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運命の女神はストーカーに屈する


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世の中には数多の格言、名言、ことわざ及び喩えがある。

これらは昔から伝わっていたり、偉人や有名人が言った言葉だったりする。

それを心の支えにして自分の座右の銘にしている人もいれば、昔からこう言うんだからこうしろと他人を言いくるめて納得させるために使う人もいる。

だが、我々は果たして昔から言われてきたから、あるいは偉い人が言ってたからと無条件にそれを信じたり、他人に偉そうに説教するために使ったりしていいのだろうか?

実は結構ツッコミどころがあるんじゃないだろうか?

私の中では個人的にどうしてもおかしいと思ったり、誤解を招きかねず鵜呑みにすると危険な格言やことわざがある。

ヒマな私はそれをいくつか取り上げて、批判的考察を述べたいと思う。

●「嘘つきは泥棒の始まり」

いや違う。そうとは限らない。

ちゃんと嘘つきのその後と、泥棒の過去をリサーチしたのか?

両者は別物だ。必要となるスキルに互換性は少ない。

嘘つきがプロフェッショナル嘘つきの詐欺師になることはあっても、泥棒に転化するとは限らん。

軽度のアマチュアであるが、結構嘘つきな私が言うんだから間違いがない。

私は嘘をついたことはあっても、モノを盗んだことはないからだ。

ちなみにこれは嘘をついていないからな。念のため。

●「立つ鳥跡を濁さず」

私は個人的にこの言葉が相当嫌いだ。言われるとムカつく。

経験上、かなり都合よく使われる場合が多いと考えるからだ。

そりが合わず大嫌いだった中学校の怨師(・・)や(恩師(・・)の誤記ではない)、立地条件や日当たりが悪すぎるのに、家賃やら更新料が高すぎるから引っ越すことにしたボロアパートの強欲大家とかが言ってた言葉である。

昔働いていたブラック企業を一方的にリストラされた時も、そこの総務部長がヌケヌケと言いやがった。

冗談じゃねえぞ!私は鳥ではない。

ムカついた場所を去る時は汚し放題汚して、ションベンしてから火をつけて出て行ってやりたいというのが本音だ!

●「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」

この言葉もおかしい。

発明王エジソンの言葉だが、多分に成功者バイアスがかかっていると思う。

特にスポーツの世界では思いっきり当てはまらない。

リーチが長くて肩幅の広い奴にボクシングで勝てるか?

身長2メートルの奴とバスケやって勝てるか?

西アフリカの黒人に100メートル走で勝てるか?

第一、言ったエジソン自身が「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になる」と言いたかったんだとか、後にその意味を部分的に否定している。

子供だましだ。いい大人が大人に向かって言っていい言葉じゃない。

何らかの習い事を我が子にやらせたいと思った親が、その分野で明らかに才能のない子供に無理やりやらせる場合とかに使いそうな言葉だ。

ウチの親がそうだった。

だから私ならこう言う。

「天才とは、99%の才能と1%の努力である」

●「電車と女は追うな。すぐまた来る」

オーストリアの格言だ。

正直、若い頃この格言を知った時には雷に撃たれたようにしびれた。

何てカッコいい言葉なんだと思い、

私を振った女に未練たらしくするのをスパッとやめた。

しかし、中年になった今は思わない。

どちらにも終電というものがあることが分かったからだ。

あれやこれや大胆にも名言や格言にツッコミを入れたが、批判してばかりは建設的ではない。

実は私は既存の格言やことわざを改良したり、新たに自分で作った言葉もあるのだ。

憚りながら、いまここにその拙作をいくつか紹介させていただこうと思う。

〇「性犯罪者にも一分の理」

嫌な気分にさせて申し訳ない。

「盗人にも三分の理」ということわざがあるが、これは窃盗犯の肩を持っているのではなく、その気になればいくらでも理屈はつけられることを表している。

同様にこの言葉も性犯罪者の立場に立っているわけではない。

むしろ逆。

三分も理がつく盗人と比べて性犯罪者は一分しかなく、それくらい情状酌量の余地がないということを言いたかった。

「生活できない」「もう三日も食べてない」と比較して、「モテない」「彼女がいない」は1ミリも世の支持を得られない。

これは主に私自身に対する…いや、性犯罪をやりかねない者全員への警句である。

〇「出る鼻毛は抜かれる」

これを言い出した時、勘違いする人が本当に多かった。

「出る杭は打たれる」の類義語で、出て打たれたり抜かれたりするくらいになることはいいことだと答える人が意外といた。

違うのだ。

鼻毛は確かに必要だ。

呼吸する際、外部からの異物をシャットアウトするフィルターの役割を果たす。

だが、鼻の外に出てきたりしたら、抜かれるだろう?

鼻毛は、眉毛やまつ毛のように自己主張したら消される運命にある。

だから、自分本来の役割を果たし、それ以上でしゃばるなという警句のつもりなのだ。

〇「一知らせたければ、十聞かせよ」

これが普通なんじゃないだろうか?

一を知らせるには、十言わなきゃならない。

私は人にものを教える時はこうしているつもりだ。よく「しつこい奴だ」とか言われるが。

最初に勤めた会社の上司の口癖が「一を聞いて十を知れ」だった。

そんなテレパシー能力を人に期待してはいけない。

「一知らせたけりゃ一伝えりゃいいだろう」とおっしゃるかもしれないが、そうはならないことが多く、万全を期すべきだということを説いている。

〇「運命の女神はストーカーに屈する」

私の人生訓だ。

そろそろ人格を疑われ始めているだろうが、他に的確な喩えが思いつかない。

自らの運命に関して、

かのローマ帝国には「運命の女神は勇者に味方する」という格言があった。

ルネッサンス期のイタリアの政治思想家マキャベリも著書『君主論』で、

「運命の女神は女であり、彼女を支配するには怒鳴りつけ殴りつける必要がある。そういう者にこそ運命は従順になるようだから」

と、補足的にそのバージョンアップ版を論じている。

確かに、歴史を切り開いてきた者の多くには共通点がある

カエサルしかり、チンギスハンしかり、織田信長しかり、ナポレオンしかり…。

その後の運命はともかく、彼らは猪突猛進的な突破力によってそれまでの自らの運命を変えて一時代を築き、歴史にその名を残してきた。

皆、積極果敢な行動により運命を従わせてきた者たちなのだ。

マキャベリの言う通り運命の神は女。

それも男にも女にもモテモテな絶世の美女だから、気まぐれで傲慢不遜。

相手をその気にさせてもてあそぶのが大好きな性悪である。

むろん、一目ぼれしてこちらに寄って来てくれることは滅多にない。

ならばと、こちらから声をかけ、おだてて媚びを売ってようやく微笑んでくれたと思った瞬間、「遊んでやっただけなのにその気になりやがって」と冷酷にそっぽを向かれる。

ようやく交際できたとしても、すぐに飽きられて浮気され、自分の元から去ってゆく。

相思相愛の恋愛関係などほぼあり得ないし、長続きはよりあり得ないのだ。

ならば、好かれる必要はない。愛される必要もない。

言うことを聞かせさえすればよいのだ。有無を言わさず。

相手に言うことを聞かせたければ、愛されるより恐れられる方がはるかに効果的である。

勇気を持って果敢な行動により運命の女神を脅し上げて泣かし、髪の毛を掴んで連行し、自分の目指す道を共に進むのだ。

しかし、その勇気は一時だけではだめだ。終始一貫持続させる必要がある。

さもないと逃げられる。

また、女神が脅しに屈せず、反撃されたり逃げられたりすることも多い。

ローマの格言も、マキャベリもそういった場合をカバーしていない。

ならばどうするか?

そういう時はストーカー行為をすればよいではないか。

たとえ嫌われても、想い続けて付きまとうのだ!

勇気を持って行動を起こし、姿を現して「オレはお前の近くにいるぞ」とアピールすることも忘れるな!

何年かかっても自らの存在を主張し、ビビらせ続けよ!

運命の女神を従わせて自らの願望をかなえるには勇気を持っているだけじゃ足りない。

食い下がること、

執拗たることも必要とされるはずなのだ。

自分の願望に対して執拗であることは美徳である。

好みでも何でもない、むしろ「キモい奴」が荒れ狂いながらいつまでもまとわり続ければ、さしもの女神も恐怖で持ち前の冷徹ぶりが狂い始める。

いつの日か、彼女がおびえ切って「もう見逃して」と泣きを入れてくる時が来るだろう。

その瞬間こそ、断固見逃してはならない!

最大限の勇気を奮って全力で拉致し、有無を言わさず冷酷に××しまくれ!

そうすれば、運命の女神はもうあなたの奴隷だ。

私はロクな職歴もないフリーターだった29歳の時、翻訳者で身を立てようと思った。

その直後、運送会社の契約社員になって荷物の仕分けをしながら翻訳の勉強を続け、「いつの日か」が来るのをしつこく願い続けた。

39歳になってしまった時、ようやく「いつの日か」が「その日」となった。

「その日」を迎えて以降七年間、私は翻訳者・通訳者として未だ食うに困っていない。

だから、僭越ながら自信を持って言うのだ。

「運命の女神はストーカーに屈する」と。

いつの日か私も彼女に逃げられるかもしれないが、少なくとも好ましくない運命を望ましいものに変えさせることができたのは事実だと確信している。

他に類義語として、私のかつての恋愛哲学であった「来る者拒まず、去る者地の果てまで追い回す」などがあるが、

こちらの方は危険すぎるし、成功した後或いは成功する前に自身が社会的に破滅する可能性が高い。

あくまでストーカー行為は運命の女神相手だけにしよう。あなたも私も。

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「呪い」は「願い」よりかない易し


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小学生低学年だった頃、学校にほど近い国道沿いにパチンコ店があった。

名前は『ザ・パチンコ ○○閣』

夕方、暗くなり始めると『ザ・パチンコ ○○閣』とド派手なネオン看板を輝かせ、国道を行き交う車に存在をアピールしていた。

私の通っていた小学校の児童たちの多くは当然『○○閣』の存在を知っていたが、夜になると輝き出すその看板に対して、みんな秘かな願望を抱いていた。

『ザ・パチンコ…』の「パ」の字消えたら面白いだろうな、と。

実にレベルの低い、子供じみた願望であったが、小学生は子供なんだから仕方がない。

同時に子供ながら「そんなうまくいくわけはない」ことは分かっていた。

いくら何でも世の中そうそう願ったりかなったりになることはあり得ないことくらい、人として生まれて7、8年生きれば十分達観できるのだ。

だが、その後「願ったりかなったり」がドンピシャリで実現してしまうことも時にはあるのが世の中だと知ることになる。

それは私が小学校二年生時の10月末、土曜日の夕方だった。

当時の私は、毎週土曜日に親に車で送り迎えしてもらってスイミングスクールに通っていたが、夕方となる帰り道はいつも『○○閣』のある国道。

輝く『ザ・パチンコ ○○閣』のネオン看板を横目に見ながらの帰宅となり、通りかかるたびに「パの字消えろ」「パの字消えろ」と念じていたものだ。

そしてついにその日、純粋で無垢だが限りなく呪いに近い子供の祈りが、超自然的な何者かによってかなえられたがごとく具現化していた。

見事に消えてくれていたのである。
『ザ・パチンコ ○○閣』の「パ」の字だけが!

世の中捨てたものじゃないと子供ながら感激した。

切なる願いがここまで思った通りにかなってくれたことが信じられず、私は生まれて初めて神を身近に感じたくらいだ。

それにしても。

ずっと何度も実現した時のビジュアルを想像してはニヤニヤしていたが、

いざ現実に目の当たりにすると「パ」の字が消えた「ザ・パチンコ」のネオン看板は予想以上に壮観だった。

「パチンコ」からよりによって「パ」の字が消えただけでも十分絵になるのに、その前に「ザ」と強調されているその看板のインパクトは絶大の極み。

日本語を母国語とする者ならば目に焼き付いて離れなくならざるを得ない破壊力を有したスペクタクルだったのだ。

ダイレクトに「ザ・ チ〇コ」とまばゆいネオンで大真面目に自己主張している看板は、一字分暗くなっているはずなのに普段より輝いて見えたのは私だけだろうか?

それは小学校二年生の幼く未熟な笑いのツボを突き破り、なおかつピストンさせたかのごとく激しく刺激した。

「あははははは!!ザ・チ〇コだ!ザ・チ〇コだ!!」

子供だった私は車内で狂ったように笑い転げた。

だが神は恩恵だけではなく、代償として天罰も用意していたようだ。

私を乗せた車を運転していたのは母親。

同じくその絶景を目の当たりにしていたが、私とは感じ方が著しく相違した。

成人女性である彼女は、その圧巻のお下劣看板とそれを見てバカ笑いする息子を好意的に見る感性は持っていなかったのだ。

「何がおかしいの!?アホか!!」

と大声で一喝されてしまった。

おまけに母親はこの日かなり機嫌が悪かった。

決して安くはないレッスン料を払って通わせているスイミングスクールでは、背泳ぎからバタフライまで様々な泳法を教えている。

だが、当時から不器用で覚えの悪かった私はなかなか泳法をマスターできず、この日も月末恒例の背泳ぎコースの修了テストで不合格。

もう一か月背泳ぎコースを履修することが決定したため、母はお冠だったのだ。

「何回不合格すれば気が済むの!?後から入ったN島くんやS司くんはもうクロール習ってるのに、いつまでもアンタは背泳ぎばっかり!悔しくないの!?」

先ほどのバカ笑いで母の堪忍袋の緒が切れたらしく、他の子と比べて出来の悪い私をなじり始めた。

ママ友の息子がいずれも自分の息子を易々抜いていたことを知って、ずっと悔しく思っていたらしい。

それから家までの帰り道どころか家に到着してからも母の怒りは収まらずエスカレート。

車の中で「あんなくだらんモノ見て笑うな」だの「勉強も習字もそろばんもいい加減」だの、私にビンタまで食らわしながら延々説教は続く。

「パ」の字が消えてくれた喜びが一挙にしぼんで泣きべそすらかき始めた私は、おかげでこんなひどい目に遭っているという逆恨みの感情が芽生えた。

月曜日に学校に行くと、クラスでは『○○閣』のパの字消失事件の話で持ちきりになっており、「ザ・チ〇コ」「ザ・チ〇コ」とみんな大爆笑していた。

私以外のクラスメイトも結構レベルが低いが、それがリアルな小学校低学年なのだよ、その当時のウチの母親よ。

しかし母親にこっぴどく怒られた記憶が生々しい私には、そのきっかけを作った『○○閣』の話は不愉快極まりなく、話の輪の中に加わることはなかった。

通常、ネオン看板の「ザ・パチンコ」の部分から絶対に消えてはいけない一文字が消えたんだから、『○○閣』もこのまま放置しておくはずがない。

だが、翌日も翌々日もそのままだったことを近所に住むクラスメイトが証言したため、数日間『○○閣』ネタでクラスが沸き返ることになる。

その週末、例のごとくスイミングスクールからの帰りの車の中から見たら、驚くことに『○○閣』は先週と同じく「パ」の字が消えたまま営業を続けていた。

近所の住民も行政も何をしていたんだろうか?

少なからぬ未成年や児童も目の当たりにしているであろうにもかかわらず、「ザ・チ〇コ」と恥ずかしげもなく燦然と輝き続けていたのだ。

「もうわかったから、ええっちゅうねん」

その日も私を乗せた車を運転してたのは母親で、笑うとまた怒られるだろう。

だいたいこっちは先週怒られたのは『○○閣』のせいだと思っていたし、いくらツボをついたネタも延々やり続けられると引く。

もうさすがにクラスでも話題にはならなくなっていたし。

次の週末も同様にスイミングスクールに行った私は、迎えに来てくれた母親の車に乗って同じ道を家に向かって走っていた。

その帰り道で、何だかわからないが違和感を感じた。

心なしかいつもより国道が暗い気がするのだ。

そう思ったのは、いつもなら光り輝く『○○閣』のネオン看板が見えてくるはずの地点まで来た時である。

みるみる『○○閣』のある場所に近づくに至り、その理由がはっきりわかってきた。

あのギラギラしたネオン看板はパの字ばかりか全体が消え、店も明かりを消していた。

『ザ・パチンコ ○○閣』は閉業していたのだ。

パの字が消えたままだったのは、どうせ閉店するからだったのか。

翌週月曜日の学校では『○○閣』閉店についてはさほど話題にならず、そっけなく「『○○閣』つぶれたらしい」「みたいだな」くらいの会話がちらほら聞こえた程度である。

皆完全に関心を失って、「まだその話してるのかよ」という反応を示す者もいた。

一方の私は、何だか罪悪感のような感情を覚え始めていた。

「パ」の字が消えてくれと願うがあまり、店そのものまで消してしまったような気がしていたからだ。

同時にこうも考えた。

願っていたのは私だけか?他のみんなだって願ってたじゃないか。

私だけが悪いわけじゃない!と。

その考えに沿えば、子供たち一人一人が願い続けた一つ一つの思いは他愛もない小さなものだったが、その同じ思いが結集した結果「パ」の字だけでなく店そのものを消し去ってしまうほどの巨大なエネルギーになっていったと解釈すべきだろう。

だがもしそうだったとしたら、そのエネルギーは『○○閣』を倒産に追い込んだだけでは済まなかったようだ。

その後『○○閣』の建物はほどなくして解体され、跡地にはすぐさまガソリンスタンドが建ったが、私が中学生になる前に閉店。

次いでレンタルビデオ店、リサイクル店、ファーストフード店、ラーメン店などが開店しては次々閉店して行った。

現在はレンタルビデオ店開店の時に建て替えられ、最後にラーメン店に改装されて閉店した十年近く前の姿のままで廃墟となっている。

交通量の多い国道沿いで、決して商業的に立地条件が悪いわけではなさそうなのにも関わらずだ。

それが証拠に対面の回転すし店や、両隣のカラオケ店とファミレスは長らく営業を続けているし、『○○閣』自体閉業するまで長い歴史を持っていた。

「子供たちの願い」が転化した「呪い」は『○○閣』だけにはとどまらず、その土地そのものに今でも渦巻いているのかもしれない。

そう、罪悪感を少々覚えながら考えるのは私だけだろうか?

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楽しい工作シリーズの苦しい思い出


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タミヤの『楽しい工作シリーズ』をご存じだろうか?

総合模型メーカーとして世界的に有名な株式会社タミヤが1971年から販売する児童向けの動く模型工作のシリーズ製品だ。

同シリーズは、あらかじめ必要なパーツや組み立て説明書を揃えたダンプやフォークリフト、バギーなどの組み立てキットから、本格的な工作・開発に使えるパーツ物までを含んでおり、これまでに200種類以上が販売されている。

また時代とともに進化を続けた製品をリリースしており、ソーラーパネルを含むものや、近年では『カムプログラムロボット工作セット』のようにプログラミングの要素を含んだものまで登場している。

それは子供に動力や機構への理解を深めさせ、創造力をはぐくませるのに最適の製品シリーズの一つといっても過言ではなく、小学校時代に夏休みの工作や自由研究でお世話になった方もきっと多いはずだ。

これによってモノを作ったり機械をいじったりする楽しさを知り、その方面の道に進むきっかけとなった方も少なくないだろう。

反面、どうしてもうまく作れずに自分の不器用さを呪い、自分はこの方面に才能がないことをトラウマ級で思い知らされた方もいらっしゃるはずだ。

私のように。

自称科学少年

『楽しい工作シリーズ』とのファーストコンタクトは小学校四年生の時だった。

当時学校では四年生以上を対象にクラブ活動の時間が設けられており、生徒たちは「お料理クラブ」や「サッカークラブ」など自分の趣味・嗜好に合ったクラブに加入して活動していた。

私が入ったのは「科学工作クラブ」、モーターやギアなどの機械的動力を用いた工作を目的としたクラブだ。

「科学工作クラブ」では主にタミヤ(当時の社名は田宮模型)の『楽しい工作シリーズ』の組み立てキットやパーツを使って車やロボットを作っていた。

私が「科学工作クラブ」に入ったのは、世界の偉人伝で「エジソン」や「ライト兄弟」、「フォード」などを愛読していたことが大きい。

それに影響を受けた私は自分も機械をいじりたくなり、我が家の家電製品を勝手に分解しては修理不能にし、そのたびに親に折檻を加えられていた。

それでも機械いじりの誘惑に勝てなかったため、今度は作る方に回ろうと考えたのだ。

それに、段ボールや紙をハサミやカッターで切ったり、のりやセロハンで貼ったりの工作は三年生以下のガキの図工だ。

一方で乾電池やモーター、ギアなどで自動的に動くものを作るのは大人の図工である、というのが小学四年生だった当時の私の認識である。

こうして私は「大人」の仲間入りをすべく、「科学工作クラブ」に加入した。

楽しい工作シリーズの洗礼

クラブ活動が始まって、顧問の先生から与えられた工作のお題は組み立てキットを自由に選んで作れ、というものだった。

一緒に入った同級生たちはこういったモーターだのギアだのを使った科学的な工作をやるのが初めてな者が多く、買ってきたのは自動車工作基本セットなどの構造が単純でひかえ目なもの。

私が買ってきたのは『F1工作基本セット』。

値段も工作の難易度もやや高めだったが、完成した後スピードで他の生徒の作品を圧倒してやろうという小癪な考えを持っていた。

これは科学工作とは関係ないが、私自身が非常に見栄っ張りで自分の実力をはるかに超えて背伸びしたがる性格に起因する。

それに私は今まで、家電製品の分解を経験するなど機械をいじることに慣れているという自負があった。

そんな玄人はだしの私が、ド素人の同級生たちと同じレベルのものであっていいはずがない。

だが、間違っていた。

私は分解して壊すことには慣れていても、組み立てて作ることには慣れていなかったのだ。

そう言えば、この当時の何年か前に流行ったガンダムのプラモデルも、まともに完成させたことがない。

並外れて不器用だし、より致命的なのはパーツをしょっちゅうなくすからだ。

その時も私はやらかした。

よりによってギアを軸に固定するための重要なパーツをなくしてしまったのだ。

結果、スイッチを入れてもモーターだけが空回りし、私のマシンはピクリとも動きやしない。

五年生や六年生の先輩に泣きついてみたが「この部品なくしたらだめだ」とさじを投げられ、次から次へと完成させて「動いた動いた」とはしゃぐ同級生たちの中で、作品が最後まで可動しなかったのは私だけだった。

二学期に顧問から出たお題は自由作品。

組み立てキットではなく、バラでパーツを買ってきて創意工夫して車を作れというものだった。

私は一学期の雪辱を晴らし、皆をあっと言わせてやろうと燃えていた。

構想していたのは、何と八輪駆動のモンスターマシン。

四輪駆動なんてけち臭いこと言わずにゴージャスに行こうと考えたのだ。

八輪駆動なんてどんな機構が必要なんだろうか?

何のことはない。

四軸すべてに動力をつければよいと考えたのだ。

つまり、モーターとギアをすべての車軸に取り付けようとしたのだ。

動力も四つあれば、スピードも四倍。

いかにも頭の悪い小学生が考えそうなお粗末な構想だった。

かくして、長めの板にゴテゴテと動力や乾電池ボックスを装着したグロテスクな八輪車が出来上がった。

それは科学工作というより前衛芸術作品のようであり、

作者はピカソ、作品名は『ゲルニカ』という感じの見た目であった。

これで曲がりなりにも動けば多少はよかったのだが、

それぞれの車軸に動力を設けたために動力が干渉し合って動かないという当然の結末を迎えた。

「お前の作った車、また動かねえのか」

「だせえな。不器用すぎだろ」

私以外も頭の悪い小学生ばかり。

前回に引き続き、またしても失敗作を作った愚か者を見て見ぬふりするわけがない。

私は『科学工作クラブ一不器用な男』の烙印を押されたばかりか、

不器用ぶりがクラスにも広められて語り草にまでされてしまった。

タミヤの割礼~己を知れ~

小学四年生だった私は科学工作クラブにおいて、

「動力とは何たるか?」

「動力にはいかなる機構が必要か?」

「自動車のしくみとは?」

を自らの尊厳を犠牲にして知ったのだった。

何より自分にはモノを作る才能が全くないことも。

すべてタミヤの『楽しい工作シリーズ』が教えてくれた。

今から思えば、これも模型メーカー・タミヤの社会貢献の一種なのかもしれない。

タミヤは『楽しい工作シリーズ』を通じてモノ作りの楽しさを数多くの子供たちに教え、将来モノ作りを担うことになる人間をはぐくむ一助も果たしてきた。

同時に

才能がない者に己の不器用さを心に刻み込ませ、
将来的にモノづくりの現場から排除し、
彼らがもたらすであろう欠陥品による事故から社会を守る役目も果たしているのだ。

何とも見上げた理念じゃないか!

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雨男の誇り

私は自他共に認める雨男である。

外出するとよく雨が降ることを自覚しているし、「お前が来るといつも雨だ」と知人たちによく苦情を言われる。

私の写る旅行先での記念写真はたいてい今にも降ってきそうな曇り空が背景であることが多いし、

今まで参加する予定だった数々の野外イベントを雨天中止に追い込んできた筋金入りである。

雨男の心構え

雨男であることに胸を張る気はない。

むしろ迷惑をかけていることを自覚して心苦しく思う、たまに。

それに、いつも降らせるわけではないし、わざとやってるわけじゃない。

雨男にもかかわらず、私はスズキのバイクST250を所有してツーリングを趣味にしているが、気を引き締めて行けば降らないこともないわけではない。

ただこれまでバイク仲間と集団でツーリングに行ったことが三度あったが、三度とも浮かれすぎて気が緩んだらしく大雨になった。

それについては本当に申し訳なく思い、以来ツーリングは一人で行くことにしている。

向こうも誘ってくれなくなったし。

そんな私はかなり天気予報には敏感で、降水確率が20%以上の場合は絶対にツーリングに出かけない。

経験則から、20%程度だと私が外出したとたんにその降水確率は急上昇、天候が激変することが多いからだ。

気象予報士やアメダスも気圧配置や雨雲の動きだけではなく、私の行動や予定も観測した方が良い。

しかし自慢じゃないが、天気予報が降水確率0%と予想していても雨天にしたことだってあるのだ。

雨雲を呼ぶ男~雨男の自己迷惑力~

いつも雨にしないよう気を引き締めて外出するが、我ながら天気予報に0%と言い切られるとどうしても気が緩んでしまうようなのだ。

その日新潟市までの長距離ツーリングを予定していた私は、天気予報が新潟県や北関東の降水確率0%と予測したのを真に受けて、勇んで愛馬ST250にまたがり関越自動車道を北上した。

天気予報は大当たり。

埼玉や群馬は快晴、私は関越道を快調に飛ばし続けて関越トンネルに入った。

日本第二位の長さの関越トンネルの果てしなき暗黒を抜ければ魅惑の新天地新潟県!

だが、

トンネルを抜けるとそこは雨だった。

それも土砂降り。

降水確率0%という予報だったのでは?

そう心の中で自分に、特にそう予想した予報士に対して問いかけたが、雨は止む気配がないどころかますます激しくなり、こちらは猛スピードのため雨にさらされる上半身や太ももが痛い。

行動に計画性が欠けることが多い私は、雨男にもかかわらず合羽を準備してこなかったため瞬く間にずぶぬれになった。

おまけにこらえ性のない私はこれ以上の進撃を断念。

小出インターチェンジを降りてUターンして関東に逃げ帰る羽目となり、新潟ツーリング旅行を強制終了。

さっき通り過ぎたばかりの関越トンネルに早くも戻ってきた。

だが、関越トンネルを抜けた先でも私の災難は続く。

群馬県側も雨だったのだ。

群馬の降水確率も0%という予報だったのにこの土砂降りとは納得いかないが、それ以上におかしいと思ったことがある。

前方の視界は晴れで、今走行している道路も乾いているのに大雨なのだ。

空を見上げると私の前方は雲一つない晴天だが、頭上にはどす黒い雨雲が浮かんで後方に広がっている。

今しがたまで晴れていた所に、私が巨大雨雲を引き連れてきたみたいだ。

まさに「嵐を呼ぶ男」ならぬ「雨雲を呼ぶ男」、自分の雨男ぶりを最大限可視化させたとしか思えない壮大な超自然現象だった。

振り切ってやる。

私はそのまま休憩なしで走り続けて雨雲圏内から離脱することを決断したが、偉大な大自然の嫌がらせは徹底していた。

雨雲は私の走るスピードに合わせてぴったり着いてきて、頭上に雨を降らせ続けたのだ。

群馬・埼玉県全域で私は雨を浴び続け、雨から解放されたのは東京都に入ってからだった。

練間インターのあたりに来るとカンカン照りで雨が降った様子が全くなく、

私一人だけがずぶぬれでバカみたいであった。

予報が降水確率0%でも地域やそこにいる人によっては降ることもあると理解すべきらしい。

緊急提言!雨男・雨女の国際貢献

私のような雨男は、自分にも他人にも迷惑をかけるしか能がないのだろうか。

いや、否!むしろ逆である。

我々雨男雨女が一定数いるから、日本は水資源が豊富なのだ。

少なくとも日本列島の生態系には欠かすことができない存在である。

我々を撲滅したら日本は水不足に苦しむことになろう。

雨にされてイベントをつぶされたくらいでそんなに嫌な顔をするでない!

それに私はこの能力を生かせる場が他にもあると前から考えているのだ。

それは

干ばつに悩む地域や国へ我々強力雨男・雨女を送り込めば、雨を降らせて水不足解決の一助になるのではないかということだ

世界に水資源に乏しい国や地域は多い。

そんな国にとって雨を招く我々は願ってもない貴重な存在のはずではないか。

ただしあんまり強力なのを大量に派遣すると降らせすぎて水害を招く恐れがある。

軍事利用にはもってこいだが、国際貢献には甚だ具合が悪い。

どの程度の奴を何人派遣するかなどの選定は慎重に行う必要がある。

それには全国の雨男雨女の存在を突き止めて聞き取り調査やモニタリングを行い、各々の雨を招くレベルや住所等データベースの作成が先決なのは言うまでもない。

またそのように全国の雨男雨女情報を把握すれば国内的にもメリットがある。

水害が予想される時期もしくは地域から海外の干ばつ救済を口実にして、彼ら彼女らを一時国外追放して各地を水害から守ることもできるのだ。

むろん、そのデータベースの取扱いについては要配慮個人情報に当たるはずなので、行政機関には厳重に管理していただきたい。

さもないと水害が起こった地域で村八分にされる恐れがある。

私がここで主張したいのは、雨男雨女は日本にくすぶって周りの人々に煙たがられながら、

水資源の確保に貢献していることにあぐらをかいていてはいけないということだ。

日本の雨男雨女は世界を目指すべきである!

世界が我々の助けを待っているのだ!

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『ペットと被ペット』或いは『飼い主と被飼い主』のあるべき関係


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ニホンザルの観察が好きである。

TVやYouTubeでもよく見ているし、実際に動物園や野猿公苑まで見に行くことがあり、顔も見分けることだってできるほどだ。

ネットや書籍でもニホンザルの生態を読み漁り、アマチュア研究家の端くれであると自負している。

ニホンザルの何が面白いかって、他の動物に比べて人間に近いことだ。

中にはおっさん度やおばさん度の高い個体も存在し、特に怒った時の反応や表情などを見ると、「そういや身近にこういう顔して怒る人いるな」と感心したりして、やはり人類はサルから進化したんだと納得する。

このように私はニホンザル研究に熱心であるが、ペットとして飼いたいと思ったことは一度もなく、あくまで見る専門。

ニホンザルをペットとして飼うには都道府県知事の許可が必要で、飼養施設の構造や保管方法にも様々な基準が存在するなどかなりハードルが高いのだ。

そんな面倒くさい動物など飼いたくはない。

それに、

ニホンザルを見ていて面白いと思ったことはあっても、可愛いとは思ったことがない。
「見てて面白い」イコール「ペットにしたい」とは限らないのだ。
いつも身近にいたら憎たらしくなるに決まってる。

なぜなら、ニホンザルは私がペットに求める基準に著しく反する動物だからだ。

それはSF小説の巨匠アイザック・アシモフの「ロボット三原則」に倣って、「ペット三原則」ともいうべき私独自の基準だ。

飼い主とペットの最も理想的かつ良好な関係の構築には、「私は飼い主、お前はペット」という神聖不可侵の境界が存在することが大前提であると考える。

その大前提に対して脅威を及ぼしかねない、つまり,

ペット三原則」に一つでも抵触する特性を有する動物はペット候補から完全に排除するべきである。

ニホンザルはその三つの原則すべてに抵触するから失格。

私はペットにする気が全くない。

ではその基準、「ペット三原則」とはいかなるものか?

ご高覧いただければ幸いである。

原則その一:温厚であること

凶暴な動物など御免こうむりたい、と考えるのは私だけだろうか?

ニホンザルは時々人里に現れては人を襲っているから、決して温厚な動物ではないはずだ。

現に実際にニホンザルの群れを観察していると、しょっちゅうケンカが発生しているから気が短い動物と考えて間違いはない。

ニホンザルに限らず、よく怒る動物は飼っていてきっと疲れるはずだ。

考えてもみよ。いくらペットとはいえ怒っていたら何とかなだめようとするはずで、なぜこちらがそんなに気を使わねばならんのか?

立場わきまえろよ、

と本気で思う。

話は極端にそれるが、家庭内暴力を起こす息子と起こさない息子、どっちがいいだろう?

答えは簡単であろう。

ペットも同様。

外見の如何にかかわらず、少なくとも私は温厚でない動物を可愛いと感じる感性を持っていない。

原則その二:忠実であること

裏切ったり逆らったりする奴は大嫌いだ。

人間だろうが動物だろうがそういう奴は許せない。

よく犬は忠実だが猫は気ままだと言われるから、猫は大嫌いだ。

ハムスターを飼ったことがあるが、ハムスターは恩という概念を理解する知能がなく、いつも餌をやっているにもかかわらず血が出るくらい噛まれたことが何度もあった。

よって、ハムスターは裏切る裏切らない以前の問題だから激しく論外。

やはりペットたるもの飼われているという自覚を有し、

ある程度の敬意と忠誠心を以って飼い主に接することが可能な動物が好ましい。

一方のニホンザルだが、トイレのしつけこそできないとはいえ、日光猿軍団のサルたちのように一旦飼い主と主従関係を築けば忠実になるという本能を有している。

しかし問題があって、これは犬でもそうだが飼い主一家全員に忠誠を誓うわけではなく、主たる飼い主以外の家族の者全員をそれぞれ勝手にランク付けするらしい。

しかも

自分を最底辺に置くという謙虚さは持っておらず、必ず自分より下を作り、その者に対しては不服従を貫いて時に尊大にふるまう。

そういう計算をするのはペットとしてあまりにも可愛げがない。

飼い主たる私同様、私の家族や友人にも同じく敬意を払うべきである。

それにニホンザルは高い知能を有しているというのがどうしても気になるのだ。

人間に例えるなら、

偏差値30くらいのヤバイ奴と偏差値70くらいのヤバイ奴ならば、どっちが怖いだろうか?

やっぱり、ペットはバカすぎず利口すぎないのが好ましい。

その意味から言わせてもらうなら、ニホンザルには犬以上に何を考えているかわからない不気味さを感じるから、疑り深い私はパスしたい。

原則その三:私より強くないこと

他の二つは譲れても、これだけは断固譲れない。

自分より強い動物だけはペットにしてはダメだ。

よく大型犬や、はたまたチンパンジーを飼っている人までいるが、私には信じられない。

その気になったら、こちらを殺すことができる動物なんておっかなくて飼えるものか。

「気持ちが通じ合っているから大丈夫」などと主張する飼い主もいるようだが、それは往々にして人間側の勝手な幻想である。

飼い主の気持ちがペットに分かったとしても、飼い主はペットの気持ちが本当に分かるのだろうか?

言葉が通じないから意見を聞いたり、言いくるめたりすることもできないんだぞ。

もし今機嫌が悪かったら、
実は飼い主である自分にムカついていたら、

などと考えると私ならおちおちしつけもできない。

普段自分に懐いているか懐いていないかは関係がない。

親や子相手でも逆ギレしてついやりすぎちゃった、というのは人間にだってあるのだ。

「やりすぎちゃった」後にいくら反省されても、こちらにとってはもう遅い。

そんな風にこちらがペットの顔色をうかがわなきゃいけないなんて、こちらが飼われているみたいじゃないか。

健全な飼い主・ペット関係とは言い難い。

ニホンザルはオスで体長60cm体重16㎏程度だから、体長169㎝体重68㎏の私がその気になれば勝てる。

だが結構気が荒いし、俊敏でヒットアンドアウェイが可能なあの身体は、飼い主の権威に挑戦する能力を十分に備えている

やはりペットにするには、反抗してきたとしても簡単に制圧可能な動物でなければだめだ。

以上の「ペット三原則」は、飼い主として常に毅然として威厳を持ってペットに接するために必要不可欠な、私的にペット側に求められる特性である。

ペットを溺愛するあまり家族の一員と見做し、自分たちを「飼い主・被飼い主」又は「ペット・被ペット」の関係と表現している者がいたが、私はそんなどっちがどっちだかわからないような関係はお断りだ。

この譲れない三原則以外にもっと贅沢を言えば、「見た目が可愛らしい」「世話が簡単」「放し飼い可能」「逃げ足が遅い」「なんでも食べる(飼い主以外)」「いざとなったら食える」などの条件を加えたいが、そんな私でも飼える動物は販売されているだろうか?

都合よくペットショップを経営する知人がおり、以上の私の条件を伝えて検討と見積りを依頼したところ、即座に以下のような返答があった。

「君に動物を飼う資格はない」

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地球破壊兵器?=反物質爆弾とは


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反物質兵器とはエネルギーや推進剤又は爆発物にもなり得る、けた外れのパワーあるいは破壊力を有する兵器であって、SFなどのフィクションの世界でたびたび登場する。

しかし現実の世界においてもそれを実現させようという試みがすでに始まっている。

米国は冷戦の時代にはすでにその壊滅的な破壊力に着目し、軍事利用のための反物質関連の研究を助成してきた。

反物質は物質と衝突させると質量が100%エネルギー(高エネルギーのガンマ線)に変換できるため、その軍事的な利用価値は極めて高いからだ。

ちなみに、核融合反応を利用する水素爆弾はおよそ0.7%の質量エネルギー変換をしているに過ぎないことから、反物質を軍事利用した場合の威力がご想像いただけるであろう。

核兵器よりはるかに危険になりうるかもしれないこの兵器、果たして現状ではどれほど研究が進んでいるのだろうか?

反物質とは?

我々の周りの物質はいずれも原子からなるのはご存じのとおりだ。
どの原子も電荷を持たない中性子とプラスの電荷を有する陽子からなる原子核と、その周りでスピンするマイナスの電荷を有する電子から構成される。
水素や炭素、酸素などの種類の違いは原子核を構成している中性子と陽子、それに対応した電子の数の違いによる。
つまり物質とは全て陽子・中性子・電子から成り立っている。

一方の反物質とは、我々の知る物質に対して質量とスピンが全く同じだが、構成する素粒子の電荷などが全く逆の性質を持つ反粒子によって組成される。
例えば、電子はマイナスの電荷を持つが、反電子(陽電子)はプラスの電荷を持つ。
中性子と反中性子は電荷を持たないが、中性子はクォーク、反中性子は反クォークから構成されている。
反物質の原子核は外側を反電子たる陽電子に覆われ、反陽子と反中性子からなる「マイナスの原子核」であり、 こうした反粒子からなる物質が反物質と呼ばれるのだ。

反物質とは、宇宙の主要部分を構成する一般的な物質が「鏡面反転」された、反対の性質を持っている。

それを例えて言うと、鏡に映る自分が現実に目の前に現れたならば、その目の前の鏡の中の自分は左右が逆である以外は自分と同じ「反自分」と呼ぶのと同じなのだ。

この反物質は自然界にはほとんど存在しないが、その存在は1928年に物理学者のポール・ディラックによって予言され、20世紀を通じて研究が進んで、1995年には欧州原子核研究機構(CERN)とドイツの研究チームが反陽子蓄積リングによって陽電子と反陽子からなる9個の「反水素」の生成に成功。

この反水素は一億分の三秒で反陽子と反電子に分かれてしまったが、人類はすでに反物質を作り出すことができるのだ。

対消滅の効果

そして反物質は人類が発見した中で最も強力なエネルギー源であり、爆発物となり得る。

物質と反物質が衝突すると対消滅という現象を起こし、光子又は中間子となって巨大なエネルギーとなって放出されるからだ。

アインシュタインの相対性理論で有名な質量とエネルギーの関係を示す等式E=mc2によると、反物質は微量でも驚くほど大きなエネルギーを生成することができ、 100%の効率で放射状にエネルギーを放出する。

米国のランド研究所による反物質実験の報告書によると、1グラムの反物質と1グラムの物質が衝突して対消滅すると、放出されるエネルギーは5×107キロワット/時(約6メガワット/年)に達するという。

それは同じ質量での中性子とウラン235原子核の核分裂反応の約1054倍であり、セシウム原子核の核融合反応の約266倍のエネルギーに相当する。

したがって、反物質はエネルギー問題を決定的に解決する「エネルギー革命」を実現することができ、亜光速ロケットの推進燃料に利用することも不可能ではない。

だが反面、反物質を兵器として使用した場合には上記のとおり原子爆弾の1064倍、水素爆弾の266倍の超ド級の大量破壊兵器となる。

そして、その軍事利用に向けた研究はすでに始まっているのだ。

軍事利用

反物質の軍事的な利用方法は主に以下四つである。

第一に超高速ミサイルの推進燃料。

第二に宇宙軌道上の軍事ステーション、その他の分野での超小型・超軽量エネルギー発生器。

第三に水素爆弾を起爆するための「核トリガー」。

第四に任意に調整可能な反物質爆弾である。

米国を主とした西側の核保有国は、第四の反物質を弾薬として使用する反物質兵器に関心を持っているらしく1983年より、米国のランド研究所での実現可能性研究を開始しているという。

研究によると、100万分の1グラムの反陽子と陽子が対消滅(爆発)後に放出するエネルギーは37.8キログラムのTNT爆発物に相当する。

1グラムの反物質は約4万トンのTNT爆発物に相当し、これは広島に投下された原子爆弾のエネルギーとほぼ同じである。

また、数マイクログラムの反物質は、熱核反応のトリガーとして、あるいは強力なX線バーストまたはγレーザーを励起することができる。

反物質の量を調整することによって、威力も用途も変えることができるのだ。

米国国防総省は2008年9月、コードネーム「反物質特別攻撃2008」というコンピューターシミュレーション演習を行った。

その内容とは以下のものである。

201X年、一名の工作員が某極東大国の首都に反物質時限爆弾を持って潜入、首都中心部の同国軍参謀本部ビル近くの公衆トイレに反物質時限爆弾を設置する。

撤退後にその爆弾が爆発すると、同国軍参謀本部の建物と関連施設は跡形もなく灰燼に帰すが、その工作員が運んだ反物質はたった5000万分の1グラムである。

その後、反物質パルス爆弾が同国の電力・通信ネットワーク関連施設の上空で爆発、その瞬間から、同国の軍事・社会活動は完全に麻痺する。

演習の後、米国国防省の将軍は「反物質爆弾は数グラムで地球を破壊する」と驚嘆した。

西側ではかような性能を有する反物質兵器を第四世代の核兵器に分類している反面、恐ろしいことに「通常兵器」として通常の戦争や地域紛争で使用可能とみなしているらしいのだ。

反物質兵器の利点は、エネルギー密度が高く、起爆が容易であり、原子爆弾のように核分裂反応に必要な臨界量のために体積を減少させることができないことはなく、水素爆弾のように核融合反応に必要な高温を得るために原子爆弾による起爆もいらないなど数多い。

そして何より反物質爆弾が従来の核爆弾と大きく異なる利点は、水素爆弾と同等の破壊力を持ちながら爆発時に電磁波のみを発生させ、核放射を発生させないことである。

生物や植物を放射能で汚染しないため「きれいな水素爆弾」だからというのが「通常兵器」とみなしている理由だ。

その一方で、プリンストン大学高等研究所の歴史家で科学者のジョージ・ダイソンは、「クリーン」な反物質兵器は「汚い」核兵器より恐ろしいと指摘する。

実戦に投入される可能性がより高いからだ。

もしアメリカが反物質兵器を開発すれば、核兵器のような放射能汚染の心配がない分通常兵器として扱われ、米軍は戦場でより傍若無人になるだろう。

だが、幸いにもそれは今すぐではないようだ。

反物質兵器開発の前に、反物質自体の生成にはまだ越えなければならない技術的障壁があるからだ。

技術的難点

反物質兵器開発への最大の障害は、反物質の生産と貯蔵にある。

天然資源として埋蔵されているわけではなく、実用に十分な量の反物質を安価に生産する方法がまだないのだ。

既存の技術では、高価で大規模な粒子加速器を必要とし、大都市の総電力に相当するエネルギーを投入して、ようやく非常に少量の反物質が得られるか否かである。

現在最大の粒子加速器を使用するCERN(欧州原子核研究機構)でさえ、1グラムの反物質を生産するのに40億年かかる。

現代の科学技術では1000億分の1グラムの反物質を生産するのに60億ドルの費用が必要ともされる。

反物質の保存についても問題がある。

巨大な設備を必要とする強力な電磁界ではなく、ボトルに詰め込むなど小さなスペースに十分な量の反物質を保存する方法がまだないのだ。

また、物質と反物質が衝突することで起こる対消滅のメカニズム自体にも本質的な解明がなされているわけではなく、さらなる研究が待たれる。

仮に開発に成功したとしても、反物質爆弾の備蓄は技術的に難しいものになるだろう。

通常の核兵器であっても保管や安全性の確保が容易ではないのだ。

ましてや反物質は普通の物質ではなく、強力な磁場エネルギーによって閉じ込め続けなければならない。

この強力で断続的な磁場エネルギーは、より高度で信頼性の高い設備だけでなく、維持するための巨大な電気エネルギーも必要となる。

したがって、反物質爆弾の運用は容易ではない。

そして反物質爆弾の安全性の確保も問題となるはずだ。

巨大な技術的リスクがあり、一旦制御不能になると他国を攻撃する前に自国が消滅する。

反物質爆弾はTNT爆薬相当で1kgから1兆トンまで威力を調節することができるが、 地球自体をも破壊できるため、より大きな人類滅亡への脅威が一つ加わることを意味する。

近年の進展

反物質爆弾の開発にはまだほど遠いが、反物質に関する研究は21世紀になってからも着々と成果を挙げている。

2002年 欧州原子核研究機構で日本を含む国際共同研究実験グループが、5万個ほどの反水素の大量生成に成功。

2008年10月、米軍関連の研究者が100万分の1グラムの反物質を生成するコストを10億ドルから1憶ドルに削減する方法を発見。

2010年11月 欧州原子核研究機構で日本を含む国際共同研究実験グループが、反水素原子38個を磁気瓶に閉じ込めることに成功(反水素原子の存続時間は0.2秒間)。

2011年4月、米ブルックヘブン研究所(BNL)の実験により、これまでで最も重い反物質である「反ヘリウム原子核」が合成された。

10億回の金原子核の衝突によって生じた5000億個の荷電粒子の軌跡を調べたところ、その中で18個が、反ヘリウム原子核と思われる軌跡であった。

これ以上重い反原子核は生成確率が非常に低いため、現時点で人類が手にすることの出来る最も重い反物質である。

2011年6月、欧州原子核研究機構で日本の理化学研究所や東京大学含む日米欧などの国際共同研究実験グループが、反水素原子を1000秒以上閉じ込めることに7回成功。

2017年11月には、雷によって空気中で反物質が生成され、対消滅を起こしている事が報道された。
対消滅ガンマ線を検出した事が証拠とされる。

2020年3月、欧州原子核研究機構(CERN)は水素の反物質の双子である「反水素」を従来より長く閉じ込める方法を発見した。

反物質爆弾と我が国

反物質の研究が今後大いに進展して大量生産や備蓄ができるようになれば、有限で環境を汚染する化石燃料や危険な原子力に頼らなくてもより効果的な発電が可能となり、エネルギー問題はほぼ解決されるかもしれない。

亜光速ロケットの燃料とすることも夢ではない。

しかし反物質がエネルギー源として実用化されるようになった未来には、反物質爆弾も必ず開発に成功し、現実にある脅威として存在しているはずだ。

人類とはそういうものだ。

核兵器の恐ろしさを認識しながらも、開発研究を続けたように。

我が国は唯一の被爆国として、核兵器の廃絶を願っている。

しかし、核兵器は決してなくならないし、なくなるはずがない。

かような大量破壊兵器を、どの国も持っていなかったら自国は持とうとするし、

他国が持っていたら、なおさら強力なものをより多く持とうとする。それが人情だ、国際標準の。

その核兵器を廃絶させるのは無理にしても新たに開発するのを断念させ、あわよくば削減せしめるのは、核兵器を陳腐化させるほどのより効率的で破壊的な兵器の出現こそが現実的だと思わざるを得ない。
すなわち、反物質爆弾である。

我が国こそ、反物質爆弾を開発すべきである。

核戦争の悲劇はまず我が国で繰り返させないことから始めよう。

米国による核の抑止力以上の、自前で問答無用の抑止力を保有するのだ。

非核三原則や憲法第九条にはない圧倒的な凄みで仮想敵国ににらみを利かせ、平和を維持するだろう。

日本の国際的な地位も否応なしに上がる。

我が国がやらなくても、きっと他の国が開発する。

その国によっては取り返しのつかないことになるだろう。

他国が持つより我が国が持った方がはるかにましなはずだ。

国家百年の大計のためにも、反物質爆弾の開発と保有にまい進すべきである。

出典元―百度百科及びWikipedia

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2020年鎌倉の旅

うっかりコーヒーをこぼして、図書館で借りた本を汚してしまった。

返却日、その本を図書館の返却箱に黙って入れてシレーっと帰ろうとしたが、職員に見破られて逃走を阻止され、弁償する羽目に。

『大人の遠足BOOK 鎌倉・湘南・三浦ウォーキング』、1650円なり。

ちょっと汚しただけなのに、あんまりだ。

本屋で買うと高くつきそうなのでアマゾンで探したが新品しかなく、結局本屋で購入して図書館に持って行った。

私の手元に汚してしまった『大人の遠足BOOK 鎌倉・湘南・三浦ウォーキング』が残った。

自分が悪いとはいえ、結構シャクである。

この元は断固取らなければならない、せっかくだからこの本をフル活用するべきだ。

そういうわけで、私は汚染された『大人の遠足BOOK』に記載の神奈川県鎌倉市を目指して、自宅の東京都から250㏄のバイクを走らせている。 私は位置情報ゲーム『ケータイ国盗り合戦』のヘビーユーザーだ。

鎌倉には、まだ未制圧の地域が多いからちょうどよい、とも自己暗示をかけて。

鎌倉はご存じ名所旧跡の宝庫だが、あまりじっくり見たことがない。

いい印象がないからだ。

最初に鎌倉を訪れたのは、中学校三年生の修学旅行の第二日目。

中学の修学旅行と言えば、楽しいことだらけの一生の思い出になるはずで、小学校六年生の時から楽しみにしていた。

だが、三年間待ちに待った修学旅行の初日、最初の目的地『東京ディズニーランド』で、他校の不良中学生に因縁を付けられ恐喝された。

それだけでもかなりの悲劇なのに、その日の宿で同じ部屋の奴らにパンツを脱がされてカイボウされるわ、翌日の国会議事堂見学では同じクラスのヤンキーに肩がぶつかっただけでどつかれたのに、担任は知らんぷりするわで、踏んだり蹴ったり。

そんな立て続けの災難のショックによる放心状態で、鎌倉の街を歩き回った記憶があるから、楽しい思い出になるわけがない。

だが、今やもう四半世紀以上も過去の話で「怨念の半減期」は、はるか前に過ぎているから、こうして鎌倉の街に落ち着いて来ることができる。

だが、ちょっと本を汚しただけなのに、冷酷に弁償を請求してきた図書館職員への「逆恨みの半減期」は、まだ先の話なので、道中頭をよぎりっぱなしだった。

私が住む町から鎌倉までは地味に遠く、到着したのは正午過ぎ。

最初の見学地は、13世紀建立の円覚寺だ。

と言っても、あまり綿密に計画も立てずに旅行する私の常で、たまたま最初に目についたのが円覚寺だったということである。

だが、円覚寺はバイクで来る人お断りらしく、駐車場はあっても、バイク駐輪場はない。

よって路肩に駐輪せざるを得なかった。

「駐禁とられたらどうしよう」とか「近所の元気者に壊されてたらどうしよう」とかの不安を抱えながら、競歩のように境内を歩き回っての見学を強いられた。

次の目的地、建長寺は円覚寺からほど近い場所にあり、しかもバイクを停めてもよい駐輪場を備えた懐の広い寺院だ。

やっと落ち着いて見学できる。

建長寺は、臨済宗建長寺派の大本山、1253年)の創建で開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆であるため、総門・三門・仏殿・法堂などの主要な建物は大陸的に中軸上に並ぶ伽藍配置をしている。

その中でも三門・仏殿・法堂は重要文化財であり、他に国の史跡及び名勝に指定されている建長寺の方丈庭園は禅宗庭園独特の趣が…。

もう帰ってもいいだろうか?

私は位置情報ゲームにはまっているし旅行も結構好きだが、生来外出するとすぐ帰りたくなる性格で、こうしてはるばるやって来て名所旧跡を前にしても、心は自分の家にある。

寝床から1000メートル以上離れると、ストレスを感じるのだ。

だから遠くの博物館でも遺跡でも到着しただけで満足し、いつもサッと見てサッと出て来てしまう。

そして帰ったら帰ったで「なぜもっとじっくり見なかった?」と、死ぬほど後悔している。

今回も歴史は繰り返した。

異例の早さで建長寺の見学を終わると、次の目的地とした報国寺は一応無理やり行ったが、鎌倉は他にも見どころがあるにもかかわらず、自宅への望郷の念にもう堪えられなくなっていた。

『ケータイ国盗り合戦』のエリアもあまり攻略できなかったが、もういいだろう。

さっさと飯食って帰ろう。

せっかく鎌倉来たんだから鎌倉らしいものを食べるべきだが、鎌倉の飲食店はどれもやや高めなのにひるんで、帰り道で適当に何か食べることにした。

鎌倉から国道1号に入り、その沿線の某ラーメン店に入る。

しかし入った店は「まずい」「出てくるのが遅い」「少ない」「高い」の四冠王で、「店内が汚い」「店員の態度も横柄」というタイトルまで保持した極悪店。

昼飯時を過ぎて客が少なかったのに、何で出てくるのに二十分もかかって、『昔ながらの醤油ラーメン』一杯900円なのだ?値段だけは未来志向か?

後味が悪いモノ食わされて高い金とられ、時間までロス、おまけにその後、道に迷った。

余計イラつきながら帰りを急いでいたら、後ろからサイレンの音。

「はい、そこの多摩ナンバー○○-○○のバイク停まりなさい」

白バイだった。

一時停止違反で点数二点引かれて、罰金6000円なり!

さんざんな日帰り旅行だ。

思えば、コーヒーで汚した本を弁償させられたのがシャクで、どうせならその本を思いっきり活用しようと思って出かけたんだよな。

その挙句、貴重な時間を使って罰金取られて、損害が倍増しだ。

でも一方で、今回は修学旅行の時に見れなかった建長寺や報国寺も見ることができた。

それに、あまりエリアは攻略できなかったが今まで未踏だった神奈川県三浦・湘南地方にも進出できた。

悪いことばかりじゃないじゃないか。

そう冷静になって、よーく考えてみた。

しかし冷静になればなるほど、どう考えてもプラスマイナスで言ったら、明らかなマイナスだったという結論しか導き出せない。

得られたはずのプラスが得られず、避けられたはずのマイナスも余計に被っている。

だからやっぱり、

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2020年 おもしろ 中二病 料理

元柿泥棒です

ついこないだまで暑くてかなわなかったと思ったらもう11月、季節はもう晩秋。

実りの季節、食欲の秋である。

食欲の秋の味覚と言ったら、私は柿を真っ先に思い浮かべる。

故郷の実家で暮らしていた頃は、柿に不自由したことがなかった。

近所の蒲山さんという半兼業農家の庭に大きな柿の木が何本もあり、我が家は毎年柿をお裾分けしてもらっていたからだ。

その柿の木のうちの二本は蒲山邸の塀近くに生えており、枝が塀を越えて道路側までせり出しているため、たわわに実った柿に手を伸ばせばすぐに届く。

中学2年生の頃からシーズンにその下を通り過ぎると、いつも半自動的に私のズボンのポケットには柿が入っていた。

勝手に失敬していたからだ。

黙っていてもお裾分けしてくれるのにこんな悪事を働いていたのは、柿の熟度への私独自のこだわりからである。

柿が一番おいしいのは完熟になる直前より前、ほんのり甘く果肉が固いくらいの熟度のものであると、このころから確信していた。

それより前や後はダメだ。

人間の年代で換算すれば、高校2年生から大学1年生くらいまでが好ましい。
つまり十代後半。

私はそれぐらいが、柿の食べごろだと今でも思っている。

あのまだ固く、出し惜しみ恥じらうような甘さこそがたまらないのだ。

だからそれを過ぎた柔らかい柿は無理だし、ましてや干し柿なんて論外!

成熟した色気や美魔女なんて認めない。

あくまで柿の話だからね、柿。

18歳、私的食べごろ

ところがくだんの蒲山さんがお裾分けしてくれる柿は、私的適齢期を大きく越えているものばかりなのだ。

人間の年齢だと25歳以上くらいが平均で、三十路を超えた年増まで混じっている。

祖母や両親には好評だったが、思春期の私の食指は動かない。

20代後半、ド完熟
40代後半、過完熟で発酵中

とんでもないことをしていたと今では反省しているが、その時は「食べごろをくれない方が悪い」とばかりにシレーっと柿泥棒を働いていた。

蒲山家の柿をいただく時は、一撃必殺がマストだ。

何食わぬ顔で柿の木まで近づく間までに標的を定め、柿がたわわに実って下までしなった枝の下まで来た瞬間に手を伸ばし、両手を使って瞬時にもぐ。

気分はまるで、大戦中B29を迎撃しに向かった戦闘機「飛燕」のパイロットそのもの。

もぐのに失敗した場合はそのまま通り過ぎ、深追いはしない一撃離脱戦法を取っていた。

むろん、前後に誰かの目が光っていないか確認するのは言うまでもない。

あの時の感覚は今でも覚えており、実家に帰省して蒲山さん宅近くに行くと、いつもあの興奮が罪悪感と共によみがえる。

このように戦利品が得られたら、家に帰る前に全部食べてしまう。

証拠を隠滅し、完全犯罪を果たすためだ。

私は柿を切って食べない、どころか皮も剥かない。

そのままワイルドに皮ごと丸かじりである(さすがにヘタやタネは食べないが)。

これは多分に、我が家の習慣によるものだ。

子どもの頃から、祖母が柿をおやつに出してくれた時は、いつもそのまま出てきた。

他の果物、リンゴや梨などは律義に皮を剥いて切って出してくれるのに、柿だけは、なぜかそのままなのだ。

祖母によると、昔からこうしてたとのこと。

祖母の息子である私の父も何の疑問も持たず、そのまま柿をかじっていたし、母もそれになじんでいた、

人様のお宅で柿をごちそうになった時、リンゴや梨と同じく皮を剥いて切られて出てくると「何もそこまでしてくれなくてもいいのに」と思うくらい、私の中では常識である。

皮あっての柿なのだ、皮なしの柿など柿ではない。

私にとっての皮なしの柿は、女子高生フェチの男性にとって制服を着ていない女子高生と同…。

かなり不快な喩えをして申し訳ないが、私にとって皮のない柿がどんなものか、わかる人には十分わかっていただけたものと信ずる。

こうして私は中学校を卒業するまでバレることなく、二年連続秋になると違法な柿狩りをしていたが、それを知らないであろう蒲山さんは、毎年柿をお裾分けし続けてくれた。

高校生になってから、何てことしたんだろうと思うようになって現在に至る。

高校を卒業して大学生になった頃、蒲山家の柿の木は家の増築により残らず伐採されたため、柿のお裾分けはなくなった。

私は上京して故郷を離れたが、帰省した際には時々、お土産を蒲山家に持って行く。

罪滅ぼしのつもりなんだが、まだ中学生の頃柿を盗んでいたことは告白していない。

蒲山さん夫妻も80代のお年寄りだ。

今年こそ謝罪しよう。

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『カルビーポテト丸』の衝撃

『カルビーポテトチップス』を無性に食べたくなる発作が時々起こる。

食べたくなるのはもちろん『うすしお味』。

幼少の頃から親しんだ、単純だが安定感のあるあの味だ。

私の中で『カルビーポテトチップスうすしお味』を上回るポテトチップは存在しないし、今後も現れないだろう。

ポテトチップの永遠不変の決定版であり、

スナック菓子における『スーパーカブ』か『AK47』的存在だとすら思う。

この“『カルビーポテトチップス』を無性に食べたくなる発作”だが、

『カルビーポテトチップスうすしお味』を食べれば当然症状は収まる。

だが、発作を鎮めたとしても後に残るのは充足感ではなく、後味の悪い満腹感だ。

やはり、健康に対して好ましいものでは決してないからな。

この発作を抑えるための療法のおかげで最低5年くらいは健康寿命が縮んでいるはずで、 「余分なカロリーを摂取してしまった」「また無駄金を使ってしまった」などと気に病む精神的副作用も深刻である。

それでもこの発作は何の前触れもなく急激に発症し、

私はその度に即効性のある対症療法を施してしまっている。

最近、そんな私の急性発作を激しく誘発し、重症化させる写真をネットで発見してしまった。

それはこれである。

カルビーポテト丸!

何というまんまであろうか!!

これを初めて見た時は勤務中だったが(たまたま息抜きに検索しただけだ)、まんますぎて問答無用で食べたくなったために職場を抜け出してコンビニに行ってしまった。

この文章を書いている現在もポテトチップスを食べながらである。

じゃなきゃ、何の症状も発現させずに冷静に書けやしない。

私と同じ症状に苦しむ方々の中にも、これを見て発作を起こしている方は少なくないことだろう。

このカルビーポテト丸、むろん車両や原油を運ぶ船ではない。

文字どおりカルビーポテトチップスの原料となるジャガイモを運ぶことを主任務とする馬鈴薯運搬船なのだ。 同船の貨物室はジャガイモを運ぶために断熱構造や換気・空調設備を有し、定温輸送する能力を持つ。

毎年夏から冬にかけて、産地である北海道の十勝港からカルビーの工場のある広島港又は鹿児島県の谷山港に向けてジャガイモを輸送している。

現在のカルビーポテト丸は三代目で、所有者はエヴァラインという海運会社となり、船名は『ポテト丸』に改称された。

『ポテト丸』はコンテナに積んだジャガイモを約850トン輸送可能で、

オフシーズンにはプラントなどジャガイモ以外の貨物も運んでいるが、主な荷主はもちろんカルビーで、ジャガイモ運搬が本分であることに変わりはない。

『カルビー』という枕詞こそ消えたが、『ポテト丸』だけでも十分殺し文句である。

この文章を書いている途中でも、ソッコーで一袋開けてしまった。

私の重症化してしまったこの病、東洋医学的に根本から治す必要があるようだが、カルビーポテトチップスうすしお味も食べられない辛い後半生を送るつもりもない。

完治させる必要もないだろう。

対症療法をも含めた併用療法で対処し、病と適度に共存もいいじゃないか。

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ステルス攻撃機及び米国への中二病的願い


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久々にプラモデルを買った。

これから作ろうとしているのはタミヤの『傑作機シリーズ』アメリカ空軍のF-117だ。

このF-117は有名な米軍のステルス攻撃機。

その独特の未来的な形状もさることながら、実戦での威力が実証済みの兵器のみが備える危険な機能美と風格が感じられ、プラモデルの題材として魅力的である。

完成した暁にこれを飾れば、私の小汚い部屋の格もきっと上がるであろう。

それに、私はF-117に少々個人的な思い入れがある。

F-117、通称ナイトホークはアメリカ合衆国が開発した世界初の実用的ステルス攻撃機、レーダーに映らず対空ミサイルによる迎撃不可な攻撃機とされる。

1976年から開発が始まり、1981年に初飛行に成功。

1982年には部隊配備が始まったが、その詳細ばかりか存在自体までがアメリカ国防総省によって長らく極秘扱いとされていた。

そんなステルス攻撃機F-117がようやく公開されたのは1988年11月のことだった。

初の実戦参加は1989年のパナマ侵攻作戦で、この際の戦果は思わしくなかったが、1991年の湾岸戦争ではイラク軍相手に猛威を振るう大活躍を見せた。

1999年のコソボ空爆にも参加したが、この作戦で一機が撃墜されてしまう。

2008年、同じく高いステルス性を持つF-22、B-2が配備され、将来的に高い機動性を持つステルス戦闘機F-35も配備される予定であること、メンテナンスの時間やコストがかかりすぎることを理由に退役した。

以上がF-117のたどった経緯だが、私は同機を報道によって目の当たりにした時の衝撃をよく覚えている。

F-117がプレスリリースされた1988年(昭和63年)、私は中学校二年生だった。

その既存の軍用機とは一線を画する未来的でインパクトのある形状を見た当時の私は、こう確信した。

この機の主力兵器はきっとレーザーガンだろう

そしてその主戦場は宇宙空間であり、空中静止もお茶の子さいさい、速度だってマッハ5くらいは固いはずと。

スターウォーズなどのSF映画にそのまま出て来ても違和感がない外見をしているではないか!

それくらいやってもおかしくなさそうな機体に見えた。

東西冷戦がまだ終結していない頃だったが、このステルス戦闘機の仮想敵はソ連軍などの地球上の軍隊ではなく、異星人に違いないと思った。

当時の私は中二病真っ盛り。

矢追純一のUFO特番の影響を大いに受けていた私は、核戦争の脅威や環境破壊よりも異星人の地球侵略を心配しており、たびたび目撃されるUFOと世界各国の空軍戦闘機との性能の差に危機感を抱いていた。

しかし米国は違う。

UFO特番でも放送されていたように、異星人と密約を結ぶ一方で万が一の対決にも備えており、表向きはソ連の核ミサイルに対抗するためとして、UFOを宇宙空間で迎撃するための『スターウォーズ計画』を策定するなど、日本政府が及びもつかないようなことをやってのける国なのだ。

だいたい、映画でも異星人の侵略など地球規模の未曽有の脅威に真っ先に立ち向かうのは米軍と相場が決まっている。

また、現実にもそうなるであろうと信じていた。

その米国がやっぱり期待に応えてくれた。

さすが米国、地球上で一番頼りになる国だ。

だが私の期待むなしく、F-117はレーザーガンどころか爆弾しか積んでおらず、宇宙空間は飛べないし空中静止もムリ、速度だってマッハ1すら出せやしない。

UFOとの空中戦はおろか、既存の戦闘機とドッグファイトしたら返り討ちに遭ってしまうことがその後の報道で分かった。

唯一の取り柄はレーダーに映らないことで、それは爆撃される側にとって相当ヤバいことなのだが、その時にはそんなことに思いもよらず大いに失望した。

私的には完全に見かけ倒しだったのだ。

画期的な兵器であることは私が高校一年生の時に起こった湾岸戦争で証明されたが、要はレーダーに映らないから迎撃を受けることなく爆弾を落とせるだけなんだから、余裕でマッハ5のスピードが出せるUFOの相手になりそうもない。

地球は終わりだ、と絶望した。

あれから幾星霜。

結局異星人は攻めてこなかったし、老後などの自分自身の身の振り方を別にすれば、地球環境の悪化や隣国C国の覇権主義の方が異星人よりよっぽど脅威だと、さすがの私でもわかる。

一方の米軍は地球外の敵に関し、海軍機が撮影したUFOの映像を公開するなど少しは考慮に入れてはいるようだが本格的とは言い難い。

今世紀初頭からテロとの戦いと称してアフガニスタンやイラクなどで軍事行動を行い、近年はトランプ大統領の下で段階的に撤退しつつ本格的にC国に対抗する準備を始めており、まだまだ目線はほとんど地球上だけを向いているように見える。

だが私は現在、このF-117のプラモを組み立てながら心のどこかで期待している。

米国は今でも我々の知らない場所、宇宙空間などで異星人と秘密戦争を戦っていることを。

そして退役したと見せかけたF-117攻撃機が今も現役で、公開された以上の性能を持っており、最前線で戦っていることも。

私の中二病はまだ治癒していないようだ、ひょっとして一生このまま?

それと私のプラモデル製作の腕前も中二どころか、小二の時から変わらんようだ。

なぜ私がプラモを作りだすと、いつもパーツが何個か無くなるのだ?

これじゃ完成できぬではないか!

私のF-117は結局未完成のまま、癇癪を起した私によってゴミ箱に墜落した。

やっぱり少々高くても完成品を買おうか。

タミヤ『傑作機シリーズ』

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