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2021年 おもしろ 中二病

「老い」という不幸からの解放 – 65歳以上の新しい楽しみ


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歳をとるのは嫌だ。

二十代とかに戻りたいとは言わないから、せめて今の年齢のままでいたい。

いつから歳を重ねるのが嫌になったんだろうか?

たしか子供の頃は、誕生日が来るたびにうれしかった気がしていた。

早く大人になりたかったはずだ。

ほぼ大人の高校生くらいのお兄さんやお姉さんたちが、うらやましくはなかっただろうか?

大人になったら社会へ出て働かねばならず、ある程度の責任も求められて甘えが許されなくなるのは分かっていたが、それ以上に、子供だとできないことが大人になったらできるようになるのが大きかった。

酒やたばこなどの嗜好品、自動車の運転、パチンコ店や競馬場などのギャンブル、夜の怪しいお店…。

子供の目には、自分たちには許されない大人の世界は魅惑に満ちていた。

だが、そんな背伸びしてまで待ち望んでいた大人に一旦なってしまうと、今度は一転して歳をとるのが嫌になってしまう。

なぜだろう。

日本経済の将来性とか年金問題とか以前に、ごく自然な流れとして歳を重ねるごとに体は劣化して、自分の死も近くなることを悟るようになる。

そして、今はできても将来はできなくなることばかりになり、
子供の頃のように今はできなくても、将来はできるようになるモノも少ない。

どう考えても、老いることは不幸なこと以外の何者でもなく思うようになる。

だが、不幸なままでいいんだろうか?

もし、誰でも歳を重ねれば楽しめるモノが老後に待っていたらどうだろう?

退職後悠々自適とか孫の顔を見るとか、そんな程度のもんじゃない。

「歳を重ねてこそ人生」などと、開き直りだか強がりのような苦しい意識改革なんかでも決してない。

若者には許されないが、ある程度の年齢になったら許されるようになるモノがあったら?

子供たちにとっての酒やたばこのように、ちょっと味見することすら許されない魅惑の禁制品を嗜める権利が、例えば65歳になったら得られるようになったならばどうだろう?

少しは歳をとるのが嫌じゃなくなりはしないか?

そこで私は憚りながら今ここに、人類共通の不幸の一つである老いを幸福なことに転換させる一助となりうる施策を提言したいと思う。

それは即ち、現状での我が国の法律において全ての年齢層において禁止されている違法薬物の一つ、大麻の吸引を65歳以上から合法化することだ。

大麻の危険性は?

大麻とは、大麻取締法でいう大麻草「カンナビス・サティバ・エル」及びその樹脂を指す。

一般的には樹脂や乾燥葉をタバコに混ぜて、紙巻きタバコを用いて吸うが、吸引するとリラックスした幸せな気分になり、眠気、視界がよりはっきりし、音楽が心地よく聞こえるといった、いわゆる「ハイ」な気分になる。

しかし含まれる有害成分であるTHC(テトラヒドロカンナビノール)は、幻覚作用や記憶への影響、学習能力の低下等をもたらすため、無許可の栽培や所持等は法律で禁止されている。

一方で、海外では北米を中心に大麻の再評価が進んでもいる。

マリファナ合法化、医療大麻の解禁、ヘンプ(産業用大麻)製品の拡大といった動きは「グリーンラッシュ」と呼ばれるほどの大きな潮流になり、約2兆円の市場ともなっている。

また、大麻が特別健康に害を及ぼすという科学的根拠も報告されていない。

つまり成人には合法とされているタバコよりも健康に与える害は少なく、依存性も低いとされる。

確かに前述のとおり記憶や学習能力など脳機能への障害が指摘されてはいるが、

すでに現役を退いていることが多い65歳以上の高齢者が吸引するようになっても社会的な影響は限られるはずだ。

大麻吸引のルール

合法になったからと、自宅や公園で自由にラリられては困る。

社会的な影響は甚大で、路上での飲み会や喫煙以上に迷惑だからだ。

また、街中で自由に売らせると、65歳以上に見えるマセた61歳や58歳が買いに来るかもしれない。

タバコや酒だって、16歳くらいの奴でも20歳以上だと言い張れば買えるんだから、あり得ないはずがない。

よって、大麻吸引は厳重に管理された公的な施設内のみで許可されるものとし、販売もそこでしか行われない。

利用者は65歳以上であることを証明できる免許証やマイナンバーカードの持参が義務づけられるのは言うまでもなく、飲酒と同じく運転にも影響を与えることから、自家用車で施設に来てはいけない。

また、大麻は必ずその施設内で消費せねばならず、外部への持ち出しは禁止する。

自宅に持ち帰らせたら、必ず65歳未満に譲ったり売ったりする者が出てくるだろうからだ。

吸いすぎて完全な中毒になられるのも具合が悪いから、回数も制限すべきだろう。

また65歳以上に解禁したからといって、大麻の闇市場が大幅に縮小するとは考えられず、制限回数を超えて我慢できなくなった高齢者に施設外で売る者や、私的に買ったりする不心得者の高齢者も出てくるかもしれない。

そういう輩に対しては、大麻取締法で厳重に処罰するものとし、権利の範囲を超えた乱用や違法行為は断固許さない姿勢を示すべきである。

75歳以上になったら?~加齢に伴う段階的違法薬物合法化政策~

こうして65歳になって、晴れて大麻を味わえるようになるが、70歳くらいになるとまたぞろ「これから先には何もない」とか思い始め、歳をとるのがまた嫌になってくるかもしれない。

だったら、また追加で用意してやろうじゃないか、歳を重ねることの醍醐味を!

75歳になったら大麻に加えてエクスタシーやLSDも解禁する。

吸引や販売はもちろん大麻と同じく公的な施設内で行い、利用回数なども制限を受けるし、75歳未満厳禁は言うまでもない。

ただし、大麻と違って健康に対する影響がかなり深刻なので、医師の許可を得られたことを証明する書類の提出などを義務づけたいところだが、あくまで本人の自己責任としよう。

85歳まで生きたら覚せい剤だ。

ここまで来るとさすがに施設内で死亡する利用者も出てくるだろうが、明らかに健康に害があり、摂取すると命の危険にさらされる者でも、街中で買おうと思えば買える酒やタバコと同じと考えよう。

酒やタバコ同様、過度に摂取して健康を損なうのは自分の責任であるべきだ。

そして晴れて95歳を迎えたら、違法薬物の王様ヘロインやコカインを許可する。

断っておくが、前述の大麻やエクスタシーなども含めて、無理やり吸引させるわけではない。

あくまで「やってもいい」のであって、実際に吸うか否かは本人の自由意志だ。

この年齢だとヘロインやコカインは明らかに危険極まりないが、試してみることを選択した以上、名実ともに昇天したとしても、思い残すことがあったとは言わせない。

老いる不幸からの解放

私は少子高齢化に対処するために「出生数を増やすより高齢者を減らした方が現実的」などと、冷酷なことを主張しているわけでは決してない。

私だってこのまま死ななければ、高齢者になるんだからな。

私は自分自身も含めた世の全ての人々が抱える「老いる不幸」からの解放を提案してるのだ。

初体験は人生の醍醐味の一つと私は信ずる。

それがなくなってしまうと、生きている意味が見出せない。

何もかも分かった気になって、ロクな初体験が残らなくなるのも老いが不幸となる大きな一因ではなかろうか。

だが、危険な魅力的に満ちた初体験が誰に対しても歳を重ねた先に待っていたら、加齢も少しは悪いことではなくなるはずだ。

65歳未満が65歳以上を、幼稚園児が小学生や中学生を見るような羨望のまなざしを向け、「早く65歳になりたい!」と思うようになることは、「歳をとりたくない」と考えることより、ずっと幸福なことではないだろうか!

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ハッテン場の真実と異性愛者の体験


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男性同性愛者が出会いを求めて集まる場所をハッテン場というらしい。

そこは性的少数者たる彼らの侵すべからざる聖域であり、同時に異性愛者であるノンケ男子禁制の魔界でもある。

私が大学生だった90年代後半の A 県 N 市内においても、そんな知る人ぞ知る秘密の薔薇園が存在した。

地下鉄 H 線の I 駅改札前の広場である。

私には今も昔もそんな趣味はなく、当時はそこがそんな場所だということ自体知らなかった。

それを否応なしに知ったのは、そこに何度か足を運ぶ羽目になったからだ。

私が大学5年生の時(1年留年した)、よく仲間内の飲み会に誘われたのだが、待ち合わせ場所がよりによっていつもそこだった。

最初の頃は私もそういう場所だと気づくことはなかったが、回を重ねるごとに時間通り来なくなるメンバーが増えてきて、四回目くらいの時に私もその理由を問答無用で思い知ることになった。

ナンパされたからである、男に。

正直、ナンパなんてお上品なもんじゃなかった。

その日時間に律儀な私は時間前に到着、ひとりで他の飲み会参加者が来るのをベンチに座って待っていたら、

「お待たせ!」

とか言って、いきなり見知らぬ男がすぐ隣に座ってきて、肩を組まれて股間に手を伸ばされたり、歩き回っていたら、

「だーれだ?」

と後ろから別の見知らぬ男に手で目隠しされたりしたのだ。

目隠しされた時はてっきり他のメンバーが来たかと思って、

「おせーよ。いつ待たせんだよ」

と言ってしまい、

振り返ってみれば、全く他人のヒゲヅラのごつい男。

最悪な勘違いをさせてしまい、おまけになかなかあきらめの悪い男だったので数百メートル以上追い掛け回され、変質者に狙われた女性の恐怖を心の底から理解した。

身の危険を切実に感じた私は、I 駅構内は危険だと判断。

とりあえず逃げ込んだのは交番ではなく、I 駅を出てほど近い O 野書店という本屋だった。

携帯電話がまだ一般的ではなかった 90年代後半だったので、待っている相手が今どこにいて、いつ来るかもわからない。

だからその O 野書店からなら集合場所たる駅の改札前が見え、誰が来たか分かるというのもあったが、

男に狙われるというおぞましい体験をしたばかりなので、口直しにエロ本でも読んで嫌なことを忘れようともしたのだ。

そう思って雑誌コーナーへ向かった私だったが、顔面蒼白になり凍り付いた。

ゲイ関連の雑誌や写真集の比率が異様に高かったのだ。

18禁とかそんなレベルを超越している。

近くの場所が場所だけに、その特殊な需要をもろに当て込んでいたらしい。

ジャニーズ系の美男子モノに、体育会系のマッチョ系などの正統派だけではなく、デブ専や老け専などのキワモノまで、ゲイ向けの書籍はこんなに種類があるなんて思いもしなかった。

同時に、こんなモンを読んで興奮している人間が、この世にいるなんて考えたくもない。

  • 「豊満」なんて雑誌は、ハゲで腹の出たオッサン同士が絡み合っているし、
  • 「全日本熊大全」という写真集は、毛深くてごつい男のヌード写真が目白押し!
  • また、和彫りの紋々の入ったヤクザ風の男のヌード写真集もあった。

異性愛者の中でスチュワーデスや女子高生などの特定の属性を専門に好む者がいるように、極道フェチの同性愛者もいるらしく、それらの人々にとって暴力団事務所は、きっとセクシーな男たちが集う薔薇の花園なんだろう。

その中の一員になりたいか、監禁されたいと願っている者も多いのかもしれない。

「Gメン」なる雑誌は体育会系のマッチョ専門で、その中では、ラグビー部や柔道部は新入部員以外全員ゲイであり、そんなの読んでいると、ラガーマンや柔道部員を偏見の目で見るようになりかねない。

あと、この雑誌の記事の中にしょっちゅう出てくる「SG 体型」の「SG」って何だろう?

頻出していることから、この読者層が最も理想とするモテ筋の体型らしいが。

スーパーグレートか?セクシーグラマーかな?何だろうな?と思ってたら、あるページの下の方に「SG とは何か?」を説明する注釈があった。

スーパーガッチリ。

分厚い筋肉の上に脂肪がついた、重量級の柔道部員やラガーマンのような体型を指すみたいだ。

何だよ、くだらねえ。

て…、俺も読みまくっとるじゃないか!

そしてその雑誌コーナーで、ゲイ雑誌を立ち読みしている者は私以外にもいた。

これはまずい。

同好の士と思われてナンパされかねない、I 駅に負けず劣らぬ危険地帯であることが分かり、そこからもそそくさと退散した。

結局、飲み会の他のメンバーは、約束の時間をずいぶん過ぎてからようやく現れた。

それも連れだってだ。

私一人をこの恐怖の場所で待たせてたってか!

私が今までどんな怖い目に遭ったか怒り心頭で抗議すると、どうやらナンパされたことがある者もいたらしく、時間通りに来るのが怖くなり、みんなホームで待ち合わせてたという。

だったらこんな所で待ち合わせをするのをやめるか、こういう危険があると同じ学校に通っているんだから、教えてくれてもよかったじゃないか!

「なかなか言い出せなかった」とか言って、お前らが黙っていたおかげで、こっちも怖い目に遭ったんだからな!

それから I 駅での待ち合わせはタブーとなり(もう遅かったが)、と言うか I 駅自体を利用したくもなくなった。

あそこは異性愛者にとっては、地獄のような場所以外の何者でもなかったからな。

「知っていて損はない」と言う言葉はウソだ。知らなくていいことを嫌と言うほど知らされた私は、切実にそう思っている。

最後に、差別主義者のそしりを受けることを承知で言わせてもらう。

近年性の多様性を尊重しようと、彼ら男性同性愛者をはじめとした性的少数者に理解を示す社会的な動きがある。

私も世間一般の性的嗜好とは異なるそれら性的少数者の存在自体を、社会から完全に排除したいとまでは思わない。

だが、距離を置いた棲み分けはしたい。

それは、私の尻や股間に熱視線を注ぎ、あわよくば蹂躙を企んでいる可能性のある者との近距離での共存は、お断りだからだ。

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残念な北欧の貴公子 – 身長に悩むデンマーク人の物語

顔写真は本人ではありません。イメージです。


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昔、知り合いの知り合いにデンマーク人留学生がいた。

デンマークの大学で日本語を専攻後に来日した24歳くらいの青年で、確か名前はスベン。

そのスベンとは一回だけ顔を合わせる機会があって、それは共通の知り合いに誘われた飲み会の席であった。

飲み会の会場は大手の居酒屋チェーンで、スベンは大人数が座るテーブル席の中央で、日本人ばかりの参加者に囲まれるように座っていたのだが、一目で分かった。

なぜなら、彼は金髪に碧眼、透けるように白い肌という典型的な北欧系の青年だったから黒髪の黄色人種たちの中では目立つことこの上ない。

おまけに、近世の北欧の貴公子もかくありやと思わせるくらい品のあるハンサムな若者でもあった。

かと言って決して軟弱ではなく、衣服の上からも明らかに分かる広い肩幅と熱い胸板に太い腕の持ち主で、スポーツも得意なんだそうだ。

しかも他の日本人と話しているのを聴くと、日本語がべらぼうに達者であり、他にも五か国語くらい話せるという極めて明晰な頭脳の持ち主でもある。

まさに非の打ちどころのない青年だと言えよう。

だが、そのスベンにも残念なところがあった。

それは、言っては悪いが致命的と思わざるを得ないくらいのレベルのだ。

それは、

デンマーク人なのに身長が163cmしかなかったのだ。

最初私がついた席の対面に座っていたので気づかなかったが、彼がトイレか何かで席を立った時に初めて気づいた。


座っている姿だけを見たらデンマーク人らしく、普通に180cmくらい余裕でありそうな風格なのに、立ち上がって歩き出したら明らかに背が低かったからだ。


一緒のタイミングで立った隣の女性(むろん日本人)の方が微妙に背が高い。

他の人もそう思った人がいたらしく、すでに酒が入っていたとはいえ、戻ってきた本人に直接それをツッコむという無礼を働いていたが、スベンは「よく言われますよ」と表情も変えずにネイティブレベルの日本語で軽く流した感じだった。

できた男だ。

190cmオーバーがゴロゴロいる母国のデンマークで、身長が163cmしかないという彼は、肩身が狭い思いをしなかったはずがないのに、その表情と対応から気にしている様子を感じない。

170cmが平均身長の国で、1cm平均に達しなかっただけで、障害者に生まれたがごとくコンプレックスにさいなまれ続けている身長169cmの私とは、えらい違いである。

その後、宴もたけなわとなり、酒も進んできた。


スベン君はさすが北欧系だけあって、ビールを何杯飲んでも表情が少しも変わらなかったが、だんだん饒舌にはなってきた。

デンマークはこんな国だの、将来母国の大学で教授になりたいだの、全くさっきと変わらず流ちょうな日本語で皆と話していたのだが、そんなスベン君は、会話の中で前年日本に来たばかりの時に、非常に衝撃を受けたことがあることをぽつりと吐露した。

「初めてナリタに来て、デンシャに乗った時ですね、私はとてもショックなことアリマシタ」

その“ショックなこと”は今でも尾を引いており、今でも日本人に対する深い失望感であり続けているという。

何か日本人に悪さをされたんだろうか?

いや、日本人は西洋人にはビビるはずだから、あからさまなことはせんだろう。


遠巻きでよそよそしい態度ならよくとるが、それを嫌がる外国人もいるから、それだろうか?

などと一瞬考えたが、スベンが語る日本人への失望感とは、

日本人が予想外に大きく、自分がこの国でも小柄だと思い知ったことだった。

何でも、日本に来る前に日本人は自分より小さい者ばかりだろうと信じていたらしい。

先ほど低身長であることを気にしていないそぶりを見せていたが、実は相当気にしており、母国では一般の女性より背が低いことから、みじめな思いをしてきたという。

デンマーク人よりはるかに小柄な日本人の国に行けば、自分も晴れて大柄な男として胸を晴れるだろう


と期待に胸膨らませてきたところ見事に裏切られたわけだ。

ナメられたものだ日本人も。

むろんそれだけの理由で日本語を専攻して日本に留学したわけではないのだろうが、

「私は世界のどの国に行っても小さいことがワカリました」とか、


「80パーセントくらいの日本の男のヒトは私よりオオキイ」とか、


「イマの日本の男の平均は171cmで私より8センチもオオキイ」とか

自身の感覚から具体的な統計まで出してグタグタ愚痴を垂れ続けるので、実際の身長より小さい男に見えてきた。

どこの国でもこういう奴はいるらしい。


気持ちは低身長の私も痛いほどわかるが。

それでもスベンは日本が気に入っているし、来てよかったと思っていると一転表情を明るくして断言した。

「ダッテ、最愛の人を見つけたからデス」

と、先ほど同時に席を立った隣の女性を指した。
どうやら交際しているらしい。

“最愛の人”とされた女性が照れ笑いし、酒の入った他の参加者たちも「おお」と拍手したりして悪ノリする。

だが、すかさず最後にポツリと、

「デモ、ワタシより背が大きいのはヨクナイ」

やっぱりどの国でも人間というのは変わらない。


身が小さいと心も小っちゃくなりがちなのが人情なようだ。

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私の理想の柿ピーはどれだ? – 柿ピーの理想の比率とは?


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酒を飲む時、結構な確率で柿ピーをつまみにしている。

特に好きってわけじゃないが、何にしようか迷ったら必ず柿ピーを買っている。

柿ピーと言えば、「亀田の柿の種」が真っ先に思い浮かぶ人が多いことだろう。

だが、私は「亀田の柿の種」だけは絶対に買わない。

なぜなら同商品は、私が理想とするあるべき姿の柿ピーではないからだ。

理由はピーナツが少ないから。

「亀田の柿の種」は他の柿ピー製品と比べても、ピーナツの割合が低いと思う。

柿の種とピーナツの比率は 7:3 だと標榜しているが、私は視覚的にどんなひいき目に見ても 8:2 くらいに見える。

だから私的には「亀田の柿の種」は論外。

では、他社の柿ピーはどうかと言うと、やはり私の理想とする柿の種とピーナツの比率ではない。

私の中での柿の種とピーナツの黄金比率は 4:6。

3:7 でも構わない。

つまり柿ピーと言うよりも、ピーナツ優勢の「ピー柿」であることが望ましいのだ。

だが、世の人々は柿の種派が多数派らしく、どの柿ピー製品も柿の種優勢である文字どおり「柿ピー」ばかりが市場に並んでいる。

だから私は柿ピーを買う時は、

いつもピーナツも一緒に買って来て、それを柿ピーに足して「ピー柿」にしてから食べている。

そんな強引なマネをしている。

だが、実はそんなことをしなくてもよかったことを最近知った。

市販されているのを発見したのだ。

ピーナツ優勢の柿ピーが。

普段あまり行かない『食品館あおば』で偶然見つけたその商品、名前だけで瞬殺された。

その名もずばり「ピー柿」。

何というまんまであろう。

『ピーナツ好きにオススメ!ピーナツたっぷり 60%』、私の理想とする黄金比率とも一致する。

渡る世間に鬼はない。

日本は柿の種派の一党独裁ではなかったのだ。

長年存在することさえ期待することがなかった商品が市販されていた事実に、日本の市場経済の良心と光明を見た。

衝動買いをしたのは言うまでもない。

だが、家に持って帰り、改めてよく見てから気づいた。

なんか、言うほどピーナツ多くないんじゃないか?

袋を破って皿に開けてみた。

やっぱりピーナツ少なくね?

数えてみた。

結果、柿の種:ピーナツ = 230:138。

騙された!

なにがピー柿だ!

どこがピーナツ 60% だ!

普通に「柿ピー」じゃないか!

もしかしてピーナツの重量が 60%?

いや、個数で測るべきだろう。

私は結局いつもどおりピーナツを新たに買って来てピーナツを増量させながら、少数派の消費者の硬いニーズにすら答えられない日本企業と、それを包括する日本経済の将来に失望を感じざるを得なかった。

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「バカ」を理解するためのガイド – バカの種類とその特徴


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  • 『自分は自分、バカはバカ。他人に振り回されない一人勝ちメンタル術』
  • 『バカとつき合うな』
  • 『「バカ」の研究』
  • 『バカの壁』
  • 『コロナとバカ』

「バカ」という言葉をタイトルに含む書籍は数多い。

それはある社会現象や風潮を文字通り「バカ」にして皮肉ったり、あるいは世にはびこる「バカ」への対処法や、「バカ」を科学するものもあるようで、やはり、「バカ」という言葉は心の琴線に直接接触する一種のキラーキーワードなんだろう。

これらの書籍はそれなりに社会的に成功した人々が著者なんだから、まず著者はバカではなく、読者も著者の言うところのバカではない、という前提と思われる。

それか、読者の方は自分がバカではないことを確認する反証バイアスのために読むのだろうか?

しかし、私はかねてよりこうした「バカ」について解説しているとみられる書籍の中に肝心なものがないように思えてならなかった。

それは「バカによるバカのための本が存在しない」ということだ。

つまり、主にバカがどう生きるべきかを、バカが自分の体験を基に世の中のバカたちに指南する本があってもよいのではないかと考えているのだ。

バカとは?

ここで言及するバカはもちろん悪い意味でのバカである。

「空手バカ」とか「野球バカ」とかの、それ一筋で他のことを考えないポジティブな意味でのバカではない。

バカとは誰が何と言おうと欠点である。

平均的で健全な社会生活を営むのに必要な資質や能力に著しく欠ける深刻な欠陥を指すのだ

その欠陥たる「バカ」には多種多様なタイプがあり、私的に大きく分類すると、

  • 知識の総量が一般人に及んでいないか、現代に対応していない「無教養系バカ」
  • いくらモノを教えてもなかなか習得しない「学習困難系バカ」
  • 物事の筋道を立てたり、合理的な思考や言動ができない「非論理系バカ」
  • 大切なことをすぐ忘れたり、注意力に著しく欠ける「不注意系バカ」
  • 応用力や想像力が全く機能しないか、させる気のない「思考停滞系バカ」
  • まっとうな社会生活を送るために必要な常識や配慮に欠ける「無神経・非常識系バカ」
  • 自分が他人にどう見られているか、自分の立ち位置が分からない「無自覚系バカ」

…などなど際限なく思い浮かぶ。

私自身はこのうち少なくとも「学習困難系バカ」、「非論理系バカ」、「不注意系バカ」、「無神経・非常識系バカ」に該当しており、合併症すら発症している。

私はバカであることに胸を張る気はない。

これまでよく怒られたり、職場を解雇されたりと様々な不利益を被ってきたことが誇らしいことでは決してないはずだからだ。

自分がバカだと分からない「無自覚系バカ」じゃないだけマシだと言う者もいるが、自分がバカだと分かっているからといって心が楽になるわけではない。

バカゆえに将来への展望や可能性が大きく制限されることを自覚するのはあまり気持ちのいいものではないからだ。

バカは傍から見て面白いかもしれないが、バカ本人はそう思っていない。

バカもバカにされると不愉快になるのだ。

誰が人様を楽しませるために自分の尊厳を犠牲にすることが面白いものか。

近年ではバカとひとくくりにされてきた者たちが、発達障害や学習障害などの疾患を抱えていると見て理解を示す向きもあるが、社会は相変わらずバカとみなされる者に冷たいし、暖かくなることもないだろう。

効果的な救いの手が伸ばされることなく、生きづらさを抱えながら人生を送らざるを得ないことは私も覚悟している。

長年バカとして生きてきたが、実はどうすれば心地よく生きられるかはいまだによくわからない。

だがどうすれば最悪かはよくわかっているつもりだ。

46年生きてきた中で振り返ると、これをやったらヤバイいことになったと思われる行為が自分自身の経験からも他人の例からもかなり見受けられるのだ。

それは私自身だけでなく他のバカにも適用可能で普遍的な教訓ではないかと思う。

もしあなたが自他ともに認めるバカだが、他人の話を理解できないほど深刻なものではないならば、他山の岩としていただければ幸いである。

バカであることをアピールするなかれ

バカは恥ずべきことだ。

胸を張って主張することではない。

なのに世の中には、

「俺はバカだから」

と、自分でバカであることを白状する者は少なくない。

本当にそう思って、自分を卑下しているのかもしれないが、これは多分に「俺にあまり期待しないでくれ」とか「難しいことをさせないでくれ」と予防線を張っているつもりなんだろう。

私もそうしたことはある。

だが、これは実はよくない。

あんまり言いすぎると、

周りの者に「こいつはバカにしていいのだ」

と思われる可能性があるからだ。

人間は本能的に自分を最底辺には置かず、自分より下を作りたがる。

特に本物のバカに限ってその傾向が強い。

バカにバカにされるのは我慢がならないだろう?

また「自分はバカだ」と言い続けると、周りからそう思われるだけではなく、自分も本当によりバカになっていくことが多い気がする。

自身の経験から、

どうも「バカ」という日本語に宿る霊力はかなり強力で、特に自分に対して言った場合には言霊となって本当に実現しやすいようなのだ

つまり今以上にバカになってしまう。

「俺は天才だ」と公言するのもよくないが、自分がバカだと周りには言わない方がよい。

本当にそうであったとしても。

バカは利口ぶってはならない

バカだと白状するのもいけないが、だからと言って知ったかぶりをしたり利口ぶったりするのもよくない。

切れ者にあこがれる気持ちはよくわかる。

だが何をやってもバカは終生切れ者にはなれない。

それなのに、私はついついやってしまう。

知ったばかりのことを、さも一般常識ですらあるかのように利口ぶって得意げに語った結果、相手はもっとそれについて知ってて、間違いを指摘されたり、突っ込まれたりして木っ端みじんに粉砕されてしまうことが。

ついこないだもやってしまった。

これは南米かアフリカあたりの失敗国家の経済政策か軍事クーデターみたいなもので、これからも繰り返すであろう。

バカは愛されなければ生きていけない

バカが周りから嫌われたら最悪だ。

有能な人間が嫌われるよりずっとやばい。

はっきり言ってその所属する社会ではアウトオブカースト同然となる。

いつの世も人間は嫌らしい。

バカにしている人間が憎たらしいと、そういう時だけ正義感を発揮して大いに排斥してくるはずだ。

では、憎まれるバカとはどんなバカか?

バカであることを認めないバカ、姑息な計算をするバカ、反抗的なバカ、利口ぶるバカ、プライドの高いバカなどが思い浮かぶが、

要するに素直じゃないバカが嫌われる。

バカは嫌われてはならないのだ。

ただでさえあてにならない奴だと良く思われているのに、その上嫌われたらもう評価が覆ることはない。

一挙手一投足がカンに触るものとみなされるようになる。

私はそういう扱いを受けていたバカを何人か知っているし、私自身がそうなったことがあるから切実に思うのだ。

バカはバカに厳しい

先ほどの「バカであることをアピールするなかれ」でも述べたことだが、バカに限って自分よりバカだと思った者をバカにしたがるようだ。

よく職場で仕事ができない奴に限って新入りなどには厳しく接していた気がする。

日ごろのうっぷん晴らしか、それとも自分がやられて嫌なことを他人にやるのは楽しいからか?

はたまた自分が利口になったと錯覚するからだろうか?

だが、他人をバカだと決めつけてバカにする前によく考えてみてほしい。

そいつが本当に自分よりバカだとは限らないし、いつまでもバカだとも限らないのだ。

まあ、そんな簡単なことにも頭が及ばないからバカなんだろう。

ずっとバカだと思っていた奴が、実は自分よりずっと有能だったと証明された時のバツの悪さとそれ以降の居心地の悪さと言ったら、たまったもんじゃない。

これも身に覚えがある。

バカにされないバカになるには?

本当にバカなのにバカにされない者もいる。

バカなのにバカにしてはいけないバカとはどんなバカ?

決まってる。

怒らせると怖いバカだ。

前々項で「バカは嫌われたら、おしまいだ」と述べたが、

恐れられるバカは違う。

怒らせたらやばい奴がバカなんだから、その脅威の深刻度は倍増しである。

尊重されるわけでは決してないが、触らぬ神に祟りなしとばかりに、腫れ物に触るように扱われるだろう。

どっちかと言えばぼっちにされていることになるが、バカにされて見下されるよりはマシかもしれない。

とは言え、こういうバカはそもそも平均以上の腕力やケンカ上等の精神力という資質を備えていなければならず、どちらもないならば目指してはならない。

また、あったとしても目指すのは危険だ。

この文章を読んでいる人が、その理由が分からないほどバカではないことを祈ってやまないが。

以上、バカが生きる上で心がけるべきだと思うことについて私なりにまとめてみたが、

他にも忘れてしまった重大なことがあったかもしれないし、

私自身がまだ気づいていない、バカとしてやってはいけないことがあるのかもしれない。

また、私の文章が分かりにくくて矛盾に満ち、参考にならなかったかもしれない。

でも、これは仕方がないことだ。

なぜなら、私もあなたもバカなんだから。

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異常な家庭での一夜の体験 – 1990年の悪党家族との一夜

世の中には一般的な社会常識が通用しない異常な家庭が存在する。

そこではわが子を正しく導くべき保護者が反社会的な人物で、その子もそれを見て育った結果、必然的に一家全員が悪党という家族のことだ。

まだバブル経済崩壊前の1990年、一応進学校を標榜する高校の一年生だった私はそんなハイエナの巣のような家庭で一夜を過ごす羽目になった。

だが、その体験は文化や価値観が全く異なる人々との遭遇であり、異国の人々の生活習慣に触れたに等しいカルチャーショックを私に与えた。

私は着いて早々ホームシックに陥ったが、鮮烈で濃厚な時間を過ごしてそれまで知らなかった、あるいは知ってはならなかった世界を垣間見たその一夜はいまだ忘れ得ぬ体験だった。

1990年6月某日、O市N町F山家

私だってそんなヤバイ家庭に好き好んで行き、あまつさえ一泊するつもりなんてなかった。

そのきっかけを作ったのは中学の同級生で、底辺高校として地元で有名なO農業高校に入学したとたん高校デビューした駆け出しヤンキーのK田T也である。

K田についての記事

後にゲームセンターで他の不良少年にシバかれて大人しくなってしまった彼だが、この頃は高校デビューしたばかりで威勢が良く、同級生を殴って停学になったO農業高校の友達の家に遊びに行くからと、学校帰りの私を無理やり同行させたのだ。

その訪問先、K田の友達の危険な男の名はF山M雅。

ちなみに、後に私が高校のクラスメイトでF山と同じ中学だった者から聞いた話では、学校内ではかなり恐れられていた不良だったという。

このF山の家こそが私が一泊する羽目になった家庭なのだが、この時はまさかそんなことになるとは予想していない。

F山の家はO市内だが10km近くも先のN町にあり、ただでさえ行くのが嫌だったが、いざ到着したらもっと嫌になった。

言っちゃ悪いが、外から見て何となく問題を抱えた家庭の荒れた生活臭がする木造の二階建て。

外には「仮面ライダー」仕様のような改造バイクが停まっており、この持ち主が家の中にいるかと思うと帰りたいことこの上ない。

「ごめんください、K田です。F山君いますか?」

「おーう、入れ」

何回も来ているらしいK田が玄関の戸を開けて来意を告げると、玄関を上がってすぐのところにある破れたふすまが開き、赤茶色に染めた長めの髪を逆立てたような髪形の少年が顔を出した。

この少年こそがF山M雅だった。

紫色のジャージを着て首と腕には光物、左耳と鼻にピアス。

細く剃った元々薄い眉毛の下の目は、モノを見るという本来の役割に加えて相手を威嚇するという機能も存分に備えている。

要するに目つきが相当ヤバイ。

一目でわかるほど悪そうで、昨日今日悪くなった感じがしない。

高校デビューのK田とは迫力が違う。

私は思わず後ずさった。

「そいつ誰や?」

F山が剣呑な顔で、尻込みする私の方を見てK田に尋ねる。

「あ、こいつ俺のパシリ」

K田はいけしゃあしゃあと答えた。

高校デビューしてから電話で「今すぐ俺んちに来い」だの「タバコ買って来い」だの横柄な態度を私に取って来るようになっていたK田だが、やはりそう思っていたようだ。

「ふーん、まあええわ。K田のパシリも上がってこい」

K田には勝手にパシリにされ、F山には「K田のパシリ」と名づけられた私もF山家のタバコ臭漂う居間に通された。

居間に入ると、F山以外に二人の先客の少年がドラクエをやっていた(この当時はファミコン健在)。

二人ともやはり悪そうで、入ってきた我々、特に私の方を怪訝そうに睨むので居心地悪いことこの上ない。

そしてそこは悪の巣窟だった。

先客の少年のうち眉なし坊主は近所に住むF山の後輩で中学三年生のI井S三、もう一人の茶髪はこの家で厄介になっている16歳の家出少年でT野M夫というらしい。

どう見ても勉強している姿が想像できない、まともじゃなさそうな見かけをしている。

そして新たに加わったK田と始まった会話の内容は、誰それをボコっただの、どこそこの店は万引きしやすいなどの悪事自慢。

もっとも、自分のやった悪さを懸命に語る駆け出しヤンキーのK田は、他の本格的なヤンキー三人と比べるとどうも背伸びしてる感が否めなかったが。

彼らが吸うタバコの煙もあるが、進学校の高校生の私には生存に適さない空間で呼吸困難になりそうだった。

「あー、いらっしゃいK田君。あれ?そっちの子は初めてやね」

いたとは気づかなかったが、F山の母親と思しきスナックのママ風の中年女性が奥から現れた。

手には人数分のグラスを持っており、私を含めた全員の前にそれを置く。

そしてまた奥に引っ込んで、「まあ飲みんさい」と言って持ってきたのはまごうことなき瓶の「アサヒスーパードライ」三本と亀田の柿ピー。

どういう家庭なんだ?我々は未成年なんだぞ。

だがK田はじめ他の少年たちは「いただきます」と普通にビールを自分のグラスに注いで飲み始める。

「パシリも飲め」とご丁寧にもF山が勧めるので、私も郷に入ったら郷に従わざるを得なかった。

そんな宴が始まって間もない時、外で「ドロドロドロ」という排気音がして、窓からこの家の駐車スペースにごついアメ車が入ってくるのが見えた。

「あ、オヤジが帰って来た」

F山のつぶやきで他の少年たちのビールを飲む手が止まり、緊張が走ったのがわかった。

エンジン音が止まり、玄関の戸が開く音がする。

F山の父親とはどんな人物だろう?他の少年の反応を見る限り優しい人ではなさそうだ。

「おーう帰ったで」

野太い声と共に居間のふすまを開けて入ってきたF山の父親は、やはり想像通り、と言うか以上だった。

パンチパーマで薄黒系のサングラスに口ヒゲ、真っ白なスーツとは対照的に真っ黒なワイシャツとネクタイという容易に職業が推察できるファッションセンス。

F山M雅の父親、F山S雄だ。

「おつかれさまです!」

I井とT野が立ち上がって大声で挨拶をした。

K田もそうしているので私もつられてした。

「おーう、やっとるな。まあ飲め飲め」

「ごちそうになります!」

F山父は鷹揚に言うと、奥の部屋でスーツを脱いでネクタイを外して戻って来て、一緒に飲む気らしく少年たちの輪の中に腰を下ろした。

F山母が持ってきたウイスキーと氷で水割りを作り始めると、そこでひそひそと夫婦の会話が始まった。

「定例会どうやったの?」

「兄さんもケツまくっとる。オヤジも何もしてくれへん」

「何か言うたりゃええがな」

「あかん!どうせまた破門したろかとか言いよるわ」

F山母との短い会話でも、その職業が推察通りであることが裏付けられた。

「そりゃそうと、オイM雅!」

突然F山父が息子に話を振った。

「なんや?いきなり」

M雅はさすがに息子で、こんなおっかない父親にもそんな応答ができるらしい。

だが、その後に続く親子の会話の内容が一般社会の良識から著しく逸脱していた。

M雅、お前この前駅で工業高校の奴とモメたやろ?」

「あ?あれならもうずいぶん前のことやろが」

「何でそいつボコボコにしなんだんや!」

「そういう奴いちいち相手すんの疲れるんだわ」

そしてあろうことか、次にF山父は私に興味を持ち始めた。

「おいそっちの坊主、なんや真面目そうやな?校則とかもちゃんと守っとる感じやな?」

やはりこの不良少年たちの中では、毛並みが違うのが一目瞭然だから目立つらしい。

「ええ、まあ」と答えた私にF山父が言った次の言葉は、今いる場所が非常識を通り越した異次元空間であったことを私に思い知らせた。

「いい若いモンが悪さもせず何をやっとるんや?将来ロクな人間にならへんで!」

この一言にその場の少年たちが「そうやそうや」と大いに沸いた。

何という逆金言だろう。ていうか、もしかして今の笑うところ?

「では、今のあなたは?」

という冷静かつ自殺行為の正論は、少なくともこの場でできるわけがない。

それどころかビールの酔いも手伝って、自信満々に語る貫禄満点のF山父の観念は聞いていて問答無用の説得力があり、少し納得してしまっていた。

F山父も酔い始めたらしく、少年たちがありがたく拝聴しているのをいいことに、自らの道徳観や人生観を大いに語り出した。

まず「この世で一番ツブシがきく商売は何やと思う?」と一同に尋ねて間をおいた後、

「それは、悪さや!」

と吠えてから怒涛の持論を展開し始めた。

「ええか。酒もタバコもええけど、シンナーやシャブだけは食ったらあかん。シンナーやシャブは食うもんやない…売るもんや!」

「被害者になるくらいやったら加害者になれい!日本は加害者を守る国や!」

「好かれてナメられるより、嫌われて恐れられる男にならんかい!」

最初ウケを狙っているのかと思ったが結構目が本気だし、I井もT野も、そしてK田も「なるほど」とか感心したりして神妙な面持ちで聞いている。

私が間違っているんだろうか?決してためになることは言っていないのに、ある意味真実をついているような気がしてきた。

周りが周りだし、私もビールのおかげで徐々に洗脳されつつあったのかもしれない。

知らないうちにK田からもらったタバコを私もせき込みながら吸っている。

そして、F山父独演会の熱心な聴衆の一人となっていた。

他にも彼は、

「青信号は安心して進め!黄信号は全力で進め!赤信号は隙あらば進め!」

という交通法規に対する独自の見解も持っていた。

こんなのが父親とはF山M雅という男は何て不幸なんだと思われるかもしれない。

しかし当のM雅の方は結構冷静で常識があり、

「ムチャクチャ言うとる」とか「そんなわけあるか」

などとオヤジの主張にツッコミを入れていた。

親はなくても子は育つのか、こんな親ならいない方がマシだが。

もっとも息子は高校を傷害で停学になるなど、十分父親の期待通りに育っているようだ。

などと話を聞いていたらもう夜遅くになってしまった。

私は「もう遅いのでこれで失礼します」と千鳥足で帰ろうとしたが、

「泊ってけ」とF山父。

さっきから一緒に水割りを飲んでいるF山母も「一晩くらいええよ。K田君も泊ってく言うてるし」と余計な援護射撃をしてくれる。

F山父は、

「このM夫もM雅とゲーセンで知り合うてから、一週間もウチにホームステイしとる」

と家出少年のT野M夫を指さした。

いや、私は家出してるわけではありませんので、それにホームステイ?意味わかって言ってる?

「でもまあ親は心配するやろうしな。ワシも親やからわかる」

そうなんですよ。だからもう帰ってもいいでしょう?

「でもなあ、子にとって親ちゅうのはな…迷惑かけるためのもんや!

サングラスを外したF山父の猛禽類のような眼光に見据えられてそう断言された私は、

「一晩ご厄介になります」と返事していた。

「俺が迷惑かけたらすぐブチ切れるくせに!」

と息子のM雅に横からツッコまれていたが。

結局その日は遅くまで飲んでそのまま居間で雑魚寝。

翌朝F山母からふるまわれた「金ちゃんヌードル」を朝食としてから(何たる手抜きの朝食!)、私の「ホームステイ」はようやく終了。

帰り際、F山父は私に、

M夫はワシの息子みたいなもんやし、M雅の後輩のS三はワシの後輩、ツレのK田はワシのツレ、K田のパシリのお前はワシのパシリや。いつでも来てええぞ」

という言葉をかけた。

二度と行ってはいけないな。

これ以上付き合ったら無事で済まないことは間違いない。

高校生だった私の目から見ても、気さくさを装ったその奥にあるそこはかとないヤバさが見え見えだった。

もう絶対行きたくないと思いつつ、私は二日酔いのままK田と家路についた。

家に帰ったら、仕事を休んで家で私を待っていたという両親にムチャクチャ怒られた。

大したことしてないのに、何でそこまで怒られねばならんのかと思った。

あの一晩で私の善悪感は少し歪んでしまったらしい。

学校へ普通に行って帰宅しての繰り返しといういつもの日常に戻ると、私の善悪感はまた元通り矯正されたが、実在したあの世界での記憶は確かに残った。

そして時々K田と会っていたが、その後F山の家に行くことはなかった。

その後K田とは付き合いがなくなり、F山一家がどうなったかは分らなくなったが、その年の年末に家で購読してる地方紙のG新聞にF山父のことが載っていた。

「約1億2千万円相当の大量の覚醒剤を密売目的で隠し持っていたとして、G県警は、暴力団Y組系K組幹部のF山S雄容疑者(40)=O市N町=と、住所不定無職の少年(16)を覚醒剤取締法違反(営利目的所持)の疑いで逮捕した」

名前と住所から見てもあのF山父で間違いないだろう。少年の方は家出少年のT野M夫じゃないだろうか?

あれからまだ「ホームステイ」して、仕事まで手伝ってたのか?

シャブは食うものでも売るものでもなかったということだ。

あれ以上深くかかわらなくて正解だったが、こういう新聞の事件欄を飾る人々の生活を垣間見ることができたのは貴重な体験だったと今では思うことにしている。

何も外国に行かなくても、風俗習慣が異なる人々が同じ日本の中にもいるのだ。そんな人々の中で過ごしたあの一夜はまさに私の中では「ホームステイ」だった。

自分の絶対と思ってきた価値観を壊されるのは衝撃だが、時として痛快で心地よい驚きとなることもあるのだ。

実は、最初はあれほど帰りたかったF山家での晩が妙に刺激的で面白かったような気が時々していたことを告白する。

リスクはあったとしても、後から思えば世間のルールを逸脱していい世界は結構魅力的だった。

料理は体に毒なものが多少入ってないとおいしくないのと同様、人生だって破滅しない程度でためにならないことを多少経験しないと面白くないじゃないか。


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ボーダーライン低身長の人生 – 低身長に関する真実と悩み低身長


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私は低身長、小男である。

40を超えたこの歳になってもこの事実はシャクであり、外へ出て街を歩く際は周りより少しでも大きく見せようと胸を張りがちだし、「体が小さい」とか「小柄」という言葉を使うのも使われるのも嫌いだ。

「大きいことはいいことだ」と本気で思うし、

自分が大柄だったら人生は今よりずっと楽しかったはずだと信じている。

これまでの人生、特に前半生において低身長による不利益を大いにこうむってきた記憶がそうさせるのか、

私は自分より身長の高い者に囲まれると自らの不遇を嘆くし、逆に低い者といると心安らぐ。

みみっちいことこの上ないけど。

私はいまだにこの身長で人生を送らざるを得ないことを受け入れられないのだ。

ボーダーライン低身長

私の身長は169cmである。

別に気にするほど小さくはないし普通だろう、と思われるかもしれない。

だが、日本人男性の平均身長である171cmに達していない以上低身長であることに変わりはない。

2cm足りなかっただけで私は小男の烙印を押されているのは事実なのだ。

たった2cmだぞ、2cm!

その上方向2cm先が私にとっては、見えてはいるけど決して達することのできない何光年も先の太陽系外の星々のようにすら思えるのだ。

百歩譲って平均身長の171cmに達しなかったとしても、せめて170cmは欲しかった。

考えてもみよ。

170cmと169cmだと、1cm違うだけで169cmはより低い気がしないか?

178cmと173cmとを比べてもあまり差があるように思えないのは私だけ?

170cm台に達していないだけで一挙に小柄感が増す。

カースト制度か人種隔離政策が行われている社会に存在するような、決して超えることのできない身分の違いを感じるのだ。

同じく低身長に悩む同志が身近にいて、その男は身長163cmなのだが、「それだけ身長があればまだマシだろう」と言う。

違うのだ。

163cm男は私の方が6cm高い分、単純に低身長の悩みは自分より6cm分少ないと考えているようだが、平均身長に大きく届かないのと、あとちょっとで届かないのとでは悔しさの種類が違う。

欲しいものが「絶対に手に入らない」より、「あとちょっとで手に入らなかった」方が悔しくないだろうか?

同じ低身長でも、“真”低身長と“ボーダーライン”低身長とは温度差があるのだ。

1cmの重み

くだんの163cm男だが、「1cmでいいから分けてくれ」とせがんできたことが何度かあった。

金を払ってもいい、とまで言ったこともある。

バカ者!

貴様も低身長ならわかるだろう?

我々にとっての1cmがどれだけの価値か!

188cmくらいの奴に頼めよ。

きっと気前よく分けてくれるか、無料ではなかったとしても私から買うよりずっと安いはずだ。

たとえ金に困って売ったとしても、私は1cm2000万円未満で売却に応じる気はない。

そして、5cm以上は絶対に売らない。

私の公称身長

そんな私だが、実は170cmであることになっている。

時々171cmになる時もある、書類の上では。

どういうことかと言うと、

健康診断で身長を測る時はいつも背伸びをするからである。

高校三年生の頃、前年より身長の伸びが停滞し始め、高身長どころか中肉中背への前途が絶たれることに危機感を感じてから無意識にそうするようになった。

微妙につま先に力を込めるのがコツで、今までバレたことは一度もない。

中肉中背の地位を死守するためなら、私は手段を選ばないのだ。

だから今でも健康診断では血圧や尿酸値、肝臓の数値より身長を測る時の方が緊張する。

今年の健康診断ではしくじって腰を曲げた状態で測定されてしまい、167cmというショッキングな結果が出たが、身長が3cmも縮んだと健診スタッフの間で大騒ぎになって測り直しとなったため、事なきを得た。

今年も170cmとして胸を張って一年を送ることができる。

当然私は自分の身長を聴かれた場合は170cmと堂々答えているが、

自分とそう変わらない身長の相手には正直に169cmくらいと告白せざるを得ない。

それくらいの身長の相手だと、私が170cmであることに疑念を感じる確率が高いからだ。

ちゃんと測定したら169cmにも達していないかもしれないが、

これ以上みじめになりたくないので妥協はしない。

たかが身長、されど身長

「身長で人間の価値は決まらない。身長にこだわるなんてくだらないぞ」

低身長の悩みが今よりはるかに顕著だった思春期によく父に言われたことである。

だがその父は172cmと身長がそこそこあるから、説得力がないったらありゃしない。

「人間大きけりゃいいってもんじゃないの!ウドの大木って言葉もあるでしょうが!」

そう言う母は低身長であるが、強がりにしか聞こえなかった。

母も低身長であることを全く気にしていないわけではなかったからだ。

第一、

女が低身長であることよりも、男が低身長であることの方が問題は深刻なのだ。

ていうか、この人の遺伝子が悪いんじゃないの?

それとも、成長期に背を伸ばすために有効なことをしなかった私の自己責任?

成長期に身長を伸ばすサプリメントが世の中にはあるらしいが、私も中学の頃飲んでおけばよかった。

二人ともそろって「大人になればそんなこと気にならなくなる」と言っていたもんだが、

結果、大人になって久しい四十を超えた今でもそこそこ気にしている。

背が高いことはいいことだ、というのが人類共通の認識であるのは事実だし、

私自身、身長が低いことによるメリットは飛行機のエコノミーに座った時くらいしか感じたことはない(もっともその際はもっと低くてもよかったと思う)。

170cm以上が死ぬ病気が流行してくれないだろうか、

とすら考えたこともある。

そうすれば平均身長も下がって私も晴れて大柄だからな。

私にとってはかように根が深い問題なのだ。

身長以上に人間の器が小さいことの方がより問題だと自分では分かっているが、

もはやこの人生において背が伸びることも、170cm以上が死ぬ病気が流行することもない以上、私はこの身長のまま生きて行かざるを得ない。

今度生まれるならば、多くは望まない。

ロックフェラー一族やブルネイの王族に生まれなくてもいい。

どこの国でも、

いや、人間でなくてもいいから、せめて平均以上に大きい個体に生まれたい。

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シャイなスケベは罰せられる 1 ~大人の社会見学~


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2002年の真冬だったから今から20年近く前のことだが、出会い系サイトのサクラをしていたことを告白する。

もちろんサクラだと最初から分かっていたわけではなく、「データ入力業務」という新聞の求人欄を真に受けて応募したのだ。

そうと分かったのは面接の時。

私の面接を担当したのは金髪にピアスだがビール腹の、滑稽なほど若者っぽい恰好をした明らかに40代中盤のおっさん。

いきなりうさんくさかったが、そのおっさんの話す内容はそれを上回っていた。

初っ端から業務は各出会い系サイトからの委託であることを淡々と語り始めたのだ。

おっさんによると、出会い系サイトを利用するのはほとんどが男で、

女の利用者の割合は男 16 に対してたった 1!

そんなんじゃあ男の利用者の多くがナシのつぶてになるから、誰も利用しなくなる。

だから女の利用者のふりをしてやり取りをする、つまり業務はサクラであるとあっけらかんと言い放った。

それって違法じゃないの?

詐欺じゃないのかよ。

などと思いつつも、無職でプラプラしていた時期だったし、さほど悪いことをするわけではないとも思ったので採用される運びとなった。

シャイなスケベ退治開始

いざ出勤してみた仕事場だが、パソコンがずらりと並び、その前でサクラたちが出会いを求める男たちをさばいていた。

そして、

そのサクラの七割近くが男で、気のある女のふりをして相手に思わせぶりな返信していたのだった。

出会い系サイトはご存じのとおり、メールを送信すればするほど男性利用者は課金されててゆく。

だからできるだけじらし、会話を長引かせるのが肝要である。

面接の時から気づいていたが、完全に詐欺である。

出会いを求める者をだましている以外の何者でもなく、採用されてからこんなことを言うのは今更だったが、

実際にやろうとすると後ろめたさを感じた。

しかし、その罪悪感はすぐに消滅した。

なぜなら女を装って出会い系を利用する男たちの相手をしてみて、女日照りの男たちのあさましくゲスい下心と獣心をそこはかとなく感じたからだ。

そして次第に彼ら醜悪なナルシスト、身勝手な夢を見る童貞、シャイな変態たちの

ザーメン臭い純情に鉄槌を下すことに使命感すら感じるようになっていった。

寂しい男たちの正体

まず利用者のうち何人かのハンドルネームなんだが、

以下のハンドルネームを名乗って出会いを求めようとする者の神経が理解できない。

  • 浣腸汚染
  • 寂しがり屋の変質者
  • 俺の股間は二十ミリ機関砲
  • 肛門指挿入抜き挿し魔
  • レイプ術黒帯
  • 童貞地獄

女に相手してもらう気あるのか?

これを見て返信する気になる女が世の中にいると思っているのか?

何をされるか激しく不安になる名前であるから、間違っても会いたくはない。

犯罪構成要素を満たし、逮捕状が請求できそうなくらい圧巻のお下劣ネームである。

だが、こういうモテないあまりに脳と下半身をメルトダウンさせている変態相手こそ我々男性サクラの出番だ。

気持ちが多少わかる分相手にしやすく(「多少」だ。あくまでも)、実際に会うわけでもないので勇んでアプローチをかける。

まず『俺の股間は二十ミリ機関砲』だが、

パソコンから「まりん」という仮名の二十代の女を装い「二十ミリってどういうこと???」と興味あるそぶりを見せてメールを送ったところ瞬時に返信があり、

案の定自分のイチモツに自信があるみたいで「味わわせてやるから会いに来い」とのことで思い上がりも甚だしい。

むろんこいつの自慢の息子の規格と性能など知ったこっちゃないし、会う気もない。

こちらはパケット代を使わせるために会話を長引かせるのが仕事だから、わざとらしくチャットを開始した。

サクラのバイトを仕切る社員のアドバイスどおり、女性らしく絵文字や顔文字を含めることも忘れない。

「太さ二十ミリ( ゚Д゚)じゃあ長さは(・・?」
「確かめに来な」
「身長、体重は(。´・ω・)?」
「160センチ、80キロくらい」

股間が重武装でも、体が残念だな。

一点豪華主義らしい。

あと顔は芸能人で言ったら「浜崎あゆみ」に似ているらしく、いったいどんな姿の生物なんだ、こいつは?

「こっちはパケット代がかかるんだ。会うのか会わねえのかどっちだ?」

これからじっくり会話を長引かせようとしてたら、いらだって結論を迫ってきた。

ケツの穴とキンタマは小さいようだ。

こちらは女を装っているうちに心も女性化し始めたらしく、

自分の懐具合をチマチマ心配する男は、女からどう見えるかも何となくわかる気がしてした。

そのセコさとせっかちさに虫酸が走る。

もちろんさっきからの尊大な言葉遣いも。

『俺の股間は二十ミリ機関砲』はS県北部在住らしく、T線のS手駅で今晩待っているから来てくれ」と一方的に要求してきた。

それだけでもかなり身勝手さを感じるのに、ずうずうしくも「俺は車を持ってないから、必ず車で来てくれよ」と付け加えやがった。

その付け加えた文面を見た瞬間、私の心の中で義憤のサディズムの炎がめらめらと燃え上がるのを感じた。

だます相手がこういう奴で本当によかった。

勤労意欲がわいてきたじゃないか。

「オッケー☆⌒d(´∀`)ゼッタイ車で行くね☆👌」と約束してやったが、

「仕事終わってから行くから、12時に待っててね(⋈◍>◡<◍)。✧♡」

と敢えてバスも電車もなくなっているであろう時間帯を指定した。

『俺の股間は二十ミリ機関砲』は「遅すぎる、もっと早く来てくれ」だの「電車がなくなっちまうだろ」だの言ってきたが、

「じゃあ行かない😝」とかごねてやったりしたらしぶしぶ了承した。

これら一連のやり取りでも少なからぬパケット代が自分の懐から消えたことに奴は気づいているのだろうか。

そして最後まで「マックスにデカくして待っててやるぜ」と自信満々で偉そうだったから、サカリのついた男ってのはどうしようもない。

ざまあーみろ。

この真冬の深夜待ちぼうけ食らって、むなしくデカくしてやがれ。

私の中で眠っていた悪魔的正義感が早くも覚醒したバイト初日となった。

つづく

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未成年に踏みにじられた25歳の純情 ―実録・おやじ狩り被害―


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1999年(平成11年)、24歳だった私は某電器メーカーの工場で派遣工をしていた。

大学卒業後に就職した会社を、一年とちょっとで追われたからだ。

時は就職氷河期の真っただ中、職場には私と同世代の者が意外と多かった。

就職できなかったか、私と同じく会社からドロップアウトしてしまった若者たちである。

そんな中にH川という青年がいた。

H川は私と同じラインで働いているから顔見知りだが、話したことはない。

私が職場で口を利くようになった人間の一人にM田という男がいて、そのM田がH川とよく話す仲だった。

奇しくもH川はM田の小中学校の同級生で、昔馴染みだったのだ。

つまりM田と同い年だった私とも学年は同じだった。

M田によるとH川はある専門学校を中退後、また別の専門学校へ入り直して卒業してから就職したが、一か月未満で辞めてからこの工場で働いているという。

H川は大人しそう、というか気弱でネクラそうな感じの青年である。

長めの寝ぐせを整え切れていない不潔そうな髪型、170cmくらいの細身だが運動不足で体脂肪率が高めであろうガリポチャ体型、私服のセンスも悪い。

その外見からも、活舌が悪くモゾモゾと何を言っているかわからないしゃべり方から判断しても女性には絶対にモテそうにない感じの男だった。

私も似たようなもんだったが。

だが10月中旬の金曜日、そのH川が大変身を遂げて職場にやって来た。

長めの髪を金髪に近いような茶髪に染め、耳と鼻にピアス。

上下は作業着に着替えていたのでどんな私服を着て来たのかわからなかったが、首から上だけでも十分インパクト大の変わりっぷりだった。

一体何があった?工場の薬品による労働災害か?

いやいや、女関係に決まってる。

果たしてやっぱりその通りで、今晩女性と会う約束をしているとかで、そのためのイメチェンだった。

「どうしたんだその恰好?」とM田らが聞くと、H川は待ってましたとばかりに喋る喋る。

何でもテレクラ(1999年当時は携帯の出会い系サイトも出始めていたが、テレクラも健在だった)で知り合ったらしく、しかも相手は女子高生だというではないか。

当時女子高生は『コギャル』と呼ばれて世のいい歳こいた男どもにもてはやされ、コギャル文化真っ盛りの時代。

だからH川は普段と違ってもう有頂天という感じで、相手は女子(コギ)高生(ャル)であることを特に強調していた。

M田たちは「援助交際だろう」とか「本当に女子高生か」とからかったら、もうすでに一回だけちょっと会っており、今回は二回目で本格的なデートだという。

たったその程度なのに喋っているうちにH川は相手のことを「俺のオンナ」とか「カノジョ」とか言い始め、もうすっかり交際しているつもりになっている。

それをツッコまれると、「俺のことを気に入ったって向こうは言ってんだ!」とムキになった。

「おいおい、ヤバくねえか?」「おっかない奴出て来るぞ」と、みんな懸念を表明したが、H川は聞く耳を持たない。

それどころか「俺ってマジで何歳に見える?高校生くらいに見えなくね?」とかワケわからんことを言い出している。

「25歳には見えない」と言われたらしく、いい歳こいて喋り方までそれっぽく変えて。

25歳未満ではなく25歳より上に見えるという意味じゃないのか、それは?

私も端から聞いてて、どう見てもヤバいような気がしていた。

だってH川はネクラで地味な青年で、喋りがド下手くそなコミュ障。

年上の男に魅力を感じると相手は言っていたと彼は主張するが、イメチェンしたとはいえ小学生のまま25歳になったような感じのH川に、高校生くらいの女の子が寄ってきそうな大人の魅力があるようにも見えない。

援助交際じゃないとしたら、相手の女子高生とやらには何か危険な目的があるんじゃないか?

第一、彼のイメチェンは私から見ても無理してる感が強く、痛々しい。

今までファッションに全く気を配ってこなかった者が、急にシャレっ気を出した場合特有のズレを感じる。

染めた髪だってムラがあるし、相変わらず寝グセ立ってて変な髪型のままだし、ピアスの位置もおかしい。

それにいい歳こいて、そのガキみたいなファッションは何だ?

などなど心の中でツッコミを入れつつ、実は自分と同じくらいネクラそうな奴がまんまと女性と会うことができたことに対する嫉妬が混じっていたのも事実だ。

もうすでに一回会っているって言ってるし、もしH川の話が本当だったら私もテレクラ行ってみようかな、ともちょっと思ってた。

作業が始まってもH川ははしゃぎっぱなしで、隣の奴にあれこれ話しかけてる。

聞こえてきたのは「どのラブホテルが一番おすすめ?」だ。

さっきから聞いてりゃ気が早すぎだろう、今回も約束どおり相手が来るとも限んないんだぞ。

などと横目で聞き耳を立てていたら、「おい!横見て作業するな!」

現場監督に怒鳴られたのはおしゃべりしていたH川ではなく、なぜかそれを見ていた私の方で、何とも釈然としない。

こうしてその日の作業が終わり、午後5時の終業時間になるや、H川は踊るようにタイムレコーダーに向かって行った。

さぞかし期待で胸と下半身を膨らましていたことだろう。

それが、彼を見た最後だった。

土日が明けて、月曜日。

H川の野郎はどんなこと言ってデートにこぎつけたんだろうか?普段話さないけど聞いてみようか?などと考えながら出勤した。

実は金曜日からずっと気になっていたのだ。

朝礼が行われる従業員休憩室に行くと、私の担当ラインのみんなが揃いも揃ってM田とそのツレのK保を囲んで話をしていた。

H川はその中にはおらず、まだ来ていないようだ。

彼らに近づいてみるとみんな深刻な顔をしており、「それで大丈夫なの?」とか「何で警察に言わなかったの?」とかの言葉が聞こえた。

何だかただ事ではない。

何があったのか気になったので、私もその輪に加わる。

「どうしたの?」

「H川がやられたってよ」

「やられたって?ナニされたの?」

「ボコられたらしい。K保が見たってさ」

K保は私たちと同じラインで働いており、H川とも仲が良い。

やや顔をひきつらせたK保によると、事の顛末は以下のとおりだった。

K保は金曜日の夜9時ごろ、女子高生とデートしているであろうH川に冗談半分でメールしたという。

その内容は「おい、もうどこまでいった?もしかして真っ最中か?」というようなもので、わざわざみんなにその時の携帯のショートメールの送信履歴で見せてくれた。

その後しばらく待っても返事がなかったため、K保はひとまず風呂に入った。

風呂から出て携帯を見ると、何と15分くらいの間に二件の着信履歴と留守録。

すべてH川からだった(これもK保は我々のために再生してくれた)。

一件目の留守録を再生すると、H川の「ああ、あのさ、大至急かけ直して」という短いメッセージ。

二件目は、「おい、頼むよ!大至急かけ直してくれって!」というかなり切迫した感じの声だった。

最初、K保はH川がこっぴどく女子高生に振られでもして、その愚痴を話したいんだろうと思ったらしい。

少々ザマミロとほくそえみながらかけ直したら、ワンコールでH川が出た。

だが、H川が電話に出るなりいきなりまくしたてるように話した内容が異常だった。

いきなり「金を貸してくれ!」と頼んできたのである。

しかもその額が十万円で、10時までに市内のB原中央公園という公園に持って来てくれというものだった。

確かにB原中央公園はK保の家から近いから行けないことはないが、いきなり「十万円貸せ」なんて頼みを当然聞けるわけがないからK保は断った。

だが、H川はなおも理由も言わず懇願し続けるので、二人の間で「何で貸さなきゃいけないんだ」「いいから頼む」という押し問答が続く。

付き合ってられないと思ったK保が電話を切ろうとしたら、「ええから持って来いや、ボケェ!」という怒声が電話から響いた。

その声はH川ではない若い男のものだったが、いかにもこういう脅しに慣れていそうなドスの効いた喋り方だったという。

その若い男の言い分は、H川がナメた真似したので落とし前を付けさせているが、これはツレであるK保の責任でもある、という無茶苦茶なものであった。

「俺には関係がない」とK保が少々ビビりながら突っぱねると、「ツレがどうなってもいいのか?」と電話の向こうでH川を痛めつけ始めた。

受話口から「やめてくださ…ぐふっ」とか「勘弁してく…痛ぁ!」とかのH川の叫び声が聞こえて来る。

ばかりか相手の男はK保の氏名や住所、勤務先などの個人情報を把握していることを告げ、10時までに約束の場所に金を持って来なかったらこちらから行く、と脅してきた。

K保のことはH川が苦しまぎれに教えたんだろう。

そして「警察にチクったら必ず報復する」と凄まれ、電話が切られた。

悪い奴らと何かあったのか?いや、H川は女子高生に美人局をかまされたに違いない。

K保は相手が声の感じから未成年だと確信したが、だからこそ怖くて怖くて仕方がなくなっていた。

この当時の少年法は「犯罪をやるなら未成年のうち」と言っているに等しいほど大甘で、それを盾に取った未成年の悪党たちは、金を持っていそうな成人男性を襲う「オヤジ狩り」などの凶悪犯罪を犯しまくっていたからだ。

そんなK保が取った行動は、相手の要求に従うでも警察に通報するでもなく、黙殺だった。

電話の電源を切り着信が来ないようにして、もし本当にこちらに来たらどうしようと、おびえながら床に就いた。

結局10時を過ぎても連中は来なかったが、不安のあまり朝までほとんど眠れなかった。

K保はこんなことに巻き込んだH川にムカついていたが、やはりどうなったか気になっていたので、昨晩彼らがいたであろうB原中央公園へ親から借りた車で行くことにした。

公園までは車で行けば5分とかからない。

公園に着くと、いつでも逃げられるように周りを車で巡回しながら様子を探る。

まだ連中がいるかもしれないからだ。

様子を探っていると、遊具のある広場の街灯の周りに人だかりができているのが見えた。

「もしや」と思い車を停めてその人垣に近づくと、その中央にいたのは案の定昨日職場で見たばかりのあの明るい茶髪、H川本人だった。

何と、広場の街灯にガムテープでぐるぐる巻きに縛り付けられてぐったりしている。

しかも全裸で!

H川は殺されてはいないようだったが、殴られて顔を腫らし、タバコで根性焼きをされた跡も所々体に残っており、陰毛も剃られていた。

ずいぶん屈辱的なシメられ方をしたものだ。

周りで見ているジョギングや犬の散歩で公園を訪れたと思しき人たちも人たちで、「動かさない方がいい」とか言ってガムテープをほどきもせず、H川を全裸のまま放置していた。

K保もそのまま見ていただけだったようだ。

その間にも近所の住民など野次馬が次々現れ、H川の醜態の目撃者は増えてゆく。

誰か通報はしていたらしく、ほどなくして救急車、そしてパトカーが到着した。

やっとガムテープをほどかれたH川は片手で股間を、もう片方の手で顔を覆い、警察官の質問に何事か答えながら救急隊員に促されて救急車までフラフラ内股で歩いて行ったという。

「だからヤバイって言ったのに。俺らまで巻き込みやがって」

K保と同じく電話で脅迫されたというM田も、犯行グループより自分たちを売ったH川に腹を立てているようだった。

脅された時点で彼らのうちどちらかが警察に通報していれば、H川もあそこまでこっぴどくやられることはなかったはずだが、それについての反省はしていない。

他の連中の中には「テレクラって怖いな」「無茶苦茶やる連中だな」と凍り付いている者もいたが、「バカだな」「恥ずかしいやられ方だぜ」「ちょっと笑える」と冷たいことを言う者の方が多かった。

その後、犯行グループが逮捕されたことを新聞の報道で知った。

何とH川をハメた相手は女子高生を装った女子中学生であり、ボコったのも同じ中学に通う二年生や三年生の悪ガキども8人だったことが分かった。

25歳のH川は中学生たちにハメられ、一晩中いいように痛めつけられていたのだ。

彼らはまず女子中学生がテレクラを使って相手を人気のない公園に呼び出し、いざ相手が来ると人数を頼みに金品を脅し取る、という分かりやすい手口を使っていたという。

H川は二回目に会った時にやられたが、おそらく一回目は相手を見極めていたと思われる。

H川以外にも引っかかった者がいたらしく、警察は余罪を追及しているようだったが、犯罪被害のきっかけがきっかけだけに泣き寝入りしている被害者も多いことだろう。

彼らはそれを見越して相手が大人しく金を出しても、調子に乗ってさんざん暴行を加え、友人知人にも金を持ってこさせようとするほどの向こう見ずな悪事を働いていたのだ。

ただし、今回はH川を公園に放置したためにその犯行が露見してしまったらしい。

ちなみにH川を指しているに違いない被害者についても新聞は触れており、『アルバイトの男性(25歳)は財布とATMから合計6万円を脅し取られて暴行を加えられ、顔と下半身に全治二週間の怪我』と報道されていた。

25歳のくせに全所持金が6万、それと新聞記者も「下半身」の三文字は余計だろうに。

H川はそれ以降職場に姿を現さなくなってしまった。

あれだけ職場で「相手は女子高生だぜ」とか自慢して周ったあげくまんまとハメられてシメられ、報道までされてしまったんだから、みっともなくて顔を出せるわけがない。

と言うより、外出すること自体怖くなってしまったはずだ。

私も中学生の時にカツアゲされた経験があるからわかるが、見ず知らずのおっかない奴らに脅されてドツかれたりして金を巻き上げられる体験は半端じゃない恐怖で、その後しばらく街を安心して歩けなくなるくらいの災難なのだ。

しかもH川の場合相手は中学生で、そんなガキどもに長時間好き放題やられて、マックスの恐怖と屈辱が相乗効果を発揮した人生最悪の体験だったはずだ。

その後はその後で醜態を大勢の人にさらしてしまい、きっと一生忘れられない悪夢となったことだろう。

相手方の中学生たちにとっては面白かったに決まってる。

あんなことするような奴らだから、同級生の女相手に鼻の下伸ばしてやって来たひと回り以上年上の男を痛めつけるのは快感だったに違いない。

使命感すら持って「自分がこれやられたら嫌だな」ということを思う存分やって、少年法で保護される対象年齢ど真ん中だったから、大した罪にも問われなかったはずだ。

いい思い出になったとか、三十代半ばになった現在でも居酒屋とかで笑いながら語ってたりしてるかもしれない。

若気の至りだったから仕方がないとか言って、大して反省もしていないのではないだろうか。

世の中そんなもんだ。

職場の連中も冷たい奴ばかりだった。

仲が良かったはずのM田もK保もあの一件について「あいつは女と付き合ったことが全然なかったからな」とか「せっかく気合い入れてイメチェンしたのに、チン毛まで剃られてかわいそうに」と笑顔で語り、「しかも相手中坊だぜ」とも言って笑ってたけど、その中坊に脅されてお前たちもビビったんじゃなかったか?

職場のみんなもH川ネタでしょっちゅう盛り上がってたんだから彼も浮かばれない、死んではいないはずだけど。

やられた動機も動機だし、しょせん他人事ということか。

世の中そんなもんなんだろう。

私はあれからしばらくして別の就職先が決まったため、派遣工を辞めた。

以来、M田はじめ職場の誰とも連絡を取っていないからH川のその後は知らない。

20年以上経った現在のH川はもうさすがに立ち直っているとは思うが、忘れてはいないだろう。

その気になってスケベ心をときめかせて行ってみたら美人局で、寄ってたかって裸にされて縛られ、ひと回り以上年下のガキどもに一晩中いたぶられながら「やめてください」とか懇願し続けた情けない体験を笑って話せる日など来るわけがない。

本当の話、私はH川にさほど同情していないことを告白する。

私もカツアゲされたことはあるが、中学時代の話で相手も中学生だったし、きっかけもやられ方もあそこまでカッコ悪くはないはずだ。

25歳の男のザーメン臭い純情が中学生に踏みにじられたんだから、滑稽極まりない。

ふざけたことした中学生どもにはもちろん頭に来るが、客観的に見て「犯人への怒り」が四割くらいで「H川の自業自得」が五割ほど、「H川が気の毒」に至っては一割未満というのがこの一件に対する私の正直な感想である。

そう思うのはしょせん私にとっても他人事だからだろう。

世の中そんなもんだ。

違う?

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磯田道史と『英雄たちの選択』の魅力

教養番組『英雄たちの選択』で見る磯田道史の凄味


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磯田道史という歴史学者がいる。

岡山県出身の1970年生まれ、

東京歯科大学客員准教授、静岡文化芸術大学文化政策学部准教授などを歴任し、現在、国際日本文化研究センター准教授。

著作は『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』『天災から日本史を読みなおす』『感染症の日本史』など多数あり、

『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』は第2回新潮ドキュメント賞を受賞し、2010年には『武士の家計簿』のタイトルで映画化までされている。

2018年(平成30年)3月16日には「明治150年」を記念して平成天皇・皇后へ進講。

歴史関連のテレビ番組にもコメンテーターや司会として多数出演しており、NHK BSプレミアムで放送されている教養番組『英雄たちの選択』では司会を務めている。

このように歴史学者として華麗な経歴と実績を有し、各方面で大活躍している磯田氏だが、学者となる前の経歴を見るとまさに歴史家になるために生きてきたような人物だということが分かる。

磯田氏の家系は備前岡山藩の支藩である備中鴨方藩重臣に連なり、古文書が数多く残されていたという家庭環境だったために幼少の頃から歴史好きになった。

氏と同じく幼少の時から歴史好きになった者は私を含め少なくないが、氏の研究方法はそのころから他の未来の歴史好きとは一線を画していた。

何と小学生時代、近隣市町村の石仏から拓本を取って回るのが趣味だったのだ。

小学生とは思えない渋すぎる趣味である。

「子供のまま大人になった人」という言い方があるが、氏の場合は「子供の頃からオッサンだった人」も兼ねていると言った方が正しいであろう。

だが、そのおかげで同級生の女子に「オジン」の烙印を押されてしまい、それがトラウマになったようだが。

中学生になると古文書に興味を持つようになり、高校時代には『近世古文書解読辞典』を使って古文書の解読を始める。

私をはじめ幼少より歴史オタクになった者の多くは、大河ドラマか『学習まんが日本の歴史』などのマンガから歴史研究を始めており、中学や高校からようやく活字の歴史書を読み始めることが多いが、氏はこの時点で筋金入りだったのだ。

大学は当然のことながら史学を選択し、京都府立大学文学部史学科に入る。

史跡や古文書の多い京都ならば研究を行いやすいとも考えたようだが、同大に大学院がなかったことから大学の授業を受けながら受験勉強、翌年慶應義塾大学文学部史学科に入学した。

慶應義塾大学では、学内の図書館の膨大な文書の閲覧に熱中するあまり卒倒して救急車で運ばれたことがあるほど研究に専念。

同大学を卒業し、2002年(平成14年)同大学院文学研究科博士課程を修了、論文「近世大名家臣団の社会構造」で博士となった。

そんなバックボーンを持っている磯田氏であるから、自らが司会を務める教養番組『英雄たちの選択』で見せる歴史分野に関しての博覧強記ぶりは目を見張る。

日本史におけるどの時代のどの人物、どの事件や時代背景に対してもそれなりの知識と見解を持っているからだが、磯田氏に限らず博士号を有するような学者ならばそうであっても不思議ではないのかもしれない。

だが、氏の瞠目すべき点はそういった碩学ぶりだけでは決してない。

各時代の様々な事柄や現象を、現代的に分かり易く且つ絶妙な表現で視聴者に伝えることこそが真骨頂なのだ。

例えば、以下のごとくである。

武士はハイコスト。一回雇ったら終身雇用どころか子々孫々までの永代雇用となる。
幕末、松下村塾の塾生たちは塾長である松陰の死の作品化を大いに行い、維新につなげた。
(御三家の一つの)尾張藩は徳川内野党。

何という分かり易さだろう。

そして歴史的事実や事物、そして歴史的人物とその業績や行動をマクロ・ミクロ両方の視点で分析して、その意義や後世への影響について自らの見解を語る時などはよりトークが冴えわたる。

徳川家康は人生訓の見本市のような人。彼を見ていたら人生における逆境をどう乗り越えてゆくべきか大いに学べる。
鑑真の開いた唐招提寺は唐の文化や生活を見せるショールーム、中国へのあこがれを日本人に伝えた。思想面では「自分たちも救われてよい権利」を民に根付かせた。
鹿鳴館は西洋を恐れからあこがれの対象に変えた。
(大阪冬・夏の陣で活躍した)真田信繁(幸村)を見てみれば分かるように、有能な人を不遇に置くと恐ろしい結果が待っているというのが私の歴史観だ。
豊臣秀吉を漢字一文字で表すならば「尽」。自分の権威を日本全国津々浦々まで及ぼし尽くし、贅を尽くし、反抗する者は殺し尽くす。

氏は番組の中では常に笑っているような顔で朗らかな口調だが、時として史実を交えながら語るこれまでの通説とは違った独自の視点や仮説は確かな合理性と説得力に裏打ちされた衝撃性を有しており、年季の入った歴史好きでも自らの歴史観をひっくり返される。

明治の外交はなぜ強力だったか?
それは幕末まで続いていた幕藩体制の下、国内外交で鍛えられていたからだ。
徳川家康は戦乱の予防制度として、世が乱れないための安全装置を幾十も施した。結果それは今日に至るまで長く機能したが、変化を求められる現代においてはそれが足かせとなっているのではないか。
天草四郎は(島原の乱に)勝っている可能性がある。
乱以後もキリシタン禁制は続いたが隠れキリシタンは多く存続し、たとえ発覚しても「宗門心得違い」と判断されて役人に見て見ぬふりをされるなど、乱以前のような大規模な弾圧はなくなった。
また百姓一揆が起こっても火縄銃をいきなり水平射撃しないなどの自主規制がなされるようになった。
つまり、キリシタン及び百姓・幕府及び大名双方にやりすぎて相手を怒らせたら大変なことになるという暗黙の了解ができ、目に見えない平和憲法が形成された。

特に天草四郎について、これまで島原の乱といえば幕府軍による一方的な殺戮戦となり、一揆の完全鎮圧で終わったという見解しかなかった私は、氏の仮説を聞いて電撃に撃たれたような感覚がした

新しい視点から質感を有した面で歴史をとらえ、それを的確に伝えることができる磯田氏の見解の突出ぶりを感じたのだ。

歴史はデータの羅列ではない。

西暦何年にどの戦いが起こったか、誰が何を行ったかなどを断片的に知識で知っているだけなのは点でしかない。

それを過去何千年前から現代までをほぼ暗記したとしても、それは線でしかないのだ。

歴史的事件の発生の前にはそれに至る政治的、文化的又は環境的な時代背景や前史があり、

同様にその事件による後の世への影響もあり、それにより新しい社会ができ、

また新たな事件発生のきっかけともなり、その繰り返しによって現代の社会が形成されている。

それを理解してこそ、初めて歴史を面でとらえることができる。

それこそが歴史研究なのだ。

各時代の出来事や事象は有機的に現代へとつながり、今日がある。

島原の乱も、関ケ原の戦いも、応仁の乱も、鎌倉幕府成立も、平安京遷都も、大化の改新も、どれが欠けても今日の日本社会はない。

歴史を研究するということはなぜ今日があるのかを解き明かすことである。

同時に、未来を探求する学問でもある。

先人たちはぎりぎりの選択を行い、ある者は勝利して栄え、ある者は敗れて消え去った。

その原因と背景、その後時代へ与えたプラスマイナスの効果を探れば、将来へ向けてどの方向へ舵を切るべきか極限の選択を迫られた時のケーススタディとすることもできるのだ。

その歴史学の面白さを、氏が司会を務める『英雄たちの選択』は存分に視聴者に伝えていると思う。

同番組では歴史的事件やその当事者たちが決断を下すに及んだ背景や心理状態を、氏をはじめとした歴史学の専門家以外にも、脳科学、政治学、哲学、経済学、交渉術のエキスパートたちがそれぞれの分野の専門的見地から分析して多角的な意見を述べている。

そしてそれらの意見をまとめて、あまり一般的ではない歴史的事実やユーモアを交え、かつ将来我々が取るべき進路をも見据えた磯田氏の解説や意見はやはり確かな説得力を有した斬新性が際立っており、教科書や大河ドラマでは決して味わえない歴史学の醍醐味が実感できるだろう。

この番組での氏の主張には歴史マニア歴三十数年の私も脱帽し、改めて歴史研究の楽しさに気づかされた。

歴史をあまり知らない方にも歴史をある程度好きな方にも、私は自信を持って教養番組『英雄たちの選択』と、司会を務める磯田道史という傑出した歴史家の著作をお勧めしたい。

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