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楽しい工作シリーズの苦しい思い出


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タミヤの『楽しい工作シリーズ』をご存じだろうか?

総合模型メーカーとして世界的に有名な株式会社タミヤが1971年から販売する児童向けの動く模型工作のシリーズ製品だ。

同シリーズは、あらかじめ必要なパーツや組み立て説明書を揃えたダンプやフォークリフト、バギーなどの組み立てキットから、本格的な工作・開発に使えるパーツ物までを含んでおり、これまでに200種類以上が販売されている。

また時代とともに進化を続けた製品をリリースしており、ソーラーパネルを含むものや、近年では『カムプログラムロボット工作セット』のようにプログラミングの要素を含んだものまで登場している。

それは子供に動力や機構への理解を深めさせ、創造力をはぐくませるのに最適の製品シリーズの一つといっても過言ではなく、小学校時代に夏休みの工作や自由研究でお世話になった方もきっと多いはずだ。

これによってモノを作ったり機械をいじったりする楽しさを知り、その方面の道に進むきっかけとなった方も少なくないだろう。

反面、どうしてもうまく作れずに自分の不器用さを呪い、自分はこの方面に才能がないことをトラウマ級で思い知らされた方もいらっしゃるはずだ。

私のように。

自称科学少年

『楽しい工作シリーズ』とのファーストコンタクトは小学校四年生の時だった。

当時学校では四年生以上を対象にクラブ活動の時間が設けられており、生徒たちは「お料理クラブ」や「サッカークラブ」など自分の趣味・嗜好に合ったクラブに加入して活動していた。

私が入ったのは「科学工作クラブ」、モーターやギアなどの機械的動力を用いた工作を目的としたクラブだ。

「科学工作クラブ」では主にタミヤ(当時の社名は田宮模型)の『楽しい工作シリーズ』の組み立てキットやパーツを使って車やロボットを作っていた。

私が「科学工作クラブ」に入ったのは、世界の偉人伝で「エジソン」や「ライト兄弟」、「フォード」などを愛読していたことが大きい。

それに影響を受けた私は自分も機械をいじりたくなり、我が家の家電製品を勝手に分解しては修理不能にし、そのたびに親に折檻を加えられていた。

それでも機械いじりの誘惑に勝てなかったため、今度は作る方に回ろうと考えたのだ。

それに、段ボールや紙をハサミやカッターで切ったり、のりやセロハンで貼ったりの工作は三年生以下のガキの図工だ。

一方で乾電池やモーター、ギアなどで自動的に動くものを作るのは大人の図工である、というのが小学四年生だった当時の私の認識である。

こうして私は「大人」の仲間入りをすべく、「科学工作クラブ」に加入した。

楽しい工作シリーズの洗礼

クラブ活動が始まって、顧問の先生から与えられた工作のお題は組み立てキットを自由に選んで作れ、というものだった。

一緒に入った同級生たちはこういったモーターだのギアだのを使った科学的な工作をやるのが初めてな者が多く、買ってきたのは自動車工作基本セットなどの構造が単純でひかえ目なもの。

私が買ってきたのは『F1工作基本セット』。

値段も工作の難易度もやや高めだったが、完成した後スピードで他の生徒の作品を圧倒してやろうという小癪な考えを持っていた。

これは科学工作とは関係ないが、私自身が非常に見栄っ張りで自分の実力をはるかに超えて背伸びしたがる性格に起因する。

それに私は今まで、家電製品の分解を経験するなど機械をいじることに慣れているという自負があった。

そんな玄人はだしの私が、ド素人の同級生たちと同じレベルのものであっていいはずがない。

だが、間違っていた。

私は分解して壊すことには慣れていても、組み立てて作ることには慣れていなかったのだ。

そう言えば、この当時の何年か前に流行ったガンダムのプラモデルも、まともに完成させたことがない。

並外れて不器用だし、より致命的なのはパーツをしょっちゅうなくすからだ。

その時も私はやらかした。

よりによってギアを軸に固定するための重要なパーツをなくしてしまったのだ。

結果、スイッチを入れてもモーターだけが空回りし、私のマシンはピクリとも動きやしない。

五年生や六年生の先輩に泣きついてみたが「この部品なくしたらだめだ」とさじを投げられ、次から次へと完成させて「動いた動いた」とはしゃぐ同級生たちの中で、作品が最後まで可動しなかったのは私だけだった。

二学期に顧問から出たお題は自由作品。

組み立てキットではなく、バラでパーツを買ってきて創意工夫して車を作れというものだった。

私は一学期の雪辱を晴らし、皆をあっと言わせてやろうと燃えていた。

構想していたのは、何と八輪駆動のモンスターマシン。

四輪駆動なんてけち臭いこと言わずにゴージャスに行こうと考えたのだ。

八輪駆動なんてどんな機構が必要なんだろうか?

何のことはない。

四軸すべてに動力をつければよいと考えたのだ。

つまり、モーターとギアをすべての車軸に取り付けようとしたのだ。

動力も四つあれば、スピードも四倍。

いかにも頭の悪い小学生が考えそうなお粗末な構想だった。

かくして、長めの板にゴテゴテと動力や乾電池ボックスを装着したグロテスクな八輪車が出来上がった。

それは科学工作というより前衛芸術作品のようであり、

作者はピカソ、作品名は『ゲルニカ』という感じの見た目であった。

これで曲がりなりにも動けば多少はよかったのだが、

それぞれの車軸に動力を設けたために動力が干渉し合って動かないという当然の結末を迎えた。

「お前の作った車、また動かねえのか」

「だせえな。不器用すぎだろ」

私以外も頭の悪い小学生ばかり。

前回に引き続き、またしても失敗作を作った愚か者を見て見ぬふりするわけがない。

私は『科学工作クラブ一不器用な男』の烙印を押されたばかりか、

不器用ぶりがクラスにも広められて語り草にまでされてしまった。

タミヤの割礼~己を知れ~

小学四年生だった私は科学工作クラブにおいて、

「動力とは何たるか?」

「動力にはいかなる機構が必要か?」

「自動車のしくみとは?」

を自らの尊厳を犠牲にして知ったのだった。

何より自分にはモノを作る才能が全くないことも。

すべてタミヤの『楽しい工作シリーズ』が教えてくれた。

今から思えば、これも模型メーカー・タミヤの社会貢献の一種なのかもしれない。

タミヤは『楽しい工作シリーズ』を通じてモノ作りの楽しさを数多くの子供たちに教え、将来モノ作りを担うことになる人間をはぐくむ一助も果たしてきた。

同時に

才能がない者に己の不器用さを心に刻み込ませ、
将来的にモノづくりの現場から排除し、
彼らがもたらすであろう欠陥品による事故から社会を守る役目も果たしているのだ。

何とも見上げた理念じゃないか!

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エアコンが効かない部屋を暖かくする-アイリスオーヤマの神器


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冬が大嫌いであります。

冬が大好きだという人間の気持ちが全く理解できません。

12月から3月初旬くらいまで冬眠できる体にどうやったらなれるでしょうか。

人生の四分の一以上を寝て過ごすなんてもったいない、なんて思いません。

寒さに耐えながら生きる辛い人生など送りたくないからです。

冬には真夏の狂ったような暑さが懐かしくなる一方、夏になっても冬が懐かしくなったことはありません。

部屋の中で白い息

これはそもそも私が普段暮らす部屋が寒いのが原因であります。

エアコンをつければよいのですが、エアコンが効かないのです。

今まで二回くらい修理したけど、一向に暖かくなりやしない。

私の住んでるアパートは築40年の木造のためか、部屋自体の断熱性が低いなど構造的に問題があるらしく、特に足元が寒いのです。

手もかじかむし、信じられないことに部屋の中で息が白い時もありました。

また、外は暖かいのに部屋の方が寒かったことも。

そのくせ夏はしっかり暑いから腹が立つ!

冬に外が寒いのは仕方がありませんが、家の中が寒いなんて冗談ではありません。

かと言って引っ越す気もないのです。

だから昨年まではエアコンの温度を高めに設定し、おかげで電気代は毎年、冬の間に大いにかさんでいました。

アイリスオーヤマ・大風量セラミックファンヒーター

昨年の11月初旬、迫りくる冬の足音に前途を悲観していた時。

友人がSNSで、ある電気ファンヒーターを買ったことを投稿していました。

友人も部屋が暖まりにくく今回の購入に至ったようですが、その効果について絶賛していたのです。

何でも比較的短時間で部屋中が暖かくなるそうなのです。

そこで私も買ってみたのが製品名『アイリスオーヤマ PDH-1200TD1』、大風量セラミックファンヒーター。

値段はアマゾンで送料無料の6979円(11月時点)と、エアコンを買い替えることを考えれば手ごろでありました。

PDH-1200TD1のサイズは幅約26×奥行約13.5×高さ約37.9cm。

重量は2.5kgであり、サイズ的・重さ的に持ち運びは困難ではありません。

傾けたり倒したりすると運転を停止する安全装置も搭載しています。

節電(700W)と通常(1200W)の二つのモードがあり、これが我が家に配送された11月初旬からさっそく節電モードで使ってみました。

PDH-1200TD1の実力と欠点

結論から言って、本当に効果はありました。

私はテレワーク中で日中は机に座って仕事をしており、足元に置いて使用したのですが、12月前半までは全く寒さを感じることはなかったのであります。

12月後半から寒さが本格的になった頃に標準モードに切り替えると、足元だけではなく、六畳の部屋全体も暖かくなりました。

それも比較的短時間で。

例年までエアコンを29度に設定していても感じたことのない暖かさなのです!

部屋の中で白い息が出ることもなくなりました。

頭上から温風を吹き出すエアコンより、足元から暖めるファンヒーターの方が優位だということでしょう。

ただし、デメリットもあるようです。

電気ファンヒーターの欠点で電気代が安くありません。

ネットで調べましたが、節電モードで一時間当たり約18.9円、通常モードで一時間当たり約32.4円。

よって、無駄な電気代を抑えるためにPDH-1200TD1には人感センサーがつけられ、一定時間人を感知しないと自動停止します(90秒、5分、10分のモードがあります)。

さらに人感センサーをオフにしても3時間つけっぱなしだとブザーが鳴り、上部のライトが点滅する延長(3時間)のボタンを押して解除しないと、一定の時間後に自動停止する機能もついています。

それでも長時間通常モードで使い続ければ電気代がかさみます。

私の場合、ずっと家にいてPDH-1200TD1を使い続けた今年11月分の電気代は4352円。

日中は家におらず帰宅してからエアコンの温度を常に高めにしていた昨年の同じ時期より約1000円高いことが分かりました。

12月分、1月分はより高額になりそうで、やはり電気代はかさむのです。

ですから、通常モードで使用し続けるのは避けて、低めの温度設定のエアコンと節電モードでのPDH-1200TD1との併用をしてみるとよいでしょう。

しかし、今の私ならばケチって寒さに震えるよりも、余分に払ってこの暖かさを得ることを選びます。

また、前述の通り持ち運びしやすいサイズと重量なので、台所や脱衣所など寒くなりやすい場所を暖めたい時などスポットで使うには十分利便性を発揮するはずです。

ですから私は断言します。

冬の間じゅう部屋が寒いからといって、エアコンを修理したり買い替えたりする気はない、はたまた引っ越す気もない私のような方にとって、PDH-1200TD1はおすすめの神器です。

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雨男の誇り

私は自他共に認める雨男である。

外出するとよく雨が降ることを自覚しているし、「お前が来るといつも雨だ」と知人たちによく苦情を言われる。

私の写る旅行先での記念写真はたいてい今にも降ってきそうな曇り空が背景であることが多いし、

今まで参加する予定だった数々の野外イベントを雨天中止に追い込んできた筋金入りである。

雨男の心構え

雨男であることに胸を張る気はない。

むしろ迷惑をかけていることを自覚して心苦しく思う、たまに。

それに、いつも降らせるわけではないし、わざとやってるわけじゃない。

雨男にもかかわらず、私はスズキのバイクST250を所有してツーリングを趣味にしているが、気を引き締めて行けば降らないこともないわけではない。

ただこれまでバイク仲間と集団でツーリングに行ったことが三度あったが、三度とも浮かれすぎて気が緩んだらしく大雨になった。

それについては本当に申し訳なく思い、以来ツーリングは一人で行くことにしている。

向こうも誘ってくれなくなったし。

そんな私はかなり天気予報には敏感で、降水確率が20%以上の場合は絶対にツーリングに出かけない。

経験則から、20%程度だと私が外出したとたんにその降水確率は急上昇、天候が激変することが多いからだ。

気象予報士やアメダスも気圧配置や雨雲の動きだけではなく、私の行動や予定も観測した方が良い。

しかし自慢じゃないが、天気予報が降水確率0%と予想していても雨天にしたことだってあるのだ。

雨雲を呼ぶ男~雨男の自己迷惑力~

いつも雨にしないよう気を引き締めて外出するが、我ながら天気予報に0%と言い切られるとどうしても気が緩んでしまうようなのだ。

その日新潟市までの長距離ツーリングを予定していた私は、天気予報が新潟県や北関東の降水確率0%と予測したのを真に受けて、勇んで愛馬ST250にまたがり関越自動車道を北上した。

天気予報は大当たり。

埼玉や群馬は快晴、私は関越道を快調に飛ばし続けて関越トンネルに入った。

日本第二位の長さの関越トンネルの果てしなき暗黒を抜ければ魅惑の新天地新潟県!

だが、

トンネルを抜けるとそこは雨だった。

それも土砂降り。

降水確率0%という予報だったのでは?

そう心の中で自分に、特にそう予想した予報士に対して問いかけたが、雨は止む気配がないどころかますます激しくなり、こちらは猛スピードのため雨にさらされる上半身や太ももが痛い。

行動に計画性が欠けることが多い私は、雨男にもかかわらず合羽を準備してこなかったため瞬く間にずぶぬれになった。

おまけにこらえ性のない私はこれ以上の進撃を断念。

小出インターチェンジを降りてUターンして関東に逃げ帰る羽目となり、新潟ツーリング旅行を強制終了。

さっき通り過ぎたばかりの関越トンネルに早くも戻ってきた。

だが、関越トンネルを抜けた先でも私の災難は続く。

群馬県側も雨だったのだ。

群馬の降水確率も0%という予報だったのにこの土砂降りとは納得いかないが、それ以上におかしいと思ったことがある。

前方の視界は晴れで、今走行している道路も乾いているのに大雨なのだ。

空を見上げると私の前方は雲一つない晴天だが、頭上にはどす黒い雨雲が浮かんで後方に広がっている。

今しがたまで晴れていた所に、私が巨大雨雲を引き連れてきたみたいだ。

まさに「嵐を呼ぶ男」ならぬ「雨雲を呼ぶ男」、自分の雨男ぶりを最大限可視化させたとしか思えない壮大な超自然現象だった。

振り切ってやる。

私はそのまま休憩なしで走り続けて雨雲圏内から離脱することを決断したが、偉大な大自然の嫌がらせは徹底していた。

雨雲は私の走るスピードに合わせてぴったり着いてきて、頭上に雨を降らせ続けたのだ。

群馬・埼玉県全域で私は雨を浴び続け、雨から解放されたのは東京都に入ってからだった。

練間インターのあたりに来るとカンカン照りで雨が降った様子が全くなく、

私一人だけがずぶぬれでバカみたいであった。

予報が降水確率0%でも地域やそこにいる人によっては降ることもあると理解すべきらしい。

緊急提言!雨男・雨女の国際貢献

私のような雨男は、自分にも他人にも迷惑をかけるしか能がないのだろうか。

いや、否!むしろ逆である。

我々雨男雨女が一定数いるから、日本は水資源が豊富なのだ。

少なくとも日本列島の生態系には欠かすことができない存在である。

我々を撲滅したら日本は水不足に苦しむことになろう。

雨にされてイベントをつぶされたくらいでそんなに嫌な顔をするでない!

それに私はこの能力を生かせる場が他にもあると前から考えているのだ。

それは

干ばつに悩む地域や国へ我々強力雨男・雨女を送り込めば、雨を降らせて水不足解決の一助になるのではないかということだ

世界に水資源に乏しい国や地域は多い。

そんな国にとって雨を招く我々は願ってもない貴重な存在のはずではないか。

ただしあんまり強力なのを大量に派遣すると降らせすぎて水害を招く恐れがある。

軍事利用にはもってこいだが、国際貢献には甚だ具合が悪い。

どの程度の奴を何人派遣するかなどの選定は慎重に行う必要がある。

それには全国の雨男雨女の存在を突き止めて聞き取り調査やモニタリングを行い、各々の雨を招くレベルや住所等データベースの作成が先決なのは言うまでもない。

またそのように全国の雨男雨女情報を把握すれば国内的にもメリットがある。

水害が予想される時期もしくは地域から海外の干ばつ救済を口実にして、彼ら彼女らを一時国外追放して各地を水害から守ることもできるのだ。

むろん、そのデータベースの取扱いについては要配慮個人情報に当たるはずなので、行政機関には厳重に管理していただきたい。

さもないと水害が起こった地域で村八分にされる恐れがある。

私がここで主張したいのは、雨男雨女は日本にくすぶって周りの人々に煙たがられながら、

水資源の確保に貢献していることにあぐらをかいていてはいけないということだ。

日本の雨男雨女は世界を目指すべきである!

世界が我々の助けを待っているのだ!

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昼食がまずいという地獄


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飯がまずいとすぐ満腹になった気になる。

舌と消化器系がそれ以上のその食物の摂取を拒絶するからだろうか。

私が今働いている職場の周辺は飲食店が比較的多いがハズレ店の割合が多く、地雷をよく踏んだ。

それも対戦車地雷クラスの大ハズレ店が一つや二つではなかったから恐ろしい。

「毎日違う飲食店で昼飯を食う」という自らに科したその掟に忠実だったばかりに、そこで働き始めて一か月くらいは、毎日アドベンチャーを強いられていた。

牛焼肉と称しているが、明らかに牛肉ではない獣臭漂う牛焼肉定食800円、パスタが極太ソウメンか細めのうどんとしか思えない、『イタリアうどん』と言うべきミートスパゲティ、店主の創作意欲が暴走した結果、見た目も味もカオスな鉄火丼などなど。

ものすごく腹が減っているはずなのに残してしまい、空腹以上の飢餓レベルでないと完食は不可だと思えるくらいで、その日の午後の仕事のパフォーマンスにも悪影響が及ぶほどの違和感と不快感がトラウマレベルで口の中に残留した。

私の神聖な昼食時間を侵した罪に時効はない。

そんな店には一生入る気がないばかりか、腹いせに同僚にもこの店はハズレだと積極的な啓蒙活動まで行っている。

昼飯がまずいと、生活までもがつらくなる。

だが、その時の私の場合はまだましと考えるべきだろう。

確かにハズレ店もあったけど、「この店また行こう」というアタリ店や「まあまあだな」という安全店も多かったし、まずい店は二度と行かなければ良いだけなのだから。

毎日決まったメニューでそれ以外選択の余地がなく、しかもことごとくまずい場合こそヤバイ。

2017年、神奈川県中郡大磯町の公立中学の学校給食が半端じゃなくまずいと生徒の間で評判になったことが報道された。

調査によると給食の残食率が全国平均の6.9%を大きく上回る平均26%で、多い時には55%。

あるクラスでは生徒31人中完食したのは1人であったらしいから凄まじい。

きっと学校生活にも暗い影を落としたはずだ。

毎日そんなもんを食わされた生徒には同情を禁じ得ないし、そんなもんを恥ずかしげもなく提供した業者はテロリストに等しく、怒りを覚える。

私が他人事ながらそう思うのは、

昔、同じ地獄を味わったことがあるからだ。

学校を出て最初に働き始めた印刷会社の社員全員の昼食は毎日配達される弁当だったが、その弁当が半端じゃなくまずかったのだ。

その会社で働いたのは二年にも満たなかったが、その弁当を完食できた記憶がない。

私はどちらかと言えば好き嫌いが激しい方であることは認めるけど、他の社員もみんなまずいと言って残してたんだから本当にまずかったはずだ。

「美味しかった」か「まずかった」か

ではなく、

「我慢できる」か「我慢できない」かの二択しかない代物

が毎日選択不可で有無を言わさず支給されてたんだからたまらない。

普通昼食というものは、「今日は何食べようか?」「今日のメニューは何か?」と楽しみなものであるべきだが、

そこでは昼になると「今日は何を食わされるのか」不安を覚えていた。

昼休みになるのがあんなに憂鬱だったのは後にも先にもあの会社で働いていた時だけだ。

その弁当代は毎月の給料から差し引かれていたが、食べてやるから金をもらいたい気分であった。

その印刷会社は社員数が80人にも満たなかったのに毎年10人近くが途中退職しており、主な取引先はほぼ官公庁相手で、毎年安定した受注があるという強みはあったのに、会社の業績は私が入社する前から右肩下がりを続けていた。

これらは昼食のまずさと無関係ではなかったはずだ。

朝礼では社長が「給料もらってるプロなんだから、仕事にはちゃんと責任を持て!」と、偉そうに小言を言っていたが、

その社長本人は皆とは違って毎日特製の仕出し弁当を食べていたんだからムカつく。

責任をこちらに押し付ける上司もいたし、給料も安かった(毎年ドラスティックに減らされていた)から気持ちよく働ける会社では全くなかったが、何よりあの弁当のまずさこそが社員のことをどう思っていたかをわかりやすく証明していたと今では思う。

人間が働いていい職場では決してなかった。

食い物の恨みは忘れられない。

こういう食べ物についての文句を言うと、

「食べ物を粗末にするな」

とか、

「世界には飢餓で苦しむ人もいるんだ」という人もいるだろう。

ごもっとも。

まずいことを理由に残した食べ物がゴミとして破棄されるのは、私も心苦しく、忍びない。

しかし同時にこう反論したくなるのだ。

その貴重な食料を、食べたくない味に調理して提供した者の責任はどうなんだ」

と。

食べる方が好き嫌いなく食べなければいけないならば、作る方もある程度の水準、せめてヒトが食用可能な味にするべきなのではないか。

違うか?

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のぞき魔をのぞく者


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通勤ラッシュを迎える平日午前七時半頃の小田急線。

私は狛江駅から各駅停車に乗って二駅目、成城学園前駅で降りて通勤快速新宿行きに乗り換えている。

成城学園前駅に列車がやってくると、今朝もすでに客で立錐の余地もないほどの車内に、後ろの客にも押されながらなだれ込む。

成城学園前駅で通勤快速の乗車率がマックスを迎えるらしく、車内はギュウギュウ詰めとなる。

車内でマンガを読む男

そんな満員電車の中でも前の客との空間を利用してスマートフォンを見たり、本を読む乗客がいるものだ。

とある通勤ラッシュ時、私の前に立っていた男もその一人であった。

彼が読んでいたのはマンガだ。

私はその男の斜め背後に立っていたために、その肩越しにそのマンガの内容が否応なしに視界に入ってきた。

別に盗み見るつもりは全くなかったのだが、ついついそのマンガを読み始めてしまう。

何やら中世のヨーロッパを舞台にした作品のようだが、結構面白い。

逃亡中の高貴な身分の姫と護衛の騎士が、ある関所を通り抜けようとしている。

その関所の代官は優しい顔をしているが根は極悪非道で、ちょっとでも怪しいと思った者を徹底的に拷問したあげく処刑してしまう。

護衛の騎士は何とか姫の身分を隠し通して関所を抜けようと知恵を絞るが、疑り深い代官に怪しまれ…。

読んでいるうちにハマってしまい、いつもトロトロなかなか進まないように思える通勤快速が、本当に快速に思えてきた。

もう電車は次の降車駅とのほぼ中間、経堂駅を通過。

しかし、イラつく読み方をする奴だった。

まだこっちが読み終わってもいないのに次のページに進んだり、

そうかと思えば、

こっちがとっくに読み終わったのになかなか次のページに進まなかったりする。

その止まっているページでは護衛の騎士がすでに殺されており、正体がばれてしまった姫は代官の兵隊たちに捕まっている。

早く次のページめくれ!

だが、そいつは次のページに行くどころか、

あろうことか何ページか前に戻ってじっくり読み直しを始めた。
この野郎!

もう電車は梅が丘駅を超えて停車駅である下北沢に近づきつつある。

そいつの本だし、のぞき見してる立場上「早く次のページ読ませろ!」と怒るわけにもいかず、私はやきもきしながら元のページに戻るのを待った。

騎士が代官の命令で部下とサシで決闘させられるページ、ハイ!そこはもう読んだ。

次は代官の部下を騎士は負傷させるが返り討ちに遭って殺されるんだよな、早く次!

姫が叫び声をあげて正体がばれる場面、よし!元のページに戻った!

そうこうしているうちに電車は下北沢駅に到着、男はまだマンガを見ている。

よかった、下北沢駅では降りないようだ。

さあ、お待ちかねの次のページだ!

これから姫はどんな目に遭わされるんだ?

しかーし!

男は駅に着いたことに急に気づいたらしくハッとして、マンガを閉じ、カバンにしまいやがった!

「おい、ちょ…」

思わず声を出しそうになった私を男はチラっと見たが、そのまま電車を降りて何事もなかったかのように降車する客たちの中に消えていった。

せっかく面白いところだったのにそりゃないだろ!

事実上ののぞき見なので責めるわけにはいかないが、それでもいたぶられたような感じがして釈然とせず、その日はあのページから先が気になって午前中いっぱい仕事にならなかった。(一か月後に作品名が『狼の口 〜ヴォルフスムント〜』だと知ったが)

ちなみに、視界に入ってそのまま読みふけってしまうのはマンガとは限らない。

ニュースだったり、問題集だったり、メールの内容だったりもする。

LINEをやる男

別の日に私の目に留まったのは、マンガ男と同じように私の前に背を向けて立っていた初老の男が持つスマートフォンで、そこに表示されたLINEのトーク画面だ。

マンガと違って個人情報ののぞき見だから許されざる行為だが、私の視界正面にあるんだから仕方ない。

悪いと知りながら、どんなやり取りをしているのか目を凝らして見るが読めない。

それもそのはず、トーク内容はすべてアルファベットだったからだ。

すげえ!英語でトークしている。

目に映る初老の男の背中が、知的なオーラで包まれて心なしか威厳に満ちていた。

このご老体がどんなやり取りをされておられるかますます気になったので、その英文を目で追うがピクリとも解読できない。

どうやら英語ではないらしい。フランス語?ドイツ語?

ますますご老体の背中から発っせられる後光の輝度がまばゆいばかりになった気がする。

お、ご老体が返信をしておられる!

私に読めるはずもないのだが、ゆっくりと入力される文字を思わず目で追った。

どれどれ「Sore」、次が「deha,mata」、そして「kaishade」か。

Soredeha,matakaishade…。

ソレデハ、マタカイシャデ…。

「ローマ字じゃねえか」

とたんに、初老の男の背中が放つ後光が消灯し、強烈なみすぼらしい加齢臭がしてきた。

さっきまで注いでしまった尊敬の念を返せ、と言いたい。

小声で「ローマ字…」と不用意に口を突いて出た言葉が耳に入ったらしく、ジジイはムッとした顔で振り返り、スマートフォンを隠した。

はいはいのぞいて悪かったね、もう見ないよ。

もう興味もなくなったし。

のぞいた私が言うのも何だが、満員電車内で本やスマートフォンを見る際は、背後の人間の目に入るというリスクも考慮すべきではないだろうか。

自分だけの世界に没頭して無防備でいると知らない間に私のように背後に位置する人間に自分の世界へ侵入され、勝手に暇つぶしに利用されたり評論されたり、あまつさえ非難されたり見下されたりすることもあるのだから。

YouTubeを見る男

そうは言っても、やはり満員電車で長いこと立っているだけは確かに退屈だ。

やはり本かスマートフォンを見て時間をつぶしたい。

私はそんな時、よくスマートフォンでYouTubeを見ている。

私が今回見ているのは、自然界や動物園で偶然撮影された動物異種格闘技戦

ライオン対トラ、クマ対トラなどの食物連鎖の頂点に君臨する大型猛獣同士のガチンコ対決はやっぱり血が騒ぐ。

今回発見したのはゾウ以外では最強と個人的に信じていたサイと、見かけによらずかなり危険な猛獣であるカバのスーパーヘビー級ドリームマッチだ。

サイ派の私は、サイの圧勝を期待していた。

手に汗握りながら見始めたが、大きく口を開けて威嚇するカバにサイがあっという間に屈服、背を向けて逃げ始めたところをカバに追い打ちをかけられている。

くそ!サイの負けかよ!
「よし!カバの勝ちだぜ!」

突然そんな声が耳元で聞こえたので後ろを振り向くと、そこにいたのは全く見知らぬ中年の男。

カバ派らしく、心なしか勝ち誇った顔をしている。

しょっちゅう人様のプライバシーをのぞいていた私がのぞかれていた!

相手がカバ派だけに、二重の意味で負けた気がした。

やっぱり私も背後に気をつけねばならんようだ。

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ウソつきの懺悔


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結構ウソつきであることを正直に告白する。

別にボケているわけじゃない。

自分でも普通の人に比べてよくウソをつくし、ウソに対する罪悪感もワリと低い方だと思う。

そんな私でもついていいウソと悪いウソがあるのはわかっているつもりだ。

私がつくのはヒトを楽しませるウソや無害なウソであり、他人をハメたり、迷惑をかけるようなウソでは決してない。と思う。

かようにウソつきの仁義を重んじる私だが、先月ついたウソは我ながら不謹慎すぎて有害だったと反省している。

この2021年のご時世で、絶対についてはいけないウソをついてしまったのだ。

2021年2月某日午後11時30分頃

その日、私は自宅で酒を飲みながらアマゾンプライムビデオを観ていた。

観ていたのはドニー・イェン主演の『イップ・マン 完結』。

期待通りの面白さで酒も進み、私は至福の時を過ごしていた。

そんな極上のプライベートを楽しんでいる最中にラインメッセージが入ったのは、物語も佳境に入り、酔いも手伝ってドニー・イェンのアクションシーンの真似をし始めていた頃だった。

別にラインやフェイスブックからのメッセージ自体がお邪魔虫とは思わない。
しかし、相手が問題だった。

誰なのか分かったとたん、楽しい気分に暗雲が立ち込めてきたのだ。

送ってきたのはY田という男。

私とほぼ同世代だが、仕事では大いに世話になっている人物であり、プライベートでも時折飲む仲である。

だがこのY田、仕事では頼りになるが、さほどプライベートでは楽しい人物ではない、酒の席でもシラフでも。
むしろ面白くない、というか少々ムカつく時がある。

どう面白くないかというと、まず人の話を聞かないところである。

例えば私自身が興味のあることや最近経験したことなどでもいいが、話を振ったとしよう。

全く聞いていないのである。

露骨に興味がなさそうなそぶりをするし、返ってくる返事は

「いや興味がない」「そういったことはよく知らない」

などでたちまち私の振った話は終了する。

これは私の気のせいではないと確信している。
彼ほど私の話をさせてくれない人間は、現在交際している範囲では見当たらない。

そのくせ、自分の話はよくする。

それも、

「自分の職場の後輩のN嶋K太が恩知らずだ」
「上司のS村S治に目の敵にされている」
「取引先の担当者のS司H樹の態度が無礼だ」

とかの恨み言が大半で、実名を挙げて具体的な状況まで詳細に説明してくる。

私はN嶋K太にもS村S治にも会ったことはないわけで、そんなこと知ったこっちゃない。

私はそんな話でも「そんなN嶋みたいな奴はいかんですなあ」とか、「S村みたいなのウチにもいますよ」とか、一応反応してやっている。

共通の話題ばかりが絶対続くわけはなく、お互い知ったこっちゃない興味のない話が出たとしてもある程度反応するのが会話の礼儀だろう。

私はその礼儀は守っている方であるはずだ。

いつも飲みに誘うのはだいたいがY田の方で、「報告」と称して酒の席でそういった恨み言を一方的に話すことが多い。

あとは同じく「報告」と称して、うまくいった仕事の自慢。

ちなみにこちらも同じように「報告」すると、やっぱり興味なさそうである。

もう一つ面白くないのは彼が度を越した反差別・平等至上主義者であり、これだけ隣国が敵対国家だらけなのにもかかわらず目を輝かせて非武装中立の必要性を語る反戦バカだということだ。

例えば私が「おばちゃんには方向音痴が多い」と言ったら、

「それは女性差別じゃないの?」

と真顔で非難しやがるのだ。

めんどくさい奴だと思わないか?

他にも「あなた」や「お宅」などの二人称単数を使って呼ばれるのを嫌うなど、会話において本来なら留意する必要のないNGワードも多く、どうりで後輩やら上司に嫌われるわけである。

何年か前に飲んだ時など、奴は酔ったはずみで当時の安倍内閣が意図していた憲法改正について私に議論を吹っかけてきたことがあり(むろん彼は反安倍内閣だった)、私も酔っていたので改憲賛成どころか核保有論者だと正直に言ってやったとたん、「右翼」だの「軍国主義者」だの金切り声で私をファシスト扱い。

こんな奴と楽しく飲めるだろうか?

よって今回も寝たことにして、既読にならないようラインを敢えて開かず見て見ぬふりを決めこみ、イップ・マンを見ながら、“空気敵”相手に大技をくらわしていた。

が、

まさか電話をかけてくるとは思わなかった。

それも携帯ではなくイエ電の方。

意地でも話をしたいようだ。

出るしかないのかよ、めんどうくさいな。

素晴らしい夜のひと時を強制終了された気分であった。

「もしもし」

私はさっきまで見えない敵と戦っていたので、多少息を切らせながら電話に出た。

「悪いね、起こした?でもさ、どうしても話したいことがあってさ」

気持ち悪い男である。こんな夜中に大の男にそんなこと言われて気持ちがいいわけがない。

実は前からY田はゲイではないかとも疑っている。しゃべり方もそれっぽいし。

「いや実はさ、今日N嶋にさ…。どうしたの?息荒いよ」

私は年甲斐もなく“ひとり組手”してたからまだ呼吸が荒かったようだ。
しかも結構飲んでいた。

そして、その酔った頭で「何とか切り上げれないだろうか?」と私は考え始めてしまっていた。

「どうしたの?具合悪いの?」

Y田はいつものオネエ言葉で訊ねてきた。

そうだ仮病を使おうか。

病気で寝てたことにすりゃあ、奴も長話してこんだろう。

「いやあ、実はその今日病院行ってきまして、検査したんですけど…」

言い訳しても仕方ないが、私の頭はこの時泥酔の一歩手前の状態だったのだ。

だが、その思考回路で考えた仮病であったとしても、

そして、たとえ相手が誰であったとしても、なっていい仮病と悪い仮病があったと今では反省している。

「え、検査って…。まさか」

「気を付けてたんですけどね…、陽性だったんです。コロナの

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2021年 おもしろ 中二病 動物 本当のこと

『ペットと被ペット』或いは『飼い主と被飼い主』のあるべき関係


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ニホンザルの観察が好きである。

TVやYouTubeでもよく見ているし、実際に動物園や野猿公苑まで見に行くことがあり、顔も見分けることだってできるほどだ。

ネットや書籍でもニホンザルの生態を読み漁り、アマチュア研究家の端くれであると自負している。

ニホンザルの何が面白いかって、他の動物に比べて人間に近いことだ。

中にはおっさん度やおばさん度の高い個体も存在し、特に怒った時の反応や表情などを見ると、「そういや身近にこういう顔して怒る人いるな」と感心したりして、やはり人類はサルから進化したんだと納得する。

このように私はニホンザル研究に熱心であるが、ペットとして飼いたいと思ったことは一度もなく、あくまで見る専門。

ニホンザルをペットとして飼うには都道府県知事の許可が必要で、飼養施設の構造や保管方法にも様々な基準が存在するなどかなりハードルが高いのだ。

そんな面倒くさい動物など飼いたくはない。

それに、

ニホンザルを見ていて面白いと思ったことはあっても、可愛いとは思ったことがない。
「見てて面白い」イコール「ペットにしたい」とは限らないのだ。
いつも身近にいたら憎たらしくなるに決まってる。

なぜなら、ニホンザルは私がペットに求める基準に著しく反する動物だからだ。

それはSF小説の巨匠アイザック・アシモフの「ロボット三原則」に倣って、「ペット三原則」ともいうべき私独自の基準だ。

飼い主とペットの最も理想的かつ良好な関係の構築には、「私は飼い主、お前はペット」という神聖不可侵の境界が存在することが大前提であると考える。

その大前提に対して脅威を及ぼしかねない、つまり,

ペット三原則」に一つでも抵触する特性を有する動物はペット候補から完全に排除するべきである。

ニホンザルはその三つの原則すべてに抵触するから失格。

私はペットにする気が全くない。

ではその基準、「ペット三原則」とはいかなるものか?

ご高覧いただければ幸いである。

原則その一:温厚であること

凶暴な動物など御免こうむりたい、と考えるのは私だけだろうか?

ニホンザルは時々人里に現れては人を襲っているから、決して温厚な動物ではないはずだ。

現に実際にニホンザルの群れを観察していると、しょっちゅうケンカが発生しているから気が短い動物と考えて間違いはない。

ニホンザルに限らず、よく怒る動物は飼っていてきっと疲れるはずだ。

考えてもみよ。いくらペットとはいえ怒っていたら何とかなだめようとするはずで、なぜこちらがそんなに気を使わねばならんのか?

立場わきまえろよ、

と本気で思う。

話は極端にそれるが、家庭内暴力を起こす息子と起こさない息子、どっちがいいだろう?

答えは簡単であろう。

ペットも同様。

外見の如何にかかわらず、少なくとも私は温厚でない動物を可愛いと感じる感性を持っていない。

原則その二:忠実であること

裏切ったり逆らったりする奴は大嫌いだ。

人間だろうが動物だろうがそういう奴は許せない。

よく犬は忠実だが猫は気ままだと言われるから、猫は大嫌いだ。

ハムスターを飼ったことがあるが、ハムスターは恩という概念を理解する知能がなく、いつも餌をやっているにもかかわらず血が出るくらい噛まれたことが何度もあった。

よって、ハムスターは裏切る裏切らない以前の問題だから激しく論外。

やはりペットたるもの飼われているという自覚を有し、

ある程度の敬意と忠誠心を以って飼い主に接することが可能な動物が好ましい。

一方のニホンザルだが、トイレのしつけこそできないとはいえ、日光猿軍団のサルたちのように一旦飼い主と主従関係を築けば忠実になるという本能を有している。

しかし問題があって、これは犬でもそうだが飼い主一家全員に忠誠を誓うわけではなく、主たる飼い主以外の家族の者全員をそれぞれ勝手にランク付けするらしい。

しかも

自分を最底辺に置くという謙虚さは持っておらず、必ず自分より下を作り、その者に対しては不服従を貫いて時に尊大にふるまう。

そういう計算をするのはペットとしてあまりにも可愛げがない。

飼い主たる私同様、私の家族や友人にも同じく敬意を払うべきである。

それにニホンザルは高い知能を有しているというのがどうしても気になるのだ。

人間に例えるなら、

偏差値30くらいのヤバイ奴と偏差値70くらいのヤバイ奴ならば、どっちが怖いだろうか?

やっぱり、ペットはバカすぎず利口すぎないのが好ましい。

その意味から言わせてもらうなら、ニホンザルには犬以上に何を考えているかわからない不気味さを感じるから、疑り深い私はパスしたい。

原則その三:私より強くないこと

他の二つは譲れても、これだけは断固譲れない。

自分より強い動物だけはペットにしてはダメだ。

よく大型犬や、はたまたチンパンジーを飼っている人までいるが、私には信じられない。

その気になったら、こちらを殺すことができる動物なんておっかなくて飼えるものか。

「気持ちが通じ合っているから大丈夫」などと主張する飼い主もいるようだが、それは往々にして人間側の勝手な幻想である。

飼い主の気持ちがペットに分かったとしても、飼い主はペットの気持ちが本当に分かるのだろうか?

言葉が通じないから意見を聞いたり、言いくるめたりすることもできないんだぞ。

もし今機嫌が悪かったら、
実は飼い主である自分にムカついていたら、

などと考えると私ならおちおちしつけもできない。

普段自分に懐いているか懐いていないかは関係がない。

親や子相手でも逆ギレしてついやりすぎちゃった、というのは人間にだってあるのだ。

「やりすぎちゃった」後にいくら反省されても、こちらにとってはもう遅い。

そんな風にこちらがペットの顔色をうかがわなきゃいけないなんて、こちらが飼われているみたいじゃないか。

健全な飼い主・ペット関係とは言い難い。

ニホンザルはオスで体長60cm体重16㎏程度だから、体長169㎝体重68㎏の私がその気になれば勝てる。

だが結構気が荒いし、俊敏でヒットアンドアウェイが可能なあの身体は、飼い主の権威に挑戦する能力を十分に備えている

やはりペットにするには、反抗してきたとしても簡単に制圧可能な動物でなければだめだ。

以上の「ペット三原則」は、飼い主として常に毅然として威厳を持ってペットに接するために必要不可欠な、私的にペット側に求められる特性である。

ペットを溺愛するあまり家族の一員と見做し、自分たちを「飼い主・被飼い主」又は「ペット・被ペット」の関係と表現している者がいたが、私はそんなどっちがどっちだかわからないような関係はお断りだ。

この譲れない三原則以外にもっと贅沢を言えば、「見た目が可愛らしい」「世話が簡単」「放し飼い可能」「逃げ足が遅い」「なんでも食べる(飼い主以外)」「いざとなったら食える」などの条件を加えたいが、そんな私でも飼える動物は販売されているだろうか?

都合よくペットショップを経営する知人がおり、以上の私の条件を伝えて検討と見積りを依頼したところ、即座に以下のような返答があった。

「君に動物を飼う資格はない」

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2021年 世界史 戦争もの 歴史

ラテンアメリカ諸国の第二次世界大戦


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人類史上最大の戦争、第二次世界大戦。

当時の独立国の61か国のほとんどが参戦し、主に米国、ソ連、イギリス、フランス、オランダ、中華民国などの連合国側と、ドイツ、日本、イタリアなどの枢軸国側が1939年から1945年まで世界中で総力戦を戦った。

主な戦場となったのは欧州や北アフリカ、太平洋やアジア全域であったが、インド洋や中東も戦場となり、さらには大西洋、カリブ海でも連合国と枢軸国の戦闘が行われた。

むろんカリブ海真っ只中や南太西洋に面して位置するラテンアメリカ諸国も好むと好まざるとにかかわらず、それぞれの思惑を抱えながらも戦争に関わり、結果として大部分の地域で経済的、政治的、軍事的に多大な影響を受けた一大転換点となった。

米国の対ラテンアメリカ諸国政策

当初ラテンアメリカ諸国は中立を保とうとしていたが、参戦国、特にその地域を自国の裏庭とみなしていた連合国側の米国はそれを許さず、硬軟織り交ぜて自らの陣営に引き込む政策をとった。

それはまずメディアを使ったプロパガンダ戦略による干渉から始まる。

1940年、米国の名門ロックフェラー一族出身で、のちに副大統領となるネルソン・ロックフェラーはフランクリン・D・ルーズベルト大統領にラテンアメリカにおけるナチスの影響力に対する懸念を表明する。

開戦初頭は枢軸国優勢で、ラテンアメリカ諸国の独裁者や政治団体の中にはファシズムを支持する風潮が存在したためだ。

米州問題調整官時代のネルソン・ロックフェラー

それを受けてルーズベルト大統領はロックフェラーを米州問題調整局(OCIAA)の新しい米州問題調整官(CIAA)に任命。
彼はCBSラジオネットワークのエドモンド・A・チェスターと協力して、マスメディアを使って西半球の国々との間の関係を強化し、ナチスの影響力の排除を図るようになる。

ロックフェラーは当時最新鋭のメディアであったラジオ放送や映画を使い、反ファシストのプロパガンダをラテンアメリカ全土で行った。

このプロパガンダ戦は結果的に連合国側の圧勝となる。

こうしたプロパガンダは米国の圧力を伴った影響を直接受けていたメキシコなどでは反発を招いたが、メキシコは戦争において貴重な味方となり、米国在住の25万人のメキシコ人が米国軍に入隊。
また、アステカ・イーグルス(アギラス・アステカ)として知られる志願兵300人からなる飛行隊を太平洋の対日戦線に派遣した。

アステカ・イーグルス

こうしたラテンアメリカ諸国を連合国陣営に引き入れる政策は、ドイツの影響力を容認するアルゼンチンを除いて政治的に大成功となったのだ。

プロパガンダ以外にも、経済支援と開発のために多額の金額も割り当てられた。

更に1941年3月22日、米国政府はラテンアメリカ諸国を含めた連合国に対して軍事基地と西半球防衛への参加と引き換えに、軍需品やその他の援助を行うためのレンドリース法を制定。

当然、戦争の混乱真っただ中のイギリスやヨーロッパ諸国とその植民地が援助の大半を受け取ったが、ラテンアメリカ諸国も約4億ドルの軍需物資を得た。

ラテンアメリカ諸国の中でもブラジルは南米大陸の北東に国土を有し、主戦場の一つの北アフリカから近いという戦略的に重要な地点であった地理的関係から、米国との間で融資と軍事援助を提供するという条約が締結され、軍需物資を送るための拠点を米国に提供し、同時に枢軸国からの通商破壊の脅威を受けやすいことが予想されたためラテンアメリカ諸国への支援の四分の三を受け取る。

その後、ブラジルはヨーロッパ戦線に部隊を派遣した唯一のラテンアメリカの国となり、同国の海軍は大西洋の対潜水艦作戦でも重要な役割を果たすことになる。

イタリア戦線でのブラジル軍

キューバもカリブ海や南大西洋でドイツのUボートや巡洋艦との小規模な戦闘を行うなど米国に協力。

他にエクアドルはガラパゴスの空軍基地の建設と引き換えに、コロンビアとドミニカ共和国の両国はパナマ運河とカリブ海のシーレーン防衛への参加と引き換えに軍隊を近代化するためのレンドリースの恩恵を受けた。

一方、レンドリースはラテンアメリカ諸国間のパワーバランスを変え、「古いライバル関係を再燃させた」面もあったようだ。

ペルーとエクアドルのように世界大戦真っただ中の1941年に世界情勢そっちのけで戦争を行うなど、ラテンアメリカ諸国は一枚岩ではなかったのだ。

他にも、チリは枢軸国軍の攻撃ではなくボリビアとペルーがレンドリースによって得た兵器を使って、自国が19世紀の戦争で両国から勝ち取った領土を取り戻そうとすることを懸念していたし、アルゼンチンは以前からのライバル国ブラジルが米国の兵器をレンドリースによって得ていたために脅威を感じていた。

また、米国は戦争継続のための軍需物資獲得のためにも手を打った。

ラテンアメリカ諸国は特定の製品や資源を高めの価格で輸出することができるようにはなったが、1941年12月7日の日本の真珠湾攻撃の後、ラテンアメリカの大部分の国は枢軸国との国交を断絶あるいは宣戦布告したため、多くの国(ドミニカ共和国、メキシコ、チリ、ペルー、アルゼンチン、ベネズエラなど)は貿易を米国一国に依存する結果となる。

この戦時需要によってラテンアメリカでは消費財などが不足する問題が発生。

物資もそれを運ぶ船舶も軍需品を米国に供給することが優先されたため、燃料も食料も価格が高騰するなどのインフレも起こった。

とはいえラテンアメリカ諸国のほとんどは米国の側に立つことで援助を受けるなど、戦争を有利に利用した側面もあったようだ。

米国に戦略的に重要とみなされなかったペルーのようにさほど恩恵を受けなかった国もあったが、パナマは船の交通量の増大によって経済が活性化、プエルトリコではアルコール産業が活況を呈し、石油資源が豊富なメキシコとベネズエラは石油価格上昇の恩恵を受けた。

メキシコはこの機に乗じて、米国やヨーロッパの石油会社と有利な条件での契約を迫ったりもした。

第二次世界大戦は良しくも悪しくも大規模な近代化と大きな経済的後押しを参加したラテンアメリカ諸国にもたらしたのだ。

ラテンアメリカ諸国での枢軸側の活動

戦前のナチスは様々なラテンアメリカ諸国との経済関係が平等であることを保証するため、厳格な二国間貿易協定を通じて経済的浸透を拡大。

ブラジル、メキシコ、グアテマラ、コスタリカ、ドミニカ共和国はいずれもドイツと貿易協定を結んでいた。

例えばブラジルのドイツとの貿易は、ヒトラーが政権を握った1933年から戦争が始まる前年の1938年の間に倍増。
しかし、1939年9月の開戦によって枢軸国の船舶は商業目的で大西洋を横断することができなくなり、ラテンアメリカとドイツ・イタリア間の貿易は停止してしまう。

一部のラテンアメリカの国は打撃を受け、その代替の貿易相手国は米国のみとなった。

第二次世界大戦の初頭、ドイツ系やイタリア系移民が多く、その影響力も大きかったために枢軸国寄りだったアルゼンチンやチリはもちろん、ラテンアメリカ諸国には強力な一体感と目的感を国民にもたらすファシズムに感銘を受けた独裁者や政治団体も存在した。

例えばドミニカ共和国のラファエル・トルヒーヨ大統領はヒトラーのスタイルと軍国主義的な集会を賞賛し、グアテマラとエルサルバドルの独裁者も同様の見解を持っていたようだ。

ブラジルの政治団体であったブラジル統合主義運動はムッソリーニの崇拝者だった。

ブラジル統合主義運動

それを最大限活用しようと枢軸国のスパイ活動やプロパガンダ活動が行われるようになる。

枢軸国の移民も多かったことから、スパイ活動はさほど困難ではなかった。

例えばコロンビアには1941年の時点で約4,000人のドイツ人移民がおり、多くは航空輸送業界に関わっていたため、米国は彼らがスパイ活動に従事しているか、パナマ運河に対する攻撃のために民間航空機を爆撃機に改装する計画を立てていることを懸念していた。その結果、米国政府はコロンビアに移民の監視と抑留を迫ったり、場合によっては米国に引き渡すよう圧力をかけた。

他のラテンアメリカ諸国でも同様だったが、メキシコとブラジルは枢軸国のスパイ活動の封じ込めについて米国に協力的だった。

一方、チリとアルゼンチンは枢軸国のエージェントの活動を許していたため、米国との不和の原因となった。

ドイツはラテンアメリカの主要国のすべてでスパイネットワークを運営しており、アルゼンチンを舞台にコードネーム『ボリバル作戦』と称し、中立国のスペインの船まで使った諜報活動を行っていた。

アルゼンチンやチリは1944年初頭にようやく自国で活動する枢軸側のエージェントを取り締まったが、ドイツ側の活動の一部は1945年5月の欧州戦線の終結まで続いた。

ソ連との関係

ドイツのソ連侵攻後、ラテンアメリカ諸国は労働組合などを通じてソ連への支援と援助を行った。

キューバは赤軍に40,000本の葉巻を送り、1942年10月に南米初の外交関係を持った。

戦争は結果的にソ連との外交的雪解けとなり、1945年までにコロンビア、チリ、アルゼンチンを含む11のラテンアメリカ諸国がモスクワとの関係を正常化した。

ユダヤ人を救ったエルサルバドル総領事

駐スイスのエルサルバドル総領事ホセ・カステラノス・コントレラスは、迫害から逃れようとしているユダヤ人にエルサルバドルのパスポートを提供して25000人を救ったが、この事実はあまり知られていない。

ホセ・カステラノス・コントレラス

出典元―ウィキペディア英語版

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自称人気者のウザさ


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「自分が愛されキャラだと勘違いしてるよな」
「全く空気読まねえし、普通におとなしくしててもウザい存在感なのに」

水道橋駅近くの、とあるインド料理店で食事をしていた際に聞こえてきた、すぐ近くに座っていた大学生風の青年二人の会話である。

他人の会話など本来興味がないが、すぐ近くで盛り上がり、声が比較的大きいので嫌が上にもその会話が耳に入ってきたのだ。

話していたのは彼らの学校にいる同級生のある女の子について。

論点は異性としての魅力ではなく、その痛々しい言動と暑苦しい存在感のようだが、観察対象としては相当面白いらしく、大笑いしながらその観察報告で盛り上がっている。

「“ね、ね、私って可愛いでしょ?”アピールが半端ねえし」
自分が好かれてると思ってる嫌われ者はタチが悪いよ

大学生にもなって情けない。

そんなにさわやかに他人の陰口を叩くんじゃない。

ウザいだの、嫌われ者だの同級生をこき下ろすなど実にレベルが低い。

そんな大学生による高校生レベルの話はハタから聞いていると、結構面白いのでちょっと聞いてみた。

その青年たちに煙たがられている女生徒、A子はそのズレっぷりがかなり目立って、学校で嘲笑の対象になっている。

彼らに言わせると本人はクラスのセンター的存在のつもりらしく、クラスの飲み会とか旅行とかに自分が誘われないと怒るという。

また、クラスでも華のある女の子グループである「一軍女子(最近ではそんな言い方するのか!)」たちとつるみたがるが、

傍目から見て彼女たちの中でA子は明らかに浮いているし、当の一軍女子たちからは距離を置かれているばかりか、「勝手に友達だと思われて困っている」ともこぼされている始末。

かなり勘違いした子のようだ。

こう言われている以上A子の容貌もある程度察しはつく。

あまり人口に膾炙したルックスではないってことだ。

だが、きっとA子は自分も華のある女性になりたくてなりたくてたまらないんだろう。

その辺の事情もふまえて、君たちもそれくらいでディスるのをやめたらどうか?

しかし彼らの話を聞いてると、そのA子は相手によって対応をガラリと変えるらしく、ルックスのいい相手には猫なで声を出すくせに、ネクラそうだったり地味な相手にはつっけんどんな態度を取り、「キモイ」だの「近寄りたくないだの」陰口を叩くというのだ。

ちょっと憎たらしくなってきた。

私も同じようなのを何人か知ってるからな。

青年たちも私も料理を食べ終わったが容赦ない口撃は続き、私も聞き耳を立て続ける。

「そういやこの前、傑作なこと言ってたぞ」

「何々?どんなこと言ってたの?」

「“私、どんだけ食べても太らない”ってさ」

「あいつ、もうすでにデブじゃねえか!!」

なかなか面白い末期症状じゃないか。

「あと、最近しゃべり方変え始めてるだろ。わざと舌足らずな言葉遣いしたりして、何か不思議系気取ってんのかな?」

「あいつの場合、不思議系じゃなくて不気味系にしか見えねえよ!
「自分は童顔だとも言ってたしな」
「童顔っていうか、ジャック・マーって感じだろ」
アリババ創業者ジャック・マー(馬雲)

彼らはしばらくA子の話で盛り上がって、料理の後に運ばれてきたドリンクを飲み終わった後もしばらくいろいろ言ってたが、他は何を話したか忘れた。

私も飽きてきたので、彼らが出る前に店を出た。

あんな話で盛り上がるとは、大学生のレベルも知れたもんだ。

あの青年たちも、A子も。

でも、私の大学時代もあんな程度だったな。

こんなおっさんになっても聞き耳立ててたんだから、私もレベルが低い。

道理で日本がこんな有様になるはずである。

彼らはどこの大学なんだろう?

水道橋ってことは近くに東大があるが、まさか東大生じゃないだろうな?

だとすればいよいよ日本が危ない。

ひたすら名も知れぬ三流大学の学生であることを祈る。

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高校デビューした少年の悲劇


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高等学校の中には、素行不良な生徒の占める割合が異様に高い学校がある。

約三十年前の1990年代のことなので現在はどうか知らないが、私の郷里の県立O農業高校がまさにその典型だった。

大学進学率は一ケタどころか小数点第二位で測定不能、その反面で退学率が二ケタ台で出席番号がしょっちゅう若くなるという凄まじさ。

反社会人予備校か出入り自由の少年院としか考えられない環境の高校で、中学時代はおとなしかった生徒も入学すると悪くなり、悪かった生徒はより悪くなる。

真面目な生徒だと無事にそこでの学校生活を送れないからだろう。

逆教育機関と言っても過言でない学校、それがO農業高校だった。

そんな悪名高きO農業高校に、私の出身中学からも何人かの同級生が進学したが、その多くが見事に同校の校風に染まってヤンキー化。

その中には中学時代によくつるんでいたK田もいた。

K田の高校デビュー

中学時代のK田は真面目というか気弱な生徒で、学業成績も破滅的だった。

中学卒業後の進路を聞かれた時に「高校進学」と答えたら、周囲から「爆弾発言」とからかわれたくらいだから、小学校低学年程度の学力を有しているか日本生まれのヒト科でありさえすれば入学できるとまで言われていたO農業高校しかなかったようだ。

そんなK田と私は同じく気弱で、腕力に劣るスクールカーストの底辺に位置することからそこそこウマが合い、中学では一緒であることが多かった。

卒業後、私は一応進学校の県立O西高校に進学したが、それとは対極のO農業高校に入ったK田とは家が比較的近所ということもあって中学時代の関係は続いた。

K田に異変が生じ始めたのは高校に入学してほどなくだった。

やはり入った高校がO農業高校だったからだろう。

彼は坊主頭だったが、心なしか剃り込みを入れているような気がしてきたし、眉毛の形も以前とは違う。

そして会うたびにその剃り込みは深くなり、眉毛も細くなってゆき、変形ズボンを穿いた本格的なヤンキーに変身するのに夏休みまでかからなかった。

外見にリンクして言動も変化。

「どけや、くそガキども!」と声を荒げて小学生を蹴散らすし、タバコを吸うようになったし(銘柄は「エコー」)、私に対する態度も変わってきた。

極悪校O農業高校の生徒であることをなぜか誇りとし、進学率のそこそこ高い普通科高校の生徒を十把一絡げにシャバ僧とバカにし始めていたからだろうか。

K田の口調はだんだんガラが悪くなり、「ジュース買ってこい」だの「タバコ買ってこい」だの私をパシリ扱い。

この時点で友人関係を解消してもよかったが、私自身まだ高校でつるむ友人に乏しかった頃だったために、彼との付き合いはしばらく続いた。

ヤンキーと言えば格好だけではだめで、ある程度ケンカっ早くなければならないことくらい私でも知っている。

彼もいっぱしのヤンキーを気取っていたから、私にO農業高校の恐ろしさを語り、よく学校の内外で誰かとモメたことを自慢するのが好きだった。

そして、私にも「気に食わん奴がおったらぶん殴ったらなあかんぞ」だの「ケンカにガタイも人数も関係あらへん、根性や!」などと忠告。

おそらく覚えたばかりのケンカのやり方や人の殴り方を頼んでもいないのによく教授してくれた。

こっちは誰かを殴ったりしたら退学になりかねない進学校の高校生なのだ。
はっきり言って余計なお世話であった。

K田の試練~生意気な中学生に対して~

そんなK田のヤンキーとしての資質を問われる出来事が私の目の前で起きたのは、その年の夏休み後くらいの休日だった。

その日、私とK田は自転車に乗って中学時代の友達の家に遊びに行った帰り道、前から歩いてくる我々の出身中学の在校生二人に出くわした。

直接面識はないが、二人とも知っている顔だ。

私の二歳下の弟と同学年の、確か名前はT島とS本で、我々が在学中に一年生だったからその時は中学二年生。

部活帰りらしく中学校の体操着姿のため、悪そうな見かけはしていなかったが、どちらも体格が良くて見るからに強そうだった。

それもそのはず、二人とも柔道部に入っていた記憶がある。

高校一年生の我々が自転車で彼らに近づいた時、中学二年生のT島とS本の顔は我々の方、特にK田に向いているような気がした。

そして通り過ぎた後もこちらを見続けている。

ガンをつけているという程ではないが、ニヤニヤしながらバカにしたような顔でだ。

「なんやあいつら?」とK田は自転車を漕ぎつつ、後ろを振り返りながらイラつき始めた。

T島とS本は相変わらずこちらを見ながらヘラヘラして、挑発しているとしか思えない態度である。

K田は二人を睨みながら「やったろか中坊ども!」とうなり始めた。

ケンカする気なのか?相手は中学生とはいえこちらよりガタイが大きい。

しかもあいつら柔道部だぞ。

私はそう懸念したが、K田の怒りはもう制御不能だった。

「てめえらやんのか!?コラ!!」

K田が中学生二人に向けて怒声を発した。

しかしそれは、

彼らから100メートル以上の距離に達してからだった。

そして前を向くと、そのまま自転車を漕いで遠ざかって行った。

時々後ろを振り返りながら、心なしかスピードを上げて。

振り向いて見てみると、遠くのT島は大笑いし、S本は「来てみろよ」とばかりに手招きしていた。

確かK田は「気に食わん奴がおったらぶん殴ったらなあかん」とか「ケンカにガタイも人数も関係あらへん、根性や!」とか私に言ってたはずだ。

そういうのは範で示さなきゃ説得力がないと思うが。

「あいつら殺したる」と、彼らの姿が見えなくなった安全圏でいきり立つK田のヤンキーとしての資質に私の中で疑念が生じ始めた。

それからさすがにバツが悪くなったのか、ケンカについて講釈を垂れなくなったK田だが、彼の本当の試練はその後日にあった。

K田の最後~本物の不良少年に対して~

中学生たちとの一件から一か月ほど後、私とK田はゲームセンターでゲームをしていた。

ケンカの自慢話はしなくなったとはいえ、K田は相変わらず横柄な態度で私に接しており、高校でまともな友達ができ始めた私は彼との関係の解消を考慮し始めていた頃だ。

我々はゲーム機に隣り合って座り、それぞれのゲームに興じていた。

私はゲームセンター版「ゼビウス」を、右隣のK田は「エコー」をくわえて「スターソルジャー」をプレイし、時々ゲーム機の右隅に置いた灰皿に灰を落としていた。

その日の私は絶好調で高得点を重ねて初めてのエリアに突入。

これからが肝心という最中だった。

横からK田が私をつつき「おいおい、あのさ」と話しかけてきた。

その声はいつものガラの悪い命令口調ではなくやたら切迫した弱々しい感じだった。

「何?」私はゲームに熱中してたので顔を上げずに聞き返した。

「あそこにいる奴なんだけど、こっち見てへんか?」

「え?どこの?」

「あの『アフターバーナー』のトコにおる金髪の奴」

そう言われてから、顔を上げて戦闘機ゲーム「アフターバーナー」の方を見たら、いた!確かに金髪のリーゼントでスカジャンを着た少年がこっちを見ている!

90年代初頭の地方都市O市で、未成年で金髪にしているのはグレ方が半端じゃない奴とみなされていた。

実際その金髪少年は相当悪そうで、目つきのヤバさもかなりなものだ。

グレたばかりのK田とは貫禄が違いすぎる。

そんなのがこっちを睨んでいたから私も思わず目を伏せた。

もうゲームどころじゃない。

横のK田も目を伏せており、「なあ、どうしよう?どうしよう?」とこちらを向いたその顔は今にも泣き出しそうだった。

そんなの私に振られても困る!完全に気弱だった中学生時代のK田に戻っている。

「あ、ヤバイこっち来た!」
顔を上げると、その金髪がタバコを吸いながらこちらに近寄ってくるのが見えた。

再び目を伏せてから隣のK田を見ると、彼はより深く顔を伏せて目をきつく閉じ、膝をがくがく震わせていた。

「おい、オメーよぉ」

その声で顔を上げると金髪はK田のゲーム機の右横まで来て、彼の座っているゲーム機を蹴った。

顔を伏せていたK田がビクッとする。

次にタバコの煙をK田の顔に吹きかけた後、おびえるK田の髪をつかんで顔を上げさせ、「オメー見かけん顔やな、どこのモンや?」と凄み始めた。

金髪は前歯が二本欠けていた。

「あの、あの、O農業高校です」と震えながら答えるK田に、「農業ふぜいがナニ偉そうにしとるんじゃ」と言い放つ。

この金髪の本格的不良少年には極悪校O農業高校のブランドも通じない。

「それとよ、オメーさっきからえれぇ調子こいとりゃせんか?おう?」

「いや、そんな…。別に調子こいてないで…、アチイッ!!

金髪に火のついたタバコを顔に押し付けられたK田が悲鳴を上げる。


「ま、ちょっと話あるからツラ貸せや」

そう言うと髪を引っ張ってK田を無理やり立たせた金髪は私を睨んで、「そっちのゴミは失せろ」と出口に向けて顎をしゃくった。

否も応もあるわけがない。

私は一目散にゲームセンターから退散した。

自転車置き場に置いた自分の自転車のカギを、手が震えてうまく外せない私の耳に「オラ!来いや!」という金髪の怒声と、「すいません!」「勘弁してください!」というK田の叫び声が入ってきた。

それが、ヤンキー少年としてのK田を見た最後だった。

K田のその後

その日以降彼からの連絡がなくなり、見殺しにした私もあえて連絡しようとしなかったが、とりあえず殺されてはいなかった。

何週間かした後で学校帰りのK田と不意にばったり出くわしたのだ。

彼は中学時代と同じ丸坊主で眉毛も剃っておらず、学ランも変形ではなくなって普通の高校生の姿になっていたが、私から目をそらしてそそくさと立ち去った。

私との関係は終了したが、奴はすっかり更生したようだ。

いや、ヤンキー生命を絶たれたのではないだろうか?

あの金髪にヤンキーをやるのが嫌になるくらい怖い目にあわされたに違いない。

あの時のK田の、あのおびえ方を目の当たりにした私はそう感じた。

ヤンキー少年、少なくともK田のような中途半端な即席タイプを、形がどうあれ更生させるのは善良な人である必要はないのかもしれない。

悪いことをすることがどれだけ間違っているかを教えるより、どれだけ怖いことかを分からせた方が効果的なのだ。

それを分からせられるのは本当に悪い奴しかいない。

あの金髪のような本物も使いようによっては、O農業高校のような極悪校の生徒を少しはまじめな学生に近づけることができるのではないだろうか。 

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