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2020年 おもしろ 悲劇 本当のこと 無念

自分の名前と戦う子供たち

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心愛(ここあ)、空流(くうる)、姫星(きてぃ)、本気(まじ)などなど。

おそらく平成を迎えた頃からだと思うが、自分の子供に日本人らしくないばかりか常識から外れた名前、いわゆるキラキラネームを付ける親が目立ってきた。

私の職場の同僚であるO川秀定もその一人で、来月生まれる予定の息子には「都夢」と名付けるつもりだと嬉々として宣言してしまっている。

A川も含めて、こういう親たちは自分の子供がどんなふうに育つように願っているのだろうか?

そんな名前を付けられるなんて、実に不憫な子だと切実に思う。

私はそんな変わった名前を付けられて成長した人間をリアルに知っているからだ。

1975年(昭和50年代)生まれの私の世代にも、現在ほど多くはないが珍妙な名前を背負わされた者がいた。

彼らはその時代において圧倒的少数派、いや異端派ですらある名前ゆえに、いやが応にも目立ち、いわれなき不愉快を感じていたのだ。

高校時代の同級生

高校に入学した時、同じクラスになった同級生は、名前が林五だった。

B原リンゴである。

漢字も読みも正統派の名前が99%超だった昭和49年や50年生まれの同級生の中で、さすがにリンゴという名前の響きは目立つ。

そして、

本人は相当気にしていた。

今でも覚えているが、クラスで最初のホームルームで自己紹介をやった時、林五は「○○中学出身のH原です」と下の名前を名乗らなかった。

なのに、空気の読めない担任は「下の名前は?これ何て読むの?リンゴ?」と心無い問いを発したため、林五は「…リンゴですよ!」と、憮然として答えたものだ。

さらにその後、より心無いクラスメイトたちが大爆笑したため、林五は正にリンゴみたく怒りで顔を赤くして「笑ってんじゃねえ!」と大声を出した。

どうやら両親が『ビートルズ』のリンゴ・スターの大ファンで、身内の反対を押し切って名付けたらしい。

リンゴという名前を付けるなら付けるで、「凛悟」とか「麟吾」とか、画数が多くてそれなりに教養を感じさせる秀麗な漢字でカバーすべきなのに、安易に「林五」である。

これじゃあ小作人の五男みたいじゃないか。

響きだけを優先させたのは見え見えで、他人事ながら教養の程度が分かり易い実に愚かな親である。

ちなみに林五には妹がいて、こちらはB原恵美となぜか正統派の日本人名、兄との落差が際立っている。

林五は大柄で恵まれた体格の持ち主のうえに性格が荒く(ラグビー部に所属していた)、同じ中学出身者によると、小学校の頃から自分の名前をちょっとでもからかう人間は問答無用で制圧してきたらしい。

そして両親をかなり憎悪しており、「親を殺しちゃいけない理由がわからねえ」が口癖。

そんな危険人物は「林五」と呼ばれると瞬時に顔色を変えるため、1年の時、彼を下の名前で呼ぶどころか「リンゴ」という単語自体が禁句となってしまった。

私など「アップル」と言っただけで、林五に胸倉をつかまれたことがある。

浅はかな命名をしたばっかりに息子の根性をひねくれさせ、他人に脅威を与える人間にして社会に放った林五の両親の罪は重い。

中学時代の同級生

林五は性格こそ歪んでいたが、周囲の偏見を沈黙させる能力を有していたからまだましだったかもしれないが。

私が入学した高校には同じ学年にもう一人変わった名前の持ち主がおり、こちらは女子生徒だ。

その名はC西エレナ

漢字ですらない、ダイレクトにカタカナの横文字ネームである。

エレナの存在は、入学当初から主に男子生徒の間で話題になっていた。

ハーフか?それとも外人さん?

気にならずにはいられない名前ではないか!

入学後ほどなくして、エレナが在籍するクラスには、彼女の顔を一目見ようと他のクラスばかりか上級生の男子が殺到したらしい。

私のいたクラスの生徒たちも例外ではなく、はるか遠くの教室まで、勝手に幻想を抱きながら「エレナ詣で」に出かけて行った。

だが、彼らはがっかりしながら戻ってきた。

実物はあまりにも名前との乖離が激しかったからだ。

実際のエレナ本人はスタイルも顔も典型的な日本人、チンチクリンでずんぐりむっくり体型をした大福顔で、ハーフどころか帰国子女でもない。

戦前の農村あたりによくいたタイプの佇まいで、スカートよりモンペが似合いそうなくらい地味な女の子だった。

名前も「和子」とか「敏子」どころか、「お七」や「お駒」あたりが妥当ですらある。

その容貌に対してエレナという名前は、遺伝子学的に著しく不適切だった。
彼女の両親は「エレナ」という洋風の名前を付けさえすれば、成長の過程で突然変異が起こるとでも思ったんだろうか?

その暴挙に対して、責任を追及したい気分だった。

本人の責任では決してないが、それが当時、エレナを初めて見た時の私の偽らざる印象である。

その後、3年生になって、私はエレナと同じクラスになった。

直接話したことはあまりなかったが、ある時期の席替えでエレナの席が私の前になったことがあり、休み時間になると時々エレナの友達たちがおしゃべりをしに来るようになった。

その会話から、エレナは仲間内で「レナ」と呼ばれていることを知った。

また、名前には似合わないが容貌にふさわしく古典が得意で英語を苦手としており、信仰する宗教は仏教の臨済宗妙心寺派、好物はあんころ餅と草餅だとのこと。

趣味嗜好は典型的どころか、鎖国していた江戸時代の町人の娘レベルの日本人ぶりだ。

ある日のおしゃべりで、友達の一人がエレナの名前のことを口にしたのが耳に入った。

「レナの名前ってさ、すごくきれいだよね」

「やめてよ~、全然気に入ってないんだから」

「外人さんみたいでいいじゃん」

その顔のどこがエレナだ、とかしょっちゅう言われるんだよ?私のせいじゃないのに!」

やはりエレナも自分の名前を気にしていた。

その後の会話で、どうやら母親の方が独断で命名したらしいことが分かった。

何でも、昔からあこがれていた外国人スーパーモデルの名前が「エレナ・何とかコフ」で、それが由来だという。

タチの悪い母親だ。

「そんなんで自分の娘の名前決めるなっての!自分と、自分の旦那の顔見りゃどうなるか想像つくだろうが!まともな名前つけろよ、ウチのバカ親!!」

エレナもしゃべっているうちに興奮してきたらしく、毒説を吐きまくっていた。

その後、エレナの愚母をこの目で拝む機会が訪れた。

進路指導のための三者面談で私と母親が面談を待っていた時、私たちの次の順番がエレナ母娘だったため、廊下で一緒に待つことになったのだ。

エレナ母は、娘をそのままエイジング処理したらこうなる、というぐらいそっくりで、ずんぐりしたドングリ体型なんぞ同じ型でハメたように一致する。

遺伝形質に対して挑戦的な命名を娘に強行した張本人は教育熱心でもあり、待っている最中、進路に関して学業成績の悪いエレナに、あれこれ小言を言っているのが聞こえた。

そんな母親に対し、エレナは「もう分かってるっての!」「しつこいよ、ホント!」と終始いらだち反抗的に応答していた。

思春期という事情もあるだろうが、親子仲が良好ではなさそうだった。

そんなこんなで高校を卒業したが、その後、林五にもエレナにも会ってないから彼らがどういう人生を歩んだかは分からない。

その名前について、今はどう思っているかも知らない。

変な名前やキラキラネームを付けられた子供全てがそうなるとは限らないだろうが、思春期の彼らを見た限りでは自分の名前を気に入っていた様子はなく、そのおかげで大きな悩みを抱えていた。

そういった悩みは一過性のもので、成長の糧になることもあるんだろうか?

だが、一生のうち必ず味わわなければならない悩みでもないだろう。

できることならば、そんな無用な苦しみは味わわせるべきではないはずだ。

親の願望を子供の名前に託すのはいいが、思わずからかいたくなる名前になっていないかよく考えよう。

だから、A川秀定くんよ。

今度生まれる子供に「都夢」って名前つけるのやめた方がいいぞ。

君にも林五やエレナの話をしただろう?

戦国大名みたいな自分の名前が悩みだったからって、トムって名前つけられた息子はそれとは別種で、より深刻な悩みを持つかもしれないんだからな。

え?「都夢」はトムじゃなくて、ドムって読むのか。

いや、そりゃあ目立つだろうけど、人気者とは限らんよ。

それに自分の願いは、林五やエレナの親ほどチャラくないだって?

じゃあ、どうチャラくないってんだ?

何々?ほうほう。

なるほど、

『機動戦士ガンダム』のジオン軍のモビルスーツである『ドム』のような強い男になって欲しいという願いを込めてこの名前に…。
よけいタチ悪りィわ!!

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芳しき昭和的趣味と子供の将来

牛乳瓶のフタの収集という趣味をご存じだろうか?

乳飲料はガラス瓶に充填され、紙製のフタでシールしているものが主流だった昭和の時代、少なからぬ小学生がその牛乳瓶のフタをコレクトしていた。

1975年(昭和五十年)生まれの私も小学校時代の一時期はまった一人だ。

牛乳瓶のフタなど一見すると単なる廃棄物だが、乳製品は数多の銘柄や種類があって、フタのデザインも様々である。

何十種類も集めて並べて眺めてみると、実に壮観で目を見張る。

私の学校でのブームはずっと続いたわけではなく、私が二年生の時の数か月ほどだったが、あの時の牛乳瓶のフタを求め続けたむさぼるような感覚ははっきり覚えている。

○○牛乳、△△コーヒー、×△フルーツだの乳製品の名前を耳にしただけで、45歳の今でも当時の情熱を思い出して私の心はときめく。

当時学校でも友達の家でも皆、自分のコレクションを自慢し合ったりしたものだ。

そんな中でも、私の近所に住む一学年上の上田唯という少年は誰も持っていないようなレアもののフタを大量に保有する断トツのコレクターで、皆から仰ぎ見られていた。

大人になった今から思えば、あの当時の上田も我々も子供ながら非常にみみっちくつまらないことにこだわっていたものだ。

だが他の子供たちより多くコレクションを充実させることができた上田こそ、実は将来の星であったと今では思う。

彼はこの牛乳瓶のフタの収集において、将来世渡りに有利となる才覚を発揮していた点がいくつか見受けられるからだ。

まず、レアものを数多くゲットしていたからには、行動力が抜きんでていたと考えられる。

行動力は社会的成功を収めるための必須の要素の一つ、それなくしては遊びも仕事も始まらない。

どこに行けばそれがあるかを察知する注意力、情報収集能力もあっただろう。

また、上田は自分で探すだけでなく他のコレクターとの交換によってもレアものを入手していたから、交渉能力にも長けていたに違いない。

なおかつ交換ではなく他人からの純粋な譲渡によってもコレクションを入手しており、それは上田が粗末に扱ってはいけない人間と見做されていたからであって、人間的な魅力(あるいは迫力)にも富んでいなければできないはずだ。

確かに上田は私を含めた近所の子供たちの間だけではなく、学校の同級生たちの間でもセンターに位置する少年だったと記憶する。

これだけでも、社会生活を営む上で勝者となりうる資質ではないだろうか。

更に彼は他の子に先んじて収集を始めていた。

つまり、いち早く流行をキャッチしていたということだ。

その能力は社会に出てからなお一層有利に働くことは言うまでもないだろう。

もし上田が流行を作り出していた本人だったとしたらなおさらである。

上田は建築用ガラス業者の長男で、成長してからは親の跡を継いで二代目の社長となった。

そして、彼の率いる会社は平成大不況を乗り切ったばかりか、日本経済が縮小する現在でも高度成長期ばりに業績を拡大している。

それを目の当たりにすると、牛乳瓶のフタ集めでの上田はその資質の片鱗を見せつけていたと、今では思えて仕方がない。

一方の私は学校の給食で出てくる牛乳のフタか、近所の牛乳屋でいくらでも手に入るために誰でも持っているものしか持っておらず、コレクションは貧弱だった。

そんな私の貧しいコレクションが一気に豊かになったのは、我が小学校での牛乳瓶のフタ集めがブームとなって何か月も経ったある日のこと。

その日、上田が直々に私を呼び出して、自慢のコレクションを分けてくれたのだ。

それからしばらくしてからも上田は自分のコレクションを私にくれるようになり、しまいには残り全部を譲ってくれた。

何とありがたいことだろう!

垂涎の品々を大量にくれるなんて信じられない!

うれしさのあまり子供ながら「上田君は一生の恩人だ!」と思うくらい感激した。

上田だけではない。

他の有力なコレクターたちも私にコレクションをくれたため、私のコレクションはこの上なく充実した。

家でそれらを眺めて悦に浸った後にやることはただ一つ、友達に自慢である。

このコレクションを見せられたら、誰もがきっとぐうの音も出ないはずだ。

それまで経験したことのない、羨望のまなざしを大いに浴びるに違いない。

私はもらった牛乳瓶のフタを学校へ意気揚々と持って行き、皆に見せびらかした。

「どーだ、すげーだろ」

だが皆の反応は冷淡で、友達の一人にあきれ顔で言われた。

「お前、まだそんなことやってたのか?」

ブームはとっくの昔に終わっていた。

私だけがそれに長いこと気づいていなかったのだ。

私は幼少の頃から世渡りが下手だったようだ。

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成人失格

私は世の中から煙たがられる喫煙者である。

吸うのは存在自体も煙たがられる私にふさわしい紙巻きタバコで、点火するのは使い捨てライターだ。

かように安っぽい私だが、かつて一度だけ7000円もの大枚をはたいてジッポライターを購入したことがある。

だが、購入後一週間で紛失するという離れ業を演じて発狂、以来もっぱら使い捨てライターを使用している。

ライターも私にふさわしいのかもしれない。

その使い捨てライターだが、ずいぶん前からチャイルドロックなる小癪な装置が装着されるようになった。

そりゃ子供がいたずらして事故が起こるのは断固防ぐべきだと私も思うが、

問題はその解除方法だ。

解除が簡単すぎやしないか?

あの程度のロックだと、多少賢い子供ならば容易く解除してしまうはずである。

子供をナメすぎている。

もちろん40歳過ぎのおっさん盛りで、

成人がやっていいことや入っていい場所はほぼクリアしている成人全開の私には何の問題にもならない。

そう信じて疑わなかった私の大人としての余裕と矜持が木っ端みじんにされたのは、数年前のファミリーマートでのことだった。

そこで買ったライターのチャイルドロックを解除できなかったのだ。

そのライターは着火レバーの下にボルトアクションライフルのボルトのようなレバーが付いており、それがどうやらチャイルドロックらしいのだが、

押し込もうが、捻ろうが、スライドさせようがレバーはピクリともしやしない。

なかなか解除できず頭に血が上った私は、チャイルドロック自体が壊れているのかもしれないと考え、ライターを購入したファミリーマートに引き返して女性店員に詰め寄った。

「このライターのチャイルドロック動かないんだけど」

その店員に全く責任はないのだが、私はイラつくあまり正気を失っていたようだ。

当然ながらあ然としている店員に「やってみろ」とばかりにライターを押し付ける。

「えーと、えーと。私タバコ吸わないんですけどね」

店員はそう言いながらも、私から受け取ったライターのチャイルドロックをいじり始めた。

四十路の私が着火できないんだから壊れてるに違いない。

壊れてなかったとしたら難易度高すぎ、大人までロックしてどうすんだ。

と、その時私は考えていたが…。

「ライターのことはよくわかんな…、あ、ついた!」

何と、タバコを吸わないはずの彼女はものの見事に十秒足らずでロックを解除した。

問題があったのはチャイルドロックではなく、私のやり方だったらしい。

「え、今どうやったの?」

「こうみたいですね。こう、こう」

女性店員は完全にこのチャイルドロックに慣れたらしく、軽快に何度も着火して見せた。

「あ、なーるほどね。いやいやありがとう」

私は鷹揚に平静を装って店を出て、外で先ほど店員が実演したとおりに着火してみることにした。

さっき、レバーを上げてスライドさせてたな、実は簡単だったんだな。

そう思って再現してみようとしたが、レバーを上げることはできてもスライドさせることができない。

「そんなバカな!」とムキになってレバーをガチャガチャやってたら、もげた。

キイィィィィィィ!!!

私は怒りのあまり、死んでしまったライターをごみ箱にシュートした。

くだんのチャイルドロックは子供だけではなく、一部の成人もロックするものだったようだ。

私はもう一度同じものを買って、その際は見事解除して雪辱を晴らそうと考えたこともあったが、これ以降着火レバーを強く押し込むような単純な形式の、三歳以上の人類ならば誰でも解除可能と確信できるものしか買っていない。

チャイルドロックを解除できない成人であったという事実は、私の心に今も暗い影を落とし続けているということだ。

第一、もう一回買ってそれでも解除できなかったら、私の成人としての立場はどこへ行ってしまうんだろう?

それに、あのような形式のチャイルドロックを持つライターを全く見かけなくなった。

これはきっと解除できない成人が続出したからではないだろうか?私以外にも。

…であることを望むが。

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「俺だけは大丈夫」神話の終焉

私は現在居住する東京都で大地震が起こっても、自分だけは大丈夫と信じてきた。

自宅に食料や水などの備蓄は特になく、準備する気もなかった。

なぜなら、私の家のすぐ近くにはコンビニエンスストア『ファミリーマート』があるからだ。

それも「歩いて1分くらい」程度のレベルではなく、「歩いて何秒」か「歩いて何歩」という近さだ。

たとえ真夜中に飲んでて「飲み足りない」、「タバコが切れた」という事態が起こっても、一分以内に補充を完了させて、酒池肉林の即時再開が可能である。

「ガマンして寝る」という悲劇に見舞われたことは一度もない。

同様に地震など不測の事態が起きた瞬間にファミリーマートに駆け込めば、お望みの物資を必要なだけ手に入れることも容易であろう。

私には、近所に食糧庫があるのだ。

そう信じ込んできた。

そんな、ひとり天下泰平をむさぼる私に「審判の時」がやって来た。

昨年の2019年10月12日、令和元年台風第19号の東京直撃である。

この台風は天気予報によって、事前にその規模と上陸の日時は予想されていた。

まごうことなき非常事態目前であり、食料や水を数日分買う必要がある。

だが、その時私は動かなかった、いや動けなかった。

なぜなら、そのニュースを知ったのは自宅から遠く離れた職場だったからだ。

それならそれで職場近くのコンビニで買えばよかったのだが、その期に及んでも“私の食糧庫”ファミリーマートで帰りがけに買えばいいと呑気に考えていた。

愚かだった。

帰り道、ファミリーマートに悠々立ち寄った私は、わが目を疑った。

“私の食糧庫”から、めぼしい食品や飲料が消えているではないか!

焦った私は、他のコンビニやスーパーにも行ってみたが、事情はなおさら同じ。

完全に出遅れ、他の客にかっさらわれていたのだ。

考えてみればすぐわかることだったが、非常事態が自宅にいる時に起こるとは限らない。

それに、ファミリーマートの隣人は私だけではないのだ

駅からの通り道で人通りも多いし、ファミリーマートは、私専用ではなく“みんなの食糧庫”だった

私は十数年間にわたり、その程度のことにも気づかなかったのだ。

かくして10月12日、私は上京して以来初の食糧難と共に、台風第19号を迎える。

暴風雨により飲食店も商店も閉まっており、近所を流れる多摩川が大雨で、中国の長江のようになっていくライブ映像をパソコンで見ながら、不安で空腹な一日を送った。

この一件で私が思い知ったのは、私がバカだという幼児の頃から気づいている事実を除けば、備蓄の重要性以外の何者でもない。

最近の表現で言うなら、まさに「ぴえん超えてぱおん」だ。

そんなもんとっくに気づいて然るべきだが、徹底した面倒くさがり屋の私はこういう目に遭わなきゃわからない。

あれ以来、私は毎月の給料日には飲料水や防災食、缶詰などを買って備蓄することを心がけている。

備えあれば患いなしだ。

非常事態が実際に起きた際、私以外のファミマの隣人たちは、私を差し置いて行動する油断も隙もな…、いや、賢明な人々であることが分かった。

もう、ファミマだけを当てにしてはいかん。

それに私が購入した『美味しい防災食』シリーズは非常食とは思えないスーパーの惣菜級であり、さすがやや高いだけのことはある。

缶詰だと『宝幸 日本のさば』と『ニッスイ いわし味付』なんかは、缶詰にしておくにはもったいない逸品ではないか。

私が作るよりはるかに美味い!

非常食なのに、なぜその味を知っているかと言うと、それは我が家の財政危機という恒例の非常事態が、月末給料日前に発生しているからだ。

あと、外に買い物に行くのが面倒くさい時などもついつい…。

それらもひっくるめての備えなのだ。

と、食うたびに、そう自分には言い聞かせており、次の「審判の時」こそ、私への「最後の審判」になりそうである。

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「行列ができる店」から追い出されたことありますか?

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ラーメンブームなる風潮がいつからいつまでか、それともまだ続いているのか知らないが、美味いと評判で雑誌やテレビに取り上げられたりする「行列のできるラーメン屋」は、今でも各所に存在する。

だが、そういう店の中には店主や店員が横柄で、「嫌なら食うな」式の接客態度で客をぞんざいに扱うところがある。

まったく、売れてるからって偉そうに。

店主のこだわりだか何だか知らんが、そういう店には人一倍腹が立つぞ!

なぜなら自慢じゃないが、

私はそういう店から追い出されたことがあるからだ。

今でも忘れやしない、18年前の2002年10月のことである。

当時も東京には行列のできるラーメン屋があちこちに存在し、ラーメンマニアたちが長蛇の列を作っていた。

私もラーメンが大好きだが、いくら美味くても行列に並ぶのには抵抗があった。

食べ物のために行列を作るなんて、

難民キャンプかよ?

この飽食の国においては、いささかあさましい行為ではないか?

という考えを当時から持っていたためである。

そんな誇り高い私が、じゃあなぜその店に行ったかというと、当時働いていた職場でよくつるんでいた柴田という男に無理やり連れて行かれたからだ。

彼はラーメン店めぐりを生きがいにしている強度のラーメンマニアで、「騙されたと思って」とか「何事も経験だから」などとかなり強引だった。

そんな柴田に根負けした私もバカだった、と今は思う。

あの日から現在まで、時々思い出しては夜中にカンシャクを起すことがあるし、

「騙されたと思って」と「何事も経験だから」という言葉は、私にとって今でも禁句だ。

さて、そのくだんのラーメン店「○○家」は新宿某所にあり、我々が開店一時間前の10時に行くと、もうすでに列ができていた。

写真はイメージです。本内容とは関係ありません。

行列ができていることに、私の顔がさっそく不機嫌でゆがんだのを見た柴田は、

「ラーメンってのは、行列に並ばなきゃ美味くないんだぜ」

などと、もっともらしさのかけらもない屁理屈を言って、私を余計イラつかせる。

「ここは豚骨醤油ラーメンの店でさ、スープはこってりで麺は太目オンリー。でもちょっと魚介のダシも入ってるみたいで…」

11時の開店までの間中、後ろに並ぶ柴田のどーでもいいラーメンの蘊蓄を聞かされ、私の機嫌は静かに、そして確実に悪化してゆく。

その間にも客は増え続け、我々のいる位置はすでに真ん中くらいになっていた。

そして待ちに待った開店時間11時、店の入り口が開いて店員が姿を現し、先頭の客から店内に誘導し始める。

我々も前に進んで行ったが、私はその誘導している店員の言葉遣いが気になった。

「はい、モタモタしない!」「そこ、二列にならないで!」

と、完全な命令口調なのだ。

何と感じが悪い店員だと私は思ったが、店内は意外と収容人数が多いらしく、入口はもうすぐそこ。

とりあえず評判のラーメンに、いの一番でありつける。

と、柴田より前方を進む私が、入口をくぐろうとした時だった。

「はい、ここまで!」

誘導の店員の一人が、

私の襟首をつかんで、後ろに引き戻しやがった

それも「ここで待って」と、そのまま私の襟首をつかんで、引っ張って行くんだから信じられない。

私はかなりムッとなったが、その短髪の若い店員は私の方を見ようともせず

「入れ替え制ですんでぇ、しばらくお待ちくださいねぇ」

と後方の並んでいる客にぞんざいに言い放った。

これはこれでかなり腹の立つ体験だが、この時点で帰ればよかったと、今では思う。

柴田も柴田で、「おいおい慌てるなよ、みっともねえぞ」と、まるで私が悪いかのようなことを言うんだからむかつく。

待っている間、十五分後くらいから食べ終わった客が次々出てきて、三十分が過ぎた頃には店内に客は残っていなかった。

どうやら時間制で、それもたった三十分程度で食べ終わらなければいけないようだ。

「今片づけしてるんでー、そのまま待っててくださーい」

出てくる客に挨拶もせず、くだんの短髪は相変わらず横柄だ。

そして中から「オッケーです」の声と共に、「はいどうぞー」とようやく入店が許されたが、店中の店員も「いらっしゃいませ」の一言もない。

代わりに「そこの食券販売機で食券買って」とか「あー、こっち座って奥に詰めて」とかの指図が待っていた。

メニューは『店主ラーメン』のみで、一杯800円。

後ろの方で一名の女性客が万札しか持っていなかったらしく、両替を求めていたが「近くにコンビニあるから、そこで」とにべもなく断られていた。

店は厨房を囲むような形のカウンター席とその背中向かいのカウンター席で構成されており、厨房の店員は不愛想で、外の店員同様接客をする態度には見えない。

厨房の奥に、五十がらみでモジャモジャな白髪交じりの男が、腕組みをして仁王立ちしており、それがどうやらこの店の主と思われる。

我々は店の端の厨房に面したカウンター席に座ったが、我々の後ろの壁に何やら大きな額縁に入った箇条書きがあるのに気づいた。

その箇条書きはこの店で守るべきマナーらしく、毛筆で記されていた。

        客心得

その一、私語は禁ずる。

その二、携帯電話を使用するべからず。

その三、タバコ、ガムは禁ずる。

その四、飲食時間は三十分とする。

その五、具、麺はもとよりスープまで飲み干すべし。

目を疑った。

「客心得」、「禁ずる」、「~べし」だとう?

他にもいろいろあった気がするが、

箇条書きのとどめは「以上を守れない者は去れ 店主」だったのをはっきり覚えている。

この店はおかしい。

隣の柴田を見たら「仕方ない」という感じで、首を振っていた。

これも、有名ラーメン店では常識だとでも言う気か?どんな常識だ?

メニューは一つだけで、それも人数は決まっているので、客が全員席に着くまでの間に調理が始まっていたらしく、入店して五分も経たないうちに、唯一のメニュー『ラーメン』が出来上がり始めた。

手抜きもいいところじゃないか?

第一、これだったら食券にする意味ないだろう?

と限りなく心の中でツッコミを入れていた間に、最初に入店した私のところへ、真っ先にラーメンがやって来た。

ごく自然に早速箸をつけようとしたら、「全員そろってからにしてください」と、またしても、不愉快な指図を厨房の店員から受けた。

こうして、店内の客全員にラーメンが行き渡るまで待ちぼうけをくらわされたのだが、これでは待ってる間に麺がのびるではないか。

「はい、よし!」

ようやく食べることを許されたのは、全員にラーメンを運び終えた後の店員の号令によってであり、それを合図に客が一斉にラーメンをすすり出した。

それにしても「はい、よし」って、我々は犬か政治犯なのか?

私も隣の柴田もラーメンの一口目を口にした。

ここまで偉そうにするからには、相当美味いんだろう。

と信じつつ。

が、結論、

大した味じゃない。

いや、むしろ不味い、少なくとも私の味覚では。

最初、そんなはずはないと何口かすすってみたが、劇的に美味く感じることはなかった。

豚骨醤油味のはずだが、醤油が入っていると思えないくどい豚骨味で、それがかつおだしのような香りと合わさって、私の口内で不快に広がってゆく。

麺もコシがなく、きっとさっき待たされた間にのびたからだろう。

ラーメンイメージ

同時に、これまでの接客態度への怒りが、じわじわと増してきた。

この程度の味で、あそこまで偉そうにしてやがったのか!

隣の柴田もさほど美味いと感じていなかったらしく、「客心得その一」を破って私に話しかけてきた。

「オリジナリティーが感じられない、スープなんか池袋の××屋か荻窪の●●軒の劣化版だし、麺もダメ、チャーシューは横浜の…」

と、ここのスープと同じくらいくどく、ラーメン通を気取った批評を小声でしてきた。

「要するに大した味じゃないよな」

私もボソボソ応じる。

その時だった。

「おい兄ちゃんたちさ、文句あるなら帰っていいよ」

知らない間に、の中央で仁王立ちしていた店主が私たちの目の前にいた。

さっきのを聞いていたらしい。

「おい、二名さんお帰りだ!」

店主は私語厳禁の掟を破られた上に悪口を言われて怒り心頭らしく、皆に聞こえるような大声で言ったため、他の客が一斉にこっちを見た。

「あ、すいません。黙って食べます」と柴田は謝ったがもう遅かった。

「二名さんお帰りだから、金返しとけ」と店主は一方的に店員に命じる。

無茶苦茶だ!まさか追い出されるとは思わなかった。

そして店員に促されて店を退去させられる我々に、店主は最後に吼えやがった。

「こっちはな、命がけでラーメン作ってんだよ!!」

この男は、歪んだ職人気質を完全にこじらせ、勘違いしている。

命がけであの味かよ?

そしてラーメンだけじゃなく、接客にも多少は命をかけろ!

店内の客だけではなく、外で行列を作っている客の目にも、店内から響いた店主の咆哮から我々が追い出された客だとわかったらしく、好奇の視線を浴びて、とんでもない屈辱だった。

「なんなんだよ!この店!」

私は大勢の前で恥をかかされたから、腹が立ってしょうがなかったが、柴田は、

「いや、店追い出されるのはラーメンマニアにとって勲章みたいなもんだから」

と、またしても苦しいことを言い出した。

だがその割に声は震え、顔は怒りで真っ赤なので、強がりなのは見え見えだ。

路肩に駐輪している自転車を蹴飛ばしたりして、大荒れである。

その後「マニアじゃないオレにとっては完全に生き恥だ」と言った私との間で、

「オメーが大した味じゃないって言うからだろ」

「話しかけてきたのはお前だ」

という口論に発展、その日以降、私は公私ともに柴田とは疎遠になった。

全く信じられない店であった。

あれはラーメン屋ではなく、SMクラブの一種だったとしか思えない。

しかし、そんなラーメン屋風SMクラブの存続を、いつまでも許すほど社会は間違っていなかったようだ。

その五年後、所用があって長らく禁断の地になっていたラーメン屋「○○家」のある新宿某所に行ってみたら、インド料理屋になっていた。

ネットで探しても見当たらなかったから、閉店したんだろう。

悪が滅んでめでたしめでたしである。

とは言え、このむかつく体験は忘れられやせず、店主をあの店員たち共々高温の鍋で煮込んでやりたい気持ちは、今も変わらない。

私はラーメンを今でも好きだが、行列のできるラーメン屋だけは行く気しないのは、どうしてもあのラーメン屋「○○家」を思い出してしまうからである。

それに最近では、行列ができるような名店の味を再現したカップ麺や冷凍チルド食品が売られているから、わざわざ行かなくてもよいだろう。

通販の「日清行列のできる店のラーメン」とかでも、それなりの味が楽しめるのだ。

そりゃ、直接店に行って食べるのが一番かもしれないが、行列に並んだのに大した味じゃなくて、おまけに偉そうな態度を取られたりして嫌な思いをするのはごめんである。

だから、まず冷凍チルド版を試してから行っても、遅くはないのではないだろうか?と私は考えるのだ。

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レオタード愛好紳士たちへ

この記事は、日本語で作成し、機械翻訳で外国に訳しています。

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昭和の時代、こんな窃盗事件があった。

昭和X年某月某日、某高等学校の女子新体操部の部室から数万円相当のレオタード数着が盗まれた。

後日、窃盗事件として捜査していた警察は、県内に住む25歳の無職の男Aをこの事件の犯人として逮捕。

同時にAが某高校から盗んだレオタードを押収した。

Aが逮捕されたきっかけは、ある住民からの通報だった。

その住民は、道路わきに駐車した車に乗っていたAを見たとたん「変な人がいる」と警察に連絡したのだが、それはAが車内でレオタードに着替えていたからだ。

駆けつけた警察官に不審者として職務質問されたAは、「何をしているのか」「このレオタードの入手先は」と問い詰められ、自分の犯行を認めざるを得なかった。

着用していたレオタードが、盗難届けの出されていたもの以外の何者でもなかったから、ごまかすことができなかったのだ。

こうしてレオタード泥棒は御用となり、盗まれていたレオタードも正当な持ち主である新体操部員に返還されて事件は解決した。

だが、彼女たちが戻ってきたレオタードをためらうことなく再び着ることができたかどうかまでは報道されていない。(出典―VOW 宝島社)

レオタードは見ていて確かに魅力的だが(私も結構好きだ)、盗難はいかん。

新体操部員たちは決して安くはないレオタードを盗まれ、汚染されてしまった。

犯人のAも、報道の規制が緩かった昭和の時代にこんなことをやらかしたがために新聞で実名をさらされ、人生を棒に振ったはずだ。

最初に断っておくが、完全な加害者であるAを擁護するつもりは毛頭ない。

だが、もしAが平成から令和の時代に生きていたのならば、ひょっとしたらこんな犯行を犯すことはなかったのではないだろうかとも思うのだ。

昭和という、今から思えば多様性を社会が認めたがらなかった時代だからこそ、彼は道を外したのではないか?

それは、最近ネットでこんな商品を見つけたからだ。

商品名『FEESHOW(フィーショー)メンズレオタード』というらしい。

昨今はIiniim(アイム)などの男性用ブラジャーまでもが堂々ネットで売られているのを知って、「まさかレオタードも?」と思って調べたら本当にあったから驚きだ。

色違いのものや、半袖、光沢があるタイプもある。

この欧米人の男性モデルも、まるでスポーツウェアか背広を着ているようにさわやかである。

仕事選べよ

お前はモデルの仕事のために男廃業してるぞ、と言いたくなる。

それはさておき、こんなものがたやすく手に入る今の世だったら、Aは盗みに入ることなく健全にレオタードを嗜めたのではなかろうか?

彼は自分のプライベートスペースで、紳士的かつ情熱的にひとりファッションショーを楽しめるはずだ。

この『FEESHOWメンズレオタード』は写真から見てまごうことなきレオタードで、しかもそれなりに筋肉質な体をした男性モデルが無理なく自然体に着ている。

ということは、日本人の平均的な体格の男性ならばレオタードを痛めることなく着用できるだろう。

現実の女性用のレオタードは女性が着るために設計されたもので、

男性が着用することはむろん想定していない

男性が着ようとすれば、形状やサイズが合わず、着用は困難を極める。

仮に着用に成功したとしても、不必要で過剰な圧迫を受けて、着心地は最悪なはずだ。

それどころか、非使用対象者による不適切な使用にあたるため、レオタードの製品寿命は著しく短縮するであろう。

だが、この製品は男のためのレオタード、メンズレオタードなのだ!

見るだけでは飽き足らず、着用したいと願うレオタード紳士の願望を見事にかなえ得る逸品と言えるであろう。

昭和の時代にこれがあったならば、Aもレオタード獣の窃盗犯に墜ちることなく、救われていたかもしれない。

もっともAが着用済みのものを好む純粋な「中古品嗜好」の持ち主だったら、救いようがなかっただろうが。

最後に一言。

私もレオタードは好きだが、見る専門だ。

その主眼はレオタードを着用した新体操の女性選手そのものにある。

自身が着用したいと思ったことは一切ない。

今回ご紹介しました「Feeshow メンズレオタード」は、以下のリンクからご購入頂けます。みなさんも1着どうでしょうか?

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屈辱的な服装は全裸に勝る

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見ていると思わずプッとしてしまう言葉やイラストがプリントされたTシャツがある。

ツボを付いた一言や、ブランドのパロディ、遊び心満載のデザインが売りのいわゆる『おもしろTシャツ』だ。

これらのTシャツはそれを着ているだけで、笑いを取れたり個性を主張したりできる。

だが、中にはそれを着ているだけで痛い奴だと思われ、好奇の視線にさらされてしまうTシャツがある。

ただし、アニメのキャラが描かれたようなのは俗に言うその名もずばり『痛Tシャツ』であり、

ある意味確信犯的で、着用する者はある程度の気概と覚悟を持って着ていると信ずる。

私が問題にしたいのは上記『痛Tシャツ』ではなく、本当に痛いTシャツである。

わざとではないのかもしれないが、そういったTシャツは着用してしまった者を結果的に好奇の視線にさらし、公衆の嘲笑を誘うという未必の悪意が込められているとしか思えない。

だが、私は『I LOVE NY』を超越する痛さのTシャツを着て街を歩いてしまったことがある。

それも、何度もだ。

そのTシャツはおそらく他人から譲られたものだったと記憶するが、今から思えば、黒地に何やら白い英字が胸の部分にプリントされていたのを一切確認せずに着用し続けていた私も悪い。

ある休日、そのTシャツを着て新宿に行って散々歩き回った後で駅のトイレで手を洗っている時だった。

鏡に映る自分の姿が目に入って、Tシャツに何が書かれているか初めて気づいたのだ。

SEXY BOY
SEXY BOYだぞ、セクシーボーイ!!

地味に、そしてそこはかとなく痛々しくないか!?

たったアルファベット七文字なのになぜ気づかなかったんだろう!!

そういえば、これを着用して街に出た時、

すれ違った通行人に笑われたような気がしたことがしばしばあった。

そりゃ笑うだろう、私はその時すでに30代後半だったのだ。

メタボが進行した中年男がセクシーボーイと書かれたTシャツを着て繁華街を歩く姿は、

さぞかし滑稽かつシュールなスペクタクルであったことだろう。

何度もこれを着て繁華街を歩いていたから、無数の人間に笑われていたに違いない。

自分の不注意ぶりとアホさ加減にも腹が立ったが、このTシャツをデザインして販売した奴のセンスの悪さはテロ行為に等しいと思う。

電車に飛び込もうかと思い詰めるくらいの屈辱だったが、はやまったマネは思いとどまり、私は全速力で帰宅する道を選んだ。

電車を待ってる時も乗った後も、ブラジャーを取られた女性のように胸の部分で不自然な腕組みをして、ずっと前かがみ気味になっていた。

上京してからもう二十年近くたつが、あれほど新宿から自宅までの距離を長く感じたことはない。

私は帰宅後、セクシーボーイTシャツをすぐさま破棄したが、今まで不特定多数に嘲笑されていたであろうことを思うと、

ショックのあまりしばらく立ち直ることができなかった

今から思えばあのセクシーボーイTシャツは、始めから純粋にウケを狙った『おもしろTシャツ』の一種だったのかもしれない。

だが通行人たちは面白かったかもしれないが、私自身は断固面白くなかった

『おもしろTシャツ』を着る意義とは、他人も自分も面白くあってこそではなかろうか。

「Tシャツ選びは慎重に」という鉄の教訓を生涯心に刻んだ私の醜態を、他山の岩としていただければ幸いである。

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