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奪われた修学旅行2=宿で同級生に屈辱を強いられた修学旅行生


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本記事中に出てくる人物の名前は、全て仮名となります。

修学旅行の第一日目早々、もっとも楽しみにしていたディズニーランドで他校の不良少年たちにカツアゲされて金を巻き上げられた私は、放心状態でランド内を歩き回っていた。

集合時間までまだ時間があったが、ショックのあまりとてもじゃないが、他のアトラクションを楽しもうという気にはなれない。

そして、もうランド内にいたくなかった。

私は、集合場所であるバス駐車場に向かおうと出口を目指した。

誰でもいいから自分の学校、O市立北中学校の面々に早く会いたかった。

たった一人で他の学校のおっかない奴らに囲まれて恐ろしい目に遭わされたばかりで、その恐怖が生々しく残っていた私は、見知った顔と一緒になれば、多少安心できるような気がしたからだ。

何より、さっきの不良たちもまだその辺にいるかもしれず、それが一番怖かった。

だが、カツアゲされたことだけは、絶対に黙っておこうと、心に決めていた。

私にだって、プライドはある。

恰好悪すぎるし、教師や親、同級生に何やかやと思い出したくないことを聞かれたりして、面倒なことになるのはわかりきっていたからだ。

踏んだり蹴ったり

「コラ!オメーどこ行っとったー!!」

出口目指してとぼとぼ歩いていた私の後ろから、甲高い怒声が飛んできた。

私が本来一緒に行動しなければいけなかった班の長・岡睦子だ。

班員の大西康太や芝谷清美も一緒にいる。

さっきまで自分の学校の面子に会ってほっとしたいと思っていたが、実際に会ったのがよりによってこいつらだと、気分が滅入ってしまった。

そんな私の気も知らないで、岡は鬼の形相で、なおも私に罵声を浴びせてくる。

「勝手にどっか行くなて先生に言われとったがや!もういっぺんどっか行ってみい!先生に言いつけたるだでな!」

「わかったて、もうどっこも行かへんて…」

女子とはいえ柔道部所属で170センチ近い長身、横幅もそれなりにある大女の岡は、さっきのヤンキーに負けず劣らす迫力がある。

一方で、中学三年生男子のわりにまだ身長が150センチ程度で貧相な体格だった当時の私は思わずひるんで、岡に服従した。

しかし、何で再び脅されねばならんのか。

もうバスに戻りたかったのに、岡たちはまだ、ランド内から出ようとせず、私を引っ張りまわした。

それも、お土産を買うとか言って、ショップのはしごだ。

岡も芝谷も、ああ見えて一応女子なので、買い物にかける時間が異様に長く、ショップに入るとなかなか出てこない。

有り金全部とられて何も買えない私には、苦痛極まりない時間であるが、班を離れるなと厳命されているので、外でおとなしく待っていた。

男子の大西は早くも買い物を済ませたらしく、商品の入った袋を両手に外へ出てきて「女ども長げえな、早よ済ませろて」とぶつぶつ言っている。

私もお土産を買う必要があるが、もう金は一銭もない。

それにひきかえ、大西はお菓子だのディズニーのキャラクターグッズだのずいぶんいろいろ買っている。うらやましい限りだ。

「えらいぎょうさん買ったな、金もう無いんちゃうか?」

ムカつくので、少々皮肉っぽいことを言ってやったら、大西は自慢げに答えた。

「俺まだ1万円以上残っとるんだわ」

何?1万円だと?今回の修学旅行では持ってくるお小遣いは、学校側から7千円までというレギュレーションがかかっており、私はそれを律義に守っていた。

だが、大西はそれを大幅に超える金額を持参してきていたということだ。

畜生、私も律義に7千円枠を守るんじゃなかった。いや、それならそれでさっきのカツアゲで全部とられていただろうが。

「そりゃそうと、おめえは何も買わんのかて?」

「いや、俺は…」

カツアゲされて金がないとは、口が裂けても言えない。

そうだ、大西から金を借りられないだろうか?こいつとはあまり話したことがないが、金を落としてしまったとか事情を話せば、千円くらい都合つけてくれるかもしれない。

何だかんだ言っても同じクラスだし、同じ班なんだ。

「あのさ、俺、財布落としてまってよ…金ないんだわ」

「アホやな」

「そいでさ、千円でええから…貸してくれへんか?」

「嫌や」

にべもなかった。1万以上持ってるなら千円くらいよいではないか!

「頼むて。何も買えへんのだわ」

「嫌やて、何で俺が貸さなあかんのだ?おめえが悪いんだがや、知るかて」

普段交流があまりないとはいえ、大西の野郎は想像以上に冷たい奴だった。頼むんじゃなかった。

結局、ぎりぎりまで女子の買い物に付き合わされたが、集合時間前にはディズニーランドのゲートを出て、我々は時間通りバスの停まっている集合地点までたどり着いた。

他の面々は皆充実した時間を過ごせたらしく、買ってきたお土産片手に、あそこがよかったとか、あのアトラクションが最高だったとか盛り上がっている。

「もう一回行きたい」とか話し合っており、「もう永久に行くものか」と唇をかんでいるのは私だけのようだ。

そんな一人で悲嘆にくれる私に、更なる追い打ちがかけられた。

「おい!お前、単独行動したらしいな!」

私のクラスの担任教師、矢田谷が、私をいきなり大声で怒鳴りつけてきたのだ。

話に花を咲かせている生徒たちの話が止まり、好奇の視線がこちらに注がれる。

どうやら岡から私が班行動をしなかったことを聞いたらしく、完全に怒りモードだ。

この矢田谷は陰険な性格の体育教師で、一年生の時からずっと体育の授業はこいつの担当だったが、私のような運動神経の鈍い生徒を目の敵にして人間扱いしない傾向があり、これまでも、何かと厳しい態度に出てくることが多かった。

そんな馬鹿が不幸にも私のクラス担任になっていたのだ。

「いや、俺だけじゃないですよ、俺以外にも勝手に班を離れた人間は他にも…」

「先生は今、お前に言っとるんだ!言い訳するな!!」

クラス一同の前で、ねちねちと怒鳴られた。

なぜ私ばかり?私以外にも班行動しなかった者はいたのに!

私は再び涙目になった。

神も仏もないのか。どうして立て続けに、嫌な目に遭い続けなければならないのか?

私は今晩の宿に向かうバス内で、わが身の不運に打ちひしがれていた。

通路を挟んで斜め向かい席では、元々一緒に行動しようと思っていた中基と難波がまだディズニーランドの話を続けている。

彼らは一緒に行動してたようだ、私を置いてけぼりにして…。

そして頼むから「カリブの海賊」の話はやめて欲しい、こっちはリアルな賊にやられたばかりで心の傷がちくちくするのだ。

「おい、お前どうかしたんか?」

私の横にクラスメイトの小阪雄二が来た。

一番後ろの席に座っていたのに私のいる真ん中の席まで来るとは、どうやら私が落ち込み続けている様子に気付いていたらしい。

だが、私は十分すぎるほど知っている。こいつは私の身を案じているのではなく、その逆であることを。

それが証拠にニヤニヤと何かを期待しているようないつものムカつく顔をしている。

二年生から同じクラスの小阪は他人の災難、特に私の災難を見て、その後の経過観察をするのを生きがいにしているとしか思えない奴だ。

私が今回のようにこっぴどく先生に怒られたり、誰かに殴られたりした後などは真っ先に近寄ってきて、実に幸福そうな顔で「今の気分はどうだ?」だの「あれをやられた時どう思った?」などと蒸し返してきたりと、ヒトの傷に塩を塗りたくるクズ野郎なのだ。

「別に何でもないて!」

「何やと、心配したっとんのによ!」

嘘つけ!ヒトが怒鳴られて落ち込んでいる顔を拝みに来てるのはわかってるんだ!

しかし、奴の関心は別のところにあった。

「お前、財布落として金ないって?」

「何で知っとるんだ?関係ないがや!」

大西の野郎がしゃべりやがったんだな!

隣に座る大西は小阪と以前から仲が良く、私を見て口角を吊り上げている。

同じ班なので、バスの席も近くにされていた。前の座席には岡と芝谷も座っている。

「お前、ホントはカツアゲされたやろ?」

「!!」

「おお、こいつえらい深刻な顔しとったでな。ビクビクしとったしよ」

大西も加わってきた。気付いていたのか?

「ナニ?ナニ?おめえカツアゲされとったの?」

前の席の岡と芝谷までもが、興味津々とばかりに身を乗り出してくる。

やばい、ばれてる!ここはシラを切りとおさねばならない!

カツアゲされたことがみんなに知られて、いいことなど一つもない。

修学旅行でカツアゲされた奴として、卒業してからも伝説として語り継がれるのは必定。

それに、こいつらを喜ばせる話題を提供するのは、最高にシャクだ!

被害に遭った後、被害者が更に好奇の視線にさらされるなんて、まるでセカンドなんとかそのものじゃないか!

「されとらんて!落としたんだって!」

「ホントのこと言えや。おーいみんな!こいつカツアゲされたってよ」

「されてないっちゅうねん!」

「先生に知らせたろか?ふふふ」

小阪らの尋問及び慰め風口撃は、バスが今晩の宿に到着するまで続いた。

修学旅行生の宿での悪夢

我々O市立北中学校一行の修学旅行第一日目の宿泊地は、東京都文京区にある「鳳明館」。長い歴史を持ち、全国からやってくる修学旅行生御用達の宿だ。

なるほど、かなり昔に建てられたと思しき重厚な外観と内装をしている。

カツアゲに遭っていなければ、私も中学生ながら感慨にふけることができたであろう。

鳳明館

実はこの宿に関して、旅行前からちょっとした懸念材料があった。

ぶっちゃけた話、私は普段の学校生活で嫌な思いをさせられていた。

それも、冗談で済むレベルではない。

トイレで小便中にパンツごとズボンを下ろされたり、渾身の力で浣腸かまされたりのかなり不愉快になるレベル、即ち低強度のいじめに遭っていた。

その主たる加害者である池本和康が、同じ部屋なのだ!

おまけに、小阪や今日最高に嫌な奴だとわかった大西も同室で、あとの二人も悪ノリしそうな奴らであるため、一緒に一つ屋根の下で夜を明かすのは、危険と言わざるを得ない。

部屋割りはこちらの意思とは関係なく、旅行前に担任教師の矢田谷とクラス委員によって一方的に決められており、その面子が同室であることを知った時は、そこはかとない悪意を感じざるを得ず、私は密かに抗議したが、陰険な矢田谷の「もう決まったことだ」という鶴の一声で神聖不可侵の確定事項となっていた。

もっとも、その宿に到着した頃、私の精神状態はカツアゲの衝撃でショック状態が続いていたため、旅行前に感じた部屋に関する懸念については、部分的に麻痺していた。

同じ部屋の面子のことなどもうどうでもよい。今日出くわした災難に比べればどうってことないと。

ちなみに、夕飯を宴会場のような大きな座敷で食べた後は入浴の時間だったが、私はあえて入らなかった。

いたずらされるに決まっているからだ。

実際、二年生の時の林間学校では、やられていた。

同じ部屋の連中が風呂に入ってさっぱりして帰って来た時、私はもうすでに敷かれていた布団に入っていた。

今日はもう疲れた、もう寝よう。明日になれば少しは今日のことを忘れられるだろうと信じて。

しかし、私はこの時全く気付いていなかった。

本日の悲劇第二幕の開幕時間が始まろうとしていたことを。

とっとと寝ようと思ってたが、消灯時間になっても眠れやしない。

小阪や池本、大西及びあとの二人も寝ようとせずに、電気をつけたまま、ジュースやスナックの袋片手に話を続けていたからだ。

「やっぱ、前田のケツが一番ええわ」

「ええなー、池本は前田と同じ班やろ?うちのはブスばっかだでよ」

「小阪ンとこはまだええがな、うちは岡と芝谷だで。あれんた女のうちに入らへんて」

話題はもっぱらクラスの女子の話で、言いたい放題、時々下品な笑い声を立てる。

女子に関してなら私も多少興味があったので、目をつぶりながらも聞き耳を立てていたが。

しかし彼らはほどなくして、私の話を始めやがった。

「ところで、あいつカツアゲされとるよな、絶対」

「ほうやて、泣いた後みたいな顔しとったもん」

いい加減しつこい奴らだ。

だが私に関する話題は続く。

「そらそうと、あいつ今日風呂入って来なんだな。せっかくあいつで遊んだろう思うとったのに」

やっぱり池本は何かするつもりだったんだ。風呂に入らなくて正解だ。

「あいつってムケとるのかな?」

大西がここで、突然嫌なことを言い出した。

「なわけないやろうが、毛も生えてへんて。俺、林間学校で見たもん」

小阪の野郎!言うなよ!

つい前年の林間学校の風呂場で、小阪は私の素朴な下半身を散々からかってくれたものだ。

彼らの会話がどんどん不快な方向に発展しつつあった。カツアゲのことを蒸し返されるのもムカつくが、私の下半身の話も相当嫌だ!

「なあ、そうだよな!あれ?おーい。もう寝とるのか?」

どうしてヒトの下半身にそこまで興味があるのかこの変態どもは!誰が返事などしてやるものか。こっちはもう寝たいんだ!

私は断固相手にせず、タヌキ寝入り堅持の所存だったが、池本の恐ろしい一言で考えを変えざるを得なかった。

「ほんなら、いっぺん見たろうや!」

何?!それはだめだ!私の下半身は、その林間学校の時から変わらないのだ!

「おもろそうやな」「脱がしたろう」他の奴らも大喜びで賛同し、一同そろって私のところに近づいてくる。

私は思わず布団にくるまり、防御態勢を取った。

「何や、起きとるがやこいつ。おい、出てこいて」

「やめろ!」

五人がかりで布団を引きはがされた後、肥満体の池本に乗っかられ、上半身を固められた。

「おら、脱げ脱げ」と他の奴が私のズボンに手をかける。

「やめろ!やめろて!!やめろてえええ!!!」

私は半狂乱になって抵抗し、声を限りに叫ぶが、彼らの悪ノリは止まらない。

畜生!何でこんな目に!

前から思っていたが、うちの両親はどうして反撃可能な攻撃力を有した肉体に生んでくれなかった!

五体満足の健康体な程度でいいわけないだろ!

私がなぜか両親を逆恨みし始めながら、凌辱されようとしていたその時だ。

ドカン!!

入口の戸が乱暴に開けられる音が室内に響き渡り、その音で一同の動きが止まった。

そして、怒気露わに入ってきた人物を見て全員凍り付いた。

「やかましいんじゃい!!」

その人物はスリッパのまま室内に上がり込むなり凄味満点の声で怒鳴った。

我がO市立北中学校で一番恐れられる男、四組の二井川正敏だ!

やや染めた髪に剃り込みを入れた頭と細く剃った眉毛という、私をカツアゲした連中と同じく、いかにもヤンキーな外見の二井川は、見かけだけではなく、これまで学校の内外で数々の問題行動を起こしてきた『実績』を持つ本物のワル。

池本や小阪のような小悪党とは貫禄が違う。

「何時やと思っとるんじゃい?ナメとんのか!コラ!!」

そう凄んで、足元にあった誰かのカバンを蹴飛ばし、一同を睨み回すと、池本や小阪、大西らも顔色を失った。

もう私にいたずらしている場合ではない。

どいつもこいつも「ご、ごめん」「すまない、ホント」と、しどろもどろになって謝罪し始めている。

ざまあみろ!池本も小阪も震え上がってやがる。さすが二井川くんだ!

普段は他のヤンキー生徒と共に我が物顔で校内をのし歩き、気に入らないことがあると誰彼構わず殴りつけたりする無法者だが、二井川くんがいてくれて本当によかった。

災難続きのこの日の最後に、やっとご降臨なされた救い主のごとく後光すらさして見えた。

この時までは…。

「さっき一番でかい声で“やめろやめろ”って叫んどったんはどいつや!!」

え?そこ?夜中に騒ぐ池本たちに頭に来て、怒鳴り込んで来たんじゃないの?

「あ…ああ、それならこいつ」

池本も小阪も私を指さした。二井川の三白眼がこちらを睨む。

「おめえか、やかましい声でわめきおって!コラァ!」

二井川は私の胸ぐらをつかんで無理やり引き立てた。

「え、いや、だってそれは…」

大声出したのは、こいつらがいたずらしてきたからじゃないか!おかしいだろ!何で私なのだ?そんなのあんまりだ!!

「ちょっと表へ出んか…、お?こいつ何でズボン下げとるんや?」

「ああ、それならさっき、こいつのフルチン見たろう思ってさ、脱がしとったんだわ」

矛先が自分には向かないと分かった池本が喜色満面で答えると、二井川からご神託が下った。

「そやったら、お前。お詫びとして、ここでオ〇らんかい

「え…いや、何で…!」

「やらんかい!!」

魂を凍り付かせるような凄絶な一喝で私は固まってしまった。

「おい、おめーら!こいつを脱がせい!」

「よっしゃあ!」

凍り付いた私は、二井川からお墨付きをもらって大喜びの池本たちに衣服をはぎ取られた。

終わった、私の修学旅行は一日目で終わってしまった。

飛び入り参加した二井川を加えた一同の大爆笑を浴び、当時放送されていた深夜番組『11PM』のオープニング曲を歌わされながらオ〇ニー(当時はつい数か月前に覚えたばかり)を披露する私の中で、修学旅行を明日から楽しもうという気力は完全に消失していった。

絶頂に達した後は、カツアゲされたショックも矢田谷に怒鳴られたことなど諸々の不快感も吹き飛んだ。

明日からの国会議事堂も鎌倉も、あと二日もある修学旅行自体もうどうでもよくなった。

私の中学生活も、私の今後の人生までも…。

そんな気がしていた。

おまけに次の日、国会議事堂見学の時に昨日のショックでふらふら歩いていた傷心の私は、二井川の仲間で同じくヤンキー生徒の柿田武史に「目ざわりなんじゃい!」と後ろから蹴りを入れられた。

谷田谷の野郎は、担任なのに知らんぷり。

それもかなり不愉快な経験だったが、その他のことについて、昨日までのことで頭がいっぱいとなっていた当時の私が、二日目からの修学旅行をどう過ごしたか、あまり覚えてはいない。

初日にさんざん私で遊んだ池本たちは、二日目の晩にはもうちょっかいをかけてこなかったが、彼らと私との間で時空のゆがみが生じていたことだけは確かだ。

「ああー帰りたくねえな」と彼らはぼやき、「まだ帰れないのか」と私は思っていた。

失われた修学旅行

修学旅行が終わって日常が始まった。

ディズニーランドでカツアゲされたことは明るみにならなかったが、あの第一日目の宿「鳳明館」で私が強制された醜態は池本たちが自慢げに言いふらしたことにより、私は卒業するまでクラスの笑い者にされた。

修学旅行で起きたことは、もちろん親にも話さなかったし、高校進学後の三年間、誰にも話せなかった。

時間というものはどんな嫌な記憶でもある程度は消してくれるものらしいが、私の場合、三年間では半減すらしなかったからだ。

高校時代に中学の卒業式の日に配られた卒業アルバムを開いたことがあったが、中に修学旅行の思い出の写真ページがあり、二日目の国会議事堂前で撮ったクラスの集合写真に写る私自身が、あまりにもしょっぱい顔をしているので、見ていられなかった。

卒業文集の方も読んでみたら、池本と小阪がいけしゃあしゃあと修学旅行の思い出を書いていたのには、思わずカッとなった。

池本の思い出にいたっては題名が『仲間と過ごした鳳明館の夜』だ。

私にとって悪夢だった修学旅行にとどめを刺した第一日目の宿の思い出を、主犯の一人である池本は、かゆくなるほど詩情豊かに書いてやがった。

そこには私も二井川も登場せず、ディズニーランドの思い出や将来について、小阪や大西らと部屋で語り明かしたことになっている。

「僕はこの夜のことを一生忘れない」と結んだところまで読み終えた時、私はまだ少年法で保護される年齢だったため、他の高校に進学した池本の殺害を本気で検討した。

そうは言っても、時間の経過による不適切な記憶の希釈作用が私にも働くのはそれこそ時間の問題だったようだ。

大学に進学した頃には他人に話せるようになっていたし、何十年もたった今では『失われた修学旅行』などと笑って話せるまでになっている。

もっとも、未だに中学校の同窓会には一度も参加したことがないし、どんなことがあっても東京ディズニーランドにだけは行く気がせず、ミッキーマウスを見ただけで殴りたくなるが。

しかし、今となってはあの修学旅行であれらの出来事があったからこそ、今の私があるのかもしれない。

どんなに調子が良くても「好事魔多し」を肝に銘じ、有頂天になって我を忘れることがないように自分を戒め、慎重さを堅持することこそ肝要としてきた。

今まで大きな災難もなく過ごせてきたのはそのおかげだと、今の自分には十分言い聞かせられる。

中学の卒業アルバムを今開いてみると、三年二組の担任だった矢田谷、宿で私をいたぶった池本、小阪、大西たち、そして四組の二井川の顔写真は、コンパスやシャープペンシルで何度もめった刺しにされて原型を留めていない。

中学卒業後の高校時代の自分がやったことに、思わず苦笑してしまう。

これではどんな顔をしていたか、写真だけでは思い出すことはできないが、しばらくすると中学校時代が部分的にリプレイされ、徐々にだが彼らの顔が頭に浮かんでくる気がする。

そして、私をディズニーランドで恐喝したあの他校のヤンキーたち一人一人も。

時が過ぎて、はるか昔になってしまえばどんな出来事もセピア色。

三十年後の今では中学時代のほろ苦くもいい思い出に…。

いや!そんなわけあるか!

やっぱり2021年の今でもあいつらムカつくぞ!!

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奪われた修学旅行 = カツアゲされた修学旅行生


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本記事中に出てくる人物の名前は、全て仮名となります。

中学校生活で最高のイベントといえば、修学旅行を挙げる人は少なくないだろう。

私はその中学校の修学旅行を、気が早すぎることに、まだ小学校六年生の頃から楽しみにしていた。

小学校での修学旅行先は京都・奈良であり、一泊二日とあっという間であったが、11歳だった私には、旅行先での瞬間瞬間が非常に充実しており、それまでの人生で最良の二日間だった。

旅行先の宿でクラスメイトたちと過ごした一夜は、家族旅行では味わうことができない鮮烈な体験であったことを、今でも覚えている。

当時の私

旅行から帰った後の私は、修学旅行ロスとも言うべき症状に襲われ、配られた思い出の写真を見ながら、もう二度と来ることのないその瞬間を脳内でリプレイしようと努めては、タメ息をついていたくらいだ。

同時に、私は中学校の修学旅行に思いをはせるようになった。

同級生のうち、中学生以上の兄や姉がいる者から聞いたところ、中学の修学旅行は二泊三日だという。

たった一泊二日の小学校の修学旅行でも、あれだけ楽しかったのだ。単純計算で、倍以上の楽しさになるだろうと確信していた。

しかし、その時は全く予想していなかった。

その中学の修学旅行が、これまでの人生で最もひどい目に遭った体験の一つとなり、「好事魔多し」という鉄の教訓を、私に生涯刻み込むことになるであろうことを。

待ちに待ったその日

中学に入学した時から、私の心は二年後の修学旅行にあった。

早く三年生になって、修学旅行当日を迎えたかったものだ。

そんな私の期待を、いやがうえにもさらに高めた知らせを耳にした。

私が入学した年、三年生の修学旅行の行き先は関東方面で変わらなかったが、第一日目の目的地が、何とあの東京ディズニーランドになったというのだ。

ディズニーランド

私の期待は、一年生の時点で早くも暴騰した。

これはきっと最高の思い出になるに違いないと確信し、いよいよ三年生になるのが待ち遠しくなった。

そして、短いような長いような中学校生活も二年が過ぎ、晴れて中学校三年生となった1989年の5月20日、私は夢にまで見た修学旅行初日を迎えた。

それまでの中学校生活はこの日のためだったと言っても、過言ではない。

前日、修学旅行へ持参するお菓子を、学校で定められた千円の範囲内でいかに好適な組み合わせで購入すればよいかと、スーパーでじっくりと選んでいたために、帰宅が遅くなったものだ。

きっと明日から始まる三日間は、人生で最も幸福な時間となり、終生忘れることなく、何度も思い出すことになるだろう。

私はその日、そう信じて疑わなかった。

そして迎えた修学旅行当日は、私の通うO市立北中学校に集合し、バスに乗って東海道新幹線の駅へ。

そこからは新幹線に乗って、最初の目的地・東京へは一直線だ。

新幹線の中では、クラスの皆はお菓子を食べたり、トランプをやったり、意味もなく動き回ったり、私を含めた三年二組全員は、これから始まる輝かしい時間に誰もが胸躍らせ、車内に期待が充満していた。

新幹線はあっという間に愛知県を越えて静岡県に入った。

浜名湖を超えて天竜川を過ぎて、富士山の雄姿を拝みながら、そのまま一路東に向かい、普段の退屈な学校生活とは全く異なる得難い極上の非日常を味わいながら、三島、熱海、小田原、そして新横浜に到達。

やがて多摩川を越えて東京都に達すると、今まで見たこともない大都会に入ったことを実感した。

ビルの大きさや市街地の質が自分たちの知っている最も大きな街、名古屋市を凌駕しているのだ。

テレビでしか見たことがない東京を実際に目の当たりにした我々は圧倒された。

東京駅に到着すると、そこからはバスに乗って最初の目的地、東京ディズニーランドに向かう。

車中では、私を含めたクラスメイトたち誰もが旅の疲れなどみじんも見せず、これからが本番だと興奮していた。

ディズニーランドへの道中は、窓の外がいかにも東京という光景の連続に目を奪われ続けたため、あっという間に到着してしまった印象がある。

昼食は外の景色を見ながら移動中のバスの中で摂り、待ちに待った約束の地に到達したのは正午過ぎ。

広大なディズニーランドの駐車場でバスを降りて一刻も早くランド内に突撃したかった我々だが、いったん集合させられ、学年主任の教師である宮崎利親から、長ったらしい注意事項を聞かされた。

宮崎が、いつもの論理破綻した冗長な説明において何度も強調したのは、班行動厳守。

所属する班を離れて班員以外の人間と、又は単独で行動してはならないということだ。

そうは言っても、私は自分の所属する班に不満だった。

なぜなら、班長の岡睦子は、私の好みからは程遠い容貌の上に、気が短く口うるさい女。

もう一人の女子、芝谷清美はクラスのカーストで底辺に位置するネクラな不可触民的女子。

男子の大西康太とは、同じクラスになったのは小学校から通算して初めてだし、少々気が合わないところもあって、普段からあまり話す仲ではない。

こんな奴らと一緒でどう楽しめと?

私は班から離脱することを、とっくに心に決めていた。

だが、その決断が後の災難の大きな要因になることを、この時点の私はまだ知らない。

入口ゲートをくぐると、もう教師たちの統制は効かない。

班は、大体男女二人ずつの四人を基本構成としているが、わが校の制服を着た男ばかり三人や女ばかり五人、或いは男女のペア等の不自然な組み合わせが、あちこちで出現し始めた。

皆考えることは同じなのだ。

私もしない手はないではないか。

我々の班は、独裁的な班長の岡の一存で最初に「シンデレラ城」、次に「ホーンテッドマンション」に行くことになっていたが、私は移動のどさくさに紛れて離脱に成功、別行動を開始した。

本当は、同じクラスで気の合う中基伸一や難波亘と行動を共にする手はずになっていたが、あまりにも人が多すぎて、彼らがどこへ行ったか分からなくなった。

今から思えば携帯電話のない時代の悲しさだ。

そうは言っても、私は一人であることを幸いに、自由自在にアトラクションを回ることができた。

「カリブの海賊」、「ビッグサンダーマウンテン」に「空飛ぶダンボ」等々、ジェットコースター系を好む私は「スペースマウンテン」に三回も乗った。

ビッグサンダーマウンテン
スペースマウンテン

「ホーンテッドマンション」やショーなど見てても、退屈なだけだ。

「シンデレラ城」など論外、班長の岡の感性に支配された班と行動を共にしていたら、そういった退屈なアトラクションやショッピングばかり行く羽目になっていたはずで、こんなに満喫はできなかったであろう。

私は、自分の果敢な実行主義を自画自賛しつつ、自分好みのアトラクションを渡り歩き、小腹がすくとソフトクリームやポップコーンを買って小腹を満たした。

ディズニーランドの食べ物はどこも割高であったが、心配はない。お小遣いはたっぷりもらっているのだ。

しかし、調子に乗って食べ過ぎて、もよおしてきてしまった。

幸い、トイレはすぐ近くに見つかった。

この差し迫った緊急事態を回避するためにそのトイレに入ると、さすが天下のディズニーランド。床で寝ても平気なくらい清潔だ。

しかもありえないことに、私以外に人がいないのがありがたい。私は心置きなく個室の一つに飛び込んだ。

そして、修学旅行が楽しかったのはこの時までだった。

今考えても無駄だが、なぜよりによって、このトイレを選んでしまったのだろうか?

このトイレこそ、有頂天の私を奈落の底へと突き落とす悲劇の舞台となったのだから。

悪魔たちとの遭遇

ちょうど個室に入ってドアを閉めて、一安心したのと同時だった。

下卑た大声が外から聞こえたのだ。

「お、誰かウンチコーナー入ったぞ!」

誰かに入るところを見られたようである。

声からして私と同じ中学生くらいだと思われたが、その声に聞き覚えはないため、きっと他の学校の修学旅行生だろう。

しかし、ウンチコーナーだと?

私のいた中学校では大便をするということ自体がスキャンダルになるため、外にいるのが自分の学校の人間でないとみられることに一瞬ほっとしたが、それは大きな間違いだった。

「おい出て来いよ」

「ちょっと顔見せろ!」

などと言ってドアを叩いたり蹴ったりで、かなり悪質な連中なのだ。

そんなこと言ったって、こっちはもうズボンを脱いで、便座に腰掛け、大便を始めている。

だが、彼らの悪ノリは止まらない。

「余裕こいてウンコしてんじゃねえよ」

「お、中の奴、今屁ぇこいたぞ」

「おい!いつまでケツ吹いてんだ?紙使い過ぎなんだよ!」

何なのだ、こいつらは?余計なお世話ではないか!

ヒトの排泄の実況中継や批評まで始められるに至って、私のいらだちは頂点に達した。

ドンッ!!

私は「うるさい」とばかりに、内側から個室のドアを思いっきり叩いた。

音は思ったより大きく響き渡り、外の連中の茶化す声が一瞬静まり返る。

私の強気にビビったのか?

いやいや、その逆だった。

「ナニ叩いてんのオイ!」

「俺らと喧嘩してえのか?!」

「引きずり出すぞ!ボケ、コラ!!」

彼らは、先ほどよりずっと大きな声で威嚇しながら、ドアをより強く蹴飛ばし始めたのだ。

まずい、怒らせてしまった。

そして、さっきから思っていたことだが、外の奴らは悪質も悪質、ヤンキーなのではないのか?やたらとドスが利いたガラの悪い口調である。

ならば、断固出るわけにはいかないではないか!

私はパニックになりながらも、まずは外に何人いるのか確認するのが先決だと判断。

この個室にはドアと床の間に隙間があったため、私はその隙間から外を偵察することにした。

清潔だとはいえ少々抵抗があったが、手をついて、床とドアの隙間に顔を近づける。

が、相手も外の隙間から中をのぞこうとしていたらしい。

それがちょうど私が顔を近づけた場所と向かい合わせで、至近距離で私と相手の目と目が合ってしまった。

「うわ!」

「うおお!」

私も驚いたが、外の奴もかなりびっくりしたらしい。中と外で同時に驚きの声を上げて、顔をそらした。

「中にいる奴、宇宙人みてえなツラしてるぞ!」

私は、相手の顔を一瞬すぎて判断できなかったが、外の奴は私の特徴を一方的にそう表現した。

ヒトを宇宙人呼ばわりとは失礼な奴らだ。

しかし、連中の失礼さは、そんなレベルではなかった。

「君は完全に包囲された。無駄な抵抗はやめて出てきなさい」

とか、ふざけたことを言って、タバコに火をつけて、個室に投げ込んできやがった。燻り出そうという腹らしい。

水も降って来たし、借金の取り立てみたく、ドアも連打してくる。

屈してはならない!出て行ったら何されるかわからない!

何より、やられっ放しもしゃくだ。

私は降ってきた火の付いたタバコを投げ返したり、ドアを蹴飛ばし返したりと『籠城戦』を展開した。

どれだけ攻防戦が続いただろうか。まだ水も流せないし、私はズボンもパンツも下ろしたままだ。

籠城戦というより、闇金の取り立てにおびえる多重債務者の気分に近かっただろう。

そのように、ここで一生暮らす羽目になるのではないかとすら、錯覚した時だった。

外の連中とは違う感じの声が響いてきた。

「ちょっと、ちょっと、止めてください。何してるんですか?」

その声がしたとたん、外からの攻撃が止んだ。

ディズニーランドの従業員、通称『キャスト』か!?

そうだろう!いつまでもこんな無法行為を続けれるほど、日本はならず者国家ではない、止めに来てくれたんだ!

「何だよ!中の奴が俺らをナメてんだよ」

「とにかくダメ。こういうことはやめて。警察呼ぶよ」

「中の奴と話させろよ」

「ダメダメ、もういいから出て!」

外で押し問答が続いていたが、ヤンキーどもが折れたようだ。

「わかったよ、行きゃいいんだろ!くそやろーが!覚えとけよ!」と、捨て台詞を吐いて出て行く気配がするのを、ドア越しに感じた。

助かった!さすがディズニーランド、しっかりしてる!これで安心だ。

やっとズボンを穿ける。脱出できる!

恐る恐るドアを開けて外に出ると、外の世界はさっきと同じただのトイレだったが、あの極限状態から脱した後は違って見えた。

異常事態は終わり、日常世界に生還してやった、という歓喜と達成感に満たされていたからだ。

当時のトイレのイメージ

私はトイレの光景を見て、あんな感慨に浸ったことはない。また、今後もないだろう。

同時に他校の不良少年たちの攻撃に耐え抜き、敢闘したという充実感に満たされていた。

これは災難ではあったが、あの勇敢なキャストの助けもあったとはいえ、私の偉大なる勝利だと。

命の恩人たるくだんのキャストにお礼を言うべきだったが、ヤンキー共々トイレ内にはもういないから、別にいいだろう。

とにかくトイレの外に出よう。外では美しい夢の国が待っている。

だが、それは間違いだった。

奴らは出入り口で私を待っていやがったのだ。

夢の国でのひとり悪夢

「このウンコ野郎、やっと出てきやがったか」

そう言って剣呑な目つきで出入り口をふさいでいたのは、ヤンキー漫画のリアル版のような不良中学生七人。

さっきの連中であろうことは間違いないが、剃りこみ頭や染めた髪で、変形学生服を着た本格的な奴らだった。

写真はイメージです

どういうことだ?キャストに追っ払われたんじゃなかったのか?

私は一瞬キツネにつつまれたようにあ然とした。

「ダメダメ!トイレの中へ戻ってください!」

ヤンキーたちの中の一人、眉なしのデブがおどけて言ったその声も口調も、あの恩人だったはずのキャストそのもの。

「オメー、バカじゃねえの?フツーひっかかるか?」

茶髪のヤンキーの一言で、私は彼らの打った猿芝居に、見事に騙されたことを知った。

「そりゃそうとオメーよ、俺らにずいぶんナメたマネしてくれたな」

と、同じ中学生、いや同じ人類とは思えないくらい凶悪な人相のヤンキーたちが私を囲む。

恐怖のあまり穿いていたブリーフの前面が、用を足した直後にもかかわらず尿でじわじわと濡れてきたその時の感覚を、今でも覚えている。

震えあがった私は「え、俺知らないよ」と苦しい嘘をついたが、「オメ―しかいなかっただろう!」と一喝され、トイレの中に連れ込まれた。

二人くらいが、見張りのためか出口を固める。

悪夢の本番が始まった。

床に土下座させられた私は、ヤンキーどもに脅されながら小突き回され、頭を踏まれ、手数料だとかわけのわからない面目で、金を巻き上げられた。

旅行先でのカツアゲに備えて、靴下の下に紙幣を隠すなどの危機管理を行う修学旅行生もいるようだが、当時の私にとってそんなものは想定外であり、財布の中に全ての金があったために有り金全てを強奪された。

私の金を奪った後も、彼らは「殺されてえのか」だの「まだ終わったと思うなよ」などと、私の髪の毛を引っ張ったり胸ぐらをつかんだりして執拗に脅し続け、その時間は、個室に籠城していたよりも確実に長かった気がする。

生徒手帳まで奪われた私は「テメーの住所と学校はわかった。チクったら殺しに行くぞ」と脅迫された。

ヤンキーどもは「そこで正座したまま400まで数えたら出ていい」と命じ、最後に「東京に来るなんて百年早えぞ、田舎者!」と捨て台詞を吐いて、私の頭をかわるがわる小突いたり蹴りを入れてきたりして立ち去って行った。

さっきのようにまだ外にいるかもしれず、恐怖に震えるあまり、涙目の私が律義に400まで数えてから外に出た時には、日がだいぶ傾いていた。

ヤンキーたちは、自分たちの犯行が露見するのを恐れてたらしく、あまりこっぴどい暴行を加えてこなかったが、私の受けた精神的な打撃及び苦痛は甚大だった。

私はまごうことなきカツアゲに遭ったのだ。

カツアゲされた気分は、実際にやられた人間にしかわからないと、今でも断言できる。

おっかない奴に脅され、さんざん小突かれて金品を奪われる恐怖と屈辱は、笑い事では済まないくらいの災難なのだ。

しかも私の場合、ずっと楽しみにしていた修学旅行でそれが起こり、一番楽しいはずの夢の国ディズニーランドで、自分だけが悪夢の真っただ中だったから、なおさらである。

信じたくはなかったが、それは事実以外の何物でもなかった。

こんな目に遭うなんて誰が思うだろう?

はしゃぐのは、許されざる罪だとでもいうのか?

予測できなかった当時の私を誰が責められよう。

ランド内で目に入る客たちは誰も彼も楽しそうにしているため、私は余計に前を見ていられず、下ばかり見て歩いていた。

地面がさっきより暗く見えたのは、日が落ちてきたからばかりではない。

私は半泣きだったため、視界が時々グニャリとゆがむ。

私は修学旅行への期待に胸膨らませていた小学六年生からこれまでの三年近くの年月ばかりか、中学校生活そのものが崩れ去ったように感じていた。

もう、何も考えたくなかった。

こんな不幸に遭うことは、なかなかないはずだ。

これに匹敵する不愉快が、その後も立て続けに起こることは普通ありえない。

だが信じられないことに、私の災難はこれで終わらなかったのだ!

それもこの直後の、この日のうちにだ!

神が私に与えた試練?いや、天罰か。いやいや、嫌がらせとしか思えない。

試練にしては明確に害意を感じるし、ここまで罰されなければいけないことをした覚えもない。

私がどの神の機嫌を、いつどのように損ねたんだろうか?

その神による嫌がらせ第二段の開始時刻が刻々と迫っていることに、この時の私はまだ気づかなかった。 

パート2に続く

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中学生にいじめられた29歳の男の復讐


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2001年6月8日、大阪教育大学付属池田小で起きた児童殺傷事件は犠牲になった児童の数もさることながら、学校に凶器を持った不審者が乱入する学校襲撃事件としても、社会に衝撃を与えた。

この事件以後、全国の学校で部外者の学校施設内への立ち入りを規制したり、警備員を置くなどの安全対策が取られるようになり、もはや、学校は無条件に安全な場所ではないという考えが国民の間で広まった。

しかし、不審者が学校に侵入して生徒を無差別に襲うという事件は、この池田小事件が日本初ではない。

それより13年前の1988年7月15日、神奈川県平塚市のY中学校で、同様の学校襲撃事件が起きていたのをご存じだろうか?

この事件では死者こそ出なかったものの、鎌や斧を持った男が中学校に乗り込み生徒たちを無差別に攻撃して、8人を負傷させた。

犯人の男は教職員らに取り押さえられて逮捕されたが、その犯行動機たるや、あまりにもあきれたものだった。

ボブ

橋本健一(仮名)

犯人の橋本健一(仮名)は、事件のあった平塚市立Y中学校から、200メートルほど離れた団地で、両親や妹と同居していた29歳の無職。

子供のころから自閉症気味で家に閉じこもりがちだった橋本は、中学卒業後に就職したものの、一年とたたず辞めており、以降、働くこともなく実家に寄生して、ニート生活を送ってきた。

ニートとはいえ、ずっと家に閉じこもりっぱなしの引きこもりではない。

働いていない彼は毎日ヒマにまかせて、家のママチャリに乗って近所を徘徊しており、よく向かっていた先がY中学校であった。

中卒の橋本には中学校に特別な思い入れがあったと思われる。

付近をうろつくだけではなく、校内に入っていくこともあった。

そして、女子生徒がグラウンドで体育の授業を受けていようものなら、それを凝視してニヤニヤしていることもあったし、下校途中の女子生徒をつけまわしたりもした。

完全に不審者そのものである。

行動だけでなく外見も相当怪しい。

ひょろっとした150cmほどの小男で、うつろな目をしたおかっぱ頭の橋本は、見る者に異様な印象を与えた。

そんな妖怪のような成人の男を、生意気盛りの中学生たちが放っておくわけがない。

事件が起こる5年ほど前からY中学校の生徒たちは橋本をからかうようになってきた。

中学生たちが橋本に付けたあだ名は「ボブ」。

それは、彼のおかっぱ頭がボブカットのようであったことに由来する。

そして身なりも行動も怪しく、何より弱そうな見かけだった橋本へのちょっかいが「いじめ」へとエスカレートするのに、時間はかからなかった。

中学校に近づくと大声で罵声を浴びせられたり、唾を吐きかけられたり、石を投げられたり、傘で付かれたり、足蹴にされたり。

橋本は基本無抵抗だったが、時々怒って抵抗することもあった。

しかし「それはそれで面白い」と嫌がらせがグレードアップする始末で、中学生も一人ではない場合が多かったため、よってたかって殴るけるの返り討ちにされたこともあったらしい。

ならば近づかなければいいのだが、橋本はY中学校に出没することをやめなかった。

事件の前年には、中学校の運動会の最中に校内に入ってきた橋本を生徒たちが競技そっちのけで迫害、玉入れに使う玉を、数十人が一斉にぶつけた。

この時は、さすがに教師も止めに入ったようだが、悪ガキどもにとっては、きっと運動会の競技より楽しかったことだろう。

また男子だけでなく女子も面白がっていじめに参入することもあったし、小学生までもが、橋本の自転車を囲んで荷台を引っ張ったりしてからかうようになってきた。

家にいても安全ではない。

どうやって知ったか、中学生たちは橋本の住所や電話番号を知っており、自宅に石を投げ込まれたり、いたずら電話をかけられたりもした。

はたから見て自業自得の気が大いにするし、どう見ても、いじめられに行っているとしか思えない橋本だが、なぜこういう目に遭うのか理解できず、我慢ができなかったようだ。

一度Y中学校に、以下のような手紙を書いて抗議したことがあった。

「先生一同、日ごろ子供たちに嫌がらせをされ、つばを吐かれたり悪口を言われたりして困る。しっかり指導してほしい。弱い者は、いつもいじめられても黙ってがまんしていなければならないのか」

この抗議を受けて、学校側も生徒たちにある程度の指導はしたようだが、そんなことで思春期のガキどもが改心するなら、中学教師は苦労しない。

この時代のY中学校の生徒たちも同じで、いじめは相変わらず続く。

1988年(昭和63年)4月、Y中学校は新年度を迎えた。

橋本は学校に抗議した上に、旧三年生が去って新一年生が入ってきたことで、自分へのいじめはなくなると考えていたようだが、中学生を甘く見てはいけない。

在校生たちは、それまでと同じく橋本を見かけると嫌がらせをしてきたし、その悪しき伝統は、ほどなくして入学したばかりの新一年生にも、順調に受け継がれた。

そしてこの年、それまで橋本の心に蓄積されてきた怨念が飽和状態を超えて臨界点を迎えて爆発、事件に至ることになる。

臨界点

抗議したのに、自分へのいじめはなくならない。

橋本の中では、生徒たちばかりではなく、学校全体が敵に思えてきた。

溜め込める怨念には許容量というものがある。

もう我慢できない。

彼は平塚市内のスーパーなどで刃物類を買い集め始め、7月になったころには、鎌2丁、斧1丁、文化包丁や果物ナイフ6丁を揃えていた。

自分を虐げてきたY中学校の生徒たちを、片っ端から血祭りにあげる気になっていたのだ。

やるなら夏休みが始まる7月20日前にやろうと心に決めながらも、普段通りY中学校校内に入った7月13日。

「おい、ボブが来やがったぜ」

「ナニまた入ってきてんだよボブ!消えろ!!」

「またやられてえのか?コラ!」

「ボールぶつけっぞ!オイ!!」

この日グラウンドで練習をしていた野球部の部員たちだ。

卓越した運動能力を有する彼らは、同時に最も元気の良い一群でもある。

橋本の姿を認めるや、迫力満点の罵声を浴びせてきた。

野球部員たちにとっては、いつもどおりのことだし、皆もやっているから、特に大したことだとは考えていなかったであろう。

だがこの行為が、橋本に凶行の実行を決意させるトリガーとなったことを、彼らは知る由もなかった。

暴走

二日後の7月15日金曜日午前10時40分ごろ。

授業が行われているY中学校に、橋本が現れた。

いつもと違うのは、校舎にまで入り込んだことと、その手に紙袋を持っていたことである。

紙袋の中には二、三か月かけて買い集めた斧や鎌、刃物。

一昨日の決意を実行に移すためだ。

橋本が校舎に入って最初に向かったのは、校舎三階の音楽室。

歌声に交じって聞こえる声から、授業をしているのが女性教師であり、やりやすいと考えたからである。

その音楽室では、一年五組の生徒41人が合唱の練習中だったが、橋本が袋から出した鎌を片手に突然ドアを開けて入ってくると、歌うのを止めて静まり返った。

一瞬あっ気にとられていた一同だったが、橋本が無言のまま一番近くにいた男子生徒に鎌を振り下したとたん血が飛び散るや悲鳴が上がり、室内は大パニックとなった。

橋本は斧も取り出して、椅子や机を倒しながら、逃げ回る生徒に次々襲い掛かかる。

自分をいじめたことのある生徒だったかどうかは関係がない。

橋本にとって、このY中学校の生徒であるというだけで罪なのだ。

退屈だが平穏だった学校での日常は、最悪の非日常へと急変した。

この教室では、合計3人が頭や腕を切られて負傷する。

教室から逃げた生徒を追いかけて、廊下に出た橋本が次に向かったのは、一教室おいて隣接する一年四組の教室。

ここでは、最前列の入り口付近に座って国語の授業を受けていた生徒を真っ先に切りつけた。

蜂の巣をつついたような騒ぎとなった教室内部に、すかさず乱入し、無言で右手に鎌左手に斧を振り回して、生徒たちを追いかけ回す。

音楽室同様、教室は生徒たちの悲鳴に交じって、女性教師の「みんな逃げて!逃げて!!」という叫び声が、こだまする修羅場と化した。

橋本は四組で生徒3人を血祭りにあげると、より多くの生贄を求めて、上の四階に向かった。

四階でも二年生が授業を受けていたのだが、下の階から尋常ではない大声が聞こえてきたため、生徒たちが何ごとかと廊下に出てきていた。

そこへ下の階から上がってきた橋本が襲いかかり、生徒が2人やられた。

その勢いで、別の教室にも向かおうとした橋本だったが、その前に立ちはだかる者たちがようやく現れた。

Y中学校の教職員だ。

椅子を持って橋本を取り囲み、じりじりと近寄ってくる。

鎌や斧で武装しているとはいえ、複数の成人男性相手には分が悪かった。

壁の一角に追い詰められ、ナイフを出して抵抗しようとしたが、教職員の一人に組み付かれて取り押さえられた橋本は、観念して凶器を捨てた。

逮捕後

この凶行では死者こそ出なかったものの、生徒8人が負傷し、うち一人は、全治一か月の重傷であった。

負傷した生徒

教師たちに取り押さえられた橋本は、その後通報により駆け付けた平塚署の警察官に連行された。

平塚署では、刑事たちに動機などを厳しく追及されたが、橋本は犯行時と同じく無言だった。

黙秘していたのではない、しゃべれなかったのだ。

小さいころから、人と話すことが極端に少なかったために声帯が発達せず、大きな声で話すことができなかったのである。

そのため取り調べは、橋本に供述を紙に書かせるという異例の形になった。

「復しゅうした。今年と去年、一昨年にY中学の生徒に悪口を言われたり、石をぶつけられたりした…」

「冬には雪だまを投げられたり、家に石を投げられたりした。学校に『何とかしてくれ』と言ったが、何もしてくれず、無視された」

「この学校の生徒ならば誰でもよかった。殺すつもりはなく何人かやれば気が済むと思った」

橋本は筆談でそう供述した。

さらに凶器を入れていた紙袋から、Y中学校への恨み言や襲撃したことの動機などが丁寧な字で書きこまれた大学ノートも見つかる。

そこにはこう書かれていた。

「ボブ、バカなどと一日多いときで四、五十回も悪口を言われる。本当にムシャクシャする。皆殺しあるのみ」

事件後、新聞記者の取材に答えた生徒の一人は「いじめているという気持ちはなくて、遊んでいるつもりだった」と殺人犯による「殺すつもりじゃなかった」と同じような無責任な言い訳を吐いていた。

また「僕らも悪かったかもしれない」と殊勝な答えをした生徒もいた。

いずれにせよ、襲われたY中学校の生徒たちにとっては、身も凍る衝撃的な事件となったようである。

弱い者いじめによって自分に返ってくるかもしれない結果を、全校生徒が思い知らされたのだ。

事件後の現場検証

筆者の私見

私事ではあるが、Y中学校での事件が起きた当時、1975年生まれの筆者は中学二年生。

つまり、被害に遭った生徒たちと同年代であったから、この時の報道をよく覚えている。

もうおっさんに近い年齢の大人の男が、自分たちと同世代の中学生にいじめられたこと自体カッコ悪いのに、その報復に凶器を持って学校に乱入したんだから「みっともないったらありゃしない」とあきれ返ったものだ。

そして、私が通っていた中学にも、橋本のような部外者がよく校内に入り込んでいた。

「キチ」と皆に呼ばれていた知的障害のある二十代後半の男だ。

だが、「キチ」は「ボブ」のようにいじめられることはなく、わが校の生徒たちは、キチと一緒に遊ぶなど、一見友好的な関係を保っていた。

これはY中学校の生徒たちと違って、わが母校の生徒たちが善良だったからではない。

キチは怒らせると本当に危険なことで有名で、生徒たちも怖くて嫌がらせできなかっただけだからだ。

ボブがキチのように危険な側面を持っていたら、Y中学校の生徒も手を出さなかったはずである。

当時のだろうが今のだろうが、この世代のガキは変わらない。

弱い者いじめは、娯楽だと考えている。

相手がこちらにとって危険でなかったら、いつまでもやり続けるし、たいして深刻に考えることもない。

一方のやられる側は、それに慣れることはなく、怨念が積もり積もっていく。

それが限界を超えたら、あるものは自殺という「消極的な」手段をとるし、ボブのように「積極的な」手段に訴える者もいる。

起こりうるどちらか一方が起きたのだから、Y中学校の事件は、必然的に発生したものではないだろうか?

また、消極的より積極的な手段を採用した方がましだと思うが、ボブの良くないところは、いじめられる原因を自分で作った以外に、無関係の生徒に積極的な手段を行使してしまったことである。

せめて自分に嫌がらせをした張本人に向けていれば、多少は肯定的にとらえることができたかもしれないと思うのは、私だけだろうか?

出典元―読売新聞、毎日新聞、毎日新聞社『昭和史全記録』

まんがでわかる ヒトは「いじめ」をやめられない

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口を糸で縫われた男 ~芳しき昭和の香ばしき事件簿~


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「うるさいと口を糸で縫うぞ!」

幼い時分、騒いでいると、よく親にそう脅されたものである。

私以外にも、言われことのある方は多いのではないだろうか?

最近では「ホチキスでとめる」の方がメジャーかな。

子供のころから、もし本当に口を糸で縫われたら、シャレにならないと思ったものだ。

しゃべれなくなる以前に、その痛みは半端でないであろうことぐらい、子供でも想像できる。

だから、本当にやられることはないだろうし、実際やられた人もいないだろう。

そう思っていた。

だが、世の中は広い。そして恐ろしい。

いたのである。この日本で、リアルに口を糸で縫われた人が!

それも、安土桃山時代や江戸時代の話ではない。

その事件が起きたのは、限りなく現代に近い昭和48年(1973年)12月18日の大阪府門真市だ。

おしゃべり大工

この口を糸で縫われてしまった気の毒な人は、大阪府茨木市に住むAさん(当時34歳)。

彼がそんな目に遭った原因は、そのままズバリ「口」だった。

このAさんは職業が大工であり、職人気質で口数の少ない人と思いきやその逆。

結構なお調子者で、あることないこと周囲に吹いて回る人物であったらしい。

そんな彼は、大阪府内の門真市にある一軒の洋酒喫茶に通い詰めていた。

目的は、その喫茶店のママ。

ママが美人であったか否かは別にして、少なくとも、Aさんはぞっこんであったようだ。

だからであろうか。

ある日、仲間と談笑していた時に、Aさんは、彼女についてこんなことを口にした。

「ワイ、あそこの喫茶店のママと寝たで!ヒーヒー言わしたったわ!」

嘘である。

「そうしたいな」と思うがあまり、口から出まかせを吐いたのだ。

だが、その場で皆の注目を浴びて調子に乗ったのか、それからも、彼はさも濃厚な肉体関係になっているようなことをペラペラ語った。

ばかりか、Aさんは後日、他の人間にもそのハッタリを自慢げに吹いて回るようになった。

それが大きな災難を招くことになる。

あまりにも多くの人間に言いふらしたからだろう。

Aさんのホラは、やがて巡り巡って喫茶店のママの周辺、それもよりによって彼女の旦那の耳に達してしまったのだ。

しかも、より厄介だったのは、その旦那の職業である。

暴力団幹部だったのだ。

昭和48年12月18日大阪府門真市

喫茶店のママの夫である福井某(当時41歳)は、泣く子も黙る巨大組織山口組の三次団体幹部で、殺人未遂など前科七犯の猛者。

話を耳にした福井は当然激怒し、12月18日の夜8時に、Aさんを門真市の自宅に呼び出すと、子分二人と共に、二階の部屋へ引きずり込んだ。

そして、その部屋で、余計なことを吹いて回ったおしゃべりへの過酷な制裁が始まった。

「こんガキぁ!ナメたマネさらしよってからに!覚悟せえ!!」と、ゴルフクラブでAさんを乱打したのだ。

「すんまへん!堪忍してください!アレはちゃーうんです!ホンマはやっとらんのですぅぅう!!」

Aさんは必死に弁明したが、それで済むならヤクザはいらない。

やっているいないにかかわらず、ここまで公言している以上ナメていることに変わりはないからだ。

福井らはAさんを裸にして縛り上げると、

「リンチはワイの専売特許や!もう余計なことしゃべれへんようにしたらぁ!!」

と言って、何と木綿針と糸でAさんの口を四針も縫った。

まさに口が招いた災いだが、その災いは口だけにとどまらなかった。

福井らは熱した鉄片をAさんの上半身に押し付けるというリンチまで行ったのだ。

「~~~~~!!!!」

口を縫われたままのAさんは叫び声をあげることすらできない。

そんな地獄のような暴行は翌日午前2時まで続いた。

幸いなことに、Aさんは命まではとられず解放されて、その足で近くの病院に駆け込んだ。

だが、その病院で縫い合わされた糸を抜いてもらうなどの治療を受けたものの、一か月の入院を余儀なくされる重傷であった。

自分の女房と関係を持ったと吹き回ったお調子者相手とはいえ、この仕置きはやりすぎだ。

暴力団員というのは本当に恐ろしい。

福井はその後、大阪府警の取り締まりにより、他の傷害罪や覚せい剤取締法違反で逮捕されて大阪拘置所に入れられていたが、三か月後の翌年昭和49年(1974年)2月14日に、この件が明るみに出たことで、再び警察署に移送されて取り調べを受けた。

ちなみに、Aさんの口を縫ったことへの法的裁きはいかほどであったかまでは、報道されていない。

しかし、昭和40年代の末期はまだ暴対法もなく、現在からみれば反社会勢力の暴力団が「保護」されていたも同然で、街の中に堂々事務所を構えて悪さをしていたんだから、すごい時代だった。

身から出たサビとはいえ、あまりにもひどい仕打ちを受けたAさんだが、もし2021年現在ご存命なら、82歳くらいだろう。

しかし、当時の恐怖と痛みは、半世紀近くたった今も忘れていないはずである。

口に縫われたような傷跡と、上半身の胸や腹に火傷の跡がある高齢者の男性を銭湯かどこかで見かけたとしても、「福井のこと覚えてますか?」とか話しかけるのは、人としてあるまじき行いだ。

それより、もっと心配なのは福井も存命で、この文章を目にしたら筆者はどうなるのか?ということだ。

もし生きてたら、福井の方は90近い年齢になっているはずだから筆者でも秒殺できるが、彼の舎弟や子分のまたその子分が私のところに押しかけてくるかもしれない。

口を糸で縫うのだけは、勘弁してほしいものである。

出典元―毎日新聞、朝日新聞、毎日新聞社『昭和史全記録』

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ハッテン場の真実と異性愛者の体験


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男性同性愛者が出会いを求めて集まる場所をハッテン場というらしい。

そこは性的少数者たる彼らの侵すべからざる聖域であり、同時に異性愛者であるノンケ男子禁制の魔界でもある。

私が大学生だった90年代後半の A 県 N 市内においても、そんな知る人ぞ知る秘密の薔薇園が存在した。

地下鉄 H 線の I 駅改札前の広場である。

私には今も昔もそんな趣味はなく、当時はそこがそんな場所だということ自体知らなかった。

それを否応なしに知ったのは、そこに何度か足を運ぶ羽目になったからだ。

私が大学5年生の時(1年留年した)、よく仲間内の飲み会に誘われたのだが、待ち合わせ場所がよりによっていつもそこだった。

最初の頃は私もそういう場所だと気づくことはなかったが、回を重ねるごとに時間通り来なくなるメンバーが増えてきて、四回目くらいの時に私もその理由を問答無用で思い知ることになった。

ナンパされたからである、男に。

正直、ナンパなんてお上品なもんじゃなかった。

その日時間に律儀な私は時間前に到着、ひとりで他の飲み会参加者が来るのをベンチに座って待っていたら、

「お待たせ!」

とか言って、いきなり見知らぬ男がすぐ隣に座ってきて、肩を組まれて股間に手を伸ばされたり、歩き回っていたら、

「だーれだ?」

と後ろから別の見知らぬ男に手で目隠しされたりしたのだ。

目隠しされた時はてっきり他のメンバーが来たかと思って、

「おせーよ。いつ待たせんだよ」

と言ってしまい、

振り返ってみれば、全く他人のヒゲヅラのごつい男。

最悪な勘違いをさせてしまい、おまけになかなかあきらめの悪い男だったので数百メートル以上追い掛け回され、変質者に狙われた女性の恐怖を心の底から理解した。

身の危険を切実に感じた私は、I 駅構内は危険だと判断。

とりあえず逃げ込んだのは交番ではなく、I 駅を出てほど近い O 野書店という本屋だった。

携帯電話がまだ一般的ではなかった 90年代後半だったので、待っている相手が今どこにいて、いつ来るかもわからない。

だからその O 野書店からなら集合場所たる駅の改札前が見え、誰が来たか分かるというのもあったが、

男に狙われるというおぞましい体験をしたばかりなので、口直しにエロ本でも読んで嫌なことを忘れようともしたのだ。

そう思って雑誌コーナーへ向かった私だったが、顔面蒼白になり凍り付いた。

ゲイ関連の雑誌や写真集の比率が異様に高かったのだ。

18禁とかそんなレベルを超越している。

近くの場所が場所だけに、その特殊な需要をもろに当て込んでいたらしい。

ジャニーズ系の美男子モノに、体育会系のマッチョ系などの正統派だけではなく、デブ専や老け専などのキワモノまで、ゲイ向けの書籍はこんなに種類があるなんて思いもしなかった。

同時に、こんなモンを読んで興奮している人間が、この世にいるなんて考えたくもない。

  • 「豊満」なんて雑誌は、ハゲで腹の出たオッサン同士が絡み合っているし、
  • 「全日本熊大全」という写真集は、毛深くてごつい男のヌード写真が目白押し!
  • また、和彫りの紋々の入ったヤクザ風の男のヌード写真集もあった。

異性愛者の中でスチュワーデスや女子高生などの特定の属性を専門に好む者がいるように、極道フェチの同性愛者もいるらしく、それらの人々にとって暴力団事務所は、きっとセクシーな男たちが集う薔薇の花園なんだろう。

その中の一員になりたいか、監禁されたいと願っている者も多いのかもしれない。

「Gメン」なる雑誌は体育会系のマッチョ専門で、その中では、ラグビー部や柔道部は新入部員以外全員ゲイであり、そんなの読んでいると、ラガーマンや柔道部員を偏見の目で見るようになりかねない。

あと、この雑誌の記事の中にしょっちゅう出てくる「SG 体型」の「SG」って何だろう?

頻出していることから、この読者層が最も理想とするモテ筋の体型らしいが。

スーパーグレートか?セクシーグラマーかな?何だろうな?と思ってたら、あるページの下の方に「SG とは何か?」を説明する注釈があった。

スーパーガッチリ。

分厚い筋肉の上に脂肪がついた、重量級の柔道部員やラガーマンのような体型を指すみたいだ。

何だよ、くだらねえ。

て…、俺も読みまくっとるじゃないか!

そしてその雑誌コーナーで、ゲイ雑誌を立ち読みしている者は私以外にもいた。

これはまずい。

同好の士と思われてナンパされかねない、I 駅に負けず劣らぬ危険地帯であることが分かり、そこからもそそくさと退散した。

結局、飲み会の他のメンバーは、約束の時間をずいぶん過ぎてからようやく現れた。

それも連れだってだ。

私一人をこの恐怖の場所で待たせてたってか!

私が今までどんな怖い目に遭ったか怒り心頭で抗議すると、どうやらナンパされたことがある者もいたらしく、時間通りに来るのが怖くなり、みんなホームで待ち合わせてたという。

だったらこんな所で待ち合わせをするのをやめるか、こういう危険があると同じ学校に通っているんだから、教えてくれてもよかったじゃないか!

「なかなか言い出せなかった」とか言って、お前らが黙っていたおかげで、こっちも怖い目に遭ったんだからな!

それから I 駅での待ち合わせはタブーとなり(もう遅かったが)、と言うか I 駅自体を利用したくもなくなった。

あそこは異性愛者にとっては、地獄のような場所以外の何者でもなかったからな。

「知っていて損はない」と言う言葉はウソだ。知らなくていいことを嫌と言うほど知らされた私は、切実にそう思っている。

最後に、差別主義者のそしりを受けることを承知で言わせてもらう。

近年性の多様性を尊重しようと、彼ら男性同性愛者をはじめとした性的少数者に理解を示す社会的な動きがある。

私も世間一般の性的嗜好とは異なるそれら性的少数者の存在自体を、社会から完全に排除したいとまでは思わない。

だが、距離を置いた棲み分けはしたい。

それは、私の尻や股間に熱視線を注ぎ、あわよくば蹂躙を企んでいる可能性のある者との近距離での共存は、お断りだからだ。

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残念な北欧の貴公子 – 身長に悩むデンマーク人の物語

顔写真は本人ではありません。イメージです。


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昔、知り合いの知り合いにデンマーク人留学生がいた。

デンマークの大学で日本語を専攻後に来日した24歳くらいの青年で、確か名前はスベン。

そのスベンとは一回だけ顔を合わせる機会があって、それは共通の知り合いに誘われた飲み会の席であった。

飲み会の会場は大手の居酒屋チェーンで、スベンは大人数が座るテーブル席の中央で、日本人ばかりの参加者に囲まれるように座っていたのだが、一目で分かった。

なぜなら、彼は金髪に碧眼、透けるように白い肌という典型的な北欧系の青年だったから黒髪の黄色人種たちの中では目立つことこの上ない。

おまけに、近世の北欧の貴公子もかくありやと思わせるくらい品のあるハンサムな若者でもあった。

かと言って決して軟弱ではなく、衣服の上からも明らかに分かる広い肩幅と熱い胸板に太い腕の持ち主で、スポーツも得意なんだそうだ。

しかも他の日本人と話しているのを聴くと、日本語がべらぼうに達者であり、他にも五か国語くらい話せるという極めて明晰な頭脳の持ち主でもある。

まさに非の打ちどころのない青年だと言えよう。

だが、そのスベンにも残念なところがあった。

それは、言っては悪いが致命的と思わざるを得ないくらいのレベルのだ。

それは、

デンマーク人なのに身長が163cmしかなかったのだ。

最初私がついた席の対面に座っていたので気づかなかったが、彼がトイレか何かで席を立った時に初めて気づいた。


座っている姿だけを見たらデンマーク人らしく、普通に180cmくらい余裕でありそうな風格なのに、立ち上がって歩き出したら明らかに背が低かったからだ。


一緒のタイミングで立った隣の女性(むろん日本人)の方が微妙に背が高い。

他の人もそう思った人がいたらしく、すでに酒が入っていたとはいえ、戻ってきた本人に直接それをツッコむという無礼を働いていたが、スベンは「よく言われますよ」と表情も変えずにネイティブレベルの日本語で軽く流した感じだった。

できた男だ。

190cmオーバーがゴロゴロいる母国のデンマークで、身長が163cmしかないという彼は、肩身が狭い思いをしなかったはずがないのに、その表情と対応から気にしている様子を感じない。

170cmが平均身長の国で、1cm平均に達しなかっただけで、障害者に生まれたがごとくコンプレックスにさいなまれ続けている身長169cmの私とは、えらい違いである。

その後、宴もたけなわとなり、酒も進んできた。


スベン君はさすが北欧系だけあって、ビールを何杯飲んでも表情が少しも変わらなかったが、だんだん饒舌にはなってきた。

デンマークはこんな国だの、将来母国の大学で教授になりたいだの、全くさっきと変わらず流ちょうな日本語で皆と話していたのだが、そんなスベン君は、会話の中で前年日本に来たばかりの時に、非常に衝撃を受けたことがあることをぽつりと吐露した。

「初めてナリタに来て、デンシャに乗った時ですね、私はとてもショックなことアリマシタ」

その“ショックなこと”は今でも尾を引いており、今でも日本人に対する深い失望感であり続けているという。

何か日本人に悪さをされたんだろうか?

いや、日本人は西洋人にはビビるはずだから、あからさまなことはせんだろう。


遠巻きでよそよそしい態度ならよくとるが、それを嫌がる外国人もいるから、それだろうか?

などと一瞬考えたが、スベンが語る日本人への失望感とは、

日本人が予想外に大きく、自分がこの国でも小柄だと思い知ったことだった。

何でも、日本に来る前に日本人は自分より小さい者ばかりだろうと信じていたらしい。

先ほど低身長であることを気にしていないそぶりを見せていたが、実は相当気にしており、母国では一般の女性より背が低いことから、みじめな思いをしてきたという。

デンマーク人よりはるかに小柄な日本人の国に行けば、自分も晴れて大柄な男として胸を晴れるだろう


と期待に胸膨らませてきたところ見事に裏切られたわけだ。

ナメられたものだ日本人も。

むろんそれだけの理由で日本語を専攻して日本に留学したわけではないのだろうが、

「私は世界のどの国に行っても小さいことがワカリました」とか、


「80パーセントくらいの日本の男のヒトは私よりオオキイ」とか、


「イマの日本の男の平均は171cmで私より8センチもオオキイ」とか

自身の感覚から具体的な統計まで出してグタグタ愚痴を垂れ続けるので、実際の身長より小さい男に見えてきた。

どこの国でもこういう奴はいるらしい。


気持ちは低身長の私も痛いほどわかるが。

それでもスベンは日本が気に入っているし、来てよかったと思っていると一転表情を明るくして断言した。

「ダッテ、最愛の人を見つけたからデス」

と、先ほど同時に席を立った隣の女性を指した。
どうやら交際しているらしい。

“最愛の人”とされた女性が照れ笑いし、酒の入った他の参加者たちも「おお」と拍手したりして悪ノリする。

だが、すかさず最後にポツリと、

「デモ、ワタシより背が大きいのはヨクナイ」

やっぱりどの国でも人間というのは変わらない。


身が小さいと心も小っちゃくなりがちなのが人情なようだ。

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「バカ」を理解するためのガイド – バカの種類とその特徴


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  • 『自分は自分、バカはバカ。他人に振り回されない一人勝ちメンタル術』
  • 『バカとつき合うな』
  • 『「バカ」の研究』
  • 『バカの壁』
  • 『コロナとバカ』

「バカ」という言葉をタイトルに含む書籍は数多い。

それはある社会現象や風潮を文字通り「バカ」にして皮肉ったり、あるいは世にはびこる「バカ」への対処法や、「バカ」を科学するものもあるようで、やはり、「バカ」という言葉は心の琴線に直接接触する一種のキラーキーワードなんだろう。

これらの書籍はそれなりに社会的に成功した人々が著者なんだから、まず著者はバカではなく、読者も著者の言うところのバカではない、という前提と思われる。

それか、読者の方は自分がバカではないことを確認する反証バイアスのために読むのだろうか?

しかし、私はかねてよりこうした「バカ」について解説しているとみられる書籍の中に肝心なものがないように思えてならなかった。

それは「バカによるバカのための本が存在しない」ということだ。

つまり、主にバカがどう生きるべきかを、バカが自分の体験を基に世の中のバカたちに指南する本があってもよいのではないかと考えているのだ。

バカとは?

ここで言及するバカはもちろん悪い意味でのバカである。

「空手バカ」とか「野球バカ」とかの、それ一筋で他のことを考えないポジティブな意味でのバカではない。

バカとは誰が何と言おうと欠点である。

平均的で健全な社会生活を営むのに必要な資質や能力に著しく欠ける深刻な欠陥を指すのだ

その欠陥たる「バカ」には多種多様なタイプがあり、私的に大きく分類すると、

  • 知識の総量が一般人に及んでいないか、現代に対応していない「無教養系バカ」
  • いくらモノを教えてもなかなか習得しない「学習困難系バカ」
  • 物事の筋道を立てたり、合理的な思考や言動ができない「非論理系バカ」
  • 大切なことをすぐ忘れたり、注意力に著しく欠ける「不注意系バカ」
  • 応用力や想像力が全く機能しないか、させる気のない「思考停滞系バカ」
  • まっとうな社会生活を送るために必要な常識や配慮に欠ける「無神経・非常識系バカ」
  • 自分が他人にどう見られているか、自分の立ち位置が分からない「無自覚系バカ」

…などなど際限なく思い浮かぶ。

私自身はこのうち少なくとも「学習困難系バカ」、「非論理系バカ」、「不注意系バカ」、「無神経・非常識系バカ」に該当しており、合併症すら発症している。

私はバカであることに胸を張る気はない。

これまでよく怒られたり、職場を解雇されたりと様々な不利益を被ってきたことが誇らしいことでは決してないはずだからだ。

自分がバカだと分からない「無自覚系バカ」じゃないだけマシだと言う者もいるが、自分がバカだと分かっているからといって心が楽になるわけではない。

バカゆえに将来への展望や可能性が大きく制限されることを自覚するのはあまり気持ちのいいものではないからだ。

バカは傍から見て面白いかもしれないが、バカ本人はそう思っていない。

バカもバカにされると不愉快になるのだ。

誰が人様を楽しませるために自分の尊厳を犠牲にすることが面白いものか。

近年ではバカとひとくくりにされてきた者たちが、発達障害や学習障害などの疾患を抱えていると見て理解を示す向きもあるが、社会は相変わらずバカとみなされる者に冷たいし、暖かくなることもないだろう。

効果的な救いの手が伸ばされることなく、生きづらさを抱えながら人生を送らざるを得ないことは私も覚悟している。

長年バカとして生きてきたが、実はどうすれば心地よく生きられるかはいまだによくわからない。

だがどうすれば最悪かはよくわかっているつもりだ。

46年生きてきた中で振り返ると、これをやったらヤバイいことになったと思われる行為が自分自身の経験からも他人の例からもかなり見受けられるのだ。

それは私自身だけでなく他のバカにも適用可能で普遍的な教訓ではないかと思う。

もしあなたが自他ともに認めるバカだが、他人の話を理解できないほど深刻なものではないならば、他山の岩としていただければ幸いである。

バカであることをアピールするなかれ

バカは恥ずべきことだ。

胸を張って主張することではない。

なのに世の中には、

「俺はバカだから」

と、自分でバカであることを白状する者は少なくない。

本当にそう思って、自分を卑下しているのかもしれないが、これは多分に「俺にあまり期待しないでくれ」とか「難しいことをさせないでくれ」と予防線を張っているつもりなんだろう。

私もそうしたことはある。

だが、これは実はよくない。

あんまり言いすぎると、

周りの者に「こいつはバカにしていいのだ」

と思われる可能性があるからだ。

人間は本能的に自分を最底辺には置かず、自分より下を作りたがる。

特に本物のバカに限ってその傾向が強い。

バカにバカにされるのは我慢がならないだろう?

また「自分はバカだ」と言い続けると、周りからそう思われるだけではなく、自分も本当によりバカになっていくことが多い気がする。

自身の経験から、

どうも「バカ」という日本語に宿る霊力はかなり強力で、特に自分に対して言った場合には言霊となって本当に実現しやすいようなのだ

つまり今以上にバカになってしまう。

「俺は天才だ」と公言するのもよくないが、自分がバカだと周りには言わない方がよい。

本当にそうであったとしても。

バカは利口ぶってはならない

バカだと白状するのもいけないが、だからと言って知ったかぶりをしたり利口ぶったりするのもよくない。

切れ者にあこがれる気持ちはよくわかる。

だが何をやってもバカは終生切れ者にはなれない。

それなのに、私はついついやってしまう。

知ったばかりのことを、さも一般常識ですらあるかのように利口ぶって得意げに語った結果、相手はもっとそれについて知ってて、間違いを指摘されたり、突っ込まれたりして木っ端みじんに粉砕されてしまうことが。

ついこないだもやってしまった。

これは南米かアフリカあたりの失敗国家の経済政策か軍事クーデターみたいなもので、これからも繰り返すであろう。

バカは愛されなければ生きていけない

バカが周りから嫌われたら最悪だ。

有能な人間が嫌われるよりずっとやばい。

はっきり言ってその所属する社会ではアウトオブカースト同然となる。

いつの世も人間は嫌らしい。

バカにしている人間が憎たらしいと、そういう時だけ正義感を発揮して大いに排斥してくるはずだ。

では、憎まれるバカとはどんなバカか?

バカであることを認めないバカ、姑息な計算をするバカ、反抗的なバカ、利口ぶるバカ、プライドの高いバカなどが思い浮かぶが、

要するに素直じゃないバカが嫌われる。

バカは嫌われてはならないのだ。

ただでさえあてにならない奴だと良く思われているのに、その上嫌われたらもう評価が覆ることはない。

一挙手一投足がカンに触るものとみなされるようになる。

私はそういう扱いを受けていたバカを何人か知っているし、私自身がそうなったことがあるから切実に思うのだ。

バカはバカに厳しい

先ほどの「バカであることをアピールするなかれ」でも述べたことだが、バカに限って自分よりバカだと思った者をバカにしたがるようだ。

よく職場で仕事ができない奴に限って新入りなどには厳しく接していた気がする。

日ごろのうっぷん晴らしか、それとも自分がやられて嫌なことを他人にやるのは楽しいからか?

はたまた自分が利口になったと錯覚するからだろうか?

だが、他人をバカだと決めつけてバカにする前によく考えてみてほしい。

そいつが本当に自分よりバカだとは限らないし、いつまでもバカだとも限らないのだ。

まあ、そんな簡単なことにも頭が及ばないからバカなんだろう。

ずっとバカだと思っていた奴が、実は自分よりずっと有能だったと証明された時のバツの悪さとそれ以降の居心地の悪さと言ったら、たまったもんじゃない。

これも身に覚えがある。

バカにされないバカになるには?

本当にバカなのにバカにされない者もいる。

バカなのにバカにしてはいけないバカとはどんなバカ?

決まってる。

怒らせると怖いバカだ。

前々項で「バカは嫌われたら、おしまいだ」と述べたが、

恐れられるバカは違う。

怒らせたらやばい奴がバカなんだから、その脅威の深刻度は倍増しである。

尊重されるわけでは決してないが、触らぬ神に祟りなしとばかりに、腫れ物に触るように扱われるだろう。

どっちかと言えばぼっちにされていることになるが、バカにされて見下されるよりはマシかもしれない。

とは言え、こういうバカはそもそも平均以上の腕力やケンカ上等の精神力という資質を備えていなければならず、どちらもないならば目指してはならない。

また、あったとしても目指すのは危険だ。

この文章を読んでいる人が、その理由が分からないほどバカではないことを祈ってやまないが。

以上、バカが生きる上で心がけるべきだと思うことについて私なりにまとめてみたが、

他にも忘れてしまった重大なことがあったかもしれないし、

私自身がまだ気づいていない、バカとしてやってはいけないことがあるのかもしれない。

また、私の文章が分かりにくくて矛盾に満ち、参考にならなかったかもしれない。

でも、これは仕方がないことだ。

なぜなら、私もあなたもバカなんだから。

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異常な家庭での一夜の体験 – 1990年の悪党家族との一夜

世の中には一般的な社会常識が通用しない異常な家庭が存在する。

そこではわが子を正しく導くべき保護者が反社会的な人物で、その子もそれを見て育った結果、必然的に一家全員が悪党という家族のことだ。

まだバブル経済崩壊前の1990年、一応進学校を標榜する高校の一年生だった私はそんなハイエナの巣のような家庭で一夜を過ごす羽目になった。

だが、その体験は文化や価値観が全く異なる人々との遭遇であり、異国の人々の生活習慣に触れたに等しいカルチャーショックを私に与えた。

私は着いて早々ホームシックに陥ったが、鮮烈で濃厚な時間を過ごしてそれまで知らなかった、あるいは知ってはならなかった世界を垣間見たその一夜はいまだ忘れ得ぬ体験だった。

1990年6月某日、O市N町F山家

私だってそんなヤバイ家庭に好き好んで行き、あまつさえ一泊するつもりなんてなかった。

そのきっかけを作ったのは中学の同級生で、底辺高校として地元で有名なO農業高校に入学したとたん高校デビューした駆け出しヤンキーのK田T也である。

K田についての記事

後にゲームセンターで他の不良少年にシバかれて大人しくなってしまった彼だが、この頃は高校デビューしたばかりで威勢が良く、同級生を殴って停学になったO農業高校の友達の家に遊びに行くからと、学校帰りの私を無理やり同行させたのだ。

その訪問先、K田の友達の危険な男の名はF山M雅。

ちなみに、後に私が高校のクラスメイトでF山と同じ中学だった者から聞いた話では、学校内ではかなり恐れられていた不良だったという。

このF山の家こそが私が一泊する羽目になった家庭なのだが、この時はまさかそんなことになるとは予想していない。

F山の家はO市内だが10km近くも先のN町にあり、ただでさえ行くのが嫌だったが、いざ到着したらもっと嫌になった。

言っちゃ悪いが、外から見て何となく問題を抱えた家庭の荒れた生活臭がする木造の二階建て。

外には「仮面ライダー」仕様のような改造バイクが停まっており、この持ち主が家の中にいるかと思うと帰りたいことこの上ない。

「ごめんください、K田です。F山君いますか?」

「おーう、入れ」

何回も来ているらしいK田が玄関の戸を開けて来意を告げると、玄関を上がってすぐのところにある破れたふすまが開き、赤茶色に染めた長めの髪を逆立てたような髪形の少年が顔を出した。

この少年こそがF山M雅だった。

紫色のジャージを着て首と腕には光物、左耳と鼻にピアス。

細く剃った元々薄い眉毛の下の目は、モノを見るという本来の役割に加えて相手を威嚇するという機能も存分に備えている。

要するに目つきが相当ヤバイ。

一目でわかるほど悪そうで、昨日今日悪くなった感じがしない。

高校デビューのK田とは迫力が違う。

私は思わず後ずさった。

「そいつ誰や?」

F山が剣呑な顔で、尻込みする私の方を見てK田に尋ねる。

「あ、こいつ俺のパシリ」

K田はいけしゃあしゃあと答えた。

高校デビューしてから電話で「今すぐ俺んちに来い」だの「タバコ買って来い」だの横柄な態度を私に取って来るようになっていたK田だが、やはりそう思っていたようだ。

「ふーん、まあええわ。K田のパシリも上がってこい」

K田には勝手にパシリにされ、F山には「K田のパシリ」と名づけられた私もF山家のタバコ臭漂う居間に通された。

居間に入ると、F山以外に二人の先客の少年がドラクエをやっていた(この当時はファミコン健在)。

二人ともやはり悪そうで、入ってきた我々、特に私の方を怪訝そうに睨むので居心地悪いことこの上ない。

そしてそこは悪の巣窟だった。

先客の少年のうち眉なし坊主は近所に住むF山の後輩で中学三年生のI井S三、もう一人の茶髪はこの家で厄介になっている16歳の家出少年でT野M夫というらしい。

どう見ても勉強している姿が想像できない、まともじゃなさそうな見かけをしている。

そして新たに加わったK田と始まった会話の内容は、誰それをボコっただの、どこそこの店は万引きしやすいなどの悪事自慢。

もっとも、自分のやった悪さを懸命に語る駆け出しヤンキーのK田は、他の本格的なヤンキー三人と比べるとどうも背伸びしてる感が否めなかったが。

彼らが吸うタバコの煙もあるが、進学校の高校生の私には生存に適さない空間で呼吸困難になりそうだった。

「あー、いらっしゃいK田君。あれ?そっちの子は初めてやね」

いたとは気づかなかったが、F山の母親と思しきスナックのママ風の中年女性が奥から現れた。

手には人数分のグラスを持っており、私を含めた全員の前にそれを置く。

そしてまた奥に引っ込んで、「まあ飲みんさい」と言って持ってきたのはまごうことなき瓶の「アサヒスーパードライ」三本と亀田の柿ピー。

どういう家庭なんだ?我々は未成年なんだぞ。

だがK田はじめ他の少年たちは「いただきます」と普通にビールを自分のグラスに注いで飲み始める。

「パシリも飲め」とご丁寧にもF山が勧めるので、私も郷に入ったら郷に従わざるを得なかった。

そんな宴が始まって間もない時、外で「ドロドロドロ」という排気音がして、窓からこの家の駐車スペースにごついアメ車が入ってくるのが見えた。

「あ、オヤジが帰って来た」

F山のつぶやきで他の少年たちのビールを飲む手が止まり、緊張が走ったのがわかった。

エンジン音が止まり、玄関の戸が開く音がする。

F山の父親とはどんな人物だろう?他の少年の反応を見る限り優しい人ではなさそうだ。

「おーう帰ったで」

野太い声と共に居間のふすまを開けて入ってきたF山の父親は、やはり想像通り、と言うか以上だった。

パンチパーマで薄黒系のサングラスに口ヒゲ、真っ白なスーツとは対照的に真っ黒なワイシャツとネクタイという容易に職業が推察できるファッションセンス。

F山M雅の父親、F山S雄だ。

「おつかれさまです!」

I井とT野が立ち上がって大声で挨拶をした。

K田もそうしているので私もつられてした。

「おーう、やっとるな。まあ飲め飲め」

「ごちそうになります!」

F山父は鷹揚に言うと、奥の部屋でスーツを脱いでネクタイを外して戻って来て、一緒に飲む気らしく少年たちの輪の中に腰を下ろした。

F山母が持ってきたウイスキーと氷で水割りを作り始めると、そこでひそひそと夫婦の会話が始まった。

「定例会どうやったの?」

「兄さんもケツまくっとる。オヤジも何もしてくれへん」

「何か言うたりゃええがな」

「あかん!どうせまた破門したろかとか言いよるわ」

F山母との短い会話でも、その職業が推察通りであることが裏付けられた。

「そりゃそうと、オイM雅!」

突然F山父が息子に話を振った。

「なんや?いきなり」

M雅はさすがに息子で、こんなおっかない父親にもそんな応答ができるらしい。

だが、その後に続く親子の会話の内容が一般社会の良識から著しく逸脱していた。

M雅、お前この前駅で工業高校の奴とモメたやろ?」

「あ?あれならもうずいぶん前のことやろが」

「何でそいつボコボコにしなんだんや!」

「そういう奴いちいち相手すんの疲れるんだわ」

そしてあろうことか、次にF山父は私に興味を持ち始めた。

「おいそっちの坊主、なんや真面目そうやな?校則とかもちゃんと守っとる感じやな?」

やはりこの不良少年たちの中では、毛並みが違うのが一目瞭然だから目立つらしい。

「ええ、まあ」と答えた私にF山父が言った次の言葉は、今いる場所が非常識を通り越した異次元空間であったことを私に思い知らせた。

「いい若いモンが悪さもせず何をやっとるんや?将来ロクな人間にならへんで!」

この一言にその場の少年たちが「そうやそうや」と大いに沸いた。

何という逆金言だろう。ていうか、もしかして今の笑うところ?

「では、今のあなたは?」

という冷静かつ自殺行為の正論は、少なくともこの場でできるわけがない。

それどころかビールの酔いも手伝って、自信満々に語る貫禄満点のF山父の観念は聞いていて問答無用の説得力があり、少し納得してしまっていた。

F山父も酔い始めたらしく、少年たちがありがたく拝聴しているのをいいことに、自らの道徳観や人生観を大いに語り出した。

まず「この世で一番ツブシがきく商売は何やと思う?」と一同に尋ねて間をおいた後、

「それは、悪さや!」

と吠えてから怒涛の持論を展開し始めた。

「ええか。酒もタバコもええけど、シンナーやシャブだけは食ったらあかん。シンナーやシャブは食うもんやない…売るもんや!」

「被害者になるくらいやったら加害者になれい!日本は加害者を守る国や!」

「好かれてナメられるより、嫌われて恐れられる男にならんかい!」

最初ウケを狙っているのかと思ったが結構目が本気だし、I井もT野も、そしてK田も「なるほど」とか感心したりして神妙な面持ちで聞いている。

私が間違っているんだろうか?決してためになることは言っていないのに、ある意味真実をついているような気がしてきた。

周りが周りだし、私もビールのおかげで徐々に洗脳されつつあったのかもしれない。

知らないうちにK田からもらったタバコを私もせき込みながら吸っている。

そして、F山父独演会の熱心な聴衆の一人となっていた。

他にも彼は、

「青信号は安心して進め!黄信号は全力で進め!赤信号は隙あらば進め!」

という交通法規に対する独自の見解も持っていた。

こんなのが父親とはF山M雅という男は何て不幸なんだと思われるかもしれない。

しかし当のM雅の方は結構冷静で常識があり、

「ムチャクチャ言うとる」とか「そんなわけあるか」

などとオヤジの主張にツッコミを入れていた。

親はなくても子は育つのか、こんな親ならいない方がマシだが。

もっとも息子は高校を傷害で停学になるなど、十分父親の期待通りに育っているようだ。

などと話を聞いていたらもう夜遅くになってしまった。

私は「もう遅いのでこれで失礼します」と千鳥足で帰ろうとしたが、

「泊ってけ」とF山父。

さっきから一緒に水割りを飲んでいるF山母も「一晩くらいええよ。K田君も泊ってく言うてるし」と余計な援護射撃をしてくれる。

F山父は、

「このM夫もM雅とゲーセンで知り合うてから、一週間もウチにホームステイしとる」

と家出少年のT野M夫を指さした。

いや、私は家出してるわけではありませんので、それにホームステイ?意味わかって言ってる?

「でもまあ親は心配するやろうしな。ワシも親やからわかる」

そうなんですよ。だからもう帰ってもいいでしょう?

「でもなあ、子にとって親ちゅうのはな…迷惑かけるためのもんや!

サングラスを外したF山父の猛禽類のような眼光に見据えられてそう断言された私は、

「一晩ご厄介になります」と返事していた。

「俺が迷惑かけたらすぐブチ切れるくせに!」

と息子のM雅に横からツッコまれていたが。

結局その日は遅くまで飲んでそのまま居間で雑魚寝。

翌朝F山母からふるまわれた「金ちゃんヌードル」を朝食としてから(何たる手抜きの朝食!)、私の「ホームステイ」はようやく終了。

帰り際、F山父は私に、

M夫はワシの息子みたいなもんやし、M雅の後輩のS三はワシの後輩、ツレのK田はワシのツレ、K田のパシリのお前はワシのパシリや。いつでも来てええぞ」

という言葉をかけた。

二度と行ってはいけないな。

これ以上付き合ったら無事で済まないことは間違いない。

高校生だった私の目から見ても、気さくさを装ったその奥にあるそこはかとないヤバさが見え見えだった。

もう絶対行きたくないと思いつつ、私は二日酔いのままK田と家路についた。

家に帰ったら、仕事を休んで家で私を待っていたという両親にムチャクチャ怒られた。

大したことしてないのに、何でそこまで怒られねばならんのかと思った。

あの一晩で私の善悪感は少し歪んでしまったらしい。

学校へ普通に行って帰宅しての繰り返しといういつもの日常に戻ると、私の善悪感はまた元通り矯正されたが、実在したあの世界での記憶は確かに残った。

そして時々K田と会っていたが、その後F山の家に行くことはなかった。

その後K田とは付き合いがなくなり、F山一家がどうなったかは分らなくなったが、その年の年末に家で購読してる地方紙のG新聞にF山父のことが載っていた。

「約1億2千万円相当の大量の覚醒剤を密売目的で隠し持っていたとして、G県警は、暴力団Y組系K組幹部のF山S雄容疑者(40)=O市N町=と、住所不定無職の少年(16)を覚醒剤取締法違反(営利目的所持)の疑いで逮捕した」

名前と住所から見てもあのF山父で間違いないだろう。少年の方は家出少年のT野M夫じゃないだろうか?

あれからまだ「ホームステイ」して、仕事まで手伝ってたのか?

シャブは食うものでも売るものでもなかったということだ。

あれ以上深くかかわらなくて正解だったが、こういう新聞の事件欄を飾る人々の生活を垣間見ることができたのは貴重な体験だったと今では思うことにしている。

何も外国に行かなくても、風俗習慣が異なる人々が同じ日本の中にもいるのだ。そんな人々の中で過ごしたあの一夜はまさに私の中では「ホームステイ」だった。

自分の絶対と思ってきた価値観を壊されるのは衝撃だが、時として痛快で心地よい驚きとなることもあるのだ。

実は、最初はあれほど帰りたかったF山家での晩が妙に刺激的で面白かったような気が時々していたことを告白する。

リスクはあったとしても、後から思えば世間のルールを逸脱していい世界は結構魅力的だった。

料理は体に毒なものが多少入ってないとおいしくないのと同様、人生だって破滅しない程度でためにならないことを多少経験しないと面白くないじゃないか。


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2002年の真冬だったから今から20年近く前のことだが、出会い系サイトのサクラをしていたことを告白する。

もちろんサクラだと最初から分かっていたわけではなく、「データ入力業務」という新聞の求人欄を真に受けて応募したのだ。

そうと分かったのは面接の時。

私の面接を担当したのは金髪にピアスだがビール腹の、滑稽なほど若者っぽい恰好をした明らかに40代中盤のおっさん。

いきなりうさんくさかったが、そのおっさんの話す内容はそれを上回っていた。

初っ端から業務は各出会い系サイトからの委託であることを淡々と語り始めたのだ。

おっさんによると、出会い系サイトを利用するのはほとんどが男で、

女の利用者の割合は男 16 に対してたった 1!

そんなんじゃあ男の利用者の多くがナシのつぶてになるから、誰も利用しなくなる。

だから女の利用者のふりをしてやり取りをする、つまり業務はサクラであるとあっけらかんと言い放った。

それって違法じゃないの?

詐欺じゃないのかよ。

などと思いつつも、無職でプラプラしていた時期だったし、さほど悪いことをするわけではないとも思ったので採用される運びとなった。

シャイなスケベ退治開始

いざ出勤してみた仕事場だが、パソコンがずらりと並び、その前でサクラたちが出会いを求める男たちをさばいていた。

そして、

そのサクラの七割近くが男で、気のある女のふりをして相手に思わせぶりな返信していたのだった。

出会い系サイトはご存じのとおり、メールを送信すればするほど男性利用者は課金されててゆく。

だからできるだけじらし、会話を長引かせるのが肝要である。

面接の時から気づいていたが、完全に詐欺である。

出会いを求める者をだましている以外の何者でもなく、採用されてからこんなことを言うのは今更だったが、

実際にやろうとすると後ろめたさを感じた。

しかし、その罪悪感はすぐに消滅した。

なぜなら女を装って出会い系を利用する男たちの相手をしてみて、女日照りの男たちのあさましくゲスい下心と獣心をそこはかとなく感じたからだ。

そして次第に彼ら醜悪なナルシスト、身勝手な夢を見る童貞、シャイな変態たちの

ザーメン臭い純情に鉄槌を下すことに使命感すら感じるようになっていった。

寂しい男たちの正体

まず利用者のうち何人かのハンドルネームなんだが、

以下のハンドルネームを名乗って出会いを求めようとする者の神経が理解できない。

  • 浣腸汚染
  • 寂しがり屋の変質者
  • 俺の股間は二十ミリ機関砲
  • 肛門指挿入抜き挿し魔
  • レイプ術黒帯
  • 童貞地獄

女に相手してもらう気あるのか?

これを見て返信する気になる女が世の中にいると思っているのか?

何をされるか激しく不安になる名前であるから、間違っても会いたくはない。

犯罪構成要素を満たし、逮捕状が請求できそうなくらい圧巻のお下劣ネームである。

だが、こういうモテないあまりに脳と下半身をメルトダウンさせている変態相手こそ我々男性サクラの出番だ。

気持ちが多少わかる分相手にしやすく(「多少」だ。あくまでも)、実際に会うわけでもないので勇んでアプローチをかける。

まず『俺の股間は二十ミリ機関砲』だが、

パソコンから「まりん」という仮名の二十代の女を装い「二十ミリってどういうこと???」と興味あるそぶりを見せてメールを送ったところ瞬時に返信があり、

案の定自分のイチモツに自信があるみたいで「味わわせてやるから会いに来い」とのことで思い上がりも甚だしい。

むろんこいつの自慢の息子の規格と性能など知ったこっちゃないし、会う気もない。

こちらはパケット代を使わせるために会話を長引かせるのが仕事だから、わざとらしくチャットを開始した。

サクラのバイトを仕切る社員のアドバイスどおり、女性らしく絵文字や顔文字を含めることも忘れない。

「太さ二十ミリ( ゚Д゚)じゃあ長さは(・・?」
「確かめに来な」
「身長、体重は(。´・ω・)?」
「160センチ、80キロくらい」

股間が重武装でも、体が残念だな。

一点豪華主義らしい。

あと顔は芸能人で言ったら「浜崎あゆみ」に似ているらしく、いったいどんな姿の生物なんだ、こいつは?

「こっちはパケット代がかかるんだ。会うのか会わねえのかどっちだ?」

これからじっくり会話を長引かせようとしてたら、いらだって結論を迫ってきた。

ケツの穴とキンタマは小さいようだ。

こちらは女を装っているうちに心も女性化し始めたらしく、

自分の懐具合をチマチマ心配する男は、女からどう見えるかも何となくわかる気がしてした。

そのセコさとせっかちさに虫酸が走る。

もちろんさっきからの尊大な言葉遣いも。

『俺の股間は二十ミリ機関砲』はS県北部在住らしく、T線のS手駅で今晩待っているから来てくれ」と一方的に要求してきた。

それだけでもかなり身勝手さを感じるのに、ずうずうしくも「俺は車を持ってないから、必ず車で来てくれよ」と付け加えやがった。

その付け加えた文面を見た瞬間、私の心の中で義憤のサディズムの炎がめらめらと燃え上がるのを感じた。

だます相手がこういう奴で本当によかった。

勤労意欲がわいてきたじゃないか。

「オッケー☆⌒d(´∀`)ゼッタイ車で行くね☆👌」と約束してやったが、

「仕事終わってから行くから、12時に待っててね(⋈◍>◡<◍)。✧♡」

と敢えてバスも電車もなくなっているであろう時間帯を指定した。

『俺の股間は二十ミリ機関砲』は「遅すぎる、もっと早く来てくれ」だの「電車がなくなっちまうだろ」だの言ってきたが、

「じゃあ行かない😝」とかごねてやったりしたらしぶしぶ了承した。

これら一連のやり取りでも少なからぬパケット代が自分の懐から消えたことに奴は気づいているのだろうか。

そして最後まで「マックスにデカくして待っててやるぜ」と自信満々で偉そうだったから、サカリのついた男ってのはどうしようもない。

ざまあーみろ。

この真冬の深夜待ちぼうけ食らって、むなしくデカくしてやがれ。

私の中で眠っていた悪魔的正義感が早くも覚醒したバイト初日となった。

つづく

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未成年に踏みにじられた25歳の純情 ―実録・おやじ狩り被害―


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1999年(平成11年)、24歳だった私は某電器メーカーの工場で派遣工をしていた。

大学卒業後に就職した会社を、一年とちょっとで追われたからだ。

時は就職氷河期の真っただ中、職場には私と同世代の者が意外と多かった。

就職できなかったか、私と同じく会社からドロップアウトしてしまった若者たちである。

そんな中にH川という青年がいた。

H川は私と同じラインで働いているから顔見知りだが、話したことはない。

私が職場で口を利くようになった人間の一人にM田という男がいて、そのM田がH川とよく話す仲だった。

奇しくもH川はM田の小中学校の同級生で、昔馴染みだったのだ。

つまりM田と同い年だった私とも学年は同じだった。

M田によるとH川はある専門学校を中退後、また別の専門学校へ入り直して卒業してから就職したが、一か月未満で辞めてからこの工場で働いているという。

H川は大人しそう、というか気弱でネクラそうな感じの青年である。

長めの寝ぐせを整え切れていない不潔そうな髪型、170cmくらいの細身だが運動不足で体脂肪率が高めであろうガリポチャ体型、私服のセンスも悪い。

その外見からも、活舌が悪くモゾモゾと何を言っているかわからないしゃべり方から判断しても女性には絶対にモテそうにない感じの男だった。

私も似たようなもんだったが。

だが10月中旬の金曜日、そのH川が大変身を遂げて職場にやって来た。

長めの髪を金髪に近いような茶髪に染め、耳と鼻にピアス。

上下は作業着に着替えていたのでどんな私服を着て来たのかわからなかったが、首から上だけでも十分インパクト大の変わりっぷりだった。

一体何があった?工場の薬品による労働災害か?

いやいや、女関係に決まってる。

果たしてやっぱりその通りで、今晩女性と会う約束をしているとかで、そのためのイメチェンだった。

「どうしたんだその恰好?」とM田らが聞くと、H川は待ってましたとばかりに喋る喋る。

何でもテレクラ(1999年当時は携帯の出会い系サイトも出始めていたが、テレクラも健在だった)で知り合ったらしく、しかも相手は女子高生だというではないか。

当時女子高生は『コギャル』と呼ばれて世のいい歳こいた男どもにもてはやされ、コギャル文化真っ盛りの時代。

だからH川は普段と違ってもう有頂天という感じで、相手は女子(コギ)高生(ャル)であることを特に強調していた。

M田たちは「援助交際だろう」とか「本当に女子高生か」とからかったら、もうすでに一回だけちょっと会っており、今回は二回目で本格的なデートだという。

たったその程度なのに喋っているうちにH川は相手のことを「俺のオンナ」とか「カノジョ」とか言い始め、もうすっかり交際しているつもりになっている。

それをツッコまれると、「俺のことを気に入ったって向こうは言ってんだ!」とムキになった。

「おいおい、ヤバくねえか?」「おっかない奴出て来るぞ」と、みんな懸念を表明したが、H川は聞く耳を持たない。

それどころか「俺ってマジで何歳に見える?高校生くらいに見えなくね?」とかワケわからんことを言い出している。

「25歳には見えない」と言われたらしく、いい歳こいて喋り方までそれっぽく変えて。

25歳未満ではなく25歳より上に見えるという意味じゃないのか、それは?

私も端から聞いてて、どう見てもヤバいような気がしていた。

だってH川はネクラで地味な青年で、喋りがド下手くそなコミュ障。

年上の男に魅力を感じると相手は言っていたと彼は主張するが、イメチェンしたとはいえ小学生のまま25歳になったような感じのH川に、高校生くらいの女の子が寄ってきそうな大人の魅力があるようにも見えない。

援助交際じゃないとしたら、相手の女子高生とやらには何か危険な目的があるんじゃないか?

第一、彼のイメチェンは私から見ても無理してる感が強く、痛々しい。

今までファッションに全く気を配ってこなかった者が、急にシャレっ気を出した場合特有のズレを感じる。

染めた髪だってムラがあるし、相変わらず寝グセ立ってて変な髪型のままだし、ピアスの位置もおかしい。

それにいい歳こいて、そのガキみたいなファッションは何だ?

などなど心の中でツッコミを入れつつ、実は自分と同じくらいネクラそうな奴がまんまと女性と会うことができたことに対する嫉妬が混じっていたのも事実だ。

もうすでに一回会っているって言ってるし、もしH川の話が本当だったら私もテレクラ行ってみようかな、ともちょっと思ってた。

作業が始まってもH川ははしゃぎっぱなしで、隣の奴にあれこれ話しかけてる。

聞こえてきたのは「どのラブホテルが一番おすすめ?」だ。

さっきから聞いてりゃ気が早すぎだろう、今回も約束どおり相手が来るとも限んないんだぞ。

などと横目で聞き耳を立てていたら、「おい!横見て作業するな!」

現場監督に怒鳴られたのはおしゃべりしていたH川ではなく、なぜかそれを見ていた私の方で、何とも釈然としない。

こうしてその日の作業が終わり、午後5時の終業時間になるや、H川は踊るようにタイムレコーダーに向かって行った。

さぞかし期待で胸と下半身を膨らましていたことだろう。

それが、彼を見た最後だった。

土日が明けて、月曜日。

H川の野郎はどんなこと言ってデートにこぎつけたんだろうか?普段話さないけど聞いてみようか?などと考えながら出勤した。

実は金曜日からずっと気になっていたのだ。

朝礼が行われる従業員休憩室に行くと、私の担当ラインのみんなが揃いも揃ってM田とそのツレのK保を囲んで話をしていた。

H川はその中にはおらず、まだ来ていないようだ。

彼らに近づいてみるとみんな深刻な顔をしており、「それで大丈夫なの?」とか「何で警察に言わなかったの?」とかの言葉が聞こえた。

何だかただ事ではない。

何があったのか気になったので、私もその輪に加わる。

「どうしたの?」

「H川がやられたってよ」

「やられたって?ナニされたの?」

「ボコられたらしい。K保が見たってさ」

K保は私たちと同じラインで働いており、H川とも仲が良い。

やや顔をひきつらせたK保によると、事の顛末は以下のとおりだった。

K保は金曜日の夜9時ごろ、女子高生とデートしているであろうH川に冗談半分でメールしたという。

その内容は「おい、もうどこまでいった?もしかして真っ最中か?」というようなもので、わざわざみんなにその時の携帯のショートメールの送信履歴で見せてくれた。

その後しばらく待っても返事がなかったため、K保はひとまず風呂に入った。

風呂から出て携帯を見ると、何と15分くらいの間に二件の着信履歴と留守録。

すべてH川からだった(これもK保は我々のために再生してくれた)。

一件目の留守録を再生すると、H川の「ああ、あのさ、大至急かけ直して」という短いメッセージ。

二件目は、「おい、頼むよ!大至急かけ直してくれって!」というかなり切迫した感じの声だった。

最初、K保はH川がこっぴどく女子高生に振られでもして、その愚痴を話したいんだろうと思ったらしい。

少々ザマミロとほくそえみながらかけ直したら、ワンコールでH川が出た。

だが、H川が電話に出るなりいきなりまくしたてるように話した内容が異常だった。

いきなり「金を貸してくれ!」と頼んできたのである。

しかもその額が十万円で、10時までに市内のB原中央公園という公園に持って来てくれというものだった。

確かにB原中央公園はK保の家から近いから行けないことはないが、いきなり「十万円貸せ」なんて頼みを当然聞けるわけがないからK保は断った。

だが、H川はなおも理由も言わず懇願し続けるので、二人の間で「何で貸さなきゃいけないんだ」「いいから頼む」という押し問答が続く。

付き合ってられないと思ったK保が電話を切ろうとしたら、「ええから持って来いや、ボケェ!」という怒声が電話から響いた。

その声はH川ではない若い男のものだったが、いかにもこういう脅しに慣れていそうなドスの効いた喋り方だったという。

その若い男の言い分は、H川がナメた真似したので落とし前を付けさせているが、これはツレであるK保の責任でもある、という無茶苦茶なものであった。

「俺には関係がない」とK保が少々ビビりながら突っぱねると、「ツレがどうなってもいいのか?」と電話の向こうでH川を痛めつけ始めた。

受話口から「やめてくださ…ぐふっ」とか「勘弁してく…痛ぁ!」とかのH川の叫び声が聞こえて来る。

ばかりか相手の男はK保の氏名や住所、勤務先などの個人情報を把握していることを告げ、10時までに約束の場所に金を持って来なかったらこちらから行く、と脅してきた。

K保のことはH川が苦しまぎれに教えたんだろう。

そして「警察にチクったら必ず報復する」と凄まれ、電話が切られた。

悪い奴らと何かあったのか?いや、H川は女子高生に美人局をかまされたに違いない。

K保は相手が声の感じから未成年だと確信したが、だからこそ怖くて怖くて仕方がなくなっていた。

この当時の少年法は「犯罪をやるなら未成年のうち」と言っているに等しいほど大甘で、それを盾に取った未成年の悪党たちは、金を持っていそうな成人男性を襲う「オヤジ狩り」などの凶悪犯罪を犯しまくっていたからだ。

そんなK保が取った行動は、相手の要求に従うでも警察に通報するでもなく、黙殺だった。

電話の電源を切り着信が来ないようにして、もし本当にこちらに来たらどうしようと、おびえながら床に就いた。

結局10時を過ぎても連中は来なかったが、不安のあまり朝までほとんど眠れなかった。

K保はこんなことに巻き込んだH川にムカついていたが、やはりどうなったか気になっていたので、昨晩彼らがいたであろうB原中央公園へ親から借りた車で行くことにした。

公園までは車で行けば5分とかからない。

公園に着くと、いつでも逃げられるように周りを車で巡回しながら様子を探る。

まだ連中がいるかもしれないからだ。

様子を探っていると、遊具のある広場の街灯の周りに人だかりができているのが見えた。

「もしや」と思い車を停めてその人垣に近づくと、その中央にいたのは案の定昨日職場で見たばかりのあの明るい茶髪、H川本人だった。

何と、広場の街灯にガムテープでぐるぐる巻きに縛り付けられてぐったりしている。

しかも全裸で!

H川は殺されてはいないようだったが、殴られて顔を腫らし、タバコで根性焼きをされた跡も所々体に残っており、陰毛も剃られていた。

ずいぶん屈辱的なシメられ方をしたものだ。

周りで見ているジョギングや犬の散歩で公園を訪れたと思しき人たちも人たちで、「動かさない方がいい」とか言ってガムテープをほどきもせず、H川を全裸のまま放置していた。

K保もそのまま見ていただけだったようだ。

その間にも近所の住民など野次馬が次々現れ、H川の醜態の目撃者は増えてゆく。

誰か通報はしていたらしく、ほどなくして救急車、そしてパトカーが到着した。

やっとガムテープをほどかれたH川は片手で股間を、もう片方の手で顔を覆い、警察官の質問に何事か答えながら救急隊員に促されて救急車までフラフラ内股で歩いて行ったという。

「だからヤバイって言ったのに。俺らまで巻き込みやがって」

K保と同じく電話で脅迫されたというM田も、犯行グループより自分たちを売ったH川に腹を立てているようだった。

脅された時点で彼らのうちどちらかが警察に通報していれば、H川もあそこまでこっぴどくやられることはなかったはずだが、それについての反省はしていない。

他の連中の中には「テレクラって怖いな」「無茶苦茶やる連中だな」と凍り付いている者もいたが、「バカだな」「恥ずかしいやられ方だぜ」「ちょっと笑える」と冷たいことを言う者の方が多かった。

その後、犯行グループが逮捕されたことを新聞の報道で知った。

何とH川をハメた相手は女子高生を装った女子中学生であり、ボコったのも同じ中学に通う二年生や三年生の悪ガキども8人だったことが分かった。

25歳のH川は中学生たちにハメられ、一晩中いいように痛めつけられていたのだ。

彼らはまず女子中学生がテレクラを使って相手を人気のない公園に呼び出し、いざ相手が来ると人数を頼みに金品を脅し取る、という分かりやすい手口を使っていたという。

H川は二回目に会った時にやられたが、おそらく一回目は相手を見極めていたと思われる。

H川以外にも引っかかった者がいたらしく、警察は余罪を追及しているようだったが、犯罪被害のきっかけがきっかけだけに泣き寝入りしている被害者も多いことだろう。

彼らはそれを見越して相手が大人しく金を出しても、調子に乗ってさんざん暴行を加え、友人知人にも金を持ってこさせようとするほどの向こう見ずな悪事を働いていたのだ。

ただし、今回はH川を公園に放置したためにその犯行が露見してしまったらしい。

ちなみにH川を指しているに違いない被害者についても新聞は触れており、『アルバイトの男性(25歳)は財布とATMから合計6万円を脅し取られて暴行を加えられ、顔と下半身に全治二週間の怪我』と報道されていた。

25歳のくせに全所持金が6万、それと新聞記者も「下半身」の三文字は余計だろうに。

H川はそれ以降職場に姿を現さなくなってしまった。

あれだけ職場で「相手は女子高生だぜ」とか自慢して周ったあげくまんまとハメられてシメられ、報道までされてしまったんだから、みっともなくて顔を出せるわけがない。

と言うより、外出すること自体怖くなってしまったはずだ。

私も中学生の時にカツアゲされた経験があるからわかるが、見ず知らずのおっかない奴らに脅されてドツかれたりして金を巻き上げられる体験は半端じゃない恐怖で、その後しばらく街を安心して歩けなくなるくらいの災難なのだ。

しかもH川の場合相手は中学生で、そんなガキどもに長時間好き放題やられて、マックスの恐怖と屈辱が相乗効果を発揮した人生最悪の体験だったはずだ。

その後はその後で醜態を大勢の人にさらしてしまい、きっと一生忘れられない悪夢となったことだろう。

相手方の中学生たちにとっては面白かったに決まってる。

あんなことするような奴らだから、同級生の女相手に鼻の下伸ばしてやって来たひと回り以上年上の男を痛めつけるのは快感だったに違いない。

使命感すら持って「自分がこれやられたら嫌だな」ということを思う存分やって、少年法で保護される対象年齢ど真ん中だったから、大した罪にも問われなかったはずだ。

いい思い出になったとか、三十代半ばになった現在でも居酒屋とかで笑いながら語ってたりしてるかもしれない。

若気の至りだったから仕方がないとか言って、大して反省もしていないのではないだろうか。

世の中そんなもんだ。

職場の連中も冷たい奴ばかりだった。

仲が良かったはずのM田もK保もあの一件について「あいつは女と付き合ったことが全然なかったからな」とか「せっかく気合い入れてイメチェンしたのに、チン毛まで剃られてかわいそうに」と笑顔で語り、「しかも相手中坊だぜ」とも言って笑ってたけど、その中坊に脅されてお前たちもビビったんじゃなかったか?

職場のみんなもH川ネタでしょっちゅう盛り上がってたんだから彼も浮かばれない、死んではいないはずだけど。

やられた動機も動機だし、しょせん他人事ということか。

世の中そんなもんなんだろう。

私はあれからしばらくして別の就職先が決まったため、派遣工を辞めた。

以来、M田はじめ職場の誰とも連絡を取っていないからH川のその後は知らない。

20年以上経った現在のH川はもうさすがに立ち直っているとは思うが、忘れてはいないだろう。

その気になってスケベ心をときめかせて行ってみたら美人局で、寄ってたかって裸にされて縛られ、ひと回り以上年下のガキどもに一晩中いたぶられながら「やめてください」とか懇願し続けた情けない体験を笑って話せる日など来るわけがない。

本当の話、私はH川にさほど同情していないことを告白する。

私もカツアゲされたことはあるが、中学時代の話で相手も中学生だったし、きっかけもやられ方もあそこまでカッコ悪くはないはずだ。

25歳の男のザーメン臭い純情が中学生に踏みにじられたんだから、滑稽極まりない。

ふざけたことした中学生どもにはもちろん頭に来るが、客観的に見て「犯人への怒り」が四割くらいで「H川の自業自得」が五割ほど、「H川が気の毒」に至っては一割未満というのがこの一件に対する私の正直な感想である。

そう思うのはしょせん私にとっても他人事だからだろう。

世の中そんなもんだ。

違う?

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