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奪われた修学旅行 = カツアゲされた修学旅行生


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本記事中に出てくる人物の名前は、全て仮名となります。

中学校生活で最高のイベントといえば、修学旅行を挙げる人は少なくないだろう。

私はその中学校の修学旅行を、気が早すぎることに、まだ小学校六年生の頃から楽しみにしていた。

小学校での修学旅行先は京都・奈良であり、一泊二日とあっという間であったが、11歳だった私には、旅行先での瞬間瞬間が非常に充実しており、それまでの人生で最良の二日間だった。

旅行先の宿でクラスメイトたちと過ごした一夜は、家族旅行では味わうことができない鮮烈な体験であったことを、今でも覚えている。

当時の私

旅行から帰った後の私は、修学旅行ロスとも言うべき症状に襲われ、配られた思い出の写真を見ながら、もう二度と来ることのないその瞬間を脳内でリプレイしようと努めては、タメ息をついていたくらいだ。

同時に、私は中学校の修学旅行に思いをはせるようになった。

同級生のうち、中学生以上の兄や姉がいる者から聞いたところ、中学の修学旅行は二泊三日だという。

たった一泊二日の小学校の修学旅行でも、あれだけ楽しかったのだ。単純計算で、倍以上の楽しさになるだろうと確信していた。

しかし、その時は全く予想していなかった。

その中学の修学旅行が、これまでの人生で最もひどい目に遭った体験の一つとなり、「好事魔多し」という鉄の教訓を、私に生涯刻み込むことになるであろうことを。

待ちに待ったその日

中学に入学した時から、私の心は二年後の修学旅行にあった。

早く三年生になって、修学旅行当日を迎えたかったものだ。

そんな私の期待を、いやがうえにもさらに高めた知らせを耳にした。

私が入学した年、三年生の修学旅行の行き先は関東方面で変わらなかったが、第一日目の目的地が、何とあの東京ディズニーランドになったというのだ。

ディズニーランド

私の期待は、一年生の時点で早くも暴騰した。

これはきっと最高の思い出になるに違いないと確信し、いよいよ三年生になるのが待ち遠しくなった。

そして、短いような長いような中学校生活も二年が過ぎ、晴れて中学校三年生となった1989年の5月20日、私は夢にまで見た修学旅行初日を迎えた。

それまでの中学校生活はこの日のためだったと言っても、過言ではない。

前日、修学旅行へ持参するお菓子を、学校で定められた千円の範囲内でいかに好適な組み合わせで購入すればよいかと、スーパーでじっくりと選んでいたために、帰宅が遅くなったものだ。

きっと明日から始まる三日間は、人生で最も幸福な時間となり、終生忘れることなく、何度も思い出すことになるだろう。

私はその日、そう信じて疑わなかった。

そして迎えた修学旅行当日は、私の通うO市立北中学校に集合し、バスに乗って東海道新幹線の駅へ。

そこからは新幹線に乗って、最初の目的地・東京へは一直線だ。

新幹線の中では、クラスの皆はお菓子を食べたり、トランプをやったり、意味もなく動き回ったり、私を含めた三年二組全員は、これから始まる輝かしい時間に誰もが胸躍らせ、車内に期待が充満していた。

新幹線はあっという間に愛知県を越えて静岡県に入った。

浜名湖を超えて天竜川を過ぎて、富士山の雄姿を拝みながら、そのまま一路東に向かい、普段の退屈な学校生活とは全く異なる得難い極上の非日常を味わいながら、三島、熱海、小田原、そして新横浜に到達。

やがて多摩川を越えて東京都に達すると、今まで見たこともない大都会に入ったことを実感した。

ビルの大きさや市街地の質が自分たちの知っている最も大きな街、名古屋市を凌駕しているのだ。

テレビでしか見たことがない東京を実際に目の当たりにした我々は圧倒された。

東京駅に到着すると、そこからはバスに乗って最初の目的地、東京ディズニーランドに向かう。

車中では、私を含めたクラスメイトたち誰もが旅の疲れなどみじんも見せず、これからが本番だと興奮していた。

ディズニーランドへの道中は、窓の外がいかにも東京という光景の連続に目を奪われ続けたため、あっという間に到着してしまった印象がある。

昼食は外の景色を見ながら移動中のバスの中で摂り、待ちに待った約束の地に到達したのは正午過ぎ。

広大なディズニーランドの駐車場でバスを降りて一刻も早くランド内に突撃したかった我々だが、いったん集合させられ、学年主任の教師である宮崎利親から、長ったらしい注意事項を聞かされた。

宮崎が、いつもの論理破綻した冗長な説明において何度も強調したのは、班行動厳守。

所属する班を離れて班員以外の人間と、又は単独で行動してはならないということだ。

そうは言っても、私は自分の所属する班に不満だった。

なぜなら、班長の岡睦子は、私の好みからは程遠い容貌の上に、気が短く口うるさい女。

もう一人の女子、芝谷清美はクラスのカーストで底辺に位置するネクラな不可触民的女子。

男子の大西康太とは、同じクラスになったのは小学校から通算して初めてだし、少々気が合わないところもあって、普段からあまり話す仲ではない。

こんな奴らと一緒でどう楽しめと?

私は班から離脱することを、とっくに心に決めていた。

だが、その決断が後の災難の大きな要因になることを、この時点の私はまだ知らない。

入口ゲートをくぐると、もう教師たちの統制は効かない。

班は、大体男女二人ずつの四人を基本構成としているが、わが校の制服を着た男ばかり三人や女ばかり五人、或いは男女のペア等の不自然な組み合わせが、あちこちで出現し始めた。

皆考えることは同じなのだ。

私もしない手はないではないか。

我々の班は、独裁的な班長の岡の一存で最初に「シンデレラ城」、次に「ホーンテッドマンション」に行くことになっていたが、私は移動のどさくさに紛れて離脱に成功、別行動を開始した。

本当は、同じクラスで気の合う中基伸一や難波亘と行動を共にする手はずになっていたが、あまりにも人が多すぎて、彼らがどこへ行ったか分からなくなった。

今から思えば携帯電話のない時代の悲しさだ。

そうは言っても、私は一人であることを幸いに、自由自在にアトラクションを回ることができた。

「カリブの海賊」、「ビッグサンダーマウンテン」に「空飛ぶダンボ」等々、ジェットコースター系を好む私は「スペースマウンテン」に三回も乗った。

ビッグサンダーマウンテン
スペースマウンテン

「ホーンテッドマンション」やショーなど見てても、退屈なだけだ。

「シンデレラ城」など論外、班長の岡の感性に支配された班と行動を共にしていたら、そういった退屈なアトラクションやショッピングばかり行く羽目になっていたはずで、こんなに満喫はできなかったであろう。

私は、自分の果敢な実行主義を自画自賛しつつ、自分好みのアトラクションを渡り歩き、小腹がすくとソフトクリームやポップコーンを買って小腹を満たした。

ディズニーランドの食べ物はどこも割高であったが、心配はない。お小遣いはたっぷりもらっているのだ。

しかし、調子に乗って食べ過ぎて、もよおしてきてしまった。

幸い、トイレはすぐ近くに見つかった。

この差し迫った緊急事態を回避するためにそのトイレに入ると、さすが天下のディズニーランド。床で寝ても平気なくらい清潔だ。

しかもありえないことに、私以外に人がいないのがありがたい。私は心置きなく個室の一つに飛び込んだ。

そして、修学旅行が楽しかったのはこの時までだった。

今考えても無駄だが、なぜよりによって、このトイレを選んでしまったのだろうか?

このトイレこそ、有頂天の私を奈落の底へと突き落とす悲劇の舞台となったのだから。

悪魔たちとの遭遇

ちょうど個室に入ってドアを閉めて、一安心したのと同時だった。

下卑た大声が外から聞こえたのだ。

「お、誰かウンチコーナー入ったぞ!」

誰かに入るところを見られたようである。

声からして私と同じ中学生くらいだと思われたが、その声に聞き覚えはないため、きっと他の学校の修学旅行生だろう。

しかし、ウンチコーナーだと?

私のいた中学校では大便をするということ自体がスキャンダルになるため、外にいるのが自分の学校の人間でないとみられることに一瞬ほっとしたが、それは大きな間違いだった。

「おい出て来いよ」

「ちょっと顔見せろ!」

などと言ってドアを叩いたり蹴ったりで、かなり悪質な連中なのだ。

そんなこと言ったって、こっちはもうズボンを脱いで、便座に腰掛け、大便を始めている。

だが、彼らの悪ノリは止まらない。

「余裕こいてウンコしてんじゃねえよ」

「お、中の奴、今屁ぇこいたぞ」

「おい!いつまでケツ吹いてんだ?紙使い過ぎなんだよ!」

何なのだ、こいつらは?余計なお世話ではないか!

ヒトの排泄の実況中継や批評まで始められるに至って、私のいらだちは頂点に達した。

ドンッ!!

私は「うるさい」とばかりに、内側から個室のドアを思いっきり叩いた。

音は思ったより大きく響き渡り、外の連中の茶化す声が一瞬静まり返る。

私の強気にビビったのか?

いやいや、その逆だった。

「ナニ叩いてんのオイ!」

「俺らと喧嘩してえのか?!」

「引きずり出すぞ!ボケ、コラ!!」

彼らは、先ほどよりずっと大きな声で威嚇しながら、ドアをより強く蹴飛ばし始めたのだ。

まずい、怒らせてしまった。

そして、さっきから思っていたことだが、外の奴らは悪質も悪質、ヤンキーなのではないのか?やたらとドスが利いたガラの悪い口調である。

ならば、断固出るわけにはいかないではないか!

私はパニックになりながらも、まずは外に何人いるのか確認するのが先決だと判断。

この個室にはドアと床の間に隙間があったため、私はその隙間から外を偵察することにした。

清潔だとはいえ少々抵抗があったが、手をついて、床とドアの隙間に顔を近づける。

が、相手も外の隙間から中をのぞこうとしていたらしい。

それがちょうど私が顔を近づけた場所と向かい合わせで、至近距離で私と相手の目と目が合ってしまった。

「うわ!」

「うおお!」

私も驚いたが、外の奴もかなりびっくりしたらしい。中と外で同時に驚きの声を上げて、顔をそらした。

「中にいる奴、宇宙人みてえなツラしてるぞ!」

私は、相手の顔を一瞬すぎて判断できなかったが、外の奴は私の特徴を一方的にそう表現した。

ヒトを宇宙人呼ばわりとは失礼な奴らだ。

しかし、連中の失礼さは、そんなレベルではなかった。

「君は完全に包囲された。無駄な抵抗はやめて出てきなさい」

とか、ふざけたことを言って、タバコに火をつけて、個室に投げ込んできやがった。燻り出そうという腹らしい。

水も降って来たし、借金の取り立てみたく、ドアも連打してくる。

屈してはならない!出て行ったら何されるかわからない!

何より、やられっ放しもしゃくだ。

私は降ってきた火の付いたタバコを投げ返したり、ドアを蹴飛ばし返したりと『籠城戦』を展開した。

どれだけ攻防戦が続いただろうか。まだ水も流せないし、私はズボンもパンツも下ろしたままだ。

籠城戦というより、闇金の取り立てにおびえる多重債務者の気分に近かっただろう。

そのように、ここで一生暮らす羽目になるのではないかとすら、錯覚した時だった。

外の連中とは違う感じの声が響いてきた。

「ちょっと、ちょっと、止めてください。何してるんですか?」

その声がしたとたん、外からの攻撃が止んだ。

ディズニーランドの従業員、通称『キャスト』か!?

そうだろう!いつまでもこんな無法行為を続けれるほど、日本はならず者国家ではない、止めに来てくれたんだ!

「何だよ!中の奴が俺らをナメてんだよ」

「とにかくダメ。こういうことはやめて。警察呼ぶよ」

「中の奴と話させろよ」

「ダメダメ、もういいから出て!」

外で押し問答が続いていたが、ヤンキーどもが折れたようだ。

「わかったよ、行きゃいいんだろ!くそやろーが!覚えとけよ!」と、捨て台詞を吐いて出て行く気配がするのを、ドア越しに感じた。

助かった!さすがディズニーランド、しっかりしてる!これで安心だ。

やっとズボンを穿ける。脱出できる!

恐る恐るドアを開けて外に出ると、外の世界はさっきと同じただのトイレだったが、あの極限状態から脱した後は違って見えた。

異常事態は終わり、日常世界に生還してやった、という歓喜と達成感に満たされていたからだ。

当時のトイレのイメージ

私はトイレの光景を見て、あんな感慨に浸ったことはない。また、今後もないだろう。

同時に他校の不良少年たちの攻撃に耐え抜き、敢闘したという充実感に満たされていた。

これは災難ではあったが、あの勇敢なキャストの助けもあったとはいえ、私の偉大なる勝利だと。

命の恩人たるくだんのキャストにお礼を言うべきだったが、ヤンキー共々トイレ内にはもういないから、別にいいだろう。

とにかくトイレの外に出よう。外では美しい夢の国が待っている。

だが、それは間違いだった。

奴らは出入り口で私を待っていやがったのだ。

夢の国でのひとり悪夢

「このウンコ野郎、やっと出てきやがったか」

そう言って剣呑な目つきで出入り口をふさいでいたのは、ヤンキー漫画のリアル版のような不良中学生七人。

さっきの連中であろうことは間違いないが、剃りこみ頭や染めた髪で、変形学生服を着た本格的な奴らだった。

写真はイメージです

どういうことだ?キャストに追っ払われたんじゃなかったのか?

私は一瞬キツネにつつまれたようにあ然とした。

「ダメダメ!トイレの中へ戻ってください!」

ヤンキーたちの中の一人、眉なしのデブがおどけて言ったその声も口調も、あの恩人だったはずのキャストそのもの。

「オメー、バカじゃねえの?フツーひっかかるか?」

茶髪のヤンキーの一言で、私は彼らの打った猿芝居に、見事に騙されたことを知った。

「そりゃそうとオメーよ、俺らにずいぶんナメたマネしてくれたな」

と、同じ中学生、いや同じ人類とは思えないくらい凶悪な人相のヤンキーたちが私を囲む。

恐怖のあまり穿いていたブリーフの前面が、用を足した直後にもかかわらず尿でじわじわと濡れてきたその時の感覚を、今でも覚えている。

震えあがった私は「え、俺知らないよ」と苦しい嘘をついたが、「オメ―しかいなかっただろう!」と一喝され、トイレの中に連れ込まれた。

二人くらいが、見張りのためか出口を固める。

悪夢の本番が始まった。

床に土下座させられた私は、ヤンキーどもに脅されながら小突き回され、頭を踏まれ、手数料だとかわけのわからない面目で、金を巻き上げられた。

旅行先でのカツアゲに備えて、靴下の下に紙幣を隠すなどの危機管理を行う修学旅行生もいるようだが、当時の私にとってそんなものは想定外であり、財布の中に全ての金があったために有り金全てを強奪された。

私の金を奪った後も、彼らは「殺されてえのか」だの「まだ終わったと思うなよ」などと、私の髪の毛を引っ張ったり胸ぐらをつかんだりして執拗に脅し続け、その時間は、個室に籠城していたよりも確実に長かった気がする。

生徒手帳まで奪われた私は「テメーの住所と学校はわかった。チクったら殺しに行くぞ」と脅迫された。

ヤンキーどもは「そこで正座したまま400まで数えたら出ていい」と命じ、最後に「東京に来るなんて百年早えぞ、田舎者!」と捨て台詞を吐いて、私の頭をかわるがわる小突いたり蹴りを入れてきたりして立ち去って行った。

さっきのようにまだ外にいるかもしれず、恐怖に震えるあまり、涙目の私が律義に400まで数えてから外に出た時には、日がだいぶ傾いていた。

ヤンキーたちは、自分たちの犯行が露見するのを恐れてたらしく、あまりこっぴどい暴行を加えてこなかったが、私の受けた精神的な打撃及び苦痛は甚大だった。

私はまごうことなきカツアゲに遭ったのだ。

カツアゲされた気分は、実際にやられた人間にしかわからないと、今でも断言できる。

おっかない奴に脅され、さんざん小突かれて金品を奪われる恐怖と屈辱は、笑い事では済まないくらいの災難なのだ。

しかも私の場合、ずっと楽しみにしていた修学旅行でそれが起こり、一番楽しいはずの夢の国ディズニーランドで、自分だけが悪夢の真っただ中だったから、なおさらである。

信じたくはなかったが、それは事実以外の何物でもなかった。

こんな目に遭うなんて誰が思うだろう?

はしゃぐのは、許されざる罪だとでもいうのか?

予測できなかった当時の私を誰が責められよう。

ランド内で目に入る客たちは誰も彼も楽しそうにしているため、私は余計に前を見ていられず、下ばかり見て歩いていた。

地面がさっきより暗く見えたのは、日が落ちてきたからばかりではない。

私は半泣きだったため、視界が時々グニャリとゆがむ。

私は修学旅行への期待に胸膨らませていた小学六年生からこれまでの三年近くの年月ばかりか、中学校生活そのものが崩れ去ったように感じていた。

もう、何も考えたくなかった。

こんな不幸に遭うことは、なかなかないはずだ。

これに匹敵する不愉快が、その後も立て続けに起こることは普通ありえない。

だが信じられないことに、私の災難はこれで終わらなかったのだ!

それもこの直後の、この日のうちにだ!

神が私に与えた試練?いや、天罰か。いやいや、嫌がらせとしか思えない。

試練にしては明確に害意を感じるし、ここまで罰されなければいけないことをした覚えもない。

私がどの神の機嫌を、いつどのように損ねたんだろうか?

その神による嫌がらせ第二段の開始時刻が刻々と迫っていることに、この時の私はまだ気づかなかった。 

パート2に続く

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中学生にいじめられた29歳の男の復讐


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2001年6月8日、大阪教育大学付属池田小で起きた児童殺傷事件は犠牲になった児童の数もさることながら、学校に凶器を持った不審者が乱入する学校襲撃事件としても、社会に衝撃を与えた。

この事件以後、全国の学校で部外者の学校施設内への立ち入りを規制したり、警備員を置くなどの安全対策が取られるようになり、もはや、学校は無条件に安全な場所ではないという考えが国民の間で広まった。

しかし、不審者が学校に侵入して生徒を無差別に襲うという事件は、この池田小事件が日本初ではない。

それより13年前の1988年7月15日、神奈川県平塚市のY中学校で、同様の学校襲撃事件が起きていたのをご存じだろうか?

この事件では死者こそ出なかったものの、鎌や斧を持った男が中学校に乗り込み生徒たちを無差別に攻撃して、8人を負傷させた。

犯人の男は教職員らに取り押さえられて逮捕されたが、その犯行動機たるや、あまりにもあきれたものだった。

ボブ

橋本健一(仮名)

犯人の橋本健一(仮名)は、事件のあった平塚市立Y中学校から、200メートルほど離れた団地で、両親や妹と同居していた29歳の無職。

子供のころから自閉症気味で家に閉じこもりがちだった橋本は、中学卒業後に就職したものの、一年とたたず辞めており、以降、働くこともなく実家に寄生して、ニート生活を送ってきた。

ニートとはいえ、ずっと家に閉じこもりっぱなしの引きこもりではない。

働いていない彼は毎日ヒマにまかせて、家のママチャリに乗って近所を徘徊しており、よく向かっていた先がY中学校であった。

中卒の橋本には中学校に特別な思い入れがあったと思われる。

付近をうろつくだけではなく、校内に入っていくこともあった。

そして、女子生徒がグラウンドで体育の授業を受けていようものなら、それを凝視してニヤニヤしていることもあったし、下校途中の女子生徒をつけまわしたりもした。

完全に不審者そのものである。

行動だけでなく外見も相当怪しい。

ひょろっとした150cmほどの小男で、うつろな目をしたおかっぱ頭の橋本は、見る者に異様な印象を与えた。

そんな妖怪のような成人の男を、生意気盛りの中学生たちが放っておくわけがない。

事件が起こる5年ほど前からY中学校の生徒たちは橋本をからかうようになってきた。

中学生たちが橋本に付けたあだ名は「ボブ」。

それは、彼のおかっぱ頭がボブカットのようであったことに由来する。

そして身なりも行動も怪しく、何より弱そうな見かけだった橋本へのちょっかいが「いじめ」へとエスカレートするのに、時間はかからなかった。

中学校に近づくと大声で罵声を浴びせられたり、唾を吐きかけられたり、石を投げられたり、傘で付かれたり、足蹴にされたり。

橋本は基本無抵抗だったが、時々怒って抵抗することもあった。

しかし「それはそれで面白い」と嫌がらせがグレードアップする始末で、中学生も一人ではない場合が多かったため、よってたかって殴るけるの返り討ちにされたこともあったらしい。

ならば近づかなければいいのだが、橋本はY中学校に出没することをやめなかった。

事件の前年には、中学校の運動会の最中に校内に入ってきた橋本を生徒たちが競技そっちのけで迫害、玉入れに使う玉を、数十人が一斉にぶつけた。

この時は、さすがに教師も止めに入ったようだが、悪ガキどもにとっては、きっと運動会の競技より楽しかったことだろう。

また男子だけでなく女子も面白がっていじめに参入することもあったし、小学生までもが、橋本の自転車を囲んで荷台を引っ張ったりしてからかうようになってきた。

家にいても安全ではない。

どうやって知ったか、中学生たちは橋本の住所や電話番号を知っており、自宅に石を投げ込まれたり、いたずら電話をかけられたりもした。

はたから見て自業自得の気が大いにするし、どう見ても、いじめられに行っているとしか思えない橋本だが、なぜこういう目に遭うのか理解できず、我慢ができなかったようだ。

一度Y中学校に、以下のような手紙を書いて抗議したことがあった。

「先生一同、日ごろ子供たちに嫌がらせをされ、つばを吐かれたり悪口を言われたりして困る。しっかり指導してほしい。弱い者は、いつもいじめられても黙ってがまんしていなければならないのか」

この抗議を受けて、学校側も生徒たちにある程度の指導はしたようだが、そんなことで思春期のガキどもが改心するなら、中学教師は苦労しない。

この時代のY中学校の生徒たちも同じで、いじめは相変わらず続く。

1988年(昭和63年)4月、Y中学校は新年度を迎えた。

橋本は学校に抗議した上に、旧三年生が去って新一年生が入ってきたことで、自分へのいじめはなくなると考えていたようだが、中学生を甘く見てはいけない。

在校生たちは、それまでと同じく橋本を見かけると嫌がらせをしてきたし、その悪しき伝統は、ほどなくして入学したばかりの新一年生にも、順調に受け継がれた。

そしてこの年、それまで橋本の心に蓄積されてきた怨念が飽和状態を超えて臨界点を迎えて爆発、事件に至ることになる。

臨界点

抗議したのに、自分へのいじめはなくならない。

橋本の中では、生徒たちばかりではなく、学校全体が敵に思えてきた。

溜め込める怨念には許容量というものがある。

もう我慢できない。

彼は平塚市内のスーパーなどで刃物類を買い集め始め、7月になったころには、鎌2丁、斧1丁、文化包丁や果物ナイフ6丁を揃えていた。

自分を虐げてきたY中学校の生徒たちを、片っ端から血祭りにあげる気になっていたのだ。

やるなら夏休みが始まる7月20日前にやろうと心に決めながらも、普段通りY中学校校内に入った7月13日。

「おい、ボブが来やがったぜ」

「ナニまた入ってきてんだよボブ!消えろ!!」

「またやられてえのか?コラ!」

「ボールぶつけっぞ!オイ!!」

この日グラウンドで練習をしていた野球部の部員たちだ。

卓越した運動能力を有する彼らは、同時に最も元気の良い一群でもある。

橋本の姿を認めるや、迫力満点の罵声を浴びせてきた。

野球部員たちにとっては、いつもどおりのことだし、皆もやっているから、特に大したことだとは考えていなかったであろう。

だがこの行為が、橋本に凶行の実行を決意させるトリガーとなったことを、彼らは知る由もなかった。

暴走

二日後の7月15日金曜日午前10時40分ごろ。

授業が行われているY中学校に、橋本が現れた。

いつもと違うのは、校舎にまで入り込んだことと、その手に紙袋を持っていたことである。

紙袋の中には二、三か月かけて買い集めた斧や鎌、刃物。

一昨日の決意を実行に移すためだ。

橋本が校舎に入って最初に向かったのは、校舎三階の音楽室。

歌声に交じって聞こえる声から、授業をしているのが女性教師であり、やりやすいと考えたからである。

その音楽室では、一年五組の生徒41人が合唱の練習中だったが、橋本が袋から出した鎌を片手に突然ドアを開けて入ってくると、歌うのを止めて静まり返った。

一瞬あっ気にとられていた一同だったが、橋本が無言のまま一番近くにいた男子生徒に鎌を振り下したとたん血が飛び散るや悲鳴が上がり、室内は大パニックとなった。

橋本は斧も取り出して、椅子や机を倒しながら、逃げ回る生徒に次々襲い掛かかる。

自分をいじめたことのある生徒だったかどうかは関係がない。

橋本にとって、このY中学校の生徒であるというだけで罪なのだ。

退屈だが平穏だった学校での日常は、最悪の非日常へと急変した。

この教室では、合計3人が頭や腕を切られて負傷する。

教室から逃げた生徒を追いかけて、廊下に出た橋本が次に向かったのは、一教室おいて隣接する一年四組の教室。

ここでは、最前列の入り口付近に座って国語の授業を受けていた生徒を真っ先に切りつけた。

蜂の巣をつついたような騒ぎとなった教室内部に、すかさず乱入し、無言で右手に鎌左手に斧を振り回して、生徒たちを追いかけ回す。

音楽室同様、教室は生徒たちの悲鳴に交じって、女性教師の「みんな逃げて!逃げて!!」という叫び声が、こだまする修羅場と化した。

橋本は四組で生徒3人を血祭りにあげると、より多くの生贄を求めて、上の四階に向かった。

四階でも二年生が授業を受けていたのだが、下の階から尋常ではない大声が聞こえてきたため、生徒たちが何ごとかと廊下に出てきていた。

そこへ下の階から上がってきた橋本が襲いかかり、生徒が2人やられた。

その勢いで、別の教室にも向かおうとした橋本だったが、その前に立ちはだかる者たちがようやく現れた。

Y中学校の教職員だ。

椅子を持って橋本を取り囲み、じりじりと近寄ってくる。

鎌や斧で武装しているとはいえ、複数の成人男性相手には分が悪かった。

壁の一角に追い詰められ、ナイフを出して抵抗しようとしたが、教職員の一人に組み付かれて取り押さえられた橋本は、観念して凶器を捨てた。

逮捕後

この凶行では死者こそ出なかったものの、生徒8人が負傷し、うち一人は、全治一か月の重傷であった。

負傷した生徒

教師たちに取り押さえられた橋本は、その後通報により駆け付けた平塚署の警察官に連行された。

平塚署では、刑事たちに動機などを厳しく追及されたが、橋本は犯行時と同じく無言だった。

黙秘していたのではない、しゃべれなかったのだ。

小さいころから、人と話すことが極端に少なかったために声帯が発達せず、大きな声で話すことができなかったのである。

そのため取り調べは、橋本に供述を紙に書かせるという異例の形になった。

「復しゅうした。今年と去年、一昨年にY中学の生徒に悪口を言われたり、石をぶつけられたりした…」

「冬には雪だまを投げられたり、家に石を投げられたりした。学校に『何とかしてくれ』と言ったが、何もしてくれず、無視された」

「この学校の生徒ならば誰でもよかった。殺すつもりはなく何人かやれば気が済むと思った」

橋本は筆談でそう供述した。

さらに凶器を入れていた紙袋から、Y中学校への恨み言や襲撃したことの動機などが丁寧な字で書きこまれた大学ノートも見つかる。

そこにはこう書かれていた。

「ボブ、バカなどと一日多いときで四、五十回も悪口を言われる。本当にムシャクシャする。皆殺しあるのみ」

事件後、新聞記者の取材に答えた生徒の一人は「いじめているという気持ちはなくて、遊んでいるつもりだった」と殺人犯による「殺すつもりじゃなかった」と同じような無責任な言い訳を吐いていた。

また「僕らも悪かったかもしれない」と殊勝な答えをした生徒もいた。

いずれにせよ、襲われたY中学校の生徒たちにとっては、身も凍る衝撃的な事件となったようである。

弱い者いじめによって自分に返ってくるかもしれない結果を、全校生徒が思い知らされたのだ。

事件後の現場検証

筆者の私見

私事ではあるが、Y中学校での事件が起きた当時、1975年生まれの筆者は中学二年生。

つまり、被害に遭った生徒たちと同年代であったから、この時の報道をよく覚えている。

もうおっさんに近い年齢の大人の男が、自分たちと同世代の中学生にいじめられたこと自体カッコ悪いのに、その報復に凶器を持って学校に乱入したんだから「みっともないったらありゃしない」とあきれ返ったものだ。

そして、私が通っていた中学にも、橋本のような部外者がよく校内に入り込んでいた。

「キチ」と皆に呼ばれていた知的障害のある二十代後半の男だ。

だが、「キチ」は「ボブ」のようにいじめられることはなく、わが校の生徒たちは、キチと一緒に遊ぶなど、一見友好的な関係を保っていた。

これはY中学校の生徒たちと違って、わが母校の生徒たちが善良だったからではない。

キチは怒らせると本当に危険なことで有名で、生徒たちも怖くて嫌がらせできなかっただけだからだ。

ボブがキチのように危険な側面を持っていたら、Y中学校の生徒も手を出さなかったはずである。

当時のだろうが今のだろうが、この世代のガキは変わらない。

弱い者いじめは、娯楽だと考えている。

相手がこちらにとって危険でなかったら、いつまでもやり続けるし、たいして深刻に考えることもない。

一方のやられる側は、それに慣れることはなく、怨念が積もり積もっていく。

それが限界を超えたら、あるものは自殺という「消極的な」手段をとるし、ボブのように「積極的な」手段に訴える者もいる。

起こりうるどちらか一方が起きたのだから、Y中学校の事件は、必然的に発生したものではないだろうか?

また、消極的より積極的な手段を採用した方がましだと思うが、ボブの良くないところは、いじめられる原因を自分で作った以外に、無関係の生徒に積極的な手段を行使してしまったことである。

せめて自分に嫌がらせをした張本人に向けていれば、多少は肯定的にとらえることができたかもしれないと思うのは、私だけだろうか?

出典元―読売新聞、毎日新聞、毎日新聞社『昭和史全記録』

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汚宅でも実証!ゴキブリ駆除剤『コンバット』の破壊力


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恥ずかしながら私の家は汚い。

下の写真がその有様を写したものだが、あまりに閲覧注意なので画像を大幅に加工させていただいた(モザイクかけただけでは足りなかった)。

ゴミ屋敷ってほどじゃない(と信ずる)が、生来無精者の私は掃除を一か月に一回しかしないし、モノもちらけっぱなしであることが多い。

私の部屋を訪ねた友人は二度と来なくなるし、

部屋の中には他の家にはいない風土病のような病原菌が存在しているらしく、訪問した人間の中には原因不明の発疹やかゆみのような症状が現れた者もいる。

そんな菌類のサファリパークと言うより、保護区状態の我が家には様々な昆虫も出現し、生態系すら形成されてしまっている。

その生態系の圧倒的頂点に君臨するのは、この家の正当な支配者であるこの私だから、そういった昆虫を見かけるとテロリストとみなし、輪ゴム、キンチョール、ダニアース、ライター、丸めた雑誌などによる徹底した弾圧を行っている。

目障りだし、しょっちゅう見かける以上害虫に決まっているからだ。

もっとも、目に見えないものはもっと多いに違いないが。

それはさておき、そんな昆虫たちの中でも特に目障りなのがご存じゴキブリだ。

失敗国家の反政府ゲリラのごとく、ご多分に漏れず我が家にも出没する。

夏になると毎日、それも一日のうち何回も見かけるようになる。

『一匹いたら百匹いる説』というものがあるが、ならば私の家にはいったい何匹いるんだろう?

一度に二、三匹いたのを見たこともあるから考えたくもない。

部屋をマメに掃除する気はあまり起きないくせに、ゴキブリと共存する気は全くない私は、8月のある日とうとう我慢できなくなり、部屋の平和を脅かす者たちに怒りの一撃を加えようと薬局に走った。

私が最初に買おうと思った兵器は『ゴキブリホイホイ』なのだが、見当たらなかった。

その代わり目について購入したのは、設置容器型のゴキブリ駆除剤『コンバット』なるものだ。

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なんでも、ベイト剤という駆除剤が入った設置容器をゴキブリの生息場所や通り道に置いておくと、吸引作用があるその容器の中にゴキブリが入ってベイト剤を食べ、その毒性作用で巣に戻ったところで死亡するのだという。

のみならず、体内にその毒性成分が残っているのでその死骸を食べた他のゴキブリや幼虫も死ぬため、巣ごと殲滅できるという名前に違わぬシロモノだ。

もっとも、そんな説明を読んだからじゃなく値段が600円くらいと手ごろだったから買ったのであって、以上のことを知ったのは、家に持って帰ってからである。

本商品『コンバット』はベイト剤が入った設置容器が四つ入っている。

その容器には底面に固定テープがついているため、ゴキブリが通るであろう壁や角に垂直にくっつけることができる。

6畳当たり一個か二個設置が目安らしいが、私は一番ゴキブリを見かける台所に集中的に置いた。

ぶっちゃけ商品の説明がごとく本当に一網打尽できるとは思っておらず、見かけるのが少なくなるだろうくらいしか期待していなかったのだ。

だが、効果は予想以上だった。

早くも設置した翌日から見かけなくなったのだ、ゴキブリを!

正確には8月の初めころに設置して10月初旬の現在までに、10回未満しか見かけていない。

そんだけ見かけたらダメじゃないかって?

しかしそれまで毎日見かけ、一日10回以上目撃したことすらある我が家の以前の惨状から比べれば、効果は絶大と評価すべきではなかろうか。

私の家のような汚染度の高い家でもこの威力なのだ。

この『コンバット』の効果は一年であり、また来年の8月になったら買い替えて交換しなければならないようだが十分である。

このゴキブリ駆除剤『コンバット』の導入という果敢な行動により、私を毎年悩ませてきたゴキブリ問題が解決したと言っても過言ではないのだ。

だが、その前にそもそもゴキブリが出ないように、家をマメに掃除するという行動の方は残念ながらまだ起きていない。

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2021年 おもしろ ゲイ 悲劇 本当のこと

ハッテン場の真実と異性愛者の体験


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男性同性愛者が出会いを求めて集まる場所をハッテン場というらしい。

そこは性的少数者たる彼らの侵すべからざる聖域であり、同時に異性愛者であるノンケ男子禁制の魔界でもある。

私が大学生だった90年代後半の A 県 N 市内においても、そんな知る人ぞ知る秘密の薔薇園が存在した。

地下鉄 H 線の I 駅改札前の広場である。

私には今も昔もそんな趣味はなく、当時はそこがそんな場所だということ自体知らなかった。

それを否応なしに知ったのは、そこに何度か足を運ぶ羽目になったからだ。

私が大学5年生の時(1年留年した)、よく仲間内の飲み会に誘われたのだが、待ち合わせ場所がよりによっていつもそこだった。

最初の頃は私もそういう場所だと気づくことはなかったが、回を重ねるごとに時間通り来なくなるメンバーが増えてきて、四回目くらいの時に私もその理由を問答無用で思い知ることになった。

ナンパされたからである、男に。

正直、ナンパなんてお上品なもんじゃなかった。

その日時間に律儀な私は時間前に到着、ひとりで他の飲み会参加者が来るのをベンチに座って待っていたら、

「お待たせ!」

とか言って、いきなり見知らぬ男がすぐ隣に座ってきて、肩を組まれて股間に手を伸ばされたり、歩き回っていたら、

「だーれだ?」

と後ろから別の見知らぬ男に手で目隠しされたりしたのだ。

目隠しされた時はてっきり他のメンバーが来たかと思って、

「おせーよ。いつ待たせんだよ」

と言ってしまい、

振り返ってみれば、全く他人のヒゲヅラのごつい男。

最悪な勘違いをさせてしまい、おまけになかなかあきらめの悪い男だったので数百メートル以上追い掛け回され、変質者に狙われた女性の恐怖を心の底から理解した。

身の危険を切実に感じた私は、I 駅構内は危険だと判断。

とりあえず逃げ込んだのは交番ではなく、I 駅を出てほど近い O 野書店という本屋だった。

携帯電話がまだ一般的ではなかった 90年代後半だったので、待っている相手が今どこにいて、いつ来るかもわからない。

だからその O 野書店からなら集合場所たる駅の改札前が見え、誰が来たか分かるというのもあったが、

男に狙われるというおぞましい体験をしたばかりなので、口直しにエロ本でも読んで嫌なことを忘れようともしたのだ。

そう思って雑誌コーナーへ向かった私だったが、顔面蒼白になり凍り付いた。

ゲイ関連の雑誌や写真集の比率が異様に高かったのだ。

18禁とかそんなレベルを超越している。

近くの場所が場所だけに、その特殊な需要をもろに当て込んでいたらしい。

ジャニーズ系の美男子モノに、体育会系のマッチョ系などの正統派だけではなく、デブ専や老け専などのキワモノまで、ゲイ向けの書籍はこんなに種類があるなんて思いもしなかった。

同時に、こんなモンを読んで興奮している人間が、この世にいるなんて考えたくもない。

  • 「豊満」なんて雑誌は、ハゲで腹の出たオッサン同士が絡み合っているし、
  • 「全日本熊大全」という写真集は、毛深くてごつい男のヌード写真が目白押し!
  • また、和彫りの紋々の入ったヤクザ風の男のヌード写真集もあった。

異性愛者の中でスチュワーデスや女子高生などの特定の属性を専門に好む者がいるように、極道フェチの同性愛者もいるらしく、それらの人々にとって暴力団事務所は、きっとセクシーな男たちが集う薔薇の花園なんだろう。

その中の一員になりたいか、監禁されたいと願っている者も多いのかもしれない。

「Gメン」なる雑誌は体育会系のマッチョ専門で、その中では、ラグビー部や柔道部は新入部員以外全員ゲイであり、そんなの読んでいると、ラガーマンや柔道部員を偏見の目で見るようになりかねない。

あと、この雑誌の記事の中にしょっちゅう出てくる「SG 体型」の「SG」って何だろう?

頻出していることから、この読者層が最も理想とするモテ筋の体型らしいが。

スーパーグレートか?セクシーグラマーかな?何だろうな?と思ってたら、あるページの下の方に「SG とは何か?」を説明する注釈があった。

スーパーガッチリ。

分厚い筋肉の上に脂肪がついた、重量級の柔道部員やラガーマンのような体型を指すみたいだ。

何だよ、くだらねえ。

て…、俺も読みまくっとるじゃないか!

そしてその雑誌コーナーで、ゲイ雑誌を立ち読みしている者は私以外にもいた。

これはまずい。

同好の士と思われてナンパされかねない、I 駅に負けず劣らぬ危険地帯であることが分かり、そこからもそそくさと退散した。

結局、飲み会の他のメンバーは、約束の時間をずいぶん過ぎてからようやく現れた。

それも連れだってだ。

私一人をこの恐怖の場所で待たせてたってか!

私が今までどんな怖い目に遭ったか怒り心頭で抗議すると、どうやらナンパされたことがある者もいたらしく、時間通りに来るのが怖くなり、みんなホームで待ち合わせてたという。

だったらこんな所で待ち合わせをするのをやめるか、こういう危険があると同じ学校に通っているんだから、教えてくれてもよかったじゃないか!

「なかなか言い出せなかった」とか言って、お前らが黙っていたおかげで、こっちも怖い目に遭ったんだからな!

それから I 駅での待ち合わせはタブーとなり(もう遅かったが)、と言うか I 駅自体を利用したくもなくなった。

あそこは異性愛者にとっては、地獄のような場所以外の何者でもなかったからな。

「知っていて損はない」と言う言葉はウソだ。知らなくていいことを嫌と言うほど知らされた私は、切実にそう思っている。

最後に、差別主義者のそしりを受けることを承知で言わせてもらう。

近年性の多様性を尊重しようと、彼ら男性同性愛者をはじめとした性的少数者に理解を示す社会的な動きがある。

私も世間一般の性的嗜好とは異なるそれら性的少数者の存在自体を、社会から完全に排除したいとまでは思わない。

だが、距離を置いた棲み分けはしたい。

それは、私の尻や股間に熱視線を注ぎ、あわよくば蹂躙を企んでいる可能性のある者との近距離での共存は、お断りだからだ。

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残念な北欧の貴公子 – 身長に悩むデンマーク人の物語

顔写真は本人ではありません。イメージです。


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昔、知り合いの知り合いにデンマーク人留学生がいた。

デンマークの大学で日本語を専攻後に来日した24歳くらいの青年で、確か名前はスベン。

そのスベンとは一回だけ顔を合わせる機会があって、それは共通の知り合いに誘われた飲み会の席であった。

飲み会の会場は大手の居酒屋チェーンで、スベンは大人数が座るテーブル席の中央で、日本人ばかりの参加者に囲まれるように座っていたのだが、一目で分かった。

なぜなら、彼は金髪に碧眼、透けるように白い肌という典型的な北欧系の青年だったから黒髪の黄色人種たちの中では目立つことこの上ない。

おまけに、近世の北欧の貴公子もかくありやと思わせるくらい品のあるハンサムな若者でもあった。

かと言って決して軟弱ではなく、衣服の上からも明らかに分かる広い肩幅と熱い胸板に太い腕の持ち主で、スポーツも得意なんだそうだ。

しかも他の日本人と話しているのを聴くと、日本語がべらぼうに達者であり、他にも五か国語くらい話せるという極めて明晰な頭脳の持ち主でもある。

まさに非の打ちどころのない青年だと言えよう。

だが、そのスベンにも残念なところがあった。

それは、言っては悪いが致命的と思わざるを得ないくらいのレベルのだ。

それは、

デンマーク人なのに身長が163cmしかなかったのだ。

最初私がついた席の対面に座っていたので気づかなかったが、彼がトイレか何かで席を立った時に初めて気づいた。


座っている姿だけを見たらデンマーク人らしく、普通に180cmくらい余裕でありそうな風格なのに、立ち上がって歩き出したら明らかに背が低かったからだ。


一緒のタイミングで立った隣の女性(むろん日本人)の方が微妙に背が高い。

他の人もそう思った人がいたらしく、すでに酒が入っていたとはいえ、戻ってきた本人に直接それをツッコむという無礼を働いていたが、スベンは「よく言われますよ」と表情も変えずにネイティブレベルの日本語で軽く流した感じだった。

できた男だ。

190cmオーバーがゴロゴロいる母国のデンマークで、身長が163cmしかないという彼は、肩身が狭い思いをしなかったはずがないのに、その表情と対応から気にしている様子を感じない。

170cmが平均身長の国で、1cm平均に達しなかっただけで、障害者に生まれたがごとくコンプレックスにさいなまれ続けている身長169cmの私とは、えらい違いである。

その後、宴もたけなわとなり、酒も進んできた。


スベン君はさすが北欧系だけあって、ビールを何杯飲んでも表情が少しも変わらなかったが、だんだん饒舌にはなってきた。

デンマークはこんな国だの、将来母国の大学で教授になりたいだの、全くさっきと変わらず流ちょうな日本語で皆と話していたのだが、そんなスベン君は、会話の中で前年日本に来たばかりの時に、非常に衝撃を受けたことがあることをぽつりと吐露した。

「初めてナリタに来て、デンシャに乗った時ですね、私はとてもショックなことアリマシタ」

その“ショックなこと”は今でも尾を引いており、今でも日本人に対する深い失望感であり続けているという。

何か日本人に悪さをされたんだろうか?

いや、日本人は西洋人にはビビるはずだから、あからさまなことはせんだろう。


遠巻きでよそよそしい態度ならよくとるが、それを嫌がる外国人もいるから、それだろうか?

などと一瞬考えたが、スベンが語る日本人への失望感とは、

日本人が予想外に大きく、自分がこの国でも小柄だと思い知ったことだった。

何でも、日本に来る前に日本人は自分より小さい者ばかりだろうと信じていたらしい。

先ほど低身長であることを気にしていないそぶりを見せていたが、実は相当気にしており、母国では一般の女性より背が低いことから、みじめな思いをしてきたという。

デンマーク人よりはるかに小柄な日本人の国に行けば、自分も晴れて大柄な男として胸を晴れるだろう


と期待に胸膨らませてきたところ見事に裏切られたわけだ。

ナメられたものだ日本人も。

むろんそれだけの理由で日本語を専攻して日本に留学したわけではないのだろうが、

「私は世界のどの国に行っても小さいことがワカリました」とか、


「80パーセントくらいの日本の男のヒトは私よりオオキイ」とか、


「イマの日本の男の平均は171cmで私より8センチもオオキイ」とか

自身の感覚から具体的な統計まで出してグタグタ愚痴を垂れ続けるので、実際の身長より小さい男に見えてきた。

どこの国でもこういう奴はいるらしい。


気持ちは低身長の私も痛いほどわかるが。

それでもスベンは日本が気に入っているし、来てよかったと思っていると一転表情を明るくして断言した。

「ダッテ、最愛の人を見つけたからデス」

と、先ほど同時に席を立った隣の女性を指した。
どうやら交際しているらしい。

“最愛の人”とされた女性が照れ笑いし、酒の入った他の参加者たちも「おお」と拍手したりして悪ノリする。

だが、すかさず最後にポツリと、

「デモ、ワタシより背が大きいのはヨクナイ」

やっぱりどの国でも人間というのは変わらない。


身が小さいと心も小っちゃくなりがちなのが人情なようだ。

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私の理想の柿ピーはどれだ? – 柿ピーの理想の比率とは?


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酒を飲む時、結構な確率で柿ピーをつまみにしている。

特に好きってわけじゃないが、何にしようか迷ったら必ず柿ピーを買っている。

柿ピーと言えば、「亀田の柿の種」が真っ先に思い浮かぶ人が多いことだろう。

だが、私は「亀田の柿の種」だけは絶対に買わない。

なぜなら同商品は、私が理想とするあるべき姿の柿ピーではないからだ。

理由はピーナツが少ないから。

「亀田の柿の種」は他の柿ピー製品と比べても、ピーナツの割合が低いと思う。

柿の種とピーナツの比率は 7:3 だと標榜しているが、私は視覚的にどんなひいき目に見ても 8:2 くらいに見える。

だから私的には「亀田の柿の種」は論外。

では、他社の柿ピーはどうかと言うと、やはり私の理想とする柿の種とピーナツの比率ではない。

私の中での柿の種とピーナツの黄金比率は 4:6。

3:7 でも構わない。

つまり柿ピーと言うよりも、ピーナツ優勢の「ピー柿」であることが望ましいのだ。

だが、世の人々は柿の種派が多数派らしく、どの柿ピー製品も柿の種優勢である文字どおり「柿ピー」ばかりが市場に並んでいる。

だから私は柿ピーを買う時は、

いつもピーナツも一緒に買って来て、それを柿ピーに足して「ピー柿」にしてから食べている。

そんな強引なマネをしている。

だが、実はそんなことをしなくてもよかったことを最近知った。

市販されているのを発見したのだ。

ピーナツ優勢の柿ピーが。

普段あまり行かない『食品館あおば』で偶然見つけたその商品、名前だけで瞬殺された。

その名もずばり「ピー柿」。

何というまんまであろう。

『ピーナツ好きにオススメ!ピーナツたっぷり 60%』、私の理想とする黄金比率とも一致する。

渡る世間に鬼はない。

日本は柿の種派の一党独裁ではなかったのだ。

長年存在することさえ期待することがなかった商品が市販されていた事実に、日本の市場経済の良心と光明を見た。

衝動買いをしたのは言うまでもない。

だが、家に持って帰り、改めてよく見てから気づいた。

なんか、言うほどピーナツ多くないんじゃないか?

袋を破って皿に開けてみた。

やっぱりピーナツ少なくね?

数えてみた。

結果、柿の種:ピーナツ = 230:138。

騙された!

なにがピー柿だ!

どこがピーナツ 60% だ!

普通に「柿ピー」じゃないか!

もしかしてピーナツの重量が 60%?

いや、個数で測るべきだろう。

私は結局いつもどおりピーナツを新たに買って来てピーナツを増量させながら、少数派の消費者の硬いニーズにすら答えられない日本企業と、それを包括する日本経済の将来に失望を感じざるを得なかった。

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「バカ」を理解するためのガイド – バカの種類とその特徴


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  • 『自分は自分、バカはバカ。他人に振り回されない一人勝ちメンタル術』
  • 『バカとつき合うな』
  • 『「バカ」の研究』
  • 『バカの壁』
  • 『コロナとバカ』

「バカ」という言葉をタイトルに含む書籍は数多い。

それはある社会現象や風潮を文字通り「バカ」にして皮肉ったり、あるいは世にはびこる「バカ」への対処法や、「バカ」を科学するものもあるようで、やはり、「バカ」という言葉は心の琴線に直接接触する一種のキラーキーワードなんだろう。

これらの書籍はそれなりに社会的に成功した人々が著者なんだから、まず著者はバカではなく、読者も著者の言うところのバカではない、という前提と思われる。

それか、読者の方は自分がバカではないことを確認する反証バイアスのために読むのだろうか?

しかし、私はかねてよりこうした「バカ」について解説しているとみられる書籍の中に肝心なものがないように思えてならなかった。

それは「バカによるバカのための本が存在しない」ということだ。

つまり、主にバカがどう生きるべきかを、バカが自分の体験を基に世の中のバカたちに指南する本があってもよいのではないかと考えているのだ。

バカとは?

ここで言及するバカはもちろん悪い意味でのバカである。

「空手バカ」とか「野球バカ」とかの、それ一筋で他のことを考えないポジティブな意味でのバカではない。

バカとは誰が何と言おうと欠点である。

平均的で健全な社会生活を営むのに必要な資質や能力に著しく欠ける深刻な欠陥を指すのだ

その欠陥たる「バカ」には多種多様なタイプがあり、私的に大きく分類すると、

  • 知識の総量が一般人に及んでいないか、現代に対応していない「無教養系バカ」
  • いくらモノを教えてもなかなか習得しない「学習困難系バカ」
  • 物事の筋道を立てたり、合理的な思考や言動ができない「非論理系バカ」
  • 大切なことをすぐ忘れたり、注意力に著しく欠ける「不注意系バカ」
  • 応用力や想像力が全く機能しないか、させる気のない「思考停滞系バカ」
  • まっとうな社会生活を送るために必要な常識や配慮に欠ける「無神経・非常識系バカ」
  • 自分が他人にどう見られているか、自分の立ち位置が分からない「無自覚系バカ」

…などなど際限なく思い浮かぶ。

私自身はこのうち少なくとも「学習困難系バカ」、「非論理系バカ」、「不注意系バカ」、「無神経・非常識系バカ」に該当しており、合併症すら発症している。

私はバカであることに胸を張る気はない。

これまでよく怒られたり、職場を解雇されたりと様々な不利益を被ってきたことが誇らしいことでは決してないはずだからだ。

自分がバカだと分からない「無自覚系バカ」じゃないだけマシだと言う者もいるが、自分がバカだと分かっているからといって心が楽になるわけではない。

バカゆえに将来への展望や可能性が大きく制限されることを自覚するのはあまり気持ちのいいものではないからだ。

バカは傍から見て面白いかもしれないが、バカ本人はそう思っていない。

バカもバカにされると不愉快になるのだ。

誰が人様を楽しませるために自分の尊厳を犠牲にすることが面白いものか。

近年ではバカとひとくくりにされてきた者たちが、発達障害や学習障害などの疾患を抱えていると見て理解を示す向きもあるが、社会は相変わらずバカとみなされる者に冷たいし、暖かくなることもないだろう。

効果的な救いの手が伸ばされることなく、生きづらさを抱えながら人生を送らざるを得ないことは私も覚悟している。

長年バカとして生きてきたが、実はどうすれば心地よく生きられるかはいまだによくわからない。

だがどうすれば最悪かはよくわかっているつもりだ。

46年生きてきた中で振り返ると、これをやったらヤバイいことになったと思われる行為が自分自身の経験からも他人の例からもかなり見受けられるのだ。

それは私自身だけでなく他のバカにも適用可能で普遍的な教訓ではないかと思う。

もしあなたが自他ともに認めるバカだが、他人の話を理解できないほど深刻なものではないならば、他山の岩としていただければ幸いである。

バカであることをアピールするなかれ

バカは恥ずべきことだ。

胸を張って主張することではない。

なのに世の中には、

「俺はバカだから」

と、自分でバカであることを白状する者は少なくない。

本当にそう思って、自分を卑下しているのかもしれないが、これは多分に「俺にあまり期待しないでくれ」とか「難しいことをさせないでくれ」と予防線を張っているつもりなんだろう。

私もそうしたことはある。

だが、これは実はよくない。

あんまり言いすぎると、

周りの者に「こいつはバカにしていいのだ」

と思われる可能性があるからだ。

人間は本能的に自分を最底辺には置かず、自分より下を作りたがる。

特に本物のバカに限ってその傾向が強い。

バカにバカにされるのは我慢がならないだろう?

また「自分はバカだ」と言い続けると、周りからそう思われるだけではなく、自分も本当によりバカになっていくことが多い気がする。

自身の経験から、

どうも「バカ」という日本語に宿る霊力はかなり強力で、特に自分に対して言った場合には言霊となって本当に実現しやすいようなのだ

つまり今以上にバカになってしまう。

「俺は天才だ」と公言するのもよくないが、自分がバカだと周りには言わない方がよい。

本当にそうであったとしても。

バカは利口ぶってはならない

バカだと白状するのもいけないが、だからと言って知ったかぶりをしたり利口ぶったりするのもよくない。

切れ者にあこがれる気持ちはよくわかる。

だが何をやってもバカは終生切れ者にはなれない。

それなのに、私はついついやってしまう。

知ったばかりのことを、さも一般常識ですらあるかのように利口ぶって得意げに語った結果、相手はもっとそれについて知ってて、間違いを指摘されたり、突っ込まれたりして木っ端みじんに粉砕されてしまうことが。

ついこないだもやってしまった。

これは南米かアフリカあたりの失敗国家の経済政策か軍事クーデターみたいなもので、これからも繰り返すであろう。

バカは愛されなければ生きていけない

バカが周りから嫌われたら最悪だ。

有能な人間が嫌われるよりずっとやばい。

はっきり言ってその所属する社会ではアウトオブカースト同然となる。

いつの世も人間は嫌らしい。

バカにしている人間が憎たらしいと、そういう時だけ正義感を発揮して大いに排斥してくるはずだ。

では、憎まれるバカとはどんなバカか?

バカであることを認めないバカ、姑息な計算をするバカ、反抗的なバカ、利口ぶるバカ、プライドの高いバカなどが思い浮かぶが、

要するに素直じゃないバカが嫌われる。

バカは嫌われてはならないのだ。

ただでさえあてにならない奴だと良く思われているのに、その上嫌われたらもう評価が覆ることはない。

一挙手一投足がカンに触るものとみなされるようになる。

私はそういう扱いを受けていたバカを何人か知っているし、私自身がそうなったことがあるから切実に思うのだ。

バカはバカに厳しい

先ほどの「バカであることをアピールするなかれ」でも述べたことだが、バカに限って自分よりバカだと思った者をバカにしたがるようだ。

よく職場で仕事ができない奴に限って新入りなどには厳しく接していた気がする。

日ごろのうっぷん晴らしか、それとも自分がやられて嫌なことを他人にやるのは楽しいからか?

はたまた自分が利口になったと錯覚するからだろうか?

だが、他人をバカだと決めつけてバカにする前によく考えてみてほしい。

そいつが本当に自分よりバカだとは限らないし、いつまでもバカだとも限らないのだ。

まあ、そんな簡単なことにも頭が及ばないからバカなんだろう。

ずっとバカだと思っていた奴が、実は自分よりずっと有能だったと証明された時のバツの悪さとそれ以降の居心地の悪さと言ったら、たまったもんじゃない。

これも身に覚えがある。

バカにされないバカになるには?

本当にバカなのにバカにされない者もいる。

バカなのにバカにしてはいけないバカとはどんなバカ?

決まってる。

怒らせると怖いバカだ。

前々項で「バカは嫌われたら、おしまいだ」と述べたが、

恐れられるバカは違う。

怒らせたらやばい奴がバカなんだから、その脅威の深刻度は倍増しである。

尊重されるわけでは決してないが、触らぬ神に祟りなしとばかりに、腫れ物に触るように扱われるだろう。

どっちかと言えばぼっちにされていることになるが、バカにされて見下されるよりはマシかもしれない。

とは言え、こういうバカはそもそも平均以上の腕力やケンカ上等の精神力という資質を備えていなければならず、どちらもないならば目指してはならない。

また、あったとしても目指すのは危険だ。

この文章を読んでいる人が、その理由が分からないほどバカではないことを祈ってやまないが。

以上、バカが生きる上で心がけるべきだと思うことについて私なりにまとめてみたが、

他にも忘れてしまった重大なことがあったかもしれないし、

私自身がまだ気づいていない、バカとしてやってはいけないことがあるのかもしれない。

また、私の文章が分かりにくくて矛盾に満ち、参考にならなかったかもしれない。

でも、これは仕方がないことだ。

なぜなら、私もあなたもバカなんだから。

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異常な家庭での一夜の体験 – 1990年の悪党家族との一夜

世の中には一般的な社会常識が通用しない異常な家庭が存在する。

そこではわが子を正しく導くべき保護者が反社会的な人物で、その子もそれを見て育った結果、必然的に一家全員が悪党という家族のことだ。

まだバブル経済崩壊前の1990年、一応進学校を標榜する高校の一年生だった私はそんなハイエナの巣のような家庭で一夜を過ごす羽目になった。

だが、その体験は文化や価値観が全く異なる人々との遭遇であり、異国の人々の生活習慣に触れたに等しいカルチャーショックを私に与えた。

私は着いて早々ホームシックに陥ったが、鮮烈で濃厚な時間を過ごしてそれまで知らなかった、あるいは知ってはならなかった世界を垣間見たその一夜はいまだ忘れ得ぬ体験だった。

1990年6月某日、O市N町F山家

私だってそんなヤバイ家庭に好き好んで行き、あまつさえ一泊するつもりなんてなかった。

そのきっかけを作ったのは中学の同級生で、底辺高校として地元で有名なO農業高校に入学したとたん高校デビューした駆け出しヤンキーのK田T也である。

K田についての記事

後にゲームセンターで他の不良少年にシバかれて大人しくなってしまった彼だが、この頃は高校デビューしたばかりで威勢が良く、同級生を殴って停学になったO農業高校の友達の家に遊びに行くからと、学校帰りの私を無理やり同行させたのだ。

その訪問先、K田の友達の危険な男の名はF山M雅。

ちなみに、後に私が高校のクラスメイトでF山と同じ中学だった者から聞いた話では、学校内ではかなり恐れられていた不良だったという。

このF山の家こそが私が一泊する羽目になった家庭なのだが、この時はまさかそんなことになるとは予想していない。

F山の家はO市内だが10km近くも先のN町にあり、ただでさえ行くのが嫌だったが、いざ到着したらもっと嫌になった。

言っちゃ悪いが、外から見て何となく問題を抱えた家庭の荒れた生活臭がする木造の二階建て。

外には「仮面ライダー」仕様のような改造バイクが停まっており、この持ち主が家の中にいるかと思うと帰りたいことこの上ない。

「ごめんください、K田です。F山君いますか?」

「おーう、入れ」

何回も来ているらしいK田が玄関の戸を開けて来意を告げると、玄関を上がってすぐのところにある破れたふすまが開き、赤茶色に染めた長めの髪を逆立てたような髪形の少年が顔を出した。

この少年こそがF山M雅だった。

紫色のジャージを着て首と腕には光物、左耳と鼻にピアス。

細く剃った元々薄い眉毛の下の目は、モノを見るという本来の役割に加えて相手を威嚇するという機能も存分に備えている。

要するに目つきが相当ヤバイ。

一目でわかるほど悪そうで、昨日今日悪くなった感じがしない。

高校デビューのK田とは迫力が違う。

私は思わず後ずさった。

「そいつ誰や?」

F山が剣呑な顔で、尻込みする私の方を見てK田に尋ねる。

「あ、こいつ俺のパシリ」

K田はいけしゃあしゃあと答えた。

高校デビューしてから電話で「今すぐ俺んちに来い」だの「タバコ買って来い」だの横柄な態度を私に取って来るようになっていたK田だが、やはりそう思っていたようだ。

「ふーん、まあええわ。K田のパシリも上がってこい」

K田には勝手にパシリにされ、F山には「K田のパシリ」と名づけられた私もF山家のタバコ臭漂う居間に通された。

居間に入ると、F山以外に二人の先客の少年がドラクエをやっていた(この当時はファミコン健在)。

二人ともやはり悪そうで、入ってきた我々、特に私の方を怪訝そうに睨むので居心地悪いことこの上ない。

そしてそこは悪の巣窟だった。

先客の少年のうち眉なし坊主は近所に住むF山の後輩で中学三年生のI井S三、もう一人の茶髪はこの家で厄介になっている16歳の家出少年でT野M夫というらしい。

どう見ても勉強している姿が想像できない、まともじゃなさそうな見かけをしている。

そして新たに加わったK田と始まった会話の内容は、誰それをボコっただの、どこそこの店は万引きしやすいなどの悪事自慢。

もっとも、自分のやった悪さを懸命に語る駆け出しヤンキーのK田は、他の本格的なヤンキー三人と比べるとどうも背伸びしてる感が否めなかったが。

彼らが吸うタバコの煙もあるが、進学校の高校生の私には生存に適さない空間で呼吸困難になりそうだった。

「あー、いらっしゃいK田君。あれ?そっちの子は初めてやね」

いたとは気づかなかったが、F山の母親と思しきスナックのママ風の中年女性が奥から現れた。

手には人数分のグラスを持っており、私を含めた全員の前にそれを置く。

そしてまた奥に引っ込んで、「まあ飲みんさい」と言って持ってきたのはまごうことなき瓶の「アサヒスーパードライ」三本と亀田の柿ピー。

どういう家庭なんだ?我々は未成年なんだぞ。

だがK田はじめ他の少年たちは「いただきます」と普通にビールを自分のグラスに注いで飲み始める。

「パシリも飲め」とご丁寧にもF山が勧めるので、私も郷に入ったら郷に従わざるを得なかった。

そんな宴が始まって間もない時、外で「ドロドロドロ」という排気音がして、窓からこの家の駐車スペースにごついアメ車が入ってくるのが見えた。

「あ、オヤジが帰って来た」

F山のつぶやきで他の少年たちのビールを飲む手が止まり、緊張が走ったのがわかった。

エンジン音が止まり、玄関の戸が開く音がする。

F山の父親とはどんな人物だろう?他の少年の反応を見る限り優しい人ではなさそうだ。

「おーう帰ったで」

野太い声と共に居間のふすまを開けて入ってきたF山の父親は、やはり想像通り、と言うか以上だった。

パンチパーマで薄黒系のサングラスに口ヒゲ、真っ白なスーツとは対照的に真っ黒なワイシャツとネクタイという容易に職業が推察できるファッションセンス。

F山M雅の父親、F山S雄だ。

「おつかれさまです!」

I井とT野が立ち上がって大声で挨拶をした。

K田もそうしているので私もつられてした。

「おーう、やっとるな。まあ飲め飲め」

「ごちそうになります!」

F山父は鷹揚に言うと、奥の部屋でスーツを脱いでネクタイを外して戻って来て、一緒に飲む気らしく少年たちの輪の中に腰を下ろした。

F山母が持ってきたウイスキーと氷で水割りを作り始めると、そこでひそひそと夫婦の会話が始まった。

「定例会どうやったの?」

「兄さんもケツまくっとる。オヤジも何もしてくれへん」

「何か言うたりゃええがな」

「あかん!どうせまた破門したろかとか言いよるわ」

F山母との短い会話でも、その職業が推察通りであることが裏付けられた。

「そりゃそうと、オイM雅!」

突然F山父が息子に話を振った。

「なんや?いきなり」

M雅はさすがに息子で、こんなおっかない父親にもそんな応答ができるらしい。

だが、その後に続く親子の会話の内容が一般社会の良識から著しく逸脱していた。

M雅、お前この前駅で工業高校の奴とモメたやろ?」

「あ?あれならもうずいぶん前のことやろが」

「何でそいつボコボコにしなんだんや!」

「そういう奴いちいち相手すんの疲れるんだわ」

そしてあろうことか、次にF山父は私に興味を持ち始めた。

「おいそっちの坊主、なんや真面目そうやな?校則とかもちゃんと守っとる感じやな?」

やはりこの不良少年たちの中では、毛並みが違うのが一目瞭然だから目立つらしい。

「ええ、まあ」と答えた私にF山父が言った次の言葉は、今いる場所が非常識を通り越した異次元空間であったことを私に思い知らせた。

「いい若いモンが悪さもせず何をやっとるんや?将来ロクな人間にならへんで!」

この一言にその場の少年たちが「そうやそうや」と大いに沸いた。

何という逆金言だろう。ていうか、もしかして今の笑うところ?

「では、今のあなたは?」

という冷静かつ自殺行為の正論は、少なくともこの場でできるわけがない。

それどころかビールの酔いも手伝って、自信満々に語る貫禄満点のF山父の観念は聞いていて問答無用の説得力があり、少し納得してしまっていた。

F山父も酔い始めたらしく、少年たちがありがたく拝聴しているのをいいことに、自らの道徳観や人生観を大いに語り出した。

まず「この世で一番ツブシがきく商売は何やと思う?」と一同に尋ねて間をおいた後、

「それは、悪さや!」

と吠えてから怒涛の持論を展開し始めた。

「ええか。酒もタバコもええけど、シンナーやシャブだけは食ったらあかん。シンナーやシャブは食うもんやない…売るもんや!」

「被害者になるくらいやったら加害者になれい!日本は加害者を守る国や!」

「好かれてナメられるより、嫌われて恐れられる男にならんかい!」

最初ウケを狙っているのかと思ったが結構目が本気だし、I井もT野も、そしてK田も「なるほど」とか感心したりして神妙な面持ちで聞いている。

私が間違っているんだろうか?決してためになることは言っていないのに、ある意味真実をついているような気がしてきた。

周りが周りだし、私もビールのおかげで徐々に洗脳されつつあったのかもしれない。

知らないうちにK田からもらったタバコを私もせき込みながら吸っている。

そして、F山父独演会の熱心な聴衆の一人となっていた。

他にも彼は、

「青信号は安心して進め!黄信号は全力で進め!赤信号は隙あらば進め!」

という交通法規に対する独自の見解も持っていた。

こんなのが父親とはF山M雅という男は何て不幸なんだと思われるかもしれない。

しかし当のM雅の方は結構冷静で常識があり、

「ムチャクチャ言うとる」とか「そんなわけあるか」

などとオヤジの主張にツッコミを入れていた。

親はなくても子は育つのか、こんな親ならいない方がマシだが。

もっとも息子は高校を傷害で停学になるなど、十分父親の期待通りに育っているようだ。

などと話を聞いていたらもう夜遅くになってしまった。

私は「もう遅いのでこれで失礼します」と千鳥足で帰ろうとしたが、

「泊ってけ」とF山父。

さっきから一緒に水割りを飲んでいるF山母も「一晩くらいええよ。K田君も泊ってく言うてるし」と余計な援護射撃をしてくれる。

F山父は、

「このM夫もM雅とゲーセンで知り合うてから、一週間もウチにホームステイしとる」

と家出少年のT野M夫を指さした。

いや、私は家出してるわけではありませんので、それにホームステイ?意味わかって言ってる?

「でもまあ親は心配するやろうしな。ワシも親やからわかる」

そうなんですよ。だからもう帰ってもいいでしょう?

「でもなあ、子にとって親ちゅうのはな…迷惑かけるためのもんや!

サングラスを外したF山父の猛禽類のような眼光に見据えられてそう断言された私は、

「一晩ご厄介になります」と返事していた。

「俺が迷惑かけたらすぐブチ切れるくせに!」

と息子のM雅に横からツッコまれていたが。

結局その日は遅くまで飲んでそのまま居間で雑魚寝。

翌朝F山母からふるまわれた「金ちゃんヌードル」を朝食としてから(何たる手抜きの朝食!)、私の「ホームステイ」はようやく終了。

帰り際、F山父は私に、

M夫はワシの息子みたいなもんやし、M雅の後輩のS三はワシの後輩、ツレのK田はワシのツレ、K田のパシリのお前はワシのパシリや。いつでも来てええぞ」

という言葉をかけた。

二度と行ってはいけないな。

これ以上付き合ったら無事で済まないことは間違いない。

高校生だった私の目から見ても、気さくさを装ったその奥にあるそこはかとないヤバさが見え見えだった。

もう絶対行きたくないと思いつつ、私は二日酔いのままK田と家路についた。

家に帰ったら、仕事を休んで家で私を待っていたという両親にムチャクチャ怒られた。

大したことしてないのに、何でそこまで怒られねばならんのかと思った。

あの一晩で私の善悪感は少し歪んでしまったらしい。

学校へ普通に行って帰宅しての繰り返しといういつもの日常に戻ると、私の善悪感はまた元通り矯正されたが、実在したあの世界での記憶は確かに残った。

そして時々K田と会っていたが、その後F山の家に行くことはなかった。

その後K田とは付き合いがなくなり、F山一家がどうなったかは分らなくなったが、その年の年末に家で購読してる地方紙のG新聞にF山父のことが載っていた。

「約1億2千万円相当の大量の覚醒剤を密売目的で隠し持っていたとして、G県警は、暴力団Y組系K組幹部のF山S雄容疑者(40)=O市N町=と、住所不定無職の少年(16)を覚醒剤取締法違反(営利目的所持)の疑いで逮捕した」

名前と住所から見てもあのF山父で間違いないだろう。少年の方は家出少年のT野M夫じゃないだろうか?

あれからまだ「ホームステイ」して、仕事まで手伝ってたのか?

シャブは食うものでも売るものでもなかったということだ。

あれ以上深くかかわらなくて正解だったが、こういう新聞の事件欄を飾る人々の生活を垣間見ることができたのは貴重な体験だったと今では思うことにしている。

何も外国に行かなくても、風俗習慣が異なる人々が同じ日本の中にもいるのだ。そんな人々の中で過ごしたあの一夜はまさに私の中では「ホームステイ」だった。

自分の絶対と思ってきた価値観を壊されるのは衝撃だが、時として痛快で心地よい驚きとなることもあるのだ。

実は、最初はあれほど帰りたかったF山家での晩が妙に刺激的で面白かったような気が時々していたことを告白する。

リスクはあったとしても、後から思えば世間のルールを逸脱していい世界は結構魅力的だった。

料理は体に毒なものが多少入ってないとおいしくないのと同様、人生だって破滅しない程度でためにならないことを多少経験しないと面白くないじゃないか。


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ボーダーライン低身長の人生 – 低身長に関する真実と悩み低身長


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私は低身長、小男である。

40を超えたこの歳になってもこの事実はシャクであり、外へ出て街を歩く際は周りより少しでも大きく見せようと胸を張りがちだし、「体が小さい」とか「小柄」という言葉を使うのも使われるのも嫌いだ。

「大きいことはいいことだ」と本気で思うし、

自分が大柄だったら人生は今よりずっと楽しかったはずだと信じている。

これまでの人生、特に前半生において低身長による不利益を大いにこうむってきた記憶がそうさせるのか、

私は自分より身長の高い者に囲まれると自らの不遇を嘆くし、逆に低い者といると心安らぐ。

みみっちいことこの上ないけど。

私はいまだにこの身長で人生を送らざるを得ないことを受け入れられないのだ。

ボーダーライン低身長

私の身長は169cmである。

別に気にするほど小さくはないし普通だろう、と思われるかもしれない。

だが、日本人男性の平均身長である171cmに達していない以上低身長であることに変わりはない。

2cm足りなかっただけで私は小男の烙印を押されているのは事実なのだ。

たった2cmだぞ、2cm!

その上方向2cm先が私にとっては、見えてはいるけど決して達することのできない何光年も先の太陽系外の星々のようにすら思えるのだ。

百歩譲って平均身長の171cmに達しなかったとしても、せめて170cmは欲しかった。

考えてもみよ。

170cmと169cmだと、1cm違うだけで169cmはより低い気がしないか?

178cmと173cmとを比べてもあまり差があるように思えないのは私だけ?

170cm台に達していないだけで一挙に小柄感が増す。

カースト制度か人種隔離政策が行われている社会に存在するような、決して超えることのできない身分の違いを感じるのだ。

同じく低身長に悩む同志が身近にいて、その男は身長163cmなのだが、「それだけ身長があればまだマシだろう」と言う。

違うのだ。

163cm男は私の方が6cm高い分、単純に低身長の悩みは自分より6cm分少ないと考えているようだが、平均身長に大きく届かないのと、あとちょっとで届かないのとでは悔しさの種類が違う。

欲しいものが「絶対に手に入らない」より、「あとちょっとで手に入らなかった」方が悔しくないだろうか?

同じ低身長でも、“真”低身長と“ボーダーライン”低身長とは温度差があるのだ。

1cmの重み

くだんの163cm男だが、「1cmでいいから分けてくれ」とせがんできたことが何度かあった。

金を払ってもいい、とまで言ったこともある。

バカ者!

貴様も低身長ならわかるだろう?

我々にとっての1cmがどれだけの価値か!

188cmくらいの奴に頼めよ。

きっと気前よく分けてくれるか、無料ではなかったとしても私から買うよりずっと安いはずだ。

たとえ金に困って売ったとしても、私は1cm2000万円未満で売却に応じる気はない。

そして、5cm以上は絶対に売らない。

私の公称身長

そんな私だが、実は170cmであることになっている。

時々171cmになる時もある、書類の上では。

どういうことかと言うと、

健康診断で身長を測る時はいつも背伸びをするからである。

高校三年生の頃、前年より身長の伸びが停滞し始め、高身長どころか中肉中背への前途が絶たれることに危機感を感じてから無意識にそうするようになった。

微妙につま先に力を込めるのがコツで、今までバレたことは一度もない。

中肉中背の地位を死守するためなら、私は手段を選ばないのだ。

だから今でも健康診断では血圧や尿酸値、肝臓の数値より身長を測る時の方が緊張する。

今年の健康診断ではしくじって腰を曲げた状態で測定されてしまい、167cmというショッキングな結果が出たが、身長が3cmも縮んだと健診スタッフの間で大騒ぎになって測り直しとなったため、事なきを得た。

今年も170cmとして胸を張って一年を送ることができる。

当然私は自分の身長を聴かれた場合は170cmと堂々答えているが、

自分とそう変わらない身長の相手には正直に169cmくらいと告白せざるを得ない。

それくらいの身長の相手だと、私が170cmであることに疑念を感じる確率が高いからだ。

ちゃんと測定したら169cmにも達していないかもしれないが、

これ以上みじめになりたくないので妥協はしない。

たかが身長、されど身長

「身長で人間の価値は決まらない。身長にこだわるなんてくだらないぞ」

低身長の悩みが今よりはるかに顕著だった思春期によく父に言われたことである。

だがその父は172cmと身長がそこそこあるから、説得力がないったらありゃしない。

「人間大きけりゃいいってもんじゃないの!ウドの大木って言葉もあるでしょうが!」

そう言う母は低身長であるが、強がりにしか聞こえなかった。

母も低身長であることを全く気にしていないわけではなかったからだ。

第一、

女が低身長であることよりも、男が低身長であることの方が問題は深刻なのだ。

ていうか、この人の遺伝子が悪いんじゃないの?

それとも、成長期に背を伸ばすために有効なことをしなかった私の自己責任?

成長期に身長を伸ばすサプリメントが世の中にはあるらしいが、私も中学の頃飲んでおけばよかった。

二人ともそろって「大人になればそんなこと気にならなくなる」と言っていたもんだが、

結果、大人になって久しい四十を超えた今でもそこそこ気にしている。

背が高いことはいいことだ、というのが人類共通の認識であるのは事実だし、

私自身、身長が低いことによるメリットは飛行機のエコノミーに座った時くらいしか感じたことはない(もっともその際はもっと低くてもよかったと思う)。

170cm以上が死ぬ病気が流行してくれないだろうか、

とすら考えたこともある。

そうすれば平均身長も下がって私も晴れて大柄だからな。

私にとってはかように根が深い問題なのだ。

身長以上に人間の器が小さいことの方がより問題だと自分では分かっているが、

もはやこの人生において背が伸びることも、170cm以上が死ぬ病気が流行することもない以上、私はこの身長のまま生きて行かざるを得ない。

今度生まれるならば、多くは望まない。

ロックフェラー一族やブルネイの王族に生まれなくてもいい。

どこの国でも、

いや、人間でなくてもいいから、せめて平均以上に大きい個体に生まれたい。

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シャイなスケベは罰せられる 1 ~大人の社会見学~


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2002年の真冬だったから今から20年近く前のことだが、出会い系サイトのサクラをしていたことを告白する。

もちろんサクラだと最初から分かっていたわけではなく、「データ入力業務」という新聞の求人欄を真に受けて応募したのだ。

そうと分かったのは面接の時。

私の面接を担当したのは金髪にピアスだがビール腹の、滑稽なほど若者っぽい恰好をした明らかに40代中盤のおっさん。

いきなりうさんくさかったが、そのおっさんの話す内容はそれを上回っていた。

初っ端から業務は各出会い系サイトからの委託であることを淡々と語り始めたのだ。

おっさんによると、出会い系サイトを利用するのはほとんどが男で、

女の利用者の割合は男 16 に対してたった 1!

そんなんじゃあ男の利用者の多くがナシのつぶてになるから、誰も利用しなくなる。

だから女の利用者のふりをしてやり取りをする、つまり業務はサクラであるとあっけらかんと言い放った。

それって違法じゃないの?

詐欺じゃないのかよ。

などと思いつつも、無職でプラプラしていた時期だったし、さほど悪いことをするわけではないとも思ったので採用される運びとなった。

シャイなスケベ退治開始

いざ出勤してみた仕事場だが、パソコンがずらりと並び、その前でサクラたちが出会いを求める男たちをさばいていた。

そして、

そのサクラの七割近くが男で、気のある女のふりをして相手に思わせぶりな返信していたのだった。

出会い系サイトはご存じのとおり、メールを送信すればするほど男性利用者は課金されててゆく。

だからできるだけじらし、会話を長引かせるのが肝要である。

面接の時から気づいていたが、完全に詐欺である。

出会いを求める者をだましている以外の何者でもなく、採用されてからこんなことを言うのは今更だったが、

実際にやろうとすると後ろめたさを感じた。

しかし、その罪悪感はすぐに消滅した。

なぜなら女を装って出会い系を利用する男たちの相手をしてみて、女日照りの男たちのあさましくゲスい下心と獣心をそこはかとなく感じたからだ。

そして次第に彼ら醜悪なナルシスト、身勝手な夢を見る童貞、シャイな変態たちの

ザーメン臭い純情に鉄槌を下すことに使命感すら感じるようになっていった。

寂しい男たちの正体

まず利用者のうち何人かのハンドルネームなんだが、

以下のハンドルネームを名乗って出会いを求めようとする者の神経が理解できない。

  • 浣腸汚染
  • 寂しがり屋の変質者
  • 俺の股間は二十ミリ機関砲
  • 肛門指挿入抜き挿し魔
  • レイプ術黒帯
  • 童貞地獄

女に相手してもらう気あるのか?

これを見て返信する気になる女が世の中にいると思っているのか?

何をされるか激しく不安になる名前であるから、間違っても会いたくはない。

犯罪構成要素を満たし、逮捕状が請求できそうなくらい圧巻のお下劣ネームである。

だが、こういうモテないあまりに脳と下半身をメルトダウンさせている変態相手こそ我々男性サクラの出番だ。

気持ちが多少わかる分相手にしやすく(「多少」だ。あくまでも)、実際に会うわけでもないので勇んでアプローチをかける。

まず『俺の股間は二十ミリ機関砲』だが、

パソコンから「まりん」という仮名の二十代の女を装い「二十ミリってどういうこと???」と興味あるそぶりを見せてメールを送ったところ瞬時に返信があり、

案の定自分のイチモツに自信があるみたいで「味わわせてやるから会いに来い」とのことで思い上がりも甚だしい。

むろんこいつの自慢の息子の規格と性能など知ったこっちゃないし、会う気もない。

こちらはパケット代を使わせるために会話を長引かせるのが仕事だから、わざとらしくチャットを開始した。

サクラのバイトを仕切る社員のアドバイスどおり、女性らしく絵文字や顔文字を含めることも忘れない。

「太さ二十ミリ( ゚Д゚)じゃあ長さは(・・?」
「確かめに来な」
「身長、体重は(。´・ω・)?」
「160センチ、80キロくらい」

股間が重武装でも、体が残念だな。

一点豪華主義らしい。

あと顔は芸能人で言ったら「浜崎あゆみ」に似ているらしく、いったいどんな姿の生物なんだ、こいつは?

「こっちはパケット代がかかるんだ。会うのか会わねえのかどっちだ?」

これからじっくり会話を長引かせようとしてたら、いらだって結論を迫ってきた。

ケツの穴とキンタマは小さいようだ。

こちらは女を装っているうちに心も女性化し始めたらしく、

自分の懐具合をチマチマ心配する男は、女からどう見えるかも何となくわかる気がしてした。

そのセコさとせっかちさに虫酸が走る。

もちろんさっきからの尊大な言葉遣いも。

『俺の股間は二十ミリ機関砲』はS県北部在住らしく、T線のS手駅で今晩待っているから来てくれ」と一方的に要求してきた。

それだけでもかなり身勝手さを感じるのに、ずうずうしくも「俺は車を持ってないから、必ず車で来てくれよ」と付け加えやがった。

その付け加えた文面を見た瞬間、私の心の中で義憤のサディズムの炎がめらめらと燃え上がるのを感じた。

だます相手がこういう奴で本当によかった。

勤労意欲がわいてきたじゃないか。

「オッケー☆⌒d(´∀`)ゼッタイ車で行くね☆👌」と約束してやったが、

「仕事終わってから行くから、12時に待っててね(⋈◍>◡<◍)。✧♡」

と敢えてバスも電車もなくなっているであろう時間帯を指定した。

『俺の股間は二十ミリ機関砲』は「遅すぎる、もっと早く来てくれ」だの「電車がなくなっちまうだろ」だの言ってきたが、

「じゃあ行かない😝」とかごねてやったりしたらしぶしぶ了承した。

これら一連のやり取りでも少なからぬパケット代が自分の懐から消えたことに奴は気づいているのだろうか。

そして最後まで「マックスにデカくして待っててやるぜ」と自信満々で偉そうだったから、サカリのついた男ってのはどうしようもない。

ざまあーみろ。

この真冬の深夜待ちぼうけ食らって、むなしくデカくしてやがれ。

私の中で眠っていた悪魔的正義感が早くも覚醒したバイト初日となった。

つづく

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