してでは決してない。

ミスコンテストの画一的すぎる審査基準と方法に対してだ。

なぜ体重別にやらないのか?

ボクシングは言うに及ばず、柔道やレスリング、重量挙げや、はたまたボディビルの大会だって参加選手は体重別で競技を行っている。

ミスコンだって体重や身長による階級制を採用すべきだ

と思うのは私だけだろうか?

女性の美の基準は様々でどれが最高というものはない。

特に体格の違いによる美の多様性こそ認められるべきだと私は思う。

身長150cmくらいの華奢でキュートな女性の美と、身長180cmくらいでモデル体型のセクシーな女性の美とは別物で、かつ対等であってどちらが上ということはない。

それはジャンルの違いか好みの問題だ。

金魚の美しさと錦鯉の美しさが違うのと同じく、どっちも美として評価されて然るべきだろう。

現状でのミスコンに出場する女性の体格は、ボクシングに当てはめるならばミドル級に相当すると私は考えている。

だが、それはおそらく

ボクシング同様、欧米人基準の中肉中背

日本人目線だとスタイルが良すぎて、恐れ多すぎるではないか。

完全に欧米人の標準的審美眼だけに特化した画一的な基準であり、何より多様性に乏しく味気ないことこの上ないと、

美を愛し美の実践者にして美の忠実な下僕を自認するこの私は憤りすら覚える!

そこで私が提案したいのは従来のミドル級に加えて、

ミスコンのライト級やヘビー級の創設、その階級ごとに女王を選ぶことだ。

ウェルター級やクルーザー級など、さらに細分化するとなおよい。

そうすればウェルター級はきっと人類最激戦区になるであろう。

とにかく

ミドル級だけが美女ではないはずだ。

地方や大学程度の大会ならともかく、四大ミスコンなんかあれだけの組織力持ってんだから、やろうと思えばできるだろうが!

想像してみよ!

身長150cm前後、体重40kg未満の歩く人形がごとき各国の最軽量級美女が並ぶ雛壇飾りのようなキュート感充満のステージを!

身長180cm以上体重90kg超の白、黒、黄色、褐色の超重量級美女たちがステージをきしませ、原子力空母のごときド迫力ムチムチ肉厚ボディが目白押しの陣容はきっと壮観、激しくスペクタクル!世界を揺さぶる肉弾無敵艦隊!!

もう誰が優勝しようが関係がない。

胸と下半身を問答無用にときめかせる圧巻の絶景ではないか!

私はひたすら願い続ける。

スーパーヘビー級のミス・ユニバースかミス・ワールド

を拝める日が来るのを。

世界が、特に私が待っている。

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成人失格

私は世の中から煙たがられる喫煙者である。

吸うのは存在自体も煙たがられる私にふさわしい紙巻きタバコで、点火するのは使い捨てライターだ。

かように安っぽい私だが、かつて一度だけ7000円もの大枚をはたいてジッポライターを購入したことがある。

だが、購入後一週間で紛失するという離れ業を演じて発狂、以来もっぱら使い捨てライターを使用している。

ライターも私にふさわしいのかもしれない。

その使い捨てライターだが、ずいぶん前からチャイルドロックなる小癪な装置が装着されるようになった。

そりゃ子供がいたずらして事故が起こるのは断固防ぐべきだと私も思うが、

問題はその解除方法だ。

解除が簡単すぎやしないか?

あの程度のロックだと、多少賢い子供ならば容易く解除してしまうはずである。

子供をナメすぎている。

もちろん40歳過ぎのおっさん盛りで、

成人がやっていいことや入っていい場所はほぼクリアしている成人全開の私には何の問題にもならない。

そう信じて疑わなかった私の大人としての余裕と矜持が木っ端みじんにされたのは、数年前のファミリーマートでのことだった。

そこで買ったライターのチャイルドロックを解除できなかったのだ。

そのライターは着火レバーの下にボルトアクションライフルのボルトのようなレバーが付いており、それがどうやらチャイルドロックらしいのだが、

押し込もうが、捻ろうが、スライドさせようがレバーはピクリともしやしない。

なかなか解除できず頭に血が上った私は、チャイルドロック自体が壊れているのかもしれないと考え、ライターを購入したファミリーマートに引き返して女性店員に詰め寄った。

「このライターのチャイルドロック動かないんだけど」

その店員に全く責任はないのだが、私はイラつくあまり正気を失っていたようだ。

当然ながらあ然としている店員に「やってみろ」とばかりにライターを押し付ける。

「えーと、えーと。私タバコ吸わないんですけどね」

店員はそう言いながらも、私から受け取ったライターのチャイルドロックをいじり始めた。

四十路の私が着火できないんだから壊れてるに違いない。

壊れてなかったとしたら難易度高すぎ、大人までロックしてどうすんだ。

と、その時私は考えていたが…。

「ライターのことはよくわかんな…、あ、ついた!」

何と、タバコを吸わないはずの彼女はものの見事に十秒足らずでロックを解除した。

問題があったのはチャイルドロックではなく、私のやり方だったらしい。

「え、今どうやったの?」

「こうみたいですね。こう、こう」

女性店員は完全にこのチャイルドロックに慣れたらしく、軽快に何度も着火して見せた。

「あ、なーるほどね。いやいやありがとう」

私は鷹揚に平静を装って店を出て、外で先ほど店員が実演したとおりに着火してみることにした。

さっき、レバーを上げてスライドさせてたな、実は簡単だったんだな。

そう思って再現してみようとしたが、レバーを上げることはできてもスライドさせることができない。

「そんなバカな!」とムキになってレバーをガチャガチャやってたら、もげた。

キイィィィィィィ!!!

私は怒りのあまり、死んでしまったライターをごみ箱にシュートした。

くだんのチャイルドロックは子供だけではなく、一部の成人もロックするものだったようだ。

私はもう一度同じものを買って、その際は見事解除して雪辱を晴らそうと考えたこともあったが、これ以降着火レバーを強く押し込むような単純な形式の、三歳以上の人類ならば誰でも解除可能と確信できるものしか買っていない。

チャイルドロックを解除できない成人であったという事実は、私の心に今も暗い影を落とし続けているということだ。

第一、もう一回買ってそれでも解除できなかったら、私の成人としての立場はどこへ行ってしまうんだろう?

それに、あのような形式のチャイルドロックを持つライターを全く見かけなくなった。

これはきっと解除できない成人が続出したからではないだろうか?私以外にも。

…であることを望むが。

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「行列ができる店」から追い出されたことありますか?


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ラーメンブームなる風潮がいつからいつまでか、それともまだ続いているのか知らないが、美味いと評判で雑誌やテレビに取り上げられたりする「行列のできるラーメン屋」は、今でも各所に存在する。

だが、そういう店の中には店主や店員が横柄で、「嫌なら食うな」式の接客態度で客をぞんざいに扱うところがある。

まったく、売れてるからって偉そうに。

店主のこだわりだか何だか知らんが、そういう店には人一倍腹が立つぞ!

なぜなら自慢じゃないが、

私はそういう店から追い出されたことがあるからだ。

今でも忘れやしない、18年前の2002年10月のことである。

当時も東京には行列のできるラーメン屋があちこちに存在し、ラーメンマニアたちが長蛇の列を作っていた。

私もラーメンが大好きだが、いくら美味くても行列に並ぶのには抵抗があった。

食べ物のために行列を作るなんて、

難民キャンプかよ?

この飽食の国においては、いささかあさましい行為ではないか?

という考えを当時から持っていたためである。

そんな誇り高い私が、じゃあなぜその店に行ったかというと、当時働いていた職場でよくつるんでいた柴田という男に無理やり連れて行かれたからだ。

彼はラーメン店めぐりを生きがいにしている強度のラーメンマニアで、「騙されたと思って」とか「何事も経験だから」などとかなり強引だった。

そんな柴田に根負けした私もバカだった、と今は思う。

あの日から現在まで、時々思い出しては夜中にカンシャクを起すことがあるし、

「騙されたと思って」と「何事も経験だから」という言葉は、私にとって今でも禁句だ。

さて、そのくだんのラーメン店「○○家」は新宿某所にあり、我々が開店一時間前の10時に行くと、もうすでに列ができていた。

写真はイメージです。本内容とは関係ありません。

行列ができていることに、私の顔がさっそく不機嫌でゆがんだのを見た柴田は、

「ラーメンってのは、行列に並ばなきゃ美味くないんだぜ」

などと、もっともらしさのかけらもない屁理屈を言って、私を余計イラつかせる。

「ここは豚骨醤油ラーメンの店でさ、スープはこってりで麺は太目オンリー。でもちょっと魚介のダシも入ってるみたいで…」

11時の開店までの間中、後ろに並ぶ柴田のどーでもいいラーメンの蘊蓄を聞かされ、私の機嫌は静かに、そして確実に悪化してゆく。

その間にも客は増え続け、我々のいる位置はすでに真ん中くらいになっていた。

そして待ちに待った開店時間11時、店の入り口が開いて店員が姿を現し、先頭の客から店内に誘導し始める。

我々も前に進んで行ったが、私はその誘導している店員の言葉遣いが気になった。

「はい、モタモタしない!」「そこ、二列にならないで!」

と、完全な命令口調なのだ。

何と感じが悪い店員だと私は思ったが、店内は意外と収容人数が多いらしく、入口はもうすぐそこ。

とりあえず評判のラーメンに、いの一番でありつける。

と、柴田より前方を進む私が、入口をくぐろうとした時だった。

「はい、ここまで!」

誘導の店員の一人が、

私の襟首をつかんで、後ろに引き戻しやがった

それも「ここで待って」と、そのまま私の襟首をつかんで、引っ張って行くんだから信じられない。

私はかなりムッとなったが、その短髪の若い店員は私の方を見ようともせず

「入れ替え制ですんでぇ、しばらくお待ちくださいねぇ」

と後方の並んでいる客にぞんざいに言い放った。

これはこれでかなり腹の立つ体験だが、この時点で帰ればよかったと、今では思う。

柴田も柴田で、「おいおい慌てるなよ、みっともねえぞ」と、まるで私が悪いかのようなことを言うんだからむかつく。

待っている間、十五分後くらいから食べ終わった客が次々出てきて、三十分が過ぎた頃には店内に客は残っていなかった。

どうやら時間制で、それもたった三十分程度で食べ終わらなければいけないようだ。

「今片づけしてるんでー、そのまま待っててくださーい」

出てくる客に挨拶もせず、くだんの短髪は相変わらず横柄だ。

そして中から「オッケーです」の声と共に、「はいどうぞー」とようやく入店が許されたが、店中の店員も「いらっしゃいませ」の一言もない。

代わりに「そこの食券販売機で食券買って」とか「あー、こっち座って奥に詰めて」とかの指図が待っていた。

メニューは『店主ラーメン』のみで、一杯800円。

後ろの方で一名の女性客が万札しか持っていなかったらしく、両替を求めていたが「近くにコンビニあるから、そこで」とにべもなく断られていた。

店は厨房を囲むような形のカウンター席とその背中向かいのカウンター席で構成されており、厨房の店員は不愛想で、外の店員同様接客をする態度には見えない。

厨房の奥に、五十がらみでモジャモジャな白髪交じりの男が、腕組みをして仁王立ちしており、それがどうやらこの店の主と思われる。

我々は店の端の厨房に面したカウンター席に座ったが、我々の後ろの壁に何やら大きな額縁に入った箇条書きがあるのに気づいた。

その箇条書きはこの店で守るべきマナーらしく、毛筆で記されていた。

        客心得

その一、私語は禁ずる。

その二、携帯電話を使用するべからず。

その三、タバコ、ガムは禁ずる。

その四、飲食時間は三十分とする。

その五、具、麺はもとよりスープまで飲み干すべし。

目を疑った。

「客心得」、「禁ずる」、「~べし」だとう?

他にもいろいろあった気がするが、

箇条書きのとどめは「以上を守れない者は去れ 店主」だったのをはっきり覚えている。

この店はおかしい。

隣の柴田を見たら「仕方ない」という感じで、首を振っていた。

これも、有名ラーメン店では常識だとでも言う気か?どんな常識だ?

メニューは一つだけで、それも人数は決まっているので、客が全員席に着くまでの間に調理が始まっていたらしく、入店して五分も経たないうちに、唯一のメニュー『ラーメン』が出来上がり始めた。

手抜きもいいところじゃないか?

第一、これだったら食券にする意味ないだろう?

と限りなく心の中でツッコミを入れていた間に、最初に入店した私のところへ、真っ先にラーメンがやって来た。

ごく自然に早速箸をつけようとしたら、「全員そろってからにしてください」と、またしても、不愉快な指図を厨房の店員から受けた。

こうして、店内の客全員にラーメンが行き渡るまで待ちぼうけをくらわされたのだが、これでは待ってる間に麺がのびるではないか。

「はい、よし!」

ようやく食べることを許されたのは、全員にラーメンを運び終えた後の店員の号令によってであり、それを合図に客が一斉にラーメンをすすり出した。

それにしても「はい、よし」って、我々は犬か政治犯なのか?

私も隣の柴田もラーメンの一口目を口にした。

ここまで偉そうにするからには、相当美味いんだろう。

と信じつつ。

が、結論、

大した味じゃない。

いや、むしろ不味い、少なくとも私の味覚では。

最初、そんなはずはないと何口かすすってみたが、劇的に美味く感じることはなかった。

豚骨醤油味のはずだが、醤油が入っていると思えないくどい豚骨味で、それがかつおだしのような香りと合わさって、私の口内で不快に広がってゆく。

麺もコシがなく、きっとさっき待たされた間にのびたからだろう。

ラーメンイメージ

同時に、これまでの接客態度への怒りが、じわじわと増してきた。

この程度の味で、あそこまで偉そうにしてやがったのか!

隣の柴田もさほど美味いと感じていなかったらしく、「客心得その一」を破って私に話しかけてきた。

「オリジナリティーが感じられない、スープなんか池袋の××屋か荻窪の●●軒の劣化版だし、麺もダメ、チャーシューは横浜の…」

と、ここのスープと同じくらいくどく、ラーメン通を気取った批評を小声でしてきた。

「要するに大した味じゃないよな」

私もボソボソ応じる。

その時だった。

「おい兄ちゃんたちさ、文句あるなら帰っていいよ」

知らない間に、の中央で仁王立ちしていた店主が私たちの目の前にいた。

さっきのを聞いていたらしい。

「おい、二名さんお帰りだ!」

店主は私語厳禁の掟を破られた上に悪口を言われて怒り心頭らしく、皆に聞こえるような大声で言ったため、他の客が一斉にこっちを見た。

「あ、すいません。黙って食べます」と柴田は謝ったがもう遅かった。

「二名さんお帰りだから、金返しとけ」と店主は一方的に店員に命じる。

無茶苦茶だ!まさか追い出されるとは思わなかった。

そして店員に促されて店を退去させられる我々に、店主は最後に吼えやがった。

「こっちはな、命がけでラーメン作ってんだよ!!」

この男は、歪んだ職人気質を完全にこじらせ、勘違いしている。

命がけであの味かよ?

そしてラーメンだけじゃなく、接客にも多少は命をかけろ!

店内の客だけではなく、外で行列を作っている客の目にも、店内から響いた店主の咆哮から我々が追い出された客だとわかったらしく、好奇の視線を浴びて、とんでもない屈辱だった。

「なんなんだよ!この店!」

私は大勢の前で恥をかかされたから、腹が立ってしょうがなかったが、柴田は、

「いや、店追い出されるのはラーメンマニアにとって勲章みたいなもんだから」

と、またしても苦しいことを言い出した。

だがその割に声は震え、顔は怒りで真っ赤なので、強がりなのは見え見えだ。

路肩に駐輪している自転車を蹴飛ばしたりして、大荒れである。

その後「マニアじゃないオレにとっては完全に生き恥だ」と言った私との間で、

「オメーが大した味じゃないって言うからだろ」

「話しかけてきたのはお前だ」

という口論に発展、その日以降、私は公私ともに柴田とは疎遠になった。

全く信じられない店であった。

あれはラーメン屋ではなく、SMクラブの一種だったとしか思えない。

しかし、そんなラーメン屋風SMクラブの存続を、いつまでも許すほど社会は間違っていなかったようだ。

その五年後、所用があって長らく禁断の地になっていたラーメン屋「○○家」のある新宿某所に行ってみたら、インド料理屋になっていた。

ネットで探しても見当たらなかったから、閉店したんだろう。

悪が滅んでめでたしめでたしである。

とは言え、このむかつく体験は忘れられやせず、店主をあの店員たち共々高温の鍋で煮込んでやりたい気持ちは、今も変わらない。

私はラーメンを今でも好きだが、行列のできるラーメン屋だけは行く気しないのは、どうしてもあのラーメン屋「○○家」を思い出してしまうからである。

それに最近では、行列ができるような名店の味を再現したカップ麺や冷凍チルド食品が売られているから、わざわざ行かなくてもよいだろう。

通販の「日清行列のできる店のラーメン」とかでも、それなりの味が楽しめるのだ。

そりゃ、直接店に行って食べるのが一番かもしれないが、行列に並んだのに大した味じゃなくて、おまけに偉そうな態度を取られたりして嫌な思いをするのはごめんである。

だから、まず冷凍チルド版を試してから行っても、遅くはないのではないだろうか?と私は考えるのだ。

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